ふりかえり 記録す(パラレルプロジェクションズの6年間) | 作成:佐藤敏宏 | ||
2021年12月04日21:00〜 ゲスト:川勝真一さん 辻琢磨さん 佐藤敏宏 01 02 03 04 |
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辻さんと佐藤がお喋りしている 佐藤:川勝さんがZOOMに入ってきましたよ。 川勝:おそくなりました。 佐藤:5分前です おそくないです。川勝さんどこからですか、京都の自宅の1階・居間からですか。 川勝:1階の奥にあった、当時(2009年)どうなってましたかね? 物置みたいになっていたころ。 佐藤:2017年京都の人たち聞き取りした2017年には1階は食堂と居間が一体に改装されていた。 川勝:そのときから奥にある作業部屋です。 佐藤:背景に書籍が一杯あるの、いいね。川勝さん久しぶりでございます、今夜は宜しくお願いします。 川勝:お久しぶりでございます。 |
川勝真一さんと辻琢磨さんによる パラレルプロジェクションズ エントリー参加者数など 2016年(年齢制限ありー10日間) 150人 13セッション 2017年(年齢制限なしー1日) 68人 9セッション 2018年年齢制限なしー1日) 41人 5セッション 2019年年齢制限なしー1日) 47人 6セッション 2020年新型コロナに遭い中止 合計 306人 33セッション 13日間 2021年 (動画とテキスト公開) 9時から21時まで12時間 (30分ごとに1組入れ替え制) 22組のオンライン・インタビュー 62本のテキストが集まる 2021年10月16日 9:00〜前半パラレルセッションズ動画 |
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佐藤:では3人揃ったので「ふりかえり記録する」を始めます。ふりかえる、お題はパラレルプロジェクションズのこの6年についてです。その後、非公開で雑談、今年のそれぞれの一年をふりかえって語り合うことにしたいと思います。よろしくお願いします。 パラレルセッションズをふりかえる前に、俺が我が家の「建築あそび」を通して見て来た、この20年間にわたる建築系の若い人たちの議論の場の移り変わりを、ちょっとだけ説明してから本題に移りたいと思います。 建築あそびには藤村龍至さんや柳原照弘さんがゲストで2000年の前半に俺の家に来てくれて講義をしてくれていました。藤村さんはその後2008年からライブ・ラウンドアバウト・ジャーナルを仲間と共にINAXの支援を受けて銀座で開催しました。柳原さんは大阪でデザイン・イーストを数年開催しました。川勝さんは知っていますか? 川勝:僕も辻さんもがっり絡んでいます。 佐藤:県滋賀大のDANWASHITSUのスタートは、2002年頃だと思ったけど、県滋賀大の学生たちが我が家に相談に来ました。そこで、自分たちでゲストを招いて勉強会開くにように学生の背中を押しました。今でも開催され本も刊行されています。そんな成り行きで、私はこれからも若い人達がどういう議論の場を自分たちで作り開催していくのかなー?と注目しているところです。経緯は詳しく分かっていないのですがデザインイーストは辻さんの暮らしている浜松で開かれましたけど、辻さんに押し付けつけたのかな? |
ライブランウンドアバウトジャーナル 初回について語り合う、2008年2月10日記録へ 2011/12/03 銀座で行われた ライブラウンドアバウトジャーナル(LRAJ2011)のあらましを17分ほどにまとめました |
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辻:詳しくはわかりませんけれど、京都では川勝さんが押し付けられていました(笑) 川勝:そうです、同じ年に京都でやって浜松でやって、京都の担当が私で、浜松担当が辻さんでした。 佐藤:柳原さんと家成さんが若い人に振った理由は分らないんだけど、若い人につないで展開していくような道筋が出来てたんですか? 川勝:デザインイースとは、あの時は企画として「大阪以外の所に行こう!」ということでしたね。各地の知り合いないしは何か活動している人に「企画しろ」ということだったと思います。 佐藤:若い人に振るのはいいけど、デザインイーストの活動が消えてしまったのはもったいないと思います。 川勝:そうですね。 佐藤:こんど大阪に行って、柳原さんに会っていろいろ聞いて記録しておこうと思います。仕事が軌道に乗り、みなさん忙しくなっているということでしょうか。若くて暇があるときしか活動しないのかなー、もったいないなー、と思ったりもします。デザインイーストとラウンドアバウトジャーナルが合流してパラレルプロジェクションズのような流れになっていったのか、その辺りは分らないのです。 関係ないのかもしれないけど、活動している人たちが重なっているので分かり易くし記録して置こうと思います。関係ないのかな、あるのかです |
第二回デザインイーストの様子 |
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辻:直接は関係ないですね。ただ藤村さんも委員でしたが、パラレルプロジェクションズが入っているのは学会の建築文化事業委員会です。藤村さんは建築夜学校とういうのを10年ぐらいモデレートされていたんです。退任される際に引継ぎで私が指名されました。僕が入った年が丁度、建築学会の130周年で、僕は建築夜学校かなーと思っていたんですが、「130周年だから、130人若い人を集めてください」という感じになって。(笑) 佐藤:むちゃぶりされたわけですね。 辻:無茶ぶりされて!その後に「これは、一人では無理だなー」と思って川勝さんを誘って。それで始まったのが2016年です。 佐藤:川勝さんと辻さんはでデザインイーストの絡みで既に顔見知りになっていたと。 辻:もっと前ですね。震災前ぐらいにRADはもう始まっていて、2008〜9年ぐらいに始まっていて、僕も浜松に拠点を移して独立しようかなーという時に、まちづくり系の補助金でレクチャーシリーズを浜松でやったんですよ。 で、何組かお招きしたんですけど、その内の一組に川勝君と榊原君を呼んでレクチャーしてもらったのが一番初めの出会いです。 佐藤:2011年2月ごろだったけど、京都大学の岡田智弘先生だったかな、川勝さんと榊原さんがインタビューしていたので、文字起こし手伝った途端に東日本大震災に遭ってしまい、記憶がぐしゃぐしゃになって、被災地活動がそこに集中していって、それ以前の活動が切れて分からなくなってしまった。その後川勝と榊原さんの活動は続いているんですか。 川勝:前後関係は分からなくなりましたが、あの辺りです。だいたい同じぐらい。 辻:震災の前の11月とか12月とかの頃 |
川勝真一(かわかつ・しんいち) 1983年兵庫出身。2008年京都工芸繊維大学大学院修士課程修了。2008年に建築的領域の可能性をリサーチするインディペンデントプロジェクト RAD(Research for Architectural Domain)を設立し、建築の展覧会キュレーション、市民参加型の改修ワークショップの企画運営、レクチャーイベントの実施、行政への都市利用提案などの実践を通じた、 建築と社会の関わり方、そして建築家の役割についてのリサーチをおこなう。 RADへ 辻 琢磨 1986年静岡県生まれ。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY-GSA修了。2010年 Urban Nouveau*勤務。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。 現在、名古屋造形大学特任講師、渡辺隆建築設計事務所非常勤職員。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞※。2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰※。 ※403architecture [dajiba] |
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川勝:佐藤さんが京都に来ていたのはその夏ですか? 佐藤:俺が最初に川勝さんの家に泊めてもらったのは2008年の春だと思う。2007年、柳原さんが我が家の建築あそびに来て、彼が推薦してくれた大坂の若い人を聞き取りしたのが2008年でした。大阪で聞き取っていると京都の書店に、ラウンドアバウトジャーナルの面々が、山崎さんが招いたのかもしれないけど、イベント開いたので聞きに行った。その打ち上げに参加していろいろな人と知り合った。で、その晩に川勝さんの家に泊めてもらいました。2009年の冬(12月の日記へ)は魚谷繁礼さんが推薦してくれた京都の人たちを聞き取りして、川勝さんの家を借りて1週間ほど聞き取り活動してまして、京都活動のまとめとしての「建築あそびin京都」を開いた。そしたら、聞き取りした人たちが家族を連れて来ちゃって!!たくさんの家族が押し寄せてきて賑わいすぎて、何が起きているのか分からなくなった。聞き取った人が全員が参加するだけじゃなく、声を掛けてない方々が、ネットで見て集まって来てしまい、川勝邸から溢れる程の凄い参加者だった。各部屋で議論していたから俺は全体を把握していない。 川勝:そうですね、5セッションぐらい行われていました(笑) 佐藤:俺は森田一弥さんと渡辺菊眞さんと江崎貴洋さんの話をまとめて記録にしただけでした。真夜中になって最後に関西大か近畿大だったかな?松岡さんが編集者の山崎泰寛さんに因縁付けて険悪になった、危機一髪で後味悪い、喧嘩になりそうになった、上手いこと火消をしたのは覚えてる(笑) 川勝:菊眞さんがめちゃ怖かったですけど。先月佐藤さんの所の行ってますね。 佐藤:渡辺菊眞さんのお父さん豊和さんの最後の作品「現代イワクラ」非公開なんでよ。採石場に在るから一般の人を入れると危ない、石や岩がゴロゴロしている場所だから、崖崩れしたりすると事件になるからね、だから非公開にしてて一般の人は入れない。宮城県の最南端の町に在るんで我が家からは車で1時間強の場所に在る。俺は菊眞さんはコワイ印象ないけど。 川勝:当時はね(笑) 佐藤:博士課程の時はストレスたまってたんだろうけど、喧嘩売って格闘してたとは聴いているけど。高松伸さんの事務所に行っていた、自称絵が上手いといっている人と格闘したとは言ってた(笑) 川勝:Uさんですね。 佐藤:Uさんを叩きのめしたと、自慢話は聞かされた(笑)今は大人しい、脱線してしまいました。関西の濃いオモロイ建築人たちが集まって川勝さんの家で語り合いました。関西の濃い人たちが浜松に流れていっていた! 辻:(笑)流れて来た(笑)川勝さんの方が上ですよ。 川勝:2年ぐらい上かな。 |
2009年12月京都での聞き取り 2021年11月20日現代イワクラを体験する |
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佐藤:その後、京都に行ったのは2017年で川勝さんと奥さまが居た。藝術家の芳木さんだった。凄い芸術作品を見せられて俺はブッタまげたよ。今年鹿児島で展覧会があったようですね。 川勝:やってましたね、この前は大室さんの美術館でも開きました 佐藤:それは知らなかった、FB見過ごしてますね。大室さん美術館は三重県じゃないですか。 絵:芳木さん シルクスクリーン制作による 作品 |
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川勝:三重県です、大室祐介君の奥さんもアーテストで、仲良くなったりしたんです。大室さんの所は家の息子より一つ上の子供が居まして、関係ない話ですけれど。まあ辻さんも来てくれて三家族でお弁当食べていました。(笑)大室さんはほぼ三重で暮らしています。 佐藤:行かなければないなー、三家族仲良しなんだ〜ね。いいことだ。脱線しましたが、辻さんと川勝さんと共通の背景を知ることになりました。辻さんの奥さんは製本作家だとは知っていますよね。 (絵:街角製本・村上製本発行所 WEBへ ) 川勝:知ってます、それはパラレルプロジェクションズも多少とりもったこともあります。 佐藤:記録集を作っていただいたとか 辻:最初のキーワード集を今の妻が作って。 川勝:学会がお金を出して 辻:売れなかったんだよね。 川勝:会場でだけ売れたんだよ。その他で売れなかった。もったいない。家に有りますよ。 |
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大室祐介さんSDL日本一を語る 2010年3月8日仙台ダメハウス 大室さん前列右から2人 佐藤中列右 |
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佐藤:ではここから、パラレルプロジェクションズについて、ほとんど知らないので、いろいろ語っていただきます。藤村さんに無茶振りされて川勝さんと辻さんが集まってどのような事をしようかと、2016年、最初に何を語り合ったか覚えてましたらお聞かせください。 辻:ほとんど忘れている。(笑) 佐藤:思いだしてください。何か記録に残ってないですか 辻:委員会に川勝さんに出てもらってから、二人でブレスト、130人集めるというのはほぼ決まっていたので。どういうふうに集めようかなーみたいな処からエントリー制にして、なるべく主体的にしようねと。 川勝:最初から、そこを辻君がたいへん拘っていた。二人が130人選ぶという事とは違う仕方で、130人集めたいと言う。 佐藤:カテゴリーは決めずエントリーする者なら誰でも受け入れたんですか。2017年に俺は間違って、福島県の放射能被害を語りで伝えておこうと、参加してしまったけど(笑) 辻:一番最初の時は年齢制限もしていた。 川勝:年齢宣言は「若手を集めろ」という話だったから、そう決めた。 辻:1980年代生まれで、130人で、今後30年を考えようというテーマにしたんですよ。 佐藤:激変する移行期にあって、今後の30年を考えるって難しいテーマだね。 辻:何となく生まれて30年経っているくらいなので、次の30年をぎりぎり可能だろうと。 佐藤:自分たちが60年代になった頃を視野に入れて語り合うと。2010年の秋のアメリカの大統領選挙で敗者であるトランプ元大統領がSNSを使って支持者に焚きつけて米国議会議事堂で襲撃事件が起きてしまった。たった数年前で民主主義の本丸で殺人が行われてしまった。誰も予想してなかった事が起きるじゃない。難しい時代だよ。 辻:それももちろん新型コロナのパンデミックも予想していなかった。 |
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その2へつづく |
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