森田一弥さん渡辺菊眞さんと語る  作成:佐藤敏宏

2022年1月4日午後1時から

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めでたい話に展開せず
 
佐藤:学部の時にお二人は就職活動せず、院浪もし、放浪し世界を見て歩いたり、個展の準備をしたり学生時分の自由を生かしたと思います。森田さん博士号を取得し2年前にようやく先生として左官屋さんに続き大学へ再就職した。自身の自由を満喫して生きて来た。就活という言葉が作られ現在の学生は、会社員になるという目的を達成しなければならない、不自由機械になりたいのでしょうか?会社員になりたいというマジョリティーの若者の気持ちは、10年東京で会社員・設計部員体験したから少しわかります。収益を上げることが株式会社の目的ですから、歪な暮らしになります。渡辺さんはNGOの依頼でしたかね、世界に出ていって、建築を造ってました。

渡辺;世界で造っていた方が先で、大学の先生になってからも造ってましたね。

佐藤:世界でこつこつ建築を造って、渡り歩いていました。それらはNGOの依頼で造っていたので、日本建築学会で評価されるわけでもないでしょうね。
渡辺:学会はそうですね。
佐藤:そういう菊眞さんを「大学に来い」と、緩く人選しているように見えますが?

渡辺:あの時は高知の大学が鎖国状態みたいな所だったので、そこの先生の一存で、面白そうだからと引っ張ってくれた。ですから教員になれました。最近はそういう事が起きないと思うんです。ギリギリの時だったと思います。


1970年佐藤サラリーマン時代。当時ゼネコン社員は家族のような雰囲気があった

恵比寿駅前にビル4階設計部室内


秩父長瀞にて川遊び
東京支店設計部員は7名だった


佐藤:リアルの場で飲み食いし交流するのが大学だよと、新コロナ下では先生が言うわけにはいかない状況ですよね。学生たちが呑み会しようと言い出せば先生は支援できるだろうけど。先生が「学生諸君もっと自由に生きろ」と言えばパワハラになると推察します。言いにくい状況が蔓延している、そんな気がします。学生が反乱を起こさない限り大学も不自由な空間にどんどん流れて、際限なく続くような感じがしますが?

渡辺:ゼミにある程度色合いがあると分かってくれば、そういう場もあるんだと分かってくるので。森田さんは就任してまだ2年なので、たぶん変な事を言うおじさん、森田さんはそういう先生で建築家だということになってきたら、後はそういう話もあるんだと、なってくるんですけど。

佐藤:時間かけ長期戦でリアルの面白さを示していく教育方法ね。布野先生は全共闘世代だから東京大学安田講堂に立てこもって大学の解体を体現していた人たちの一人だと推測します。

渡辺:ふふふふ

佐藤:布野さん周りの学生たちも大学を解体叫んだろうし、大学施設も壊した世代が二人の先生です。1968年はフランスから学生運動が始まって福島大学でも騒動がおきていました。若者の反乱がありました。
今のZ世代が世界的に起している運動は、グレタ・トゥーンベリさんが一人で始めた気候変動にたいする異議申し立てに、自分たちが犠牲者になると異議申し立て世界各地に波及しています。未来のための金曜日とか、ミーツー運動とか、選挙に行きましょうとか、金曜日に行動を起こすとか、ジェンダー不平等の解消問題も起きています。
2021年日本では若い女性たちが選挙に行こう!運動してました。老人たちの政策に偏るからと、若者のための政策をしてもらうため、若者の声を国会にも届けようと投票運動を勧める。そして若者の声を生かそうとした運動が目立ちました。
私が知っている大学の中で起きた声は、関西学院大学の学生さんたちがエラボというウエブマガジンを作って発信しています。エラボではカルチャー、アイデンティティ、ポリテクスの三本柱を立てて、Z世代の声を発信しています。生理用品の貧困も語り合っています。学生たちが社会に対してネットを使って発言し自分たちの環境を改善してこうとしています。学生の動きはエラボの活動しか知らないです。
1970年代のように学校を占拠して投石することはしないですね。ネットを活用し、憂いを世界中の若い人と共有し考えたり発信したりしています。そうして閉塞的な現状を変えていこうという動きですね。
 エラボサイトへ 

キャリア教育熱心に受ける学生たちが、菊眞先生も森田先生も冷静に見て、変なオジサン先生が大学内にも居ることで、学生たちがすこしづつ影響を受けて、自由にものを考え行動する可能性は無くならないと思います。

渡辺:それしかないかなと。

佐藤:森田さんおめでとうというお題なんだけど、全くおめでたい話にならないね!

 渡辺:森田大笑いしている











1969年全共闘安田講堂事件


絵:webより 東大安田講堂事件(とうだいやすだこうどうじけん)は、全学共闘会議(全共闘)および新左翼の学生が、東京大学本郷キャンパス安田講堂を占拠していた事件と、大学から依頼を受けた警視庁が1969年(昭和44年)1月18日から1月19日に封鎖解除を行った事件である。東大安田講堂攻防戦ともいう。




Z世代生理座談会  エラボ記事を読む 



グレタ・トゥーンベリさんによる #COP24 でのスピーチ


森田:ぜんぜんおめでたくないです。(渡辺・森田 はははははは)  
面白いなと思っています。建築の話とかの以前に、若者が不安に煽りたてられていて、3年生の間に就職しないと人生終わり、みたいな環境をどう変えられるのか、それを考えている。

渡辺:そういうことですよね。うん、うん。

佐藤:建築を造る教育の前に、学生たちの身の回りの言論空間を健全にしてく、よい言論作って人間関係を再構築する、それが先になりますよね。学生の人間としての暮らし方の再生が先だから、建築を造ることはその後になりますね。一部にはそういう忙しい学生は居たけど今は日本の学生、全てがそうなってしまったということだから、10年前と変わりましたね。

森田:その上に今は新型コロナですからね。凄いマイナスからのスタートみたいな状況です。

佐藤:状況をお聞きする限りはそうですね。そういう意味では菊眞先生も森田先生もマイノリティーの道を歩んで困難を乗り越えてきた、京都大学そのもの気風がそうなのかもしれないけど。京都大学卒業して東京大学に行く人たちも居る中にあっても、お二人は、世界放浪したり左官屋さんに就職したり、世界の辺境の地で建築造ったりしてきました。
東京転出組は有名建築家先生の図面描きボランティアして大学の先生になるのが目的のようだから、世界を放浪ないでしょうね。今の学生が気の毒だなんて言わなさそうだ。自分たちがブラック下働きしてるので、言わない。京都大学出ても権力サイドに近寄る人も居る、人間らしく自由に生きることを選ぶ、そして学生にその自由を教えようとする人も居る。両極がはっきりして面白いです。
弥冨、金魚の地域から出て来た森田先生には大海にでたんだから、クジラになってもらいたい、変わったクジラです。大学の先生になるためには左官屋さんに就職しないでしょう。

森田:そうですね。


佐藤:大学から左官屋に、なんで就職したんですか?と聞かれるんですか。
森田:左官屋に就職したのは障害になってないんじゃないかな。面白いぐらいには思ってもらえてるとは思うんですけどね。

佐藤:菊眞さんは森田先生より10年ぐらい早く先生になった。
渡辺:はい、そうですね。

佐藤:菊眞さんを面白がる人がいるのかなーと思っていたけど、森田さんが「菊眞は工科大学の先生になりましたよ」と、聞いてびっくりしました、いつの間に先生になったの?と。

渡辺:たまたま臭かったですけどね。( 森田と佐藤げらげら笑っている)
僕は、そもそも建築の実務家として喰えないなーというのは分かってしまった。森田さんに怒られるんだけど、大学の先生にしかなれないなと思っていて。いろいろ受けだしていたんですよ。案の定、落ちたりしてて、その時に高知工科大学から、お前みたいなのがいいみたいよ、みたいなことだったので。ただそれがそういう時期に合致したというだけだったですね。
どこだっていいから、修士しかないし、採ってくれそうな所は願書出そうと思ってた時期だったんです。次の大学に出そうとしてたときに高知工科大学の話が来て、そんな話があるんだったらということで、落ちるのが一発で済んだんです。たまたまですね。

佐藤:たまたまだけど、結局は金峯神社のような名作を残してる。だから菊眞さんの人生の流れと高知工科大学に職を得たことは、独自な建築開眼に至るためには必然だったと思います。

渡辺:インドやアフリカがたまたまと同じだと思っているんです。割と私はパッシブなんですよ。自分で行くよ、あまり無くって、インドも流れで行った。アフリカもそうなんです。高知もそんな話ですから。ふざけんなという話かも知れない。そうは見えないだけど、ほぼパッシブな状態ですよ。

森田:ははははは。建築だけじゃなかった。

渡辺:建築だけじゃない、人生もパッシブ はははは。

佐藤:森田先生は能動的だよね。

渡辺:森田先生はアクティブだと思います。

佐藤:森田先生は加えて人望があると思います。スパーで袋売りしているのに、杵で餅つきするのに人が集まって来るのは、凄いよね。

森田:そうでもないですよ。そんなことないけどなー。
佐藤:森田さんのようにゆったりしてて懐が深い人に会ったことないな。

森田:そんなことないですよ。




佐藤:森田さんはムキムキした建築家面しない。静原村のオジサンと変わらないような佇まいで地域に根付いて建築つくっているし。権威主義者でエリート主義者じゃないからね。自然に暮らして生きてて、畑耕して野菜くっていたりしたし。楽しそうに建築事務所も営んでいる感じがします。日本の従来的建築家のように根性で、精神主義で連続徹夜して仕事をする、という感じは見受けられないです。世界標準の建築家は森田さんだと思います。

渡辺:そんな感じはしますよね。

佐藤:森田さんを通して眺めると、東京で暮らしている建築家はどうも変に見えます、豊かな生活を楽しんでいるのか?と。森田さんを知ってしまうとそう思えてしまいます。生活を楽しみながら設計活動もされているように見えますが自覚はしてないですか?

森田:そうですね、こういう、僕も行きあたりばったりで、その都度出会ったもので面白いものとか、この集落良いなーとか。こういう仕事は面白いなーというのをやってきた・・つもりなんです。これが学生にとって、自分事として捉えられるのか?と、どうなのか。一般性があるのかとは、まだよく分からないんですよね。僕は左官屋は面白かったけど、左官屋に行って鬱になっちゃう人も居るかも知れないし。全ての人に勧められる人生でもないわけですよね。運に恵まれた処もあるし。

佐藤:僕から観ると生活全体が楽しそうに見えます。
森田楽しいというのは大事ですね。
佐藤:例えば森田さんの事務所では夜通し徹夜で仕事しないでしょう。
森田:やらないですね ふふふふ。

佐藤:生活優先で徹夜で仕事しないように見えるんです。普通の生活を楽しみながら建築も設計している。それ大事だと思います。自分たちの暮らしが豊かで楽しく幸せっていうのは。さらに住んでいる地域に入って根付いて、後でわかることだと思いますけど、千年村の継続に尽くされている。力を注いだことに結果的になっていくと思うんです。
その場に京都や近県の人が集まって餅つきしてるなんて、森田さんの人間力そのもの。森田さんが暮らしていなかったら餅つきしてないと思うんです。
外から出入りする人が存在することと招き入れる人が居ることが鍵ですね。そのキーマンは今は森田さんだ。
千年前にも外部の人を招く、静原に入り易くなる機会をつくった千年村の人が存在していたと想像するんです。そこだけ鎖国的に閉じていて千年続くってあり得ないと思いますから。

渡辺:たしかにそうですね。


 絵:森田さんHPより 各地から森田事務所にやってくる若者たち

佐藤:千年村と現代の森田さんが融合した場所で快適でいいんだけど、それが学生にとって今は普遍性を持たないというのは、建築家の職能を狭くしちゃっているからだと自省もします。
日本の建築の先達は僧だと思いますので、菊眞さんにも推薦した本『空海民衆と共にー信仰と労働・技術』ですけれども中世の仏教は鎮護国家の為に、天皇の為の仏教だったと思います。天皇と手を結んでいた僧たちは貧しい民衆を救うことは禁じられていた。でも一方では、天皇に支援金与えられ土地も与えられた僧たちが国家の法に逆らっても救民のためにお救い小屋をつくり、堤を造り、救民している。
現在の建築家は、民衆、例えばワークキングプアや住む家の無い老人たちを救ったりしないです。分業化し尽くしているなかで、社会的弱者に寄り添うため建築家的活動していない。せいぜい行政の神輿に乗って町おこし。もしかすると建築事務所自体がブラック職場になっている可能性もある。ジェンダーバランスの問題、賃金格差の問題もブラックボックス化しているだろう。
何度も言いますが、森田さんが現在行っている設計作業と村と共に暮らす、その姿が世界標準だと思います。日本の建築家は建築学会130年イベントがあり短い歴史しか持ってない。普通に豊かに暮らす建築家が暮らしながら、村をつくろうとしている森田さんしか知らないですよ。これからも探してみますが。

森田さんが学生と対面で授業をもてず、現在現場教育に迷っている。その詳細をお聞きしたいです。建築家のロールモデルが東京だったりして、世界を駆け巡っているスター建築家をモデルにしているのか。でもあの姿も建築専門誌とマスコミの情報の流し方によって作られている。人間が作った情報だから当然、偏ってます。雑誌の中はよき建築家の姿の事実とは違うと思います。日本の建築家凄い、やるやる!と偏り気味の情報を流せば建築を学ぶ若い人は、それが日本の標準建築家の姿なんだと、間違った考えを持ってしまうことでしょう。
森田さんも菊眞さんもアフリカ行ったり、建築造ってきて姿を示し続ければ日本の建築家やその人たちによって造られる建築家像が相対化して見えていると思うんですよ。私はお二人は違う建築を見ていると思います。現在も建築家は発注者が誰であっても設計するとだろうし、そういう意味では節操がない生き物です。どんな金だか調べずに金持ち誰に依頼されても設計する。

森田:渡辺:うん、うん。

佐藤:お二人はキャリア教育バンサイ!の世にあって、自分の建築教育も行わざるを得ない状況に置かれている。
スター建築家を祀り上げるためにグラビア雑誌つくって売っている、そこは表現の自由もあるし、商売だから許されると思います。そこに登場する建築家たちが森田さんのように地域と密着して友達と親密に交流して建築を生み出しているとは考えにくいですね。彼らの編集意図は建築界のホリエモンやヒロユキ的金持の像がモデルでしょう。ああいう勝ち組の生活、あれが豊で幸いだとは思えないですね。森田さんの暮らし方、そしてそこから生み出す建築が世界的な名建築であると掲げる建築メディアが無いだけです。今は森田式建築造りが普遍化できないだけだと私は思います、いかがですか。情報の出され方、建築専門誌任せでいいのでしょうか?建築家の情報は専門家任せの受け身でいいんでしょうか?
菊眞さんは自分で本を刊行していますね。飛ぶようには売れないとは思うんです。情報の量と質の偏りというのが、現在のような教育現場でも貧しい状況を生み出しているんだと推測しています。

森田:そうですね。

佐藤:私は菊眞さんや森田さん、違う媒体を作って少しづつ発信していくのがいいのではないかなーと思っています。新年早々おめでとう!からギアチェンジして暗い空気になってきているから、

森田:暗くはないです

 森田・渡辺笑っている





















建築科学生とインスタグラム 情報参照先について

佐藤:今年は森田さんも菊眞さんも世界と旅して建築を造って静原と高知に根を下ろし面白い建築を造って来ている、多く知られるべきだと思います。
森田さんが近隣の家屋敷を買って。村づくりしているというのも凄いことじゃないですか。都市計画家のようなことを実践されている。俺は面白い建築家が二人現れてると思っています。出来たら、面白そうな建築関係者を呼んできて、語り合ってネットで公開して、既存メディアとは違う媒体を作るのがいいんじゃないでしょうか。
学会に関わっている若い人たちは媒体をどうしているのか気に成ったので、12月4日に川勝真一さんと辻琢磨さんと学会のパラレルプロジェクションズの6年間の活動について語り合いました。30%は公開できない内容でした。
森田さん大学就任おめでとう!なんだか暗くなちゃったので、メディアの話に変えてしました。

渡辺:ははははは。

森田:最近面白いのは、僕らの頃は設計演習とかやっていて、参照できるのは新建築とか、GAとか、ちょっと鼻の利く奴がいるとエルクロッキーとか見ていた。今の学生は雑誌を見ないんですよ。インスタグラムですよ。ネットで画像検索するんです。今はキーワード入れて画像検索する。
今までの建築メディアっていうのは新建築とかGAとか、いろんな編集部のプロが編集して、これがいいというものが、ある種のフィルターで。良し悪しですけれども、編集して作られたものを皆が参照していた。
今はインタスタグラムだから、良いも悪いも、それが本物かどうかも、唯のCGなのかもそれも分からないまま、学生がいいなーみたいなのを、スマフォを見て参照しているんですよ。

佐藤:仮想現実と現実とがスマフォ、手のひらの中で攪拌され紙媒体的な編集はできない様になった。学生の気持ちは分かるね。

森田設計演習のスタディーって学生はスマフォンでインスタグラム見ながらですよ。誰も紙媒体見てない
佐藤:Z世代だ、素晴らしい若者たちだ!
森田先生この画像!いいんですよ、という感じですよ。僕はスマフォを見せられて、老眼で見えなくなっている目で対応している。渡辺・森田わらっている

佐藤:情報革命が起きて四半世紀たちました。Z世代が誕生して建築の大学にも彼ら彼女らが押し寄せてきているんだから、紙媒体がメイン地位から落ちていくのは当然ですよ。でスマフォで良い建築の基準が変わる。なら紙媒体は消えてって過去のメディアになるしかない。凄いいい現場に立っていて面白いですね。先生もインスタグラムに参戦し、Z世代の学生に参照していたただけるような情報を発信するしかない(笑)
,
森田:今は鼻の利く建築家ってみんなインスタグラムのハッシュタグ作って自分の事務所の連中に投稿させているんですね。新建築なんか見てない。
佐藤:設計事務所は情報発信要員を雇って発信させる。トランプ元大統領に倣っていて、フェークを多量に撒き散らす、事実は何かが飛ばされてしまい、もともと建築界にジャーナリズムは無かったという立場だったので、顕在してきて私にはとても面白い、興味深い状況ですね。






パラレルプロジェクションズをふりかえる
2020年12月4日記録を読む 







森田:面白い!有象無象のデザインが溢れ返って、何を良いとジャッジ、だれもそれをジャッジできない。世の中には隈研吾の建築が溢れているから、学生は皆隈研吾の本を見ているし。布野先生がこの間、雑誌会社の記事で隈研吾の建築は徹頭徹尾フェイクだって辛辣な記事を書いていたんだけど。だれもそれを読んでいない。検索すると隈研吾にぶち当たる、という。そういう状況が面白いと思って。

佐藤:検索エンジンが出来た時にグーグルの悪を書くとグーグル八分にされたそうです。これだけヒットすると、隈研吾さんはグーグルに資金提供しているんじゃないんですかと思ってみたくもなります。検索エンジンやインスタグラムでヒットしまくる情報を作ることが、現在の日本の社会の投影で面白いと思います。
そういう影響かでしょうか、市町村の首長さんも隈さんに建築設計を依頼すればインスタ映えする建築が出来る、と思っているようです。津波被災地で地元の建築家同士が争いになってしまうと責任取りたくない首長さんと行政人は隈さんに依頼し弾除けにする。隈さん滝壷現象は3・11以降加速してますね。
福島県の浪江駅前の町づくりは隈さんに依頼しました。原発事故で消えてしまいそうな町の再生だって隈さん頼みです。ポストツルース時代にあって、設計業界では隈さん一人勝ちのような現象が生まれたのは記録されるべきでしょう。隈さんの戦略が巧みなんだと思います。批判される良し悪し両方でインスタグラムに投稿させてしまう巧みさですよね。
建築は豊かな事態だったけど、隈さん的な建築に均質収束して詰まらなくしているのも彼でしょうから、設計が一人の人に集中することで起きる貧困は明らかですね。
フェーク時代、建築的ポストツルース状況は手の打ちようが無くなっているのでしょう。そのことは布野さんに限らず多くの人が分かっていて、実現させていることなんじゃないでしょうか。

「フェイクとオーセンティシティ:建築の虚偽構造」 布野修司著を読む


絵:上記記事より

森田:そうですよね。みんなインスタグラムで見てて、あれがいいこれが良いと言っていて。僕が学生の頃は研究室に新建築とか置いてあったけど、先輩は掲載建築をぼろ糞言っていた。例えば渡辺豊和さんとか来ると、こんなものは糞だとか、安藤忠雄は糞だとかぼろ糞言っていて。こういう雑誌に載っている人でもそういうふうに言われるんだーと思って、ちゃんと自分の目で見なきゃと、思わされた。今は特に関東だと、そうらしいんです。隈研吾の悪口って表立って言えないらしんです。

渡辺:そうなの!?
森田隈さんの関係者が多すぎて、どこの研究室に行っても隈研吾の関係者だらけ。研究室で出来の良い奴は隈研吾の事務所に行く。だから表立って批判できないようなところがあるそうです。関西はまだましなんだけど。批判とか、そういった精神が育ちにくいんですよね。
渡辺:そんな状況なのか?
佐藤:一つ人気に収束しいる様は人間にとって末期的だっていうことです。
渡辺:それは末期的です。
森田:なかなか末期的ですよ。
渡辺:そうなんですね、うーん。

森田:今学生はフィルターバブルって言って、グーグルで検索して情報が蓄積していって、隈研吾好きなやつは画像がドンドン出て来る。
渡辺:確かに、そうだ。
森田:どんどん自分の設計の中に閉じ籠っていちゃう。そういうところがあって。

佐藤:隈研吾が嫌いな人も隈さん建築体験してインスタグラムやSNSでネガティブ投稿するでしょう、アンチ応援隊に組み込まれていますね。で、隈さん情報がさらにあふれますね。隈さんエコーチェンバー現象。東日本大震災と新国立競技場によって加速しています。
森田:そうなんです。
佐藤:インターネット検索時代にはそういう情報の滝壷状況が起きて分断と対立が残ってしまうことは常識になってます。

森田:Twitterとかフェースブックで隈研吾の建築は糞だ!みたいな事を言っている人はいないんじゃないですか。

渡辺:確かに居ないね。

森田:批評するメディアが無くなっちゃったので、みんな良かった!みたいな、ここのカフェでまったりしました・・みたいなのが多すぎますね。ふふふふ。





以下文章 webより 
世の中には様々な人がおり、様々な意見を持った人と触れ合うことが出来る。世界に開かれたグローバルでオープンな場で、「公開討論」のような形で意見を交換し合うことができるコミュニティがある。一方で、同じ意見を持った人達だけがそこに居ることを許される閉鎖的なコミュニティもあり、そのような場所で彼らと違う声を発すると、その声はかき消され、彼らと同じ声を発すると、増幅・強化されて返ってきて、「自分の声」がどこまでも響き続ける。それが「エコーチェンバー」である。


エコーチェンバー現象(エコーチェンバーげんしょう、英: echo chamber)とは、閉鎖的空間内でのコミュニケーションが繰り返されることにより、特定の信念が増幅または強化されてしまう状況の比喩である

「自分の声」があらゆる方向から増幅されて返ってくる閉じた空間、エコー・チェンバー






佐藤:批評したりマイナスイメージを書くと友達が嫌がると思い自己規制している。
森田:みんな、いいね!したいんですよ。いいねしたいの。悪口を書いたら唯のウザイおっさんとして扱われる。友達外される、みたいな。・・・大笑いしている・・・渡辺、森田大笑い止まらない
佐藤:仲間の群れから外れると不安になると思い込んでいる。だからいいねから外れたくないのでしょう。IT革命から25年、面白い現状ですね。
菊眞さんが福島に来た時に喜多方市の長床に行ったんです。見物人一杯来ているんだけど建築を見ず撮らず、大銀杏の黄色い落葉がある黄色の絨毯になる、地面を撮る。


 2021年11月21日福島県喜多方市長床のインスタ映えを狙うようす

森田:フォトジェニックなるわけね。
佐藤:それを見て菊眞さんが笑ってた。いいねが撮れる場所に行って、自分もインスタ投稿に参加する。楽しむ動機がとても受動的です。でも、そういう人が多いのは今の世に限らないと思います。建築的ミーハーは私の20代にもたくさんいました。髪型に服装に、イケメンアイドルに集まって大騒ぎして追っかけする様子も戦後から何も変わらない。

渡辺:たぶんそうですね、日本は特にそれっぽい気がします。

佐藤:大学で隈研吾さんの悪口や批評を言えなくなるのは不健全ですね。根拠も無く隈さんだめじゃないかと言うのも間違っている。キチンと批評する人が居て批評が残ればいいですけどね。そういうマイノリティーを本来的な学生なんだと思える、一人でも2人でも発掘すればいい。育てることができれば尚いいんじゃなかと思います。一極にまとめる末期的な隈さん現象に巻き込まれてしまうのは大人げない。こちらが腐らずコツコツ発信し続ければいいんじゃないでしょうか。布野研で育った人たちはそういう一過性の大騒ぎには巻き込まれず、諦めないようにしてもらいたいです。研究室で酒呑んで批評するんだよと、孤立してる大学の変なオジサンの姿を見せ続けるのは大切じゃないですか。


森田:研究室で酒を呑んで流行っている建築家の悪口を言う、そういうことをやらないと。
佐藤:ネットや紙媒体見て、手抜きして言わずに、現場に行って見る。そうして批判すればいいんじゃないかな。
森田:そうですよ。

佐藤:言論と表現の自由は保障されている権利だから、何を言ってもいいけど、言葉に責任をもつ自由な表現だから。責任持ちたくないから、横並びになり、いいね!を押し続けているだけじゃないですかね。責任もって悪口いったり批評する面倒な手続きを経て言論を行為する姿を教えればいいんじゃないですか。批判されたりもてはやされても本人はさほど影響受けないでしょう。
渡辺豊和糞と言われても最後の建築を造っています、現代イワクラは施工に10年掛けて石工たちが自ら造った。現代イワクラのあり方は、現在建築の作り方や現在社会批評にもなってるし、エコー現象も体験できるのでとてもいいですよ。(菊眞さんと佐藤の現代イワクラ語り録へ)



■21世紀 建築あれこれ

渡辺
:そうですね。
佐藤:菊眞さんのお父さんの最後の建築の話になってますけれど、現代イワクラというのは現在の建築家も批評する作品にもなっています。10年ぐらい石工たちが時をかけて、自分たちで施工したんです。で4年ほど前えに完成したんだと思います。森田さんはご存知かどうかしりませんけれど、西脇古窯陶芸館に行ったことありますか?

森田:はいはい、僕は行った事はないです。



佐藤:あの建築はお金が無かったそうで基礎と屋根しかないです。さらにシンプルな現代イワクラは屋根がない、基礎だけ建築です。屋根は蒼穹で青空なんです。極限の建築で傑作ですね。限界建築です。現在の建築を批評してる作品です。いいんですよ。建築家があそこに行く境地は仙人技ですね。雑誌に載らないでしょうし、持ち主は非公開だと言ってますので、マスメディアにも載らないと思います。
渡辺さんはバブル時代には、はっちゃけた建築をたくさん造ってましたけど、最後の建築は何も無い基礎だけ建築でお仕舞と。建築の終わり方としても感動しますよ。すこし渡辺豊和さんの最後の建築のことをお知らせしておきました。


もう一つ 話題を少し変えた質問です。雑口罵乱9号の中に西沢大平さんの回を偶然お正月に読みました。森田さんが参加されていました。

森田:あの時は居ました。
佐藤:西沢さんは近代建築が終わったあとの建築を現代建築と名付け、21世紀建築をつくっているということですが、面白く読みました。土工事とRC基礎を造らないで建てた体育館、東京に住んでいて地方に造る機会がなく劣等感を持っていたとか、で砥石の砥に用で砥用町、何て読むのかな?

森田:ともちだったかな、変わった名前でした。その話は聞きましたよ。

佐藤:土工事をせず、採石を固めて、基礎に鉄骨を敷き並べて、その上に柱を立てていく。正月に初めて知りました。森田さんの建築も、菊眞さんの建築も21世紀的建築ですが、西沢さんの近代への挑戦を見てどう思いましたか。東京で建築家として森田さんのような豊かな暮らしをしているか、分からないけどね。


 絵:サイトより 

森田:笑ってる、そうですよね。西沢大平さんが言われていることは、本当にモダニストなんだなーというか、近代建築の考え方を進めていってどうやって21世紀に辿り着けるかみたいなことをやっているのかな、とうい気がしますけど。

佐藤:それで近代を脱したいけど出来ないと。それは東京で暮らしてるからでしょうかね?近代都市にどっぷり浸って暮らしてて、脱近代は成らないように思いますが。

森田:分からない。西沢さんはいけると思ってやっているじゃないですか。僕は、古い技術に興味がないんですか?と聞きましたら、無いなーみたいな事を言われてました。

佐藤:左官屋さんから古建築の改修も現在の建築も造っている森田さんから見ると、ハイテク建築に見えますよね。

森田:僕は民家が進化していった末に今の建築がどうあるか・・・みたいな考え方をすると思うんです。西沢さんは近代建築が進化していった末にどうなるか?というのを見ている気がします。鉄と硝子をどう使うかみたいなことを考えている。

 










古窯陶芸館 地下回廊
左右二枚mizmizさん撮影





佐藤:で、結果、建築家が幸せで豊かな暮らしをしているかどうか?だと思います。
       渡辺・森田 笑う
森田:そうですね。
佐藤:そうリア充というか、設計した結果に至り、本人が豊かな実生活を手に入れているかどうか?そこは問われますよ。設計事務所のブラック体質を撒き散らしている建築家では問題ありすぎます。

森田:どういう環境を幸福と感じるかというのはメンタリティーの違いもあって。例えば僕は、こうやって陽が当たる、日当たりのいい2階に住むのが好きなんだけど、菊眞さんはあえて日陰の北側に住むのを選ぶメンタリティーもあるわけで。
 菊眞さんわらっている
お互いの美意識の違い、人生観みたいなものが現れてるわけですから。

佐藤:二人は、地方に住んでゆったり暮らしていて面白い建築を突き詰めて造っている。その点は共通していると思います。菊眞さんがどれだけ地域に根付いているのか?見ていないので分からないです。森田さんの地域の根付き方はいいなと思います。

森田:僕は太平洋型の弥冨の生まれなので。菊眞さんは北日本の血が濃くながれている。
渡辺:そうですね。ふふふ
佐藤:土佐の高知の太平洋をみて暮らしているから変化してますよ(笑)





ブラック企業という言葉が社会に浸透して久しいですが、建築業界その例外ではありません。特に、小規模な建築設計事務所の中には、アトリエのフリをしたブラック企業が存在します。絵サイトより 読む 
血と地 宙地の間に至る

佐藤:菊眞さんの刊行された『別冊渡辺菊眞建築書 感涙の風景』の感想を書いて、思ったんですが。菊眞さんとは無関係の奈良の田原本に生まれ育って血と地の違和感、よそ者観の源泉が面白いんですよ。お父さんが家を建てる時の土地選びは大いに適当な人でして「どうして田原本に土地を買ったんですか」と聞いたことがあります。坪単価10万円の土地探せと不動産屋に頼んだそうです。で買えたのが田原本だったそうです。お父さんは住む土地に拘りが無かったんです。で、土地へ拘りの無さの害をこうむってしまったのが菊眞さんだと分かりました。田原本は保守的な土地柄なんだと思うんですが、よそ者が来て家を建てると差別意識が頭を持ち上げる、そういう保守性があったようです。菊眞さんの血と田原本の土地の関係の無さで、少年菊眞さんは苦労され育ったことが分かりました。

森田:宙地の間がある場所の方が、農村的な村落的な雰囲気は残っているね。

渡辺宙地の間があるところは新興住宅地の一角です。ちょっと外れたら、伝統的な村落はあるんだけど、田原本の方って、今は新興住宅地の比率が高くなっちゃったけれども元来は僕らが居る所、以外は古い村落があって、他は田圃しかなかったんです。むしろ、関係性で言うと、宙地の間がある方が新興住宅地の中に居るから、似たような人たちがいるんだけど、田原本の方は中世からずっと居ますみたいな人たちだったので。

森田:そうなんだ?!

渡辺:それで、そういう事(郊外住宅)が珍しい時代だったので、だから村の人にとってみれば、あの橋より向こう側に居るというのはあり得ない、という感覚でおられたようです。だから親たちは関係ないだけど、僕たち子供は村の子たちと仲良くなって、子供達は仲がいいんだけど、親があっちの子供かっていう顔をする。で、けっこうキツかったのよ、僕はね。
なので、村の文脈と違った話とか、ですかね、古墳とか村の人皆さん興味が無いので、そこにあるコスモロジーみたいな風景とかには癒されていたんだけど、村の文脈からは、弾かれざるを得ない状況があったのです。お祭りには参加できないとか、何か割とそれの狭間にいたような感じが、いまだに尾を引いているところはあるんだけどね。









 宙地の間のデータPDFを見る

佐藤:菊眞さんはどこに行っても居心地が悪いわけですよ。
渡辺;わらう

佐藤:森田さんはそうじゃない、建物を建てたら周りの人から花束をもらって皆から愛されて、その村を去る建築家なんだけど、菊眞さんの場合は石の礫をもってぶつけられて追い出される建築家なんだと語る。

渡辺:そういう話ですよね はははは
佐藤:森田さんは放浪型の人だから関係性のつくりかた、構え方が上手い。放浪というか漂白の楽しみの仕方が異なる。まるで逆、比べると面白。

森田:そうですよね ふふふふ。
佐藤:菊眞さんは田原本では悲劇の王みたいになっているんだけど、森田さんは楽しい土地を放浪しまくっているように見える。渡り職人をまま生きているというか放浪ベクトルが違うので比べて見ているとすごい面白んですよ。
菊眞さんは宙地の間という概念を編みだし、家を建て暮らし始めたことでようやく、菊眞的安定を手に入れた感じがします。宙地という概念を発明した時に菊眞さんがやっと血と地の関係から開放されたように気がしたんですよ。
宙地の間の最初の模型を見ると、このまま造ったらどうにもならないんだけど。

渡辺:RCの模型ですね。

佐藤:最悪の模型で、ここで暮したら死ぬな・・・というほど暗く重たいんですよ。概念と実建築が一体になってなさそうな。
渡辺:高崎正治さんのような模型・・・渡辺・・大笑いしている・・・

佐藤:酷い模型でしたよ。木造に変わって、実際に造られたことで、田原本で育ったよそ者観、疎外感、違和感などから全て解放されました。そうして菊眞的建築の道が拓かれ、これが菊眞的建築であると。宙と地の間で建築を作るんですから、普遍性もあり。独特な解決策というか居心地を発明しました。宙地と称する快適な場所を見つけちゃったなと思います。概念的な場所なのかも知れないし、普遍的な場所なのかもしれないんだけど、森田先生と比べると、森田さんは具体的でリアルに暮らしていますから分かりにくいんですけど。辿り着いているところは一緒だなと思います。
この二人はおもしろいなーと思います。
大学で森田さんはコンクリートの研究をされていて、布野研とは関係無かったよようですね。材料を研究してセメント会社に勤める気持ちだったんですか?


 絵:宙地の間全景




 
宙地の間の日時計 PDFより

























二人の個展と博士論文

森田:コンクリートの研究、あれは1年だけ意匠の研究室に行こうかなと思っていたところ、そういう不埒な奴は弾かれるんでしょうね。研究室に入れてもらえず、しかたなくコンクリートの研究室に行ったんだけど。でも、こんなの練って固まるのって面白いなーと思ったし。面白かったですよ。

佐藤:その当時、菊眞さんは課題を与えられると月面宙返りのような作品を出されて、森田さんぶっちぎられていたわけですよね。
森田:そうそう
佐藤:菊眞さんの課題作品を見て口あんぐりして皆見ていた。
森田:そうなんですよ。
佐藤:で、30年ほど経って、お二人は自分の立つ土地を手に入れて安定しています。学生時代の時はお互いあまり語り合わなかったそうですが・・・菊眞さんの個性が強すぎたかな。
森田:そうそう。
渡辺:どうなんでしょうね。僕は森田さんの個性が強いのかなと思ってますけどね。

佐藤:菊眞さんの事は学生の時分、1990年代から大島哲蔵さんなど、関西の建築家と豊和塾で知り合いになってました。森田さんを知ったのは2009年、20年も後です。聞き取りで分かったのは菊眞さんが個展を開くと森田さんも個展を開く、お互い影響し合っていた。いい感じの関係ですよね。森田さん、個展は何時開催されたんですか?

森田:個展は左官屋を終えてからですね。修士終ってからですね。
佐藤:菊眞さんが25年間まとめて作品並べて個展をされました。そろそろ森田さんも個展を開く時期になってるんじゃないですか?


 絵: 森田一弥さんHPより

森田:本当ですよね、
佐藤:作品はだいぶん溜まったんじゃないですか。
森田:そうですね、いろいろやってきたなーと思いますね。
渡辺:実際の事務所をやっているから、切れ目が見つかりにくいでしょう。まとめて個展をやるみたいな時間がとりにくい。
森田:そうそう、だからこそ博士論文を書くっていうのは大事だったんだけど。
渡辺:はい、はい。

森田:実は博士論文を書ける・・と聞いたのは同期の竹口なんですよ。
佐藤:役に立ちますね!
森田:役にたつんですよ。
渡辺:そうかそうか。しかも彼はだいぶ前だったよね。

森田:僕の半年前に彼は入学していて。
渡辺:その程度の差でしたか。
森田:そうそう、半年ぐらいの差。今工繊大に行ったら、受賞歴と掲載歴だけで博士論文書けるよ、お前も行けよ、みたいなことを言ってくれて。あ、行くと言って。

佐藤:山本さんも博士論文とりそうだね、柳沢先生が『住体験インタビューのすすめ』を刊行されて、日本各地の先生と連携して広めているそうで、その中に山本さんも入っているような話でした。博士論文取得は旦那さんの竹口さんの方が先に取得されたんですね。竹口さんも役に立ちますね。

森田:そうですよ、今でも会うと、お前俺が言ったからなドクターはいれたんだよなと。
佐藤:恩着せがましいところが、彼らしいですね。
森田:恩着せがましく言うんですよ。

渡辺:僕は森田さんから、同じ所に入ってるので、そこで博士号とれる、教えてもらいました。
佐藤:博士号取得は期限があるんですか、何年掛けてもいいんですか。
    森田・渡辺:最低2年ですね。

佐藤:博士号とらず(とれず)に大学の先生に就いちゃった人も多そうだから、朗報ですね。

森田:やっぱり博士号取得するタイミングが無いというのが大きくって、一作一作は積み上がっていくんだけど、全体として、どういうことを考えたのかをまとめる機会は、なかなかとれない。菊眞みたいに展覧会でもやる気力が無いとなかなか出来ないので、そういう機会を自分でつくれるっていうのは凄いありがたいですよ。







動画
新建築住宅特集2017年2月号 法然院の家|森田一弥建築設計事務所
時を経て書く博士論文

佐藤:展覧会開催の話から博士号取得の話に展開していますが、森田さん論文をとる切掛けをもう一度お願いできますか。

森田:切掛けですね。自分がやってきたことが古い左官技術への興味だとか、布野研究室に居た時の民家を観て歩いて、旅行もそうですけども、民家から学んで来たことみたいなもののテーマがベースにあって、自分の設計の仕事をやって来たんだけど。それが背景、全体としてどういう事に自分は興味があってやってきたんだろう、それが自分の中の興味としてあって。なんとなく僕って同じものを続けて造っているというよりは、バラバラのものを造っている印象があると思うのです。そこに、統一して流れているものは何なのか?って、それを自分でちゃんと言語化したいというのがあったですね。

佐藤:なるほど、それはいいですね。森田さん建築で何をやている?分かりにくいところはありますね。居を構えた地域や建築を通しての暮らし方は豊だけど、建築造りをとりだすと分かりにくいんだと。未分化のままでも興味深いですが。

森田:そうですよね。キーワードとしてはリノベーションというものがあるかなーと。リノベーションというと古い建物を直すというのが、一般的な意味ですけれど。リノベーションというのはそういうハードだけじゃなくて、例えば建築の技術だとか、町家みたいな形式だとか、そういうものに対するリノベーションという、アプローチもあるんじゃないかと。僕のテーマにしている事で、その結果どういうものを目指しているのか、そう言った時に僕は時間をそれを通して設計しようとしているんじゃないかというのが仮説だったんです。

佐藤:時間を通して森田建築を再発見するんだと、カッコいいじゃないですか。

渡辺:あのタイトルは一発目で決まっていたの? 森田さん自身がバシッと決めれたの。
森田:たぶんキーワドで時間の設計というものが、興味としてあって。そのためのアプローチとして僕はリノベーションというものが、あるんだろうなと。いうのをなんとなく浮かんだんです。それをどういう組み立てにするのかというのは書きながら考えていく。
渡辺:松隈先生とその当たりの話をしたんですか、直ぐに森田さんはだいたいこれで、行きますからと感じだったの。

森田:そうですね、松隈先生も好きな事を書いたらいいよみたいなことを言ってくださって。
渡辺:素晴らしいですね。ふふふふふ
森田:好きな事を書いたらいいよと。で月に一度目次を持って来いと。月に一度も行かなかったかな、二ケ月に1度かぐらいの間隔で目次を持っていって。目次と論文の目的かな。そのような文章を持って行って。いろいろ世間話をしながらその話をして。

佐藤:博士課程ですが、ふりかえって見る個展のような、そういう博士論文のありかた今回初めてお聞きしたんです。自分で建築家人生に節目を入れるために博士課程があるというのは建築家にとってはとてもいいと思いますね。

森田:そう思って、修士課程の延長で博士論文を書くじゃなくって、修士出てから15年とか20年を経てドクター論文を書けるっていうのは凄くありがたいです。

佐藤:いままでですと雑誌に発表しても批評家に評論されることも少ない実建築だと思います。博士課程に入って自分で造って来た作品を再度見つめて、自身を問う博士課程は意味のあるものだと思います。50才当たりで一度節目を入れる意味も大きいと推測します。それが無いとセルフプロモーションが過剰になり、流れっぱなしになる可能性が高い。15年とか20年掛けた自作を相対化する、見直す。博士論文を書き上げる、新しい出来事のように思えるしいいですね。
森田:そうですね。
佐藤:渡辺豊和さんも50代半(?)で東大で博士号を得てます。本人にとっても観客にとってもいい効果をもたらすように思えます。
渡辺:そうですよね。

佐藤:例えば森田さんに初めてお会いしたのは2009年8月でしたから、13年弱、経ってます、森田さんを追っかけて観察していて分かりにくい点も一杯あります。でも直感的に分かっているのは、放浪した末に地域に根付き楽しそうに豊かに建築家人生を過ごしている、稀な一例だということです。最初の冬は家が寒くて耐えられないということで断熱改修されて暖かくなっている。快適さを積み上げて獲得しながら建築を改修されています。
今日お聞きしていますと、博士論文も手に入れられ、脳味噌も幸せにされていました。いい感じだなーと新年早々思いましたね。

松隈先生がどうして、社会人博士課程をつくられたのか?お聞きしてみたいですね。昔からあったんですか?













絵:ネットより 松隈洋 京都工芸繊維大学教授。1957年兵庫県生まれ。1980年京都大学工学部建築学科卒業後、前川國男建築設計事務所に入所。2000年4月京都工芸繊維大学助教授。2008年10月より現職。博士(工学)。専門は近代建築史、建築設計論。文化庁国立近現代建築資料館運営委員

森田:たぶん竹口が一期生みたいな状況 はははは
渡辺:そうだよね。
森田:つい最近できたんですよ。その背景としては大学側としてはプロフェッサーアーキテクトを増やしたいんだけど、その候補になる人間にドクターを持てというのが、実務家として十分やってきた人間でドクターやれる人間って本当にごく一部しか居ないから。選択肢が無いからそれを増やしたいということなんですよね。
それで今はいろんな人が博士号を取得して、ずっと大学に居ずらかったのが、それで救済されている人が多いと。ふふふふふ。


 その03へ続く 
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動画 
森田一弥さん推し曲
バッハ − ゴルトベルク変奏曲 BWV.988  グールド演奏 1981