「画像の建築、物質の建築」について語る 2021年10月4日  作成:佐藤敏宏
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 語り手
 西鍛冶駿さん
 浅古陽介さん
 佐藤敏宏
時空間を行き来き可能なCG

佐藤:建築に関する働き方、がらりと変わってしまう。1千万円の元は取れることもあるから。
浅古:それは無いでしでしょう。(笑)
佐藤:時間が行き来するCGはあるけど、素材まで戻り、建築現場まで戻って、時空を行き来可能なCGはない、と。建築が崩れて大地に戻る、そういうアニメーションは要求されていなんだと。それを作るとすると映画並みに数億円は掛かると。その話はこれでお仕舞にしましょう。

浅古:時間の変化を、アニメーションは表現は出来る、それは凄く影響が大きくって。それを忘れちゃっている人が多いですよね。
佐藤:CG作家という機械人間に、彼らはなり下がっている、それでいいんじゃない。
浅古:ただ、歩きまわっているだけ、時間の幅があるんだ。

佐藤:浅古さんは建築家に憑依されてCG描いていても、自分の人間性は失っていないと、そう語りました。一般のCG屋さんはCG機械人間にどんどん近づいているんだと、そう暗に語ったわけです。
既に、CGアニメーションで日の出から日の入りまで様子の表現を、西鍛冶さんの受賞作は表してしまっていますよ。視点は鳥化してて、建物の中に入ると人の目に変わる。始まりは砂嵐か夜明けの中から、不明ですが、古代風の街が現れて、アゴラって言う作品です。時間を入れた物語が作られていますよね。

西鍛冶:そうですね。あの作品は元々刑務所として使われている処の歴史を、アニメーションの中にあるから、それで時間を入れた表現が出来ました。アゴラのCG作品は時間軸が大事なアニメーションにはなっています。

佐藤:さきほど、アニメに時間経過を入れると金が掛かって無理、無理だ〜との発言があったけど、私が指摘するまでもなく既に一部実現されている。だから、時間経過のアニメやCGに時経の表現は可能かと、お聞きしたんです。浅古さんの弟子である西鍛冶さんの方が無意識に作ってしまう、そういうことですか。弟子はひょいひょいと時を駆ける作品を作ると。
師匠である浅古さんには、アゴラのような作品を作っていたんですか。で、あの作品で私が気に入らない点が一つあって、敷地から光が放射されるシーンです。あれが挿入し作られていない方が私は好感が持てます。



































絵 アルベルト・シュペーア より


西鍛冶
:過度な演出(笑)

佐藤:何故かと言うと、あの射光は鳥の目で見ても現実には起きない。でCGは嘘なんだから、嘘をさらに強調する演出は禁物で、あれは過剰だということです。演出することを認めるなら、未来都市は敷地から光が天に向かって方々から照射される、ドイツのシュペアー的な演出過剰都市を連想させることになる。俺様主義の建築だ、そういう宣言だったら、そう受け止めます。そこだけが演出過剰であって、他はリアルを追求したかのようなCGになっている。せっかく時間軸で追っていって、建物に入るんだから、あの射光は足を引っ張っていると。私の好みですし、感想です。
CG業界でのプレゼン大会ではあれが決め手で作法だったら、ご免ねです。

西鍛冶:(笑)

佐藤:アゴラとナチス時空では違いすぎるので気になりました。建物CGに時間軸が取り込まれているので、アゴラの内部から出て見たら、違う建物、外観になっていた、そういう夢のような、内部は共有しているんだけど外観はまるで違う、そういうアニメーションも作ることが出来るわけです。現在は外部に出て鳥の目に変わるだけで同じ建物です。
西鍛冶:うん、うん。

佐藤:ややこしことを言っててご免ね。

西鍛冶:そうですね、あれはアニメーションです。普段、パースを作って、二次元の作品を作っていたから、アニメーションになると。そういう時間みたいなものを取り入れたくなって、今そう言われると確かに動画だったら、そういう事できるよなーと。そう思って、佐藤さんに西鍛冶さんは時間軸入れた作品を作ったよね、と言われて、たしかにやっていたなーと思うと。何か時間軸入れたの、作りたくなっちゃうかも。

佐藤:自分で意識して時間軸を入れた作品を作っているなんて、自覚が無かった(笑)
西鍛冶:気が付かずにやっていたなーと(笑)
佐藤:さすが、Z世代や!無意識で時間のボタンを押してしまいCGを作ってしまっていた。(笑)

西鍛冶:時間みたいなものから開放されると言いますか、自由に時間を行き来できるみたいな。それはCGアニメーションの喜びなのかも。

佐藤:そう、そう、そう思います。で、さらに注文しますが建築も素材から完成、そうして朽ちて素材に戻る。物の建築は地球上で物としての時間を生き続ける、物そのものです。アゴラの場合は建築の内部に入って終わっている、同じ外観を見せる。あれが一度、外にでて、朽ちて砂漠に物が散乱している絵で終わると、いい、私の好みです。または暗黒の大宇宙の闇に戻るとか。第一段階としては出たら違う建築の外観だった。それでいい。アゴラはCGでそういう表現は出来るんだぜ!を、暗に示してしまっていますね。 
物の建築を撮影しても時空間移動をすぐにはできない。実写で動作制作する場合は何十年もの時間に渡り撮影してから、繋ぎ合わせてつくりしかない。

西鍛冶:そうですね。
佐藤:物の建築画像には時間を重ねたり、場所を移動を重ねたりして空間の体験をするためには、観る者が時間と場所を移動するしかない。移動できたとしても全体を出入りできても、自在に全体を観察することなんか、できない。CG作品はそれが難なく制作できてしまいます。建築の過去と現在を巧みにつなぎ合わせることで、CG制作の可能性が広がっていく、というふうに西鍛冶さんのアゴラを観て思いました。
だから、CGにおける時空間移動の可能性について質問しました。















西鍛冶駿さん語る動画より

■LUMIONコンペ2019 リビングCG特別賞受賞作品 【No.30】作品名: agora

佐藤:それは、東日本大震災で、そこら中の建物が倒壊したり津波で町が崩壊していたりしたんだけど、3Dスキャナーを使って震災遺構や被災建物のバーチャルリアリティー画像もたくさん作られました。東北大の事業で「歴史的文化資料保全コーディネーター講座」がありまして、鹿納晴尚先生から3D技術を駆使した被害状況の記録を残すための講義受けました。埋蔵文化財の地形計測、被災建物とその周辺の樹木をふくめた景観の3D計測、小さな土偶の3D計測の事例を示していました。人間の視覚と行動では得られることがない、CG技術の現在を被災事象を通すことで、広大で細かな事実を知る機会になったんです。
今、西鍛冶さんや浅古さんのCG作品に触れて、あの時のVRを思い出したんです。建物を建てなくっても建物を経験できるので、たとえば古建築保存が決まり建つまで間に、体験してもらって、支援金を寄付してもらう。そういう行動に繋がっていくんですね、CG画像術を使うことで。


 鹿納先生の津波被災による浪江町請戸漁協建屋

西鍛冶:ああ、なるほど。

佐藤:VR技術を持つことで今私たちは、もう一つの目、新しい視点でもって一般の人へ建築を伝え、支援していただける機会をつくることが増えるように思います。そういう使い方の3D支援技術があることを知りました。
3・11の5年後には熊本城の復元3Dをつかった番組をNHKが多量に流し、支援の輪が拡大していったし、政治家も支援に動いた。
ですから、強いて言いますけれど、西鍛冶さんも浅古さんも建築家なんですよ。自身が気付いてないだけです。お前たちは建築家だなんて言われたことはないでしょう。私しか言わないでしょうが、これからはお二人のような建築家がたくさん認められてくる社会ができますよ。そう思っています。その方が実物建築とCG建築が共栄していくことで、物質の建築も面白くなると思います。

リア充建築をつくって満足していられる建築家は古典的な人になっていますよ。3DやCG建築も自在にこなし、建築を一般の人に広める活動をする、それが建築家の21世紀型だと思います。そういうことで時間の行き来についてちょっと語っていただきました。

西鍛冶:なるほど。


 佐藤制作動画 津波と火災に遭った石巻市門脇小学校

2019年2月28日佐藤の日記 
講義内容より
3次元計測技術による被災状況の記録=鹿納晴尚(総合学術博物館)














請戸漁協動画より



佐藤撮影門脇小学校動画より
■ CG術の伝承はどうなっているのか

佐藤:私の妄想だ、そう処理していただいても構いません。まだまだ聞きたいことが一杯ありまして、(笑)最後にこれだけは聞かせてください。

お二人は師弟関係です。そのことで、(2021年)9月4日に俺様ZOOMを開催しました。沖縄の建築家の話を芯に語り合いました。彼はベネズエラ生まれで、沖縄で新民家を造って暮らしているんです。日本国籍を取得しました漢那潤(Vera Jun)さんです。
その語り合いでの一つの話題が、リアルな場所で建築を造り続ける時に、技術の伝承が欠かせないと。大工さんの技術伝承も、植林から木材を生産するための技術の伝承も、両方の重要性につて語り合いました。
親から子や、人から人への技術の伝承が無いと、技術は伝わっていき生きられない。現在、沖縄には木造建築に適した木材が無いので、種から苗木を育てて、植林をして成長させる必要があるんです。沖縄産材で木造建築を建てるには50年ほど掛かってしまいます。植林した人は材を使える頃には、亡くなってる可能性が高いんです。提案している彼は50歳直前だから亡くなる可能性が高いです。若い人にその思いを伝承しないと、彼の思いは成立しない。

そこで、CG界の師弟関係では、技術の伝承というのをどうしてやっているのか、あるいはやっていくのか。聞かれることは無かったと思いますが、その点を語り合っていただけますか。先生と生徒の関係でブツと途切れてしまうのか。師弟で作品を見せ合って、技術を伝承したり磨いたりしているのか、そこで共有する、それを支える組織があって、常日頃から技術交流しているだと。作品交流会の場があるとか。
アニメーションは道を歩いていても、勝手に音楽のように直接耳に届かないので、CG作品は人を介して、CG作品制作をもって、若い人にも続けてもらいたいと考えているか、どうかです。

紙の上のパースは限界があったけど、CG画像の建築になると可能性が多くて、想像しにくいのです。技術を伝え合うための何か、言葉にできなくて申し訳ないですが。










2010年、Vera Junさんと中目黒で

ここで一息いれましょう
西鍛冶さんの好きな曲です

浅古:西鍛冶君からどうぞ。
西鍛冶:僕からですか(笑)
浅古:僕から話すと影響されちゃうだろう。

西鍛冶:技術を継承する年齢じゃない。
浅古:話していいですか、けっこう長くなっちゃうけど。
佐藤:長い語りで、問題ないです。

浅古:まず一つ大きく違うのは、コンピューターの技術はサイクルが早いんですよ。だから、10年前に僕が使っていたソフトで、今でも使っているソフトほとんど無いです。10年経つと、お仕舞です。10年前の技術で今でも使えるソフト技術ではないです。
だから。この業界は技術そのものを継承することには何の意味もない。
佐藤:純朴な技術を語り合う楽しみも無いと。
浅古:一番最初の問題と絡みすけれど、リアルになるボタンの位置を覚えたところで何の意味も無い。それはどういう仕組みで、どういう形になっているから、リアルになるんだと。そこの部分に思考が伸びてないと、なんの意味も無い。
だから、そういう思考が出来ること、そこに移っちゃうんですよ。20年ぐらい経つと、他の考え方が出て来ちゃう。だから、考え方も受け継ぐ意味が無くって。ただ、残るものと言ったら何かあるのか?僕も考えるんです。
結局、俺がこんな姿勢でCG制作やっていたよね、っていう、ことしかない。例えば50年間、木や森林をね、代々受け継いで守っていく、その行為事態は大事なことだと思います。だけど、それを守る意味は何ですか、とか。その処も含めて受け継がれなければいけないだろうとは、思っています。
何を勉強したらいいのかじゃなくって、そういう勉強をする姿勢自体が受け継がれることが重要です。その関係は師弟という形にはならないと思います。だから、今は西鍛冶君の師匠というか、先生ではないです。今は多田さんが西鍛冶君の先生だと思います。多田さんがどういう技術を使っていたか、それも大事だけど。多田さんがどういう姿勢だったか、その事を理解する方が大事だと思う。言葉に出来なくっても、自分なりの解釈をするべきだと思います。そこを西鍛冶君には言っておこうかなーと思います。



佐藤:沖縄の場合は森と景観再生をするために地元に育つ木を植えるということです。物資の建築を扱っている人の場合だと、景観も森も、水も守りたいと思うんです。彼らが扱う素材が空気が、電気を使った方法に変わることはない。物質の建築をつくるから、砂鉄から錆びにくい鉄作りをしたり、地域に合う木材作りしたり、石だったりと、数千年使ってきた物だから、そのための技術は伝承できる。
けど、CGの場合は、物を扱う仕事ではない。で、何故CGを制作するのか、あるいは、どういう姿勢でCG作品と向き合い制作するのか、依頼者との関係の多様性に対する対応の仕方、姿勢です。物を介さない分だけ設計事務所のおかれる社会状況とか、生産され続けるCGソフトの影響を大きくCG制作を出す人は受けます。で社会背景、とコミュニケーション術にも影響されるというか、それらの重要性が物建築よりは増してしまうでしょう。
思いのほか、CG制作技術は永遠不滅ではない、と。

沖縄の仲間とイヌマキの苗木を育ている
中央 漢那潤
さん
技術信仰国、日本に21世紀の建築技術は無い


浅古
:もうちょっと言うと、たぶん、日本人って凄く技術信仰国。要するに技術教があるだと思うんですよ。要するに手に職を付ける。その技があれば喰えると思っている。テクニックだけだと、それを大事にすることって、実はあまり意味が無いんだと思っています。それは結局のところ変わり続けていくわけですよ。
カメラという道具自体もカメラオブスキュラから、今はアイフォンに変わっている。その都度の技術的な解釈の仕方というのは変わっちゃうんです。使い方も変わる。
僕は生楽器を演奏しますけれど、音楽もデジタル楽器に代わっています。その変わったときに音楽の作り方が変わる。世と共によい音楽も変わる。ただ音楽をつくるという事が変わらない。CGをつくる事、絵を描くということは変わらない。そこを大事にしなければダメだ。何の筆を持つかではない、どんな道具を使うかではない。お前がやっていることは何だ、俺がやっていることは何だ、そこを大事に思ってくれないと。CGがあるから、それを上手く使えれば浅古と同じ絵が描けると思っているんだよね(笑)それは全然違うぞ。(笑)

ヘルマンクローネ肖像写真
左 1900年ごろマンモスカメラ
『写真の歴史ー不滅のパイオニアたち』より

佐藤:
同じギターを弾いても音楽の質は違う。誰でも分かっているのではいかな。で最初の、技術教団・日本の話は元が、資源が無くて敗戦したからで、敗戦の反動で技術を加えてお金を稼いでしか生きられないと、皆が思い込んだ。あの日本の戦後資本主義を支えた日本の技術国信仰だ。21世紀の日本はモノづくりではお金を増やせない。儲けられない、そこで西鍛冶さんに教育ローンを背負わせて若い人から銭を絞り取る。セコイ、銭教団の日本に変わっただけです。
で、浅古さんと同じ道具手に入れたら同じCG絵が描けるわけないぞ。その思いは日本の一般の人に共有されることはない。お金をもっていると幸せが手に入ると思いこんでいる人が多すぎる。だから、浅古さんは尊重されることはない、今でも尊敬されない。特殊なムラの住民にしか尊敬されない。

浅古:撲が凄く影響を受けた、言葉があって、小林秀雄さんという人が「無私を得る道」という中で、要するに自分を表現したいと思っている奴は、これは危ないんだぞ、と。これが一歩間違えたら、病院にいかなければダメなんだ、と。だけど自分を全く加えようと思っていないのに何故だか文章の中に自分が出て来ちゃうことってあるんだよね、と。
俺はそっちをオリジナリティーと呼びたい。だからね、そういう意味で、俺を見ろ!俺を見ろ!と言って来る奴は好きじゃない。だけど何か一見ふつうに見えるものの中に、ここにお前がいるよ、みたいなのは俺が見つけたいよと思うから。僕は、学生にもあまり自己表現は推奨してない。

佐藤:建築系大学教員たちなどは日本各地で卒業設計競技会を開いて、「俺を見ろ」を今でも強いてるよ。例えば仙台で行われている卒制日本一展やそれに類似した展覧会だらけだよ。大人になっても、学会でも毎年賞を与えている、審査員たちは大人にも、学生たちにも、強いてまで自己表現を求めているんじゃないかね。
浅古:そうですね、それは、ダサいと思う(笑)。本当は、他の大学の事は知らないですよ。内田先生は、そういうような指導じゃなかった。自己表現をしろよ・・・、それは教えてなかった。

佐藤:言わなくて自然に個性は現れてしまいますよ。今日の語り合いも、同じ日本語を使っているけど、個性がでた語り合いになっています。言葉一つの使い方にも個性がでてしまう。同じソフトを使ったとしても完成したCG作品は違ってしまう。強いて自己表現しようとしなくてもプロダクトされた絵には個性がでてしまいます。単なる四角い箱をCGで描いたとしても。
浅古:そう、どうしても出てしまう。だから不思議なんです。僕は2年生の授業を受け持っているんです、西鍛冶君も受けた授業です。住吉の長屋をCGでレンダリングするという授業。学生はそれを一緒にCG作っているから同じ形状なんです。みんな同じレンダリングソフトを使って描いている。素材とソフトを使う事に関してはみんな差がない。180人学生が居て、一枚も同じCGの絵は無い。個性が出ちゃうんです。個性を伸ばせって言うが、意識せずとも個性は出ちゃうんだから、禁欲的に学ぶとことは必要だと思う。

佐藤:そうだよね。単にテクニックを教えただけでも、出来あがる作品には個性が出るんだと。シャカリキに個性と言う必要はないんだと。無理に個性を絞りだすような教育したところで、親や先生が目指す個性にはならない。(笑)

浅古:自分が気に成るテーマはあると思うんです。西鍛冶君はCGというものに、嵌っちゃった、そこを大事にしなさいと卒業制作では言っていたんだ。何か自己表現をしなさいというような、雰囲気に受けとめられるのは、こういうことは難しんだよなーとは思います。


絵:絵webより





佐藤:西鍛冶さんのCGで靄っている表現、真ん中に黒い塔みたいなのが立っている。霧なのか朝靄なのか不明だけど、外気温が低くて大地が暖かい場所では靄が掛かる。あの作品を浅古さんは見てますか。
浅古:見てます。
佐藤:あの作品を観て思うんです。浅古さんたちのCG第一世代の作品より、進化しちゃっていてる。CG絵に制作者・西鍛冶さんの感情が移入されていると私は思ったんです。パース表現では霧や靄は必要とされないと思うんです。
浅古:要らない。
佐藤:要求されるはずもないのに、西鍛冶さんは表現してしまっている。CG第二世代の表現だと思ったんですよ。西鍛冶さんの中で浅古伝授のCG術に対する考えが変容したんですよ。それはCG制作者の中での可能性が変わったのか?設計者は自分の建築だけ見せたいと考えているはずです。まれに依頼主の要求が変わってたたのかも知れない、だけど、何かが変わったことで、CG制作の質が変容した。あるいは西鍛冶さんが無意識に描いてしまったか。その点で浅古さんと弟子である西鍛冶さんが描くCGはまるで異っている世界観です。明確な師弟の相違点なので、面白いと思いました。
建物の形状は分かるんですよ。室内照明が灯されている表現と、灯されて表現のCG、二つ並んでいます。朝のCG作品と夜の作品と言ってもいいと思います。同じ形を時間の違い既に表している、その点が西鍛冶さんの個性だと思いました。
ずでに、師匠のSGの質が変容したなと確認できたんです。西鍛冶さんの体内でCG制作の目的が変わったと受けとめましょうか。そういう事ですと説明していただかなくっていいです。浅古さんのCG作品と西鍛冶さんのCG作品を連続したものとして観ると、違いが鮮明になりました。

    
 絵:左と中央 西鍛冶駿さん制作  右 浅古陽介さん制作
 CGソフトが制作者を選ぶ


佐藤:西鍛冶さんの現在の勢いが続けば、CGは相当変わるなーと推測はできました。西鍛冶さんはもっと変わっていくね。やりたいようにCG制作していただきたと思います。教育ローンの支払いが苦しくなってきたら、CGも苦しい表現になるね、可能性はある。

西鍛冶:ですね、自己が出て来ちゃう。
佐藤:暗闇から小判のように、金塊が出現する建築表現になるかもしれない。浅古さんの背中を追っていた西鍛冶さんは、CG作品が変容している。それは凄く面白いです。師弟関係の面白さがそれぞれの作品に投影されていて興味深かったです。
似たような楽器を演奏していますし、絵の違いが浮き出ちゃうだよね。サマーという曲は浅古さんのオリジナル曲ではないんですか。
浅古:あれは久石譲です。
佐藤:福島県郡山市出身の久石さんの曲でしたか。お二人の弦楽器の音色が違いますから、あれも面白いです。二人で比べ合える仲間がいるのは羨ましいことです。私の周りには犬とか猫とか野鳥しかいない(笑)身近に似た趣味の友達がいるのは羨ましいですよ。
新コロナでリアルな場所で会うことが出来なくって大変だと思います。お金の話も聞いたんで、CG才能の話は比べてもしょうがない。どうにか制作し続けることだと、それが才能だということで、今日はいいと思います。その他で付け加えることがありますか。

浅古:コンピューターを上手く触れる人と、触れない人は居るんですよ。苦手な人は、本当にPC苦手ですね。
西鍛冶:それは顕著にでますね。
浅古:それは学歴と関係ないんですね。隈設計事務に出入りしてましたけど東大の隈研の学生でも、「もう私、PC触りません」そう言う学生居ますから。不思議なもんだなーと思って。すんなりコンピューターに触れる奴と、触れない奴はCGはやらないんですよ。




佐藤:PCやソフトが人を選んでいるようにも思えるだね。 2:32:22
浅古:それはありますね。
佐藤:コンピューター自身が自分に合う人を選別している、人を選んでコンピュータを進化させている。2001年宇宙への旅、ハルの世界だね。行き着くところはAI帝国、AI封建社会になってしまうかも(笑)それを認めるとそうなる。今のところは歯止めが無いので、危惧はありますよね。

浅古:ですね、西鍛冶君みたいにCG屋さんになる、なりたいみたいな、彼以外にも居るんです。そういう学生は学年に一人居るか?居ないかです。で、僕もその内の一人だったんだと思うんです。僕の時はCGが授業では無かったんです。だから、授業があろうが無かろうが、コンピューターが得意な奴は一人はどうやっても出て来る。(笑)
佐藤:学生は自由時間があるはずだから、授業だけ受けに大学に通っているわけでもないでしょう。
浅古:世の中にコンピューターがあると、コンピューターが得意な奴が勝手に出てくるんですよ。だから3Dの教育とかも、そこが目的ではないんですね。

佐藤:コンピューターを教えろとは、あれは建築会社がジョブ・トレ-ニングを省いて大学に押し付けているんだよ。(笑)今日のZOOMのように、俺はコンピュータ好きではないけど、iPad使って会った事ない人と長い時間でも語り合ってしまう。そういう奴は現れるから、俺、iPadに選ばれてる老人感は持っているね。ZOOMに選ばれた老人だね(笑)
新コロナ登場以前にはユーストリームもスカイプも使ってなかった。同じような機能でもZOOMだと使う、そういう関係がCGソフトにも発生してると。アプリケーションとの相性が合うやつが出現すると。

浅古:何かあるような気がする。
佐藤:そう考えるのは面白いね、人間が作る道具だから、ノコギリに合うひと、金槌に合う人が居たでしょうね、昔だって。似たような事でしょう。道具は人間の脳味噌が生み出しものだから、道具をつくった人、ソフトを作った人それぞれに反応する他の脳はあると思う。合う人同士が連携して、道具も人の行動も変わっていく、脳はあまり変わらないんだ、面白いね。

浅古:僕は神様が、居ると思います。
佐藤:ありゃー(大笑い)俺は無神論者なので、神様系はどうも苦手でして、神にお任せしないタイプです(笑)
浅古:コンピューターの主はいますよ。妖怪が居るんです。(ともに笑)








浅古さんが好きな曲です。

浅古さんより佐藤への逆質問

浅古:佐藤さんにお聞きしたいことがあります。潤平と仲いいですか?
佐藤:松島潤平ですか。
浅古:そうそう。
佐藤:松島潤平さんは俺の瑞雲の友だ、そう言っている(笑)
浅古:そうなんですか。

佐藤:松島さんとも仲いいよ。なんで?
浅古:僕も仲よかったんです。隈事務所で会っていた。

佐藤:松島さんは才能ありすぎるんだ。器用貧乏にも見えるけど。子供も1度で三人産ませるパパだから。
浅古:あれはびっくりしましたね(笑)
佐藤:西鍛冶さんは松島潤平さんを知らないんじゃないですか。
西鍛冶:知ってますよ。Twitterとかで。


 絵:2017年10月03日 港区の家で 松島さんに聞いた記録より

佐藤:文章も凄くうまいので、web日記を書いてたときは大学生のファンが多かったんだよ。日本でたった一つの松島本を俺は一万円で、即、買って持っている(笑)
それから、2009年に代々木の知人の事務所を借りて、松島さんの生い立ちから聞き取ってweb記録を作って公開してます。





















2009年8月9日代々木で聞き取り
松島さんの独身時代


俺が松島さんと知り合ったのは、藤村龍至さんを介してなんだ。藤村さんと松島潤平さんと日建設計の伊庭野大輔さんと、独立建築家の藤井亮介さんがラウンド・アバウト・ジャーナルというイベントを開いた。2008年1月26日銀座のINAXでね。
藤村さんは佐藤の家で開いていた「建築あそび」へ学生の頃から来てたんですよ。俺の家に藤本壮介さんが来た建築あそびだった時だから、2002年6月1日に初めて来た。で、その後も何度か来ていたんです。藤村さんは俺が個人で実施ししていた、建築あそびをロールモデルにして、もうちょっと派手なイベントに仕立て上げて、バージョンアップして、そのイベントを、銀座で開いた。
2008年には大阪のデザインイーストというイベントも開催したけど、あの起動に火付け役したんだ。旧知のデザイナー柳原照弘さんの背中を押して、彼が中心になって開いたイベントです。2007前後は建築あそびを通して大阪版や東京版が立ち上がって、若い建築系の人達も盛り上がった。まだフェースブックやTwitterなどのSNSが盛んじゃなかったので、各地域で個性を出しながら、リアルな場で盛り上げようと踏ん張ってたんだ。



だが、2021年現在、SNSを使って簡単に個人で発信し出来るから、友達と結集して何かするという、あのエネルギーを吸い取ってしまったね。で、SNSは一見にぎわっているように見えるけど、実態は、現在のような閉塞的な社会をつくるベースになっちゃったんだね。同質の人が固まり易く、人の分断を加速させてます。

建築あそびは1984年から開いているmyイベントで、俺の家はお前の家だ、と言い張って、一晩だけ集まって来いと。集まって来たら難しい話を聞いて、無名で若者に講義させて、その後、地酒をたらふく呑んで皆で作った料理喰って、語り明かす。そんな俺様イベントだ。終了後は俺が、講義内容のweb頁作って公開し、感想を募って、感想が集まって来たらweb記録に付けて完了。そういう俺様イベントを長年やっていたんだ。彼らと知り合ったのもその事が縁です。

松島さんには銀座のイベントで会って、あんたたち何をどうやっているのか?そう聞いたら、反省会を兼ねて2008年2月10日に4人で、伊庭野さんの家の自家用車員乗って高速道をぶっ飛ばして、福島に来たんだ。我が家は家人の病が重くなっていて使えなかった。だから町中の竹屋旅館(3・11で解体された)に泊って、夜通しで話し合った。藤村さんは寝ちゃっただけど、伊庭野、松島、藤井は寝ずに「ラウンドアバウトジャーナルとは何か」ついて熱く語り、それを全て聞き取ってしまったわけです。彼れらは色々準備してきてて、細かに説明、自己プレゼンが大好きな奴らなんでね。それを俺が全部記録してwebアップし公開してしまった。あの活動の内容と動機は理解してしまった。






2011年12月3日あの日参加した人を含め、LRAJの一日が理解できる、my記録動画


2008年2月10日福島市竹屋旅館 記録を読む 
  

佐藤:松島さんの処女作は千葉県の佐倉市に「Qilin」キリンと称するデザイナー一家のための住宅でした「完成させた、出来たから最初に作品を観て来てください」と。「電車賃、お金」が送られて来た。貧乏だか俺は見に行かない、行けないんだけど宿を取ってくれていて、観に行ったんですよ。その時のお返しに、オープンハウスの現場の様子と、彼の家にも戻って仲間を集めて設計意図を説明するのを聞き取った。アイフォンで撮影した(笑)家に戻って編集してYouTubeにアップした。体験記も書いたかもしれない。

奥さんと結婚する前に、何かのイベトの二次会で俺の目の前に座ったんだ。新建築社に勤務していた女性だった。「松島潤平は良いと男だから、結婚しろ!」と、セクハラ・オヤジしたわけ(笑)。「実は私、もう付き合っています」と言われて、学生時代から松島さんのファンだったと言うのよ。「お目が高い、それは失礼しました、知らずにごめんなさい」(笑)そういう感じのお付き合い。
三つ子が生まれので、2017年10月3日に港区の家に聞き取りに行って、その記録もweアップしてる。松島さんのことは追っかけて記録している。そんな仲です。
才能が有りすぎるし三つ子も育てなければいけないし、そのうちに才能を爆発させると思って観てます。

松島潤平さん最初の作品 キリン見学会の様子動画



松島潤平キリンを語る

浅古:松島さんもバンドやっていたんですよ。

佐藤:俺は渋谷のライブハウスで開いた、隈さん事務所の仲間のライブ開催したので、観に行って、動画撮った(笑)浅古さんあの会場にいましたか?
浅古:あれには行ってないです
佐藤:超満員でしたよ。長谷川さんがボーカルで歌っていた、松島さんがギターでベースが女性だったかな。ドラムはだれだか覚えてない。
今、振り返ると、長い付き合いになってるね。数か月前、9月1日だったかな、北海道大学の准教授に就任した。メッセージしたら、「こっちから、福島に行きますよ」と返信来た。その内、コロナが収まったら福島に来るんじゃないかな。俺は福島に来てもらうよりは暮らしている場所に行って泊めてもらって聞き取るのが好きなんだけど。

浅古:
北海道に行きたいですね。

佐藤:ZOOMだと言葉は分かるが言葉の外の事がなにも分からない。例えば西鍛冶さんの部屋に行くまでに、色々な町の音とか臭いとか人ごみとか、いろいろ体験して記憶に残るわけです。ZOOMだとweb記録には現れない、たくさんの情報に出会わないので、肉声の交流に留まる。臭い部屋で仕事しているとか、カビ生えていないとか、ピカピカに綺麗な暮らし方だとか、現地に行くと一目、一気に分かる。彼女が居て、ウザイ顔される、それも、現場に行くって聞き取る楽しみの一つなんだね。オンラインではありえない現象に出会うことが出来るんだよ。駅から西鍛冶部屋にどうしたら辿り着けるのか、街の様子も体験できるからいいんだよ。web頁の記録づくりしている時に、そういう記録にできない情報が重要なんですよ。
オンラインはいいとは思わないけど、交流できないよりは遥かにいい。有効な道具です。肉声を文字にしなおし、web頁記録を三人で仕上げる、そうして時間掛けて公開が出来ると実感が湧きますね。

松島潤平さんが独立建築家になったお祝いコンサートが渋谷のライブハウスで開催された。ギター縁者が松島さん
2011/10/26アップ
SLAB 建築紙幣発行所 など


佐藤:浅古さんと出会ったのは昨年末のZOOMでした。後に私の提案した「SLAB」という名が採用されて会の名前になった、建築紙幣発行所でもあります。稼働してないね。紙媒体世代と電子媒体世代の良き交流が成り立たないね。

浅古:雑誌はいろいろ読んでましたよ。webになって、それは意味がぜんぜん変わったなと思いました。
佐藤:現在は情報発信は何処でも誰でも出来るITの世の中になったんだもの。webで発信して20年過ぎたがweb発信はとてもいいよ。

浅古:本を作る意味はあると思うんですよ。だけど雑誌はもう要らないんじゃないか。

佐藤:8月4日は高齢者版は「編集者と語る」は終了しているんです。来月の11月4日の俺様ZOOMは若い女性編集者たちと語り合いするんです。男性は静岡の浜松で暮らしている辻琢磨さん一人です。西鍛冶さんは知ってますか。

西鍛冶:知らないです。
浅古:403を仲間とやっている。
佐藤:辻さんから建築学会用の原稿依頼がきて、9月末締め切りだったので提出したばかりです。両方知り合いなんだけど、京都の川勝真一さんと辻さんとで、建築会館で4年間に渡ってイベントしてたのかな?その仕上げとして特定の参加者を選んで原稿依頼を発信した。建築学会のHPで公開するらしい。辻さんは若いけど学会で編集作業もやっているし、建築も造っているし、若いし、好適だと思って声かけました。11月4日の夜の開催になると思います。辻さんはどこかで教えているらしいんだ、山本理顕さんが学長している大学だと思った、そこで教えているらしい。
浅古:名古屋造形大。

佐藤:辻さんが教育の場に立つ関係で、夜に開くんです。俺は女の編集者たちと先に開催しておいて合流してもらいおうかと考えています。もし興味があれば参加ください。
浅古:はい。

 
川勝真一さんと辻琢磨さんが世話役
佐藤:web媒体のいい点は誰でも、何処からでも、多量に文字と写真と動画を載せることが出来る、メディアミックスが簡単にできる点がいい。そしてリンクし合えば互いに共有できるサイト・ミックスも可能だから、その点もいいんですよね。
間違えていると言われたら訂正すればいいし、苦情が来たて対応できなかったら削除すればいい。記録は完成せずに間違ったままで放置してて、ときどき更新し続けてもいいし、紙媒体とその点も違う。
ネットの情報は観る人が訪ねて来ない限りは読むことはできないんだから、能動的でないと無いと一緒だ。
浅古:読まれるようなものを書くにはどうしたらいいのか、難しいです。
佐藤:プロ作家になるなら悩むべきかもしれないね。読ませるために術を磨くしかないよね。俺はプロの作家を目指してないし、読ませようと思ってweb記録とは付き合っていない。単なるmy記録づくりと言い切ってもいいくらい、読ませることに無頓着です。俺が後々、使えればそれでいい。
でも、会った事も無い若い人に、あの記録を読んでますと言われることは多いよ。

浅古:あ、そうなんですか。


浅古:俺は石上事務所のパースを描いたことがあるんです。
佐藤:中山さんは?
浅古:中山さんのインタビューもやってますよ。

佐藤:おれも中山英之さんのインタビー記録は作った。仙台で講演した記録は打ち上げの様子も記録してある。秋刀魚の塩焼き食べたり。中山英之論を書くつもりで資料を集めてもいる。
浅古:ほんとうですか


 2019年10月14日仙台市内での講演や打ち上げの様子

佐藤:中山さんが設計した京都のO邸って知ってますか。
浅古:知ってます。

佐藤:O邸の建築発注者の岡田先生と以前から知り合だった。で、O邸が竣工した時に岡田さんに呼ばれたんだ。俺は「建築の理想は路上だ」言ってたんですよ、誰も所有できない道路の上だと言っいるんですよ。そう言っていたら、メールが来て、「私の家を造りました、私の家は路上のようなものです、佐藤さん、泊ってもらって箔付けてくだい」という内容だった、少し脚色して記憶しているかもしれないけど。
岡田さんの家族の方々も全く知らないんだけど、京都にいってO邸に泊めてもらった。O邸を設計したのが中山英之さんだった。構造設計が満田衛資さんだった。その他に施工者、それから発注者ご夫妻、岡田さんのお母さん、設計した中山さんと担当だった三島さんに聞き取りして記録を作った。あの記録を編集してまとめると一冊の本、平成のO邸物語が出来るよ。

岡田さんのインタビュイーしている時、中山さんのインタビューして欲しと言われたかもしれない、そういう雰囲気が充満しちゃっていて、2013年5月19日千駄ヶ谷の中山さんのインタビュー記録しままして、多くの人に読まれた。面白いweb記録なんだよ、俺が言うのも変だけどね。読んだ人が口をそろえて言っていた。浅古さんは読んだことないでしょう。

浅古:読んだことないです。中山さんは凄いですよね。

佐藤:彼は日本に居ては苦労するよ。建築で表現しているからしようがないよね。頼まれて建築表現しているわけじゃないからね。そういう人も居ます。建築の世界も奥が深くって面白いです。
浅古:僕も中山さんにインタビューに行ったんです。それはO邸の模型の話を聞いたんです。












2009年12月9日岡田栄造さん父を語る


 佐藤O邸に泊まる12月10日朝


2013年 5月 19日千駄ヶ谷の中山英之さんの事務所にて 皆さんと集合写真 記録を読む  

佐藤:模型は施工会社にあったよ、そこで観ました。俺はO邸に泊まって聞いていたし、O邸の前にもう一軒設計は発注されていた、その図面も記録しちゃった。

浅古:潤平とも「JARA」というパース屋さんの協会で一緒に登壇して、登壇の記録は残っていると思います。

佐藤:中山さんの建築のつくり方は外観パースから入る従来の建築家の創作スタイルを解体してしまっていて、全体が破壊され散乱している、一体験の断片から、解体散乱した状況から建築をつくり始める。脱・建築全体主義者だ、再構築する手法だ。パースの描き方もそういう作品だかからね。
最初の作品は長野県内で、現場から通っていた美容師夫妻の住宅だった。その建築の全体が作られるまでの散乱した物語がまとまるような方法だった。個人が建築を体験した記憶を繋ぎ合わせることで全体が完成していく、ある意味では人の認識に素直な手法だ。珍しい建築家でもありますね。

O邸に行って、岡田さんには建築の理想を実現しちゃたから、俺のやる仕事が無くなったと話したことがあるんだ。京都に行くたびに「泊まって」と言われていて、交流し続けています。O邸の使われ方を観察して公開している。
有名な設計者には素晴らしい本が一杯出てるので観てないんだけど、施工者の聞き取りまですると良い感じですよ。発注者の奥さんとお母さんの聞き取りもしちゃうと、建築の見え方が違ってしまいます。

浅古:
そこまで記録した人いないでしょうね。
佐藤:建築家の広報本は巷に溢れていているね、貧乏だから買えないけど。身近に会った人たちの建築情報を丹念に記録にしながら発信していくのがweb社会の処し方だと思って実践してました。

浅古:そしたら僕は話すことたくさんありますよ。僕から聞くことも(笑)

佐藤:では松島潤平を囲むZOOMから始めるのがいいかもですよ。松島さんでなくてもいい。浅古さんが誰か探してきてくれば、いい。俺は建築家ほとんど知らないし、興味もないので、本も読んでないので建築家の情報も無い。でも俺は有名建築家の記録を作りたくない、無名な建築家がいいなー。

浅古:中山さんと一緒にコンペやったんです。JARAに出展していた最初の頃。今回画像をあげてもらった、一枚目のやつは、中山さんの建築。

佐藤;北海道の大きな扉、実現しなかった扉プロジェクトには関わっていなかったですか。
浅古;あれをはやってないで。あれを雑誌で観て、何だ!これって、と思って。僕の目線から言うと、あれは何で作ってあるか分からないですよ、CGなのか、模型写真なのか、スケッチなのかPhotoshopで合成したのか分からない。そこで凄い面白いなーと思って、何時か話を聞きたいなーと、聞きに行った。

佐藤:扉プロジェクトは実現しなかったけど、完成して転売されてしまった(?)家の真ん中が道路になっていた住宅建築。大きな扉をあけ放つと道路に見えて、両サイドに家があるかのような建築です。出来たら案内しますと言われていたんだけど機会がなく観に行ってない。詳しい経過はしらない。















 絵:扉プロジェクト ネットより
日本の建築施工術は三流になっています

浅古:石上さんと中山さんが芸大で同期なんです。
佐藤:そうなの。石上さんとは波長が合いそうもないな。

浅古:(笑い)僕も仕事はやたけど、暖簾に腕押しなんで、話が通じない。
佐藤:年中、集中しているから、それはしょうがないよ。
浅古:僕が、石上さんのドローイングって真っ白いドローイングみたい、ペン画で描いてあるだけ。CGやるんで「白くしますか」話したら、「だけどねー、敢えてテーストで白くしたっていうふうには思われなくない」そう言われて、なるほどと思いました。
俺も、あのドローイングって絵だけの話だろうと思ってたけど、本気でああいうふうに思っているんだなと(笑)神奈川工科大学のカイト工房とか観に行くと、同じですものね、模型と同じだなんて。新しく出来た建物観に行くと。

佐藤:壁にポッ窓があって、屋根に四角な穴があいていて、無柱空間の建築のことですか。


 絵:絵ネットより

浅古:建物としてどう使うのは分からないけど、凄いなーと思いました。
佐藤:実家の建築じや、なかったですか。広告建築と考えればいいじゃないの、直島の美術館の変容版、あるいは対抗建築じゃないですか。四角い穴を一杯あけて真ん中がたるむ、四角で逆張り建築だし、対抗作品だと思って見たけど。

浅古:直島の建築はコンクリートで、土で型枠とって。

佐藤:炭焼き窯のように土を積み盛って、形態をつくり型枠にして、鉄筋組んでコンクリートを打ったら土を取り除いたんだと思って見たけど。型枠つくるのは全部形状異なるようにしなければならないから、土盛型枠の方が簡単にできるんじゃないかな。子供の頃に炭焼きしてた俺はそう思った。違っているかもしれないけど、俺なら、そうする。

浅古:あのやり方じゃないと、RCであの三次元曲面造れないです。そういう意味ではザハの建築はほとんどが、実は三次曲面じゃないです。直線です。石上さんもそうだしなー、たぶん二度とやらないと思うんです。

佐藤:石上さんは次から次と面白い試み建築をつくるから雑誌社にとっては嬉しい存在なんじゃないですか。
浅古:時代が違うからね、石上さんのような人が残っていて欲しいとは思うけど。訴訟が掛かりすぎるでしょう。新しく取った四国のプロポ作品、もめたりしたら、もう終わりなんじゃないかなー。
佐藤:webニュースで流れて来たけど、蓮の葉が連続して重なっているような建築ですか。あれは施工会社と組んで提案しているんだから、ゼネコンはちゃんと造りあげるでしょう。
浅古:施工会社と喧嘩しなければいいけど。

佐藤:あれはゼネコンの設計施工ですよ。デザインビルドのお神輿に石上さんを載せているだけだ。施工会社が責任もって造るから行政の人は任せるんだよ。設計者はいざとなると放り出されるでしょう。内ゲバ訴訟になっても、裁判所は受け付けるのかなー。設計と施工は分離して発注してないので其処は行政の方が賢いやり方だよ。行政は設計者と施工者の間に入って調整しないと思いますが。
浅古:施工会社はこれじゃないと出来ないと言い張って、石上さん事務所が、ふざけんなと言って施工会社を訴えたりしないか。


絵:ネットより

佐藤:内ゲバだから、施工会社はばかじゃないから、プロポ資料をつくる前に彼と契約してしまってるよ。内ゲバ同士で訴訟しないでしょう。

浅古:内部告発はたくさんありますから。

佐藤:いい物つくろうとしてチーム組んだ仲間なんだから、内部告発したら、世間はどちらも阿保な奴らだとしか見ないですよ。問題起こしたら選んでしまった審査員長の責任だと思う。だから両者に問題が発生しても。審査員長は調整して訴訟には発展しないよ。
選ばれると、思てはいなかった。ゼネコン側の可能性はあるけど。だったら今ごろ青ざめていて、社長の雷落ちまくっているよ。建築雑誌は売れるよね、そのネタで当分は。
石上さんは孤高だし一人で争い続けるような人だろうから、それでいいと思う。造った瞬間に壊れた作品もあったし、造った瞬間に壊れて使えない建築もあり得るとは思うね。使える建築を依頼したのか、そこは書いてないかもしれないよ。デザインだけだと言い張る可能性もあるよ。建築の儚さを本当に造るなら21世紀的建築の最後の姿としては評価しちゃうね俺は。建築は既に終焉しているんだから、思い切ってやってほしいね。そういう建築が一つ在ってもいいんじゃないか。
建てられえしまう県民の人たちが声をあげないと、対応できないんじゃない、俺たちは野次馬だから好き勝手なこと言えるけどね。

絵:ネットより

新国立競技場で委員長だった安藤さんはデザイン監修者を選んだ、だから完成出来るかできないかは俺には無関係だって言い張ってしましたよ。隈さんに代えてしまったのは、日本の国だから。二度あるかもしれないよ、政治家による荒業が起きる可能性もあるね。

予算が4倍に成ってしまったとか、設計者を放り出す言い訳はたくさん偽造できるからね。設計料や提案デザイン料を倍払ってお仕舞に、しちゃえるよ。そこから堅実な案で建築を造るのはあるよ。もめる方が宣伝になるし、完成したら見学に行く人多くなるよ。
常識では、どでかくて壮大な無茶建築つくらないでしょう。

既に新国立競技場で、日本はこれから新しい建築技術には挑戦しない国家ですと宣言したんだから。四国でも新建築技術には挑まないと受け止めるのが常識ではないですか。政治の問題になるよ。提案する人がどうかする問題じゃない。

浅古:ザハの建築をあの当時、日本で造る技術は無かったんです。間違いなく無かったです。日建が図面を書き直しているけど、ゲーリーテクノロジー、フランクOゲイリーが作った、建築のため、彼の建築を造るためのコンピューティングですよ。今はヨーロッパでは、あのBIMが無いと何にも出来なくなってしまっている。

佐藤:中国とか、中東とかにも一杯!ザハ建築できちゃってるじゃないですか。日本で造れないのはなぜですか。
浅古:全然造れない、本当に出来ない。
佐藤:中国や韓国に外注するんだね、昔の木造建築は日本に技術者を呼んで造って、仏閣建築を建てることによって今でも残っている。外国の優秀な技術者を受け入れ、日本人に習得してもらって、技術を帰化してもらう、そんな世に変わるんだね。

浅古:データの問題ではないんです。日本なりの施工の仕方だと、ザハ建築は造れない。ゲーリーテクノロジーという所が、あの通りのデータを全部作って、ボルト一本から作って。それをNCと言って、CNCのマシーンに落とし込めるデーターにしているから、造ることできる。建材をCNCの工場で作る所が必要なんです。ところが日本には無いんですよ。自動車産業がそういう所しかない。韓国にはあるんです。

佐藤:韓国に依頼すればいい。元総理と仲間たちが阻止し、するだろうね。





絵3枚絵ネットより

浅古:1200億円。
佐藤:西鍛冶さん大丈夫ですか

浅古:もうずぐ終わりにするけど、これは公共事業でしょう。それもザハに依頼して、コンピューティングする、ゲーリーテクノロジーに頼んで、オバーラップに頼んで全部、外人になってしまう。そんな事を考えてないなーと思って。日本の技術で造れると思い込んでいる、あの当時も造る技術が無かったことに気付いてなかった。

佐藤:安藤さんと鈴木博之さんがザハ案を選んだから、造れる技術が無いと思っていても、日本人のやる気で、精神論を持ち出して造ろうとしていたかも。で、推したんでしょうか。
浅古:日本に技術が無くっても造れるだろうと、要するに頑張って造れよと。ゼネコンに激を飛ばして、赤字してもやれよと言っていた。それって、パワハラの馬鹿じゃないですか。

佐藤;委員たちはパワハラ世代のお爺さんたちだったんだよ。
浅古:建築的パワハラ、それは今の日本で誰も受けないですよ。そういう意味で降ろされた、以上です。

佐藤:ここで終わりますか。記録は作ってお知らせします。ここから本番ですよ、加筆修正して下さい。これを機会、また語り合う機会を設けていきましょう。その後のCGについて語るでもいいですよね。西鍛冶さんが結婚した子供が4人いっぺんに生まれました編でもいいですし。
 会場、わらう
昨日までは、お二人の事は何もしりませんでしたから、とても面白かったです。長々とありがとうございました、またお会いしましワイワイし合い記録も残しましょう。合計で3時間30分ほどになりました。 ありがとうございました。
座談会:都市と五輪のズレ ─── そこに〈建築家〉の不在を垣間見つつ東京オリパラを振り返る。建築討論へ)
10月04日の語り合いの後に記録の応答として作られたウクレレ

2021年12月初旬完成
浅古洋介さんてづくりのウクレレ

下動画 初演奏する浅古さん
 
 西鍛冶駿さんの作品頁へ  浅古陽介さん作品頁へ 
 
■長い語り合いの記録に目を通して頂きありがとうございました。これでお仕舞です 記録作成・文責:佐藤敏宏 HOME