ことば悦覧 in 東京 2010(4/3〜4) 春版 記録集 home ベラ・ジュンさん 伊庭野大輔さん 平塚桂さん 藤井亮介さん 佐藤敏宏伊庭野大輔(31才)さんに聞く(2010/04/04 pm10〜12:30 曇り) (生い立ち・建築 01 02 03 04 05 )・(LRAJの活動 06 07 ) (アート活動 08 09 ) その02 佐藤:大運動場に幼稚園が付属しているのかな 伊庭野:その大学がノースレスト大学いう大学で。フットボール専用なんですよ。アメフット以外使ってはいけない。スタジアムになっていて。観客席ドバーって在って。アメリカン、アメフットに対する情熱というか投資半端じゃない。大学ですよ、大学のたかが一部活にここまでのスタジアム作るか!?みたいな。ほんとうに神宮球場みたいな、僕のイメージとしては。そういう衝撃があったのが僕のアメフトとの出会いの始まりです。建築のインタビューなのにアメフトの話 ふふふふ 佐藤:いいですよ、生い立ちの話ですから。子供のときの印象でしょう 伊庭野:そうそう。シカゴには2年間いて、 佐藤:小さいのによく覚えているね 記憶力が良いんだな 伊庭野:いやいやそんなことないですよ、 佐藤:小学校にはいった ころのこと覚えてないでしょう 伊庭野:いやいやまだ僕30ですからね。たかが20年前の記憶ですから 佐藤:ふふふふ 伊庭野:そのあと一時的に日本に戻って来たんです。それが東京だったんです。 佐藤:一時的っていうのは1年間ぐらいですか 伊庭野:1年間です 小学校の1年の時 佐藤:小学校1年生では 日本の学校へ入ったと 伊庭野:で一年間したら、小学校2年生に上がるときに今度は転勤でニューヨークに行くことになったんです。 佐藤:メトロポリス、大都会だね〜 伊庭野:そうそうそれが1年間 だから小学校2年生の間はニューヨーク。でもニュヨークの郊外だったんですけどね。ドブスペリーという、マンハッタン島のすこし上の方に車で30分ぐらいの所 凄く自然豊かな所で。ハドソン川が流れていて。 佐藤:グリット状の町とは関係なく 伊庭野:グリットの町とは関係ない。白人しか住んでない。凄い安全な所だったんですよね。 佐藤:ハッピーに暮らしていたんだ 伊庭野:そうそう、でもそういう所でも家にはたまに泥棒が入ったりとかしましたよ。でもアメリカの中ではとくに安全な場所だって言われていたんです。 佐藤:家のなかに銃とか置いてあったの 伊庭野:家に銃は置いてないです、さすがに。 佐藤:一家に一銃なんじゃないの。みんな持っているじゃないの 伊庭野:セキュリティーは付いてました。だから家の扉を開けっ放しにしていると、う〜ーんと鳴って、セキュリティーがわーっと来るから。ものものしい感じは。凄いの長閑な所なのに、そういうのありました。窓硝子が割れていたから泥棒かと思ったら、鹿だった。鹿が家の中に入っていた 佐藤:ふふふふふ 伊庭野:そういうことがありましたよ 佐藤:小学3年生になって、10才ぐらいからは東京で 伊庭野:10才からは東京でずーっと 佐藤:英語と日本語がグジャグシャニなったことはないんですか 伊庭野:ぼくは小二のときは現地の学校に通っていたので、そこではたぶん英語を喋っていたんですよ。コミュニケーションけっこうとっていたんですけども。すごい英語を喋るのが疲れる。疲れるんですよね、疲れるって感情が凄いあって。頭使って喋んなきゃいけないから。 佐藤:家でも英語ですか?? 伊庭野:家ではもちろん日本語でしたし。結局スムーズに自分の気持ちを伝えられたのがなんだかんだと言っても日本語だったから。英語疲れるな〜とずーっと思っていて。結局その疲れるな〜っていう感情が無くなるまではニューヨークに居なかった。だから中途半端に帰って来ちゃったから、成田空港に着いたときもうこれでやっと外人と会わずにもう過ごせるんだ!!と思ったら、ああよかったみたいなね 佐藤:まだ10才やで 伊庭野:そういう気持ちになったのは凄いよく覚えているんですね 佐藤:へえ〜 日本語で完全な対話が出来るようになって、その後英語習うわけじゃないからな〜伊庭野経過はね 伊庭野:そうそう そうなの 佐藤:どちらの領域の言語能力も固まらず中途半な状態で揺れ動くからな 伊庭野:だから今でも得意ではない 佐藤:トラウマが残ってしまい 英語は頭が疲れるという印象が残っているからね、親しみを覚えないと ふふふふふ 伊庭野:ははははは、そうそう本当に疲れるな〜って 佐藤:ベースに日本語がちゃんと身についてないで移動するからなそうなるんだろうね 伊庭野:ああ日本語がちゃんとしてなからっていう意味ね。そういのもある 佐藤:基本的な言語が身についてからだったら、可能かもしれないけど。10才ぐらいじゃ日本語でも難しいことを考えることができないんじゅないかな 伊庭野:そうですよね 佐藤:だから英語の違和感を言葉にして伝えるのは無理でしょう。マンガのオノマトペばっかりのような感情で対話するようになっちゃうじゃないかな。それは疲れるよ 伊庭野:そうですね確かに 佐藤:日本語でキチンと考えるようになるには16才高校生ぐらいまで掛かるんじゃないかな。 伊庭野:小学校の後3,4年ぐらい いたら違ったのかな〜という気がします 佐藤:小学生ではむりなんじゃないの英語で哲学書とか読んで理解できないでしょう、同じ英語でも。結局中途半端になるんじゃないかな。どちらかの言語をキチンと身につけ基地が出来てから 他の国の言語を身につけないと 伊庭野:だからアメリカにいても、日本語おろそかになっただろうし。難しい 佐藤:ちゃらんぽらんでその場しのぎの野郎になっちゃうじゃないかな。ダダ洩れ・盛り上がり野郎で 中身無い人間になるんじゃないかな。言語を身につけるって難しいよね、ジュックリ考えるためにも、優しさを育てるためにも 基本的な言語が身につけているから じゃないかな 伊庭野:そうかもしれない、う〜ん。 佐藤:どの国の言葉でも概念的なことは考えられるんだろうが。そこまで身につけた段階で外国へ行けば。違う言語を学ぶっていう意味が生まれるんじゃないかな 国語の違いや概念の違いが明確になり深まるんじゃないかな。日本語の季節を表す語彙の多様さと深さは英語にはないなとか。日本には肉部位の名前がないなとか。ことばの基地が出来てで他の国の言葉に親しみが湧くのではないかな。米国といえども子供の対話にはそんなに奥行きがあるとは思えない ふふふ 伊庭野:いやいや意外にね、ふふふ難しいことはまったく考えてないんですけど何か日常会話とか、結局伝わらないから、身振り手振りで伝えるとか。 佐藤:ボディーランゲージ 伊庭野:そうそう。発音とかね向こうのちっちゃい子 固まっちゃうところあるじゃないですか。そういう意味ではニューヨークに居てよかったなというのがあります 小学3年生 笄小学校へ 佐藤:小学校で戻って 伊庭野:小学校3年からずーっと。東京です 佐藤:東京のどこですか 伊庭野:東京の西麻布のこうがい(笄)小学校。こうがいって(笄)簪みたいな字。竹冠に鳥井みいたいな。 (注:笄は髪をかきあげるための道具) 佐藤:判らないな漢字が出たぞ 笄小学校と言う、名門校なんですか 伊庭野:名門校ですよデビ婦人が出ましたから。ふふふふ 僕が居たときは1学年3クラス 佐藤:少ないね 伊庭野:でもね僕の時がマックスでその後は2クラスになったり。凄い少なくなっているんですけど。面白かったのは、西麻布に在ったんで廻りが大使館だらけだったんですよ。だから色んな国の子供が一クラスに2,3人は外国人が居たんですよ。それもその時代の情勢をよく表しているというか。たいてい家族連れで日本に逃げて来ている。大使館の子供って結局、国の状況が不安定な国だから。そのときはハンガリー人とかライス人とかルーマニア人とか。普通のアメリカとかフランスとかそういう人達じゃない国の人達の子供が居たですよ (絵 笄小学校hpより) その時は何とも思わなかったんですけど。ハンガリー人になんか滅多に会わないじゃないですか。今考えると面白い小学校だったな〜と。その子供ら みんな普通に日本語をいつの間にか覚えているんですよ。普通に友達になって。たとえばラズバンという奴がいたら、その子は当て字を当てて。自分で漢字名を作って 佐藤:当て漢字で漢字の名前を作って友達と楽しんでいると。最近は日本人でも何て読んでいいか判らない漢字が並んでいる名前が多いよ。ぱっと見ても読めないふふふ、マンガ・アニメから頂いたのか、判らないけど。多様な発音名前に当て漢字付けている。それはそれでいいですけど 伊庭野:その人達は本物の外人ですから 佐藤:ふふふふ。小学生が当て漢字を使ってね、自分の名前を表記して楽しんでいると。なるほど。ずーっとそこで中学校も一貫ですか 芝 中・高 へ 伊庭野:いやいや中学校のときは中学受験で芝中学校っていうところに入りました。 佐藤:名門校なんだ 伊庭野:いや、名門校というよりも、なにかほのぼのとした中学校でしたけどね、東京タワーの真下に在ったんですけどね。 佐藤:四つ足の真下じゃないでしょう?? 伊庭野:四つ足の下っていうよりも、そこから100mぐらい北に行った所。校庭からは東京タワーがドーンと見えるんですよ。凄い良い眺めで、たぶん一番!東京タワーが綺麗に見える所だと思うんですけどね 佐藤:あそ!いいね〜 伊庭野:でも今は建て替えちゃって、校庭と校舎が平行に東京タワーに対して建っていたから凄い綺麗に見えたんですけど。配置計画、僕が卒業した後に新設したんですけど。それは校庭と東京タワーの間に校舎を10階だてぐらいの校舎作っちゃったから。ぜんぜんもう。 教室からは見えるんですけど。教室から見えるのは校庭からあの広い空地からどーんと見える景色って凄いインパクトあったんで。 佐藤:校庭にグリコのオマケにように東京タワーが付いていて。気持ち良さそうだな〜 伊庭野:あの風景写真撮っておけばよかったな〜と今でも思う 佐藤:記憶の中にしかないんだ、 伊庭野:記憶の中にしかない 佐藤:だれか撮って持っているんじゃないの 伊庭野:だれか撮っているかもしんないですね。あ、卒業アルバムとか見れば 撮っているかも。 佐藤:そこは男女共学なの 伊庭野:うんうん 佐藤:男ばかり 伊庭野:男子校、中学高校まで6年間男子校でした 佐藤:あそうなの、寂しいねへ〜え〜、みんなで酒呑んだりタバコ吸ったりして悪してたの 伊庭野:そういうのも居ましたけど僕はしなかったですね 佐藤:ひたすら勉強してたんだ 伊庭野:いや全然、真面目ではなかった 佐藤:アメフットですか 伊庭野:サッカー、6年間サッカーやってました (絵 芝中hpより) 佐藤:スポーツ少年だっったんだ、ポジションはどこですか、そうみえないけど 伊庭野:サッカーにしか見えないじゃないですか僕 佐藤:そんなこと言われても判らん! ふふふ 伊庭野:小学校の時はアイスホッケイやっていたんですよ、アメリカにしたときに、シカゴとニューヨーク寒いところなんで 佐藤:凄いアイスフォッケイ 伊庭野:ウィンタースポーツ盛んだったので、うちのオヤジがアイスホッケイをやらせてくれて。全然やりたくなかったんですけどね。 佐藤:ハードだよな あの競技は ふふふ寒いし痛いし 伊庭野:寒いし 痛いし、もう過剰に防具は付けるし、なんなんだ このスポーツはみたいな 佐藤:ははははは 伊庭野:でも終わった後は一寸爽快な感じがあって。だからまあそれがあって。小学校で戻って来たあとも日本で続けていたんですけど。意外に日本ではあんまりメジャーじゃなかった。続かなかった。 佐藤:数ないものね。福島にもあるけど一校しかなくって遠征すると公共放送のニュースになっちゃうくらい、少ないよね。へーえ 伊庭野:だから中学入ってからはサッカーをばーっと 佐藤:どこですかポジションは 伊庭野フォアードです 佐藤:え〜華のフォワード凄いね〜。得点入れなきゃいけない決め人間だふふふ、ビシッと絞めなきゃいけない。あら あちらに行っちゃったではだめじゃん 伊庭野:それがね〜うちの中高がね〜信じられないぐらい弱くって。 佐藤:ふふふふふ、じゃフォアードは休んでいると ふふふ 伊庭野:半端じゃないんですよ弱さが 佐藤:フォアード球来ないんだ守りか あははははは 伊庭野:僕がねまたシュート外しまくるんだけどはははは 佐藤:はははははは 伊庭野:酷い!酷いんだけど、なんか楽しかったですね。 佐藤:フォアード何人2人 伊庭野:フォアード一杯いましたよ。そのときは僕が 中一のときにJリーグがちょうど始まった年だったんですよ。というのもあって新入部員が50人いたんですよ。280人中にサッカー部員が50人ってどういうこと?ぐらいやったんですけど。 佐藤:そんなに部員いても 信じられないぐらい弱いんじゃな〜 伊庭野:そうなです信じられないぐらい弱いんです 23:06 その03へ |