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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください
ジャーナリストから見た震災復興の課題 (2013/07/18)
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ほどんど最後ですけれども。復興のために今大切な事っていうのをこれも毎回言っているですけれども。私 情報を扱う仕事をしているので、これだけは最後に言いたい気分

 情報を沢山あって選ぶのに大変な時期はあるかも知れません。でもそれは過渡期的なもので、情報は知らされないでよかった。情報は知らせないほうがよかった、という本当にまるで上から目線のような、ことは情報の今、インターネットがこんなに溢れていて、ボーダレスになっていて。地域も国境もそして性別も言語も越えていくような、そういう世界が広がってる中で。「知らせないほうが良い」っていうような事というのは、「ちょっと傲慢ではないか」と思うんですね

ただしその情報について、その情報をどういうふうに使うか、っていう情報をどういうふうに使うかまでは情報は教えてくれない訳です。ですからその情報をどういううふに使うかっていうことへの教育とかインパラメントというのが必要であろうと思っていまして。

情報はわれらをつなげる
情報はわれらを豊かにする
情報はわれらを強くする
そして
情報はわれらを自由にする

ということで、本当に情報を得てエンパラーメントして そして自由になっていく、福島の人人。福島の世界っていうのが、描けたら、それは本当に一つに教育、そして情報などを軸にした、復興の姿であろうと思います。


で最後ですけれども、福島県の過去の事例様々福島県も災害が起きました。それで、例えば

806年 磐梯山が噴火した その時に慧日寺を建立してですね、様々な文化遺産というものをここに集積したわけです。

1868年 明治元年 戊辰戦争があった、その時 若松コロニーといってですね、日本で初めてのアメリカの移民が福島県の会津藩から、アメリカの西海岸に行ってですね。そこに今お墓が残っていますけれども。そういうふうなアメリカの移民が居たということですね。

でその一方で斗南藩、青森の方に移住した。そのときの人々の合い言葉というのは「生き延びて次の世代を育てよう」というふうに、とにかく自分らをしぶとく生き延びて次にバトンタッチするんだっていうことをその時に言っていた。

1877年頃、自由民権運動 福島県で激しくなりましたけれども。その時も教育とか、文化 人々が学んで、色んな学習会が。今の福島と同じように県内各地で自由民権運動の集会等、勉強会等ものすごく開かれてたという記録が残っています。

1888年の磐梯山の噴火。これ日赤が世界で初めて平時時の救護活動をしたという年ですけれども、若松賤子さん『小公子』の飜訳をした方とか。海老名りんさん、若松女学校を設立。瓜生岩子これは福祉事業ですね。あと人材育成、今話題の八重の櫻 新島八重とか大山捨松とか。新島八重は同志社大学を大山捨松は津塾で女子教育に力を入れた。

ということで震災が起きる度に教育に、福島県民は教育とかですね、自分達が学ぶっていう行動を長いスパンで続けて来ているわけですね。

そして2011年東日本大震災 原発事故、そして2030年ってこれはフィクションですけれども、「福島が世界有数の平和と教育と文化の拠点になっていると。震災後に被災者相互支援や国内、海外研修を経験した子ども達が、今子ども達が海外に行っていますけど、その子ども達が成長して。世界中の平和と安全、医療と福祉に貢献している姿」っていうのが、描けたらですねー

これは私のフィクションではありますけれども、そういうふうな教育を通じて、描ける世界がまだまだこの先にどんどん広がっていて、そこに、様々な分岐点があるにせよ、そこに近づいていくっていう。間違いなく近づいていくっていうような、路筋は今は必要であろうというふに思ってます。

済みませんちょっと だいぶ時間オーバーしちゃったんでそろそろ終わります。

それで本当は大熊町の映像をですね、10日前2週間前ぐらいに、撮影してきて番組で放送したのがビデオニュースっていう所で報道したのがあったんですけれども。それも 割愛します

番外編でですね、フィリピンにバタアン原発というのがあるんですけれども、そこを観て来て、ですね、非常に日本のですね、電力会社と関係者の人がものすごい強力、力を入れてバタアン原発を作ったんですけれども。結局一度も稼働しないまま、終わったんですね。

そこにはいわゆる、フィリピンのピープルパワー、人々が勉強会、教会を中心に教会のベースに乗って勉強会をしてですね。自らをエンパワーする、鍛えあげるというような、特に教育とか。学問とか、を通じて鍛え上げるというようなことをやっておりまして。それが基準になって今は原発が停止したままになっていて、炉心部分、全部見せてもらえる状況になっていて。

本当にそういうふうな、国づくりというのか、そういうなのをやったというのがあるんですけれども。これまた機会がありましたら、また色んな場面でご紹介したいと思います

済みません ちょっと長くなっちゃって。しかも早口で。色々御質問とかもあると思いますまた意見。これは違うんじゃないのも含めてですね。是非ご意見をいただけたらと思います。どうもありがとうございました

会場ぱちぱちぱちぱち