2021年4月24日 柳沢究先生に聞く2021 建築食堂 えで図  14:15〜オンライン
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■ 『住経験インタビューのすすめ』が生まれた

佐藤:そういうのが描いてある。分り易いんだよね。『住経験インタビューのすすめ』っていうのが、どういう経緯、何でうまれたのかなーと思って。そこを聞きたわけです。前回のとき何も聞いてなかったので

柳沢:あの時(2009年8月)は全く考えていなかったですからね。そうですね、僕も忘れてきちゃいましたけど、始めたのは名城大学に行って、2年目に2013年ですよね。大学院の授業を担当しないといけなくなったので、それ「何をやろう」というの考えた時に思いついた。住経験インタビューというというの考えたんですけども。
 やはり、『住み方の記』が面白いなーというのはまずあったんですよね。以前も言いましたけども『住み方の記』の面白さ。生活がリアルに出て来る面白さを、そうだ!、思いついた切っ掛けの一つは、本当にこれ、全然リップサービスとかじゃなくて、佐藤さんのインタビューが結構あって。自分がインタビューされたものそうなんですけども、人のインタビューを読んでいて、生い立ちの部分を読むのが凄い面白かったんですね

佐藤:ふふふふ

柳沢:川井君の色んな話も面白かったですし、僕は「特別面白なー」と思ったのは岡田栄造先生の話で、ちょっと細部は忘れちゃいましたけれども。凄い変わった鹿児島でしたっけ
佐藤:鹿児島育ちだ

柳沢:変わった生活の仕方をしている。縁側にミカン箱置いて自分の部屋にしてた、なにかそんな話があった気がするんですけど。その話があって中山英之さんの自邸(O邸)が在って、あの特殊な家は、なるほどと。あの家だけ観ると建築家が何かすごくアイディアを机上で捻ってつくった奇抜な家に見えるけども、、そういう生活のバックグランドを持って人が、ああいう道みたいな所に住むのは納得できるんです。できるなーと思ったんですよね。それを、そういうこと。そうそう、思い出してきました。
 設計事務所をやっている時に、一生懸命アイデアで変わった絵のプランとか、面白そうな土間があるとか、吹き抜けがあって、立体的な空間が繋がっているとか、ちょっと変わった家を一生懸命、考えるわけじゃないですか。だけど、だいたい、普通のお施主さんだと「そんな家、嫌だ」って。ふふふ断られちゃうわけですよね。「なんで断られちゃうか」っていう話を色々やっていると、「そんな家には住んだことないから、嫌だ」っていうの。だいたい、最後の説明はそうなるんですよ。

佐藤:それはそうだ。

柳沢:じゃー「住んだことがある人がいればいいんだなー」と逆のパターンも実はあって。事務所をやっていた頃に、土間が家の中を貫通している、大阪でつくった家なんですけど。土間が奥の庭まで貫通している通り庭みたいなのがある家を造ったんですね。それは「土間があるといろいろいいですよ」みたい話したら「そうですよね、いいですよね〜」って受け入れてくれた人が居て。「え!なんでみんな普通抵抗するのに、何ででいいんですか」って聞いたら、「子供の頃に家がお弁当屋さんやっていて、家に土間が在って、そこによく近所の人が遊びに来て、一緒にご飯食べていた」という。そういう生活をしていた人で、奥さんが「あ、そういうものなんだなー」って。
 「過去の経験が新しく家を造る時に影響するんだな」というのを思って、そこにアプローチする。新しい家というか、面白い家というか、その人の合ったというか。僕は面白い家がつくりたいんですが、「建築家の、設計事務所の住宅の仕事が増えるといいなー」と思って。そのためには住経験を、自分の住経験を掘り起こしてそれを写すと、意外に「変わった家にも今まで住んできているし、新しく造る家もそういうのでいいんじじゃないの」と言って。普通のハウスメーカとか建売住宅のプランの中からカタログから選ぶ、というのと違うつくり方が出来るようになるんじゃかと思って、そうそう。「過去の住経験を掘り起こす」ということをやろうと思ったんですよね。学校の演習としてやろうと思ったんですよ。

 自分で、佐藤さんみたいに聞いて回ることだと、めちゃめちゃ時間掛るし、なかなか出来ないから。人にやらせようと。ふふふ。学生にやってもらおうと思って

佐藤:賢い!

柳沢:学生が、「じゃー聞くんだったら誰がいんだろう」というので。一番、聞き易そうで、それなりに経験もある人というので「親に聞きましょう」と。思い出しました。

佐藤:すごいよね。住経験インタビュー対話は凄い効能があるよね
柳沢:そうなんですよ、すごい好い事、たくさんあるんですよ。ふふふふ
佐藤:すごいよ、だいたい普段は家族でしゃべらないからね
柳沢:そうそう
佐藤:、柳沢先生の研究室に入った子はみんなやらせるんですか。家族コミュニケ‐ションで、なにか涙物語になっちまう〜・・感じもあるよね。
柳沢:本当にね。けっこう感動的ですよ。僕も自分の親に聞いたりしましたけど。、普段しない話とかしたり。




柳沢究・水島あかね・池尻隆史著
住経験インタビューのすすめ
2019年11月1日発行
西山卯三記念すまい・まつづくり文庫
1000円+税




2017年1月29日 滋賀県彦根市
川井操さん「ことば悦覧」



2009年12月13日京都市O邸にて
岡田栄造 父を語る

■住経験インタビューのすすめから見える岡田邸

佐藤:岡田邸が完成した時に俺が呼ばれたのは、「建築(住居)の理想は路上だ」ってずーっと言っていたのね。「道路状のところに暮らせばいいんだ」とずーっと言っているわけよ。そしたら、ある日突然メールが来て「佐藤さん家、道路ができました、来て泊まってください」と。
柳沢:ははははは
佐藤:さらに「佐藤さんが泊まると箔が付く」って言うわけよ
柳沢:ははははは
佐藤:「なに言っているのかなー」思って、泊まりに行ったんだよ。そしたら道路がちょっとカーブして敷地内に引き込まれていて、部屋に仕切りないわけね。これはちくしょー可視かわかり易さでは「先越されたー」と思ってさー。「これでいいんじゃない」って。
 俺は自分の家、居住というのは他者と共有した方がいい、ということで、「建築あそび」も開いていた。3・11大震災来て借り上げ住宅が生まれたりして。一生の時間を圧縮して見ればさ、建てた人が死ね、次に他者が住み継ぐ・・・というの当たり前だから。そんなものは当然で、他者と共有しするのが前提して考えないと豊かになっていかないよ〜・・・みたいな
柳沢:うんうん
佐藤:自分の所有物として今だけの建築(住居)を考えてはだめなんだと(建築は貧しくなるよ)ずーっと言っていた。本当に道路状の建築が出来たから泊まりに来いと。泊まったら道路ですからね、子供が朝早く起きると歌は歌うは小便に起きて、寝ているところに乗っかって「遊ぼう」というしのんびり寝てられない、大変なわけですよ
柳沢:はははは
佐藤:幅が2m無いから、寝るのが大変なの。
柳沢:みんな、あそこの道に寝るんですか

佐藤:えーとね、道が3層になって上昇してんのよ。
柳沢:はあはあ
佐藤:一番上の道の行き止まりが家族の寝室、一番下、1階の道の先っぽ、ドン詰まりの奥には台所ついてるわけ
柳沢:はいはい
佐藤:姿は塔婆型の家形というのかな、一枚大硝子のファサード、そこのところが居間というか、(それぞれの場に)機能名称が与えられていないんだけど。
柳沢:はいはい、僕も行った事がありますよ。

佐藤:どこから入ってもいいわけ。、中山さんが玄関とて設えたのは、玄関になっていない。食堂から人が出入りしていったりさ、住み方もいろいろ変わっていくの。2階がなんとなく使われていないような感じななんんだけど。1階の使われ方がダイナミックでね。誰からかまわずみんなで使っている。子供連れで人を集めて味噌つくったり、子育ての悩みを話合ったりし、と公民館みたいになっていたね。3階の一番上だけが、行き止まりの道路で寝室になっていて、雑魚寝してたんじゃない。俺は寝てるところは見に行かなかったんだけど。
 O邸に行って、これは理想の家だねみたいな事を喋っていた。そしたらさ〜いきなりお父さんの話をし出してさ〜。何々ってて思った。お父さんが借金ととりに追われて、父さんは旅館の人を疑わない人なのよね

柳沢:はははは覚えてます

佐藤:放蕩息子と言い換えてもいいかな、で、金貸家が(遊び相手をして)財産巻き上げに来てるわけね。そう聞こえちゃうんだよ
柳沢:ははははは
佐藤:全部、財産全取られちゃう。指宿の旅館ごと。
柳沢:ははは。
佐藤:で岡田先生は兄弟三人、お母さんんとお父さん、子供を連れて(九州各地)放浪なんだね。そこら中放浪して逃げ歩くみたいに見える。「本当なんですか」と時々聞いたしてね、本当の話なんだろうなーと聞き取って、そのまま俺はWEBアップするよー」俺は

柳沢:あれは凄く面白かったです
佐藤:アップしてさ。栄造の母親が自身を語るバージョンも出来ているんだよ
柳沢:ふふふ、私、読んでないです
佐藤:それ、公開してないもん。岡田先生が「佐藤さんお袋の話聞いて記録してくれない」って言われて。2017年8月26日に東京に行くついでに聞いたの。
 WEB記録はありますが、これまた凄い話で満州引揚者だからすごい迫力あって面白いんですよ、敗戦史をなぞるような昭和史そのまま。長崎の原爆投下直後に長崎に戻ってきて彷徨うし。迫力ある話で昭和史そのものの語りなんだよね。俺の勘違いかもしれないけど、借金とりに追われて、家族で逃げ惑うった・・・ということを全然、気にしてないの。ふふふふ。俺はさぞ大変で涙を流して苦労話になるのかなーと覚悟して聞きに行ったら、何とも思ってないの。ここがまたすごかったね

柳沢
:うーん
佐藤:(悲劇の)当事者っていうのは意外にさ〜。俺は借金取りに追われたら可哀そうな人なんじゃねーかなーと、物語を先につくっちゃう、先入観で見聞きしちゃうじゃない。ところが当事者はそうでもない人もるんだなーと凄く教わったよ。歴史は注意して読まないとね。と。

柳沢:なるほど、なるほど

佐藤:岡田先生の家に行って、岡田先生の住経験をこと細かには聞いてないけど、どうなって流れて歩いたかは聞いていて。岡田先生も小さいときの事だから覚えてないんだよね。お母さんにどうして何でそうなったんですかって聞き取って。これが、ずれ合うのがまた、おもしろいんだ。いずれ公開すると思うんだけど。記録は全部出来ているの、ふふふ。ただお母さんが嫌がっているか、妹とかお兄さんが居るから嫌がっているか・・・記録を作ってから4年しか経ってないから。まだ漬けてておきましょう。




平面図 中山英之作品集より






上 2017年8月26日岡田栄造の母独身時代頂く

岡田栄造さん子供時代の家族写真

住経験、どこまで、どのタイミングで公開するの

佐藤:柳沢先生の『住経験インタビューのすすめ』この本は岡田さんのような深刻な、個人的な内容は全部削ってあるじゃないですか、全部残すと誰だか分っちゃうから。ところが削らないバージョンも残しておいて、その家族などが亡くなったときに、出すと。その記録は、たぶん高度成長期、後のバブル経済かの崩壊過程の人々の暮らしを記録している、そういう世代だと思うんですよ。
柳沢:そうですね
佐藤:バブル期の大人たちが何を考えて生きていたのか、それが赤裸々に分かってしまうんだよね。今公開できないのはもったいないんだけど。

柳沢:そうですね
佐藤:プライベートな部分を削るのはもったいないと思ったの。『住み方の記』を書いた西山さんは、その点は考えてないんじゃない。自分の人生をさらけ出している、作って書いたとは思えないけど。なんでこんなに開けっ広げ〜に、ここまで書いた、書くんだ〜と思ったんですけど。そこを柳沢先生に聞いてみたいところなのね


『住経験インタビューのすすめ』より
西山卯三さんの住経験録

柳沢:西山卯三は自分の事を話すのが好きなんですよね。
佐藤:あ、そうなの
柳沢:自伝を5冊ぐらい書いているんです。
佐藤:5冊とも違う自伝だったりして、ふふふふ
柳沢:大学時代だけの話の自伝もあるし、戦前の大阪に住んでいた頃の子供時代だけの話もあるし。自伝だけの『住み方の記』は住宅に注目したものですけど、それ以外にも4冊ぐらい自伝があるんですよね。
 とにかくめちゃめちゃ記録をとっていて、日記とかとっていた人らしいので。それをまとめて、それはたぶん西山の弟子の先生が、そういうのをこれから手を付ける処みたいなんですけど。西山卯三の戦後の住宅論をほとんど書いてない。
 戦後のそういう、住宅の計画とかは、したんですけども。どういうプラン、間取りでどれぐらいの量を出してとか。だた戦後住宅史みたいなのは書いてなくって。それを自分の自伝と重ねて、「世の中に発表する意図があったんじゃないか〜か」と言ってますね。
 あえて自分で戦後住宅史みたんなのを書くんじゃなくって「自分の歴史を書く事で戦後の住宅の姿を伝える」みたいな、そういう事をやろうとしてたんじゃないかと。

佐藤:だいぶ出来ている感じ、これだと全部読んでみると抽象化されてないから。住宅史にはなかなか成りにくそうだけど、素材としては完璧だ。
 今布野先生が「戦後建築ジャーナリズム再興」と言って俺を誘ってきたんだけど。日本には「建築にはジャーナリズムなんかありませんよ」と俺は端から言っているんだけど。鹿島建設から出版してもらったり、設備機器メイカー出版してもらったりして、本を刊行していた世界にジャーナリズムは育たない。
 ごろつき雑紙の人々と、どこが違うんだと思うのよ。建築雑誌広告費を取って太鼓持ちみたいなことを書き並べざるを得ないよね。広告費をもらう人の批判なんか書けないんだから。
 日本のメディアの悪い点はそこだ自立できていない。ジャーナリズム研究所に20年関わったから、日本に一般的なマスメディアにもジャーナリズム育たない、成り立ってないのに。今の政治がこうなっているのは言論空間が貧しいから、首相が嘘つても、それを追求できない、でこうなっているのは明らかなんだけど。政府も広告費拠出しているし。敗戦前からの読売新聞社(正力松太郎モデル:註1)がモデルなんだよね。など新聞各社は行政から広告費もらって御用聞き新聞なんだから、今の政治状況になうのは目的通りなんだよね。日本に近代人が多く生まれてないので今回のコロナ的ドタバタになるんだけど。そんな話はいいとして。

 ところが西山さんはなぜかイデオロギーには関係ないんだけど、住み方に関してはセルフジャーナルしている

柳沢:うんうん

佐藤:ガリレオ・ガリレーみたいなもんだ(自己観察し続けている)
柳沢:たしかに
佐藤:これは(敗戦前の暮しを伝える)建築のガリレオ・ガリレー版で。ガリレオみたいに死刑にはならないけれど、まだ分析されてないいい暮らし方に関する自己ジャーナルの資料だと思うんですよね。そういうことを徹底的分析もしてくれて、なぜ建築が人間のために生きていないか?、というの原因は建築ジャーナリズムの問題と記録の仕方と分析のしかた観方の両方に問題が有ったんだと思うんだよね。

柳沢:うん
佐藤:西山さんの住み方の記を見ていると、ここまで赤裸々に自分の事を書いちゃうのはジャーナリストでも出来ないかもな。西山さんに話を聞いて西山さんがこの記録は公開したくない嫌だと言ったら発表できないじゃない。
柳沢:うんうん
佐藤:ところが西山さんは日々の暮らしをセルフの記録しているから、自分が了解して記録している、事実に近いと思うんだよね

柳沢:うんうん
佐藤:戦後書いた(本を刊行)のだから多少の脚色はある感じもするんだけど。
柳沢:ふんふん
佐藤:そうとう敗戦前の住宅事情を、同潤会アパートの絵もすごいね〜、そういう感想レベルではなく(生活と密着した情報)住んでいる人の目から書いてある。
柳沢:そうですね
佐藤:良さも悪さも記録しているので
★★
柳沢:そうですセルフルポルタージュみたいな感じですね 
佐藤:これは凄い,と思っているんだけど。そういう事を言う人いないからしょうがないんですけど。是非、西山的体験を活かして住経験インタビューのすすめも、30年後にこれは、こういう新コロナ時代の住体験だったみたに。今は公開できないのも記録し残してほしいなーと思います

柳沢:なるほど、公開したいと思ってます、はい。
佐藤:本を見ると公開できない部分を抽象化してます。そう書いているとあるけど、なんだかもったいななーと
柳沢:それは、西山卯三は自分のことだからね書けたけど〜という、ところですね
佐藤:ここをどういうふうに乗り越えて、一つは時間が30年経てばね、俺の事を公開してもいいよ、俺の爺ちゃんと婆ちゃんの事だから公開していいや。そうなるまで「時を待つ」という手法も一つあるよね

柳沢:うん。でも個人名がでないように、特定できないように、する程度であれば発表はできる態勢にはしています。ちゃんとやってもらうとき、本人にも了解をとってもらってますので、最初から。
佐藤:その時に、当事者は誰か問題になるけど。個人であるからリアリティーがあるという問題と、抽象化することによって遠くまで伝わるという、両方ありますよね
柳沢:はいはい
佐藤:そのバランスはどうしているんですか

柳沢:ふふふ。それはやりながら考えるしかないですけどね。ふふふふ
佐藤:面白い体験談のを残すという感じいいか。でもね、俺たちが面白いと思っても時代が経つと面白とは限らないからね
柳沢:それはそうですね
佐藤:全部書き残すしかないか
柳沢:本当にモノスゴイ!分量ありましからねー。年間、毎年40本ずつ、今三大学でやっているんですよ。京大と、近畿大学と明石高専。今年から北大の大学院でも取組んでくれて。
佐藤:柳沢先生と水島あかねさん、池尻隆史さんの三人、もう一人加わったてんですか
柳沢:そうです、僕が最初に一人で始めて、「これはみんなでやった方が良い」と思って、友達の水島さんと池尻さんに。興味もってくれたので「じゃー緒にやりましょうと」近大と明石高専でやってくれて。で、北大の先生が興味持ってくれて。今年から一緒にやることになって。あと大阪工業大学に行った山本麻子さんが「やってみようかなー」って言ってくれてて。だんだん広がっていっているんです。

佐藤:広がってきましたかーいいね
柳沢:年に50本から60本ぐらい毎年インタビューが溜まっていっているんで。大変なんです、それをどうするか。あんまり貯まり過ぎちゃうと、手が付けれれなくなっちゃうので、今年頑張ってまとめようと思っているんです。
佐藤:国交省とかで大プロジェットでやってくれないんですかね。お金だして
柳沢:ふふふふ、そうですね。
佐藤 住宅政策に生かせると思うので、もっていきかた、じゃないの
柳沢:そういうのを考えないといけないですね
佐藤:やった方がいい。誰でもに効くよ。災害公営住宅を復興公営住宅という名前にあれを発明した。福島県で311以降発明した言葉だけど。災害公営じゃ可哀そうだ、希望のある名前に変えたそうです。復興公営住宅になったそうです。そういう時の住宅も貧しさというもの、住体験インタビューのまとまりから、徹底的に住居の理想は、路上の何もないがらーんとストーンでもいいんじゃない。そういう解答でもいいのに、無駄な機能を各戸に付けたり、変なことやっている可能性もあるよね。
柳沢:うんうん、そうですね

佐藤:そういうもの、住経験を生かして、何もやならくって怠慢だし。応急は共同浴場、食堂あって、寝床だけ在ればよかったんだ・・かもしれないので。それをみんな同じ2〜3LDKの家を並べて、応急時に合ってない、変なの造ってるなーって感じはするよね 
柳沢:うんうん
佐藤:人と人のあり方によっては、今までの1戸風呂付台所付きあのパターンじゃなくっても、応急仮設でコミュニケーションでも非常に豊かに発生するという。そういう可能性もあるから
柳沢:うんうん
佐藤:住経験インタビューのとりくみは国交省へのアプローチしかたでお金も出してくれるんじゃない、国の仮設のありからも変わる可能性あるじゃない
柳沢:なるほど。そういう人たちの話を聞くというのは一つあるかも知れないですね、災害の前のところから含めて





西山卯三さん母の家 和歌山県御坊市



1919年頃の西山卯三さんの家



1927年財団法人同潤会
渋谷・代官山アパート ×に共同浴場









註1)正力松太郎は科学技術庁長官さらには首相をめざし東海村の原子力発電を強引に進めた。日本の原子力政策を中曽根氏と共に読売新聞、日本テレビ、読売ジャイアンツプロ野球、読売ランド遊園地、ゴルフ場などを拓き日本の政官財癒着構造を作り上げ世論を誘導してきたことで名高い。現在のマスコミ、公共放送も政治との癒着は目に付くばかりである。権力批判と監視を主目的とし民主主義をつくるために必要不可欠なジャーナリズムは2021年でも日本ではほとんど芽吹かない状況である
『巨怪伝』上下参照のこと




■ 居住支援法に住経験インタビュー録を活せ

佐藤:そうそう、京都大学卒の先輩だと思うけど、伊藤明子住宅局長
柳沢:はいはい、名前だけは
佐藤:今は、もっと偉くなっているかもしれないけど。居住支援法が出来て福島県の居住支援協議会が出来ていて、そこの依頼で毎年おこなう講演会・勉強会の文字起こしとリライトを5年ぐらいやっているんだけど。
柳沢:へーえ

佐藤:今は居住支援を必要としている人も多い。法ができた最初は爺さんばあさんで孤独死防止だったんたけど。今は就職できない若者、とかシングルマザーとか、刑務所から出てきて仕事が無くって家も無いという人へ、それは犯罪繰り返す可能性が高いので、そういう人たちに居住支援法人が保証人になったりしてね、家賃はただ同然みたいな仕組みで、住戸を与えるような仕組みが出来てきて。国交省と厚労省と法務省。それが連携してきている。最初は伊藤明子さんが311福島の住宅問題から交流が始まって、今はそういう点まで来ているのね。
柳沢:セーフティネットとしての住宅というやつですね
佐藤:主権者へのセーフティネットとしての「住居」なんだけど、本当に単に普通の公団型の家なんだよね、居住経験インタビューを経た、データを上書きが出来ていないんだよ。ただ単に「この家だったら幸せに暮せるだとう」という押しつけというと怒られるだろうけど、凡庸な今しか通用しない平凡な居住の家なんだ。

柳沢:そうなんです。セーフティネットとしての住宅というのは社会的意義はものすごい意味在りますし、大事なところだと思いますけど。質の話がほとんど無いですよね、数のはなし、何戸分在るかとか、そういうのを必要とする人に対して、そういう住宅が幾らでどれぐらい在るかという、金額の話と戸数の話しかされないのが問題だなーと思っていて

佐藤:さすが柳沢先生です、居住経験インタビューのデーターがまったく無い。住経験を住宅政策に活かせていない、それは日本、国の(住宅政策の)問題点だと思う。俺が言っている路上的居住、星座型居住でも暮せる。
 俺の住経験によると道路的住居でも暮す岡田先生家族の例もあるし。道路的家に行っても友達が集まってお酒をのんだり、飯を一緒に喰ったり、子供がお泊りし合っている。定型化2dkの家、数なん戸を与えるのは、これは住の豊かさとは違うだろうと思う
 災害時の応急仮設住宅やその後に出来る災害公営住宅は、皆で集まって悩みを相談して寝床だけある貧しさだ。玄関ドアに鍵かけて、隣同士同じ被害に遭って共通の話題があるのに、その事が記憶として継承されていかない。たぶん家(仮設住宅)の作り、居住の形式から生まれている貧しさその事だと思うのよ。

柳沢:うんうん

佐藤:ただ証拠がないから。人はどういう所で住める、住経験インタビューで分ってしまえば、2dkじゃなく筒状・路上的、で暮らしてそのことによって豊かさが生まれる。体育館に雑魚寝させるのは最悪だけど。家族でまとる長期化しなければいい。そういう応急仮設のあり方から脱せられる。かつNDKタイプに入れちゃってOKからも脱出できるので柳沢先生にはおおいに活躍してもらいたいです、せっかく聞き取りしているんだから応急仮設体験も生かしてほしいです

柳沢:頑張ります。そうですね。面白がるだけじゃないところじゃない処につなげていきたいと思います。今のところはそれを研究してドクターとかとれる博士論文は書けるはずなので、そういうのをやりたいという学生がまだ現れないので。学生が出て来てくれたらいいなーと思ってますね。






2017年8月2日伊藤住宅局長講演資料より

「新たな住宅セーフティネット制度について」講演録
福島県居住支援協議会発行













京都の 路上的公民館的居住、そのの暮らしぶりを撮ったmy動画
■住経験の豊かさをさぐるために おまえの家は俺の家

佐藤
:学生はいろいろな居住経験がないので居住の面白さが分からないんじゃない。気付いてないというか。インタビューすると自分の家の暮らし方はまともだと思い込んでいる、みんなで見せ合うと、そこでよやく、まともじゃないと知る。ふふふふ
柳沢:そうなんです、ある程度年が行かないと分らない、という。ふふふふ、のもあると思います
佐藤:そこが難しところですよね
柳沢:そうなんですよ

佐藤:そのためには色々な家を泊まり歩くのがいい。学生と一緒に泊まり歩く、体験が必要だ
柳沢:確かにそうなんです、泊まり歩くのは住経験を増やす一番手っ取り早い方法ですからね。
佐藤:俺の家はお前の家だといって、無理やり俺の家に福島にきてまで「学生泊まれ」と言っているんだけどふふふ
柳沢:ふふふふははは
佐藤:「酷い所に泊められたなー」と思ってもさ、その酷い所か酷くないかというのは後で分ることだし。建築系学生には楽しいのかも、
柳沢:本当にそうです
佐藤:それは文化の領域にはいる体験・問題だから「誰と雑魚寝するか」によって楽しい住体験になる・・・は変わるし、時が経てあとで気付いたりすることでもあるし、(建築家の)俺の家に泊まれとうのは大切な事だけどね。「泊めさせんかい」と言っていると、いろいろ気付くし
柳沢:そうなんです、建築教育上は泊まり歩くのは大事ですね、はいはい。
佐藤:俺の家はお前の家、他人の家は俺の家だって思えってずーっと言っているだけど。なかなか、広まらないもんだね。ふふふふふ

柳沢:ふふふふそれは、それは思えと言われても。
佐藤:大の大人がいきなり合ったばかりの若者に「お前の家に泊めろ」というのは俺ぐらいかも、学生の家にもだいぶ泊まりました
柳沢:かなり個性を、パーソナリティーを選びますよね。ふふふふふ
佐藤:それを言っていたおかげで、学性の一人暮らしにも、何度も、京都の川勝さんの家もに泊めてもらって。川勝さんはあれ以来「いつでも京都の家にしてくれていいです」よって言っているし。川勝の家を借り切って色んな奴集めてわいわいしちゃったし。
柳沢:私もその時に行きました、はいはい
佐藤:おもしろかったよ、京都建築あそび版・晩は、あんなに大騒ぎになっちゃって、インタビューした人や家族に集まってもらい建築あそびも開いて、部屋が2階
さらに別部個室に分かれていて、だから全体何が起きているのか把握出来ない楽しさ。。他人の家なのいろいろな人を集めてワイワイしてた。子供はあちこちで遊ぶやら。あういうふうに他人の家をそそのかし交流を煽るというか

柳沢:
それで川勝君の家にみんなが集まる機会が出来たわけですからね、あれは素晴らしいですよね。
佐藤:ジャーナリスト的建築人は架橋するんだ。離ればなれの人々に橋渡す、架橋する仕事も一つ。建築家はジャーナリスト的であるから、橋渡しもする。柳沢先生が始められた住経験聞き取り活動は過去の住の歴史を掘り起こして再発見し合、研究し皆に伝えて住経験の豊かさの在りかに光を当てている、皆に知らせる使命も価値もあるので。
 新しい建築造って俺は立派でしょううというものあるけど、今になると「それって、時代遅れ時代錯誤なんじゃないか」と思うけね。日本の縮退社会には合わない主流じゃない。

柳沢:ふふふふふ
佐藤:おめー何言ってんだと言われるけど。そんなこと言いたい奴はどこかの金持ちの相手でもしてろ!と言いたくなってしまいますね。今日はいろいろ、残り30分しかないので


2019年9月9日夜 「建築あそび」福島市
佐藤の家で住経験する京大生


柳沢先生講義


柳沢先生の講義2階から

乾杯

雑魚寝

10日朝 集合写真
 05へつづく