「画像の建築、物質の建築」について語る 2021年10月4日  作成:佐藤敏宏
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在宅ワーク 世界連携


佐藤:現在、お二人は在宅ワーク中なのだから新型コロナの影響ないと思っていたけど、浅古さんは感染しちゃった。
浅古:去年の5月ぐらいに西鍛冶の所も在宅勤務になったんでしょう。
西鍛冶:1年間は出社してたんです。新型コロナによって在宅勤務に移行したので、影響というか、働き方は大きく変わりました。 
佐藤:在宅労働でCGを制作するのと、会社で制作するというのでは相当に違いますか、違わないですか。相談できないから苦労してたいへんだとか。

西鍛冶:建築CG制作の仕事って、スタッフ同士で密にコミュニケーションをとる感じでは今までなかったんです。ですから、より一人で作業するようになった、という感じですね。共有しているカレンダーが有るので他のスタッフが今何を制作しいるか、どんな作業したりしているのか、それは把握しているんです。どこまで進んでいるか、進捗のチェックですね。そういうのも分らなくなって、より個人の仕事に邁進していて一人で完結する状態です。

佐藤:一つの作品を一緒に作って、データを共有し合わないんですか。
西鍛冶:自分に与えられた案件は自分で作業して仕事を回している感じです。そういうやり方なんです。そして、困った時には互いに助け合うんです。基本は一人で、CGの制作の作業を完結まで出来ます。

佐藤:なぜこの質問をしたかと言いますと、たとえば、西鍛冶さんが沖縄に暮らしていて、CGの制作作業をしているとします、依頼のCGが完成したたらデータを会社に送る。そういう働き方が可能なのか、それをお聞きしたいんです。
オンラインで作業ができれば、世界中の人たちと共同で働く場を創設することが可能になのか?ならないのか?そこをお聞きして知りたいんです。各国でCGに興味を持つ人同士が会社を作って、共同でCGの仕事をすることもできるな〜と。そう思うのでお聞きしました。世界規模のCG制作組合が出来る可能性の有無をお聞きしたいです。

西鍛冶:あーどうかな。
佐藤:部屋に籠りっきりでオンラインで仕事が出来てしまうということは、そういう世界観が広がる可能性があるということですよね。
西鍛冶:うーんと。
佐藤:お聞きしたいのは、リアルな場で一緒にCGの制作作業をしなければ理由ですね。

浅古:一緒に居るワークスタイルは要らないですね。CG作画仕事の作業環境としては無用です。だけど、CG制作する人それぞれのお国柄が相当違うんですよ。中国の制作者とコミュニケーションは難しいですね。一時期、中国の業者に下請けに出したんです、本当に大変だなと思った。言葉が、まったく違いますから。この床はフローリングね、と言うと、石で貼ってきちゃうんですよ。日本人同士だと、木の実加工(さねかこう)した床材だと分かり合えるんですけど。異国の方と作業すると細かいところがずれる。細かな言葉使いが国によって違うから、コミュニケーションがとりずらい。
佐藤:何度か交流して制作していると、それにも慣れてしまうでしょう。日本人同士だって新人とベテランが共同してCG作り出したら、業界専門のコミュニケーションの質が違うので、通じ合えない。で、ベテランが新人を虐めに入ったりするでしょう。

浅古:いや。それが一部、絵全体の雰囲気は、なかなか表現できない。
佐藤:絵に描いてあること全てを言葉を使って対話できるなら、絵画は要らないことになる。言葉に変換、換言できないからアート作品は言葉の違いの壁を乗り越えてしまい、国の違いも、知識の違いも乗り越えて直接、鑑賞者に伝わる。誤解も含めて伝わるということです。そのことは無関係の関係とは全く質が違います。そこが絵の深く大きな力、面白さだ思ってまして。言葉で絵の世界を全て表現し尽くせない、できないという意味です。こういう感じで仕上げてね、というのが伝わらない。日本人同士でも伝わらないですよ。

浅古:そう、伝わらない、だから一人で制作しちゃう。グローバル化する意味が無い。
佐藤:感情を言葉に変換しようとするんだから、言葉を受け取った相手も言葉を絵に変換しようとする、だから当然ズレまくる。
浅古:だから、分業自体がCG制作は難しいですよ。
西鍛冶:そうです。



 一休みして浅古さの好きなジミ・ヘンドリックスさんの音楽をどうぞ
図面が完成した段階でCG画を発注人がいない

佐藤:最初モデリング、次にレンダリングするんだと。モデリングは誰とでも共同できるんじゃないですか、そうは問屋が卸さないんですか。
浅古:卸さないですよ。日本だと図面が完成してCG制作者に届くなんていうのは、ほとんど無いですよ!
西鍛冶:そこで、未完の建築設計図から想像というか、無い図面を補ないながら想像でCG制作作業し始めるしかない。
浅古:「ここの設計はまだペンデング」とか言われる。

佐藤:下手すると何も設計図が出来てない段階で、設計者に「何か描いてきて」と言われたら描くようなもんじゃないですか。設計者が手間を省いていて、CG制作者にたたき台を作らせる。甘ったれのろくでなし設計者の仕業の下にあってCG作業をスタートする。そういう有様じゃないですか。
浅古:施主とのコミュニケーションがまとまらない内に、CG制作し始めるんですよ。だってスケジュールが間に合わないから。
佐藤:CG屋さんには下請けに出す依頼先が無い。ですから、施主と設計を請負った設計者の優柔不断さから発生するしわ寄せが押し寄せて来る。それらを全てCG屋さんに押し付けるって構図だね。

浅古:その部分はあるんだけど。
佐藤:加えて、後だしジャンケンでCG制作費の値段、言い値で押し切られたら、やってられないよ〜。そうならいのかな。日本人同士だから、下請け関係に甘えた、阿吽の呼吸・作戦で、その場を収めちゃうのかな。
浅古:まじで、やってられない。(大笑)

佐藤:しっかりしろ!設計者と言い放ったら(笑)エバリ好き設計者たちから仕事来なくなる(笑)CG制作でも付き合う相手を選ばないと、美味い寿司なんか食えない。苦学生時代に戻りたくなるね。何時も下請けだと、職業として自立することは難しいな。設計者はCG屋さんを下請けだと思い続けたい、建築を共に造り合う共同制作者にはしない、そういうことだね。今日のZOOMで語り合いをする前に想像していたCG制作者より辛い仕事ですね。日本社会の製造業の下請け構造と全く同じだ。お施主様、元請負様は神様でございますと。思っていたより格好がよくないなー。

浅古:辛いですよ(笑)
佐藤:同業者同士が足を引っ張り合いながら惨めな構造を継続していると言えそうだね。同業者は連携して組合作って、そこでCG制作の値段交渉とか仕事の条件とか決めないと、万年下請けで生き続けるしかないよ。建築業界の多重下請け構造てって、何年経っても変わらない、困ったもんだ。

浅古:そういう酷い目に遭っているの、僕たちCG業界だけじゃない。
佐藤:福島で放射能除染作業員を見ていると 多重下請けも極まっていて、危険手当も中抜きされちゃって、作業員は一円も支払ってもらえない。元請けの担当者は数億円要求して、バレて事件になったりする。どん底の下請け作業員は単なるバイト料の金額になっていたよ。
浅古:外注者保護法みたいなの日本にはありますけどね。機能していないです。

佐藤:CG制作者の浅古さんの顔に、苦労皺が増えていくね。
    西鍛冶さん吹き出す
CG業界って格好がいいのかと思ってたら、いつのまにか、建築界の下請け構造に巻き込まれて、下請けにされちゃっているんだ、と。CG屋さはロクデモない施主から、ロクでもない設計者が仕事を受けて、構想も満足に出来ない段階で、ロクでもない阿吽の呼吸でCG制作を発注されてしまう。想像で一生懸命描いて提出し続けても、いざ換金段階で、値段をブッタ叩かれる。誇りも使命観も踏みにじられる職業なんだね。今、聞いて理解できました。そうだったのか。

浅古:その部分はあるです、けど・・。
佐藤:発注サイドの性格が悪くても高額支払うならまだ我慢できるだろうけど、やつらは一作品、幾らという区切りで支払てくれるんですか? 闘争ですね、これは、泣き寝入りするのか、さらに闘争するか、仕事しないですね。遊んでいた方がいいかもしれないよ。一作品値段が3万円とかじゃないの。
浅古:いやいや10万円はとらないと。
西鍛冶:ごく小さな作品で、一日にも掛けないパースだったら3万円とかです。けど、10万円以上は支払ってもらわないと。

■ アニメーションCG 値段1秒1万円は最低要る

佐藤:飯食えないよね。西鍛冶さんには試作アニメーションあります。あれは1日では絶対制作できない。
浅古:あの作品だって普通に考えたら1分間60万円ぐらい。
佐藤:試作の1分弱の動画ありますよね。1週間では出来ないんじゃないの。
浅古:2週間は掛かる。
西鍛冶:あれはそんなには掛かってないです。
浅古:ルミオンでレンダリングした作品でしょう。

西鍛冶:それじゃなくって、真っ白の床、壁で

佐藤:展覧会場に絵が横に流れていくCGアニメーションです。




西鍛冶:僕がソフトの練習で制作したものです。
佐藤:制作に2週間掛かって、事務所維持のためには人件費も含めて、一日当たり一人6万円、経費を含めて要るとすれば、7〜80万円でようやく経営し続けられる単価になる。
西鍛冶:そうですね、よっぽど指示が無いものじゃない限りは、1秒1万円ぐらいは頂戴しないと経営上うまく運営できない。
佐藤:作品制作の手間もあるけど、ストーリを考えたり編集したり、作品には直接現れない、出てこないシナリオ制作や編集作業が凄く手間取りますよね。他者に伝えるためには上手な編集作業が不可欠ですよね。部分をそれぞれ作っておいて、後で入れ描いたりして繋いで仕上げていくんでしょう。
浅古:編集よりも、ああ編集か、レンダリングにそんなに時間かけてないよね。

佐藤:編集に時間かけないと動画台無しになるよ。どのタイミングでとんな音を入れるのか、間違うと印象がらりと変わってしまうじゃないですか。音を消して観ると分るけど、音の力は直接視聴者の感情に無縁りょに入ちゃうからね。音の編集って大切だと思うけど、映画の効果的擬音で言うやつですかね。CG制作は面白い世界に居るけど、現況では多重下請けの底支えたり場所に入り込んでしまうと、そうとう辛そうだな〜。
1:26:52




















習作映像 抽象的な表現でアニメーションを作ってみたかったがこれが一体なんなのか何になるのかはまだ不明瞭なのでここで放置。映像の練習としても楽しかった。3dsmax Vray

浅古:多重下請けの下に居るかもしれないけど、絵が無いと話が進まないこともあって。今、僕がやっている仕事とかは、最初に図面も頂戴できないんですよ。コンペとかだったら、図面が有ることが無い。で、敷地に行って、この敷地でとういうことをやりたいのと、そこ、話を聞いていく。今、ここまでは出来るよねと。例えば「敷地の高低差を利用したい」と言ったら、、まず高低差をデータで綺麗に入力して、そこからどういう発想で考えていくか、そのことを一緒に考えながらCG作ってやっている。

佐藤:それは設計者の仕事じゃないか。それを考えるのが建築家の仕事の第一歩じゃないですか。それをCG作家にやらせてしまうんだ。
浅古:それで、僕の方でこんな感じでいいねと思うデータが出来た途中の作品を事務所に渡して、図面化してもらう。そんなような経過で仕事が進んでいきますね。

佐藤:CG制作の契約はどの段階で結ぶんですか。設計料の何パーセント分けてもらうとか取り掛かった初期の段階で契約しているですか。
浅古:契約してない。パース何枚分ていう話。

佐藤:後だしジャンし易いね。契約無しでスタートするのは設計事務所には都合がいいけど、CG作家にとっては酷い状況を招く基になるよね。
なんでこんな事を言うかと言いますと、下請け構造のままなら、CG絵が出来上がって渡した後、設計者が設計料をいただいてから、設計事務所によってCG制作費は分配されますよね。そういう構造下でって、値切り易いですよね。浅古さんはこの作業は150万円だと思っていても「はい!こないだのCG代30万円ね」と約束小切手を渡されたりしたら、約束手形割引で20%、また中抜きされて、酷いことになるよ。

浅古:だけど、そういう意味ではね、逆にパースをそれほど重要視してない。CG、そんなに必要なものだと思われてない。そういう現状があるんです。だから、こういう事が出来て、こういう事が僕がは出来るんだから、出来ることをアピールできないと困る。お金も請求できないだろうと、まずCG作画を知ってもらうことが必要だと思ってもらう事、それも肝心なんですよ。

やりがい搾取に似た隠れた罪を認めるのか


佐藤:カイサル様あてにウィトルーウィウスが建築書を表してから、ローマ帝国の頃から変わっていない。カイサル様が設計事務所に変わっただけ。透視図をあみだしたデュラーは細かい旅日記を残していて、読むと版画を直売りして日銭をまかなっていた。

今日でも、設計事務所から依頼され浅古さんが何も無い敷地の高低差のデータを入力して、イメージ模型の機能を果たすCGを作成して、それを見せただけで、設計事務所では効率が高まるわけだよね。各自の脳内データだけでワイワイやっているより1つの浅古作のCG画像を共有することで、断然、作業効率が良くなり構想がまとまりやすくなる。効率が上がる。
その事を支援している浅古さんに対価を払われないのは、浅古さんから所員たちは時間を搾取してるわけですよね。やりがい搾取と言い換えてもいいな。(絵:デューラー作品集より)

浅古:そうなんですよ。だけど新しいことをやるたびに、ずーっとそうですよ。

佐藤:浅古さんは設計事務所に奉仕することが誇りだ、そう考えてるなら問題ないんですよ。対価求めるためにCG作っているのでなければ、お金の支払いがなくてもいい。いい建築をつくるためにボランティアするのが誇りだ、そう思ってもいいですよ。
浅古:それでいいとは思ってないです。対価は欲しいですよ。だけど、労働した分のお金は欲しいのは、当然なんです。
けど、僕らは職人だと思っていて、言葉で語るのはナンセンスだと思う。こういうことで、無料で描くのが営業の部分はあるから。

佐藤:アピールするための、宣伝活動でもあるんだと。
浅古:設計事務所さんには、まず俺が必要だよと思ってもらわないと。
佐藤:浅古さんの作ったCGが、設計の動機、創造の起点になっているとすれば、完成する建築全体に大きく貢献している、ということだね。建築の創作に多大な影響を与えてしまう、重要な行為、それがCG制作なんだね。そう思われているんじゃないですか。

浅古:だから、一回ですよ、シーラカンスの小嶋一浩さん、あの人とよく喫煙所で一緒になったんで、「君のやっていることはさー、共同設計だよ」と。
佐藤:俺も今日お聞きした限りでは小島さんに同意する。

浅古:もしも小嶋と一緒にやることになったら、君の名前も共同設計者として出さなければだめだよね、って言われた。
佐藤:そういう認識が正常です。
浅古:言われて、すごい嬉しかったですよ。そういう人がいました。ごめんなさい、僕のや方があんまり効率的ではないとは思う。そういうCG作家が支えているから、ようやく設計できると思う。

佐藤:小島さんのように良識的ならば、資本主義の鬼にならず、道徳的資本主義の感覚を持って対応して、支払いもバランスとってくれる創作者なるだろうけど。銭だけ〜!!人間も居るから。
浅古:それはそうです。
佐藤:銭ゲバ設計者に遭遇してしまった時に、どうやってCG制作者自身が我が身を守るのか。対価を毟り取るのか?
建築系の建築家と言われる大学の元先生も含めて、教え子、博士課程の学生を無賃でこき使って設計している、それが実情だろうかね。博士課程の学生からやりがい搾取している先生も多そうだし、セクハラは改善されつつあるけど、無賃強制労働的な悪弊は改善されにくいだろうね。

浅古:小島さんのような人と、こいつは俺の能力を搾取しようとしているんだな、そう思う奴は同じ目線では見ないですよ。それは差別しますよ、申し訳ないけど。
佐藤:共同創作している仲間から搾取する奴は糞野郎だねと。誇りを与えて対価も払ってもらいたいよね。糞野郎とは口にださないけど疎遠になるように対策立てるよね。
浅古:これはきっちりと喧嘩してもいいから、3桁から4桁届くかー・・・・みたいな請求書を出します。
佐藤:お前は糞だ、嫌いだとは言わず、高額請求書だして縁切り対策するよね。誇りもプライドも貶められえた上に、対価を渋るし、約手でもってさらに割り引くような銭ゲバ野郎っていそうだな。黙っていないで無言でやつっけるよね。呪いの請求書を出しまくって疎遠になっていく。

浅古:はははは。やつっける、そうも思うけど。呪いの話はしないけど。
佐藤:何か行動を起こさないと愚痴を単に言っているだけで認めることになるからね。まず言え!よだな。
浅古:環境を変えていく努力は必要ですよね。こういう事ができるだよとアピールすることもする。









デューラー自画像


 絵:小嶋一浩さん、ネットより。


佐藤:今日のZOOMでこういう話になるとは思いもしなかった、けど・・・。web頁記録に残すから、CG作家の抱えている苦悩というのも伝わるかも(笑)。CG作家は設計事務所から多重に搾取され易い立場にある職業だと理解できました。
何か対策の情報を発信したり行動するしかないね。その場合一人でやると先回りしてする奴が現れ、叩き合いになったり、CG界の内ゲバが起きると困る。

浅古:だけど搾取してくる人はいます。そんなに多くはないと思います。今はかなりクリーンにはなって来てると思います。
佐藤:有名建築家で俺様主義者は多いじゃないですか。そういう人が少なくなって共に繁栄を目指すならいいけど。
オープンコンペだとかプロコンペとか、発注サイドの役所がお金を参加者に払わないじゃないの?考える行為は無償だという通念があるよね。そういう役所の対応が下請けの下々に来るほど、悪い影響を受けてしまうよ。ポロコンペにCGで参加しまくていたら、浅古さんと西鍛冶さん、潰されちゃうよ。役所からお金もらわないけど、コンペCGにお金を支払う建築家がいれば、その方は見識が高いと思う。

浅古:お金くれますね。
佐藤;それだったら見通し明るいね。そういう設計事務所とお付き合いして共栄していけばいいだけだ。
浅古:そうそう、それは頭下がりますね。 1:3515
佐藤:そういう設計事務所の経営者が増えないと、西鍛冶さんの教育ローンだって返済を続けられないね。ここで大きな声で計画段階のCG制作費用も金はらえー!と言っておきましょう。(笑)
CG作業に対する正常な対価をどうやって決めたらいいのか私には分かりません。CG制作者が連携して値決め交渉する、最低限の単価を決めて訴えるしかないかな。一人で交渉しても対応してもらえない。CG制作者が連携できないなら、設計事務所経営者は胸をなでおろすでしょうね。だいぶ脱線しまくりましたね。ということで、ここで戻します







やりがい搾取とは、労働者の「やりがい」を利用して、雇用主が従業員に不当な長時間労働・低賃金で業務を強いて、利益を搾取する行為です。「やりがい搾取」は、東京大学大学院教育学研究科教授・社会学者である本田由紀氏が2007年前後に定義した労働搾取構造を意味します。以上ネットより


ラジオ番組では、節々に音楽を入れるように、webでも音楽を入れてみます。記録を読み疲れたら一時ジミ・ヘンドリックスさんの音楽をどうぞ
自分自身がCG制作の依頼者だった場合

佐藤:今日お聞きしたかったことに一つは、西鍛冶さんの卒業設計、その次の動画作品2点、美術館と街路建築ファサード動画があります。あのCG作品の依頼者は自分自身ですよね。アンビルドの美術館であり、存在していない都市の様子です。発注者が存在していない。常日頃から、依頼者が不在でもCGを制作しているのかどうか、その点をお聞きしたいです。描いてますか。

アーキグラム(Archigram)の絵が出ましたけど、彼らには発注者はいませんよね。西鍛冶さんの動画2作品は昨日、知ったばかりです。けれども西鍛冶CGアニメションの端緒として、興味深い作品です。依頼主が自分自身ですよ、自分の求める空間をCGを駆使し表現してみたいと思わないのかなー・・・ということです。

浅古:設計がしたくならないかとうことですか。
佐藤:CG創作が設計というか?そこは不明です。体内にあるイメージが充満して来て、アウトプットするんだから、一般的な発注者が居てするような設計とは言わない行為だと思います。自主的なCG表現と言っておきましょう。依頼主が存在しない、だけどCGを制作する。浅古さんのウクレレギターと言うですかね、あの楽器制作は誰かに頼まれて作っているのではない。

浅古:そうね。
佐藤:浅古的な楽器制作と同じように、自主CG制作するか?そこにCGの良さや可能性が露出するのだと想像します。依頼されたのは発注者の与件に対応したCGを制作するだけだろうから、仕事だと受け止めます。仕事から外れてしまう、想像力が溢れてきてCG表現しちゃう。そうして、他者を喜ばせるCG作品になってしまう。建築の面白さを伝えるてしまうCGを制作してしまう、そういう衝動は起きないですか、そういう質問です。

西鍛冶:依頼主の居ない、私のアニメ、ああいうふうに誰に頼まれたわけでもなく、自分の創作意欲みたいなものから始まって、CGアニメを制作する話で言えば、そういうのは僕は好き!というか仕事をやっていく楽しさとは別の楽しさがあります。仕事をやっていると、ちょっとずつ、CG創作意欲、そういうものが溜まって、こういうの出来たら面白いなーと。いうのを開放というか、実験してしまいます。
僕はCG業界のためとか、建築のために新たな何かを提案しようというよりは、自分の欲望で、こんなの面白かなーと思うんです。そういう衝動は僕だけじゃなくって浅古さんもあるんじゃないですか思うですが、どうですか。そういうのに走りたくなる。 1:40:41



■ 依頼者になっちゃう 憑依現象で描く

浅古:あのね、若い頃は有った(笑)今、僕が西鍛冶君のような年頃によく言われたんですよ。隈事務所でCG担当とかをやっていた時に。「そんなバーチャルなものばっかり触っていて楽しいですか?面白いんですか?」とは聞かれていた。面白いことだし、僕は絵を描くつもりで絵を描いている。だから建築を建てるつもりで絵を描いているんじゃない。だから「CGを描くことが俺にとってはリアルだ」とは言っていた。最近は意見が、自己表現については、段々興味が無くなって来た。
ジャラ(JARA)に出展した2014年の動画はかなり脚色して自分で、演出して、いろいろ付けたりなんだり、いろいろやらしてもらって、かなり設計者に迷惑を掛けながら制作したけど、その気持ちはあんまり無くなったね。どちらかと言うと僕らは人の作品を預かっていますから、要するにちゃんと見せなきゃいけない。そういう気持ちですよ。
写真家の例えで言いますね。写真館に設計者の人とたちも、七五三の時には我が子を連れて撮影に行くんですよ。撮影した写真を変に自分の視点を入いれて曲げて撮影したり捉えるのはどうか?その作品自体が非常によい部分を捉えないと、俺らの仕事としては失敗だと思ってます。
かつ、この作業自体は15,6年続けているわけで、1500枚ぐらい描いたと思う。その中で自分で設計したものは一枚も無いですよ。今もし、そんなバーチャルなことに関わって楽しいですか?と言われたら「こんな楽しいことはないんだ」と言います。人の作品を預かって、それをどういう風に見せることが出来るか、その部分だけに集中している。そのことが凄い贅沢な行為だと思うんです。だから、それをやると、相手のことがよく分かるようになったし、その作品自体がよく分かるようになった。身体性が入る、自分の体の中に入っちゃうんです。設計したもの自体が、ある意味では芝居を演じているような気持ち、その人になっている。1:45:03

僕らの大先輩で、宮後さんという人が「パースの極意というのはね、その人に成り切ることだよ」と言っていた。僕はいろいろな建築家さんと お付き合いしてます、CG制作の依頼があれば、そこでその人に成り切りCG制作をする。その人の経験が出来るのは、ありがたいことだ、という印象なんです。

佐藤:楽しいですか?と愚問を発する人は、職業観がおかしいしんだと。実物を設計している者こそ、選ばれし者である、そう認識している者は、浅古さんから観るとエリート主義者だと推定できます、一人でやってろですね。そういう奴が居たら放置するしかないですね。

西鍛冶さん語ってもらえますか、同じCG制作をしていて、設計者になりきって、表現するCG制作するんだと。そういう状態になるのか、そこについて語ってもらいませんか。それから写真との違いもお願いします。表現なのか、そうじゃないCGの極意は設計者に憑依すること描くんだと浅古さんから話が出ました、それがCG作家の真髄であると。









絵:ネットより (JARA)



西鍛冶:その事に関しては浅古さんの言うことはおっしゃる通りですね。むしろ、そこ以外に面白いことは、仕事においては無いと思います。究極のモデリングをするのが楽しいのか、レンダリングをするのが楽しいのか、何をするのが楽しいのか、仕事を分解して考える時に、憑依するという言い方は凄い近いなーと思っています。
たぶん、こういう未来を描くまだ図面にしかなっていないけど、妄想というか、想像しているんだな〜、この人たちはと受け止めます。その処が、あ!それ分るというコミュニケーションがとれた時が一番面白い。というのは、それはパース屋さん、皆さんそう思っているんじゃないかなーと思います。
僕は、その時用の引き出しのようなものを凄い増やしていかなければいけない、そう思っています。先ほどの話がでました、浅古さんが外国の方に抽象的は指示をするのは難しいと語っていたことと同じように、設計者サイドが僕らCG制作者に、抽象的なことしか言えない状況があります。そういう時に、あ!それだ、それ!それ!って言い合う、言葉じゃない。色とか数値とか、そういうのじゃないコミュニケーションが取れた時の方が、CG制作は上手く完成します。分かる分ると言い合える時の中で楽しさを味わうために、普段から、CGを作るだけじゃなく活動しておきたいです。
たとえば、浅古さんはすごい器用です。ギターとかいろんな物を作ることを知っている方です。映画もいっぱい観ています。いろいろなボキャブラリーを増やしていくのが大事だと思っています。設計者と言葉や感情での交流を成り立たせるための自主練習を積みたいなーと思っています。一番です。
浅古さんが仰っていることに同意します。その制作の作業をするために、映画を観たり、試作したりするのがいいですね。私はまだまだ未熟なので、仕事を始めて経験が短いので、多くの映画や演劇などの鑑賞体験が必要だなーと思います。

表現者から憑依される者にかわる

佐藤:浅古さんに質問しますね。表現行為だったけど、依頼者に憑依する状況になることが快楽だと、その会得は時間を掛けて身に付いたんだと思います。初期の段階ではジミ・ヘンドリックスさんのギター表現に憧れてCG作家をスタートしたんだと思います。いつの間にか憑依者になりきる、その事によって自分の能力を発揮していくんだと、そういうふうに変化したんだと思います。
それはなぜ、表現者から憑依される者に転回したんですか。

浅古:たぶんね、ジミ・ヘンドリックスだけじゃなくって、音楽でも何でも、弾いて聞いてたんですよ。映画も観たし、いろんなものを観るんです。その中で絵画鑑賞もそうだけど、こういう事をやりたかっただなーと。そいうのが解ることがある。

佐藤:生活環境内にある外部情報を体内化して過程で、社会に受け入れてもらいつつ、そういう他者承認が重なってきてる間に、憑依街道を歩みだしていた。

浅古:重なっていったというのもあります。西鍛冶君が言っていたように、あ!そうそうこれこれ!っていう、あの瞬間というのは設計者との間のコミュニケーションが成り立つ。「あ、通じた」と、あれを一度経験しちゃうと、だめですね。

佐藤:人間の感情だから、相手が居て感情の交流が制作作品を介して成り立てば、喜びが高まり、自己の存在確認ができるんだと。
例えば浅古さんが、エリマキ・トカゲの折り紙を娘んさの同級生に作ってあげたら、評価されちゃって、喜ばれる、たどお金を介さない。でも豊かな感情の交換が成り立った行為ですよね。それからギターを作って西鍛冶さんにあげて、それを西鍛冶んさんが弾いて動画にして共有する。その経過に起き共有してしまう感情の共感や同時体験は金銭を介しては成せない交流ですよ。お金を介さない方が喜びは大きい、そう私は推察します。
他者の存在と誇りも自分の誇りが同時に伴う出来事でしょう。貨幣経済に組み込まれることのない物と感情の交流です。
変な依頼者に憑依されちゃったら、体力は消耗するは気分は乗らないは、ぐったり儲けになるだけでしょうけど。

西鍛冶さんは、まだ表現と仕事のCG制作行為が未分解のようです。仕事と表現が混じって、ある感情が溢れて自主制作している状況ですから。どちらへ行くのか、どちらに行ってもいいと思います。建築家に憑依して喜びの道を歩まず、自分自身に憑依して、進む喜びの道を歩むのも、これから徐々に鮮明になると思います。





絵:浅古さん制作の折り紙と、お礼の手紙
浅古さんが楽器を制作するとき

佐藤:浅古さんが楽器を製作する時の依頼者は他者ではないですよね。自分自身に依頼され、自分が憑依している。どちらがどういうふうに違うのか、も話ていただきたいです。

浅古:どっちも重要だと思いますよ。どっちかと言うと片方に寄り過ぎちゃうのが拙い。 
佐藤:両方の快楽街道を歩んでいくんだと、なるほど。
浅古:両方やるべき、利他的になることが凄く大事だと思う。
佐藤:利他的はいいんだけど、受け取る方が存在してなりたつ行為ですよ。ありがた迷惑という言葉があります、相手が喜んで受け取る、そういう相手の存在がある時だけ成り立つ、そういうこともありますよね。
浅古:そうそう、そこで、利己的でしょう、表現って利己的なものんだよね、そう思うのは凄く危険だと思うんです。受け入れられないことばかりやっていてはダメだと思う。


佐藤:利他的であるというのは他者が浅古さんを受け入れるぞ〜という構えがあって初めて成立する。浅古さんは利己的に作品を押し付けてるんじゃないんだと、相手が理解できているということですね。下手に利他的行為をしてしまうと、親切の押し付け、ありがた迷惑になる可能性もある。でも人の最初の動機はめちゃめちゃ利己的なのではないか?

浅古:最初の動機がね。
佐藤:餓鬼の頃ならそれでいいと思うですよ。だんだん社会化する過程で豊かな他者との距離観を覚えていく。そうして自分の行為が利他的に評価される方が、自分自身の深い快楽を得るんだということを知るようになる。気持ちがいい、喜びが大きいんだと分かってきて、そこに到達するまでにいろいろ修正しながら生きて、その境地に至るんだと思うような気がします。
社会に出たばかりの西鍛冶さんはそういう修正の場が与えられているのか、それは不明です。これからの選択でどうのような道を選ぶのかも不明です。それを今問う気はないです。感想でもいいですが、西鍛冶さんはどう思いそうですか。ギターもらっちゃったけど嫌だなーなんて思ってないですか、
 浅古、笑う

西鍛冶:いやいや。頼んでないのにむしろ頂いたという。今でも使っています。
憑依CGとアート表現の違い

佐藤:
今日は「CG、画像の建築」語りには行きそうもなくなって来てます、それでいいです。1:55:08
 第一回目ですから放置してもいいんだけど。しつこく言っているのは利他的な行為で自分の誇りや使命を保って、自分の存在を社会化していくというのは、オーソドックスで一般的で安定していると思うんです。そうしない人もいます。ある種の狂人的な存在ですね。あるいは孤高の研究者ふうな存在です。自分しか分からない世界に籠り切って、追求し続ける活動している人ですね。
建築界でいえばIさんのような方です。彼はあのように生きざるを得ないんです。孤高の表現者であり、それを許している社会がある。訴訟に発展しなければいい社会だなーと思います。作品を作り上げるためにどれだけの者が犠牲を強いられているのか調べてないので分かりません。利己的な表現者になると他者を傷つけます。アート表現は必ずそういう力・特性を持っているから機能するんだと思います。愛知トリエンナーレ、表現の不自由展で騒動が起きたことを記憶されていると思います。アートの表現の狂気は他者を傷つけてしまうことが多い。あのようなアートについてはどう考えてますか。その領域には至らず、依頼者に憑依して制作して社会性を獲得し続けるといい制作態度が浅古さんだと思いますが、対極の人の事も想像しているだろうと思うですが、どうですか。
西鍛冶さんは自主制作してて、こっちの方が面白いと感じますか。これしかやりたくないとは思いませんか。そういう可能性ありそうですか。

西鍛冶:いや〜、自分、うーん、難しいですけど。たぶん、今は分からないです。うまく言えないかもしれません、たぶん僕がパース屋になった事はどこかで自己表現よりも、面白いと思った。たぶん自己表現をやりたかったら、この仕事にはそもそも就いていない。

佐藤:絵画表現の世界に行ってしまうんだね。
西鍛冶:たぶんそっちに行っていたと思います。僕はそういう自己表現、自分の中に表現したい何かが有って、それでやって行きたいって本当に思っていたら、もうちょっと違う路線になっていたと思います。
音楽やるにしようとしたら、コピーバンドみたいなものが僕は潜在的に凄い好きだった。そういう嗜好が元々あります。僕はレッド・ホット・チリ・ペッパーズが好きで、高校の頃、コピーバンドを組んでいたんです。だから、元の音楽を自分でつくらずに、コピーしたときの、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが憑依したみたいな演奏が出来た時に凄い面白いと思いました。そういうのが、たぶん好きなんだと思う。で、それが、いろいろあってパース屋さんになったというのが、僕が今、言える結論なのかなと思います。















 Red Hot Chili Peppers




絵ねっとより
コピーし合える自由の共有を許す社会が豊かなんだ


佐藤
:二次創作者を否定する者じゃないので断っておきます。で、今ここで、西鍛冶さんの思考を固めてもらう必要はありません。いろいろな広がりを語り合っているだけです。追い込んでしまわない内に、それをお断りしておきます。
コピーと言ってましたが、文化の多くはコピー、物真似が重なりならが伝播していくことだ。憧れの音曲を聞いて、いいと仲間が感じ合いなぞることで、自分の嗜好をさらに磨きあげ、共振していく過程で、さらに深く好きになっていく。その過程で他の受け手の中で変化・変容して行くんだけど、コピーしている者は似ている点だけ気付いていて、似てない点の良さに目が開かれていかない。個性によってズレ切れ目が伝播し続いていて地球に裏には似ても似つかない当地の文化に育ってしまっている。
オリジナル専制主義者になってしまうと非常に窮屈な社会や文化をつくることになる、そこに無自覚になってはよい結果を招かない。音楽は今は誰でもwebアップして世界中にファンをつくれる。
真似し合い。共有し合っていくことで、音楽を新しく変えていく、変わっていく、その方が健全。そこに今、自分も参加しているんだと自覚するし、他者も参加しやすいし、一緒に同じ曲を演奏して違いにも共感し合える。そうするとより喜びが増幅しますよね。
今のところは、建築家に憑依して建築家に喜ばれることに使命を感じてしまう段階だと思います。そうじゃなくって、もっともっと多様な人と似たような状況になっていった方が、自分に気付かなかった、能力が拓かれる元にもなるので、そちらの方も捨てずに面白がる。その切っ掛けとしてコピーに喜びに感じる点の能動的行為は重要な人間性を掘り起こすための一つだと思います。
オリジナル主義者に後ろめたい感じを抱いているのかと思い聞いてみます、そこはどうですか。
西鍛冶:僕もゼロから何かが生まれる、事、難しい。うーん。
佐藤:記録は残しますので、あの親父こんなことも聞いていたなーと言うことで、その程度でいいんです。自分の好きなように生きてもらいたい。オリジナルもコピーも両方実践するのがいい。コピーだけでもいいんですよ。時空の6面を物真似・マニエリスムで包んでも問題ない。それを磨いていくのも楽しい、共感者が多くもなると思います。

二次創作物について


絵:ねっとより
CGはいいねって何ですか 毎日変化する建築の表情

佐藤:ここから何を語り合うかな、2時間は過ぎましたので聞き忘れないようにメモを見ます。良いCGと悪いCG。まだ語り合ってていていですか。

浅古:はい
西鍛冶:大丈夫です

佐藤:CGの良いって内容なんです。二次元表現ですよね、画像になっていく、画像の良いって何。例えば今はCG画像だと、あっという間に世界に配信できます、だから良いとか。配信すると見知らぬ人々が観て、もしかすると感想が届くかもしれない、だから良い。物だと、あ在る場所に見に行くことでしか鑑賞することができない。
浅古:それはまずあります。伝わり易いのは画像の方ですよ。

佐藤:自分の顔を自撮りして毎日並べると、分かることだけど、自分の顔がいかに変化し続けるのか、そこに気付く。赤ん坊からしわくちゃ老人へ至る自分の顔に。変化しつづけている、自分の肉眼で自分の顔を観ることできないから、顔の所有者は常に一定の顔があると思い込んでいる。顔は毎日変化していて違うよ、だーと並べた時に分かることがある。
建築も毎日変化し続けているんだけど、ある日突然に解体されて消えてしまっていても、気が付かない。気付く人間はほとんどいない。
CGに内包される時間という問題です。さらに言えば西鍛冶さんや浅古さんの脳味噌の中にある、生まれてくる前の建築をCGでは可視化可能だ、いろいろな建築画像がキメイラ状になっているかもしれない。その建築画像が他者に渡った後の物でも情報でもどんどん変化し続ける。上げた自作ギターが古くなるように、情報であるCGも古くなり、風雨に晒されて表面が変化し続けるかのように。CGで時系列を内包してみたくならないですか。 2:02:51
依頼されたCG建築は100年経ったらこういう感じかな、シャカシャカとCGにして観る。

浅古:ありますよ。わざと時間で汚れたりとか、歪んだとかするのを表現することはします。
佐藤:それはよいCGからは外れてしまっているんではないですか。時間の経過をCGに内包する仕事でも面白いと思うんですか。




浅古:最近はイノベーションとかあるから。
佐藤:そのモチベーションが発展すると、建築素材が生まれた時点まで行き来できちゃったりする、拡大縮小機能あり・・とかで。
浅古:笑)それは出来ない。戻れない。表現としては出来ます。

佐藤:建築CGアニメーションを作ると、時間を行き来する建築CGアニメができそうだ。そしたら面白そうだと思いますね。それを観た建築家がさらにアイディアが湧きだしたりちゃって、材料採取現場が現れたり、工事現場が現れるとすれば、創作の場への影響はとても大きいと思います。外国人労働者が働いてるアニメが現れてりして時間を行き来できるCG作ったらだよ。
浅古:それ作ったら、たぶん1千万ぐらい掛かりますよ。(笑)
西鍛冶:そうですね。

佐藤:1千万円かけるか、世界中のCG作家で分業して作りあげると、世界中の建築社会が変わるから、安いものです。、2:05:01

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スペインの画家セルギ・ガデナスさんの一枚の絵で幼女から老女へと時間を表現している




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