2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

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   番外編  名古屋 小林聖明  東京 太田浩史 松島潤平 

 山崎泰寛さん編   8月06日 pm10時〜 川勝家居間にて 

 その 01 02 03 04 05 06 07 
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 その05  

山崎:m2になったときに、あ、なる前かな。なったときに、その10+1の、学習机の歴史って知ってますか?って五十嵐さんに聞かれて。そんなの知らないですって言って。家庭用のね、こういう学習机を、みたいなやつ。で知らないですって。で、何かちょっと調べませんかみたいな事言われたときに、けっこう、今思えばあるこういうプロダクトデザインの発生の過程を当時の社会情勢みたいなのと、追っ掛けながら考えていくっていうのは、これはかなりイケルに違いないと思って

佐藤へへへへへ
山崎ふふ、で、調べたらやっぱり面白くって。なぜ最初こういうデザイんだったのかとか。なぜすぺーすがこうなっっていったのかという、一応考えることが出来て。で原稿にしたんですけど。

佐藤
:10+1データベースで見ることができる文章は、あれは短くしてっていうことですか。読ませていただきましたけど。

山崎
それは、あれを書いた後に、それを横浜国大の修士論文にしたんですよね
佐藤:はあ はあ。あれはその後もっと分厚くなったのね

山崎:うん、。もっと長いんですよ。
佐藤:そうか。
山崎:長いって言っても資料増えているだけなんだけ
佐藤:核心的な場にいきなり行ったったんだね 10+1に導かれてね 菅野さんに導かれて、五十嵐さんに導かれて 凄いですね速度あっぷ、効率いいこと ドドドッドドっと。

山崎:う〜んどうなんですか、まあうん、ちょっとよく分からない。
佐藤:1年ぐらの間の話だよね。
山崎:1年経ってないですよね

佐藤:その間に随分 建築を真面目に研究している人達と合流してしまう、大接近というかさ、一緒になっちゃう
山崎;そうですね、今考えても、そんとき居た人達まだみんなやっているから。なんて言うか。面白いですよね

佐藤
:それであっという間に先生になるのやめようかな〜と思ったら、こんなオモロイ事やっている奴らが居るってさ。先生になることがどうこうってのは悩んでいる事も忘れてしまうぐらい、すごいことになって来たわけだね、じゃあ。

山崎:いやそんなことないですよ
佐藤:やっぱり思い悩み。 背負い引きずりつつ。まだ学校の先生やらなければいけないみたいな。処がまだあるわけですか?今になっても!
山崎あるある。それはやっぱり有って。有るんだけどもう。
佐藤:後ろめたい訳ね
山崎:あれ試験って毎年受けれるから、今年はもう受けなくっていいんじゃないかって思って。で何か勉強を続ける方法をもちょっと考えようと思ったんですよね。で、塾の先生とかでこうしてたんで。まあそれでもう一年過ごして、で京都に来たんですよね。  1:00:3:24


(京都大に来る)


佐藤:京都に来たのは何年ですか
山崎2001
佐藤:京都に来たのはどういう、8年前来たのは、何かその何も関係ないじゃないですか。今までの話と何で京都なの?
山崎:うん、何でですかね〜
佐藤:松田達さんと 京都は関係ないだろうし。

山崎:松田さんは関係ないんだけど
佐藤:勉強会とも関係ないし
山崎:でも大学、横浜国大は博士課程が無くって
佐藤:ふんふん
山崎:博士課程がの大学院でその研究者に自分がなれるかどうかやってみようっというのが。思ったんですよね、最初。で東大と京大とで、
佐藤:受けたの
山崎:東大の方が先に試験があって、東大は落ちたんだけど、京大は受かったんですよ。で、京大の試験は、試験受けてるときも結構それなりに回答(解答)出来て。なんかこれは受かるといいなと思いながら。受けていて。でも受かった時はやっぱりビックリしましたけれど。それで、あと先生、僕は付いた教育学者の先生が前の年にフーコーの本か何か出してて。それもあったんで。

佐藤:ふーこーの どんな本を出したんですか
山崎:それはね教育の本なんですよ。どういう本だっって言ったらいいかな〜。
佐藤:一般の人は読んでないわけね。
山崎:そんな本じゃないです
佐藤:研究書ですね
山崎:研究書。

佐藤:それで博士課程の学生に成るわけだ。
山崎:いや、ただ先生に何かその、京大の博士課程からはとりませんって言われて。もう一回 修士をやりなさいって言われたんですよ。で、
佐藤:もう一回修士やれと。
山崎:しょうがない なと思って。
佐藤:修士やったんですか

山崎:やったんだけど。ここはやっぱり凄い大変で、やっぱ周りの人がね、圧倒的に凄い
佐藤:ふははははは打ちのめされちゃうわけだ
山崎:そう面白がってやってちゃいけない!って思ったんですよ。で、でなきゃいけないけど出るに出れないみたいになっちゃって。
佐藤:ふふふふっふふう 周りがあんまり凄すぎて固まったかはははあは 足が前に出ないと
山崎:出ない感じですね。すごくその4年間は
佐藤:登校拒否児みたになっちゃったわけだ

山崎:そうそうそう。その4年間は凄く
佐藤:苦しいですねまた。
山崎:苦しかったですね
佐藤:ね、、だって学校の先生の道はやめちゃうは、博士課程に行ってみたはいいけど 修士から出直しで、そこでも才能の差に愕然とし 学校に行けなくなっちゃうわで金縛りじゃなくって、大変ですねそれは。
山崎:そうそう、だから

佐藤:よく生きてますね今、今日まで御苦労様!ふふふっふ
山崎:そうそうそう
佐藤:悩み果てて 鴨川の飛び込むとかさ〜
山崎:よく言われますけどね〜
佐藤:それは深刻ですね

山崎:だから誰かに、普通だったら、何て言われたんかな〜「普通だったら自殺している」とか
佐藤
山崎普通だったらもう、気が狂っているとか言われた事があって。単にまあ自分が鈍感なだけだと思うんですけど。僕自身が。あのそういう感性が鈍くなっていて。
佐藤:うんうん、。学校へは行かなくなっちゃったわけでしょう。

山崎行ってたんだけど。何ていうんですかね。
佐藤:身が入らないよね
山崎:論文に出来なかったんですよね。その関心を。先生を納得させたり、自分を納得させながら何か文章を書くっていうことが、あるこう論文ってやっぱり手続きとかあるから。それが何か、自分に出来ないってことが。し訓練も出来ないって事が分かって。で、なんて言うか鬱々としたり。ただ建築の方の人との付き合いとか、
佐藤:そっちはやっていたんだ
山崎:それはまあ、面白いから。そこが余計に大変だったんですけど。落差がね。落差ってどっちが谷か分からないけど。
佐藤:それはよう堪えていただいて御苦労さまでした。凄いねそれって。大変そうだね。話聞いてるだけでも大変そうだそれははははは

山崎:思い出しながら凄い嫌な気分になって来たけど
佐藤:うへへへへえへええへ今生きてるのは 良い気分で生きているんでしょう
山崎:まあ、それでとにかく
佐藤:悪い気分思い出させてしまって悪いですね〜
山崎:本当に大学には何ていうかね、迷惑っていうか 悪いことしたなって。
佐藤:結局は途中でやめちゃうんですか
山崎:いやいや一応出ますよ、修士結局 論文書いて。出たですけど
佐藤:博士課程は行かなかったの

山崎:行けなかった。そんな行く処まで行けなくって
佐藤:それは2年間で終わったですか
山崎:ううん、4年 かかった
佐藤:4年間か 、そう。か悩みながらだからね〜え、足は出ないは、それは手だって動かないよね。4年掛かったということは2005年まで

山崎:出たのが2005年ですね
佐藤:2005年だよね ちょうど4年前だ
山崎:そうですね
佐藤:相変わらず五十嵐さん関係でずーっと建築と付き合いつつ。論文も書きながらって感じなんだ
山崎:う〜ん。

 (藤村さんとの関係)


佐藤:藤村さんとブログをやり始めたのはいつ頃ですか
山崎:あれは2002年なんですけど。
佐藤:その深刻な状況にありながら 一緒にブログをやり始めて。藤村さんとはどこで出会ったですか

山崎:あのね、建築ナイトっていうイベントがあったんですよ
佐藤:聞いた事あるな〜京都でやった?
山崎:そうそう
佐藤:田中浩也さんとか、松川昌平さんとか
山崎:そうです、そうです
山崎:建築の映像っていうの面白いぞっていう建築と映像が

佐藤:それで 六本木ヒルズで会うんだ俺と
山崎:そうですね
佐藤:その当たりの流れで
山崎:もっと後ですけど。まあその当たりです。であの時じゃなくって。それはほむ企画がやったんだけど(ぽむきかくサイトへ)
佐藤:建築ナイトのことは田中さんから聞いた記憶があるもん、松川さんもその当時知っていたから。松川とこんな感じでやりましたとか言っていた。これからやりに行くったのかヤッタだったかどっちだったか

山崎:建築ナイトは、映像を建築で何か、映像、ああ建築
佐藤:結構豪華なメンバーじゃなかった あれって
山崎今思えばね。あんときやってた人って今やっているんですよまだ。ずーっっとやっている人。松川さんとか、田中さんもそうだし。その他にも何人も出ているんですけども。そんなかの一つが東工大の塚本研究室で、踊る建築っていう模型を作っていて。建築の模型をグルグルこう回転してるのを映像で撮ったのもを、すごくシュールなやつなんですけども。

佐藤:命名が踊る建築ね。模型が回ってるだけなのに?
山崎:う〜〜〜ん。踊(起)っていることはそれだけだったか 知らないけど。そのプレゼンに本人じゃなくって。藤村君が派遣されて来たんですよ
佐藤:派遣
山崎:派遣なのか 行ってこいなのか。
佐藤:藤村さんがやってたんんじゃないの
山崎:藤村君がやっっていたんじゃないと思いますね。聞いてみないと分からないけど。みんなでやっているだろうから。 僕はその時にそれはM1の終わるときに、やっていたんだけど。その前の12月ぐらいに。大阪で何かアーキフォーラムっていうレクチャーのシリーズがあるんですけど。そこであの〜んと。塚本さんがたしか冬に来て。僕はそのビルディングタイプに凄く当時関心があったんで。ビルディングタイプってのは凄く社会学的に考えると面白い。やろうって。当時なんとなく思っていたんで。もうちょっとビルディングタタイプっていうものを、何ていうか。建築は面白がってもいいんじゃないかと思っていたんですよね。なんかそこを越えてみたいな事みんな言ってたから。越えるなよって思ってて

   共に ふふふふっふ

越えるなよって くらい思ってて。もうちょっと何か学校っていう例えば、学校っていう条件で何か空間を構想出来るんじゃないかと。当時は思っていて。それは何か今、そんときされていたオープンスペース、今もありますけど。 学校の建て方じゃなくって。壁もバンバン建っているような学校で、もっと好い建物出来るんじゃないかと思ってて。そういう事を。今も思ってますけど。そんときにそういう事を塚本さんに凄くなんか噛みついたって言うか。食いついたって言うか。飲み会でこう
佐藤:ふふふふふふふ
山崎:鬱陶しいですよね
佐藤:大阪まで来てさ〜 しらんけど。

山崎:だた まあ、そんとき覚えてたみたいで。
佐藤:藤村に命じてあいつ鎮めてこいやと。そんな感じになったのかな
山崎:わかんない。藤村君はそのとき修士設計に居た、こうやるていうことは決まってた、そう思ってたみたいで。まあちょっとお前行って山崎っての京都に居るからお前ちょっと行って会ってこいと。

佐藤:おれ手に負えんは あんな奴は ってなもんでね
山崎:そういうことじゃないんだけど教育学部で建築に関心を持っている奴が居るっていうことだと思うんですけど。それで
佐藤:あの時分当たりは 田中・松川・藤村は寄ると触ると 何時までも喋っていて。そのノリで行ったんじゃなくって、塚本ノリで藤村さんが来るわけね。
山崎:そうですね

  1:15:02

 その06