大島哲蔵さんからの便り 1 HOMへ 2002年7月13日名古屋での追悼会の後 メールがあった 佐藤さん、大島さんと佐藤さんと交した大量の文章また読ませて頂きたいです・・・・・会場にはA4サイズに分割された巨大な大島
哲蔵の顔が象徴的に白い壁面に貼られていました。来られた方々が帰られる時に大島さんの顔の好きなヵ所を持ち帰るというしくみです。時間が経つにつれ魚の鱗がはがれていくように哲っちゃんの顔も断片だけになっていき、あ〜、もういないんだあと思いさせられました。
大島哲蔵さんが02年6月6日気管支肺炎で亡くなってボンヤリしてた。7月17日上記のようなメールをいただき そうだなー・・54歳で亡くなる。 数年前の便りで 私の手元に残っているモノをUPしようか・・どの程度の量になるのかわからないが 時間をみてページをふやしていきたいと思います。アップする日は月命日の6日を目標にしたいと思ってます。それらを読んでいただき大島さんの人となりを偲んで頂ければ幸いです。 便りは時間軸には整理できないとおもいます 1995年1996年 1997年 1998年 1999年 2000年 1995年 最初の手紙 6月23日 7月27日 8月1日 9月15日 12月28日 最初の手紙 佐藤様 嬉しいFAXを頂ました。本当にRietveltはあの本の中で活きた作家として生命力を輝くものとしくれたように思います。またSmihisonは私も大好きな作家なので、共感してます。佐藤氏が現代芸術にも詳しいことは大変ありがたいことです。小生は自分の趣味でこれらの出版物を好んで輸入してますが、一向に売れません。 今日はとりあえず大阪店に在庫したものを送りましたが、また名古屋から少しお送りできるとおもいます。 今度大阪に来られる時は1日私のためにさいて下さい。また名古屋でも、一度連れて行きたいギャラリーがありますので、いつか機会を作ってください。ではまた 大島哲蔵 PS 手持ちのover stockを差し上げます。どうぞ楽しんでください。 1995−6−23 17:28 TAF設計 佐藤様 いつも注文下さって有り難うございます。近日中にまた宿題になってるタイトルを送りたいとおもいます。6月9日から19日までスイスのバーゼルとチューリヒに行ってきました。往路ソウルに2日間ととまってブラブラしてきました。大阪からほんの1時間チョイでもう着きます。 韓国の人も見ただけでは私が日本人とはわからないようでしたが、それ位外見は似ているのに、文字ハングルが中心なので、例えばインドなどより何をするにも分かりにくいです。人々は元気一杯でやはり日本の60年代を思い起こします。 風景や住居も懐かしいものが多く、嬉しくなってしまうのですが、相当な勢いで劣悪な「現代建築」が広がり、例のファーストフードのようなものが蔓延しているのにはガックリ来ます。若い人の表情などはもう万国共通で世界が同じような感覚に合流しようとしています。バーゼルではアート・フェアをやっていて、知り合いのアーチストも参加していたのですが、あのメッセ会場でのアートはこりているので行きませんでした。 バーゼルは3つの国が入り混じった不思議な街で、数年前に行ったときは何の興味もなかなかったのですが、最近訳してる本(ABC構成主義)の関係の建築が多数残っているので、丹念に写真を写して歩きました。これは見たところどうってことなないものですが、ある種の味わいがありまして、納得がゆくものでした。バーゼルは大都市ですが、チュウーリヒはこぢんまりした、湖に面 した良い街が発達していて、気分のよいところです。 ETH(チューリヒ工科大学)に入ってみましたが、ヨーロッパの大学でもトップクラスの雰囲気をもっていて、本部でexhifitionを開いていましたが、心のこもった展示と内容で、予想していたことですが感心しました。こうした「学校」良い面に触れられる機会は日本では滅多にありません。 街中と近郊はいずれも日本には感じられない落ち着きと生活感を楽しむ心のゆとり感じられ、ヨーロッパの懐の深さが実感出来ます。美術館も行ってみましたが、そんなに人もいないし特別変わったことをしているわけではありませんが、日常的な楽しみとして定着していて自然に受けとめている感じが良いと思いました。明日は撮ってきたスライドを写して皆と話す予定です。 大阪に居られたら参加して頂けるのに残念です。またLetter書きます。大島 大島哲蔵さま 先日は連絡ありがとうございました。チューリヒは近自然河川工法で作られた河川があり、91年友達を派遣し論文(福島大学地域研究 第4巻 第2号 1992.2)を発表してもらったことがあります。スイスの人々の自治に対する強靱な精神力に感心したものでした。 ABC構成主義とは最近流布してる原子・生物・科学構成主義では在りますまいな?本が完成したら送ってください。 Cindyの写真集は良い ! 女性の直感力の強大さと彼女のうまさとしたたかさに驚きました。天才アラーキと比べるとそのことが良く理解できます。一つのフレームにガラクタをぶち込みジェンダーを撃つなんて仕事は男には出来ない。叙情の壁に阻まれ退行の坩堝へ迷い込むぐらいなもんだろなーと思いました。 あらゆるモノを平面に還元してしまおうとする彼女の仕事を見てると 痙攣気味に色面から現実を引っ掻き出そうとするFransis Baconの画集がどうしても欲しくなります。捜してください。 ここ2年ほど実施になる仕事がありませんでしたがようやくBOX7と11を着工しようと決めました。 唐組の福島公演があり、劇団員の宿泊所にBOX8があてられました。打ち上げの席上で唐十郎さんが中原中也作詞唐作曲「サーカス」を歌いました。「・・ゆやーん ゆよーんゆやゆよーん・・」BOX8はサーカス小屋を想って作りましたので、唐さんが歌い歌い続けるうちに空間が変形してゆくのが見えました。 サーカスを 歌う唐さん聞く私 作るとこういう事も起こるのだと思った次第です BOX7はもう4年も経っているのにお金が無くてなかなか出来ないので可愛そう。そこで設計図と模型を売に出して建築費にしてやろうと考えてるところです。7月末に銀座の牧画廊でカリヤ展なるものが行われます。そこへ出品して売る!1/10の模型をFRP樹脂で作っているので、頭がフラフラです。強烈な臭いには参ります。 友人kの誘いによるものです。彼の絵はフンデルトワッサーによく間違えられます。行商人的画家で在日韓国人ですが世界中絵を担いで売り歩いてました。 2週間ほど前に会ったらフランシスベーコンの話になり、ベーコンの案内状は案内状の鑑だと力説してました。ニューヨーク近代美術館からのものだそうですが、ボロボロの洋紙に「私が有名になれたのは運がよかっただけだ」と書かれていたそうです・・ そんな訳でカリヤ展で売れるといいなー! BOX7の発注者は直腸癌に成ってしまいました。「これを建てて生の証とする」と決意表明された僕は「交通事故で死ぬなよな」と横車を押しているところです。模型の卵型に照明を入れて見ると彼の周囲の人々の冷たい視線を思いだしました。 梅雨寒や 卵形ひとつ 温かき Cindyの写真集を見て 紫陽花に 玩具ウズメシ 性をみん また連絡します 佐藤敏宏 1995−7−27 13:00 佐藤様 FAX有り難うございました。関西も本当に暑い毎日が続いています。震災でマダラに更地が出来て、そこにジリジリと夏の日射しが差し込んでいます。面白そうな展示会ですね。なんとしても行きたい気がしますが、29日は大阪で「豊和塾」というのが毎月一回持たれ、師範役をやらされたおり、当日渡辺さんも久しぶりに出席するということで、そちらに出席せねばなりません。 それにしても「空箱 うつはこ」とは絶妙なネーミングですね。結局すべての建築はそこに落ち着くことになうのですから。もしかして実寸の建築が付録で付いてくるのかな? 私は春からとてもHappyです。周辺状況が最悪なのですが、久しぶりに本を見てくれる人。それを楽しんでくれる人に出会ったような気がします。 デュシャンの本のお返しに何を送らせてもらう楽しみに考えてます。(8月始めに行くことも考えてます) 大島哲蔵 後日 大島さんからヴィト・アコンチの作品集が送られてくる ○ Vito Aconci 喜んでいただけ嬉しいです。なかなかこの種の抜けた人は日本から出てきません。先日ヤン・フートというディレクターと一緒にkawamataが大阪に来て青山での街頭展について話を聞きましたが、彼ほどの人でもDirecterには弱いらしく、提灯持ちの発言に終始しててみじめでした。 ○ 昨日日帰りで出雲に行って、帰りに米子近くの漁港に寄りました。私のような世代の者にとってはノスタルジーをかき立てるすべての要件がそろっっていて、久しぶりに懐かしい日本の村の感傷にひたって帰って来ました。 ○ 先週二人ほど私の店に入ってきて一巡すると恐怖を覚えたように一分位いただけで出ていった客が居ましたが彼らは一体何を求めてやって来たのでしょうか? ○明日私は芦屋の若宮地区という被災地のための復興計画を発表することになってます。果たしてどんな受けとめ方をされるのか楽しみです。役所は大いにとまどって、市民に支持された提案の扱いに苦慮しています。 ○ 久しぶりにロシア語の文章を訳しています。留学生の下訳があるのですがかなり頓珍かんな内容なので、苦笑しながら一頁づつ進めてます。解らないところは後輩の元中核派のK(現在小さな商社でロシアと貿易してる)に聞きます。すると丁寧なFAXがすぐ帰って来ます。友達は有り難いです。 福島もすっかり秋めいて来たことでしょう。冬の前の良い季節を楽しんでください 大島哲蔵 デュシャンの訳書ありがとうございました。遠野氏の例の本以降、多くの関係書を読んでいつもデュシャンには共鳴と反発が同居して自分にとって不思議な位置を占めています。意外に本人のテキスト(対談はいつくか読んだ覚えがある)にまとめて接するのは初めての機会です。訳者の北山氏は小生と同時期に外語に居られたようで親しみを感じます。 先週の金曜日まで友人の若い建築家と出かけて、Michael HeizerのDovble Negative や jamesTwrrel の Roden Crator Paolo Soleri の Arco Sante そして テキサスのMarfaに居る Donaldd Dudd の Chinatti Fovmdation 等を回って来ました。1日平均600km走るというような強行軍でしたが、日本と全く違う風景と環境に魅了されて、あの何百キロも続く大草原の真ん中で、大地と熱風と直射日光に晒されて、すつかりRefreshされて帰って来ました。最後に立ち寄ったKimbl Art Museumの楚々とした風情にはやはり頭が下がる想いでした。 デュシャンのお礼にVito Acconciというパフォーマー 現在はPublic Art の仕事が多く、先頃は Steven Hallとニューヨークでギャラリーの設計を手がけていました) それから前にいただいた注文などを送りますが、Beuysはなかなか本という形では彼の全貌を伝えるのが難しく、あるいは少し満足頂けないかもしれません もし大阪に来られるきかいが在ったらぜひ私の甲子園の家に泊まって行ってください。いろいろ一緒に行きたい所もありますので・・・。 大島 大島 様 2〜3日前から福島も真夏になったようで、蜩や祭囃子の音が時折机の上にも届いて来ます。キーファーの鉛の絵本(歴史書)面白く見(読み)ました。現代アートに共通した姿勢、作品の見方は読者の見識に委ねられていて、美しいか汚い、有意義から無意味までも表現の範囲に含まれなんでも表現になってしまう。とても楽しい時代に生まれた僕は幸せもんだと思います。デュジャン全著作北山研二(福大教授で友達)が訳本を出版したので手に入り次第送ります。 カリヤ展昨日から始まりました。牧画廊の主人も太っ腹です。スモールネオ読売アンデパンダ展と言ったところです。2週間もコンニャクを展示したらカビが生えるだろうに。 餌や水をやったりする世話型作品は不在でした。僕の作品は「空箱 うつはこ」です。太古の動物の脂で作った模型を展示しました。蝉の抜け殻ならぬ建築の抜け殻でして、3500万円程で売りに出しました。バブルを買い上げた都会人ですから、今度は殻をといったわけではないのです。 新しき 建て主求め売りに行く 空箱の音 都(バブル)に響く 想像力は光よりも速いし、無限のベクトルをもっていると無学な僕は信じているので、空間は想像そのものであり物ではない。出品の目的は「空箱 うつはこ」を売ることではなくて、依頼された建築が宙に浮遊してる状態を思うこと 着地現実されるのは制度なのか想像力なのかをためしてみる。結果それが制度であったら、個の僕の想像力はどうすれば制度から自由でいることができるのか・・そもそも想像と自由は同位相にあるとしてよいものなのか 佐藤敏宏 1995年8月1日 11:33 カイヤ展昨日見てまいりました。酷暑の候とはこのことで、さすがのオームも宣伝活動してませんでした。今頃はアート展もあきが来てなにも見ていませんでしたが、カリヤの面々は主張がハッキリしていて好ましい印象を持ちました。 貴作品は他のものとは異質で、あれだけ見てると判らないとおもいますが、小生はいくつかの前ブリをいただいていましたので、興味深く見ました。広い東京に一人ぐらい興味を持っ人が居てコンタクトをくれれば東京も本物なのですが・・・。普段は福島に居て、出色の人達と交流が在って、また都会で展示会が開かれる、という感じがいいですね。将来海外にも進出しましょう。小生は・・氏をダシにしてイギリスのAD誌に文章を書きました。来年でると思います。また見てください! 大島 1995年9月15日 大島哲蔵様 毎日 目の前の実務的な仕事で日時が過ぎてしまい、先日いただいたvito acconiciの図録のお礼さえおくれてしまいました。 彼の多彩さと行動力に「スパーアートマン」のような印象を受けました。もちろん気に入りました! 前半のコンセプチャルな活動に裏打ちされて後半のちょっと間違えると単なるエンターテーメントに落ちてしまいそうな ギリギリのところでぴしゃりと立ち止まる。僕なんかの無学者は単に面白いだけで前進してしまいますが、ギアチェンジ巧みに次の段階へ移ってゆくところがとても建築を仕事としに者には参考になります 前半の行為から物との関係そして時間へと旋回しながらアッサンブラージュし、芸術百貨店のような姿になって行くところがとても現代的で好感がもてます。もっともっと芸術見せ物小屋になって行くことを期待したいものです。彼は前半でモダンな部分をしっかり実行済みですからもっといい作品が続くと思います。誤解する人も出るでしょうが、前半の変容があることを知ると深く理解出来るように思います。 セラやカロの作品集も欲しくなりましたのでヨロシクお願いします 大島様 95年 9月 15日 佐藤敏宏 1995−12−28 18:51 佐藤敏宏様 いよいよ今年も終わりに近づいてきました。閑散としていた私の店もさすがにお客さんが来てくれます。今年はいろいろと本を買って頂いて感謝しております。 また年末には大変美味しいリンゴを送って頂恐縮しております。(こちらが送らねばならぬのに・・・)お客さんにも食べて頂きましたが、さすがに本場の味でみなさん感動してました。 いよいよ世紀末らしくなって来た日本ですが、来年は何が起こるやら心配であると同時に楽しみです。来年は私の店も小さなスペースに逆戻りで、また出直すことになっています。毎年支払いのことを考えると、その方が気楽にやれます。 もし可能ならロシア旅行も計画中ですので、御一緒できればと思います。値段を下げて、ペテルスブルグに寄る日程を考慮中です。 今年は震災の年として忘れられない年になるでしょうが、まら佐藤さんと知り合った良いとしでもありました。 正月は2日からチュニジアとイタリアに行き、15日に帰って来ます。また写真など送れると良いのですが・・良い年をお迎え下さい。 大島哲蔵 大島哲蔵の1995年 (追悼会で配られた資料から) ・テキサス州マーファのジャット設立による「チナッティ財団」訪問。夫人からジャットの訳本の出版許可を得る。 ・阪神淡路大震災の復興活動として芦屋地区のボランティア団体ANA(アライブアシヤネットワーク)を結成。芦屋市中央区の住民会のコンサルタントを兼任。 社会の出来事 ・1月17日阪神淡路大震災発生 ・東京の地下鉄でオウム・サリン事件発生 ・中国核実験強行 ・Win95が爆発的人気に ・米国とベトナムが国交回復 ・ 1996年分へ |