2021年4月24日 柳沢究先生に聞く2021 建築食堂 えで図 14:15〜オンライン | |||
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佐藤:12坪だから24帖はあるね。名古屋、名城大学に行った当たりは古い建物の改修をFBかHPで見ましたけど、たびたび改修やってましたよね 柳沢:そうです、学生と一緒にやってましたねー。めちゃめちゃ時間掛かるやつですね。 佐藤:何かの床材も作っていませんでしたか 柳沢:あ!コンクリート・タイルを自作して、作っていましたね。そうそう、あれ好かったです 佐藤:何で、ですかね「素材をつくろー」なんて。どうしてあんなになったんですか 柳沢:あれは、古い大きめな木造の平屋の住宅の一部分を改修するっていう、プロジェクトだったんです。その中に「ある程度大きな土間を造ろう」と。土間を造るのはいいんだけども、普通にやるとコンクリート打って鏝で押さえるだけじゃないですか。あのプロジェクトは「学生が参加して自分で考えて、自分で苦労して造る」っていうのがコンセプトだったので「そんなに、楽をさせてたまるか」という、もっと考えて何か土間一つでも、「何かやろー」という事で。コンクリートの研究室とか材料の研究室も在ったので、そこの先生にお願いして、実験室借りて、型枠作って、タイルを打って作ったんですよね。 佐藤:既製品使ってパタパタパタと仕上げるんじゃなくって、自分で建材・素材を作るところから教えると 柳沢:あれは、よかったですね |
1階土間 豊田さん赤土三和土 天井ハンダ 写真笹倉洋平氏 |
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佐藤:今後、技術者もいなくなっちゃうし「凄い面白いなー」と思って見てました。柳沢先生も建築実作は加子母でしたか美山でしたか 柳沢:加子母ですね。 佐藤:加子母の木匠塾かなにかで 柳沢:学生の時に二回行ったぐらいですけどね。 佐藤:あのような体験が効いているのかなーと 柳沢:効いてます、効いてます、ふふっふふ 佐藤:加子母はどなたが始めたんですか 柳沢:一番最初の立ち上げは、当時東洋大学の、芝浦工大の藤沢好一先生と、布野修司と、安藤正雄先生ですかね、千葉大の。三人が中心になって始めた、というやつですね。95年頃ですね 佐藤:俺は経緯は忘れましたが「秋田木匠塾」ていうのを手伝いましたよ、3年ぐらい手伝ったかな〜、阿部仁史さんから頼まれたのか・・忘れました。 柳沢:角館ですよね 佐藤:そうです。秋田の角館に学生集めて東北大、郡山の日大、八戸工大、東北工業大だったか、学生が何個か造った 柳沢:そうですか、渡辺豊和さんがある段階から参加されて秋田にも持って行ったんですよね。 佐藤:そうでしたか。角館は町がお金を出して、学生に材料費とか。泊まる所は、体育館でしたが貸して造らせる。学生がコンペして、俺も審査員したけど、一番いい作品を選んで。それを造る、そういう夏の合宿プロジェクトイベントでした。あれは「頭でっかちに成らず、いいじゃないか」なと思ってみてました。 柳沢:そうですね。今だと大学、建築系の学科でもそれなりに、実際に1/1の物を造って、そういうワークショップみたいな、造るのを大学でやったりする機会もけっこうあるんですけども。その当時はまったく無かったですから。そういうのに飢えている学生の受け皿になっていたんだと思いますね。 今はそこそこ、一回生の時に家具を作ったり、ちょっとしたのを作ったり、やっている所は2、30年前よりは増えていると思います。無い所は多いんですけど、京大は無いですけど。 佐藤:県の職員の方のインタビューしようと思って話を聞いて思うんですけど、若い彼らは設計もやったことが無い感じですね、たぶん。全部外注して、手も動かしたことないようで、図面を描いたこともないようだから、「建築」への自信が無いんじゃなかな、コンプレックスに成っているんじゃないかなーという感じします。 柳沢:そうですね、建築学科出身なんですか 佐藤:OBの人たちは構造計算させられたり、庁内で設計して小さな建物をやったみたいです。規模の大きいのはそうしなかったようですが、自分たちで設計したいたとは言ってます。今は空出張問題で始まり公務員削減の嵐の後ですから、人手も掛るし仕事量も増え、多様な仕事が出来て来たからだでしょうね。外注した方が効率がいいんですしょうか。造る技術としての建築そいうのもインタビュイーで聞いてみようとは思ってるんです。 柳沢:そうでしょうね 佐藤:県文化賞というのを毎年表彰しているんですけど、京都もあるかどうか分らないですけど、京都は藤井なんとか賞かな・・・。 柳沢:藤井厚二賞ははいはい。京都府建築士会ですね、 佐藤:福島県建築文化賞は最優秀賞者の記念講演内容記録さえ残していない、「建築」に興味が少なくなってる人が多いのかなー、手が回らないのかなー、一時手ボランティアで記録作ってたんですが記録が無いのは残念です。ちょっと脱線してしまいましたね。 木匠塾に参加したり、柳沢先生は家の屋根に古建築に有った畳を敷いて畑にしたり、他の古建築改修もされ、学生に参加、願ってましたですか、 柳沢:そうですそうです。入れるところは全部、いろいろ参加してもらいましたね 佐藤:あういう協働、あれは凄いいいですよね 柳沢:そう思います。「そういう機会をなるべく作りたい」と思っているですけどね。なかなか京大に移ってからできてないですね。 |
角館、木匠塾 制作作品2001年撮影 |
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佐藤:で、自邸改修、家は完成したんですか、途中で京都へ来てしまったんで 柳沢:一通り、住んでいたんですよ 佐藤:住みながら改修工事をしたんですよね 柳沢:そうです、住む前にもいろいろやりましたし、畳なんかは、ほとんど住みながらやっていたんです。2016年から住んでいたのかな・・・。 佐藤:じゃー1年間だけ住んだんだ 柳沢:いや、その後3年間単身赴任したので、4年間住みました。 佐藤:あ、家族4人は名古屋に残ったんだ 柳沢:さすがに直ぐ引っ越すのは、あまりにも寂しかったので。ふふふふ、家族は名古屋に残って、私だけ平日京都に来て、週末、名古屋に帰るという生活を3年間しました。 佐藤:名城大学って何処にあるか知らないんですけど、京都から1時間半ぐらいで着いちゃうですか 柳沢:2時間は掛りますね。ドアツードアで2時間、京都駅から名古屋駅は新幹線で35分なんですけど、その後がそれなりに時間かかるので。トータルだと2時間近く掛ります 佐藤:家はどの辺りだったんですか 柳沢:名古屋の家は緑区なんです。名古屋駅からずーっと南の方に、海に近い方にずーと行った方ですね。地下鉄で名古屋駅から30分ぐらいというような所です郊外住宅地です 佐藤:名古屋に堀川、あるじゃないですか、 柳沢:はい 佐藤:俺は自転車借りて堀川遡上して中部大学まで行きました 柳沢:中部大学までいくんんですか 佐藤:あそこを自転車を漕いで行ったことある。「堀川はどこから水が流れてきているのかな」と思って。名古屋に朝日新聞社に勤めている友達が居たんで、自転車好きの人だったので「俺の家に泊まっていていから」と言うんで、1週間ぐらい泊ま名って古屋市内を探検して走りまわって。 柳沢:そうですか 佐藤:浮浪者が一杯いた公園やディープゾーン行ってみたり、堀川を遡上するのは楽しかったな。 柳沢:それはやったことないです 佐藤:横川に川から街を観たいと思ったんだけど船がなかったので、川沿いにずーっと上って水の取り入れ口まで行ってね。なんとなくわかるんだけどいい所ですね、洪水になったらたいへんだなーとも思いました。お城からずーっと南のほうですか 柳沢:ずーっと南の方です。東南の方ですね 佐藤:改修しながら住んでいたのって、奥さんにも評判好かったですか、まだ出来てないのに住むのとか・・怒りを買ったとか 柳沢:楽しんでくれてましたよ、気に入ってくれてました 佐藤:それはよかったね 柳沢:凄く気に入って住んでました。暑くって寒かったですけど。はい 佐藤:コンクリートむき出しだったから、断熱してないみたいだし 柳沢:断熱したんですよ 外断熱したんです 佐藤:あ、そうなのか〜外断熱か 柳沢:元々内外打ち放しだったんですけど。外側打ち放しだったんですけど、内側はベニヤとかで内装だったんですけど。内側を全部、剥がして、コンクリートむき出しにして。外側はスタイロフォーム貼って杉板貼って外断熱にしたんですよ。多少はましになっている。開口部がめちゃめちゃ大きかったんで、そうとう寒かったですね。 佐藤:単板一枚硝子 柳沢: いや、一応ペア硝子にしたんですけど、あまり効かなかったですふふふふ |
以下柳沢先生のHPより |
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佐藤:そうですか。街場の、独立建築家を経て大学の先生になったんだから、普通だったら「更地買って、そこに建てるのかなー」と思っていたけど。更地ではなく改修工事にしたのは、どうしてですか 柳沢:単純に「その方が安くついった」というのがありますし、「更地だったらギリギリのサイズの30坪の土地に30坪の住宅建てるのがたぶん精一杯だった」と思うですけども。改修だと、上物ゼロで買ったんですよ。土地代だけで買って。むしろ「コンクリート壊すの大変だからその解体費分安くしてくれ」って言って 佐藤:賢い、賢い、はははは 柳沢:はははは、で、やったといのもあって、その方が安くついたし、広くもとれたし、あと改修の方が、今もそうなんですけど、面白いなーと思っていたので。「改修でやりたい」と思てましたね。 佐藤:その理由はあとで聞くとして、大きさはどのぐらい敷地は何坪ぐらいでした 柳沢:敷地は200u弱です 佐藤:60坪ですね、建物は総2階建ですか 柳沢:1階が2/3が載っていて120uぐらいだったかな 佐藤:120u、36坪 柳沢:1階が80uで、2階が40uとかそれぐらいです。 佐藤:それで合いますね。敷地60、建て物、延べ36坪だと。「柳沢先生らしいな」と思うのは、既成のある文脈が出来ている。そこに自分の物語を付けていくという楽しさ、屋根を畳断熱の畑にしたり、そういうのが好きですか。ゼロからつくるよりは。 柳沢:好きですね、ゼロからよりは好きです 佐藤:インドの都市や住宅観察し続けると、改修・・・・そうなちゃうんですか |
天井ハンダ塗り |
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柳沢:自分の研究している対象がそういうものを、この10年ぐらい扱っているのあって、それはありますね。お渡しした博士論文を書いた時は都市構造の伝統的なインドの住宅の平面形式とか、そういうところがテーマだったんですけど、その後にインドで始めたのはバラナシと言うインドの聖地のところで、インドの融合寺院研究というのを、名城に行ってから始めたんですよ。融合寺院 佐藤:なに・・・寺院 柳沢:融合寺院 佐藤:くっつきあうという融合ですか、融合寺院 柳沢:そうそう、「それはどういうのか」というと、バラナシと言うのはインドのヒンドュー教の聖地なんですね。聖地だからヒンドュー教のお寺が物凄いたくさん在るんですよ。「お寺」と言っても日本のお堂というよりは、ちょっと大きめの祠みたいな大きさの物が町中に数十メートル歩いたら一個ぐらい在るんですね。何千と在るんです。インドではすごくお寺を大事にするんで。「一度建ったお寺は壊しちゃいけない」んですよ。原則として。 佐藤:それは凄いな地上が寺で埋め尽くされるな 柳沢:そう壊しちゃいけない、実際はこっそり壊している例もあるんですけど 佐藤:ふふふふふ 柳沢:建前上、壊しちゃいけないんですね。壊すとすごい白い目で見られる。なのでなるべく残そうとするんです。人口も物凄く増えていて、土地が足りなくなっているので。お寺が在る土地に家を建てなきゃいけないっていう状況が起こるですよ。その時に、日本だと壊すとか移築するとかするんですけど、インドではお寺を移すのも駄目なんでですよ、移動させちゃいけない。だからお寺を残したまま、その上に被せるようにして、住宅を造るんですね。 佐藤:内包しちゃうんだ 柳沢:内包ちちゃうというか、半分重なり合うとか、そういうもの在るんですけど。あるいはオバーハングでちょっと除けるとか。いろいろなやりかたがあるんです。そういうのを融合寺院と呼んで、「すごくインド的な建築現象だなー」と思って。名城大に入ってから始めたんですけど。それをやっていたんですね。 それがまさに本当にその場所に在るものを、好くも悪くも前提として、それに何か応答しながら次に造るものを決めていくっていう、そういう態度なんですね。それをやりたいなーと思って。 佐藤:なるほど、研究テーマと自邸造りがほとんど並行して同じような考え方でコンセプトで成されていたんだ、という感じですね。 柳沢:そうなんです 佐藤:話の「お寺を壊してはいけない」というのは、祟りがあるとかですか。なんなんですかその縛りは 柳沢:祟りがあるという何かの害に恐れているわけではないと思うですけど。お寺は神様の家なので、それに対して壊すというのはよろしくない、失礼というか、なんて言うのかな、とにかく、いい事ではないと考えられているわけです。 佐藤:日本とはだいぶ違いますね、日本だと信長さんは焼き討ちしやいましからね 柳沢:ははははは、インドも実際はそういう事もいろいろあるんですね、壊しちゃう、建前ですね。建前上はそういうことになっている。 佐藤:融合寺院がたくさん出来るというのは、宗派が一杯あるということなんですか。 柳沢:宗派はないんですけども、日本で言う寄進というか。ビジネスをやって成功してお金持ちに成った人が、祠、お寺を建てて寄付すると、凄く功徳になるというか、そういうのがあるので。新しいお寺もドンドン造られるんですよ。昔から造られているし。 佐藤:お寺を造ろうとするインセンティブが働きすぎるよね。自分の人生の成果がお寺として表象されるわけですからね 柳沢:そうそう、で向こうの人、皆さん凄く信心深いのでお寺を建てる人は本当に尊敬されるんですよね。 佐藤:みんなから尊敬され自分も誇りを感じることが出来て、事業も成功してとなれば、表象のしかたが、すごく共感を得やすい、やり方ですね。日本では金持ちは豪邸を建てて、何とか御殿とか、お寺じゃなく殿様気分を味わうのとは違う、豪農豪商、が大きな御殿を建てる。金貸しが建てやがって!こんちきしょうみたいな古建築、そういう感じが多いよね。 柳沢:インドの人も豪邸は建てるんですけど、同じく立派なお寺も造るんですよね 佐藤:そうか、日本の豪農、豪商たちも寺建てて、それで家も建てればよかったのにね 柳沢:ね、昔の殿様とかはね、そういうのを時々やっていたみたいですけどね |
水平型融合寺院 垂直型融合寺院 屋根の上に居室 抱合型融合寺院 屋根以外は包まれている 3点、柳沢究HPインドの都市から考える第6回:街と融け合う寺院より ・柳沢究さんエッセイ 「融合寺院」という建築・都市空間の更新プロセスモデル ― 旧い建築をそのまま残しながら新しい建築を重ねること |
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佐藤:311以降、未指定文化財で被災古建築の保全にも関わらざるを得なくなって、調べたりすると、周囲の人からは古建築保存活動、思ったより評判よくならないんだよね。それは高利貸もやっていた家が多いようで恨みを買うようで。 柳沢:あ、蔵を持っている人がね 佐藤:そうそう 柳沢:はははは。なるほど 佐藤:なんか、悪口聞かされてさー、 柳沢:あんまり協力してくれないんですね 佐藤:協力してくれって言いにくいんだは。この蔵は貴重な文化財だから協力してくださいって言いにくいことが多いんだよね。 柳沢:なるほど 佐藤:地域の元リーダーの屋敷にも古建築がたくさん在って、首長さんやっていたりする、で勘違いした子孫の人が偉ぶるんだよね。下々の者にモノ申すみたいな言い方する。現在は財が傾いている、抵当権掛られている古建築群だったりするんだけど。そういうた態度を表しちゃうんで。告げ口が多い「あの家は借金多いんだから」とか「あいつと手を切るなら協力するよ」なんて告げ口をしてくるんだよね。面と向かっては言わない。権力の移譲っていうのかな、被災時に一番元気な人が地域おこしとか町づくりのリーダー移譲されるって形になりにくいだよね。 柳沢:なるほど、昔からの立場とかが残るんですね 佐藤:そう。インド式だと、成功してお金も有って屋敷もお寺も建てるから、周囲の人も尊敬しそう。ヒンドュー教大事にする人はリーダーとしても尊敬されるわけでしょう。当然。 柳沢:ただインドは日本以上に家柄というか、身分は今も重視されますけどね。 佐藤:最近の、日本に格差社会がうまれて思います、身分差あり、日本もそうなっているよ。柳沢先生は子供も先生になっていったりするわけじゃないですか、 柳沢:それは分りませんけど 佐藤:ますます、親の良い点、を賢い子は引き継ぐ感じになると思う 柳沢:どうでしょう、 佐藤:建築系の人々を見ててそう思う。建築家になりたいと言う若い人たちって貧乏な子供だった人は居ないもの。インタビューしていて分る。 福島に見学に来る子供も自分でお金払って来ているですよね。今も俺は老人・貧乏人だから電車賃さえないので、どこに行けないですよ。そんなのに、外国の建築を見学体験しにも自腹で行く建築学生は多いよ。学生が稼いで海外旅行しているとは思えない |
2枚 宮城県村田町 被災古建築例 |
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柳沢:そうです 佐藤:お金の無い子は地球上の建築キョロキョロしなけいと成らない建築科に入れないと思いますよ。足代宿代かかりますから。 柳沢:たしかに、そういう処はありますね 佐藤:金持ちが金持のために一生懸命つくって楽しむ、みたいは処もどうしても建築行為にはある。これからはもっと綺麗に階層分解していくような気がするんですよね。 話は脱線しましたけれども、インドのように家柄が大切にされるというのは、悪いことではないと思うんですね。ただ金持ちの人(成った人)がどういう社会貢献をするかが問われるだけであって、大金持ちになったらビルゲーツ財団つくって、今後頻発するだろう世界の感染症対策にお金を寄付しちゃう・・・みたいな。そういう仕組みができていれば、格差もあっても問題ないと思う。今の日本の場合だと金持ち、お金のために貧乏人から搾り取ることで若い人も不要に貧しくなっている。社会に富を還元する仕組みが税金しかないんです。そこのところだけちゃんと仕組みをつくり公的サービスが整えば格差があらわれてもいい、そう俺は思うんですけどね。また脱線しました。 インドの融合寺院つくりかた経由で、柳沢先生が更地に建築つくるのではなく改修工事を選んでたのか〜。 謎が今ようやく解けました。なるほと、「なんで?自邸改修、こんなことやているのかなー」と不思議でしょうがなかったんでよ。 柳沢:僕もようやくそのテーマが、融合寺院のテーマが見つかって、今まで設計の仕事改修とかやっていて、京都で町家改修とかやっていたことと、そのインドの都市とか住宅をやっていたことが、ようやく繋がったんですよ。 佐藤:あ、なるほど、それは好かったね 柳沢:それは凄いよかったです。 佐藤:それだったら、俺も分かったわだよ。この人はもしかすると、里山主義者に、エコロジカル建築系の肥やしになっちゃうのかなーと。ふふふふ、大丈夫かーと思っちゃった 柳沢:そんな感じでした。ははは |
アンコールワットそばタプロム遺跡 |
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柳沢究さんHPより | |||
佐藤:自邸の屋根に畑設えて日々耕すと。屋根で山羊を飼うか〜、そう想ったりする。 柳沢:ああ〜ああ 佐藤:何かそっち系なのかー、そういう気がするじゃないですか 柳沢:でも、昔から緑化建築は好きだったんですね。遺跡が好きだったんで、アンコールワットとか、旅行していたときに、インドもそういうの沢山在りますけれど。草に埋もれた遺跡が凄い好きだったんで、コンクリートに草を生やすのはずーっとやりたかったんですよ、学生の頃からずーっとやっていたんですけど。設計演習とかでは。 佐藤:そうなんだ、アンコールワットの周りの遺跡に行くと石の間に根っこが喰い込んで凄い植物の力のキメイラ環境すごいよね、いいよね。 柳沢:もう崩壊していますよね 佐藤:隙間なく積んでいるどでかい石が植物の根っこで動いてしまうんだから、植物の力って凄いですよね。そうかーああいう植物とコンクリートが一体化している建築をやってみたかったのか。前回インタビューに時に司馬遼太郎、とか宮本武蔵の書いた作家 柳沢:吉川英治、 佐藤:歴史系インタメー作家好きだって話ていたから。 柳沢:それは中学生とか高校生の頃ですね 佐藤;純粋な歴史研究書じゃないからね、歴史的小説だから、面白く読者を誘導していく、商売上手ですよね 柳沢:エンターテーメントだかから、いいじゃないですか |
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03へつづく | |||
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