2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集    home 

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   榊原充大さん編   8月06日pm6:30〜 曇り 川勝家の食堂にて

 その 01 02 03 04  

 その01 
 
 (生い立ち)

佐藤
:榊原さんの産まれたところはどこですか、何時産まれたからからお願いできますか
榊原:はい。産まれたのは1984年 で愛知県の生まれです。
佐藤:愛知県はどの辺ですか
榊原:知多半島の半田市という処に

佐藤:行ったことないんですけど、どういう所ですか
榊原ミツカンの本社があるんですけど。
佐藤:ミツカンって酢?
榊原:酢です

佐藤:どちら側の半島でしたっけ
榊原:こう出ているとこっち側の方で、わりと先の方で
佐藤:東の方ね。
榊原:あ、西の方

佐藤:半田市に産まれた1984年ということで。小学校から半田市にずーっといたんですか
榊原:大学で出るまでずーっと半田市でしたね。
佐藤:大学も半田市
榊原:大学で家を出た。神戸。

佐藤:大学で神戸に来て、高校中学とか、どういう子どもでしたか
榊原:どういう子ども
佐藤:スポーツやっていたりとか
榊原:ああスポーツやってましたね。
佐藤:どんなスポーツを

榊原:球技、球技一通り
佐藤:一通り
榊原:うん。
佐藤:部活とかではなく

榊原:部活とか課外授業みたいなのがあって。野球
佐藤:一通り全部やった。一番得意なのは何でしたか
榊原:一番得意なのは野球かな〜
佐藤:ポジションはどこですか

榊原:サードしてました
佐藤:球が強そうですね
榊原:ふふふふふ 球強いですけど
佐藤:打球がね。野球はやっぱり中日ドラゴンズですか

榊原:中日ドラゴンズです。いまだにドラゴンズ・ファンです
佐藤:ああそうですか へえ 今年ドラゴンズどうですか
榊原:今年なんだかんんだ順調
佐藤:落合監督ニコニコと 落合じゃなかったっけ

榊原:落合さんですよ



 (神戸大学へ)

佐藤:
順調で、半田市で中高まで。大学はなんで神戸大学に行かれたんでしょうか
榊原:高校の時に、高校2年ぐらいのときに文系を選択したんですけど。その後に建築に興味が出て来て。それで文系で建築をやろうと思うと、どういう方法があるかな〜っていうのを。

佐藤:高校2年生のときに建築を文系で 
榊原:文系に行って建築を。普通に建築へ行こうと思うと、だいたい理系の選択をしていないと建築学部とかに行けないので。
佐藤:文系で建築へいくにはどうしようか?と考えたと

榊原:考えて。それで神戸大人文学 芸術学科っていうのがあったので。そこでちょっと面白そうな試みが出来るかな〜と。いうことで神戸大選んだってのがある。一番ですね。
佐藤:建築はどういうことで興味を持たれたんですか
榊原:なんかそれ色々考えてたんですけど。小学校時代に大きいトトロを作ったことがあって。
佐藤:ととろってなんですか

榊原:映画のミヤザキハヤオの
佐藤:ああ えいえい
榊原:デカイトトロを作ろうといことで
佐藤:アニメキャラを

榊原:作るなら凄い大きいトトロにしよう!!
っていう話になって。その時に図面を書いたりとか、現場の監督というとあれですけど。現場指揮っていたのが、僕だったようで。

佐藤:小学生でね、ガキ大将みたいな なんで作ったんですかこれは
榊原竹で作りました。みんなで近くの竹山、竹林に竹取に行って。それをどういうふうに部材にしていくのかとか。あとどういう順番で作ったらいいのかとかというのを
佐藤:設計施工ですね
榊原:そうですね。

佐藤:材料集めまでやったと
榊原:そうです そうです
佐藤:もの作るんだっだら工業デザインだとか、そういうのもあるけど。建築
榊原:大きさというか、そこに引かれていった感がある。

佐藤:建築を文系で学ぶっていうことはどういう事ですか
榊原:建築を文系で学ぶ。
佐藤:建築を文系で建築を学ぶっていうのはどんなことなんでしょうか 

榊原:僕のいってた所は文学部の芸術学科という処で、何て言ったらいいのかな〜。何かちょっと回りくどい言い方をすると、人が観ていたもの、観ているつもりになっていた視点といのを 違うよ!って言いながら別の見方というか。観ていたつもりだったものをしっかりと見えるようなそういう視点を提示するっていうようなそういう考え方のもとに研究をすすめていく処で。その対象が建築だったということで。

要するに今まで自分たちが建築っていうのをこういうふうに観ていたんだけど、実はまだ別の見方っていうもの、こういう面白い見方もあるんじゃないかという。何かそういう新しい視点っていうのを提示したいなっていう処で、うん.
そういうのがまあ。

佐藤:建築の見方とか解釈のしかたとか。そういうものを文学的に提示すると。どんな勉強をするんですか
榊原:基本的に対象をまず選んで、その後にその人について書かれた文献をとりあえず当たってみたりとか。あとは実際にその建物を観たりとか。あと同時代の建築家の作品というの調べたり。そういう歴史的な洗い出しとか。その時代を同時代的に観る視点とか。何かそういう処を主にやっていたかなと。もちろん建築的な知識っていうのも。

佐藤:そういう作業は1年生のときから既に始まって、文献集めとか
榊原:そうですね
佐藤:それで榊原さんのテーマは1年生のときから見付かったということですか。それは。
榊原:1年生のときから見付かっていたわけではなくって、う〜ん。2,3年ぐらい

佐藤:多様な視点ということは多様じゃない視点はどんな事なですか。
榊原:多様ではない視点
佐藤:現状で 建築をこうふうに観てるっていう何か、それを知らないと違う視点を提示出来ないじゃないんですか。そのときはどういう見方とか、こういう見方とか在ったかということなんですけど、それに榊原さんがもう一つ、2つでもいいですけど。こういうふうに見たというものが無いと。加わったとか。
榊原:なるほど。

佐藤:
多様な視点は探せませんでしたでも。その辺の現実はどういうふうな認識でそれが始まったんでしょうか

榊原想定としておいていたのは、教科書とか。あとは一般的に何というかテレビだとか、雑誌とかで語られる。何か分かりやすい話というか。何かそういう処に対する違和感
佐藤:そういうマスメディアとか雑誌というのはどういうものですか
榊原:たとえば別に建築の専門誌ではない雑誌でも、

佐藤:それは建築の専門誌を外しているんでしょうか。一般的な市民のステレオタイプというか、ものの見方を一応洗い出して。
榊原:そんな感じですかね。


 (ミース)

佐藤:代表的な見方、一般的でしたというのをちょっと教えて頂ければ

榊原:う〜ん。何か具体的に雑誌がこういう事を言ったっていう、そういう処ではなくって。例えばなんか僕が研究の対象にしていた。ミースの話で言うと、ミースっていうのは近代建築の巨匠で、ミースは近代建築の巨匠であるっていう一つのラベリングみたいなものっていうのが、凄く分かりやすい形で色んな処で流布してた。
佐藤:ミースを対象に研究されたわけですね
榊原:そうです。なんだけれども、ミースっていうが近代建築の巨匠であるっていう その通りのいい話っていうのに、ちょっと違和感があって
佐藤:そうですか。その研究成果というか、論文みたいな感じするんですけど。ミースの話をじゃーあ語っていただいて。

榊原:ミースの話は結局僕も研究を続けていたんですけど、資料を集めるとか。新しい視点にまではさすがに至らなかった
佐藤:現状認識は、やっぱり巨人だったと。更新させることは出来なかったと
榊原:なかなか、むずかしい話というか。何か調べていくうえで。ミースあんまり実作がなかったんだけれども。急にこうドイツ国内での有名なコンペというか。有名なワイゼンホフジドルングっていう、そのプロジェクトのリーダーみたいな存在に担ぎ出されたりするんですけど。何かその実作というかミース自体の存在感というのがここに来て急に上がって来たのはどういうことなんだろうっていう。何か建築家が有名であるっていうのはどういう事なんだろう?っていう。そいう処に疑問がとりあえず向いたっていうことぐらいで。

佐藤:建築家が有名であるとはどういう事、と、いうことはまだ考え中ですか、調査中
榊原:まだ
佐藤:途中経過でもこんな感じがする、目星でも指していただければ
榊原:途中経過
佐藤:こんな感じかな〜みたいなものがあるじゃないですか
榊原:う〜ん。

佐藤:違った視点を日々捜しているみたいな話だと思うんですけど。とりあえず建築家像というのは、流布している建築家像というのは?有名になるということは、どういう理由で、どういう社会的状況で生まれてくるのか、その辺の話をすこししていただければ
榊原:むずかしいな〜
佐藤:むずかしいですか
榊原:むずかしいです

佐藤:そうですか。じゃー、何て言ったらいんだろうか、建築家が有名になるっていうことはどういう事なんでしょうかね
榊原:う〜んなんというか、例えばミースで、ミースの話ばっかりで申し訳ない
佐藤:ミースの話ばっかりでいいです、具多的に分かるから
榊原:具体的に僕が研究対象にしてたのが、バルセロナパビリオンという1929年かな。9年に建てられた万博のドイツ館ですよね

バルセロナ万博のドイツ館なんですけど。その建物は実はその1929年から戦後(1945)ぐらいまで、まったく 誰にも省みられる事がなく。バルセロナパビリオン今では近代建築の何か傑作っていうような いわれ方をしているんですけどその評価は確定したのっていうのが実は戦後だった。

佐藤:戦後のいつですか
榊原:1950年代ぐらいから
佐藤:その間は見捨てられて、25年間ぐらいは 忘れられていたと

榊原:
ほとんど忘れられていた存在だったんだけれども、結局 戦後に近代建築の傑作だっていう、その評価が確定していて。
佐藤:それは何か戦略的というか、誰かが発見したとか

榊原:う〜んどうなんでしょうね。1930年代ぐらいにあった、アメリカであったフィリップジョンソンとあと、ヒッチコック、ヘンリーラッセルヒッチコックがキューレーションした、いわゆるインタナショナルスタイル展っていう。あれが一つの契機になっていたのかな〜というのもあるんですけど  15:15

 その02