sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日 | 2018年 作成 | ||
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佐藤:私案があります。まずヤノベさんも行っていない事なんです。現在、一番欠けている点はこうです。原子力災害って特殊な災害(国会事故調報告は人災としている)なんですが関連死者を悼む、あるいは鎮魂が組織だって定例化して行われていません。 発電所の事後が起きて、2千数百人の関連死者が政府の指示などによって存在してしまいました。政府に殺されたという首長だんも居ます。(桜井氏の発言)関連死者を悼む、あるいは鎮魂を県民一致でまだやっていない。 ヤノベさんの作品も設置前に、一歩めは、僕たちは関連死という特殊な死与えてしまった事に対して、その人たちの名を刻み悼み・鎮魂・慰霊、まずはすべきだと思います。 (2016年2月12日福島民報) 悼み、慰霊する事故の災害を記憶し続けるための施設と行為が必要です。先ほど、他者の方から提案のあったヤノベ作品専用福島市美術館というような場でもあればいいと思います。福一原発事故・人災関連死鎮魂施設とサン君はセットにするのがいいと思います。(古来アートは宗教施設に収まっていた)鎮魂、宗教施設のような、アート施設のような、神道施設みたいな状態になるのかもしれません。そういう場を設けないと、不要に生まれた原発事故によって発生した多数の分断を対立をこえ、その先に合意形成を成したいと思うならばですが、分断のまま・あやふやでいいなら私の提案は無くてもいいと思います。人間の愚かさを詫び悼む、昔の行為にならい、まずはそこまで戻らないと、進むことだけ希望だけ求めてもしょうがない。 単に現代アート・美術作品を政治利用し機能させるだけでは、今世紀は合意は不可能な状況が現実です。みんな動物化すると言われるように、各自バラバラの欲望になっても経済だけがつながっている状態で互いに生きていける。個々人が直にセカイ・世界と称される事態に繋がって生きているんだから。その状況下で誰でも合意できるのは、憐れんだり、祈るんだ行為だけだと思うんです、悼み・鎮魂するしかないです。 第一歩目は、憐れむ悼む行為、それが必要だと思いますけど。鎮魂、県民あるいは国民と共に今回の原発事故の惨状を祈り鎮める場所を確保し、3月11日でもいいですし、そこに時々、サンチャイルドを出没させて、関連死で亡くなった方々の名を刻んだ「トらやん地蔵」を2千数百体並べるなど。毎年鎮魂儀礼の行動をつくる。トらやんの地蔵は死者一人当たり千円ぐらいの像・お地蔵さんだと思うので、買っていただいて供える。悼み鎮魂の場にそれを設える。それをやってから、原発事故関する多様な困難を記録したり、今後どう対応していくかなど議論を始めないと、時間が経っても、また同じ分断と対立が起きると思います。 先ほど後ろの方が「こむこむの前を通るので、見せられるから嫌だ」と言っていました。傷つく人はたくさんいるんです。一番傷ついていて一番困っている人っているのは実は妻子が自主避難していて、パパだけが福島市に孤独に耐えながら残っている。その人たちには何の手当も無い、棄民されたと訴える相手もいないから、何も言えないで放置されている訳ですよ(注41) 報復的正義を勝ち取るための裁判だけ、その方法だけが残されている、気の毒な状態に置かれています。 関連死した人は一人500万円ぐらの弔慰金をもらっているのでしうか。お金の補償はされているんだけど、東電害敵という思いだけが残ります。ですが残された人々は孤立分断のまま精神的鎮魂と連帯はまだされていない。 僕たちも、ヤノベさんも未来に向かう前に、原発事故関連死など、亡くなった人々を、生きている人が像を立てたり何かする前に、初めに鎮魂するべきだったのではなかったか。(注42)というのが僕の考えです。 鎮魂行為をネグってしまった事によって心の復興と言われているものへの、まとまりを欠いている。アートは鎮魂?「そんなことをやらなくっていい」という発想もあるけれど。 繰り返します、原子力災害は戦後敗戦の日本の人々がつくった人災です、特殊なものです。それに(死の灰)襲われ遭うと皆が、生殺し状態で生かされ続けるようになっています。7年経ったけど、廃炉の見通しも立っていないので、さらに続く。福島県民は誰も体験した事も無い、放射能汚染は止まず、廃炉が全て済む(見通しもたっていない現在)まで死の灰と共に、ある種の生殺し事態で暮らすしかない。抑圧と心に隠された様々な無念に、それに対してどうしたらいいか分らないので無関心暮らしが最悪だと思うんですよ。 まず僕は起きた事に対して、僕たちのおじいちゃん、おばあちゃんたちが原発を誘致して、こうなってしまったのです。誘致した人々はすでに亡くなった、彼らに「謝れ・鎮魂せよ」と言っても何も解決しない、放射能は山河に居続ける、どうしようもない。で、生きている僕たちはとりあえず、次世代の人々にまず、みんなで謝る。ごめんなさいと。関連死者にも謝る、鎮魂の儀式をおこなう。 その後です、そこから考えていくしかないんじゃないかというのか、有識者などの他人に任せっぱなし、現状解決をアウトソーシングしてはならない、それが僕の考方なんです。どなたか、誰か、何かいい案ないですかね (2016年2月12日福島民報より) サンチャイルド像は解体撤去されてしまいましたが、ヤノベんの心からの寄贈像なので、福島に置いておくべきだと思います。既に福島市の財産なのです。ここに福島市役所の人が居るかどうかわかりませんけど、あれは福島市の財産だから、ヤノベさんが「俺が持って大阪に帰る、もって行く」と言っても、もっていけないですよ。ヤノベさんが「俺が、俺が製作者だから自由にしたい」そう言っても、それはできません。 k氏:あれは福島市の財産として移っちゃったんでしょう 佐藤:ですよ。だからサンチャイルド像は福島市の財産・寄贈品なのです、福島市の人が考えるべきだし、先ほど言われたように、福島から考えることだし、それに鎮魂というのを加え重ねることから始めたらどうでしょうか。という提案です。 |
自民党政調会長による原発事故死者無発言 2013年6月19日福島民報 (注41)自主避難パパの声「家族は棄民だ」 2018年7月の聞き取りより ・・・福島県中通りの県民は特殊な状況にあると思う。自主避難という問題を抱えるからです。福島第一原子力発電所の事故は自主避難する人を産んでしまいました。自主避難は強制避難ではなく、自主的に福島などを離れ、3・11以前に暮らしていた被災地を脱出し、避難している。自分の判断でフクシマフクシマ・放射能汚染地域から避難することですよね。 自主避難者は非常に法的に曖昧な状況に置かれてます。そうずーっとそう思っているんです。私は当事者だから言うのではない。原発事故は色んな問題を生み出していいます。客観的に見ても、自主避難の問題はボディーブローのように尾を引いていきますよ。 「自分はなぜ、家族はなぜ、自主避難しなければならなかっか」ずーっと考えています。「私たち家族、自主避難者は棄民されたんだな」と。行政当局はああだこうだ言って、強制避難者を一世帯たりとも指定し認めないような政策を敷いて来た。それは何故か。・・・・私には小さい子供がいたからです。「妻や親は大人だから大丈夫だろう」し、そう考える加減な私も居る。でも、我が子ことになると判断が、ガラリと変わるんですよ。「この線量じゃ、逃がさなくっちゃいけない」と。 私の中の二重基準ですね。小さい子供がいる家族は会議を一度と言わず何度も開いたはですよね。毎日話し家族で話し合いする、二重基準のある暮らしにも耐えられない。そういう親は自主避難を採ったですよね。 (注:42)県内の一つのお寺で、恒例の念仏踊りを行い鎮魂した例はあるが、福島全県民で関連死者の鎮魂式は行ていない。 福島民報2011年4月29日 福島民報 2013年3月11日 関連死紙面初登壇 20113年3月17日福島民報記事 原子力発電所の事故によって計画的避難区域のため職場も閉鎖され、家も寝泊りできず、住宅ローンがまだ残っている。慣れないアパート暮らし、様々な暮らし方の変化が57歳の女性を焼身自殺へ追い込んだ。、 |
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女:アートと鎮魂というテーマで入って来て。サンチャイルドが設置されて、立ち上がったことを思い出したら。やってないのが指摘して・・・・ってないと、いうので片付けられちゃった流れを。 私は展覧会とかで、過去に起こった事件とか、それをテーマにした作品、現代アート作品たくさんあるんですよね。ヤノベさんのようなアーテストの前で知識を披歴するみたいで、恰好が悪いんですけども。クリスチャン・ヤンコフスキーいう現代作家の人が、ユダヤ人の虐殺をテーマにして作っていてる作品、あったり。 あとはアジアの、ポルポト政権とか文化保護をテーマにして作品を作って、アジアの現代アーテストあったり。というのを、それは展覧会で観れるんですね。でもそれをこれを展覧会でテーマ有りますといって、実際、行った時に、それを観てこういう関係が起こって、殺されましたということはないです。 サンチャイルド像設置の問題、震災が起こって7年経って、このような、今起こっちゃっているというのは、7年ていう時間が短すぎて、皆の記憶が生々しすぎるから。 何十年か前に起った戦争とか、革命の問題とは違って、まだ新しすぎる。で、こういう事になって来てしまった。 展覧会は観たい人が行って、何千円かお金を払って、見るので。観たい人が見てる情況です。こむこむ設置はパブリックアートだから、そういう処に置かれているということが問題なんだというのか、私が・・うまく判断が出来なかったんですが。どう思われているのかなーと気になって。・・・と思いました。 |
ヤンコフスキーは1968年ドイツ・ゲッティンゲン生まれ。ハンブルク美術大学を卒業後、映像や写真、パフォーマンスを中心に芸術に限らず様々な分野のスペシャリストとコラボレーションして作品を制作している。ヤンコフスキーは1968年ドイツ・ゲッティンゲン生まれ。ハンブルク美術大学を卒業後、映像や写真、パフォーマンスを中心に芸術に限らず様々な分野のスペシャリストとコラボレーションして作品を制作している。(以上webより) |
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k氏:学生さん、放射能の記憶が、マイナスイメージを与える、そういう事を考えるれば、どうなのかという話をされていた。負のイメージも、やはり、3・11の福島にはもたらされて現存(低線量)被曝状況の中に。やはり我々の現実認識としてシッカリ受けとめて、裏も表の無いものとしてやっていかなきゃいけない。私はそう思うんです。 私は浜通り出身ですけれども。あれだけの、高い津波が押し寄せるといのは、子供時代から、まったく自分の中に刻みが無くって、大変ショックを受けました。次の時代、100年後、あるいは200年後に同じような大震災が起こるとすれば、今回の大災害を語り継いでいかなければいけない。なぜ我々は子供時代に、あそこに15.7mの津波が来るという事実を、誰からも聞いた記憶がなかったんだろう。その思いがずーっとあるわけです。その結果としての(東京電力福島第一原子力発電所の1から4号機の)全電源喪失というのが起きたわけです。それは結果的に起きた。しかし地震で(原子炉が壊れた)その事態が起きていたか、お起きたという思いもある。(人が近づけないため真の事故原因は解明されていない) だから、サンチャイルドが負のイメージをもたらすとすれば、負のイメージも含めて、福島の現状として我々は学ぶべき。それだけの覚悟も、しなければいけないんじゃないか、と私は個人的には思いってます。 それでもって外の人たちが「そうか、福島はやっぱりまだ危ないんだね」原子力規制庁の言葉を借りれば「充分放射線量は低くなっていますよ」と言うけども、震災前の0.04までまだまだ戻ってないわけです。その現実はしっかり受け止めて、そのうえで我々はどうするのか、ということを考えて。 ですから、今日たまたま、てつがくカフェさんですね。この討論を設けていただいたんだけども、本当は私も、もっと力があれば、もっと早い時期に、例えば、そちらにいらっしゃる佐藤さんたちの力を借りながら、あるいは福大の先生の力を借りながら、このような場をもっと早い時期に作るべきだったとかなーと思っています。ですから今日、本当にこういう場をつくっていただいて大変ありがたいと思います。 実はこれっきりだけじゃなくって、市民サイドから木幡市長の、けつを蹴飛ばしていくような。そういうふうな事をしていかないと、たぶんちょっと難しい。 というのは昨日も少し、一昨日もそうでしたけども。福島市の中心市街地再開発の老朽化している、恒久公共施設の建て替え問題に、すでに福島市は軸足が移っちゃった。市民懇談会、昨日まで4つ行って。今年中に駅前再開発のコンベンションホールを含んだ駅前再開発と、市役所の西庁舎を含めた、そういう箱モノを、どうするか青写真を作ちゃった。 実を言うと、ここから先は下世話な話をします。サンチャイルドを早々と撤去しなきゃいけなかった理由の一つに、市役所庁内から聞こえて来る噂の話は、早くこれに幕を引いて、もう福島駅再開発とコンベンションホール、それから市役所西棟の建て直しに進んでいるんだと。市役所の職員の中から聞こえて来る。裏付けはとってないので、これをそういうふうなんだってよと、風聞の流布はやめていだだいて。、ただ私の言ったのは、そうなるかも知れないけども、でもさもありなんとも思うんです。 本当にヤノベさんに失礼な言い方だけども。だから市民サイドから声を盛り上げて、あれはどうなっているのだ、と。それが非常に重要だと私は思います。答えになってないですけど、学生さんには。 |
参照:あらましが分かる 映画『日本と原発 4年後』 監督は裁判の提出資料として制作したという |
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学生男:僕は思うに、市民で合意形成してやって、でもアートってアーテストが、つくるものだから、みんなのの意見全部と言うけど、結局はアーテストがつくる。それはけっこう大事なんだろうなと。 |
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佐藤:今ある情報は、新聞とかTVニュースしかないようです。それは忖度であふれた内容なのです。ですから福島こ、この事実は自分たちで発信するしかない。ここでしゃべり合った内容を全て記録を作り、配布するしかない。 そうじゃないと、ここでの議論も、何も無かったことに成って、はい・はい、そんなのあったねーで、お仕舞になっちゃいます。 そこでKさんが提案されたように、僕とkさんと一緒にでもいいですし、何か考える会とか、もう一回再設置させる会をつくる。そういう案話し合う場・みたいな会を開催すべきです。僕が事務局やってもいいです。そういうのを作り始めない限りは、本当に今言われた下世話な、邪推だと思いますけども、そちらの方に行ってしまって、サンチャイルド設置事件の記憶は棄てられ、お仕舞になります。そう邪推しない限り、あんな短い時間で撤去するっていうのは考えられない事態です。 私たちに、このような邪推をさせるのは、市長の言動が悪いのでありますけども。そうかと言っても、私たち市民は、W先生の力を借り、ヤノベさんにも協力いただいて、サンチャイルドをどこに持って行くんだ〜という、研究会みたいなのを延々やっていきませんか。興味ありませんかね。 ここで、こういうふうい今日は喋った内容は、来週中ぐらいには私はwebにアップしてしまいます。または印刷して、どこに持っいけばいいのか分かりませんけれども、そういうモノを市に持って行く。そのためにも何か組織をつくらないと、行政からは相手にしてもらえない。というのがありますよ。この問題を解決案をつくるには何か組織をつくって反対だろうが、賛成だろうが集うしかない。 共産党の議員団が「反対だ」と言って撤去されたから、すっきりしているんでしょうけれども。聞き取ってみると、もったいないとか、賛成だったとか、そのように考えよう、と思っている人もいます。このままでは市民の多くはサンチャイルド設置事件に関しても生煮え状態に置かれたままに成りますね。 そのためにも、ここに集まった人で、そういうふうに協力しようという方が居れば、みんなで集まるなり、SNSを使って、とりあえず集う。僕の持っている情報を全部見せたいのです。ヤノベさんのデータはできるだけ採ったのです。それを観ていただいて、二ケ月後ぐらいに、じっくりと議論する、という形にする。そこから、定期的に会合を続け行かない限りは、今日のこの事態の記憶だって消えてしまいます。 本当にそれではヤノベさんという作家に無礼極まる、大変失礼なことであって、「ヤノベさん、あんたおかしいよ」とも、僕たちは言えない訳ですよね。本当にヤノベんさんの考えに反対しようとしても、印象でしか言えない。ここに集まっても印象でワイワイな状況ですから。 ヤノベんさん「実はここがこういう問題だったんだ」と、そいう事を福島市民として、言わない限りは、この間の騒動の意味が作家には無くなるし、しばらくしたらその記憶も消えちゃう。 ヤノベさんの、何て言うですかね、放射能と闘う凄い前向きな、一生懸命さ。それは、フクシマの状況に対して、たぶん間違えてとは思うんです。それでも僕たちはヤノベさんも作品も、きちんと受け止めて、ヤノベさんに問いを投げかけたり、投げかけ合ったりしない限りはこの機会を好転させることはできない。 現況のように皆バラバラなまま。もちろん現在の政治状況における統治サイドは市民がバラバラ、砂粒状で対立し合っている方が都合がいいわけですよね。I・T高度金融グローベル社会ですから。繋がられ国境を瞬時に超えるIT金融に税金賭けろ〜と団結されると困ちゃうんですよ。 でもこの状況に抗うためには、今小林さんが提案されたように、皆で協力して何かやろう。ということをここで決める、決まり実施する事が、僕の願いなので参加しました。 僕の勝手な願いなんですけども。そういう場所を提供していただいた、てつがくカフェの先生方には感謝申し上げちゃうしかないです。それを一番最初に言わなければいけなかったんですけども、時間が無いと思ったのですが、ここまで来てあまり発言もないので、時間はまだ、けっこうあるので、ここで言っておきます。どうもありがとうございます。 |
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学生男:サンチャイルドの置き場所、今後どうしたらいいか、というのが、課題になっていたと思うですけども。僕たち学生は福島大学から来ているんですけど。福島大学では松川事件の関連資料室みたいなのが、誰かが起動させて、そういった設置されている。だからあれも福島大学に設置したい 佐藤:市から国に行っちゃうですか 学生男:一案として、 佐藤:それは僕は反対です |
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老人男:、まあ、パブリックスペースにね、こういいう芸術作品を設置する場合の合意形成の話が出てたんですけども。合意形成の場合、まずは作品の意図。意図というものを理解する必要がある。前回も、てつがくカフェでサンチャイルドについて、戦闘服みたいだなーと。あるいは股間に、ああいふうな、あんなの見たくない。あんなのは置いておいては困るよっていうような議論も出てたんですね。 要するに作者の意図を理解しないと。見た感じ、で好き嫌い、というふうになってしまいますから。市民の合意、あるいは、作者と行政が絡む場合、その合意形成の手続きについて、すこし深化しさせる必要があんのかなーと。その場合に基本は作品のモチーフ(注43)というか意図と言うか、願いというものを、ちゃんと理解したうえでの議論が大前提になるのかなーというふうに思いました。 |
(注43)サンチャイルド像のモチーフについて 2011年11月22日 設置記者会見で(大阪万博記念公園)でヤノベさんは語っている。 ちょっと付け加えれば、このサンチャイルドの像は、ある作品をモチーフ(motif・主題・動機・理由)にしています。その作品というのは何だと思いますか。はい分かりませんね。 会場 ははははは ミケランジェロのダビデ像なんですよ。イタリアルネサンスの代表作。イタリアルネサンス、要するに芸術の復興運動。ルネサンスという再生運動ですよね。それはイタリアにペストが蔓延して、イタリア国民が多く国民が大量死してしまった後に生まれた文化的な運動なんですね。 で、再生復活、そういう言葉のルネサンス、まさにピッタリじゃないですか。しかもこのダビデ像ですね。皆さんご存知だと思います。宿敵ゴリアーデに立ち向かうエーゲ海の少年(イスラエル国王の二代目統治者)の巨大な5mほどの大理石の像なんんですねど。巨人、巨大敵に立ち向かって二本足で、今まさに石を投げつけてコリアテを倒そうとする。(巨人コリアテとの戦いに臨み石を投げつけようと狙いを定めている)少年の睨み付けた像ですよね。左斜め上を見て、手には石を投げるための道具を持っているという。 そういう再生復活という芸術運動。そして、巨大な敵に立ち向かう弱者。弱いと思われる者。「そのモチーフが今の時代にまさに降り立つべきものではないか」ということで、芸術の代表的な歴史的な作品を引用しているということです (注44)福島県須賀川市庁舎に登場した ウルトラマンの父像(記事へ) |
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若男:それは誰が、コンセプトなり思いを理解しなければ、結局はサンチャイルドに反対している人でしたかということに成つちゃいますね 老人男:全部 若男:でもそれは、不可能じゃないですかね。合意形成が困難だからじゃどうしようかという話合いなんで。 老人男:要するに、それを出来るだけ広げて行こうといことだけ。 若男:それは大事だと思います。コンセプトを広げていくのは、支持している人がだだ支持だけじゃなくって、こういう思いがあったんだね。サンチャイルドって、こういうふうに作られて来たんだと。というのを何か話してみたり、シェアしてみたり、する。凄く大事な事です 最近何かヤノベさんのユーチュブでサンチャイルドを作っている時に、女性の歌が流れていくる動画がありますよね。あれ凄い癒されるんですよね。あの空気感を何か福島にあったら、いいなーと思うんですよ。 何か反対している人たちは邪魔なのか、と言うと、それもまた違う。やっぱり反対している人も県民だし、何か意見が違うくて、正直僕からみたら、腹立つんですけど。そんなことだけ言っていてもしょうがないしなーというのがあって。だからさっきのように看取るというか、片方は進歩と言っている、片方が対立と言っている、それが、合意形成に役立つんであれば、ということなんです。片方は、相手が言っていることをとにかく吸収していくんです。片方は吸収しない。分断は、ある意味ではポジティブに捉えている。個性として、それで進でいくといことで 老人男:私が言っているのは、要するに作品の意図とか思いというものを、まずは反対する人も理解し合ましょうと。理解し合ったうえでの手続きをどうするかという話であって、そうでないと、作品というのは思いがある。メッセージがあるわけですね。それに対して、そういうメッセージ嫌いだという人は必ず居るわけですよ 若男::そうです 老人男:居るんだけど、そういう人はまた別の表現をしたわけですから、そういう反対の意見とか表現も、拒否されるてしまうわけですね。ちゃんと理解したうえでの議論をやらないということは。 若男::なんていうか僕が思うに、批判も一つの表現であると捉えて、たとえ万博にね反対した人が反博とかやっていたらしい。こないだ千葉に行って丁度千葉の美術館でやっていたですよ。万博の時も万博に反対した、それが反博と言われている 佐藤:目玉男という人もいました 若男:そんなんありました 佐藤:太陽の塔の目玉に住んじゃった人 一週間ぐらい。 若男:色々あるんですね。数えきれないぐらい色々あって。そういうのもありだなとと僕は思います。 老人男:だから先ほど 避難した人たちの慰霊という事も考えたらという 佐藤:鎮魂です 老人男:鎮魂ですね。だから例えばそういう処に鎌倉に大仏がありますけれども、そういう大仏さんを設置するなんて言う事だって、ないわけではない、鎌倉に大仏がある、あれはまあ、仏教的なあれだけど。今は何の問題もない。観光客が一杯来るわけですね。あるいは須賀川にゴジラのあれ(注44)を作った、あんまり反対はない。ゆるキャラに、たいして変わらない話だと思うんですね。だから今サンチャイルドで議論しているわけですけど。もそうじゃなくって、 パブリックスペースに設置する場合に、どういうことを考えて、どういう手続きを確認とうか、もっていったらいいかという話を考えるべきじゃないかとなーと 司会者:僕の理想はですね、こうやて合意を最初から作って、もう一度あそこに置く。あそこに置きたいなー、ということが目的ですね。そういう合意がつくれるか、どうか福島市民の成熟度の問題だろうと思うんですけども。僕は何かそういうふうにしたいなーと思っているんですけど |
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