大島哲蔵さんからの 1998年 便り 3   HOMへ
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           1998年   私信交換 
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 鬼がみな 吟(うた)はなくなり 豆をまく
寒中お見舞い申し上げます。毎日寒い寒いといっていた1月がすぎてしまいました。昨日届いた建築文化を読んでいたら、論文佳作に大島さんの二川論に触れていた女性がおりました。読んでいる人はよく読んでいるようでうれしいです。

若い人達の対談は先人のミース論や透明の問題につていの論を信用してないので私は安心しました。
真冬はこたつで眠っているのが例年の行いなのに、今年は昨年のツケを支払っているのでBOX13や千万家の住宅の図面を書かなければなりません。

寒くって考えも凍ってしまいがちです。立派で暖かい事務所がないのでコタツに足をつっこんでいます。家で仕事をすれば良いのですが荷物を運ぶのも寒いので つい春を待ってしまうのがこれまた例年のことです。やせがまんして

  立春や ヒーター買わず 寒を知る 


 1998−2−4−2:16

佐藤さん。コタツはよいです。暖かいですから。天満で寝起きするようになってから、とても寒さと暑さがこたえるようになりました。でも徹底的に耐えようと思ってます。冬は寒いのが当たり前ですから。ここは狭いのでこたつをだすわけには行きません。夜飲む熱いお茶のおいしいこと・・。

ところでこないだのコンペ案の写真に付された歌は、大雪の白より白し模型かな  のほうがよいように思いました

文化の佳作の人は私の拙論を上手く利用していました。あれ以外にも、ヨネダ君の言っていることの中に、私のアイディアが時々出てきます。またこちらに来るのですが、会話をよく覚えていて、適当に使うところが可愛いと思います。建築と同じで、独自の言い方をしていると、誰かがその内容を承けて展開したり歪曲してくれるのが楽しいですね。

昨日10+1の最新号が出ました。思い切って多木浩二の批判を書いているのですが、今日編集長から電話が入って、メールで読者からライターの他の論文を読みたいからリストをくれないかと言ってきたそうです、「注文がないので、ほとんど書く機会がないが・・・いくらなら読んでもらえる」と返事したところでした。

昨日の今頃 電話したのですが、佐藤さんは居られませんでした。今日は久しぶりにFAXいただけたのはうれしいことでした。ニッタ君は家賃を払うのに苦労しているようで、しばらく苦しいようです。見積もりもまだ出来なくて、少し不安ですが間もなくできることでしょう。母親は飼っていた猫が死んでしまったので、しきりに淋しがっています。来週ドウケ君がやって来て打ち合わせする予定になっています。

建築文化から〈戦争と建築〉という小特集で、またなにか書くように求められました。引き受けましたが不得意なテーマなので、苦しんでいます。でも本当は建築に関することやそれを批評することは総力戦で、あらゆる武器や策略を動員して勝つためやっているわけです。こないだの学校のように、疲れてあほらしくなってしまうことが、結局は多いとしても、最初はキッチリ立ち向かうのです。

建築春秋塾もそうなのですが、大気分が抜けてしまっている所もあります。また若い人達が妙に醒めていて、戦意がないので、こちらにもその気分が移って来てしまいます。3月の1日には京都に来られるようですね。また泊まって行ってください。またどこかに行ってノンビリしましょう。

奥さんのことがあるので無理は言いませんが、私の家に一泊してそれからどこかに一泊ぐらい遊びに行くことは出来ますか。考えておいてください。明日は名古屋に行くことにしますので今日はもう寝ることにします。寒いですがお元気で。大島哲蔵

●1998年
早速faxありがとうございます。明朝は名古屋行きのようなので手紙にします。
コンペの歌は純白きそうのようがよいのです。雪も模型もあっという間に泥まみれになるからです。そして疎まれるのです。唯一その記憶だけが美しいのです。ほんの一寸降った・壊死したその瞬間だけが美しい。すべての音を吸収してくれる雪のように模型も未完成。作っているときいろいろ発見があって美しい。その後は作業がまっているだけです。雪掃きはつらいものです。雪も模型も汚れ急ぐその白さです。

小学校の資料代の請求がまだ来ていません。多くは支払えませんが請求書を送って下さい。小学校は私の最初の提案を地元のPTAの人達がきいてくれもっと広くて平らな土地をもとめることになりました。コンペや学校の実施設計をすることは出来ませんでしたがよかったと思っています。

もし委任の土地でコンペがあってもその土地に正解なしを最優秀にしようと考えていました。

まちづくりの声が高くなっていますが、小学校のことで初めて公共建築のことに少し触れ感じたことは(税)補助金をばらまきその金を政治家が回収する。すべての人々の自主自立の力を奪う。借金でふくれた税金ももらいノンキに流れてている

補助金に むらがるヒトや 不冬眠 

税金を一生懸命支払っていたのですが もう支払わないよう努力します。もう少し考えてくれるヒトが育つまでは仲間に支払ったほうが良さそうです。

大島さんはおおいに発言し1920年代のモダニスト達が大衆に向けて住居を提案しそれが戦争によって潰されていたことを書いてもらいたいです。20年代に提案された夢は実現していないのですから、土地や建物を投棄の対象にしてしまったのは明らかに建築課の怠慢。建築学者だって信用に値するひとはいないんじゃないでしょうか。バブルに浮かれず20年代の夢を手に入れるチャンスだったのに

経済戦争にやぶれても日本の建築家はそのことに気づかないのはなぜですか。日本には建築家はそんざいしてないんです。美しく作る技術者ばかりではいっまで経ってもパッチーワークのような事ばかりでしょうか。私達日本人は本当によい住空間を手に入れるべきです。

大島さんに最初に送っていただいたリードヴェルトのような人生を送るヒトが一人でも日本にいればきっと建築もよくなっていたでしょうが税金にぶら下がっているばかりではそうにもしようもならないのでしょう。

リードヴェルトの本雪の結晶


若い人が醒めているのは大人がいい加減だからです。教授だって私利私欲。自分のためにやっている。経営者だっということを見抜いているからです。

建築課がスターになてみたところで建築が良くなるわでもないのに。バブルがはじまった80年代半ばから雑誌を買うことをしませんでした。見ていると吐き気をもよおし気分が悪くなるからです。すこし元気になって近頃買い始めました。

洋書を眺めていると「落ち着きますね」大島さんと本当にであって良かったと思います。日本のバカモの批判よりより世界中の建築家をじっくり紹介し続けてください。それがきっと日本の建築家を批判することになるからです

ぞうけい大から連絡がないのでよくわかりませんが、行くようになったら一泊させていただきます。(震災後の大島さん実家の)むくりのある床と白い魚が印象に残っています。朝飯もうまかった。(神戸港の方の)朝日もまぶしくって池の水がなかったことも、倉も・・・。

駐車場の前を開け玄関を入る階段が2つあり、RCの奥にも風呂があり、その上は物置で大島さんの部屋があって、新しい木造の2階に泊めてもらった。・・・ステンレスが風呂のまどガラス代わりとドンドン思い出します。
そうなったら妻もつれて、ゆきます

大島哲蔵さま      佐藤敏宏



 1998ー2−21ー 0:43

佐藤さま
fax頂きました。ぶざまに作り続けるということは大切なことですね。カッコよく行けるモノはわずかで、一見そう見えても、実は無様なことになっている人が多いようにも思います。「ぶざまに生きる」のは少し嫌なのですが最近ではかなり覚悟せねばならないと思いはじめている今日この頃です。

新井氏はエリートでしかも・・(不明)・・で生き抜こうとしたようですが、矛盾がもろに出てきてしまい、どうすることも出来なくなってしまったようです。皆ちっちゃなスケールではありますが、ああいう現実に悩んでいるのではないでしょうか。

建築家の救いは作品にあるようで、かろうじてそんなことだろうという気がします。少くなくて良いから、それに接した人が納得してくれる仕事ができるということはやはり素晴らしいことだという気がします。翻訳や物書きも基本的には同じことのようです。自己満足にさえならならなければ・・・。

京都で句会というのは乙でいいですね。きっと力作ができることでしょう。あそこには別に本質的にはなにもないところだとは思うのですが、日本で一番古い街であるだけに、みょうにシミジミした気分になることがあります。福島の句友の方々と風情を発見してみてください。

キョートはイヤラシキヒトタタチノ久ユメノマチ という印象があります。

学生たちは出来がようのも悪いのもいろいろ居ますが、みんなそれなりに前途に希望を持ていますから良いです。私達と同じでこれから一杯良いこと悪いことがない交ぜになった降り注いでくるでしょうが建築が本当に好きなら耐えられることでしょう。

彼らの心に残る一言が伝えられればまずは役目は果たせたことになるでしょう。前日から行くなどなかなか佐藤さんらしいと思いました。こちらは何とでもなりますから、何処かで合流していつものように、いろいろ話したいですね。このところストレスが多いので、少し控えたいた酒についつい親しんで体調がもう一つですが、少し回復させておきます。車で来られる場合はどうぞ気をつけていらしてください。     大島哲蔵


● 1998年2月4日以降
大島様
10+1昨日いただきました感謝いたします。建築と批評のよい関係をあまり知らないので困ります。設計の妥当性や正当性は分かり易いのですそうなってしまうのでしょう。また主観的想像力の競演になってしまうのでは観戦しているほかなさそうですし、作っているものとしては建築は抜け道が多すぎるのですが人と建築行為の幸福な関係を望んでいるのです。決してそうはならない所が面白く建築そのものよりは建築を発注する人間文様に興味が移ってしまいます。

物(建築)が気温や懐具合でいろんな物に変形するから笑えます。この所BOX13の平面を毎日眺めながら2ヶ月ほどになりますが、すこしずつ整理されてゆくので楽しいものです。不況で経済的にはこれから大変になりそうですが、希望がなくなたわけでもないですから心配はしてません。

他者に望んでもあまり発展はしないので若者を励ましてゆきたいと思います。旧来の考え方ではどうにも建築はよくならないのははっきりしていますから。28日は京都に行きます。若者の将来を大切にしよい発言をしたいと今から心しているところです。


●1998年2月22日以前
昨夜話したイギリスの建築家を並べてみます。今年はどうもお金がなくなりそう・無いので多くは買えないような気がしますが、毎月1冊づつ送ってください
イギリスの建築
1)j・スターリング
2)セドリックプライス
3)ベルトホールトルベトキン
4)Pガフ
5)ピータークック
6)パームハウス
7)Wオルソップ
8)Nグリムショー
9)ロンヘロン
10)ロジャース
11)ピアノ
12)Nフォスター
順序はかまいませんが毎月よろしくお願いします。

リ^ベスギントやコールハース・ベルナールチュミの作品集もありませんが大阪に行ったとき見せてもらいます。本の整理をしてましたらSDのミニマリズムとアーバニズムを再度読んでみますと編集者には評判が悪そうですが、大島さんらしさが最も良く出ていて私にはよく理解できて建築家への批判も明快でよかったなと改めて思いました。前段のほどよく(

(品のない)ミニマル風建築作品の薄っぺらなことを照射していて小気味よいですね。昨年だったと思いますが、バルセロナパビリオンの本をいただき官能のイコンと称された十字柱の表紙に感動してパビリオンの模型を作ってみました。これはミニマルではないと思いました。

壁式住居の池の対比や階段を作ってみると単純なワースー邸の住宅にある種の感情も感じられて皆ずいぶん単純に見ているものだと思ったことを思い出しました。

日本のミニマルのようなバカ単純さとは異なるやはり神話が内在していて面白いですね。ワース邸の前段のテラスにダンスが見えたり とても神々しいんでした。

よくアオキ氏と並んで植田さんに取りあげられるので、アオキさんはミースを誤解してますねと理由を書いたら評論家になれとすすめられたことを思いだしました。

序にかかれてある「未熟者が陥る罠」にはまっちゃっていますね、日本のミニマル建築は? ジャットのスーケールの大きいことったらないですね。物の神話を浮かび上がらせる建築家ジャットはゲーリーなんかのポップチラチラよりドイツ風なんでしょうね。図5の地面が池になる話もいいですし、最期のまとめの文もいいですね。やはり足で書いた文章はすごいのかもしれませんね。

クリストもそうですがどうやってジャットは金を集めているか興味が沸きます。仕切方を誤らない者のところにはドンドン金は集まるべきですね。いろいろ感じた1日でした。京都でお会いしましょう。



1998ー2−22ー11:18

佐藤さま
faxを嬉しく拝見しました。イギリス勢を毎月送れとのこと承知しました。早速月曜日にスターリングから送付します。楽しみにお待ち下さい。SDを引っ張りだして再読ください。新しい感想を寄せて頂いたこと本当にありがたいことです。小生の文章はそれほど難解ではありませんがザット読んだだけでは何となく分かるという程度でじつくり読んでもらわないと本当には読んだことにはならないように、裏の意味や示唆いれてあいます。・・や思潮などの文章は・・以下感光して不明・・

● 1998年2月22日以降 手紙

佐藤様 
御下命の本を2冊送ります。どちらも見ていて実に面白いものです。スターリングの一時期にはレオン・クリエと明らかに判るパースが入っていて楽しいです。アベ氏のT型コラムも確かに面白いものですね。持っているのによく見てないものです。何か切っ掛けがないと人間は不注意なものですね。役人もきっと自分たちが陥った事態に気づいてない環境があるのでしょう。もし同じ症状の人ばかりが100人閉鎖空間に押し込められたら、自分たちが病気だとうは思わなくなるわけで、それと同じ事が役人とか日本人とかいう単位で生起しているのでしょう。建築なんかも同じような全員病が蔓延しているのでしょうきっと。

建築家の文章は何でわからないのでしょう。自分勝手なのでしょう。他者という存在を認めないのでしょう。自己意識というナイフを持ち歩いてことあることに振り回してしまうのですね。見事に相手を刺殺してしまうならまだしも、大ていは自分がケガをしてしまうに過ぎません。才能というものに恵まれた人は特にいけません。大概その使い方を知らないのですから。

日本では少しぼんやりした鈍い人の方がうまく行くようです。頭の良いナイーブで神経質な人はうまく行かないようです。いつの場合もユーモアがあればかなり救われるようです。必死で自分を売り出そうとしている人は、そういう自分の姿に気が付けば、自然に可笑しさがわかって笑えてくるはずです。そうしたら、少し余裕が出てくるはずです。我執というのはみっともないですから。

また福島に行けると思うと楽しみでなりません。できれば桃の季節に、などと思っていますが、それは無理でしょうね。今度の作品はユーモラスな姿をしているようですから、なおさら期待してしまいます。私は特に立派なものよりもいじけ気味のやつの方が好みです。人をホットさせてくれる愛敬のあるのがよいですね。人間と同じで優秀な人格者というのは気がおけていけません。失敗ばかりしているが、根が善人で努力家でこりない挑戦者といた感じでしょうか。今はいい格好しいで責任転嫁が上手いという最悪の人達がはびこっている。そんなのは政治家や役人に任せておけば良いと思うのですが・・・。ではまた。大島哲蔵


●1998年2月末 

体調の悪いところを二日も時間をいただき感謝いたしています。作品講評会への参加をすすめれば良かったように思いましたが、体調を整えていただいたほうが良いと思いましたのでやめました。「俺が元気になると大島君は体調を悪くする。昔からそうや!と言っていました。車で送くっていただきこんなこと をは 言えないのですが おゆるしください。

旅でコウケ君に会えた事とドウケ君の作品を見ることができて望外の幸福です。ドウケ君の実作はすべて見に行くことにしましたので、是非その時は教えてください。彼は建築家として最初に私の建築を見に来た人ですから、僕はそのことをとても大切にしたいと考えていますので、お願いします。

無援にしてはよくやっていると思います。外部の造形がすぐれて内部がありそのダイナミックな感じが出ていないのはドウケ君の自画像のようなものしょうか。アンビバレントな感覚を大切にしてほしいものです。 

マツモト氏によれば私の句に感動したそうです。(1994年建築文化に特集された号のセイラームーン城プロジェクトに沿えた句)

退化死か 珍歩求めん 人造夫

に いたく驚いたそうで、それでだそうです。(講評会に呼んだ理由)私は大した講評なぞできないのですが。今目の前にあるテーマを大切にし生涯のテーマにしてほしいと希望しておきました。あまり気の利いたことはいえないですね。みな良く発言するのであきれました。

これだけの言説があっても、ちっとも良くならないのは無能だからで少ないことばで充分に思いましたが。どれだけの教師が彼を見続けるのかと問いかけたい気分でした。

ニッタさんのような馬力が私には無いのでワタナベさんの作品とドウケさんの作品を見続けることにします。

昨年の「建築の近代」よませていただきます。

帰りの電車にサイフを落としました。現金はあまりなかったのですが、名刺がほどんどなくなってしまいました。モリさんの住所をおしえて下さい。コウケさんの名刺だけが残ったのも何かの縁でしょうか。また遊びに行きますが、BOX13を見学に来てもらう方が先かもしれませんね。 ではまた

春風や 神戸みなとの 汽笛きて




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