sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日 ヤノベケンジと福島市民の対話集 01 02 03 04 05 |
2018年 作成 | ||
■ | |||
01 司会:こんにちは。てつがくカフェ@ふくしまです。今日はこんなに大勢の人にお集りいただきまして驚いております。9月にサンチャイルドでアートで、てつがくカフェをやったんですが、本日はヤノベケンジさんがいらっしゃるということで、もう一回同じテーマで語り合いたいと思っています。 NHKの方の取材が入っていて「テレビカメラも入りたい」と申し出がありました。毎回の事ですが取材に関しては、その都度その都度お集りいただいた皆様に撮影もOKか、録音OKか、確認しております。「取材されたら困るな〜、この場に私が居ることがばれたら不都合だ」とか、ありませんでしょうか。大丈夫でしょうか。カメラに写りたくない方がいらっしゃいましたら予めお願いします。一人います、それ以外の方は大丈夫でしょうか、よろしいですか。(ニュース動画は右覧) (初めて参加の方のために対話のルール説明、省略) |
(注意)この記録は佐藤が話し合いの肉声を文字したものです。読みやすいように少し加工もしています。文責は佐藤にある。記録づくりを最優先にしている素人まとめであります。聞き間違えを含めて多数の誤りがあると予想します。連絡方法がないので校正しておりません。そのようなことも含めご容赦ねがいます。 てつがくカフェ@ふくしま ブログへ |
||
9月に、てつがくカフェ@ふくしまをやりまして、その時の簡単な板書を張り出しておきました。サンチャイルドという作品に関して、どういうふうに感じたのか。設置から撤去にかけて「あっ」という間でしたけれども、そういった話とか出ました。これを全部おらさいするつもりはありませんけれども、こんなふうな事があったということです。 「怖い」とか、おっしゃっている方もけっこういらっしゃって。今日この(壁面に貼ってあるサンチャイル大きな写真)「写真が怖い」「無理」と言って帰って行きました。そういう無理という感覚もあるんだなーと。僕は、それは意外に思っているんですけども、そういうふうに感じられる方もいらっしゃると。 |
2018年11月12日福島県内で放送された 下は6分ニュースをYouTubeに 記録を読めば分ることだが、今回のてつがくカフェにて多くの人が語っていた市長の独断設置という認識とその姿勢に対する問題の指摘、批判の声があがっていた。その事にNHKニュースはふれない。市役所記者クラブメーンバーハこうして首長を忖度し合うのだろうか。それが分かるニュースの実例でもある |
||
それから、寄贈する時にアート、世界のクリエーターが集まって、アートとか文化とかを考える基地を作る、その事とセットで1/1を寄贈するんだ、という話をされています。文化発信基地とセットにすることが条件で寄贈されている、という事。美術館・博物館が飛んでしまって、何か解らない間を通して福島市に単に像だけが(寄贈の)GOG寄贈後の1年半後、に突然(こむこむに)出現した訳です。その辺の経過を調べても分からないのです。福島市にサンチャイルド像設置に至るまでの経緯を、最初に説明して頂けると助かるんで、よろしくお願いします。 |
(注)サンチャイルド像は3体作られている。最初につくられたイチチャイルドが寄贈された。そのとき 2016年11月17日1ほぼの対話録出来ています。興味のある方は連絡ください |
||
けれど、今回の皆さんを始め、こういう会を設定して頂いて、僕が、堂々とここに来て話に応えるという機会を設定させてもらって、とても感謝しています。これだけの多くの人に集まって頂けたことも嬉しく思っております。 なので、本当に今、言われたように疑問とか、全て僕がお答え出来る範囲でお答えしますので、忌憚なき意見もどんどん言っていただいて。僕自身もきちっと把握して、僕自身も出来る事、あるいは・・・・含めて、答えを見つける切っ掛けにさしていただければと思っております。 ■経緯について 今の質問で、まずGOGギャラリーで。僕自身は2010年に、(東日本大震災)震災前に県立美術館で展覧会をしてから。(注1)福島の人との関係がうまれて。震災後も何かお手伝いすることが出来ればという事で、(福島現代美術)ビエンナーレ(注2)にずっと長い間、関わらせて頂いて。 で、GOGの活動も。「福島から(文化発信)送り出しませんか」という事で、進めさせていただき。そのプロセスを、福島で2016年の展覧会(注)ではさせていただいて。 (絵:2016年11月18日GOGサイトより 左から 理事長 荒木学芸員 ヤノベ氏 赤坂氏) その中で「何か作品を寄贈してもらいないか」ということで。模型、一番最初につくったサンチャイルドの模型を寄贈する話にもなり。(対話内容は文字化終了してます) そもそも基金の理事長(以下基金)しぜんエネルギーの基金さんや赤坂(博物館長)や会津の博物館で働いている方々の「福島から文化を発信する」という、活動自体は非常にリスペクトしてて「何かお手伝い出来ないか」という思いもあったので。で「一分の一を寄贈します、もしよろしければ、模型は寄贈します、もしよろしければ、一分の一もお役に立てれば」という話はしてて。その時点で美術館博物館に必ずという約束は、それはしていないんですよね。それは 佐藤:(博物館・美術館へ)それは約束していませんけれどもヤノベさんの希望としては博物館か美術館がいいなーといということでした。 ヤノベ:まあ、まあ、それも可能性の一つですけれど。別に他のケースというもの考えていたというのは、博物館・美術館じゃなくって。要するに、近年、地域アートプロジェクトというのは多く。福島でもそういう発信が、「福島から出来る発信が出来きないか」という活動は基金さんも赤坂さんも他の方もされていて。 まあ、ひいては市長含めて、そういう僕の作品を、ただ見せるだけじゃなくって、広い意味でたくさんの人たちから、そういう人が集まって、発信できる場を創りたいという構想自体にも理解をして、お役に立てればという話はしたと。 佐藤:寄贈話、その時には福島市長は関わっていないと思うのですが ヤノベ:ないです、(関わって)ないです。まったくないです。で、福島市長の件に関して言えば、今年(2018年)の1月に基金さん、(しぜんエネルギー)基金の方が福島市長にお会いして(注4)「こういう作品を2年前に寄贈を受けた」そして「何かお役に立つことはできないか」と(基金が福島市長に)お話をされた時に、市長が。木幡さんは以前、岡山県の副知事やっていた頃にも大原美術館でサンチャイルドを観られていたり。あるいは、香川県の小豆島のプロじェクト(注5)の作品を観られていた事もあって。「この作品を福島でいい形で落とし込めれば」という思いがあって。その一つに「文化的な発信が出来る切っ掛けになればいいな」という思いもあったんで、。そこから8月3日(除幕式)。 佐藤:「自然エネルギー基金に寄贈された像がなぜ、福島市に移動しているのか」というのが分からないんです(注6)。そこの処を説明していただけると、助かるんです。ヤノベさんも分からないですか。 ヤノベ:いえいえ。市長が非常に乗り気で、市長は「やっぱり(福島)市から作品を世界に伝えた」という思いがあったというのが。基金さんが市長と話されてから、すぐに、連絡いただいて、「それならサンチャイルドという作品が大きく役に立ていただけるのかなー」っていう期待はもちろんありました 佐藤:「福島市長の強いアプローチがあったので、そうなったと」いうことで解釈していいですか ヤノベ:そうです ■文化発信基地とセットについて 佐藤:それから文化発信基地とセットでという話がGOGではあったのですけど、それが無くなってしまった理由をおきかせください。 ヤノベ:文化発信基地という構想はそれまでもずーっと持たれていました。幾つかの案件があったのが、なかなか実現しなかった、ということもあって。まあそれは僕も見ていて、なかなか上手くいかない。 佐藤:(文化発信基地づくりは)たいへんだと。 ヤノベ:今回、市長の話が出た時に「それならば、市も含めて、その(福島)市からそういう発信基地のような形も、プロジェクトに繋がればいいのではないか」という構想もあって。そういう構想の中の切っ掛けとして役に立ててもらえる事が出来れば、という思いがあって、動き出したということです(注7) 佐藤:ありがとうございました。時間がないということで自己紹介しませんでしたがよろしいでしょうか。ありがとうございました。 |
絵:NHKニュースより (注1)福島県立美術館HPより 胸さわぎの夏休み イチハラ×やなぎ×ヤノベ×小沢=∞、美術館で熱くなれ! 会期:2010年7月17日-8月29日
アートは現代社会とどのように関わっていけるのだろうか。この展覧会では、時代を見据えながらその中でどうしたら生きていくことができるのか、この時代に生きるということはどういうことなのか、創作活動を通じて思考を積み重ねてきた4人の作家たちの活動を紹介した。 今を生きる女性の本音を言葉にしてきたイチハラヒロコ(1963- )、老い、ジェンダーをテーマにCGを用いた写真や映像作品を制作するやなぎみわ(1967- )、豊かな想像力と確かな技術で奇想天外な機械彫刻を作るヤノベケンジ(1965- )、人々との関係性を築きながら様々なプロジェクトを展開する小沢剛(1965- )。 展覧会場を訪れた人たちは、各々の作品が持つそうした磁力のようなものに、ざわざわとした胸さわぎを感じたに違いない。 (注2)福島県現代美術ビエンナーレ HPへ (注3)GOG ギャラリー・オフ・グリッド ふくしま自然エネルギー基金が運営する (注4)基金長が、2018年が福島首長へ新年の挨拶したときの様が語られました。聞き取り録あります知りたいかたは口頭で聞いてきてください (サンチャイルドに係わる、いわゆるサンチャイルドに係わる、フクシマ福島文化ムラ面子と連携の様が歴然とします) (注5)瀬戸内国際芸術祭 (注6)サンチャイルドは、たらい回し寄贈に遭ってしまったのかな。自然エネルギー基金へ寄贈、次に未来研究会へ寄贈、そこから福島市へ寄贈された。(注4参照) (注7)東京電力福島第一発電所の事故が世界に発信されたように、サンチャイルド撤去事件も世界へニュース配信された。マイナスイメージから始まった文化基地づくり、そうと捉えてもいいだろうか。市民が自らプラスイメージに変えた実例として、世界に再発信できるのか?、福島市民の能力と今後の行動にかかっている |
||
司会:ヤノベさんがいらっしゃっているから、ご本人に聞きたいことがあるかと思いますけども、そういう会ではないんですけれども、 佐藤:事実確認だけでもしておきたかったので、ありがとうございました。 司会:作品そのものについてもそうですし、それからこの間の経緯とか、美術品、作品がああいう形で設置されて「あっ!」という間に撤去される。撤去という言葉も気に入らないんですけども。撤去されてしまったという事は非常に大きな問題だと思ってですね。どっちの問題に関しても、ご自由にご意見、ございきましたら。ヤノベさんから何かお聞きになりたいことがあったら、どうでしょうか |
|||
司会:はいどいぞ 佐藤:みなさん喋らないなら、僕がまた聞きます。ヤノベさんがアトムスーツを着る時に、自分が人間じゃなくって、違う世界から降りて来たというか、神様になったというか。解体されるエキスポタワーの前で、それを着ながら答えられています。(注8)。 あれはどういう意味ですか。妄想であるのか、それとも本当にそう思っているのか、そう思いたいのか。その辺りの、自分がアトムスーツを着るという事は、リアルな世界と、私たちの生きている世界と、どういう関係にあるのか、教えていただければと思います。 ヤノベ:ちょっと補足すれば、アトムスーツというのは1997年に僕が自分で作った放射線を感知する服を着て、チェルノブイリの立ち入り禁止区域に行くプロジェクトがあったんですね。 で、ちょっと話が長くなってしまうんですけど。 その時に着ていたのがアトムスーツというものなんです。なぜそのプロジェクトに至ったかという事を含めて言うとまた話が長くなるんですけど。 僕はその作品を作り、初めてデビューしたのは1990年で。91年に起こった美浜原発の小さな事故(注9)を切っ掛けに、体を防護する、鉛に覆われた鎧みたいなものを作り始めて。そういう社会的なテーマを扱うようになって。社会的なテーマを扱う中で美術作品として、美術館に提示していた経緯があったんです。 ■新しい皮膚のようなイメージ 1995年の阪神淡路大震災(注10)と地下鉄サリン事件(注11)が起こって「現実に起こってる事に対して、何も美術の中では応えられえないなー」という思いがあって。そこから現実に踏み出すような。自分の作品の中で絡み出して。 実際「チェルノブイリという場所に行くことで、何か見つけることが出来るんじゃないか」と。それはちょっと、大阪万博の話とも繋がるんですけど。(語りきろくへ) そこで、実際に内部被曝しないために、体をシールドされた、潜水服のような服装と、体中にガイガーミラーカンを装置した服装を作って。許可を取って、立ち入り禁止区域内に入って。誰も住まなくなった廃墟ですね、それを「未来の廃墟」という意味をもって立ち入った。というのが1997年に行ったアトムスーツ・プロジェクト。佐藤さんはその話をされていて。 で、やっぱり、アーテストが表現する時に、日本は核爆弾を落とされたいうことも含めた、「自分のアイデンティティと世界の歴史の中で、もっと俯瞰した眼差しで表現をしないといけない」という意味で。個人的な事もあるんだけど。多くの人が、その作品を追体験できるように、俯瞰した視点を持ってもらうために、神になっていう言葉はたぶん使ってないと思うんですけど。 佐藤:使っていませんね ヤノベ:時間旅行をしたり、あるいは宇宙から地球を観る眼差しで、出来事を観たり、体験したりする。という事を感じて欲しい、という思いで作って行ったのがスーツプロジェクトというものです。 佐藤:ありがとうございました ヤノベ:かなりマニアックな話 佐藤:アトムスーツの事が分からないと黄色いサンチャイルドの防護服が嫌だという事に応えられないので。確認しておきました ヤノベ:まあ、そうですね。 その時に着ていた服が黄色い色をした鉄腕アトムのような角を付けていて。体中に、胸とか、よく言われるんですけど股間の部分とか、目玉とか、ある種、放射線が通過する事を、感知することがすぐ分る、脆弱な機関の上にガイガミラーカンを設置して、その通過した回数が胸のカウンターがカウントをしていく。非常にアナログな構造をもった、放射線感知服という、要するに目に見えない、痛くも感じないものを感知させる、新しい皮膚のような作品のイメージで。 1997年に制作して、実際それを事故11年後のチェルノブイリに着て行ったということです。立ち入り禁止区域内に自主帰還していた人々に出会ってしまった。そのプロジェクトで体験した事で。 そこに自分自身は、やっぱり衝撃を受けて、自分の表現行為が人を傷つけたり、それを利用するような形になってしまったんじゃないかと。ショックを受けて。その記憶を廃棄しないといけないんじゃないか、というのが、その責任をずーっと背負い込まないといけないじゃないか、と思い続けて、1997年以降は作品を作っていて。 やっぱり当然、そういう(作品を作り出した思いと)状況ってなかなか、日本では分ってもらえなかった。だけど、それでもやっていって。今回(東日本大)震災と原発事故が日本で起こってしまった事にも衝撃を受けて。 ■今起きていることは福島だけのことじゃない 多くの人は「(福島に)じゃーアトムスーツ着て行かないんですか」と言われたときに 僕は「それは行く事はできない」という葛藤もありながら。 それでも、今起きている問題というのは、ここ福島の事だけとか、日本の事だけとかじゃなく、チェルノブイリの時に感じた、これは地球全体が責任を背負い込まないといけない出来事が起きているという事に向き合い、希望を持てるようなものを、今、何か表現しないといけないじゃないかーと。まあ搾り出すような気持ちで作ったのがサンチャイルドで。この作品は2011年に、そういう思いで制作をした作品なんですね。 本当に、日本の全ての人の心が折れそうで、僕自身も当初は「何つくっていいのか分からない」という時に。その時に福島にでも来させていただいて、ワークショップの手伝いとか(注12:欄下の動画参照)、大学の方とか、美術館の方々が(参加されて) 2010年にたまたま展覧会をやっていたから(福島県立美術館と)何とかつなぐことが出来て。そういう活動をしながら、2011年に起こった出来事を前向きに転化できる作品を何と作りたいという思いもあって。別に誰に頼まれたわけでもなく、作品を京都の学生たちと一緒に話し合いながら造った、というのがこの作品(サンチャイルド ) です。 02へ続く |
(注8)動画「ヤノベケンジEXPO'03 誇大妄想の都へ 1/4 」より ナレーション:ヤノベさんが手がける、作品の一つが、ガイガーカウンターを体中に埋め込んだ、放射線感知服。アトムスーツです。これから、このスーツに身を包んで、未来の廃墟を探索します。 ヤノベ;着るとやっぱり、自分が違う存在になったような感じ。アトムスーツというのは僕が着ているんだけど、自分のプロジェクトの中では、何か遠い所から地球を見ていると、遠い所から人間がやって来た事を凄く客観的に冷静な目で淡々と見ている存在。そういう処に置ききたいんですかね。 (注9)1991(平成3)年2月9日、関西電力(株)美浜発電所2号機で、蒸気発生器の伝熱管の1本が破断したため美浜発電所2号機事故について電事連サイトの説明 (注10)阪神淡路大震災。1995年(平成7年)1月17日に兵庫県南部地震による大規模地震災害。日本列島が地震活動期に入ったことを知らせることになる。活動期は50年ほど続くと歴史的資料をもとに語られ、2011年3月11日東日本大震災が起き、南海トラフ地震なども予想されている (注11)地下鉄サリン事件 1995年3月20日 オウム真理教によって都営地下鉄の運転中の車両に神経ガス・サリンが散布され、死者と含む多数の被害者が出た。 (注12)福島県立美術館で2011年8月28日(日)に開催されたワークショップ「トらやんの空飛ぶ方舟大作戦!」 |
||
■ |
|||
02へ続く | |||
■ | |||