2021年4月24日 柳沢究先生に聞く2021 建築食堂 えで図 14:15〜オンライン | |||
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佐藤:歴史小説でそういう影響を受けて、歴史の古建築やっているのかなーと。そういうのは関係がなかった古建改修と読書関係なしか。 柳沢:町家とかの改修したのはそれが好きで始めたわけでは全然なくて。たまたま京都で、最初に森田さんから声掛けてもらって、町家改修の仕事やったのが2000年ぐらいですけども。 その当時は若手が出来る仕事って町家改修ぐらいしか無かったですよね。だからまずは出来る、たまたま話があるのが改修の仕事という処からスタートしただけで、それが凄い好きで始めたという感じではなかったんですけどね。 佐藤:そうか、そうか、そこで森田さんの導きと、周りの人も古建築改修やってましたからね。でも 「柳沢先生は喧騒に巻き込まれずラッキーだなー」と思っいました。京都でのバブル、インパウンド・バブルに遭ってないでしょう。 柳沢:そう、全く遭ってないです。 佐藤:俺知らずに、京都のインパウンドバブル期に聞きに行っちゃった。京都に行って驚きましたよ・・・皆さん口から火を噴く勢いで、仕事忙しくって大変だーふふふふ、という雰囲気。発注する人が台湾や中国系の東アジアのお金持ちが多くて、京都の四条河原町に行くと外国人が貸衣装着て写真撮りまくって歩くのもままならない。インスタ映え撮る撮るってやつかな。歩きようがないぐらい観光客が居てねー。 柳沢:それを体験していないんですよ。僕はタイミングが悪くって。2008年に独立した。ドクター取って事務所始めたのが2008年ですけど。リーマンショックの直後で、全然仕事が無い時期だったんですよね。何か細々とやって、このままでは事務所をやっていくのもシンドイな・・・みたいな処もあって。大学に行ったものあるんですけど。2012年、名古屋に行ったら、京都、どんどん盛り上がって、ふふふふ、2017年に戻って来たら直ぐ新コロナですからね。ふふふ 佐藤:ふふふふ、そうそう 柳沢:はははは |
2019年 京都府・観光客過去最高8791万人 WEB毎日新聞より ・観光公害とのSNS投稿もみられる |
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佐藤:新コロナの登場によって京都インパウンド・バブルも弾けた、水掛けられちゃって一気に消えたのかな。京都市内で普通に暮らしていた人にとっては静かになってよかったと思うけど。あの外人だらけの京都では市井の暮らしは大変だーと思いましたけどね。みんな浮かれていた。建築系のお施主さん、これからは外国人ですよ、京都も町全部、外国人に売って建て直す・・・かのような勢いでしたよー。俺にも酒は呑ませるし、疲れるよって、あの時柳沢さんが居ないからラッキー。 2011年の大震災すぐ、柳沢さんと魚谷さんが空きビルの4階かなにかで、俺の被災地から報告会を開いてくれたじゃないですか。そこでいろいろ喋ったあと、喋りっぱなしでは悪いから、時間を置いてまた報告しに行ったんです。京都の人たちもフクシマ問題も興味が無くなっていた。俗に言う時の風化ってやつですか、反面には町中に外国人が一杯居て、湧いている感じだた。この物件は外国人が買っていま俺が設計してやる〜みたいなそういう話でした 柳沢:羨ましかったです 佐藤:羨ましかったでしょうねー お互い笑う ははははは 柳沢:もうちょっと頑張っていればよかったーって。一寸思いましたけどね。 佐藤:このままじゃぁ〜どうなっていくのかなー・・・とは思いました。設計やる人というのは暢気なもんだなー。設計依頼する人が居れば誰でもいいというのは古来変わらずかと。節操がない職柄と言ってもいい。それで街が壊れていかなければいい、良さが残ていけばいいからね。魚谷さんたちは普通の街の建築士とは違うので、彼らが設計するとレベルが保ったれて好い建築になるんですけど。そうじゃない人も忙しいからね。 柳沢:そうですね、ひどいのも沢山ありましたね。 佐藤:柳沢先生は、あの加熱した京都にいないんだなーと。皆さん勢い余って、そこら中、連れまわすからね、俺ヘトヘトになって、このまま名古屋には寄れないなーと。田舎者はくたびれ果てて〜凄かった。 新コロナが来てどうなっているのか沈静化した京都というのも知りたいんだけど、今は行きにくいよね 柳沢:そうですね、ぜんぜん大丈夫ですけどね。 |
被災地から報告会の様子 |
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佐藤:今はオンラインというのを多くの人が使っているというので、オンライン新人は分らないから。たまたま布野先生が「グループつくるからお前は入れ」と言われて。今年の1月からオンラインというのやりだして、2月の13日に強い地震い遭ったからさ〜。これは、聞き取り行くことできないからね、こうやってオンラインで聞き取ろうと思って4月からオンライン聞き取り(建築食堂 えで図)始めた。 柳沢:川井君のやってましたね。 佐藤:オンライン4人目です 柳沢:川井君のだけちょっと見たんです 佐藤:ありがとう、川井さん聞き取りして記録作りました。その前が辻琢磨さん。 柳沢:403のね 佐藤:そうですか。辻さん聞いて。その前は仙台の日本一展でファイナリストにも成らなかった女の子学生さんが竹中工務店に勤めていたのでオンラインで聞きました。彼女は芸大の修士に行って後、どうなったか聞いて、柳沢先生が4人目です。 誰かが俺の聞き取り記録を見てね、評伝を、柳沢究評伝、書いてくれる資料になればいいなーと思って聞き取りしてたから。皆のオンラインを聞いていると、目的が有るんだね。このようにまとめようというのが強くって、ああいうの好きじゃないんだよね。 家人症状が悪化しちゃって、俺が聞き取り始めたのは2008年だ、13年経つんだけど15年間で5年ごと4回聞いて、まとめてその人の事を書く・・・みたいな感じで考えたの。ところが放射能降っちゃったから人の事を聞いくなって構ってられなくなって。ふふふ 柳沢:それはそうです 佐藤:揺れは続くし、原発は爆発し続けるし、このままだと「死ぬか」と思ったよ俺。その後うちの奥さん、放射能を恐れて天井とか壁とかガムテープ室内6面内部全部ガムテープ貼跡が映っているでしょう、ガムテープ貼りまくって大変な事になって、俺の人生も終わりかなと思ったら、今はすっかり病気が治ってしまって 1階の居間の天井にも家人のガムテープ貼り繁殖していた 2015年6月現在 柳沢:お元気ですか今も 佐藤:すっかり昔の明るい東京の下町娘の感情に戻ってね。そうそう、すっかり治った、そう思ってら、新コロナが来ちゃってさー。俺、動けないなーと思って、オンライン聞き取り始めましたたわけです。柳沢先生には暇な俺のとばっちりを受けて、また聞き取りされちゃうわけですけど。 柳沢:はははは 佐藤:気の毒なことです。けっこうシツコイですから 柳沢:いえ、いえ |
2020年12月28日午後6時 佐藤人生初オンライン初体験 2021年4月15日 川井操さんとroom対話 家人によるフクシマ放射能てき引き籠り部屋、一重剥がしたあとのガムテープの跡 2015年8月 部屋内6面すべてガムテープを貼りあげ埋め尽くした 放射能がもたらした狂気アートであった |
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佐藤:歴史的な事は聞いたと。2017年京都大学に行かれて、最初はどういう感じで京大に、呼ばれるのか分りませんけど「柳沢来い」と。何で京都大学に引っ張られたですか、その辺りを宣伝したくださいよ 柳沢:はははは。宣伝することでもないですけど、やはりそういう来ないかという話をもらって。 佐藤:柳沢先生の何に反応したんですか、言っちゃだめならいいですけど 柳沢:言っちゃだめというもともない、単純にポストが空くというか、退官される先生がいて、その専門分野を担当する人を探してたということだと思うんですけど。おそらく分野的なところとか、年齢的な条件があったと思うんですよ。僕は直接聞いてないんですけど。 佐藤:専門分野というのは何ですか 柳沢:僕が今所属しているのは居住空間学講座という、京大は全部講座名が付いていて、一応口座ごとに研究室ごとに担当する分野が決まっているんですよね。で居住空間学なので、居住なので、住居とか集合住宅とか、居住空間といえば何でもありなんですけど、一応決まっていて、それにフィットして年齢的に40代とか、探していただと思うんですけど。それでたまたま。 佐藤:居住空間学だから、橋の下に住んでいる住いでもいいわけですか 柳沢:そうですね、ぜんぜんいいですよ、超高層でもいいし、タワーマンションでもいいし。 |
京都大学柳沢研究室フェースブック |
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佐藤:俺は聞き取りしいて、各地を歩いているじゃないですか。聞き取り始めた理由は、うちの奥さん、精神疾患の症状が悪化しっちゃって、2008年から我が家で「建築あそび」が開けなくなった。そこで、「聞き取り友達を365人つくって、1日1戸訪ね、泊まり歩く」という魂胆計画だったわけよ。1年間に一回ぐらい遊びに行っても飯や酒ぐらいただで食わして飲ましてくれるだろうと。そういうことで星座型居住と名付けて実行しだした 柳沢:はいはい 佐藤:日本列島に俺の居住地が星座のように広がるという希望的・妄想。どんな星座が出来上がるのかと、ただ泊まり歩いて飲まして食わしてれでは聞くと。皆に嫌がられるじゃない、お前の話聞の話を聞くよと。聞きとり、そのまま記録するわいと 柳沢:なるほど、なるほど、 佐藤:記録するから、ただ飯食わせろ・・・みたいな乱暴なmy企画だけど。ところが始めてみたら、1日に一人で済まず、2人3人出て来ちゃってさ〜。ゆったりして呑んで食ってる場合じゃないのね。朝聞いて夜聞いて、昼も聞いたりすることになて。 柳沢:それは忙しいですねははははは 佐藤:これじゃ優雅に泊まり歩くより これじゃー死ぬなあー・・・と、なかなか聞いてただ飯食わしてもらうのも大変で。自分の体力も衰えてきた老人だし。日本には昔旅する人たちが、俳句とか作って、お坊さんなんかもそうだったと思うんだけど皆の所を回って歩いて、善根宿じゃないけど。ただで泊まり歩いて 柳沢:宿代代わりに何か書いていくとはははは |
4枚福島市 建築あそび集合写真 |
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佐藤:人には情報が付いていてくるから、今みたいにインスタ映えで見せ合う、そういう世界じゃないから。人に会って話を聞くことが、訪ね来た人のいろい体験したことを聞いて。その泊めてもらう人の愚痴も聞いてあげることが癒しになるわけじゃない。 オンラインで「そういう人の情感の交流はどうなっていくの」・・・興味あるんですよね。星座型居住はオンラインによって侵されるのか?繁昌するのか?気になるところなんです。俺は オンライン始めたのはそういうことで。人の家に泊まって歩くというのは、ここから柳沢先生が住経験インタビュイーのすすめの話に着地するんですけど、つながるんです。 同じ家でも住む人によって全然違う意味を発生させちゃう。先生にいただいた本に書いてあることですけど、どういう家の記憶、それを見ているのか。家の見え方はさー・・・一人一人違う、同じ家ででも10人が住む経験があれば、10編の住経験物語が出来てしまって。家の居住の本質は経験が重なっているところにその家の居住の価値が現れて来る、というふうに思って聞き取っているわけだけど。 上手く言葉に出来なくってさ〜、この本が送られて来てお!これじゃんと住経験という概念。びっくり好感もってさ〜。 柳沢:ありがとうございます 佐藤:それから西山卯三さんの著書 柳沢:『住み方の記』ですか 佐藤:これ50年前に買ったんだけど、忘れていた。地震が来たときに本棚から落ちて来た。、あ!これかーと 柳沢:はははは、それは凄いですね 佐藤:縁があって『立原道造の夢みた建築』いただきまして「感想文を1年掛けて書いこう」と思って、書いているだけど。立原道造は西山卯三より2歳下なのね。俺は戦争に行った事ないじゃない 柳沢:はい 佐藤:(敗戦前の立原道造)人々がどんな生活していたのか全然わからないの。ところがこに西山卯三著『住み方の記』の2/3は敗戦前の暮らしの話なのね、それも凄い詳しく。 柳沢:すごいですよね、兵舎の生活とかすごいですよね 佐藤:西山さんの絵、こいうの何て言うんですか。漫画じゃないし、絵だと思うけど。この表紙は敗戦前の代官山のアパート、住宅だよね 柳沢:はいはい 佐藤:代官山の住宅でも風呂が無いし、こういう絵なんて言うんですかね 柳沢:上から見たパースですよね 佐藤:それも、筆はすごく細かい、掛け布団の柄も詳しい、茶碗の配置も描いてあって、ゴミまで描いてあって、これ〜敗戦前の暮らし・・・すごい情報量なのね。すべて。プライシーがバレちゃうわけじゃないですか。 柳沢:そうです、そうです 佐藤:とこがプライバシーばれることによって敗戦前の西山さんを通して、当時の人がどうやって日々暮らしていたか、それが分るんだね。すごいリアルに分るのよ。 柳沢:うん、そう、具体性がありますよね 佐藤:すごい具体性がある。言葉だけじゃなく絵もあるし視覚と聴覚がある。 兵隊にはったときのベットが単に並んでいるだけの絵を見ると、立原道造がこんな軍隊生活に入ったら・・・どうなったか直ぐ想像がでちゃわけですよ。すぐ発狂するなーと。軍隊に入る前、高校生活、三高の寮生活も描いてあって、冬になると、めんどうくさいから窓から小便する「寮雨」とか 柳沢;あ〜ありましたね。ははは |
西山卯三著 『住み方の記』 1960年6月15日1刷文藝春秋刊行 佐藤1972年2月5日購入950円 種田元晴著『立原道造の夢みた建築』 2016年9月20日鹿島出版会刊行 2700+税 |
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04へつづく | |||
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