大島哲蔵さんからの便り  1998年 3   HOMへ
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●1998年夏
大島哲蔵さま先日はfaxありがとうございました。今日高湯温泉に行ってきて大島さんが湯あたりしたことや有馬温泉の赤茶けた鉄分の多い湯のことなど思い出しています。

9日の話が皆様に役立ったようで嬉しく思います。「私」が増殖分列」する社会学の話や個室から個電にいたる家父長制の完全解体。寺山ワールドを実見してるようで私はこの世を楽しく思います。すこし現実世界はいろいろなことが衝突し散乱錯綜しているので、なかなか事の本質を理解するまでは時間と忍耐が必要でしたが、バブル経済後 事は随分分かり易くなっています。日本の政治は資本家のため。お金は一時的に利を求めて世界を激しく売り買いし続け 教育は歴史や記憶を消し去り大量の消費する人を作り出しているようです。

資本家と都市流民と郊外流民の三極構造が出現しつつあるようです。世の流れとは無関係で個の追求がどれほど重要で可能性のあることなのか私には判断できませんが 人の免疫系は自己と非自己の判定のみで 他や外部または公共という反応が無いんだそうですから、人の可能性は人間を越えてはあり得ないと思われますので徹底した自己追求をやってみたいです。

はれるや教団の洗礼で中耳炎になってしまいましたが、あらゆる「もの」がインチキに見え、あらゆる「もの」が真実に見える私の網膜と血液に身をまかせ私はこの世を楽しむことにします。今日娘は一人でブッタの国へでかけてゆきました。ガンジス川をカルカッタまで旅するようです。仏教やガンジスの非暴力の精神はインドの大地にいまだ流れルづけているとよいのですが。お金や物欲に右往左往する人がほとんどなのでしょうか、私も行ってみたいような気がします。

もうしこしで本格的な夏がやってきそうです。暑い日が続くと桃も甘みを増しますのでそのうち送ります。また連絡します。佐藤敏宏



1998−8−1−19:51

佐藤敏宏様

一昨日 待望の桃が届き芳香をそこはかとなく楽しみながらよく冷やして、午後に初めて頂戴しました。ていねいに育った水密桃は芸術品で食道にしみわたった心地がしました。本当にありがとうございました。今日から少しづつ食しても8月の半ば過ぎまで楽しめるというのは、何と幸福なのでしょうか。この時機にここを訪問するラッキーなやつと 共にしばらく自然の恵みに舌を遊ばせたいと思っています。

 明日はコウケ他一名と広島で自適生活を送っているというフランス帰りの人を訪ねて半日話をする予定です。建築もセルフビルドに近い形で作っているようで、多分大したことはないとは思いますが、少し興味をそそるところもあります。最近はこいういタイプの人がたまに居ますが、余裕があるのですね。自分もしてみたいと思うのですが、一体どうすれば田舎暮らしが可能になるのでしょうか。

隣のおじさん経済企画庁長官に就任しました。このところ、黒塗りの乗用車がよく駐車していました。(就任のだいぶ前からですね)どうもストーリィが選挙の数週間前から書かれたようです。皆がハラハラドキドキしながら見ていたプロセスも、予め大体の筋書きが出来ていたとすると、一般人が考えることなど折り込み済みのようです。さすが大ダヌキ小ダヌキと言うべきでしょうか。

それにしてもイベント屋が大臣になるなんて考えれません。しかも一部の誌面によると民間人起用の目玉というのですからあきれます。元官僚で、官僚よりも悪質なホラの吹き男ですからどうしようもありません。よっぽど考えられないことが、連続して起こらない限りは、私たちのようなタイプのところには死ぬまで何も起こらないのだということがハッキリ判ります。そういう状況のもとでささやかな企画を連ねる他ないわけですから、こないだの白河のような機会も追求してみたいと思っています。

来週、野尻湖の棟上げがあります。10月の始めにはオープニングをしたいと思っています。その時には招待したいと思っているのでよろしく。周辺での今後の展開も考えているのです。桃毎年味が微妙に違うのですね。始めてそんなことにも気づきました。感謝しています。大島

●1998年8月1日以降
大島哲蔵様
桃を喜んでくれてありがとうございます。そんなに長くもつかどうか分かりませんが柔らかくなり水分に戻ってしまうような気もします。楽しんでいただき農家の人に伝えておきます。リンゴも桃も毎年味が異なります。桃は暑くなると甘みが増すので、夏の気温上昇は大歓迎です。昨年より今年は涼しいので完璧でないですがまあまあでしょうか。気温も影響を受けますが畑ごとに味が違います。これがけつこう楽しいのです。

桃だって作家によって味が違うのです。(場所)畑の違いは味を大きく変えますので私は毎年同じ農家から買っています。米などの農作物は年一回。一生で数十回ですかね。一発勝負の面白さがあります。私のBOXシリーズは年1作とはいかないのでせめて農家並になりいといった希望を持っています。

BOX13もようやく今週から準備にはいり工事が始まることになりました。施工業者を思いきってかえました。若い施工業者を育てる(生意気)十数年のなれ合いを切ってすべてスプリッティングすることにしました。おかげで分断線がより明確に建物の表状として顕れることになり満足しているところです。

今回のBOXは任意にあらわれる土地の形(L )の集合としまいsたので田の字形+αとはなりませんでした。L形の集合は都市計画路と車の配置によって導かれたものです。計画道路が完成すると残地は10坪ほどになってしまうので小細工できずです。これも楽しいです。強い乱暴な形は時代遅れだったのですが構成を明らかにするために取った手法でしたからこれからは形にこだわらず力を抜いて作ってゆきます。スプリッティングの場所は強烈に裂け目を作り出しますがその他は平凡です。ミヤジマ氏には感謝です。マッタクラークの手法をストレートに頂きです。

千万家も構成だけは出来ていまいしたが、材料と手法と姿図がより鮮明になってきたので実施設計を書き始めました。これはナイスな建築になります。設備などはBOX13の解体物を利用します。千万はすべて建築に使うためです。乱暴ですね。

これからはなんでも力を入れず作ってゆきたいと思いますので、仕事がありましたら紹介ください。こうみえても乱暴ですが人当たりは悪くはありません。教養はありませんし英語がまったくわからない、音楽もでした。また連絡します。大阪の人達と福島件の農業施設のコンペに共同参加したいのでなんとかなりませんでしょうか。佐藤敏宏




1998−8−9−23:11

佐藤敏宏様
 そのごいかがですか?BOX13の業者も決まったようで、また道路によって強制的にスプリッティングされるという面白さがあり、他が普通ぽいというものの、楽しみに完成を待っています。またL型は基本的な図形で建築には欠かせない記号ですからその組み合わせで出来ていること自体が興味深いこどです。フォルムのみで暴れるのではなく、プライマリーな大人しい記号をうまくブレンドして「やっぱり変だ」と言われる建築を作ってください。まだまだいろいろ工夫してみてください。「ボビン窓」も即興で作ったのではないですか?

 コンペは2〜3打診してみましたが、詳細がハッキリしないのと、遠方なので皆さんあんまり色好い反応はしませんでした。まだその気持ちがおありでしたら改めてフレームを教えてください。いつ頃山場になるやつですか?

盆は暇で持てあましそうだと思っていたら、翻訳の第二稿を密度をあげなければならなくなったので、忙しくなりそうです。暇を持てあますよりかましですが、ミヤジマ君が月曜日から12日間インドに行くそうで、うらやましく思ってます。カルカッタに向けてベナロスから下っていくので、貴嬢と何処かですれ違うのではないでしょうか。

 野尻湖の棟上げが終わり、現場の方はうまく進行しています。施主とニッタ氏も一時あぶなくなっていましたが、好転しています。10月にオープンするので、もし事情が許すなら遠路はるばる来てください。

佐藤さんと仕事ができるときがいつか来ると思います。もし東京方面で何か出たら文句なしです。名古屋か関西でも不可能ではないですから。そのチャンスを狙いましょう。きっと一段と良いモノが出来るに違いありません。

ニッタ氏が10月に大阪で個展をやるようです。それに合わせて小集会も持つそうです。彼の展示とは直接関係ないのですが、話題も提供してほしいそうです。こないだのゼミナールは結果が良くないのですが。また懲りずに片棒を担ごうと思っています。この調子だと、60になってもこんなことをしているのでしょう、きっと。  大島


●1998年夏ごろ

大島哲蔵様
先日はfaxありがとうございました。コンペはワタナベ氏とニッタ氏と共同で他の事務所名を借りて提出するので、指名にはならないでしょうが、参加を表明する予定でうs。

今回のコンペの件でニッタさんに電話をしたら野尻湖の現場から帰りの道で施主さんの車のなかでした。うまく現場や人間関係がいっているっようで良かったですね。きっとよい建築が完成することでしょう。ニッタさんの個展なにかと大変でしょうが、建築家の世話よろしくお願いします。

ミヤジマ氏はインドから帰ってきましたか。娘は真っ黒になって帰ってきまいた。カジュラホという村に20日ほどいて村の人達や現地の病院の医者や患者と交流したり。日本人でその村に嫁に行っている人が2人ほどいて、一人は里帰りちゅであったらしく、もう一人の日本人の妻の家を訪ねて生活の苦労話を聞いてやったりと国際交流をして「日本人、特に若い女性はクレージーである」と強く感じて帰って来ました。

やはり大島さんの話のようにインドの男(人々)が集まってくるどうでとても「モテル」んだそうです。娘ははつきりしているので感心されたそうです。そしてヒンズー教の性交渉大意集なんかもらってきました。

自分の意見をはっきり言うしインドの人達は友人の悪口を平気で言うが友人との関係が悪く成らな人間関係。 金銭感覚それにインド女性の苦労を自分の目で見て「日本は変だ」と言っています。とても話が面白いので私もインドへ行ってみたくなりました。

BOX13日は9月末から工事が始まることになりました。いままでの業者とは違うとてものんびりした施工会社にたのみました。原点に戻ってやってみます。翻訳の方はうまくゆきまいしたか。きっとうまくいったでしょう。

娘がインドから暑さを連れてきたようでようやく暑くなりました。今年の発は雨ばかりで体中カビが生えそうでしたからようやくここ2~3日 体やばっとを日に晒してカビ退治したところです。また連絡します。


1998−8−25−11:18

佐藤敏宏様 FAXありがとうございました・コンペの話は少し聞いていました。やはり既にストーリーが出来ているような気がしましたが分かってやるだけの事はあると思います。何をしてもたかが知れていると思うと何にもできませんからね。極端な話ですが取れても限界があるという話になってしまいますから。

野尻湖の施主は私たちとは違ったタイプの人ですが、根の部分では気の良い人で、一緒にやっていて嫌気のさす人では無いので幸いです。水準以上のものが出来ると私も思っています。施主の人達も熱心にやってくれています。土地が広いのでそのうちまたネクストの手を考えようと言っているところです。ニッタ氏の個展はできるだけ協力しようと思ってセッションのストーリィを考え始めています。今世紀末の特殊な様相とそれに引きずられる建築について話題を提供しようと思っています。

建築が良いとか悪いとかは一般の人(若い建築家を含めて)とは無縁の世界でしたが、規準のないところで余り実体のない論議をしているだけのような気がします。自分が関わりを持った建築がうまくいったかどうかなどではなく、どうすれば本質的な見方を成立させることができるのかを話し合ってみたいと思います。ミヤジマ君は今日か明日に帰ってくるようです。娘さんはますますたくましくなられたようで、結構なことです。

おっしゃるように日本の若い人は狂っていると思います。自分のまわりの所与のリアリティでしか思考できないわけですから危ない情況です。自分たちを客観的に再検討してみることがありませんから。

BOX13も施行過程でもできるだけ即興的な手だてをあきらめないで尽くしてください。すっと建つていてどこか変な建築が私は好きです。訳の方はうまくいきました。後書きを彼に書き直させましたが、こちらの要望をキチンと汲んで書いてきたのには驚きました。(盛んに反論していたのですが)やっぱり頭脳明晰なやつです。今週と来週はアウトクラス・アシュラムや建築フォラームやら春愁塾(ホンダ氏)があります。また報告します。大島哲蔵。




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