HOME 作成 佐藤敏宏 2018年3月12日晴れ 13時〜 仙台駅傍の通路上 |
聞き語り記録 | |||
SDL2018出品者 須藤悠果さんに聞き語る 01 02 03 04 05 06 |
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03 須藤悠果さん 卒業制作 トライポフォビア分析 5原則発見 宗教建築を |
03 ■須藤悠果さん 卒業制作 佐藤:聞いて理解できるかどうかわかりませんが、ここからはSDL2018に出品された須藤さんの作品について、解説など加えながら、お話願いします。 須藤:あまり目立たなかったかも知れないです。 佐藤:PCの画面に,21世紀美術館に配置してある椅子が出てきたけど、憧れの建築家って須藤さんにはいるのでしょうか 須藤:うーん・・・中山英之先生です。 作品の話ですが「トライポフォビアが考える集合体建築」って言うテーマで。 (以下注意書きない画像 須藤さんより) 佐藤:トライポフォビアって点々びっしりある、その集合体恐怖症ですか。恐怖症を克服するための、症状が面白いよっていう意味ですか 須藤:克服するためではなくって、私はトライポフォビア恐怖症なんです。成人の四分の一はこれだと言われている。凄い集合体が気持ち悪いっていう感覚は程度の差はありますが、皆にあると想っているんです。 私が好きな、持っているグッツとかもブツブツなんです。でも凄い嫌いなんです。その美しさ、凄い綺麗だーなーって思うのと、気持ち悪いと思うのが背中合わせみたいな感じがあって。 建築って、複数の材料を反復とか、集合させる事で出来ているから、建築もトライポフォビアっていう考え方で。建築を凹凸世界で観るということはつながるのではないかという仮説で。 繰り返しますと、複数の材を反復集合させることが建築の本質なので、凹凸に関してトライポフォビアから建築を考える、これは繋がることだとなー思った。 先ほど自分のために卒業設計をすると言いましたけど、建築で、例えば隈さん建築とか、凄い集合体チックじゃないですか。でもああいうので凄い好きなのも在れば、もの凄く気持ち悪いのも在って。 佐藤:蓑虫系建築ですかね (絵:webより) 須藤:ふふふ、そういうの好きなんです。私が今後、建築をやっていくうえで、好きだから集合体の要素を使うかも知れない。が、気持ち悪くもなりうるから、境目を自分自身で知っていた方が、綺麗な設計は出来るなーって思いました。 佐藤:天才にはなれないね、その姿勢だと 須藤:ふふふふ、考えないで続けますよね 佐藤:そこから抜け出せないのが天才型表現者だからね。建築家向きではあるかな。客観視し作るとアート作品にはなりにくい。商品に近づいてしまうような気がする 須藤:確かに。自分の中で整理をつけておきたかったんです。 佐藤:建築はアート作品ではないから、整理付けてスタートするのはいいんじゃないかな。自己分析しすぎたアート製作姿勢ってのは、どうだろうね 須藤:し過ぎてはだめ。ふふふふ。 佐藤:行為が先に進み、自己分析しないで進む。その時々に生まれ落ちてしまうのがアート作品のような気がします。目的が定かでない道が見えないゆえに、新しい事態が産み落とされるとでもいうのかな。自己分析すると、あらかじめ目的が設定されてしまう。無駄の可能性の排除みたいな状態を自分でつくるんじゃない。そこでは既存の価値の中で物が繰り返し生産されるだけになるね。 ■トライポフォビア分析 須藤:そうですね、それこそ畏怖みたいな。 佐藤:ゴッホの絵、あの点描色彩の集合体って自己分析して繰り返してない。うねるトライポフォビアのように描かれ、出来ているじゃないですか。鑑賞者には気持ち悪いんだけど、畏怖と人間に対する驚きと尊敬が同時に襲ってくるじゃない。キモカワイイ感情が湧くよね。 単なる平面なんだけど、鑑賞者の感受性によって意味が多様に立ち上がって来てしまう。そのことで、鑑賞者が虚の平面なのに、実世界で包まれてしまうかのような錯覚が起きちゃうよね。草間さんの作品は近頃、一般の人にも認知されて、大人気みたいだけど。作者はあれを制作することでのみ、心の平安が保たれる。そのための制作だと思うけど。建築を造る場合はどこまで、そういう人間性の注入が許容されるのか、俺には判らないですね 須藤:確かにそうですね。私は自分の中の解らない物を作るんじゃなくって、一回、解りたい。多分そう思って建築を創るうえで、それで始めました。 佐藤:トライポフォビア分析で、まずは境界の建築を探ってみうと。図柄をたくさん集めたね、あら草間さんの作品もあるじゃないか、ふふふ 須藤:そうなんです。ふふふ。本当に何回もパニックを起こした事もあって。朝のニュースとか観て、突然そういう映像になっちゃって。 傍にいる親も知っているから悠果、今は見ない方がいいって言ってくれるんです。 草間彌生も好きだし。村上隆も好きだし。 凄くパニックを起こしたものだから、好きなものとか、持っているグッツとかまで集めて全部。辛かったんですけど、平たく向き合おうと思って、画像で調査を始めました。 するとこんな事が起きて。このグラフは私が思う好感度順に並べて、右側に行くほど気持ちが悪いんです。分析をすると、一つ目に言えることは、段々気持ちが悪くなるんじゃなくって、どこかで凄く嫌になる点が有るんです。 ■ 五原則発見 佐藤:ここの点が、悠果さんのそれだと発見しちゃったんだ 須藤:ここが私が言っている好きか嫌い、美しさと畏怖の境目かも知れないんです。それとは逆に凄みとか畏怖というのは、逆に上がっていく。このようなグラフに成るっていことが判って。不気味の谷って言うのがあるんです。 佐藤:不気味の谷って知らない 須藤:ふふふ。ロボット工学で言われていて。アシモって可愛い、縫いぐるみも可愛い。人間に近づいていくと、可愛いの好感度が上がるんです。ある点よりも近づくと急に凄く気持ち悪くなるんです。目は凄くリアルなんだけど。動かないとか。でもそれが人間と同じぐらいになると、また好感度が上がって。いきなりガクンと落ちるのを不気味の谷と言われていて。そういう話が有名で。何か不気味なものとか、恐怖を感じる原理として、どこかに谷があるっていうのは一般的、妥当性があるんじゃないかと。 例えばここに草間彌生の二つの作品があるんですけど、なんでこの作品は好感度がありなんで、この作品は気持ち悪くなるのか。その分析をしていくうちに、集合体恐怖症の原理において、五原則があるんだと発見をしたんです。 佐藤:須藤悠果の恐怖の五原則、発見と 須藤:発見しましたと。 佐藤:1が奥行、空間性、2が生命感、3が固有性 4が穴 5が包含感 須藤:一個目、集合が平たい、商業的なデザインに多いんです。集合が平たいと気持ち悪くないんだけど、空間を持ったり、奥行きを持ったりすると急に気持ちが悪くなるとっていうのが一個目です。 二個目が、これはトライポフォビアの医学論文でも検証されているんですけど、生命と言うものが関わった瞬間に、もの凄く気持ち悪くなる。これは極端なんですけど。 佐藤:物であり続ければそうならないの 須藤:はい、生命が関わっていなければ、生命が想起された瞬間に気持ち悪くなっちゃう。病気とかに繋がってしまう 3番目は集合、一個一個が何かの形になったり、全部で何かの形になったりすると。気持ち悪さが減る。そういうのが無いと恐怖が増す。 佐藤:鰯の群れとか、ヒヨドリの群れで動くもの気持ち悪いの 須藤:気持ち悪いんですけど、固有性はあるんです、生き物感に当てはまるんですよね。生きているから。 四番目は穴、これはフロイトの論文とかでも言われているんです、不気味なものの原点は穴だみたいな。 佐藤:ふふふふ 須藤:ふふふ、トライポフォビアってギリシャ語で穴恐怖症って言うんですよ。穴という概念が、ある瞬間に凄い恐怖が増すということが解って。最後の五番目が包含というですけど、集合体が何かに詰まっていて、まだ有るっていう、思うような感じ。ただ有るんじゃなくって。何かから出ている 佐藤:柘榴の実みたいな感じかな 須藤:そうです。そういう方が怖いっていう五原則を見つけたんです。 ここまでこの五原則を建築と切り離して、自分で研究したんです。トライポフォビアって最近研究が始まったばかり、で医学論文がなくって。 凄く建築と繋がるなーと想って。建築はまず空間性を持つ集合体だし。それから素材とか、それから有機的建築とか目指す人が多いじゃないですか。生命観とつながって、穴はまさに開口部、原広司さんが有孔体理論とかいいますし。 佐藤:たとえばこの近くにある、阿部さんの菅野美術館の凸凹とか怖いっていうことかな ■宗教施設を 須藤:そうなんです。包含感というのは見えない所にもまだたくさん続いているっていう感覚なんです。建築もリズムがあって、まだ向こうは見えないんだけど、きっとこうなんだろうなーっって、想像とかあるので。建築的な五原則がある。 佐藤:自分で定めたんでしょう、時間が扱われず五感の内の視覚的な領域だけの話ですよね。 須藤:そうですね。時間はないです、見た目の話です。でこの五原則とさっきのグラフで、建築を私は考えようと思って。その時に何を造ろうかと。結論から言うと、高橋和巳の邪宗門っていう小説 佐藤:新宗教だけど、何教でしたか 須藤:大本教がモデルの「ひのもと救霊会」という宗教施設を造ろうと思って。 理由は、宗教というのも、美しさと恐れの二面性があるもので。 今までの宗教建築、例えば西洋建築史とかでもトライポフォビア的じゃないか。歴史を繰り返して来たと想うんですね。ルネサンスでツルっとさせたり、日本の木造も結構凹凸が感じられる。 それから宗教の信者は怖くないけど、信者以外からは怖いとか。信徒を入会させるときは怖くないけど、入会したら畏怖だとか、二面性がある宗教建築。 それと集合体建築、その二面性を合致させられるんじゃないかと想いまして。 邪宗門を読んで、全部の宗教システムとか洗いだして、邪宗門の宗教に必要なプログラムを洗い出しました。私が言っている恐怖度合いのどこに位置するべきか、 佐藤:五原則と、洗い出したプログラムを建築という具体的な空間に対応させてみたんだと 須藤:対応させることで一つの建築を創ろう。、そのプログラムが、どこを狙うかというのが・・このグラフです。狙っていこうということで。 敷地は仙台の陸奥国分寺という国宝がある場所なんです。陸奥国分寺って奈良時代の国分寺なんですけど。そういう物から世界・・とか天理教とか、幸福の科学とか、なぜか古い物から新興宗教まで集まっている場所が在って。そこを敷地にしました。 これが平面図なんです。公園の一角に計画したんですけど、公園で遊んでいる人にむく場所というのは非常に恐怖度が少なくって。この宗教というのは外部にオープンなん面もあるんです。そういう信徒塾とか、テラスとかオープンな場所に向けさせて。信徒の入口とかを持たせて。恐怖度合いとか入り易さとかをコントロールする場所にして。でも実は中では非常に集合体によって空間の恐怖度合いが交差(考査)されている これが断面図です。こちらが公園側。 それをさっきの五原則で考えると、目線とか体験する人によって、五原則の空間的な当てはまり度合を、場所によって変えているんです。それによって恐怖度合いを操作している。 佐藤:この建築を体験することで、トライポフォビア的恐怖が増したり忘れたりするような空間体験になるんだと。 須藤:信仰度合いを高める、畏怖さとか。でも一般の人には怖くなく、ちょと予感させる隙間とか。行く人の立場によって、どういう恐怖度合いとか視線の違いとかが有るのかっていうのを全て漫画で表現したんです。 その04へ続く |
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