2009年8月2〜9日 ことば悦覧in京都 記録集 home 魚谷繁礼 門藤芳樹 山本麻子 岩崎泰 柳沢究 森田一弥 浅見俊幸 満田衛資 川勝真一 岡田栄造 榊原充大 山崎泰寛 牧野研造 俺クチャー 観客感想 番外編 名古屋 小林聖明 東京 太田浩史 松島潤平 柳沢究さん 編 8月04日 pm3時〜 晴れ その 01 02 03 04 05 06 07 08 その05 佐藤:自分がこうしたかったという何か妥協というか 柳沢:う〜ん 佐藤:知らないうちに また出てきてしまうから 柳沢:そうですね 佐藤:無意識でやってて良いんじゃない。博士論文の研究の成果が、多少は投影されているんですか、町割りとか 柳沢:全然それは無いですね。 佐藤:無関係ね。でも自分が気が付いてないだけなんじゃないの。 柳沢:ただ町に対する、配慮というか。そういのは割と強く意識してるから。 佐藤:あったじゃないですか 柳沢:一番施主さんに対してもこれだけは譲らないかった処の一つはガレージ。車置くところをセットバックしてとるじゃないですか。その方が床面積有効に使えると。それは絶対引かなかった。 佐藤:ちゃんとやっているじゃないですか、研究の成果が現れてる 柳沢:揃えるっていうのはやるのと。あとは 佐藤:素晴らしい 拍手手ぱちぱり 柳沢:魚谷さんとかがやっている、研究でもありますけど。京都の敷地は奧に長い敷地。裏庭ないと意味がないでしょうという。その二点は守りましたね。 佐藤:仲間が研究した成果を 柳沢:ちゃんと参照して 佐藤:素晴らしいね。好いことだよね。 柳沢:それはもっとしたほうが良いですね。 佐藤:俺もそう思う 柳沢:中には全部敷地一杯とって中庭を作っている建築面積減らすみたいな、そういう案も途中で出てきたんですけど。それは気持ち悪いな〜と。ありましたね。 佐藤:なるほどね。ヤーハッピーだな〜 柳沢:そうかな〜 佐藤:こんなに暑い所まで。いいね〜 奥さん:ビールは足りてますか〜 佐藤:足りてますよ〜 じゃ頂きます・あとは 酔っぱらってもいいや〜もう。もう酔っぱらおう。 奥様:はははははは 片手でつぐ 佐藤:いですいいです。自分で注いでも大丈夫ですから 奥様:はははは 佐藤:こういうハッピーな インタビューというのは無かったので。 奥様:ふふふふ 佐藤:ないですよ 奥様:そんなね〜 いやいや普通ですよ 佐藤:普通じゃないよ 奥様:そうですか 柳沢:スバ抜けて どうという 佐藤:なんて言うかな 建築家らしいっていうか。人間としていいじゃなですかこれで ふふふふ 何 が悪いのか、よくわからないな〜 柳沢:建築やっているとそれはそれで、建築的にも注目されたいし。そういう思いはどうしたってあります。出てきますよね。 佐藤:誰が注目するんですか、しませんよ。それほどみんな暇じゃないから。興味ないと思いますよ。と僕は思います。どんなに雑誌載っても、興味無いですよ。研究者でもあればね研究対象としてあるだろうけどね。 僕だけですよ5年後又来るからと言うやつは。 変な奴しか興味を持つやつは居ません。雑誌に載りたい載った自己満足の話であると僕は思います。載っても 出来ている建築の質は変わらないですしね。ジャーナリズムの世界に建築家が喋っている言葉が溢れれば、登場して柳沢が新しい建築作ったと新聞にね じゃかじゃか載って、柳沢さんおめでとうという話になれば、そういう事態が当たり前になれば、プライドもったり使命をもったりしたりしていいと思うけど。 今の業界内の閉じた状況では載ろうが載るまえがあまり関係ない。 メディアに載ることなど 柳沢:済みません言い方がちょっと違いました。メディアに出るとか、そういう。それはそれで出たら、もちろん嫌じゃないんですけど。そいう事ではなくって。 佐藤:どうも今回は説教シリーズになっている おかしいな〜ゴメン 柳沢:それは京都の特殊性ですかね 佐藤:もう一回 柳沢さんの言ったメディアの なんたらかんたら、人間として幸せだから、それで良いじゃない事に対しての反論。 柳沢:あの〜うん。自分の思いとしてはメディアに載るのは結果として載ったらそれは全然嬉しいことだし。いいんですけども。自分のやっている事が建築というものの中でどういう意味、あんのかな〜ということはやっぱり気にしてしまうんですよね。 佐藤:それは分かるよね 柳沢:やって施主の要望満たして、自分でも割といいもの出来たな〜。嬉しいというのは一つの素朴な原点としてあっていいと思うんですけど。ただそれが割とおおきな建築という文化なり、ものの中で、世界の中で何かしらの意味を持っているのか、持ちたい、そういう役割果たしたいなと思うわけです。そいうの考えたときにまだまだ。当然ですけどまだまだで。 佐藤:平凡な建築であったでも。それで何で悪いんですか。自分が言っていることとバナキュラーな建築の良さ語りと矛盾してしまうね 柳沢:そうそう。それは全くその通りなんです。これからの課題としてはそれを、さっき言っていたバナキュラーなのがいいと言うのに、今言ったわりと平凡なものだと思うんですけど。どう結びつけてこういくかっていうことが 佐藤:それは柳沢さんの自業自得というやつで 柳沢:はははははは 佐藤:悩みなさい 自分で自分を苦しめているだけだから。俺は笑ってあげる。それはしょうがないね。僕には分からない話しだね 柳沢:そうですか 佐藤:分かるような気もするけど。それってどうでもいいこと何じゃないかという気がするけど。 歴史的にみれば古い町。バナキュラーな作りかたが在る中で。そのなかで新しい設計なり材料なり関係なり入れて作った。それだけでもいいんじゃないかと。それプラス、じゃー何だと。何をどうしたいのか。明確に説明出来ない段階で、それは手に入れられないじゃないですか。そもそも言語化できてないだから。ある種平凡、その状況に溶け込むようなやりかたと、構え方で何が悪いんだろう、その言葉がない。と解決しないな〜と 僕は思ってしまうよね。 柳沢:そう言って頂けると 佐藤:「町並み全部ぶっつぶしてこうしたい」というような近代の自我みたいなのが有ってね。自我をやりたいと先に言ってくれれば、「それは分かるね」と言えるけど。それが無い状態から続いた話としては。それは無くってのスタートだと 周囲の溶け込むかのような 当然 平凡でいいんだよ。 柳沢:そうですね。 佐藤:今話聞いただけの内容で言えば、柳沢さんの悩みっていうのは俺にはよく分からない。なんでそんなことで悩むのか。状況に合う素直でいいじゃない、なんなのそれ以上って。建築家像はこうあるべきというもバナキュラーって最初に語ってないわけだし。スター建築家に憧れて、それをモデルとして自分が励んでいるという話しでもないし。 柳沢:それは僕の中でも割り切れてない分が有って。一部ではそういうバナキュラーの世界がいいな〜という思いがありつつ、建築のあの華々しいスターの世界。それがあるからそういう 佐藤:そんな世界あるかな〜? なるほど。そういうことはあんまり考えなくても、建築の歴史の経過の中で意味が有れば、そう自然に華やかになるのではないの。モデルっていうか、これからの日本の社会、世界もそうだと思うけど。近代的な、資本主義も後期主義で、去年金融立国は破産したわけだよね。社会主義に続いて後期キャピタリスムも 破産したわけだよね。超スターを生み出す、新自由主義のような遣り方は破産したわけだよね。 次の新しいやりかた(在り方)を作って、その中で人間たちが活躍しなければいけない訳だけれども。まだ半年しか経ってないから目覚ましい対案は出ていない。前からそいう主義に対して批判的に目指す全参加型の市民社会を提示している人々は少なかった。実際に危機が起きて 悲惨に社会がならない限り社会は直さなかったじゃないですか。 それと同じように新しい建築家像というのを現在の建築家像が破産しているのかしてないのか分からない状況の中で、はっきりしたオルタナティブな建築家像というのは誰もみいだせていないのは当然なんじゃないのかね。 時代をがっちり背負って悲劇的に破産していく建築家像も見えそうもないので。現在成功を極めている近代建築家に対する 対案としての新しい時代に要る建築家像も産まれて来ない。もっと建築家が危機的状況に陥れられないと生まれないでしょう。そうなれば新しい建築家像が産まれて来るような気がするんだけど。 まだまだ数年はチュと半端で温い世界に浸って居られる。そうい感じがするな〜おれは。本当に滅茶苦茶になって死にそうに深刻にならないと出て来ないと思っている。 柳沢さんは幸せなんだから出てこなくっていいよ。出て来るとしたら五条の大橋が家になってるときだね。そんなことやってもしょうがないじゃないですか。残酷な言い方だけども。むずかしい問題だと思うな。幸せでなんで悪いんだと。 柳沢:そうですか。 佐藤:もう一回戻って。ちょっと休みますか。 柳沢:あんまり深く 僕も答えて言葉出てるわけでもないし。 神楽岡工作公司 佐藤:答えは5年後って感じで。話題を変えますけど。神楽岡工作公示っていうのを主宰されているわけですか 柳沢:今代表でやってる 佐藤:経緯や出来たときの事とか 柳沢:出来たのが2001年だったですが。2001年の春だったと思いますが。僕一人が始めたわけじゃなくっって。森田さんと、今鳥取環境大学という所に行っている山田さんっていう、どちらも皆研究室の先輩後輩なんですけど。丁度3人で始めて。最初考えたのは、そのちょっと前に町家の再生を半分、セルフビルドじゃないんですけども。 出来る処は素人工事でも小舞網から、粗壁付けるだとか。解体のところだとか。塗装のところ 。出来るところは素人、設計者自身も参加して、作るような。いわゆる金の無いプロジェクトをやっていたんですね。 そんなかで、左官の職人とか。大工さんとか。庭師とか、そういう処と付き合いが始まって。京都って割とそういう寺が沢山在るだけあって。技術持った若い連中が沢山居るんだな〜と知ったわけですね。それで、今は学生の団体とか組織みたいの関西系のもたくさんあるんですけど、その当時はあんまり無かったんで。 佐藤:学生時代だったんですか 柳沢:僕は修士2年生だった。進学した年です。町家再生をやっていたのが修士の頃。 佐藤:学校の、学問に対する、カウンターのような感じもあったんですか 柳沢:なかったですね。 佐藤:体使おうって軽いのりだったの 柳沢:町家再生に僕が参加したのは、そいうその乗りですけども。実際にも現場に入ってやりたいという、そんな感じ。 佐藤:2001年前に多少また違うなにか、モヤモヤしたものがあるわけだ 柳沢:なんか学生時代の時から、怒られてますけど。いわゆるザ建築家像に対する、何か漠然としたヤダナー感ずーっと僕はあるんですよ 佐藤:あはははは ふふ 柳沢:それで職人の連中との付き合いが出来た処で、京都で建築に関わっている人間、設計とか学生とか、設計者とか学生とかじゃなくって。職人とかたくさん居るんだから。そういう連中が集まって何かちょっと題材にしながら、話したり呑んだり、喰ったり出来る場所が作れたらいいね〜っていう。割とささやかな目的で最初始めた。 15:23 その06へ |