現代イワクラを体験し呑みながら語り合う 01 
  01 02 03 世界の巨石
作成・文責 佐藤敏宏
動画:2021年11月20日快晴
現代イワクラ西門より

呑み語り合いは
2021年11月20日よる8時頃から
福島県福島市内

佐藤:今日はありがとうございました。一般には非公開の現代イワクラを体験してきたので、記録を残しておきましょう。みんなを悔しがらせましょう。非公開の場所ですよ現代イワクラがある場所は。
渡辺:誰も悔しがらない!(笑)布野先生が寂しがるぐらいですかね。

佐藤:記録を作成して残さないと忘れちゃう。呆け老人なんでね。今夜は福島の地酒を呑みながら、日中体験してきた現代イワクラ千万家、明日訪ねる栄螺堂についても語っておきまししょう。
少しふりかえっておきます。11月14日にメッセージがあり、こんな内容でした「・・唐突なのですが、11月20日に福島に行こうかと考えております。お会いすることなどは可能でしょうか。・・・」と、「・・・前日に会津若松にはいって、栄螺堂など、見てから福島市に向かおうと考えております。20日土曜日に佐藤邸にお邪魔させていただけたら幸いです・・・」と。栄螺堂を見学したいと言うが、渡辺豊和さんの「現代イワクラ」には目が行かないのか?親子って、そんなもんなのかなと不思議に思いました。高知から福島県まで遠いよ、はるばるやって来くるのに、そりゃないだろう!(渡辺笑っている)「現代イワクラ」の目と鼻の先まで来てるのに、体験しに行かなけば!なかば強引に行動計画・日程を変えさせました。

日程変更してもらったのはよかったけど宿が空いてない。福島競馬最終週の開催でどこのホテルも満杯!?温泉場も空いていない。仕方なく会津や喜多方を空き室を調べても同様だと。コロナ明けで皆が一斉に観光に押し寄せている、そうとは気が付かぬボケ老人。宿が無ければ福島市内のラブホに泊るしかねーなと。そう思っていたら、ギリギリになると、お導きで穴場の宿が見つかてしまいました。今語り合っている、この宿は静かで部屋の面積が広くってオマケに福島城の中、ここに導かれてしまいました。傍には福島河岸があり江戸時代には城米を江戸へ運んでいく拠点、集積地でもあります。昨日は前夜祭で太陽と月と地球によって演出された月食がありまして、この2日間でいろいろ体験してきました。

まず、現代イワクラに行く前にどんな感じを抱いてましたか。私は図像で見てこんなもんかなーと、春分の日、秋分の日に体験するのがよく、日時計、あるいは暦的な建築だなーと思っていました。図面を描いた菊眞さんは体験しその辺りはどう思っていたんでしょうか。








福島市内で呑んでいる様子。呑みながら語り合っている

渡辺:写真とかで、事前に何となくは見ていたこともあって、気にしていたんです。逆に昨日もあったので調べようと思えば調べられたかもしれません。でも、それをする気にはならなかったので、今日は行くまで何も考えないで行ってました。ですから、行き帰りの電車でもグダグダ喋ってましたし、現代イワクラに向かうタクシーに乗っている時も、それが現れる道程を楽しむというよりは何も考えてなかったです。それが正直なところです。
10年以上前に図面を描いたりしていて、いつ出来るの?気にはなっていたのも事実なのですが、行った時にどうなんだろう、ということよりも欠けていました。逆に「グジャグジャ考えるのは今回に限ってやめよう」という思いが強かったです。

佐藤:俺は最初に聞いた時の印象は暦建築だろうから、日の出入りと影の動きだとか、風景の見え隠れ、視覚的な操作をするために作っていると思っていました。そういう計画的なことよりも、現代イワクラの所有者がなぜこのような建築を造ったのか?造ろうとしたのか、そこを知りたかったですね。で幸運にも1時間ほどインタビューしてしまい、いろいろ聞かせていただき分かったことも多かったです(インタビュー記録は完成したが公開未定)
現在の代表である山田さんのお父さんと渡辺豊和さんはイワクラ学会での関係でした。現代イワクラのある事務所を訪ねてあまりにも現代的に洗練されている建築と語りでしたので、現代イワクラがここに在るのか?と。場所を間違えたかなー、思い違いしているのか〜と、現代イワクラと聞き取りさせていただいた場のギャップが大きすぎたので、戸惑いました。

渡辺:あの空間と話もそうでした。

山田正博著『山にいのちを返すー大蔵山採石場にて』

佐藤:現代イワクラを造る人たちのベースは荒々しい、粗野味タップりで、がちり自然と対峙するような場だと思い込んでいました。ですがクールな山田代表から話を聞かせていただいて、良かった点も多くありました。5代目に当たる山田さんのルーツは、仙台城の麓にある大橋を造りために兵庫県高砂市から渡ってきた渡り職人の末裔でした。彼らは橋を造ると仙台市から南下し、大蔵山に住み込んで石を掘っていた。古来から石工たちも渡りながら地方の文化や技術を支えている、地域の文化をささえている一つは外からやって来た渡り職人たちの力も大きい。山師ですからね、修験道との連携も感じました。現在も彼らは文化的な振動を起こして、石に関してもいろいろな製品を作り出しているんだなーと感じいりました。山田代表の話を聞きながら想像しておりました。
5代目になると渡り職人観は薄れて来ていまして、世界のアート表現のシーンと共振しようとしたり、採石場の再生とアートの絡み合いで山を整え再生させていく意気が強く、とても現代的な行いで、お洒落な感覚でした。思い抱いていて素朴さや粗野な切り場観が払拭されてしまいました。ですから面食らってインタビューしてしまいました。

私の体験でいうと、1970年代から80年代に半ばごろまでアースワークとか美術家が屋外に出て作品を造ったりするインスタレーション、さらに暗黒・舞踏などの身体表現が盛んでした。私も福島市内の温泉場でアートイベントを開催しましたし、作品も野山の会場に出品したりしました。あの時の粗っぽさが、40年経つと各地方の公共イベントに回収されて、各種イベントは作品もソフィスティケートされています。アートの公共化などの動きと、現代イワクラの制作もパラレルになっていました。地域おこし的な文脈なのかなーと思って拝聴していました。
しかし、それらの語りからは、現代イワクラ体験談で、菊眞さんのお母さんが語った「自然に涙ぼろぼろでちゃったのよ〜」したという語りと繋がらなくって・・・。で静かに大まかなお話を拝聴させていただいていました。話が進むにつれて、まさか!がありました、それは現代イワクラを造った本人の方の思いが記されている本があった!『山に命を返すー大蔵山採石場にてー』本の存在は思いもしていなかったので、とても幸運な点の一つでした。
出がけには「何もないので、聞き取りして細やかな記録を残すしかないのだろうなー」と。録音機を持って出かけました。中味は読んでないんだけど、本が刊行されていて、気が抜ける感じでして、それは良かったな〜と思いました。この1冊で済んじゃうじゃん!と、思いました。もうちょつと聞きたかった点は、大蔵山の採石場を見つけた時の事です。5代目を遡る話なので、難しい感じもしました。

ロバートスミッソン作:アースワーク1980年代


佐藤主催:1984年 土湯温泉パフォーマンス&シンポジューム毎日新聞依頼 原稿による記事

渡辺:はっきりは分からなかったですよね。

佐藤:菊眞さんが聞いたように初代の方が大蔵山辺りの集落に使われていた石を見て、伊達冠石と命名する前の、泥被り石を村の中で発見して石の在りかを探ったとか。5代前の方の活動が詳細には分かりませんでした。本に書いてあるかしれない(書かれていなかった)ので読んでみます。ただ渡り職人、石工のプライド・精神が連綿と引き継がれているだなーと分かりましてとてもいいじゃんと思いました。5代目にしても、よそ者観を体現してる感じは、いいと思いました。渡り職人・石工の誇りというのか矜持というのかあるのはいい。
菊眞さんは山田さんの話を聞いて何が印象に残りましたか。

渡辺:兵庫県高砂市の出身ということに、そうなんだと思った。同時に東北の感覚って私が分るわけじゃないですけど、何となく違和感はあったので、そうなのかという思いもありましたね。

佐藤:俺は行き当たりばったり、一発勝負で聞いたんだけど。語りの流れに身を任せて浮かんだことで聞き進めたんだけど良い語りが多かった。さらに、白石市の地元観が薄いので、これは一体どうしたことか?何でだろう?と最初に思いましたが、語りが進むうちに謎が融けていきましたね。5代目でした、渡って来た場所は兵庫県の高砂市でした、そこは採石場で有名な場所なんですか。

渡辺:物凄い石切り場が在って、たぶん有名なんだと思います。今も現役で、石の宝殿といい、それを象徴するような遺跡が残っています。ですから石切りの生業が何時から始まったのかは分からないですが、石の宝殿というのは古墳時代みたいなので、おそらく、そこと連結させて、その人たちは思っているでしょう。石と言えば高砂というぐらいブランドなのか知れません。


兵庫県高砂市 絵:石の宝殿サイトより
佐藤:現代アート・アースワークと違った点については、個の表現と現代イワクラの捉え方の相違も面白いんだけど、石工たちの時間のとらえ方がちがう、今の人と山田さんたちは全然違う、この点に興味が向かいました
現代アートの意味は現代社会に警鐘を鳴らすための機能と個の表現を同時に背負ってしまっているところがあります。そのような目的合理の機能を背負っている。ですが「現代イワクラ」は創作されて生まれ出た感じが全く無かった。それは、時を越えていて良かった点の一つです。そういう事ですから、現代イワクラを造った、出来上がった途端に現代文明批判にもなってしまっていました。そういう見方も現代機能的ですけれど、そう記録しておかないと伝わらない。でも、そういう目的を背負ってしまって造られた感じが薄くってさらにいいわけです。ただ目の前にある、あの状況、現在を懐にいれてしまう感じがいい。あれこれ説教臭くない点にも好感を持ちました。

時間の捉え方に戻ると、建築の時間の捉え方とまるで違っていました。木材と石の時間の差によるのかも知れませんが、石は数千万年経って今目の前に現れているという畏敬の感覚で、石と対面している感じが漂っていました。現在設計している俺も、その他・建築家と言われる人たちには無かった時間の捉えかた、構え方だと思いました。その点も新鮮、いいねーと思いました。
造った人たちが、アクチュアルで世俗的な機能主義にも陥ることもなく、目の前の石を観て愛でる姿勢を持っているのはたいへん気持ちは良かったです。石工たちがどのように苦労して、そこに彼らが到達したのか?わかりませんけれど。石は難くなで変わらない、男性的な存在なのかも知れません。
現代イワクラのような時間と目の前の出来事の捉え方はよい在り方だなーと思いました。石屋さんは違うぞーと。地球が出来た時から石が生まれ出来たのだろうから、石屋さんはそういう思いに至るんだろうなと。50年経つと使える材木とを扱う人とは違って当然かもしれません。 だからあの大蔵山に辿り着くまでの石と人類史のようなものがあって、石をどう扱うかの歴史もあって、聞き取って良かったなと思いました。先代の代表にも機会をつくって聞き取りしてみたくなっています。

今日の聞き取りで良かったこと、菊眞さんはその他にありませんか。イサムノグチさんとの関わり、現代イワクラとはあまり関係が無かったです。あの場所が生み出す力が石なので、あとで現れる作家の話は時流的な出来事でしたね。イサムノグチさんを冠して語ると大衆に伝えやすいかも知れませんね。

渡辺:そうかなーという気はしました。

佐藤:初対面で何を話したらいいのかわかりませんでした。初対面の人にそうそう見せない、秘仏的に扱った場にしたいという考え方を知って、もっともだと同意しましたね。(非公開の場である)



左下隅 現代イワクラ WEB航空写真より
現代イワクラの参道 あれこれ

佐藤:お洒落な事務所を出て、細い坂道を車で上っていくと、視界が開けて、石舞台などの作品を見ながらうねうね上ります。そうすると一気に視界が開けました。快晴だったので採石場や先には遠く奥羽の山々も見えてきました。途中の採石場の様子も印象的です、車で山を登り進みながら現代イワクラを遠目で見たときはどうでしたか。

渡辺:切った結果としてぐにゃんとした形、参道の最後に一度下りて登りました。今後はもう少し整備するみたいなことを仰ってましたけれども、生な置き場のようなのが私は強烈でした。途中にあった第一号・環境アートのような作品は、正直に言うとあまりピンと来なかったです。置き場は凄いなーと、切った、掘り出した結果できる窪みを抜けて、現代イワクラの姿が現れた時は想っていたよりは小さいなーと思いました。こっちも変んに期待してて、見に来れなてなかったのでしかたないです。外観だけを見たときには私の元との思いが強すぎて、しょぼく思ってしまう危険性があるなーと思ってました。ですから、外観は注意して見ました。こんなもんか?ちっちゃい、という感じで拙いかもしれないと思った。

右上奥・現代イワクラへの参道
絵:WEB航空写真より

佐藤:建築は内外の強弱を意図して作りだせるので、設計図と現場の関係に慣れていないとそう思うかもしれない。山全体がギャラリーという話を聞いてから観たので、石舞台とか、いろいろ造られたものが散乱していました。採掘し終えた場に意図し作品を並べて整備している場を通過しますよね。

渡辺:そういうのを通過しますよね。

佐藤:広い採石場・山なんで、それらの山や掘り出された石の大きさと比べてしまうので、小さい感じを抱くかもしれません。
で、切り出した石場や置き場が、柱状の岩肌が凄く迫力で迫って伐り立ってますから、アート作品は印象も薄くなりましたね。地球数千万年の今、顔をだし石には、現代の知識で創作された作品が対抗してもあまり意味がありません、石切り場に全ては圧倒されてしまいますよね。
整地のために置かれた作品と現代イワクラの間には石切り場と置き場が在って、がらりと印象を変えてくれます。あの荒々しいレイアウトは大変良いと思いました。生な石や地球の生肌が人間の作品を拒絶してしまっていました。危険な場所なのであのまま開放するのは難しい、立ち入り禁止にしている意図は十分に伝わってました。今は非公開の場ですから無用に立ち入らないようにしてもらいたい。非公開の場に案内してもらって幸いでした。

渡辺:そうでした。強烈でしたね。

佐藤:地球から今出て来た、石や、地球の生肌が人間の営みをあざ笑うというのか、拒絶するというのか、相手にしてくれないと言った方がいいように存在している、あれはいいですね。石切り場、置き場の異界観を通過する辺りから、演出が効いてきていましたね。

渡辺:あの辺りからよくなってきますね。

佐藤:石置き場を通過すると、一度すり鉢状の原石が露出している荒々しい窪地になっていて下りて行きます。一旦、現代イワクラが視界から消えて岩底が見えて、岩底について上り始める。「現代イワクラに辿りつけるのか〜」あの地表の凸凹に激しく揺さぶられる参道感覚はいいと思いました。地獄に落ちる危険な地の底に至って再度上る感じがいい。
遠目で観た現代イワクラは小さく見えたとういうのは何となく分かります。頭に暦とか春秋分の日が刷り込まれちゃっていて、体験するための事前の知識を捨ててしまって現代イワクラを体験しないといけませんね。あの参道の悪路を経ないで直に体験するのはよくないですよ。参道が整備されない様がいいです、それがいいんですよね。

渡辺:そうですね。

佐藤:現代イワクラに辿り着くまでには不要な情報を捨ててしまう必要があるんだけど、あの道は、修験者が危険な峰を渡るような設えで、この道程が要るか〜凸凹とガタガタ道を体験することで修験の方と同じ体験ができるような気がしました。そうして現世のいろいろを捨てさせられる形になっていました。意図的なのか、たまたまそういう地表の状況だったのかは不明ですけれども、あの道程は良かったです。 今日体験した現代イワクラとアプローチがセットで身体に直に効いてしまいました。(笑)歩いて辿り着きたいですね〜。

渡辺:アプローチは効いてますね、あの辺りが意図のあるものになる事っていいのかなーと正直に思っていることです。何らかの意味で合理的に採りだした石を置いているんだと思うんですけれど。あれがベストなんじゃないかという感覚はあります。

自然石に囲まれた深い谷へ堕ちていくかのような現代イワクラの参道でした2021年11月20日 絵:WEB航空写真より

佐藤:ネットの地図で見て想像していたんだけど、見ると、体験するとでは全く違いました。現代イワクラの東側に松林がありますね。松林は邪魔かなーと思ったんです。なんでこういう位置に置いたのか。高低差が航空写真に載ってないのでね。まあ地理院のデータで調べて観るとわかるだけど調べなかった。ネット地図では最も高い場所に在るというのが分からなかったんです。
行ってみて分かることだけど、阿武隈山地の北の端みたいな所だった。奥羽山脈の名山のように高い山がないから、見晴らしも芳しくないだろうと思ってた。で、行って見たら一番天辺のような位置に置いてあって、西から北の方面の見晴らしがとてもいいわけですよ。自分たちで施工した、なるほどが分かりました。設計者が天辺に配置したわけではなく、採石場の人々、山の人々がここがいいと決めて、造った。

渡辺:そうですね。場所選びが大切ですものね。

佐藤:場所選びが良かった。その一つは蔵王と対面していることでしたし、さらに奥羽の山々の連なりも美しく見えるし、松島とか石巻の牡鹿半島まで見える気がした。修験の人々の目をもって場所を選んで設置していかのようでした。現代イワクラに登ると見晴らしよさそうだなーと思いまし、外観の周りに、か弱いススキが風を受けて、揺らいでいてる植物のしなやかさとイワクラの外壁の固さ、頑固さの対比もよかったです。
西の門から入ってしまいましたけど、現代イワクラはどちらから入るのが正常なんだろうね。どっちでもいいのかね。


伊達冠石(だてかんむりいし)
WEB地形図
福島市 蔵王町 奥羽の山々 太平洋
石巻 の位置関係

渡辺
:入り方はどっちでもいいのかも知れませんね。今日入った入り方が好いんじゃないかという気がしまただけど。

佐藤:体験する時間も、太陽の位置の影響もあるので。導かれるままがいいかな。

渡辺:確かに時間にもよりますが、逆光だったり陽射しが無かったりしますので。
佐藤:今は西側の庭が広い。入り易い。東側から入ろうとすると松の木が迫っているので、狭い場所から入るような感じがする東側は大きな石が二つ並んでいたけど。

渡辺:とんとん二つあります。

佐藤:あの外の東西の軸線の石は描いてあったんですか。

渡辺:あれを見た時にどうだったか?と。片側は2つの柱で、西側は1本でした。どうだったかなーと思って。それは記憶に無いんですよ。図面を探して見たら思い出すと思います。ただ渡辺豊和がしそうなことだなと思いました。片側が微妙に違う造り方。

佐藤:石そのものが同じじゃないけどアン・シンメトリーを好むと。

渡辺:かなりやるので、好きなんですよ。その可能性はあるなと、今日の体験した段階では分かりませんです。アレンジとして一個加算したのか。もともと渡辺豊和が片方が一で片方が二にしていたのか。

藤:設計者が意図した姿なのか、現場のみなさんがアレンジしたのか、質問する気に起きなかったですね。

渡辺:そうでしたね。あれは設計の技術だけじゃ分からない感覚になりました。ゲートの所から内部に入った時に、なんて言うことない外観が、いきなり内部化されて二つのボーンと巨石が立っている時の、言葉ではどうしようもない「お〜!」となる話で、正直にあれを見て「おー」となった自分に気付いてほっとしたこともありました。

佐藤:俺はゲートを抜けて内部に入った瞬間に音が急に乱反射して大きく高くなる、その事に感動しました。ああこのマジック、ああこれかと、感動しました。

渡辺:それがあったのかも知れませんね。



東側門より入り西側を観る
現代イワクラ内部に入って

佐藤:内部に入ると自分の歩く、その行動に伴う音が響き渡り融合しあう、ああ渡辺豊和の建築の内部だ!と思いました。現代イワクラの外をうろうろしている時には自分の行動の音が耳に入って来ない。でも内部に入ると行動音が増幅されてとたんに大きく響き合う。ゲートを境に音環境、サウンドスケープが激変する。渡辺豊和さんは外観をつくる作家ではないんだなーという気は以前からしていました。渡辺豊和さんが意図していたことなのか、それは分かりません。1991年の初期建築などを訪ねた時、最初の感じはそうでした。
内部観が音によって強調され巨大な柱が更に大きく見える。視覚的な面白さと自分たちの肉声が響き合う効果が重なることで、場の演出がいっそう強調される。そのことを最初に思い出しました。対馬の建築が最も楽器的でした。建築楽器、地球何千万年掛かって地上に現れた石で制作された建築楽器に招き入れられたという感情が大きく湧きあがりましたよ。2本の巨大な柱が立っている不思議さも同時に思いまして興味深く思いもしました。採石場の特性というよりは、現代イワクラが無いと、あの場の特性が強調されて人に迫り来ることは無かったのではないか。建築を計画する、造ることで音が環境視覚的体験の上に加えられて、場所を再発見できるのは建築の面白さの一つです。
採石場のままの岩肌だと、そこに立った人の行動音が岩壁に乱反射して、人に集まることはないと思うのでそう考えます。岩・石の壁を円弧に1対として合わせ置くことで生まれる効果で、不思議な思いを人に与える建築の持つ音の力の存在でした。ゲートを抜けた瞬間に最初に耳に入った音で渡辺豊和建築のあの懐かしさが蘇ってきました、これは、凄い建築だと思いました。それが第一印象でした。

渡辺:なるほど

佐藤:第一印象を写真で撮ることはできないし、と思っていろいろな方向から見ていました。建築を体験するという、メリハリが効いていて、とてもいいなーと。

古窯陶芸館と現代イワクラ (湿と乾 女性性と男性性)

渡辺:音とか今日のお話で出て来た古窯陶芸館は音じゃなくって、ぼわーっと湿った感じがするという話があって。ああいう話で言うと、全部見ているわけじゃないですけれども、古窯陶芸館後の現代イワクラがそういう感じでしたね。
僕はたぶん視覚特化型みたいな処があるのです。でも身体はそういうのを刺激受けているんだとけど、視覚であろうと思い込んじゃっている処もあります。父も視覚みたいなことで、たぶん彼の方がもうちょい本来的には五感ぽい人なんだと思うんですけどね。ただ本人自身は現代的意味において音痴みたいで、音に関するコンプレックスが有って、音が嫌みたいですね。それをあんまり語りたがらない。

佐藤:古窯陶芸館と同じ建築のシンプルで強い質が共通してあると思ったんだけど。陶芸館の場合は視覚的に地底に閉じ込めて遠い時間を蘇られて体験させる、登り窯に沿うように斜面を活かしてドラマチックな建築的演出がされている、それを長い間持っていて、視覚的な感覚が強いじゃないですか。

渡辺:そうですね。

佐藤:出来たばかりの、現代イワクラは視覚的には巨大な石が2本立っているけれど、視覚的な内部演出は全くなされていない。渡辺豊和さんの過剰なほど内部の豊穣を観てきた者としては、全て捨てさってしまっていて、あの驚くべき見え方に門を抜けると何も無い柱だけの場に劇的に変わるわけです。外部から観ると2本の柱の姿は大きく見えなくしてあるけれど、内部に入ると途端に大きな柱が迫って在るだけ、そう言えばいいのかな。以前の豊穣な内部が消えていて何もない。

渡辺:柱の周りをくるくる回ったところで変わらない。

佐藤:太陽の動きにともなって影が動く面白さはあるけれど、太陽の動きがみるみる変わるわけではないから、視覚的には強い印象は与えない。古窯陶芸館の場合はトップライト一個だけで光が極端に絞られていて均質で薄暗い仕掛けにしてある。太陽が動くたびに影が変化することを押さえている。湾曲列柱を上り下りして移動することで登り窯の見え方を変える演出が成されている、日本の土地に西洋の列柱を入れ込んだような豊穣さはある。でも太陽の動きを遮ることで時間の変化を止められる、そうして内部にある湿った登り窯の姿が強調されています。遠い中世の地底の内部に迷い込んだ感じが強調されています。

渡辺:地底の内部みたいですよね。

西脇市古窯陶芸館 1/100模型
東日本大震災に遭いドーム部分が壊れてしまった。だが全体の構成の特徴、建築のほどんとの部分が地底に埋め込んであるり基礎と屋根しかないと言える建築と分かるだろう。
配置図などウエブより

佐藤:地底から時間が立ち上がるかのような場所です。古の時間と地底観がたっぷりあるので成り立つこと教える建築でした。古窯陶芸館は基礎と屋根しかない最小限の建築要素でできている。現代イワクラも壁が無く、屋根も無く、建築的用途もあるのか分からなくなっている建築で、基礎だけでお仕舞とも言える。だけど、音の演出があるので、建築の存在を強く印象付けてしまいます。最小限で建築が地上に生きる意味を強調していて、現代イワクラはその良さで優れている。視覚で見ても見えない、建ってない感じ、建築が生む空気の震度が訪ねる人、内部に入った人々の体細胞に直に届いて細胞に効きだす建築でした。
古窯陶芸館から屋根を取り払って、単に基礎の立ち上げり面だけで、最大効果を生んでしまっていた。それは仙人技と言っていいと思いました。建築を造らないで建築が必要な効果を現してしまう。そこが現代イワクラ最強の点だなーと私は大変驚きました。 

渡辺:古窯陶芸館は渡辺豊和が好きな、ああいうおどろおどろしい文学趣味みたいなものが、反映も感じますけれど、現代イワクラはそういうのが無いですよね。純粋に響くみたいな。
佐藤:あのような音の響きは意図しないんだろうけど、建築に立ち上げると持ってしまう偶然の力かもしれないだけど、サウンドスケープは細胞に効くよ。建築的要素がほとんど無いんだけど、人が涙を流ししたたり落ちるなんて、聞いたことないです、建築って凄いですよ。


陶芸館内部 左土間古窯業登り窯
右:階段型回廊 上部:天球ドーム骨組


渡辺:偶然の力、それから本人が好きなイスラム観みたいな話とかも近いのかも知れないと思いましたね。

佐藤:床が全部が石敷き詰められている点と、張り巡らされている壁の妙な曲線の立ち上がりなどと共に、日本では少ない乾いた場として感じることができる時空でもあります。古窯陶芸館の湿っぽい地底内の雰囲気はないので、天辺感がでていて両者は地と天の対極ですかね。山の天辺で見晴らしもいいし風通しも山の天辺に設置されたことで渡辺豊和さんの建築の意味が変わっていました。

渡辺蒼穹、空しかない!みたいな空っぽな感じでした。彼が物凄くイスラムが好きで、自覚的にイスラムを取り入れてる、やつはあんまりも「そーなのかなー」と思っていたんですけど、現代イワクラはイスラム観に最も近づいた建築作品かも知れませんね。

佐藤:過去の渡辺建築作品が持つ薄暗い湿っぽさがまったく無いからね。目を見開きますよね。

渡辺:今日は快晴だったこともあるんですけど。

西脇市古窯陶芸館
絵:ウエブより
1991年撮影古窯陶芸館

佐藤:古窯陶芸館の場合は湿気、あるいは過去の陶工たちの願いというかエートスというか、そういう湿った気を閉じ込めるために屋根が天の蓋がわりになっている。
渡辺:古窯陶芸館は湿っぽさが増幅されますからね。

佐藤:最も高い位置にある入口から下って地底に落ちていく。あのカビっぽい時間が封印されている感じが建築的に演出されている。古窯陶芸館の場合は道路が一番高い場所にあるアプローチだから、登り窯の下から入ってない点が大きなポイントだ。現代イワクラは一度採石場の谷に下りてから登るから天に上る、蒼穹に至る感じは増しましたよね。

渡辺:そうですね陶芸館の場合はカビっぽい感じがポイントですよね、現代イワクラはまったく乾いていて真逆ですよね。

佐藤:現代イワクラに床に苔が覆ってという話が出たけど、乾いた感じを保つのが似合うと思いました。出来たら床は鏡面のようにピカピカ光っている方が似合うとも思いました。

渡辺:笑う

佐藤:床が鏡のように光っている大空も写すし、柱も倍の長さに見えるし、巨大な石が空に浮いている姿を想ってしまいますよ。自分自身も空に浮いて飛行しているかのように見えるだろうし。草のように人がはいって入っていれば人自身が音を吸収するね。生きている人は天空のエネルギをまとめて吸い取って復活・活性する、そんな感じがしした。

渡辺:づーっと本人がいろいろ意図して、なかなかに技巧派的なことがあるので。そういう話を意識するみたいなことは血肉化された中で出来ているのかも知れません。そういう意識のようなものが削ぎ落された状態が、現代イワクラはいいように思いました。
いろいろ建たない時期に渡辺建築工房の所員をやっていたので、技巧みたいなことは、傍でずーと見てましたけど。なるほどと思いつつも、現代イワクラののスケッチは、何か物凄い気が抜けたような感じで送られて来たのを覚えています。「そういうのやるとオモロイんだよ、お前ちょっと図面描いてよ」みたいな、その時のスケッチもたぶん一発で決まったやつだなーと思いました(笑)。

現代イワクラを南西より外観を見る

佐藤:周囲の石の壁面の仕上がり具合より床が鏡になってつるつるに写すのがいいと思ってしまいました。
渡辺:はい、はい、がちがちに光っていると。それは私も気づかなかったです。

佐藤:年中ピカピカに光らせるのは水を湛えて鏡面をつくるのが一番経済的だ。石や物で鏡面をつくるのが難しい。黒い石の上に3pぐらい水を湛えているような仕掛けでいいんだけど。そこに空や雲が映る方がいいんじゃないかなーとは思った。だから豪雨で水が溜まると面白い。水勾配、見た目では分からかったです。大雨降ったときの排水、水の流れは聞かなかったけど、雨後、台風一過の現代イワクラはいい表情しているのではないかと想いました。水面の音も反響するだろうし、天地が水面の天然の水鏡があることで転倒してしまう。だから屋根が無い、造らない建築の良さの一つだと思いました。これ以上削ぎ落せない限界建築だね。 

渡辺:うん、うん。そういう話もほぼ、イスラムはそういうものですよ。空と下に泉があて、それを捉えると天地が分らなくなる。それがイスラムで。現代イワクラの時は渡辺豊和はイスラムだとは言っていないんですけど、もっともイスラムっぽいものなのかなーと思いましたね。

佐藤:宗教的な建築には見えず、自然現象、あるいは自然を増幅させる建築楽器、そこで天然自然の営みの力を授かるというか、感受するというのか、そういう場だと思いました。何度も言ってるけど自分の身体の自然細胞が、自分の意識していない、内包された自然が共振する場になる。菊眞さんのお母さんのように、何も説得されたわけではないのに、涙があふれ出てしまう。

渡辺:そういう事なんだと思います。
佐藤:個々人の生命も地球の生命なのでそれらが共振振動する場になって、現代イワクラ、あの場に立つことで自分の細胞と地球の息遣いが共に振動する。自然の力全体が強調される、再発見できる場になっている、楽器であると同時に人を蘇らせる健康再生する建築だと思いました、古代の宗教建築はそういう役割を担っていたのでしょうね。

渡辺:そういうもんですからね。だからびっくりしました。


大蔵山・伊達冠石 原石の姿
佐藤:単純な構成でそういうことが成せているというのは、仙人技と言っていい。造らないでつくる!技。設計した本人もそこまでは気付いてないかもしれない。

渡辺:それは、たぶん気が付いてないと思いますよ。もの凄い力が抜けた感じで出て来た建築だし、私も所員を辞めていたので、凄く力を抜いて描いたんです。はははは。

佐藤:理屈、理論ではあそこまで削ぎ落ちないのではないかな。
渡辺:いかない、いかないです、それが結果的によかったのかなーと思いますね。

非公開の現代イワクラ
上空からの様子

新しい言葉をみつけたい

佐藤
:採掘した後、山を再生するために、採石場全体をギャラリーにする、という思いは納得できるんだけど、それだけでは、現代イワクラの驚きはつくれなかったのではないかと思います。

渡辺:つくれなかったと思います。今の方々がアートとかが好きで、その文脈で再生としてものを捉えている処があるから、じゃないんですかね。

佐藤:そこは興味深い点の一つですね。理性的に捉えて行動しているから、藝術表現になる、現代イワクラはアーティストの作品とは違う。知識で解釈しがちになるのを意識して体験したいですね。良識、そういう限界を越えるために出来ていると私は受けとめました。現代イワクラを招聘し石工の人たちが自作することによって一つの突破口は拓かれたと思う。10年に渡る祈りに近い施工が効果的に生きていると思いました。自作でなかったら、石や土地の本来の威力的表出と建築の面白さは捉えそこねるかもしれない。

渡辺:渡辺豊和に依頼したお石屋さんの父さんにはお会いしたこともないし、来歴も分からないので・・。ゴロンゴロン大きな石が出た時に、「おー神様が出て来た」となって、渡辺豊和に頼んだ。その時の話は、ほぼほぼ単に直感だけで動いてやっていた話だと思っています。完成した現代イワクラには、それが出来ていって、先代の方が退去されても、工事の過程を本人自身はじーっと見ていて、それをあるところを打ち出す時に、整理をし過ぎているだろうなーとは思いました。

佐藤:所有者の前で言ったことを繰り返すけど、巨石、渡辺豊和、施工者たちの出会いは幸運、良識が交差して稀な出会いなんだね。そのことによってしか、渡辺豊和さん作の現代イワクラの場を与えられなかった。依頼者は一切の注文もせず、豊和さんに依頼する。そして図面が届いて自分たちで設計の意図を咀嚼し場所を選んで施工し続ける。そういう気の一つ一つの幸運な出会いがあって成されていると推測できる場でした。出来上がったその先に、さっき話したような人間の細胞一つ一つに効いてしまう場が現れた。建築楽器であり人間の命増である場が出来た。
どのように名付けて表現したらいいのか分からないけれど、新しい概念が生まれています。現代イワクラが出来たことによる人への効果は、新しい言葉を見つけて名付けないと的外れな捉えられ方になる。楽器とか健康器具建築とか言いたいわけじゃないけど、今は思い浮かばないですよ。

渡辺:笑い、そう健康器具建築とか言っている場合じゃない。カッコいい言葉をもし見つけたとして、それが恥ずかしくなりそうな気がしますよ。健康器具とか言っててもそれはそれで(笑

佐藤:癒しの建築では通俗的過ぎるでしょう。
渡辺:それも拙いですね、それはそれでかなり拙い。本当にそうですね。
佐藤:違う言葉概念をつくらないと、良い言葉を見つけないと拙いと思いました

渡辺:渡辺豊和は秋田市体育館を癒しの庭とか言ってまいたけれども、そんなよりは全然今の建築ですよね。

佐藤:現代イワクラの方が癒し力はすごい大きいよね。ネーミング間違えて、秋田は願望が出過ぎて勇み足だった感じだね。

渡辺:そうそう。


観光の場 信仰の場

佐藤:設計した人も気づかない事が起きてしまうというのは、建築の意思。あるいは石そのものが持っている力だと思う。
渡辺:そうですね。
佐藤:石と渡辺さんのコラボレーションであの場所がつくられ始め、石工人たちの思いが重なっていき、総合芸術としての現代的建築なんだけど、無駄がすべて削ぎとされてしまっていて、壁も小屋組みも屋根もつくらず、極端に言えば基礎だけで天空と共振し合っている。

渡辺:特に何かを目指しているわけではない場ですからね。
佐藤:昨今の公共建築のように言い訳で満たされてる場ではまったくなく、ただ在る。潔い完結にして唯一。所有者が「秘仏」と言いたくなってしまう場、それが出来てしまった。

渡辺:そうですよね。

佐藤:あの場は毎日観光客が押し寄せて来て大衆に消費されるための場ではない。で、秘仏的に扱いたいと造った方々は思っているのもいいです。
渡辺:スマフォでカシャット、自撮りしてインスタ映えと言う場ではない。そういうことしたくない。その気持ちは分かります。

佐藤:やたらに誰彼なく通常は見せたくない、その気持ちは理解できます。明日の栄螺堂を観ると、さらにその思いは強調されると思います。菊眞さんが、現代イワクラとキワモノ的栄螺堂を対比して体験できるのは、石の神様のお導きでしょうね。(共に笑)

渡辺:栄螺堂や長床観光も楽しみになってきました。もともと見に来ようとした時に、大絶賛で観るというのではなく、づーっと気に入っていろいろ、私自身言っている割には見ていなかった、それはどうなんだろうと。

佐藤:現代イワクラと栄螺堂と長床の組み合わせ体験はいいと思うけど。旅のいい巡り合わせですよ。

渡辺:そうですよね。

佐藤:福島競馬最終日開催のために宿なしで、福島のお城の中に泊まる幸運も訪れているけど、あとは、何かあるかな・・・・現代イワクラを嵐の日に体験するとか、雪が積もって人が幾ら活動しても音が消えてしまって、鳴らない日に体験するとか。そうなると修験道の世界、修験者みたいな人じゃないと体験できないけど、聖地・山の場になるけど。大嵐の日や雷鳴轟く日などに場が鳴る音を聴いてみたい、気がします。

渡辺:そうですよね。

佐藤:自然が恐ろしくなると思う。焚火したらどういう音がするだろうか、薪能でもいんだけど。薪が燃え盛る音が増幅されて、自身が焼かれる思いが強烈に襲うかもしれないし。西欧の列柱空間とは異なる場だ。



2021年11月21日栄螺堂にて
■月食に導かれ現代イワクラへ


渡辺
:今日見て正直に思ったのは造った時期もあるのかもしれない。彼自身がずーっとまとわりついていた憑き物が取れた気がしましたけどね。

佐藤:東日本大震災がどうこう、言わない、震災に引っ張られて言う場ではない。ほとんど関係ないね。
渡辺:関係ない関係ないですね。

佐藤:俺たちは19日の月食に始まり、現代イワクラへ導かれてしまいました。太陽と月と地球の演出付きで現代イワクラを体験できる人は少ないのではないでしょうか。月食も現代イワクラをも、図面を描いた菊眞さんが来なかったら見ることは叶わなかったと思う。

渡辺:たぶん義理な条件、で設計者の息子だからということで。それは効くと思っていました。言ってましたもの、父が来た時には、昨今は見る人も多いから、2019年の時に、そんな事を言っていた気がします。

佐藤:山勘だったけど、菊眞が来た有無を言わず行くぞと思い込んでいたので、色々導かれてしまいました(笑)現代イワクラに辿り着くとそういう事だったと分かった。メッセージで連絡きて行動している時は、見に行くその意味は分かっていなかった。導かれることはあるんだなーと。

渡辺:それはそう思いました。明確な計画もなく、栄螺堂の体験のことはあったんですけど、今回の旅が栄螺堂がめちゃくちゃ主目的かというと、そうでもない気分がありました。もう一個は栄螺堂といったときに福島に行くという話で佐藤さんに会うというのがデフォルトで僕の中にあって(共に笑)栄螺堂は分かりよい理由として(笑)。

佐藤:他力本願だな、佐藤の所に行けば何とかとなるだろうという(笑)山勘だな。
渡辺:(笑)そうかも知れません。

佐藤:昨日は満月で89年ぶりの月食らしく、地球と月と太陽が並ぶ稀な日に導かれ、演出満点の夜が開けると、現代イワクラを体験できたのはお月様と太陽様の引力の導きで、稀にいい感じだったよ。二つの引力は月食で導いてあげるから翌日現代イワクラを体験するのだ、栄螺堂は翌日に回せというお計らいだった(笑)

渡辺:二度とそんなことは起きないですよ、ね。ははははは。
佐藤:次回は同じ条件の月食は65年後だそうです(笑)。俺たちは建築の神様に選ばれ現代イワクラに導かれていたんだよ(笑)。他の人が見に来ても月食に先導されないぞー。銀河宇宙がつくってくれる偶然のドラマの流れの中で、現代イワクラを体験することができました。月食の翌日雲一つ無い快晴で、偶然にしては出来過ぎている、現代イワクラに歓迎されているかのようだった。翌週の「月曜日に来てくれ」と言われたんだけど強引に土曜日にしてもらった、ただし11時から12時の1時間のみなら来い」と言われた。

渡辺:太陽と地球と月が一直線に並んで見せてくれましたからね。

佐藤:春秋分の日の軸線に置かれた暦的建築だけ思い込んでいたけど、あまり宇宙と一体に演じられている複合藝術のような日に訪ねてしまいました。

渡辺:春分に体験するなんていうのは、かなり優先順位の低いオプションでしかなかった。あまりその日に行きたい気も起きませんでした。














■ 千万家を訪ねて

佐藤:89年ぶりの巨大満月の月食、だなんて思ってもいなかった。千万家も見てよ、行こうかーと、千万家にいったら自然態で楽に暮らしている人に会って、現代イワクラの方々とは違うなーと思わせられる。両者の暮し方のコントラストも体験出来たし。

渡辺:それは思いました。現代イワクラの時は整理されて作られたものがよくって、「ああなるほどね」と思ってましたけれども、千万家に行ったときに人が生きているというのはこういう事なんだなーと。
佐藤:千万家の人々は、自然主義者のように資本主義ベースに逆らった暮らしを声高に語って暮らしている訳でもなく、自然体で生きている。

渡辺:自然に生きています、この建物ができてから20数年って感じで、はははは。

佐藤:家の壁が一部融けてしまって無い、そんな建築だけど、雉が飛び込んできたり、ミミヅク科の小さい鳥が入り込んだり、冬になると軒下が雀たちが家にして、と語ってくれたり。月食のような大きな宇宙の動きと現代イワクラと、土着的にゆったり自然と共に生きている人々、千万家の暮らしは、冬は沢庵漬ける季節だと教えてくれるように、軒下に大根が干してあったりして。いい配列でした。

渡辺:今回の旅の組み合わせはありえない位のコンビネーションでしたね。凄いなーと思いまいした。はははは。住まい方とかもびっくりしましたね。

2021年11月20日
千万家のご夫妻と菊眞さん

佐藤:月食、現代イワクラと千万家の暮らしを並べて初めて、それぞれの違いや価値が浮き上がるって良い組み合わせで、体験することができました。コンビネーションの妙が効いたね。

渡辺:それぞれ1個ずつ訪ね体験したら分からなかったことだと思いましたね。千万家、あの状況で暮らしている魅力のある人とは思ったでしょうけれど、前半の体験が無いと分からないですよね、くっきり浮かび上がらない。

佐藤:現代イワクラや打ち合わせした事務所には沢庵用の大根は干さないからなー。人の生きる場としては弱い、人が暮らさない、暮せない特別な場所であるということだね。生活から離れることで成立する場であると。

渡辺:それはもちろんそうですね。石のことをづっと思っていたわけではないですけど、今年は特に瀬戸大橋で石を切っている島をしつこく見る機会があって。それは与島なんです。確かにそこで切った石も大阪城の石垣とかになっているんです、何でしょうか、もっと生で生活していいて切らなければいけない、そういう話なんで。
伊達冠石のような、土被っている処のテクスチャーを、磨くと、てかてかになる話とはまったく違う。強烈にシビアな話があるのを観ていました。今回の旅も石の話ですけれど与島の話はづっと離れなくって、ですね。なんでしょうか、もう石を切って廃業もしているのに切った所に、何でしょうかどういう意図なのか分からないですけど、花などを何となく植えたりしていて、その様を見ていました。
そういう部分と今回のイワクラみたいなタイプの特殊な石に関する意識がちょっと違うなと思っていました。

2021年11月20日 千万家 干し大根
石の魅力 木の魅力

佐藤:泥被り石と言われていたのを伊達冠石と命名し商品化。資本主義のもとでは片方を磨かないと商品にはならない、そういう宿命的労力を注ぐ必要がある。

渡辺:基本的には丸いままだったらあまり商品化できなくって、どこかバシと切り落としてそこをてかてかに磨くという戦法ですから。
佐藤:資本主義下に生きている、あるあらゆる人の宿命であるね。加工作業を負わせられている。
渡辺:それに対して与島は切実に意識していたので、何か違うなーと思いました。
佐藤:石を利用する仕方も時代や地方色が出ていて、てかてかに磨いてコントラストを付けて、巨石のままのような強さが失われてしまう。
渡辺:それはそうです。
佐藤:加工するという主本主義下で必要に迫れてしまう作業なので太古のように巨石をまま崇める行為とは異なるんだろうね。

渡辺:たぶん免罪符的にも奥に源、イワクラが在るのがいいのかなーという気もしますね。
佐藤:先代の方の山を荒らしてしまい申し訳ないと思う気持ちを、洗浄して清めてくれる場は要ると思って原石のままの姿を祀ったんでしょう。古代人のような自然への畏敬の念は失われていない証ですよ。自分たちで出て来た石の神様を祀る場を造った。

渡辺:商売で荒らしているだけではなく、現代イワクラがあるんですよと。あそこだけは石を切ってませんからね。てかてかに磨いてない。
もともと凄いでっかい石が出て来て、泉さんという方が真っ先に買おうとしたみたいですけれど、「売りませんでした」そういう話が出ていました。一番でかくって立派だったから売りませんでしたと。

佐藤:売らない神の石だと。石好きな野郎たち、石屋さんたちは長年石とともに暮らしている、石工たちには石の気持ちは伝わって来て分かるよ。
渡辺:分かりますよね。石好きの気持ちわかりますよね。
佐藤:理屈ではなく、巨石が出て来た瞬間にこれに惚れ込む。社長さんが売ったら一気に信頼が損なわれてしまうような雰囲気を持った石だ。地上に姿を現したわけだ、その瞬間の光景は想像できるよ。

渡辺:渡辺豊和は「木とはちがうよね」とか言っていたんだけど「石はなんやかんや俺も言っているけどさ、石は違うんだ、ちょつと。」それが分かりました。ふふふふふ。どうにもならない親しみ親愛の感じがあるんですよ。ふふふ。

佐藤:樹齢数百年でも、なよなよしている感じがある。
渡辺:樹齢千年と言われても、ああそうですか、なんだけど石は違う数千万年だ。千年杉もデカいなーと思うけど、それ以上思わなくって。石は違いますね。

佐藤:宮沢賢治が石が好きで掘り出した石に語り掛けている話があったような気がする。数千万年前の世から会いに来てくれてありがとう、その感じは分る。時間というのが、木と石では背負って生まれ出る時間が違うね。それは今日、現代イワクラを体験するまで石と木の時間を想ってはいなかったと気付いたけど。石を用いて表現の手法とする人は時間の感覚が一般の人々とは違う、違った時間を見ているんだな、と思いました。

渡辺:そうだと思いますよね。
佐藤:石が経て来た時間の魅力を知ってしまった男たちを虜にするだろうと容易に想像つきました。








原石

加工した姿
自分の自然を発見再確認する場

渡辺:石の虜になると思う気持ちはわかります。

佐藤:地球上に生まれた人が作り出した文明が滅んでも石は最後まで残ってる。放射能が降ろうが、巨大地震が来て災害が起きようが、石はそのまま動かず在りつづける、その魅力を知ると虜になる人は多いだろうと思います。今、生きている人たちの肉声を石笛みたいな物を使って人間の呼吸を石に加えることによって人の細胞に刺激を与える、振動を生み出す道具にも変わる。古代人の生命力を蘇らせる、現代イワクラ舞台を体験することで石の魅力を深く感じることにもなる。自分自身が身体の力を再発見する場が在るのはとてもいいよ。
理ではない言葉でもない。かといって理性主義を否定するわけじゃないけど、人間は自身の身体の自然を再確認する場が要るんだ、きっと。修験者のように野山を駆け巡り、岩場で肝試しを繰り返さずとも、自覚できる場の存在を知るのはいい。滝に打たれずとも、響き合う肉声でそれが分かる場が生まれたとことなんだ、理性を越え人を響かせる場があることを知っていた方がいい。人類の歴史で理性を獲得して来たので、それも要るけど。

渡辺:理性は必要ですよね。理性が無いからいいとはならないですからね。

佐藤:現代イワクラは石が持っている力や、人の時間と石の時間を行き来させてくれ、人に考える、感じる場を与えてくれる場になっているのがいい。

渡辺:父の事も思う時にイワクラだとか何だとかもあって。言っていたやつに最後の最後で自分自身も救われているような感じになったんじゃないかなーとちょっと思うところがあると、考え深いところはあります。

佐藤:電車での道中でも話したけど、最初に本のタイトル、『大和に眠る太陽の都』では巨大な女性器型の神殿のようなものがつくられていて、その下には円形のピラミッドが内包されている。その自分が住んでいる奈良の場に戻ってきている感じもさせるし、人間はそうそう進歩できないんだなーという気はする。最初に出会った磐座で生まれた直感が何十年自身の体内で生きて来ていて、現代イワクラに出て来る、これこそが渡辺豊和自身ではないのか。そういう気がします。 





参照動画 石笛の音




『大和に眠る太陽の都』1983年刊行

渡辺
:今のところそれを石屋さんが施工するというのが何となくあったのか、彼の場合は楕円で済ませるときもあるし、終る時にこっちに返すときもあって、それをしかねないのですが、現代イワクラはしてないんですよね。何故か頻繁にするんだけど何枚も描いてきたので、彼がこうするのに今回はいらくしゅんとしたもの出してきたなーと思った。ふふふふ。
佐藤:現代イワクラの下にピラミッドが在ったとしたら、ただのからくり屋敷になってしまう。おもしろくないよ。
渡辺:本当にそうですね。
佐藤:現代イワクラの下には原石が眠っているまま、それがいい。若い時分には、最初の思い付きはイメージが溢れすぎて実現したいことを過剰に詰め込み過ぎてしまい、駄作になりがちだけど。最後の作品、現代イワクラはでイメージが削ぎ落されてしまっている。からくり的なことによって、到達する地平、余白がある地平に至っている。その豊かさを、改めて思い至らせてくれる。

渡辺:そうですね、それも造りかたも、ようやくそこに至ったのだと思います。本人が練りに練ったものがバブル期で、かつゼネコンに任さなければならないという時期があったときに、そうじゃないパターンで依頼者が施工者だという、今回の現代イワクラは自営で施工されている。

佐藤:スーパーゼネコンの高度な技術とゲーリーのような高度な作図加工ソフトを使いこんで作図して製品をつくり、飴細工のような建築を造らないといけない病に罹ってしまっている時期に、素朴だけど現在の病の社会を癒すかのような、建築を造っていた。こういう言い方は好くないんだけど。石屋さんたちだけで造り上げることができる建築、視覚的な驚かせ方ではない、身体的体験によってのみ活かされる建築。花魁飾りのように見た目の驚き建築が多すぎる表層的な装いの建築が多いんだけど、違う地平に建っている、現代イワクラ・建築が出来ていたのは、社会批評としても捉えることができる、しまた批評的な場所にもなっている。

日本のバブル経済と渡辺建築について

渡辺:本来は本人が望む、望まないに関わらず、そういう施工体制のものと、バブル時代に出来ちゃっていたんですけど、そうじゃない状況で完成したので。
佐藤:渡辺豊和さんの巨大な建築というのは日本のバブル経済の投影であって、結果であって、巨大な建築を求めた社会が、渡辺さんに巨大な建築を造らせている。そういう捉え方でいいと私は思っていました。渡辺建築の本来は古窯陶芸館の場合のようなシンプルな建築、コンセプトがストレートに表れている建築だったと思う。

渡辺:わかります、分かります。

佐藤:経済が激しく膨れ上がり、渡辺建築を押し出すようになってしまい不幸なことでしたが渡辺建築ではなくっていったように思う。静謐な暮らしの中かから生まれ出てくる歴史的な時間や想念を投影した建築だったが。そういう経済的なアクチャルな胎動が渡辺豊和建築の本来なんだと思っている人は多いと思う。彼らは勘違いしているんだよ。秋田体育館が完成したとき合宿があって、大阪の友達建築家たちにはバブル効果だと伝えていたんだけど。
渡辺豊和さんも不幸にした世俗的な経済現象の中に巻き込まれてバブル経済の中で建築を造らなければなかった。その後、ようやくバブルがはじけて、日本は失われた30年に突入し新型コロナが襲ってきて、経済ダメダメの中で現代イワクラが出来上がった。若者はぼろぼろに疲れきって、生活・暮らしもよくならない、ドン詰まりの社会は病状態だから、経済を安定させて生活基盤を再生しなければならなくなった。その状態の中で、足下から生まれ出た巨石を使って10年掛けて施工し続けて完成させた意味は、公共建築も含めて現在の建築の造り方の滑稽さを照らしだしてしまっている。これからの建築への思いや施工時間を含む施工方法を示して余りあるなーと思います。

渡辺:19年経ったので、僕自身が単管パイプで造っているのを観ていて「どうも最近違うみたいだな」と言っていて、(笑)「磐座の奴も発表しようと思うんだけど、違うみたいだ」ということで時期を逃したみたいです。

渡辺菊眞さんの建築 

佐藤:その当時、現代イワクラを発表しているよりは、今日の体験を菊眞さん書いて発表する方が伝わり易いように思います。写真だけだと誤解される可能性が高いよ。

渡辺:どの道、誤解しかされないような事ばっかりなので、それも一興なのかなーと思ってます(笑)誤解しか生まない芸風で、それとは別に私たちが書くべきなんじゃないかと思います。
佐藤:同意しますよ。今現在、現代イワクラを体験し思ったことを記録しておくことは大切だと思いま。貴重な時間を与えていただいているんだ。ありがとうございました。


渡辺:私はよく分からない企画を佐藤さんに振っただけ。がはははは(笑)
佐藤:無茶振りされたわけですが、佐藤の増幅修正によって栄螺堂には行きそこなう可能性があった。福島競馬最終日とは思いもよりませんでした。分かり易くしてくれた馬と競馬好き野郎たちだ。そのお陰でもあります。寝床がないけどなんとかなるだろうと予定を変更していただいてしまいました。

 共に笑っている

組み合わせの妙だが、偶然にしては選んだように、好いことが重なっている。そういう経験ができるように自然に組み込まれていたんだろうね。

渡辺:そういう事だと思いますよ。 

佐藤:今日のような体験をする機会はあまりないので素晴らしい日でした。

渡辺:渡辺豊和がああ言ってるから観ておかなきゃなーという感じの人は多いと思います。積極性がないから、見ても。
佐藤:石の神様が導いてくれないかもしれない。知識として見てしまうとよくない結果が生まれると思う。

渡辺:そういう体験の仕方をする方が100%だと思います。
佐藤:今日は満足したから寝るだけになってきたよ。

2021年11月20日
千万家 南側・外部通路


 呑み語り合い その2に 続く