sunchild てつがくカフェ@ふくしま 2018年11月10日  
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2018年 作成 
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叩き易いから叩いたの

 男:表現の委縮が生まれる背景ですね。前回、「原発を廃止をしろという話よりも先にサンチャイルドを先に廃止しろという、何かとばっちりのような状況が生まれてしまった」という話が出ましたけれども。(注31)

 現在でも人々は叩き易い、本当の重要なものを叩かないで、叩きやすい相手に群がる傾向がある。
 例えば、例えば政府の役人が不正をしたたことよりも、ボクシング協会の会長が不正ほうを叩いたり。あと、自然災害なのに叩く相手が明確にないときは不謹慎なCMを自粛しろとか、そういう間違った方向を叩いたり。

 となるとやはり、叩き易い相手がいるから、叩いているのであって、明確に何が一番叩かなければのかというのを、人々はちゃんと考えていないじゃないかなー。だからヤノベさんがとばっちりを受けてしまうんじゃないかなーと思いますね。
2018年6月15日福島民報記事より

(注31)福島原発全基廃炉 全59市町村が議決
設置場所は適切だった

女1:
政治の話とかは全然おさらいしていなくって、あんまりそういう細かい話は出来ないんですけど・・。
 私はこむこむの前の道は通勤路なんで。出来たときに、私はあまりニュース見ないから、何事かなーと思っていたんです。私はあそこの場所に置くのは適切だなーと思っていて。
 というのは、これが置かれて、否定されちゃった後で、県立美術館の常設展に行った時に、ヤノベさんのお船の模型とミニチュア模型(注32)ちゃんと飾ってあって。これがどうしてここに有るのか?とか、この作品の文脈はいったいどういうもので、(解説のような)絵本がちゃんとあるので(注33)。その絵本の見るようになっていたし、キャラクターの・・書かれていて。県立美術館がこれを・・として使っているし「決して震災の気持ちとかをいたずらに揺さぶろうとしたわけではない」という事を、そういう載っいる作品をきちんと表現している感じましたし。
 そこで、この作品が、福島の未来の子供たちとか、未来を担っていく人々のためにっていう文脈の中で、達成されたものであるということは分ったので。こむこむは子供達は、さっき本人が市長とか、おっしゃってというふうな・・ おっしゃっていたのもありましたけど。こむこむに置くっていう事がそんなに間違った話ではない、というのは私は考えてました

 ぜんぜ話の流れの中で、・・・私アートが好きなんです。その中でしか話せないんで、ごめんなさい。別の話が出来ません。

 ヤノベさんの作品に関して、福島に来てくれるっと分かった時に凄く嬉しくって。というのは、ヤノベさんの作品、ちょっと見たの前なんで、場所を間違ったら済みません。大阪の現代美術館とか、あとは、金沢21(世紀)美術館とかに、確か置かれていたと思います(注38)。現代アートの中で凄く・・・・作品が、福島の混乱・・・・・ 前に置いてもらったら、これを観に来る人はきっと居るし。これで町おこし的なのをするっていうのは凄い、と思うし。こんなすごい人(ヤノベケンジ)が作品を寄贈しくれたんで、凄いと思うんですね。
 これを、ここに置いた事によって、アートがアートであるということ以外に、色んな事を引き起こしてしまい。幸せな別な流れを生きていて、事故から7年経ってですね。私は震災当時はここ(福島市)にいなくって。あとから引っ越して来て、仕事とかなんですけど。戻って来ました。
 なので、(3・11)最初の事がよく分らない状況です。ただ皆の記憶の中では私が思っているよりは「ずーっと、そういう強い思いがあったんだ」っていう事を7年目にして・・・気もしましたし。
 あるいは、作品なんだから、敬意をもつべきだと思っています。なので、合わないんだからすぐ撤去するとかしないで。・・・置くときも先ほど行政の話しとか、すり合わせが足りなかったんじゃないか、という話ですが。私はそれを初耳と「ああそんな事があったんだ」と思った。
 ・・ アートの事とか・・・知らぬ間に単に置いちゃった。福島の人々はヤノベさんという作家がどういうものなのかよく分からないかも知れない。町中にアートが在るということが、どういう事なのかを考える切っ掛けを与えられていない、福島では。そんなふうにここ一連の言葉を観ていて、福島ではちょっと、こう言っては乱暴なんですけど、成熟度が足りていない。乱暴なんですけど、そんなふうに思いました。もっと敬意をもって接するべきなんだと。

司会
:敬意がなかったかなと。カメラNGでしたね。
女:そうです

女:ごめんなさいちょっと訂正です。市民の成熟度が足らないじゃないかという事ですが暴論かと。もうちょっと正確に気持ちを言うと、ただ置くんじゃなくって、あの作品がどういう来歴なのか、どういう文脈の中にあるか。あとヤノベさんという人はどういう事で・・・・みんなに、あの作品の良さとか、中には確か、掲示されていた気はしたんです。もっと見える所にちゃんと置いて。皆に分かるように、してやならければ。私が見たときはヤノベさんと分りましたけど。他の人はたぶん興味が無いって、いうか、(反対した方々は)知らない人だったのかなー。

司会:今日みなさんにお配りした裏表の、柱があって、柱のこのあたりにちっちゃく貼ってあった。それはしばらくしてから、こっちになったと。今日の説明としては。


(注32)県美2011年WS作品
 「トらやんの方舟プロジェクト」が始動して4ヶ月がたとうとしています。お陰様で100人以上の方々にご参加いただき、ラッキードラゴン船はみなさんの想いでいっぱいになっています。


(注33)トらやんの大冒険の話か?





(注38)2004年10月から半年に渡る、金沢21世紀美術館における滞在制作。「子供都市計画



美術出版社『ヤノベケンジ:ドキュメント子供都市計画』より



 2018年夏 記念撮影をする中学生

原子力災害の気持ち薄れてない人々がいる その事に驚いた

女2
:先ほどの方と意見と、少し被るんですけど。設置されたのは確か8月3日。それでこの(配布資料の)裏に書いてありますけど、9月17日までに撤去するということで、1ヶ月ぐらいしか置いてないわけです。置いてすぐにやめるだ何だ、撤去しろという声が上がっている事に対して、私もちょっと、まだ震災が起きてから、7年経っても、市民というか、福島市の心の中ではそういう、原子力災害に対する、過敏反応というか、そういう事、気持ちが、まだ薄れてなかったんだなーという事に、感心というか、驚きを持っていて。

 同時に一か月で撤去、スピード感にちょっと驚いていて「撤去するにしても早すぎるなー」と思っています。もうちょっと「しばらく置いててもよかったんじゃないかな」と、私は思っていて。しばらく置いておけば風景になじんで来たんじゃないかなー。慣れるじゃないけど。災害から見た作品というか、そういうのに関連する作品なのに、そう簡単にいく事ではないと思うですけど。
 もうちょっと、ちゃんと、しばらく置いて、皆の意見をちゃんと聞いた方がよかったのではないかなーと。それに私はこの作品が好きというか、希望にあふれるような作品、印象としてはありました。以上です。

県立美術館の目玉作品 ラッキードラゴンを観、熟議せよ

K氏:そちらの佐藤さんも「これからどういうふうに・・・」今後、蒔いた種を、継続的に、福島市の中で、再設置するにしてもどう議論を巻き起こしていくか、市民感情を表明する前に、というような事だろうと思うんです。
 で、家内などと話してみると、、いつの間にかサンチャイルド像が出現して、いつの間にか消えていく。そのような思いが、もしかすると、市民の大半の印象でないかなーと。私らは関心持っていたから、鵜の目鷹の目で観ていましたけれども。あれあれあれという間に無くなってしまって。それが果たして福島市にとっていい事なのか、と思うんですね。

 行ったり来たりしますけれども。県立美術館の学芸員の方にも、「その問題では、どう思いますか」と。つまりヤノベさんの前のベンシャーンの企画展等を仕掛けて、で全国巡回展をやった時に「あれはどういう評をもっていたのか」も、色々そこで教えていただいたり。その流れの中でヤノベさんが福島立美術館の常設展の中で、ベンシャーンの作品があって、ラッキードラゴンがある。そういう文脈。
 でもその事ってほとんどの市民は、分かんないと思う。分かんない事はけっして悪い事じゃないんです。むしろそういう処から焚き起こして。何で(ラッキードラゴンが県美術館の目玉作品なの)福島を、もう一回やっていかないと、いけないんじゃないかと思うんですね。
 で、この話を取材した時に、美術館の学芸員の方が、美術館で観るサンチャイルドと外でパブリックアートとして見る場合と、サンチャイルドはおのずと受け止められ方が違って当たり前。だからその事も踏まえて、(こむこむに設置前に)きちんと庁内回し、一番最初に伝えましたけれども。(県美で作品を観て)そういう処でイマジネーションを膨らまして。もしかしてはハレーションが起きるかも知れないという事を、(除幕式まで)6か月間あるんだから。そこで、市役所人たちは熟議をする。それが無いまま来ちゃった事も、あるんだというふうに、私は印象をもっています

復興とは逆の福島の姿を示してしまった

福島外から来た男:僕は今住んでいる場所は福島ではないくって。違う所から、今日来たんです。復興という形を考えていて。原子力に関する、議論というのが、自由に出来るような、環境に成るのが、復興の一つの形なんじゃないかなーというふうに考えていました。
 今回、ちょっと、こむこむにサンチャイルドの設置という情報が残念ながら、僕の住んでいる所にはなかなか届くことがなくって。フェースブックでサンチャイルドが撤去されるという情報だけが、僕の所には入って来て。どうして撤去されたという処がよく分からないまま、あれよあれよという間に撤去されてしまったんですね。
 僕も事情は詳しく全然知らなくって、ここにも書いてあるんですけど、設置をめぐって、賛否が分かれている事から、設置を続けることが困難(注34)。賛否を議論することも無く、議論するのか何だか嫌なんだから撤去してしまうというのは、なんだか、(サンチャイルド像)その話をしちゃいけないのか(注35)というのが。そういう印象を受けてしまって。
 なかなか原子力災害、人によって凄く差があるので、議論しにくい問題だと。それはあると思うのです。こういった問題が、分け隔てなくみなさん平等に議論できるような、そういった形が出来ると、本当に復興に近づいてるんじゃないかなーと思って。
 直ぐに撤去されてしまった事が、凄く僕は残念だなーと。撤去された。設置した場所が、そういった問題だとか、色々あると思うんです。
 撤去されてしまったことが、なんだか福島にとっては、復興とは逆の、後ろ向きに後退してしまったじゃないのかなーというのを全国に示してしまったんじゃないかなーと。僕は遠く離れた場所から感じていまいました、感想でした


(注34)市長による撤去会見録作成途中
サンチャイルド像設置意図)
 その結果、災害の教訓の継承、勇気や元気を与えるなどの観点から、継続設置の声がある一方で、風評への懸念、作品への違和感、設置する場所の問題などを設置に反対する声も多く、このように、賛否が分かれる作品を復興の象徴としてこのまま市民の皆様の前に設置し続ける事は困難と判断いたしました。今後出来るだけ早く展示を取りやめたうえで、その取り扱いを検討してまいります

 2018年8月28日会見動画

(注35)知人の元県庁マンは「あんたの、サンチャイルド投稿にはフェースブックでもいいねは押せないんだよね」とメールで伝えて来ました

アート界にとって未来や子供という言語は機能してるの

佐藤:w先生にお伺いします。アーティストというのは未来の子供、政治家も使いますけれども、未来子供たちというマジックワードを使いますよね。一種の責任逃れの言葉で使うべきでないと思います。僕は311が起きて原発事故が起きて「未来という言葉はあそこで死んだ、使ってはいけない言葉だ」と思っているんです。子供とか未来という(語彙・言葉)は、アーティストにとって、凄く都合がいい言葉のように聞こえる(責任回避の言葉)んです。アーテスト達は子供、そういう議論はなされたことはあるんでしょうか。

w先生アーティストは基本的に、子供を使わないですよね。
佐藤:今回は特殊ですか

■福島県の中学生の教科書掲載されている

W先生:逆に、特殊だと思います。子供に向けて、アートを作っているのではない。それが圧倒的に多いんだと思うです。社会に問いかけたときに、その作品が子供に向けられることはあると思うんです。
 で今までの議論で僕は面白いなーと思って、ずーっと聞いてたのは、実は島県の中学生のみんな使っている教科書に、サンチャイルド出ているんですよ!(注38)

佐藤:あそうですか、知らなかったです

W先生:それなに、それにも関わらず、子供たちの(教科書の)問題を広げないで。なぜ付属中学校のね(教科書)使っているものとかも。日本文教出版という会社が作っている教科書が、ほとんど、支配しているですけども。教科書、ここで書かれているのは「東日本大震災後に希望のモニュメントとして、制作された」と書いています。で、これは、圧倒的多数の子供たちが見ている教科書ですよ。
 でもその子供たちに向けた教科書の問題をみんなスルーしてですね、これはいったい何のために。これは、凄い面白いことだなと思いますねー


 (福島県内の中学校の教科書に掲載されている。サンチャイルド)

 あともう一つ、子供に向けては分らない。私のもし自分が子供だったら、今あんまり駅に行きたいくないんですよね。というのはあの、ちっちゃい古関裕而像、恐いんですよ凄く(注36)。あの古関裕而に夜会うと思うと怖いので、なるべく見ないように通ります。だからその(古関裕而像、撤去せよの)声をあげたら撤去するのかなと。
 僕は、ここはそこに何の意図があって、設置されたのか、といういう背景が分かるから。これは哲学の問題だと思うんですけども、好きとか嫌いとか、そういう感情的な問題だけではなくって、なぜそこに在るのか、という価値も学ぶ事はとっても大事なことなんで。それがサンチャイルドは子供に向けて、語られる、ということを問題にしたい。(サンチャイルドが)でも子供に向けて作られたものだと、いうふうには思っていない。
   
■ヤノベさん自身の子供に向けてアトムスーツなの

 ただ、ヤノベさんにもう一つ、お聞きしたいなーと思っていたのは、チェルノブイリに以降のね、ヤノベさんの作品から想像するのに、ヤノベさんお子さんができて、いますよね。ご自身の子供に向けて、つくられたアトムスーツというのがもう一つあるんじゃないかなと思うんですかど。その辺の前後関係ってどうなんですか。アトムスーツが出来た時期とか。子供さんがヤノベさんにいらっしゃって。それとの兼ね合いって、あったんじゃないか、と思うんですけど。放射線問題に関し。ごめんなさい、私いただいた質問に関してじゃなくって。

佐藤:ああいいです、いいです

W先生:ご自身の子供に向けてね、語るというテーマがあったんじゃなかなーと 

(注36)福島駅東口の古関裕而像
毎夜18時に古関作長崎の鐘の曲がながれる。
 



 映画長崎の鐘
 作詞サトウハチロー
 作曲 古関裕而


YouTube書き込みより 
『長崎の鐘』は、永井隆が執筆した随筆。1949年1月に出版され、紙不足の当時としては空前のベストセラーとなった。同書をモチーフとした歌謡曲はヒット。さらに松竹により映画化され、版を重ねることになった。

(注38) 日本文教出版
『美術2・3下ー美の探求』 
平成28年〜30年まで福島県内全ての中学校で教科書として使用されている(県立図書館の司書から聞く。株式会社福島県教科書用図書販売所でも「福島県は全て日分の教科書を使っている」と聞く。



自身のサバイバルから家族のサバイバルへ

ヤノベ:もちろん原子力災害、配偶者の問題だと思うので。自分の世代では処理できない事は当然、誰でも分かっている事だと思います。僕は、一時、だから、自分の作品をサバイバルと言うてる時に、自分が生き残るために、という前提で作っていた時期があったけど。
 2000年に子供が生まれて、それを観た時に、新しい世紀が始まろうという時に。やはり世紀末思想の中で世界の終わりを行って、ずーっと生き続けて行く子供たちに向けて作品を、進歩しなければいけないという。そういう思いがあって、そこで、立ち上がる子供とか。それもチェルノブイに行った時の体験が元になって作っているんです。そういうシリーズが始まったというのは事実で。
 2004年に防護服を着たトらやんという作品を完了するんです。その時も自分の子供に、祖父が語り掛けるという、そういう作品を作っていたり。実際プライベートな事が。何かに繋がるっていう、形の作品に進歩していったというのがあって。
 で、今回、2011年に作ったサンチャイルドも、その前に作った小さな子供に語り掛ける物語も。子供に伝えたいという事もあるんですけども、やはり、それを大人が観る事によって、世の中が変わっていけばいいなーと、そういう願いかも知れない。子供のため、未来のためというのは当然なんだけど、やはりそれを変えていくのは、今の大人たちだ、というスタンスで作ろうということはあります。


サンチャイルドが生まれる切っ掛けとなった写真(webより)背後の太陽の絵に注目

■反対 SNS内でおきた エコーチェンバー現象

大学生男01:福島の大学生、今年から大学に来たんですけど。今回学校の掲示板で観て、ここで話聞いて、設置に関して悪い面もあるのだなーと。作品に関して思って。だから、意見は多様だと思うので。結果としては撤去じゃなくって今後、どういうふうにしていくべきなのか。設置の段階で返上するという事が、どうして見えなかったのかなーと。そういう事を明確かしていく事が大事なのかなーと。何が問題だったんだろう。もうちょっとはっきりさせた方がいいのかなーと思うんです。そういう意見ももうちょっと聞きたいなーと。

K氏:8月3日に設置されて、それから1週間ぐらいは割と、穏やかな、というか、あまり異論反論というのも少なくって。沸騰して来たのは6日後、もうちょって経ってからかなー。・・出て来て、最初にそれを新聞で取り上げたのは河北新報です。
 で、どちらかと言うと、これは私の印象の域をでないですけども。地元の人というよりは、地元の人は「昔を思い出して嫌だ」というふうなツイッターや書き込みぽこっと出た、それを恐る恐る書いていた。
 それに対して、そこに居る・・の人たち。大阪大学の先生とか、そういう人たちがまたポロポロポロと出て来たんです。でそれに勢いがついて、相乗効果でもって非常に拡大再生産がされていったような印象。そこに郡山市に住んでいる、フリーライターの方が書いて。あとは浜通りで創作活動をしている漫画家の方もちょろちょろと入って来て。(注37)で、不思議に開沼さんあたりは今回まったくそれには参加せず。一方でご常連が出来て来ない。
 でなおかつ、地元メディアを観ると、福島を貶めるなという論調ですね。抱えがちだった地元紙は・・・でどちらかと言うと、私は本当に印象のレベルなんですけど、ソーシャル・ネットワークサービズの内でこのサンチャイルド騒動というのが非常に増幅して来た。(注37)
 で、地元市民はどうなのかなー。もちろん「嫌」と言う人はたくさん居ましたし。で私なんかも、あそこの前に居ると、私のよく知っているお婆ちゃんが来て、「最初は嫌だったんだけど、子供が足下で戯れているのと見ると、これもあってもいいのかもねー」という声もあったんです。
 美術館の学芸員の方がおっしゃられるように、野外モニュメントとは好きも嫌いも、あって当たり前なんで。そん中にあって公共アートなのよって。その通りだと思うんです。不快感をもよおす人が居るから、じゃーなくそうか、という話は非常に暴論だと思うので。じゃ〜何でそれが不快なんですか、っと聞くと無視しされちゃう。みんなで議論をするような、本当はあれを置いたところで議論があると、もっともっともっとよかった。

佐藤:小林んさの話に補足していいでしょうか、僕だけしゃべっていてもなんですけども。
k氏:どうぞ。
 発言多すぎる佐藤、司会者からスルーされる

















(注37)SNSの中で盛り上がる、吹き出す現象はエコーチェンバー現象と言われている。以下Wikipediaより
エコーチェンバー現象
(エコーチェンバーげんしょう、Echo chamber)とは、自分Wikipediaよりと同じ意見があらゆる方向から返ってくるような閉じたコミュニティで、同じ意見の人々とのコミュニケーションを繰り返すことによって、自分の意見が増幅・強化される現象。





学生男4:子供たちの教育じゃないんですけど、記憶に残すみたいな意見が多かったと思うんです。僕が聞いた意見は。、あれを見て、放射線だとかを、県外の人たちがイメージしちゃう。例えば、せっかくお米だとかも、安全ですよということを伝えているのに、そこで、もう一回イメージしちゃうという事が問題なのかなーというふうには思ったんですけど。そこらへんちょっと。

学生男5:僕もそんなふうに思っていて。何か、これの問題があったとする問題は、営利的な目的で設置されたのではないかと、凄い思っていて。設置した人が誰かと分らないですけれども。直ぐに撤去された事なんかも。マイナスのイメージが付く事を恐れて、撤去してしまったかのようにしか。僕もそうなんです、そのようにしか思えないので、それに問題が営利的なことを関考えて設置した人は、考えたのではなかなーと。なんなく思いました。
福島の原子力災害の状況を的確にアートが表現してしまった

大熊町男:僕は中の話はあんまり聞こえなかったので。もしかしたらズレているかも知れません。大熊町から来た者で会津若松で暮らしています。ヤノベさんとは・・・何か今後どうして行くかというのは・・・・放射線がイメージしてしまう。じゃーモニタリングポストはそうなのか、ここに放射線が有るのはどうなんだ。たぶんその話って永久に終わらないとは思うんです。でも考えなきゃいけない
 そうなった時に、僕は昨日ここに来るまで考えていたのは、ヤノベさんって、1965年生まれなんですね。丁度お生まれになった時に万博のテーマが進歩と調和と決まった年でした。で岡本太郎さん・・・あれだよ、とうことで、僕がサンチャイルドを見た時に、福島はこうだったと、的確に表現しちゃたから。それを見た人たちの一部が、拒否反応を起こしちゃったというのは、あり得るかなーと、ちょっと思った。僕は大賛成なんです、サンチャイルド
 だからどうするかと言うと、岡本太郎さんやらなかった、進歩と調和の方にヤノベさんが挑戦してみるのはどうなんだろう。それ何か面白いんじゃないか。
 つまり、批判をしっかり聞いて、福島市にもう一回どうですかと。聞いたものをもう一回作るわけですね。新しいサンチャイルドを作って、それをどうですかと言って全然、 黄色いけな、じゃー緑にしよう。とにかく次々次々にぜんぶ言うことを進歩と調和を完全に目指してみる。これは面白いかなーと思うんですけど。みんな次々と変わっていく
佐藤:さすがAI世代、
大熊男:意見が来た時に制作に掛かる。ごめんねということで、1年間とか2年間にわたって。
 もう一方ではサンチャイルドお仕舞って、あれはあれで募集を掛けて、どこか県外で、もらってくれる人が居れば、よろしくねーっという事で。そっちはそっちで、オリジナル・サンチャイルド、そっちはそっちでやります。だた押し付けたではあれだから、県外の山々、自然をいかした、例えば飯館村に行くんであれば、マウンテンルーフみたいな新しく作っちゃう。・・・ スキャットと言えば近代とのぶつかり合いだけど。自然の・・あってもいいのかなーと。特撮って近代現代の感じがするけど。もっと古いのも感じられたら、いいのか、スピリチュアー 思いました。よろしくお願いします
佐藤:小林んさの補足ですけれども僕は解体している時3日間あそこで観てて、通る人の意見を聞いてました。音録もしましたけども、反対する人はほどんどいませんでした。それをお伝えします。
サンチャイルドは福島市にあってこそ

老人男性:さっき大熊の方のお話、面白かったですけど。サンチャイルド僕は他に渡したくないです。僕はサンチャイルド来た時に歓迎した方です。で、成ったばっかりの市長だけど、よくぞ決断したなと、喜んだんです。
 あれよ、あれよという間に、え、え〜と言う間に無くなってしまった。でも今日話を色々、みなさん取材もされた話した話を聞いていると。ああー欠けている処というか拙速な処というか。手続き上、お粗末だったなーと思わざるを得ないところがあったんで、早々に引っ込めてしまったんだな、というふうに思って、納得はしたんです。
 でもやり、これは福島の中で、どっかにもう一度蘇らせたいという思いがあります。ヤノベさんの話を聞いてね。ヤノベさんの思いって、チェルノブイから続いていて、ずーっと考えてきている。その思いっていうのが、これに籠っているということは分りまいたから。
 だた、チェルノブイリで体験された、あ傷つけたかもしれないんだなと、いうような事は反省された事を、ちょっとおっしゃってました。そういった思いもあって、あ、まだ、ここでも駄目だったのかっていう事もあって。ごめんなさいみたいな事を早々にコメントを出されたのかなーと。その辺りのことも、今日分かりました。経緯としては。
 でも僕はこれ好きなんで、ふふふ。好きというよりも情報発信っていう、意図それは、その通りだと思うし。僕はね市長の思いも、純粋に単純だったかもしんないけども、信じているんです。聞いたわけじゃないですけども。やっぱ福島から発信しないと、いけないと思うんです。福島・フクシマ・ふくしま、と言われている訳で、これが富岡にあったり飯館にあったりしてもいいですよ。サンチャイルドの行き場があるんだとすれば。でもやっぱり、福島からであってこそだなーというふうに感じるんですよね。
男:いつ言おうか迷っていたんです。今のお話聞いて今がチャンスかなと思って。佐藤さんは取材されて、今サンチャイルドのは何処にあるかといいのはクエスチョンなんです、だったんですね。
佐藤:(解体の日は一人でしたからサンチャイルド像の追跡ができなかったのです)後日色々見に行きましたけど、見つけられませんでした。
男:じゃサンチャイルドどうするのかという話を、ちょっとしたかったです。じゃ一層の事、福島市立現代美術館。ヤノベコレクションでいいですよ、それを作ちゃった方がいいんじゃなか。そう思います。勝手なことですが
佐藤:それでもいいと思います

学生男:僕が気になっているのは、今後どういうふうな、手続きで、どういうふうなアピールで、誰が受け入れて、どういうふうにやっていくんだろなーと。具体的な事なんです。福島市から発信されるのは僕もそれを希望してますんで。じゃどうしたらいいかと言うと、前回は福島市だけを言っていたんですね・・ 僕サンチャイルドの来た経緯を思い返すと。サンチャイルドを誰か受け入れてくれませんかと、福島市が、うちの市で受け入れたいです。
 やっぱりや、めておきますと。でももう一度サンチャイルドを受け入れてくれませんかと、その後は福島市はたぶん手を挙げないと思います。どうしますかと。たぶん、その案がたぶん必要なんだと思います


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