大島哲蔵さんからの便り 1998年 HOMへ
1995年 1996年 1997年 1998年 1999年 1998年 私信交換 1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1998年 5月 01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 2122 23 24 25 26 27 28 29 30 31 ● 98年5月3日前 大島哲蔵様 雑誌に掲載される文章はテープで自分の声を聞くようなものでようか。建築についてはまったく伝わらないであろうと感じます。建築は視角や解説文ではどうにもならないもので雑誌はあえてそれを承知で参加しています。建築をとりまく要素はつねに変化するのですが、現在のような雑誌の形態ではしかたがないでしょう。雑誌はなるべく想像力を働かせて、音や気温 湿度 風 雲 山 樹木や臭いや人の気配をそして周辺の様子をしるようにして見てますが、現場に行ってみるとほとんどの場合予想は外れているので、現実を大幅に加工して提示しているのがわかります。それを知った上でなるべく文で補足追加し かつ期待を裏切るよう下品に仕上がるよう心がけています。 遠隔兵器としての建築楽しく読ませていただきました。いくら偽装工作をしようと構築と破壊は車の両輪といったところですね。自覚して構築せねばなりませんね。 いまちょうど天候の変化が激しく嵐のような風が吹いています。マンデルブロウのストレンジアトラクタは気象学をコンピュータでモデリングした本で大変美しいと思ったことがあります。バタフライ効果なんてゆうのも知って僕がおならをしたらフランスは嵐になるかもしれないなどと考えて笑っていたこともありました。シエシーライザのまき餌はそれを建築に近づけたもので、人があくびをやげっぷやおならをすると変形する建築が出現するのか 単に大地のような(風雨太陽の彫刻建築)ものになってしまうのかこれは笑える大まじめな文章でした。 外傷の表現力は建築の弱点を正しくついたものとして心せねばなりません しかし構築する行為は権力的ですからどうにもならないかな〜。情報が目に見えない、いらだたしさを建築に投影せず透明なキューブを解体し漆黒のモノリスをキメイラ状にしてしまいたいものです。 リベイラのマテパルテ邸はやはりリベイラの設計とは異なっていたのですね。あまりにもデザイン言語が違いすぎていましたから、日本人ですとあるかも知れないがリベイラのパラパラデザインと逆パース階段では違いすぎますからね 5月号は特集がとても良かったですね。テラーニの特集は大島さんの名古屋で手に入れたテラーニの本が充実しすぎていましたから、水戸ではデザイン テクスチャーと図面の大きさを確かめたことが重要でした。本を見る時とても重要です。スケッチとデザインは特に本物にいかぎりますね〜。コルビュジェの時もそう思いました。 CGは下品ですね。単なる押しつけでしか私にはありません。体温や息づかいが感じられませんね。CGはこうだろうと作られても自然はそんなに単調ではない。 建築は壊れるから作るのである。30年建築に関わって思うことです。もうすこしましな・・・作るのであることを発見したいものです。建築は太平洋のクジラのげっぷで壊れるからてす・・とかなんとか楽しい解を見つけたいものです。 (入院と白河は大きな波紋でした) 5月15日で妻が入院して一年です。この一年私の建築を考える時間が無くなったのですが、ようやく静かに製図板に向かえる日々が手に入りつつあります。一年のブランクを立て直すのに2〜3年かかりそうです。なにも模型を作る資料が無くなってしまったので サイトウ君は一時休業です。5 月21日は夜間高校に講演に呼ばれたので、寺山風に学校をすてて町にでよう!とアジって来ます また連絡します 佐藤敏宏 1998年5月3日 22:49 佐藤敏宏様 感想を聞かせて頂きありがとうございました。何を書いているのか判然しない文章ですが概ね好評でした。年間4回ぐらいこのような発表の機会があれば嬉しいのですが、さてどうなるのでしょうか。 私もCGは好みません。建たなかったものを建ったかのように描き出してしまうからです。しかもそのイメージは決して「鑑賞的(リアル)」ではあはないのです。ウザワ氏はファシズム期に生きたテラーニと今世紀末を生きる私達が実は同じ条件のもとに置かれていて、テラーニを語るには同じくらいの精神性が必要なことを理解していません。ファシズムと言っても特別な時代ではなく、1998年の日本というのも問題が山積みにされた危機と崩壊の時代(場所)なのです。 この高度に腐敗した日本の資本主義下で、もし一貫した姿勢で高質の建築を作り続けることができたら、その時こそ堂々巡りの議論や外面の効果だけを狙った作品から開放されることでしょう。 奥さんの病気のロスは計り知れないダメージをもたらしたことは事実です。しかしそれによって、より深い思考や想像力が発揮できるのではないでしょうか。私も仕事の環境が厳しいことによって低迷しながらも「何かをなし遂げようとする者にとって」いつも周辺の事態は厳しく、一歩まちがうと発狂か死が待ち構えていることを知りました。今の時代も戦争の時代も本質的には変わらないのです。 その戦いを言葉を使ってする者も居ますし、夢と有機形を使って参戦する人も居ますし、幾何学を駆使しようとする人も居ます。今の処私達はテラーニの戦いを認めて敬意を表する以外にはないのではないでしょうか。半世紀以上もたってから、高度の演算能力をもってコンピュータというツールを手にしながら、相変わらずテラーニの設計した建物のヴァ−チャル像を有りがたく見たり作ったりしている私達とは一体何なのでしょうか。彼は家系に恵まれていましたが、大阪にもそんな家系の人はワンサと居るわけです。でも満足な建築なんかどこを捜したって見あたりません。 コモという芦屋程度のまちであの建築的な展開が可能だった意味はさぐられてしかるべきでしょう。厳しく言えば「基本的にダメ」なのでしょうが、福島は佐藤さんが居るので期待が持てます。もっと理解者をふやしてください。いつか佐藤さんの本が執筆できるように私も修業を重ねたいと思っています。 大島哲蔵 ●1998年5月中頃か 大島哲蔵様 連休も終わり静かな日常が戻ってきましたか。先日はFAXありがとうございまいした。福島に楽しい建物を作り見学に来ていただけるよう努力します。現場から高校 ゼネコン設計そして田舎で開所。日本での建築(家)の主流をまったっく外しているのが良いかもしれません(強がりです) 大きな建築や公共建築を望んでいませんが(努力や手続きをしてない)住人を楽しませ世界が少し「変色して見える」ぐらいにはしたいものです。 建築の評論は難しいですよ。皆アリバイ工作ばかりで建築が「たつ」ことの意義を見失っていますから BOX13はなななか大変です。えるLえるL擬音のような建築にしたいのですが力不足で訂正ばかりです。連休も模型を作って押し当てて見ましたが、だめ。静かに連休が消えてゆきました。形にしようとせず、自然に混濁して行く方法は無いものかと・・・。 とりあえず一般的な図面を作って工事費でも算出してみようと図面を書きだしました。 白河の人達がまた来るようでうす。不明確に事は進行しているようです。 オーバーに20年福島で設計をしていますが、開所当時と周囲の人々の反応はあまり変わらないのでファンを拡げるよう又一件づつ設計してゆきます。 野の花として無に向かって花粉を放っています。実のならぬ人は眺めて味わっている。食べているのですね。 春の花 月光に花粉 はこばせて 佐藤敏宏 1998年5月15日 1:25 佐藤様 本日会合があり、その後○○さんから呼ばれ、佐藤さんの話で頼みがあると言われ、何のことかなとおもったら「自分が来ることに対してビビッテいるようだから君のほうから会うように言ってくれとの事でした。逆の依頼なので困ってしまい、「白河の件と関係なければ、佐藤さんも○○さんとあって話をしたいと思いますよ」と言ったのですが「そうではなくて白河の話も大事なので、彼がやり方を知らないようだから、是非ともあっって置かなくてはならないのだ」と盛んに言ってました。 私はコンペの話も結局はうまくいかないから、もうその線も熱心には追求してない」と説明しましたが、「やり方というのがあって、自分は精通してるから、話をしなければならないのだ」と力説されていました。「自分の気持ちとしては佐藤君にやらせたいんだ」とも言われましたが、今はその目はないですよ、といってもなかなか解ってくれません。(29日に秋田に行くからその時に合わせてなんとか来てくれるように君から言ってくれとのことです)聞けば龍神の時も、地元の設計事務所が入ってきて同じようなシチュエーションになっていたが金はそちらにつかませてプロジェクトのイニシアチブは自分が取ったのでそういうやり方があるkとを伝えたいのだとの話でした。 私はそれは○○さんの独特なやりかたで面白いと思うが佐藤さんはそんなことをやる(やれる)タイプの人じゃないので無理です、というのに「俺はそうは思わない」と納得してない感じでした。 思うに、今の状況全般に焦燥感が強くあって、居ても立っても居られないという感じが何か強くありそうなのです。教育、仕事、個人的な可能性など見通しが立たなくなって自分ならもっとやり方を知っているし、白河に一度行ったことがあって、このまま放っとくと彼(佐藤さん)が窮地に追い込まれるのは眼に見えているのだから、何としても話をしたい彼を買っているし彼が失敗するのを傍観出来ないからこそ言うんだとう言い方です。「そっとしておくのが一番佐藤さんにとっても有りがたいと思いますよ」と何度もいうのですが、あまり解ってもらえません。 ○○さんとは長い付き合いですし、ある部分理解し合っている部分もなるのですが、この種の話になるとディスコミュニケーションが激しく、どんな言い方をしても伝わらないところがあって本当に手に負えないところがあります。どう対処したらよいのか私にも解らないです。○○さんは結局自分の考え方を貫く(押し通す)タイプの人ですから、どっちにころんでも話はこじれるばかりで本当に疲れることになるのでしょう。 「今お会いしたくないのです」と言うのか「その話は出さないでくれればお会いしたいと」言えば良いのか、何とも判断が出来ないです。独自の能力があって自信がある人は皆基本的にはそういうところがありますね。(特に建築家は)相手はどう思っているかはお構いなしのとことがあるのです。 相互的にものごとを考えて次を考えるようなやり方は辞書にはないようです。建築を構想するときはそうでしょうが、今度のようなケースではそうはいきません。私は佐藤さんが取られた方針や態度は良く理解できたしうまくいくとは思いませんでしたが、私自身もたのことで、同じようなやり方をずっとして来ていつもうまく行きませんでした。 でも、今ではもう疲れて、そんなやり方をするエネルギーは無いかとも思いますが、何かの拍子でそんなことになれば、やっぱり同じ事をしてしますし、それしか自分には出来ないと思っています。○○さんは確かにすこし違うやり方をして実績も上げられましたが、それは○○さんの独自の方法であって、私達にはで来ない芸当だと思う。 「あんたが言っておいてくれれば近い内に俺が連絡をとるから」といってましたらかいづれコンタクトを取られると思います。「会いたくない」と言えば角がたつし、曖昧な態度を取ると余計きゅうくつなことになるに決まっています。自分が間にはさまって余計に状態を悪くしそうで泣きたい気持ちです。このことだけではなくって 会合の現状もそうなのでうす。私とニッタ君は比較的idenntifyされていますが、○○さんとは開きがあってまた若い人で有能な人からも、会合の方針が一向に解らないし私が何視したいのかもよく判らないと言われ続けています。 多分このことはどうしようもないことなのでしょう。「お金儲けや権力の掌握のためになっている」と言える方がずっとスッキリとするのでしょうね。 ○○さんから言われてコンタクトを取っているのですが、一体自分がなにをお伝えするのが正しいのか(良いのか)も皆目わからなくなって来ました。 1998−5−23−23:51 佐藤様 建築文化6月号本日入手しました。期待しすぎていたので、今ひとつBOX12の良さが伝わって来ない感じでした。佐藤さんが書いておられたとおりです。ただ困難ですが、何んてことない建物の回りの風景をうまく建物と隣り合わせるのに成功すれば、きっと写真が生きてきた気もします。今度の建物は桁のコンクリートなどをコラージュする手があったと思いますが、それを写真家が出来るものでもありませんから佐藤さん言うようにこんどの建物は建築写真では捉え切れないのでしょう。 写真のキャプションが良いとおもいました。(フシモリさんのやつは嫌味)私のFAXに信夫山の方へ吹き込む風が橋脚を通過するときに発生させる渦の略図を書いておられましたが、あんな図が良いですね。もう1.2ページ余裕があればもっとゆったりレイアウト出来そうにも思いました。 ヤツカさんは危ないところに来ていますね。美術館が終わったらこんどはメデアセンターというのを政治家や役人がわけも解らずあちこちに作っています。彼はそういう事はわからない人だから単純に喜んで仕事をしてしまうわけです。中央が地方を収集して破滅するネタに限りがないことがよく解ります。トウ大のトップが何の批評精神もなく、その政策に合流して行くのは今までも散々見てきたことです。 建築にしろ何にしろ日本には抑圧側にまわらない限りは、大変つらい事態にぶち込まれるもののようです。金がもうからないのは、それほどこたえないとしても(最近はこれもこたえますね)屈辱的な関係に甘んじなければならないのは困ってしまいます。 口先上手に泳いでいるヤツばかりが私の回りでもうまく行ってホクホク顔です。彼らの最後の楽しみは私達がネオ上げてその列に加わることを待望してます。それだけは絶対できません。ホラ(貝)を吹くような感じでソッポを向いていて、独り遊びを続けたいとBOX12を見ていて思いました。 大島哲蔵。 ●1998年5月23日頃 大島哲蔵様 早速建築文化の感想をいただき感謝いたします。写真もヴァーチャルな二次平面の表現ですから、模型を実物とみるために訓練が必要なように雑誌を見る場合も見る技術が必要と思っていました。BOX12は実によくトタン型枠の壁の写真が前半のマンネリモダンマニエラと後半の大老達をスプリッティングしていて巧い編集だと私は感無量なものがあります。編集長さんが急いで取りあげたことが理解できるような気がします。 近頃は写真集に美しく掲載された建築は近代の古典にページが開かれた瞬間なってしまう代物でしょう。ハラさんの文章もよいところいっていると思いますが、「空間」は存在しないと思っています。文中で無意味の意味も棚上げされていてすこしズレていると思います。調子がよすぎるのです。 私は10年来思っているのは物と物とによって見える像を虚文学をもって構築し実態とすることです。それを人間が利用し建築と呼べることでギリギリの生活が成り立っていることどです。 その場に立って虚文が作れるかどうかがスムーズに建築を作れるかどうかに影響するところです。最初の1ページがすべてトタン・ピーコン・ボビン窓の三種の廃材で私のかちです。 あの面は作っている時から周囲の人々から反対された壁です。人は常識で物を見ている(見ていない)からしかたありません。私は廃材も素材なんですがフジモリさんがドキとしていることでしょう他の人は破り捨てているでしょう。 空間なんて言葉は何の意味も実態もない言葉だと思いますが、建築がなんで空間なんて言葉で日本人は理解しようとするのか私には分かりませんでした。空・間 物と物があれば意味を感じてしまうのが人でしょうに。トタンとピーコンで現在の建築はスプリッティングカノウ私は痛快です。本当にもっと汚い写真だとよかったのですが、天才アラーキーの東京コメディーの女性器写真のように、スプリッティングできたのに。 ミヤジマ氏には感謝しなければなりません。マッタクラーク話は 大島さんの孫伝授ってゆうことでしたか。 以前から私は別な所にいると感じていましたが、BOX12はそれを明らかにしたな~と思います。私は生きながら古典にはなりたくないので建築や空間から遠ざかる努力をするつもりです。美術ではもちろんありません。事や像を発生させる物の配列や関係を虚文でつくることでしょうかやはり。 スプリッティングして綴じ直してもおかしくない 建築雑誌は平凡な建築家の様を表現しているのかもしれませんね。 佐藤敏宏 ● 1998年5月23日以降 大島哲蔵様 建築文化6月号 期待はずれで心苦しく思います 写真機の力は一つの焦神点に事物を配置することでしょうから、増殖する虚聞から構成する建物には写真機に内在する美の階級に収束(終息)することはないと思っておりました、建築雑誌にもなじまぬように思います。 東大から発生する政治や役人そして美意識や喜びや悲しみまで階級化されてしまうのはある種の複雑性を管理したと思う単純さの行為として受け入れてもいいのではないかと思います。 しかしもう一方の複雑さ市民としておきますがそういったものの美や喜び悲しみが存在してもいいのではないかと思っています。 白河の人々がまた来て(市長)選挙まぢかになって圧力がかかっている話を聞き、ある小さな複雑さがランダムに配置される、集まる複雑さの複雑さ、それを人が持てる、知りうるか、知りうる方法を手法かできるかどうか に今後の目標が定まりました 中学校をつくるための記録を手法化できないので、これは失敗に終わると今考えています。今後の話し合いは、メディアによる記録の方法に変えて話し合いをすることにします。 大学生や教授にも失望してしまったので、抑圧される側で楽しむ手法をみにつけ楽しんでしまいます。僕の出自からいうと野にあるべきでBOX8から少しわかりやすく作りすぎたと反省してところです。 大衆というなの市長や市民という名の総理が出現してもどうなることか、今は疑い始めました。(あらゆるものは詐欺師であると) お金はあらゆる差異に取り憑いてしまうので、差異を流通する人になれば集まるのでしょうが、差異を発生する側にはあまり縁のないものとなるようですね。 仕事もなさそうなので数ヶ月前から身辺整理を始め、一時休業に入る体制がとようやく完了しました。残務整理を行っている間に仕事が発生することはないでしょう。実務はなくても建築のことは生業ですから離れることはありませんが、成果を雑誌に発表することはやめます。 ノンキなのか建物がその地にあるだけで世界が少し変化したように感じてしまうのです。その気分がとても不思議で楽しいものですからそんな風に思うのです。 本気で独楽は大きなキズを持ち育てることになりますが、宿命と思い楽しむことにしましょう。今年もサクランボの季節になりました。野の花の咲くように時々お会い話あい楽しい時を持つことにしましょう。 耕さじ 虚空の風や サクランボ 佐藤敏宏 ● 1998年5月25日頃 大島哲蔵様 先日ミヤジマ氏がミースとランドアート(アースワーク)の文章を送ってくれました。ミースについては昨年バルセロナパビリオンの模型を作って勉強をしていましたので彼の考えとのと違いがわかりました。近代建築の記念碑として私は考えてない均質空間より柱の人といった印象が強くあるので、納得出来ませんでした。ランドアートとクロス柱と建築の関係は手際よく説明されていて共感しました。ゴートマン・マッタ・クラークの「スプリッティング」やビルに無関係な幾何学的カットを行う、仕事は特に知らないこともあり、強く興味を引かれました。ゴートマンの作品集があれば送ってください。 今はBOX13の図面を書いています。都市計画道路によって残る敷地の残形の集合として建物を構成してますが、そこに解体される木造建築を付けて完成させるわけですが、生には死含まれるように作ることに壊れることが含まれていることを気づかされることになりました。壊れる原因が都市計画道路の線なのですが、この線を引いた人物の手を最近想っているところです。かれはキャバレーで乳をもんだりしただろうに、哲学書なんかも開いた、その手で彼女の体もひらいたなどとです。 夜間高校は駅ビル再開発とセットで移転するそうです。不況でテナントが集まらず、県教委が40億でテナントになる。ここでも政治家と土建屋の悪巧みが隠れ見えています。生徒のことなど考えてないようです。「80名の高校は40億も作るのにかからないでしょう」と質問されました。その通りと答えました。 白河の中学校のコンペはそれで建築が実現する可能性が高いぞ。 話を聞いた須賀川市の建築課の役人の方が教えてくれました。私は若い人達の才能を働かせ引き継ぐ方法をおもってのことなので、建築を実現することが最終目的ではないと説明しておきました。 彼によると地元のレベルが低いのが一目で分かると言うことです。JVなどで勉強するしかないのではと話しておきました。つまり地元とコンペの参加者の力の差のことです。最優秀案の人と地元のJVで実施設計と監理です。役人の人も考えられないことだと言っていましたが私はとうぜんだと想う。 その差が明らかになってくるほど自分の所在のなさがわかり情けなくなる、浮世離れしているってことですね。 建築も遠くへ来てしまったと思うことがおおくなりました。14才の春は「人はどうして建築をつくるの」疑問に答えを発見するまではどこまでも歩くしかないですね。 ワタナベさんからは連絡はありません。静かにしておきましょう。 大衆社会や市民社会が21世紀実現するのであれば建築課も勉強することが大切なようです。自治を育て政治と行政をつねに監視する。政治と役人は暴走する。しているのですが自治意識がないにほんではやりたい放題ですね。 KBは写真集です。建築はその社会や土地にあるから意義がある。その所在を知るために建築集もより、ミヤジマ氏はよく現場に行っているので尊敬できます。体感を文章ににではなく建築に ●1998年5月25日 大島哲蔵様 マッタクラークの作品集早速ありがとうございました。ビンゴやスプリッティングに私は笑ってしまいました。初めのページの写真の連続を見えいるとその場の空気や臭いが伝わってくるようで楽しくおもいます。ビンゴは写真に描いたように実物を解体しその一部を展示し最期のカードをはずすと全体が崩れ矛路が立ち上がり方するする。 ウォールペーパーもブロンクスフロアーもみな面白いです。この作品集をみてBOX7との近親性をつよく感じます。BOX7は実現していないので正しく伝わっていません。 人は箱とたまの隙間を利用する。床や天井壁に穴があいている方々の世界が乱入する。マッタクラークのことを私はつい最近までまったくしりませんでした。生と死 作ることと壊すことは同じですね。解体することによってそこに新しい時空が出現する。 作ることへの方向がだいぶ整理できて大変参考になりました、作りながら床に穴をあけたくなったりする力をかんずるのは正常でしたね。 佐藤敏宏 1998年5月25日 手紙 受け取り 佐藤敏宏さま FAX拝見しました。マッタ・クラークは私も好んでいた作家で、ミヤジマ君にも伝授した人です。アートと言うのも、こういう形で現在性を持っていたことが解ります。(そのかれも早死にしましたが)BOX13の道でいずれ切れるというのは本当に興味深いですね。負の増築というか減築になるわけですね。上手く考慮できればまた名作になりそうな予感がします。(設計者は大変でしょうが・・)建物の部位で寿命というか時相が異なるというのは泣けてきます。姉弟の片われの存在期間が決められているようなもので、残されたピースは特に複雑な思いにとらわれるに違いありません。 予めその形見を内蔵してやらなくてはいけないかもしれません。もしくは引きちぎられた(splitting)断面を永久にファサードに刻印しておくような処理をして、役人の汚れた手が、結果的にゴードン・マッタ・クラークのような作用を及ぼすように仕切ることも出来そうです。 そういえばBOX11が表紙の建築文化にヨネダ君がマッタ・クラーク(ゴードンの父)のことを書いていて、建築文化97年8月号にやはりヨネダ君がゴードン、mattaについて書いています。彼ともこの頃よく彼について対話していました。 中学校はうまく行くことを願っています。変則的ですが革命的さからです。JVはしかたのないところです。イソザキプロデュースの北方女性ハウジングも小さな字でしか書いてありませんが地元の事務所とJVでしたし、ベルリンのlbaもほとんどそうです。(下請け的なのが良くないのですが、地元がちゃんとしているので必然的に力関係がそうなってしまうのです)○○氏がいってこないのは良いことで「そっとしておいた方がよい」という私をその時は強くさえぎっておきながら内心ではある程度納得していたのかもしれません。そういう人ですが、また突然我を張りだしたりするので、そうなったら手に負えません。 もう少しで建築文化が入手出来ると思うと待ち遠しいです。自分の文章のときはちっともそんなことには待ち遠しくなってなく、あれ、書いていたのか・・なんてことになっていますが、あの種の作品はみんながどんな顔をして見るのだろうかということも含めて気になります。きっとそのうち何か言ってくるやつが出てくると思います。一体どんなヤツがどんなことを言ってくるのでしょうか。 建築がわかる人はいろんな事が解るものです。教育が解かる人は、人間はもち論ですが、都市やシステムもわかるはずです。役人の怠け者には何もわからないような気がします。恥ずかしいという観念もとっくに失くしているようです。大衆の長所である単純明快で愚直な長所もありません。多分自分では少しインテリのつもりでいるのでしょう。今の日本には本当のインテリも庶民も生息していなくて、中途半端な利己主義者がひしめているだけです。一人一人が比較的ましな場合でも集団となるともういけません。これは多分宿命的なものだと思います。都会はとくにダメです。ド田舎の人の方がまだ土や生産に結びついている面があるのではないでしょうか。(違うかな?)都会にいると、何の可能性も感じないのでついそう思ってしまいます。地方も今や都市風に巻き込まれてしまって、悪しき思考回路に取り込まれつつあるようです。 白河はそういう意味で可能性がないと思っていたのですが、コンペができて、JVでもなんでもいいから、いつものコースと違った決定がなされるとしたら、それは革命です。佐藤敏宏という個人がそれを可能にしたわけです。建築家ではなく詩人の域に達することになるのではないでしょうか。タカサキマサハルのようにファンになって支持が集まるのではなく「変なやっちゃ」ということで皆が納得するのですから、画期的なのです。 天才的な馬鹿者とうのが世の中を変える能力を持っているように思います。中途半端にカッコいい人が多いですからいけないような気がします。Wさんもかっては天才バカボンだったと思うのですが、近頃は少し猿知恵をつけてしまったかな。 私もこないだ読書会でフルページまでやると言って始め、1時間かけて、たった3行で終了してしまいました。40人を越える塾生にどう言っていいのかわからず、さすがに言葉に詰まってしまいました。 (それまでは順調だったのですが)だれに聞いても「少しも解らない」と言ものですから、どうしようもなくなってしまったのです。そういう人達に読書会を課してる、コツチがよっぽど馬鹿だと思いましたが、始めた以上続けなければいかんし、今後のことを考えると暗くなってきます。 大島 1998年6月へ |