sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日  
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2018年 作成 
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サンチャイルド像設置を事業の視点から考えよう

若い男02:福島市に住んでいる者です。今日色々お話聞いて何かずーっと状況があるのが分かったんです。もやもやしていたんですけど、色んな情報を得られた今日は好かった。お話すごく聞いてサンチャイルドの話しが出来て、作品の価値の話であるとか、起って来た経緯の話とか、行政の中の話とか、実際一番大きいのはパブリックアートという処が、そこについて考えるのは大事かなーと思うのと。今日の話の中で一つ提案したいのは、パブリック・アートの事業。プロデュースするっていう、視点。事業的な視点がもう少しあると、話がとても面白いのかなーと思いました。
 始まる経緯、それから、議論の経緯、終わっていく経緯、全てプロデュースしきれてないというか、責任があまり感じられない話が凄く多くって。例えば、木幡市長が子供に伝えたいという気持ちがあるのであれば、そこが、単純に設置が出来なかったら撤去という事じゃ、木幡市長の思いって、事業化しきれてない訳です。そこらへん全部責任が無いような話に感じていて。もしこういった話を具多的に考えて行くときには、事業の実施主体は誰なのか、誰が金出すのかとか、誰が管理するのかとか。
 あとは今日の話の節々にありましたリスクです。例えば見たくない人が居た場合に、どう感じるのかと。そういったところのマネージメントであるとか、そういった辺りまで考える、総合プロデューサーみたい者を置かなと、話的には嵌らないのかなーと思いまして。
 最初にヤノベさんが色々今回の経緯についての、お気持ちを色々話していただきました。それって今回事業と設置をしたのは市行政なので、設置責任は行政に有るのかなーと思うと。ヤノベさんの気持ちも僕は聞いても、なんかもやもやした感じがありました。なので、繰り返しになりますけれども、サンチャイルドを設置するという事業を、どうプロデュースするかという視点が一つ入ると、またいいのかなーと。それは全て含む、リスくマネージメと含む。以上です。

市民は作者の説明で分ったりするのか

司会:
そろそろ時間が無くなって来ましたけれども。今日はいつになく人が集まっている割にいつになく発言者が少ないです。

男:実は昨日からずーっとヤノベさんの作品の頁を観てまして、とても自分と親いことに。僕はヤノベさんと歳、同じです。
 未来とか、科学とか、イメージとか、ものすごく我々ぐらい、万博とか、未来とか。福島ですから円谷さんとか、ああいうものを観て育ってきて世代です。科学館とか未来館とか、凄く共有できたんですね。なるほど、逐一全部・・・。
 で、これって例えばさ先ほどご説明した方が、いいという話があったんですけど。僕は共感できるんです。たぶん、これを世代を、前の方とか、若い方とかにお伝えして、果たして共有して頂けるのかどうか・・っていうのは、正直僕は自信が無いでんす。分かる人だけ。現代アートって草間彌生さんもそうですけど、じゃーあれなんてカボちゃじゃなきゃいけないんだと。という、話になって、カボチャっていちいち説明しなきゃいけないのか、という話になって。
 アートって全部そんなにバックグラウンドまで全部説明しなきゃないけないんだろかと。確かにいきなりポンと、巨大なモノを公共の場所に置くっていう事にはたぶん色々あるとは思うんです。けど、説明すれば分かって、いただけるか、ということに関してはちょっと限界を感じる気がしました、見る側としては。


 (絵:草間彌生作品 webより)
男:ヤノベさんにせっかく来ていただいて、ヤノベさんは確か、茨木生まれなんですよね、
ヤノベ:生まれは大阪ですけど、育ちは茨木市です
男:で今、高槻市に暮らしている 
       会場:ストーカーか
男:ウィキペディアにそう書いてある。高槻市は何が美味しいですか
ヤノベ;えそれ、高槻市ででですか、何でも美味しい
男:僕が思ったのは、高槻市という場所は隠れキリシタンが居いたり、あとはなんだっけなー。意外と死刑廃止について議会が一致したとか。あとはなんだっけかなーも一つは、何かそういった。維新 ・・意外と力関係が凄くぶつかっている所・・なのでヤノベさんにも・・・・

市長が決めて立ててしまう、福島の状況が問題

N氏:
だいぶ前に話に戻っちゃうけど、さっきそこに座った人、戻ってしまうけども。サンチャイルドを撤去したことが悲しい、あるいは問題だという話をしているんだけど、も。僕はそうではないと思っていて。
 そもそも、パブリックな中である所に、市長の思いだけで、要するに「市長がそんなに決めていいのか」っていう話なんです。皆の場所に皆の合意が無いまま、像を立てることが出来てしまった、福島の状況は、たぶん、本当に問題で。
 だからここで一番教訓にしなければいけない事は。じゃーああいう場所に物を何か置こうと思った時に、どうやってみんなで合意形成を作るのかっていうのを、ちゃんと皆で、お互いに、合意形成をするためのところから始めなきゃいけないよということをまず、皆が市民が皆で受けて。その上でじゃーどういう手続きをやったらいいのか。というのを考えましょうといい話が本当は大事で。
 多分、撤去さえれてしまったのは、元々はそういう不幸なことをしてしまったので、「不幸だったものを早く撤去してしまった」というならば、一つのやり方としてあれはありだろうと思うんですね。元々不幸なもので置かれてしまったものを(現況を)そのまま、皆が「なんか、しょうがないから受け入れよう」と言う方がもっと不幸な気がするんですね。
 なので、今回、起った出来事を、教訓として置くのであれば、市民全体で「教訓のために何かをやろう」といったときに、「皆でどうやって、合意形成をするのような場をつくればいいのだろうか」ということを、そろそろ、皆、考えた方がいいんじゃないかということなのかなー・・と思うんです。

叩き易い相手をたたいているのか

司会:僕はこないだも言ったけれども、その話はそれ自体すごくよく分かるんだけども。ところが原発に関して何もやっていなのに、なぜサンチャイルドをだけそうなるのか。というのが可愛そうというのが、あって。原発はスルーで置かれていて、であんなことが起こっているのに。それに対し、この作品がだけ虐めるのは本当に可哀そうだなーと。叩き易い相手をたたいてるなーと。

福島市に不都合だから隠すのか

老人男:私の意見を述べるんじゃなくって、今朝の毎日新聞ごらんになっている方、は。たまたま私、見たんです。五十嵐さんという建築(歴史家)と白川さんが寄稿しているんですね。今まで議論された事を踏まえて、これから考える上えで、非常に参考になるかなーと。いつもだと、こんなに20人なんかいなかった。私一応、コピー20部用意して来た。だから、もしよろしければ、見たくない人は屑籠に捨て帰っていただければ、いいと思います。大変参考になる事が書いてあります。

K氏:司会の方が言ったように、何でサンチャイルドなのかって、・・・ヤノベさんにサンチャイルドなのかっていう。要するにあれを叩くことによって、本来向かうべき本当のね、対象者、対象物、対象となるべき組織、・・具体的に見ればいいと思います。そういうものから、矛先をそらせるためには(サンチャイルド像撤去は)非常にいい、分かり易い。
 ただ、それをあげつらって、そういうふうな目くらましの材料に、皆さん騙されちゃいけませんよ。と言うのは、あまりにも透け透けの見え見えの論理なんで。そんなこと言ったってしょうがない、から僕は一切言わない。やっぱりね腹の底にはそういものを据えて。なんでサンチャイルド、あるいはなんで双葉町の原発のモニュメントが撤去されなきゃいけなかたのか。 
佐藤:大沼勇治さんの言葉を掲げた看板ですか

K氏:看板ね。(注51)というのは、ちょっと芸術と看板では、それはやっぱりあれが有れば(権力者にとっては)不都合なんだよと。
 私の独断と偏見で言えば、あれが有る事によって思い出したくないものを思い出させられ続けてしまう。それは未来への東電とか、国の、あるいは福島県の不作為を、思い出させる。そういうものにも成かねない。一般論として言えばあんなの在ってはいけない、そう思うんでしょうね、為政者は。
 で、一つ今回の私、一番最初に申し上げましたけれども、昭和60年代の彫刻のまちづくりが、もし今でも生きていたら、こんなふうな問題がもしかしたらなかったんじゃなかと。そういう事に付随して、福島市に取材に行ったんですね。今でも生きている。「その名簿ください」とお願いしたら、ほとんど、のり弁状態で。役所認可の名前は書いてあるけども、ほどんど、塗りつぶされている。でもその組織は生きているんです。こんな組織があるんだから、再招集を掛けて、ヤノベさんの作品を審議する。もしかするとハレーション起きるかもしれない、色んなことが考えられますと。あなた方の彫刻、野外彫刻を設置することに関して一過言をもっている方々であれば、裸婦像を設置したことを知っている人は少なくなってきてると思うけども。大問題だと・・・・済みませんまた話が随分戻ったですけども。
 合意形成に欠けていた市長が、反省してましたけれども(注51)。それに尽きるんですけども。でもだからって言って「あれを撤去したっていうやり方は、これは合意形成を欠けていたんだったら、もう一回やり直ししましょう」と・・・・(分解撤去したサンチャイルド像は)どっかのスーパーマーケットの倉庫に入れてしまった、らしいんだけど。そういうふうな悲しい状況なんです。だから今でも組織として、事業も生きているし、仕組みも生きているし、なんでこれを使わないんだろうということです。そういうふうな事。私が知り得たことです













 (注51)

(絵 :webより)


 大沼夫妻による抗議写真webより




(注51)福島市長 撤去会見録
   2018年8月28日2018年8月28日
 また、設置に当たり合意形成のプロセスを欠いた事は反省しているところであり、今後合意形成には充分留意をしながら、市政の運営をすすめていきたいと思います
                       
賛否が分かれない作品は可能か

若男:せっかくヤノベさんがいらっしゃっているので、表現についてお伺いしたいです。今も行政手続きとか合意形成の話がありましたが、表現っていう意味において、誰もが納得する、賛否が分かれないものを表現するっていうことは、アーテストとして、ありうるのかどうか。

ヤノベ:まあ、極論で言えば、ありえて欲しいとは思って、作っている訳なんですね。
 でサンチャイルドですけど、これは本当に2011年に、もう〜ほとんど全員の方、心が折れそうな思いの時に、本当に僕も折れそうで。僕の周りの人たちも、何の表現もできない。アートは役に立たない、何をすればいいんだろう。という時に。なんとか、状況を変えるのが芸術で出来るんじゃないかっていう思いで作って。

 このサンチャイルドを作る時に僕は一番力を注いだのは、誰が観ても、可愛い、ああ〜愛おしいと思える、僕の、彫刻家の全精力を、今までの技術を尽くして。見た瞬間に、ああ可愛らしい、大切にしなけれいけない。こういう子供を未来の、私たちは未来を守って、でも凄い未来に希望が持てる。
 希望ではなく瞬間的に感情を揺さぶるような、ものを作りたいっていう思いで作った作品だったので。本当は観た瞬間ぱっと心が明るくなって、次に踏み出せる。、今凄くネガティブな印象というふうに今回は、受け止められてしまたんだけど。本来はそういうものじゃない。
 誰が観ても、ああ、見た瞬間このコンセプトを聞かずとも、未来に希望を感じられる、っていう、そういう思いで作った作品なので。当然やっぱ7年経った後でも、そういうものが、残って伝わるものだろうと。そういう普遍的なものに繋がるだろうという思いで、作品は作っていて。

 賛否を呼ぶのが目的ではなくって、やっぱり前に向き合っていける、それはもう、もしかしたら廃炉作業をしている人たちも、応援するようなね。人類共通の問題として受けとめられる、表現に向かいたいという思いで作品は作っている。ということで はい、そういう作品でありますし。

 本当は今回、こさしていただいて、とても嬉しく思っている。正直もう、ぼこぼこにされるんだろうなーと。福島に来て「ぼこぼこにされるんだろう」と朝から憂鬱な気持ちでした、けどもでも、もちろん心痛め方もたくさんおれれたので、その方には僕は、巨大な自分の子供が暴力をふるった、ぐらいの気持ちで、受けとめて、向き合っていかないと。とは思っています。今回本当に、たくさんの意見を言っていただいて、サンチャイルどうにかしたい、という気持ちも有りがたく受け止めさしていただいて。お話のように新しい作品を作ったらいいんじゃないかということも、僕はもう作る気満々なので、

  会場 拍手ぱちぱちぱち

 こさして頂いて。「福島に何か手伝いしたい」という謙虚な気持ちで、何かの形で、皆さんと関わりあえるなら。いやも、ちろんお前は二度と来るなと言われたら

佐藤:どんどん来てください

ヤノベ:こさして頂けるとしたら、ぜひ関わらしていただきたい! と思っております

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市民との対話を焦点に書けないのだろうか。今何を福島市民に伝えなければいけないのか、理解できていな。切れの鈍い記事2018年11月11日福島民報記事



司会:長時間どうもありがとうございました 

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