映画三作品 1954年『ゴジラ』、『ゴジラ─1.0』、『オッペンハイマー』を語る 2024年4月4日午後7時開始 |
作成:佐藤敏宏 |
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佐藤:鈴木先生、今日はよろしくお願いします。花田先生聞こえますか? 花田:聞こえます。 佐藤:聞こえます!絵が出ていませんが・・。 鈴木:カメラにアクセスしていいですかをOKしないと写りません。NOとした可能性がありますね。一度切ってもう一回はいられたらどうですか。 佐藤:私が切ります、はじめからやり直しましょう。 初めから操作をやり直すことに・・・操作している・・・ 佐藤:鈴木先生が入場されたら始めましょう。 鈴木:はい。 佐藤:今晩は、よろしくお願いします。今日は、1954年『ゴジラ』と『ゴジラ・マイナス・ワン』と『オッペンハイマー』の3本の映画について語ろう、ということでオンラインですが、集まっていただきました。時間の許す限りお付き合いください、よろしくお願いします。花田先生は『オッペンハイマー』鑑賞されましたか。 花田:観ました。佐藤さんと3月31日夕方、御徒町で一杯呑んだでしょう、あの時に佐藤さんが「オッペンハイマー観ましたか?」と聞いたんですよ。私はその時に「まだ観てません、明日観ます」と答えたんだけど、本当は土曜日に観てました。 佐藤:そうでしたか(笑)私は御徒町から戻って翌4月1日の夕方に観ました。 花田:土曜日に観てたのに、日曜日に会ったときに嘘ついてしまった。どうしてかと言うと、ある種の映画酔というんですかね、あの映画を観た後にあの映画の虜になってしまって、なんていうのかな、酔っぱらい状態。 佐藤:なるほど、ストーリーも絵のつくりも酔ったような作りですからね。 花田:で、どう考えたらいいのかなと、まだ考え中だったので話さなかった。もしあそこで佐藤さんに言ってしまうと、映画の話になっちゃうでしょう。それは避けたかったので、「いやまだ観てません」と言ったんです。 佐藤:そうでしたか、鑑賞後酔い続けた、いい感じですね。 花田:佐藤さんは「まだ観てない」って言うから、あの映画を観てない人と話してもしょうがないと思った。映画って一つの体験というか、経験だから。それを共有した同士で話するなら、いいんだけど。非対称的に観た人と観てない人で話してもしょうがないので。 自分自体が酔っ払い状態だし、佐藤さんも観てないということだったので、あの映画の話に入ることを私は徹底的に避けたんです。 佐藤:監督の仕掛けにはまりましたね。では、映画『オッペンハイマー』から入りますか。 花田:『ゴジラ』の方からでいいですよ。 佐藤:初めに私が『ゴジラー1.0 (マイナス・ワン)』を良しの?・・でもないかな・・その立場で語ります。花田先生には54年『ゴジラ』の方を語っていただき、映画を多量に鑑賞され続けてる鈴木先生に解説や間違いを、指摘していただくことにしたいと思います。 花田:私は第一作ね、あっちの方が優れていると思います。 |
花田達朗 フリーランス社会科学者 1947年長崎県生まれ 早稲田大学名誉教授。東京大学名誉教授 (最終講義録を読む) 鈴木達治郎 原子力工学・原子力政策 1951年大阪市生まれ 長崎大学核兵器廃絶研究センター副センター長・教授・「パグウォッシュ会議」評議員 衆議院 原子力問題調査 特別委員会原子力問題に関する件─原子力規制行政の在り方を読む NHKアーカイブ「福島原発事故後、 原子力政策の見直しに着手」を観る |
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■ゴジラ・マイナス・ワン (描きだしたもの) 佐藤:マイナス・ワンは今の若者、特に問題抱えて生き続けるしかない男性像を的確に表現していて、いいと思ったんです。理由は何点もありますが、思いつくまま挙げていきます。 まず、「日本の太平洋戦争の末期から語るって変だな?」と思いました。それでマイナスなのか?と。1954年『ゴジラ』公開から丁度70年、第一作をさらに遡り、広島長崎に原爆投下あたりの時間設定で始めた。ですから第一作より約10年ほど前の人々を描くのだと。 始まりの絵は、大海原の上空を零戦(零式艦上戦闘機)が神風特別攻撃隊の一機が、守備隊(修理?)基地なのかな、大戸島へ着陸する。そこから始ったので、「こりゃ特攻兵が敵前逃亡した飛行機だ・・・」と思ってしまいました。今ふうに言えば「駄目な草食系男性が主役なんだな、面白そうだ・・・」と、勘違いしたかもしれません。 着陸した零戦を操縦していた日本兵は『マイナス・ワン』主役の敷島浩一。故障し着陸したというが・・・どこが壊れているのか整備隊長は発見できない。やはり逃亡・脱走兵か・・と確信することになりました。 特攻死が当然の日本軍の兵士を、第一作より遡って、なぜ描く?なぜ逃亡疑惑兵をゴジラとつり合う主役として描くのか?これが映画の裏テーマなんだと思って観ることにしました。 現在の若い男性たちが置かれた正社員になれない姿と、逃亡兵を重ねながら描いているんだという解釈は変かもしれないですね。で、1945年前なので、1951年日本の独立が許された年に生れた私が、まだ生れる以前の、戦前の時空をどう描くのか?そこに興味が湧きました。 いま(2024年)の若い男性たちも、日本兵=正規社員になることを目指し生きている・・・のだろうと推測したんです。正規社員の席を獲得できる者は1/3の優れた若者であり、金融資本主義の椅子取りの場なのかな、その闘いに破れた者は派遣労働者としてしか生きられない。政治は若者に生きる自信を持たせる基礎的な労働環境を作らず、高度成長期の雇用形態は様変わりしてしまった。自助・公助・共助の順だと総理大臣が平然と語ってから久しいですよね。 戦後高度成長期だったら就職を希望する男性の全員は正社員になれた。それが今世紀に入り派遣業界へ移植された。移植される若者の2/3の方々は、どこから生れて来たのか?それは全国に在るシャッター通り─地方には解体もできず在るシャッター通り─からで、自営業や家業を継いだはずの若者たちだろう。あるいは津々浦々の山紫水明の風景を裏支えしていた、農林業を継ぎ生業とする者だと思われます。そういう方々が「失われた30年」と言われた時の経過とともに派遣社員へと移植された。自営や農林業では食えないし希望が持てないのでシャッター通りとなり、荒れ果てた山や耕作放棄地となった。 一時「地産地消」などの掛け声は聞こえていたが、身近な場所に店が無いので、WEBで買う。会社からPCを通してWEBで生鮮食料品も注文する。宅配業者に指定の時間に届けさせる。便利そうに見える仕組みは、裏に多量のシットジョブに支えられて成り立っている。今後も大量の派遣労働者のようなシットジョブを支える人は要る。アベノミクス・円安政策が極まっていて外国の人々から労働者はやってこない。けれども給与が安定して上昇する1/3の椅子を目指している。闘いに敗れれば、派遣大地に移植されてしまう。一生正社員の椅子を手に入れることは叶わない。 敷島浩一は名誉の死を果たせない。現在に翻訳すれば正社員という社畜にもなれない、自信喪失で生き続けるしかない若者の代表なのだと思いました。 ゴジラが大戸島に不意に現れ、整備隊長からゴジラを特攻して、あるいは機銃で撃ち殺せ、と指令があったにも関わらず、無能極まる兵士だった彼は、運悪く死ねず生き残った。残ったのは整備隊長の橘宗作と敷島だけ・・・ここで導入部が終わりました。 今風だなとも思いました。派遣大地の暮らしが長ければ隣人に愛情を育む時間も居場所も無いように、敷島は生き続ける心理的な基盤も失ってしまった敗残兵だった。 脚本も山崎貴監督、若者に共感を得て見せる、巧みな技あり、ストーリーですね。 絵:小熊英二さんの講演動画より採取 敷島が暮らさなければならない舞台は、日本が太平洋戦争の大空襲に遭った焼け野原の東京。敷島の実家の在った場所に彼は帰還する。全て草木も生えない環境に敷島は放り込まれる、ここからがメインのストーリー。若者なら敷島に感情移入しやすいですよね。 実家に戻る途中、捨て子・赤ん坊(明子)を抱えた大石典子に路上で出会う。なぜか3人で暮らし始めることになった。実家には戻ったものの、隣のおばさんが焼け出されながら逞しく生き残っていた。 心に傷を抱えた元日本兵敷島は東京に戻っても血縁は誰も生き残っていない。 『マイナス・ワン』では『ゴジラ』第一作のような血縁と研究縁関係で結ばれ、ゴジラ(困難)に立ち向かう気配はない。ここまで来ても敷島は誰も知り合いには会わない。環境もハートも焦土で、どう生きていくのか?面白そう。 明日、核戦争が起き・・・なにも無い台地に4人が生き残っている・・・そう思って観ていればいろいろ興味が湧くものです。赤ん坊、若い女性、隣のおばさん、そして敷島で・・・どのように生きていくのか?全部焦土でさらに血縁者じゃない4人という設定が、今の若い男性が置かれた心境をあらわしているようで、いいなと思いました。 少し飛ばしまして・・・。 ゴジラと戦うために集まった男たちも、敷島とは無縁の人々。旧友も登場しない。米軍の占領統治下なのに米軍からも、仮の日本政府からも、敷島たちは見放されている。見知らぬ者達が協力しゴジラ・ある種の人災・災害と闘わなければいけない。今のフクシマと似ている。 戦争下なら敷島は軍法会議にかけられ銃殺されるはずだが、敗戦は敷島を生かしてしまう。ダメ男が逃げ帰って来た大地も、さらに焦土。その設定はいいと思いました。まるで原爆投下後の孤児や一人ぼっちの大人のようです。 原爆投下後の焦土に生きた孤児たちを描いたドキュメンタリー『被爆地にたつ孤児収容所〜2千人の父、上栗頼登〜』 自信喪失している現在の若い男たちにとって、マイナス・ワンのゴジラは何の象徴なんだ?と想像しました。 最近頻発している自然災害と受けるのがいいと思いましたね。阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件の1995年。大地動乱の時代に入っての多重災害を振り返ると腑に落ちる。 特に2024年元旦に起きた能登地方の大地震の経過と照らし合わせると、自助の世の興味は尽きない。馳知事の言動にも、総理の言動にも、自助優先。彼ら被災者を想えば易い。政府の支援の手は届かない、自分で生きていくしかない・・まるで敷島浩一のようだ。 今の世の政治状況を象徴してた、ゴジラ・災害と被災者たち。 焦土に掘っ立て小屋(?)に、赤ん坊と典子と、浩一が暮らし始める。玄関も無い、台所はどこにあるのかも・・分からない。コンビニ(当時は屋台)で買うのだろう、煮炊きしない単なるワンルームに見える家屋内部。 そこで自信喪失した敷島は苦しみを抱え、毎夜、悶え生きていて、共に暮らす、二人の女性が目に入らない。内向きで脳が満たされている男として描かれていた。自分と世界(?)しか理解できない、いわゆるセカイ系のダメ男だ。そういう設定が面白かったですね。 敷島の親でもあるかのように振る舞う隣のおばさんから、檄を飛ばされ世話になるだけで、さほど会話が生まれない。同様に典子と一つ屋根の下にくらしていても、会話が成立しない。人間なんだから語りかけよ!と尻叩きに、画面に入って行きたくなるほどの駄目っぷり。 敷島は今風の若い男性で、現代的な人間に感じました。人間関係が作れない。高度成長期に生まれていたなら人間関係をつくれただろうに、非正規派遣では心も職も、日雇いの生きる様だ。人間の会話が生れない労働環境で生きている、そういう若い男性を、まま象徴している男が敷島。そう何度も駄目押しされ、観ることになりました。 敷島は、私から見ると父の世代です。敗戦で帰還して、家も田畑も仕事もない引き揚げ者多数いた世代。例えば満州から帰国し福島県浪江の津島に開墾に入り、放射能を浴びさせられて故郷も暮らし方も、すべて自信喪失になった人々に似ている。 帰国しても天皇の臣民でもなく、独立国日本でもなく、占領統治下に生きるしかない男。三島由紀夫のように日本人は天皇を中心として文化を作りなおせと激を飛ばしつつ、割腹自殺して自己結論を出した世代。敗戦時20才ほどの彼ら敷島は帝国憲法と日本国憲法によって引き裂かれた精神構造を抱える。敷島は自信喪失しても切腹自殺しない、ただ生きている。新しい家族も作れない、作ろうともしない・・どうにもこうにもならない男性。その設定はいいな・・と思いましたね。 (注:たかだか語り手自身の了見を「世界」という誇大な言葉で表したがる傾向があり、そこから「セカイ系」という名称になった」WEBより) その後の物語とかゴジラとの派手な戦いはどうでもいいかな・・・とすこし思いました。ゴジラはセカイ系の男に波状に押し寄せる災害なんだ・・・そう観る方が、面白いのでは。 〆が、大戸島で生き残った橘宗作整備隊長が、1機残っていた戦闘機を仕上げて、敷島がゴジラに特攻することによって、自信を再生させる。粋な展開になっていましたね。 もっと粋なのは、敷島は「ゴジラと共にここで死ぬ!」その決意で、ゴジラに特攻するも助かってしまう。整備隊長はミサイルを打ち込んだ瞬間、操縦席が空高く舞い上がるように救い出す仕掛けを造っていた。そのことは描かれてはいませんが、敷島は自信回復。ゴジラの顔が壊れ、再生しながら相模湾沖に沈んでいく。 生きて抗え!と山崎監督は若者にムチ打つが・・・果たしてどうなるか・・・。 みながバンザイとなって、取って付けたようにゴジラに襲われ行方不明の典子が現れる、幸いを予想させつつ映画が終わる。 マイナス・ワンでは博士も役立たずに、描かれていたのも面白かったです。派手なVFXはどこまで、実写がどこまで?なのか観ててもわからず。とにかく派手に描く。細かくゴジラの身体を描くことができるんだなーと感心しました。 |
絵:WEBより冷戦式艦上戦闘機 キャストの絵は公式サイトより 神風特別攻撃隊 米軍による日本本土空襲、実録映像記録 堺大空襲 焦土と後人々が暮らした姿、バラック小屋も分る |
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「勝手に解釈するんじゃねーよ・・・」と思いますでしょうが・・。 鈴木:それでいい、解釈はみなさん勝手ですから、いい。 佐藤:画像全体が派手・・それに比べ、仕事がない若者が再生していく?生きて抗え、・・救いがどこにあるのか・・それらをはっきりさせずにお仕舞になるのも面白い。 単身者世帯が増加して世帯数の4割に届きそうだと言われます。そこでは、2005年NHKが放送した「ひとり団地一室で」で描かれ、孤独死という言葉も定着しました。日常的に行政の場で使われている。そういう世にあって災害と闘うとは何か?・・・いろいろ思わせる、映画でした。 現在も過去も、家族同士を含め、人間関係構築は難しい。『ゴジラ』第一作からマイナス・ワンにかけ描かれたのは、家庭内で孤立する人々だったかな。敷島は高度成長からマイナス・ワンされ、半アンチ・ヒーローなのかもしれない、でも事件は起こさないですね。それが敷島浩一なんじゃないかな・・・と。 |
1965年敗戦から20年後・・昭和40年の団地暮らし 下:焦土だった東京の変貌の一例 |
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絵:WEBより |
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■マイナス・ワンに取柄はある 花田:ゴジラ・マイナス・ワンは取柄がないわけではなくって、私が印象をもった作りは、戦後すぐの時代なわけで、GHQがいる占領期ですよね。その時に、戦争から帰ってきた人たちがゴジラ対応にあたる。その時の彼らの認識が日本政府や米軍は頼りにならないので、俺達でやるしかないんだ!ということで集まるわけですよね。義勇軍のようにね。そこは面白い。 戦争を経験したうえで、日本政府を信用しないぞ・・という事と、占領軍として入って来た米軍も信用しないぞと。だから俺達自身で、言ってみればシビル・ソサエティ、民間ですよね。民間活力みたいなものですよね。それで、ゴジラ対応をせざるを得ないんだという設定。これは面白いと思うんです。 ただ一寸、リアリティーが無いと思うんです。つまり米軍が出てこないわけは無いわけで、放っておいたって出てくるし、だから架空の話みたいなことになり、強引に民間活力路線にもっていっている気がするんですね。そこはちょっと違和感がありました。 それから映像的には第一作との比較になるけれど、明るすぎると思うんです。マイナス・ワンはゴジラが昼間、活動するわけです。明るい日向の下に活動する。だからVFXで明るいシーンで迫力を出そうとしてたのかなと思うんだけど。私はむしろ第一作の暗い、闇夜にゴジラが出てくる、あれがいい。それで、特撮にしても、着ぐるみで第一作は撮影している。マイナス・ワンはVFXで制作していて、ゴジラの描き方の技術が違うんだけど、昼間か闇夜かで言うと、闇の中のゴジラの方がリアリティーがあったと思うんです。 何か、マイナス・ワンは映像が明るすぎる、真っ昼間って感じ。で、みんなで頑張って民間活力で、ゴジラ退治をしようと盛り上がっている、その明るさ。あの明るさ自体に私は非常に違和感がありましたね。 鈴木:微笑 |
アメリカ占領下の日本大日本帝国解体 ゴジラ登場に驚く大戸島の若者 スリムでコワイ表情が効いている。壊れる民家の梁も効いている |
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『ゴジラ』 | 予告編 | ゴジラ 第1作目 登場する役者 みなさんスリム |
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佐藤:ゴジラの出生、ゴジラの誕生はマイナス・ワンでは説明がなかったかも? 鈴木:一応ありましたよ、核実験でできたという説明はありますよ。アメリカ軍が発見するんですけど。回りに放射能が一杯あって、核実験らしいと・・・最初の方にありました。たぶんそうだと思う。そこはオリジン(起源)は一緒なんです。他のゴジラ映画とは違う。アメリカのゴジラ映画はそこが全く無い、オリジンがはっきりしない。逆に水爆でゴジラをやっつける、兵器でゴジラをやっつけようとなっちゃう。オリジンが水爆・核実験であったということがゴジラのオリジンなので、そこに戻ったという処は私はよかったなと思いました。 私はですね、一作目がいいと思うのは、今でも通じる政府の隠匿姿勢とか、一杯でてきますよね。ゴジラは品川の辺りから来るんです。東京大空襲の跡をゴジラが追っかけ、襲う。まさに今花田先生がおっしゃった、夜来るんですね。そのメタファーそれを使って大変な恐怖を感じさせる、一作目の方が恐怖感があった。 私が第一作で好きなのは、芹沢(大助)博士。オキシジェン・デストロイヤー(Oxygen Destroyer)の公表を彼が悩む。「これを使わないとゴジラは殺せないけど、これを世の中に知らせるとまた悪用されてしまう」と、悩んで、最後はオキシジン・デストロイヤーを渡すんだけど、それと一緒に死んでしまう。 非常に悲劇的な結末なんですけど、科学者の葛藤というのがマイナス・ワンにはほとんど無くって、市民社会が何か理由の分からないことになっている。マイナス・ワンのゴジラは死んでないですよね、再生する!シーンが最後ありましたでしょう。 佐藤:大きな違いですね!マイナス・ワン、海中に沈みながら再生していくシーンが〆でしたね。 鈴木:病院で助かった、大石典子はなぜ助かったかと言うと、最後のシーンの処、首のところに影があるんですよ、なかなか気が付かないですけど。私はニ回観たから気がついた。首のところに影が有って、ゴジラが再生する能力というのが、たぶんゴジラの放射能によって、だから合っている。彼女はそれで助かった。そうすると彼女はもはやゴジラの分身になってしまった。そういう設定らしいです。 佐藤:そういう設定でしたか!気がつかなかった。なるほど。 鈴木:だから第ニ作が大変楽しみです。マイナス・ワンの特殊視覚効果の中で私が一番びっくりしたのは、ゴジラが海を泳いで行くシーン。ゴジラが泳いで主人公が乗った機雷除去船を追っかけるシーンがある。泳ぐ、あれは今までには無いんです。 今までのゴジラは歩くか水中を泳ぐのはアメリカの映画にはあるんです。水面に顔をだしてジャブジャブジャブジャブ泳ぐって、あれは大変なんですよ!初めてなんですあれは凄い技術です。 佐藤:VFXは人間がジャブジャブ泳いだ水しぶきを合成したのか!? 鈴木:そうなんですよ。VFX、あれがたぶん評価されたんじゃないかな。凄い迫力でしたよね。 佐藤:そうなんですね、着ぐるみゴジラとVFXゴジラの違い。VFXはゴジラの鼻毛まで近づいて画像を作成できる、寄り絵の有無の違いですかね。 鈴木:顔がやたらでかいです。あれは全体のバランスに顔をくらべたら、泳ぐ、あの時のシーンはでかいです。 佐藤:確かに、泳いでる水面下のゴジラ姿を想像するとあの頭だと、設定身長よりかなりデカイかも、地上に現れる時はやたらに頭と顔が小さいゴジラでしたね。 |
以下キャスト絵は 予告編よりスクリーンショット |
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鈴木:そうそう。それで機雷で、撃つじゃないですか。そして顔を壊すシーンあるじゃないですか。要するに泳いで来るシーンと泳いでいる、ゴジラを機雷で撃つシーンはなかなかよく出来ていて。泳ぐシーンって凄い!感激して観ていたんです。 例えばジュラシックパークなんかでも恐竜が泳いで追う、ああいうのは無いです。水中を泳ぐか、水中から出てジャンプして物を捕まえるとかです。ゴジラ・マイナス・ワンは、あまり人を食わなかったですよね。最初のところだけかな。 佐藤:最初の大戸島の戦闘シーンでは整備兵をくわえただけでしたね。あの絵は人形が壊れたようで恐怖感は少なかったですね。 鈴木:あのへんはジュラシック・パークみたいだ。泳いで追かっけてくるシーンが一番迫力があって、あそこは何回観ても面白い!マイナス・ワンの良いところはあそこです。それはゴジラのオリジナルより勝っていると思う。 でも、ストーリーはおっしゃった通り、二人の人間関係と隣の奥さんの人間関係が、当時の状況と、今初めて教わったけど、確かに被災者の方々の写しという感じですよね、確かに。いい感想を伺った。シン・ゴジラは観ましたか? |
上の絵は埋め込み動画よりスクショ |
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■シン・ゴジラは福島原発事故 花田:私は観てません。オリジナルとマイナス・ワンの二本しか観ていません。 佐藤:私はシン・ゴジラは観ました。 鈴木:シン・ゴジラは福島の原発事故です。 佐藤:そうでしたか(笑)筋は政府批判が全面に出ていたのは分かったけど、決めが無いので全体の物語は分かりにくかったですね。 鈴木:あれは明らかに福島の原発事故対応を皮肉っている。最後、氷で固まるじゃないですか。あれは凍土壁ですはははは。、 佐藤:シン・ゴジラは山の手線またいで固まっちゃってお仕舞。面白くなかったです。 鈴木:あれは日本政府内の危機管理の拙さ、で政府批判。政府の中のはぐれ者が活躍するんです。 佐藤:シン・ゴジラはアメリカ政府のエージェントでしょうか、女性が指図する。 鈴木:そうそう、あれは訳わからん・・ははは。 佐藤:福島の原発事故時対応に米国から指示?!あういうことが起きていたのか・・と邪推しました。(下の埋め込み動画参照) |
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原発と原爆】戦後日本の原子力問題 背後にあったアメリカの核戦略|ABEMAドキュメンタリー | ||
■芹沢博士はなぜゴジラと、死んだか 鈴木:花田先生のおっしゃったマイナス・ワンは市民社会・シビル・ソサエティが闘った、というのは私も面白い視点だなと思いました。あの技術はちょっとおかしいですよね。ふふふふ。マイナスワンのゴジラと戦う、技術的にはおかしいですよね、そういう意味ではオキシジェン・デストロイヤーの方が、どうせ訳が分からないんだったら、オキシジェン・デストロイヤー(黄色で囲む)の方が面白い。マイナス・ワンはリアリティーに近づきかたが失敗しちゃったかなと。 佐藤:出来過ぎる映像技術は観客の想像力を阻害する(笑)最初のゴジラ第一作は役者さんたちも顔も体も絞られていて(飢えていた時代)敗戦後そのものの人の姿で、いいと思うんです。花田先生の指摘のようにゴジラの出方が怖いですよね。マイナス・ワンは役者は敗戦直後の人間の表情にしては太り過ぎ、艶有り過ぎ(笑)だからでしょうね。花田先生が指摘されたように一作は、怖さに具体的で身近な恐怖が数倍ありますよね。 鈴木:怖い恐い。 佐藤:ゴジラ出てこない、だけど恐いんです。大戸島の漁民の家屋に寝ている時にゴジラが現れ大地が揺れて、民家の屋根の梁が寝床に落ちる!あの絵は怖いです。建築界に暮らしていて木造はバラバラになって圧死しするイメージが湧いてしまう、そのリアリティーがある。あれが地震大国、日本の家屋実情と直結するのが怖いですね。耐震補強してもゴジラが登場すると意味を成さない。 マイナス・ワンはゴジラの登場の仕方がまったく怖くない!ジュラシックパークの恐竜が振り向きざまにバクッと人間の頭を食って、頭なし人間を見せてる、恐竜を屋内外を走り回らせ人を襲いにくるので怖いのなんの・・。 鈴木:花田先生のおっしゃったようにオリジナル・ゴジラは暗闇から突然出てくるのは怖いですよ。 佐藤:着ぐるみ着て撮影してて、ゴジラを離れた距離でしか撮影できないその点、撮影の創意工夫が画像の良さに繋がっていますよね。 鈴木:そうです。 佐藤:『ゴジラ』は物語と主役たちは、昭和の家族団らんふうに組まれている。ストーリーは古生物を研究している山根博士、娘と弟子の芹沢博士とサルベージ業者で娘の婚約者(?)の4人。片目の芹沢博士が現れプチ三角関係、昭和家族の親密ななかで、ゴジラと闘う物語が展開していく。観客には身近な想像しやすい物語なので共感を得やすいですよね。 鈴木:分かり易い、第一作の方がね。 佐藤:マイナス・ワン、物語の筋は分かり難い。鈴木先生の指摘で私が分からなかったのは「芹沢博士がなぜゴジラと一緒に骨になるの?」その点は分かりにくい。 自分の脳内の兵器をアウトプットして、論文を残してしまうと世界に広まってしまい、オキシジェン・デストロイヤーが広まると地上の生物がすべて骨になってしまうと指摘しているんだと思うけど。 原爆の製造過程を鈴木先生に、お聞きしていると科学者たちは、世界中の最新の理論と実験を共有して発展させる共同知なのだから、一個製造してしまえば技術は津々浦々に伝わってしまう。そういう発想はゴジラの一作目には無い。そこが明かされていて興味深い。 鈴木:芹沢博士が死んでしまっても論文は残る、ゴジラと共に骨になる、あそこは映画『オッペンハイマー』とつながるところですね。 佐藤:一作は敵と共に骨になって終わる。日本の科学者はどう考えるのか・・内向きで閉じてしまうのには疑問。 鈴木:パンドラの箱を開けてしまったらもうだめ、一回開けてしまったらだめ。 佐藤:科学者が自分の発見した知見と成果物と共に、骨になってしまうのは科学者らしくないと思って・・そこだけは何度聞いても分からない。 鈴木:芹沢博士が一人で開発したのよ。自分が死ねば地上から無くなる。オッペンハイマーは「マンハッタン・プロジェクト」の科学者の一人だからね。 |
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■科学者の主張の多様さ 花田:ゴジラ第一作で私が面白いのは二人の科学者ですね。古生物学の山根博士と芹沢博士は愛弟子だという設定になっているけれども、専門は違っている。芹沢博士は薬物化学者。あの二人の科学者が第一作の主人公だと思うんですね。それでスタンスも違うわけです。老山根博士は古生物学者らしく「ゴジラを殺すな!」と。光を当てて攻撃するなとか、怖がって狂暴になるからとか、なにかゴジラを庇う。 鈴木:ゴジラを可愛がる。ははははは。 花田:さすが生物学者だな!と思うわけです。その点で山根博士は他の人達とゴジラに対する意見を異にしている。で、山根博士の愛弟子だという片目の芹沢博士の方はオキシジェン・デストロイヤーを単独で発明をしたと。それが政治に利用されて戦争に使われたら大量破壊兵器になるから、これは公開しないと。 ところが、ゴジラから受ける被害の惨状を見せられて、少女たちの歌なども聞かされて情緒的に転向をして、オキシジェン・デストロイヤーを使うことに踏み切る。「ただし一回だけだぞ」と。そういうことで彼はゴジラのそばへと海に潜るわけですよね。 発明品が成功して、海中でゴジラが骨になる。その結果を確認した後で自分自身の手で潜水服の引綱と酸素吸入のパイプをナイフで切って、オキシジェン・デストロイヤーの知識と共に全て闇に葬るということになる。 そこに科学というものの関わり方は二つのパターンがあって、つまり生命を、たとえゴジラであろうがその生命を尊重する・・・と言ったらいいのかな。要するに生かしていくべきじゃないかというものの見方と、ゴジラを殲滅するために自分の発明したオキシジェン・デストロイヤーを最終的には使う、そして骨にする。しかし、自分の命と引換えにそれを使う。 ゴジラ第一作は佐藤さんからDVDを数ヶ月前に送ってもらって、初めて遅ればせながら観たんですが、非常に思想性があると思うんですね。要するに考えさせられる。マイナス・ワンは私には何も考えさせなかった。 会場大笑い 鈴木:本当ですか?はははは。 花田:ゴジラ第一作は、映画『オッペンハイマー』もそうだけど、エンターテインメントの映画だけれど、ゴジラ第一作はいろいろ考えさせる、要するに知的な刺激があったんです。 鈴木:微笑 花田:私は突飛な発想かもしれないけど、ゴジラ第一作、1954年ですよね。オッペンハイマーに観てほしかったですね。 佐藤:確かに1960年に来日してますので、オッペンハイマーは『ゴジラ』を鑑賞することは可能だった。日本に招いた湯川秀樹博士は鑑賞させるべきだった(笑) 花田:オッペンハイマーがゴジラ第一作を観て、どういう感想をもつんだろうな〜と思いましたね。 佐藤:観てる可能性はあるかも。 花田:伝記『オッペンハイマー』には出てこないですか? 佐藤:日本に来たことすら伝記には記載が無かった・・・と思います。(注:伝記下巻に来日時の写真掲載ありので佐藤の発言は誤り) 花田:私は伝記も読んでないので、偉そうに言えないんだけど。あの映画監督あるいは脚本家(村田武男・本多猪四郎)は、オッペンハイマーの事を知っていたうえでオッペンハイマーの運命に思いを馳せつつ、第一作のゴジラを作ったのかなーと・・・、そして芹沢博士とオキシジェン・デストロイヤーを登場させたのかなと・・・。 鈴木:分かりませんけど、間違いなく第五福竜丸の被爆事故は『ゴジラ』制作へ影響あったと思います。 佐藤:花田先生の仮説は面白いので覚えてて、本多猪四郎監督などの資料に当たってみたくなりました(笑) その2に続く |
1954年3月17日の新聞社会面 |
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