大島哲蔵さんからの便り 1998年    HOMへ
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1998−9−23−13:34

佐藤様

 昨日ニッタ氏のオープニングの集まりに行って来ました。ミナミの中心地に位置するビルの2フロアに(地下と1階)を使った展示でこのビルはバブルのときイタリアのミケーレ・ルキという作家が設計して一時話題になったところです。

展示は模型と写真を使ったモノですが、例のアメリカでの展示会のために準備していたものにプラスして、マテリアルは軽いし模型やドローイングも腕のいい連中が協力していたことで全体として見栄えのするするものに仕上がっていて、迫力も十分で、良い雰囲気につつまれたものでした。今回の準備や企画がうまくいったこともありますが、この間の努力と実力と協力者の層が厚いことで、関西の実力者という位置関係を表現していたように思いました。

 欲を言えば彼の土臭い荒削りなところが十分ではなかったように思いますが、もし彼が言っていたように、仕事が入ってきたら、大成功ということになるでしょう。れいの黒姫の現場の兄ちゃんも早速きて熱心に見ていました。

二次会では彼は半分眠っていて、たぶん徹夜と過労が続いたからでしょうが先日も酔いつぶれていました。から、さすがの彼もパワーが切れてきたようです。連日台風が来たなかでの初日というのは彼らしくてよかったです。

ワタナベさんは電車が止まったのでこれませんでした。今のような不況で材料の乏しい状況下で個展を強行したのは評価されるべきだと思いました。彼にしても佐藤さんにしても一番充実した時期に仕事を取る苦労が大きいのは残念です。(私も同じですが)それだから日本が盛り上がらないのだろうと思います。大島哲蔵

 98年9月25日

 颱風や 家出忘れし 夜なきかな


先日の颱風は大風が吹き荒れてとても不安な夜をすごしました。もうしこしで食べられそうなリンゴもボタ落ちで残念。 今年は天候がやはり例年より悪く雨が多くて果物の味がまずい。良い天気が続いていたと思ったら台風で・・・。人のおもうようには成ってくれませんね。自然の行いは。

FAXありがとうございました。ニッタさんの展うまく進んだようで嬉しく思います。努力と協力に感謝いたします。仕事が発生するとよいと思います。

私の方も今日は病院に行きまして、妻の薬が夜だけになりました。退院してもうそろそろ1年ですが早いかもしれません。夏大阪に行った時に比べ顔や感情の変化が以前の健康な時に近づいてくるのが目に見えてわかります。死んだような表情にも元気になった感情にも対応するのは大変です。とかく人はあつかいが難しいものです。

子供の引っ越しも、1000万住宅の最終模型も完了し、ました。発注者と今夜模型に電球をともし夜の姿を想像し単純に喜んで帰って来たところです。 5歳の男の子もかっこいいと喜んでくれて一安心しました。ポケモン並の人気です。

仕事はあったほうがよいですが、この20年間ぽつぽつしか無かったのでこれからもポツポツだと思っています。都会とちがいますし、「人口が少なく貧しい土地でどうやってよい建築をめざすか」が、今までのテーマでしたから、今後も同じテーマで続けるしかないと思います。

他人の考えや判断で生きている人が多いのでその事に気づかせるのも気が重いことです。建築の発想以前の話なのですが、私は若い人には自分の体験から発生する言葉を原点にするように言えますが、親にはなかなか言えません。そこで作り続けなければならないのが私の原点です。

自分のことだけ考えて仕事をしたらどんなによいだろうと時々思います。一種の安心幻想に自分でいらだちブリブリしていると廻りが迷惑します。

いろなことがあってなるべく仕事に集中しようと努力しますが私が入院したときのようには行きません。以前大学病院に入院したときに病院は竜宮城だと思いました。暖かい。食事付き、娘つき、時の流れを忘れて模型を作ったのが、懐かしいです。自分の世界が増移し手が追いつかないのでした。

26日土曜日は建築の話だけしていたいので 大阪に行こうと思います。


1998−9−25−8:15

佐藤敏宏様

25日にいらっしゃるかも知れないとのことで、喜んでいます。ニッタ君も大喜びするにちがいありません。また月曜日くらいまでゆっくりしていってください。奥さんがだいぶ回復されたようで良かったと思います。今の世の中のことや自分たちのことを考えると狂っていたほうが楽ですが、それでも人間は基本的に正気の沙汰でやっていかねばなりませんから。

私も家族を捨てて(離れて)一人でやっているのは自分の面倒しかみられないぐらい力量がないからだと思ってます。それでも「正気」に戻って、下らない普通の仕事をして給料をもらって平穏に生きるヨリかはましなように思っています。奥さんは(女性は)基本的には足が地に着いていますから私のようにはなれませんから、心配が無限大に膨らんでしまうのも当たり前です。難しいことです。

フウタ君とは台風にまけない元気なイメージでよいです。風太郎のほうがきっとよいのでうが、小さい子供が大喜びする造形は信用できます。可愛いのかいたずらっぽいのか、なにか共通するところがあるにちがいありません。台風に吹き飛ばされたリンゴという存在も気になります。大地に受肉する寸前に、単に土の栄養になるほかないリンゴもニュートンのりんご並に価値があるものにも思われます。

大島哲蔵


1998−9−28−13:48

佐藤敏宏様
二日にわたって窒息的な部屋に閉じこめて済みませんでした。また下品な話をタップリ聞かせてしまい、呆れておられることでしょう。またこんなめにあうことをいとわなけい気分に襲われた時にはぜひ来阪ください。
ワタナベ一派は 大将にも部下にも欠点が多いから大成する人はあまりでないかもしれませんが、私の見るところ、佐藤氏とニッタ氏が居ることで充分な存在意義があるように思います。皆さんの今後を汚さないように小生も微力を尽くさねばと考えています。  大島哲蔵
● 98年9月28日

大島哲蔵様 床にごろごろしていて大変迷惑をかけてしまいました。キクマ君は父よりはよいセンスをしていると思いました。実作のチャンスに恵まれるような機会を与えてやってください。こちらはいままでのようにいろいろやってみます。

海峡や鮹に冷たき 無月かな

(淡路島をながめて)
前日のマツハタしへの冷たい言葉のような 雨と美しい月が見える時期なのに淡路島を抱いいた海は薄暗い雨を吊し霞んでいました。 残念でした。 古墳から名月をみてみたかったですね。 雨はヤツカ氏の10月号での(マツハタイビリのようにとても冷たく不快ですね) 主体の問題と主体と建築の関係について マツハタ氏の訳に興味を持って読み始めましたが、今日届いた文化を読んでいますと、「全体の事を知っている人があの建築かよ!」と言ってみたくもなりました。 ヤツカ氏の批評やイビリが正しいかどうかよく読んでみるつもりです。

小松の美術館の資料がやはり今日着きました。 既存建物の改修計画のようですが、今までの私の考え方を素直に表せるので提出します。要項を読んでいるうちに案が出来てしまいました。

私にとっては実に簡易な作り方でも理解していただけるかどうかは別問題です。千万住宅も笑いが先行して事の本質に行き着かないのが欠点ですが、又その様な連敗の数を一つ増やすだけでしょう。類似実作の写真を提示せよといわれても困ります。

ニッタさんは建設予算やお金がないのによくやっていると思います。社会にのし上がるには当然と思っている人達は多いと思いますが彼は若者に対し大きな責任を背負うことになってると思います。私の所にはだれも近づいてこないので気分が楽ですが、寂しくもあります。うらやましい限りです。

ワタナベさんの本は教科書的で私には参考になりますが、現代を生きる作家の本としてはずいぶん古い内容ではないかと思います。どうとっても世界はそのように楽観的になっていないようです。今年の天候一つとってみてもです。

現代のアポリアに対する設問の方法とそれに対する仮説が落ちているような気がしました。理性は原爆やアウシュビッツを残したが 狂気は人間のための原野を拡張し続ける。もうすっかり新しい世紀なのです。 佐藤敏宏



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