2021年4月15日16時から  川井操先生に聞く  @建築食堂 えで図 (オンライン聞き取り録)

目次
その1
その2
その3
その1
オンラインはじまる  DANWASHITSU あれこれ

・・・ぷるぷるぷる〜ぴこ・・スマフォ音・・・鳴る・・・

佐藤:どうも
川井:どうもこんにちは〜、よろしくお願いします
佐藤:お忙しいところすみません
川井:大丈夫です
佐藤:聞こえますか
川井:ぼくの声、聞こえますか
佐藤:聞こえます、ぼくはスマフォです
川井:ぼくはPCでやってます 

佐藤・川井:よろしくお願いします

佐藤:2017年の1月29日に最初に川井さんの話を聞かせていただきました。
川井:ぼくの自宅ですね
佐藤森田一弥さん、自家用車で京都の静原から彦根まで連れていって行ってくれいました。森田さんの聞き取りを終えたら「川井さんの家に・・・」という雰囲気になり、森田さんの推薦で川井さんの聞き取りを予定外・偶然機会をえることになりました。俺の聞き取り活動は他薦が原則なのですが、川井先生は森田さんの推しでした。
川井:それも凄いご縁でしたね











2017年の1月29日川井先生の家にて
記録へ 

佐藤:そのとき川井さんの口から聞かされ「え!」と思ったものは県立滋賀大で続いていたDANWASHITSUの事です。my建築BOX4で育って滋賀大に入学していた「丹治さんが始めたんだ」と、川井さんに聞かされました。DANWASHITSUは建築あそびがロールモデルだと知りました。大学に入りたての丹治さんが私のところに「大学、面白くない」って仲間と共に相談にきたことがありました。夏休みでした。そこのとき「自分で、面白いことそせよ」とアドバイスしていたのを思い出しました。だいぶ前のことだったのでアドバイスしたの忘れていたので、川井さんの発言に驚きました。
 DANWASHITSUはそういう経緯で始り、川井さんに引き継がれたことで現在も続いてた〜と知りました。無責任ですが、続けている皆さんに敬意を表し感激もしました。前回の川井さん記録にはDANWASHITSU発生秘話は載せませんでした。自慢することが聞き取りの目的じゃないので削りました。川井さんは丹治さんの活動を継いでいて、後に布野さんが京大から県滋賀大に来られたことで「本」を出すこことになっていました。本づくりは布野さんの得意技の一つで、資金を工面し記録集を刊行するという形で展開していました。それまでは学生はネット媒体ではさほど発信していなかったのかもしれませんで、私は知らなかったでんです。学生さんたちの自主活動が書籍になって、各地の大学などいろいろな場所に出回っていきまいした。そこでようやく川井先生の苦労なども世の中に知られたという。

川井:いやいや、まだ続いているんです。
佐藤:終わったと思ってた、最近は新コロナで盛り上がっていないんですか。

川井:今、原稿を作って登壇してもらった建築家の人たち原稿を送っていています。「今年度中には完成させよう」と思っているんです。OB OGの中村睦美さんって僕のインタビューときに来ていた、彼女は今、スペルプラーツっていう東京の編集会社で編集者として働いていて。飯尾次郎さん(10+1の編集もされていた)の編集社で、建築の本、コンセプトブックシリーズとか、LIXIL出版でけっこう出しているんです。そこで働いていています。

佐藤:LIXIL出版の下で編集作業をするということですか
川井:そうですね。とうとう。学生と彼女を中心にすすめています。
佐藤:DANWASHITSUから編集者が生まれたという事ですね
川井:そうですね、とうとう。現在も彼女と学生を中心にすすめています。
佐藤:本格的だね、バージョンアップしてそうですね

川井:彼女は9号をまとめてくれたんです。これからも彼女に協力してもらいながら学生と続けていきたいです。
佐藤:学生だけの身内のイベントではなく、外の編集社会とも繋がりながら、DANWASHITSUと編集社がつながっていくと。それは学生にとってもいいことですね。
川井:学生もプロの編集の人と一緒にやれるってことは学びもあるし。
佐藤:羨ましいな、そういうところに就職する人もいるだろうからね
川井:だから教員と学生だけではなくって、もうちょっとOBも、いろいろ出て来ているから。うまく混じり合ってできればと思っています。










2012年11月2日 俺クチャー@DANWASHITSU
記録動画















DANWASHITSUが刊行してる『雑口罵乱』
■菊眞さん個展で

佐藤:今後も展開が楽しみです。川井さんのインタビューの後、2019年の12月、高知で渡辺菊眞さんの建築個展でお会いしました。

川井
:そうですね、12月ですから1年5ヶ月ぶりですか。
佐藤:菊眞さんの個展、もりあがって毎晩呑み会してました。見どころ満載で、ちらっと見たさけでは理解するのは無理でしたね。25年分の彼の建築情報がてんこ盛りでした。

川井:その後は菊眞さん本にしてね。『感涙の風景』は僕も買って送ってもらいました。
佐藤:僕は感想を長々と書いてしまって。体験記には川井先生をはじめ菊眞さん仲間の声も記録しておきました。そのままWEBアップしちゃって。本の感想も書いて、楽しかったので好き勝手に書いてたんです。菊眞さん喜んだようで続きの本を出すので「それに載せていいか」と聞いてきました。OKですがもう一冊刊行するつもりなのかなもしれません。そのために個人出版社をつくりましたし。

川井:何か風景の方だったけど、今度は設計とか作品の方で出されるから。
佐藤:そんなことで聞き取り活動のご縁でいろいろ発生しています。最初に魚谷さんんに推薦してもらった人々なので、京大のどうしても布野先生の連なりという感じが強いんです。本を出すのが好きな人が育っている、本好きの弟子が多いのかも知れませんね。川井先生も布野先生の10年分の仕事録をまとめて刊行され送っていただきました。ありがとうございました。
川井:はい。あれは6年前です。

佐藤:今日は、ひとつよろしくお願いします
川井:よろしくお願いします





辻さんとSDL2018

佐藤
:何から話合うことの中身は考えていないんですけど、目的なくワイワイで
川井:辻さんもインタビューされていましたね

佐藤:4月12日ですね。辻さんとROOMでね話ました。今日、文字にして彼に送っりました。辻・記録
川井:すごいなー 
佐藤:なんで何が
川井:凄いスピード感ですね
佐藤:昼寝しならのんびり文字に起こしてたんだけど。面白いので進むのかな
川井:凄い
佐藤:1時間のオンラインでインタビューでしたけどね。現場に行かないと質問が湧きにくいです。川井先生の場合は大学へも行っているし、インタビューの時は家にも泊めてもらっているし。あれこれ暮らしぶりもみているし。日々ネット発信もされているし、今自邸つくっていることも分るし。

川井:そうですね足軽屋敷を改修、それは是非、見て欲しいですね

佐藤
:足軽屋敷改修は体験してみないと理解が進まないですよね。辻さんの所はどういう空気の臭いなのか分らなくって、何を聞いたらいいのか分らなくなるんですよ。辻さんはsdl2018審査委員でしたから、審査の話をネタにして色々聞きました。「ああいうイベントは終わりだなー」と思ってあのイベント観に行っていたんです、一番若い審査員が何を思っているのか聞き取りました、若い審査員が辻さんでした。競争イベント、リアルの場では本当に終わってしまいましたね、新コロナのせいでもありますけど。
川井:今年はやったはやったけど、、ネットでしたかね

佐藤:触れてないの分ってません。そうですかネットでありましたか。リアルの場に学生が集まって交流する、熱い視線・議論と居酒屋などの場外交流はは無いでしょうね。定型かしてしまった競争イベントもそろそろ終わりでいいんじゃないのと思って観に行きました。
川井:やめた方がいいですよね。
佐藤:建築の終焉の始りだなーと思っていたんです
川井:建築はゲームじゃないし。
佐藤:卒業設計・案を競争してどうするんだろう。
川井:もっと今の社会で大事なことを一杯あるし。
佐藤:学生が作品を持ち歩いて審査会場を渡り鳥し。色々なイベントに出す学生もたくさん出現していると言っていたね。審査員個人の価値観で建築が判断される、個人の判断になるから、そのことに一喜一憂しているのはどうなのかなー。学生はどうしても造られた場に載せられるゲームが好きなのでしょうね、競争感情が露わだし。イベントの学生が労力を裂いて、若い時いしか得られない大切な体験などの足を引っ張られるのは気の毒に見えてしまいました。

川井:物凄いコストが掛りますよね
佐藤:聞き取った範囲でも世界旅行できそうですね、労力と時間かけている。ショー化したものに乗らず、個性的な違う体験をした方がいいんじゃないかなーと。観客としては思ってしまいましたね。彼らもしたたかに好きにやっているので大きなお世話ですけどね。

川井:僕も同感です、本当に
佐藤:学生時代にそんな不自由な事にはまらず、自由にいろいろ勉強しているのがいいのではないか。実社会に出ると競争だらけですから、いやというほと体験できるんだから。政治と建築は結びついててできる酷い事態で動くのだからね。良い案もなんもない、切り捨てご免の世界だからね。過去の成果で人気、審査員に評価されて一喜一憂するのはどうなのかなー、幻・ロマンチックでいいかな。作品が多すぎて議論が盛り上がる時間が無いんだよね、形式化されたベルトコンベヤー・イベントに成らざるを得ないんじゃないかな。

川井:そこの訓練ばっかり、競争社会で生き残るための訓練施設みたいになっていますよ、建築学科も。
佐藤:そうですか。あれのいい面は、この人は芽がでるなーと思うのを評価しているので
川井:そうなんですか撲は現場に行ったこと無いからな

佐藤:育てて枝葉を伸ばすのは自身だから、その切っ掛けかな、小さくて効く、地味なイベントでいいんじゃないかと思いました。渡辺顕人さんが、したたかで日本一狙ってまんまと獲得してましたよ。審査員は読まれていて、完全に先手打って勝ちましたね。彼の作品は外壁がぺらぺら外部環境に応じて変化する、TIと物と外部環境のコラボ作品でした
川井:あ工学院大学の子ですね
佐藤:そうです。、ズントウ好きパロディー作品で機械仕掛けでしたけど、脱建築してました。前日に全体を回って見て「これが一位だなー」と思って、工学院の樫原先生に言ってたんです。審査前に会ったので「あんたが一番」と伝えておきましたたら、本当に日本一になった。建築の終焉は学生からも始まっているなと 余計なことを喋ってしまいましたね、SDLに水掛ける気はないんですよ。誤解無いように。

川井:とんでもないです













足軽屋敷改修計画全体 南東より
































 
公開中のSDL2018聞き取り記録






■辻さんの奥さん

佐藤
:辻さんの聞き取りでは思わぬ事を聞くことに至りよかったです、奥さんが製本作家でした(街角製本所)
川井:そうそう
佐藤:そんなことも知らないのですよ。建築の仕事より、奥さんの方がいいんじゃないの、と伝えました。なんでかと言うと建築は皆のためになる建築とか公共建築とかよく言われるけど、実質的には個人というか、その地域で暮らしている人の生活や感情にさほど刺激を与えない、個人の人生には効き目は少ない。建築は生活の背景で効き目がさほどあるものではないですよね。スペースは与えるけど利用する個人にダイレクトに効き目があ物ではない。辻さんの奥さんが制作している仕事、あれは一頁一頁が個人の記録を作ったりだしたり、再生したりするなど、物を介して文字と紙となどの媒体を使って手作りがさらに加わって、手に取る人にとって貴重な一個の物が出来いていた。物は20世紀型の大量生産品は21世紀は一個一個生産に変わってきていて、あれはいいんじゃないかなーと。
 お爺さんとかおばあさんがふらーっと店にやって来て、ラストブック・ラストノート頼むんだそうです。それもいいなーと思ったんです。俺の終の棲家をつくってくださいっていうのは金持ちにしか発せられない言葉ですよ。だが「俺の一冊の本を作ってください」とは言える。ラストノートはちょっと小金を貯めればできる。貴重な一冊が手に入る。そこで出来た本は家族とか周りの友達にとっても貴重な記憶の一つで、継承すべき大切な物になっていくんじゃないかなーと、直感でした。これからはそういう行為がメインになっていかざるを得ないなーと。盛り上がってんですけど、辻さん聞き取りはそこに着地しました。

川井:なるほどなるほど

佐藤:今日は川井先生と話して、どこに着地するか分りませんけど、始めましょう









 街角製本所の本の例



voice of Earth 地球の声 

川井:
何か凄いタイミングというか、声かけい、ただいたなーと思って。僕としても不思議なタイミング・・・というか
佐藤:それは何よりです、ご縁ですかね
川井:凄い、佐藤さんの直感がすごいなーと思って、
佐藤:何かありましたか

川井:4月の1日にボイス・オブ・アース、デザイン小委員会という日本建築学会の会合です。今は東大の安原幹さんが主査で、これまでは塚本由晴さんが中心にやってきた委員会があるんですよ。ボイス・オブ・アース・デザイン。地球の声ね。友人の建築家の能作文徳さんという仲良くやっている人に誘われて、お話さしてもらったんです。最近滋賀で畑とかお米づくりを去年のコロナの時から
佐藤:田畑も、稲も植えそだてているの!

川井:田圃はお手伝いぐらいなんです。自分の領域を借りて、お米作りやったりしてます。今、知り合いの人の里山、山に入って山の整備に関わったり。そういう活動をしてたし、今でも、しているんです。田圃はね、去年の4月から始めたので、丁度一年前です。家を買ったのは2年前ぐらいです。

佐藤:それで地に着いた、活動が動き出したんだ
川井:そうですね、で、家も整備しながらです。車で1時間くらいの所で田圃や畑を始めたんです。
佐藤:ネットには載せないので、住所、航空写真は載せるたいので
川井:おくりますよ。その切っ掛けですが。菊眞さんのイベントがあった頃から、ああちょっと前ぐらいから、一昨年(2019年)の9月ぐらいから、凄い調子が悪くなっちゃって。体と心も悪くなったんです、両方きちゃって。
 色んな考えを整理したり、良くしよう。色んな人に話を聞いてもらったり。あるいは神社やお寺を巡ってみたり。で心身を良くしようとしたんです。
 今は、だいぶ思考の整理はついて落ち着いては来てたんです。本調子までは程遠くって。そういうタイミングに、京都の美山の茅葺職人、自分たちで作っているお米、自然農法で作っている、それを頂いたんですよ。食べたらむちゃくちゃ美味しくって。それからちょっと、「あ!これ米とか、ちゃんとした物を食べないと自分の体によくなっていかないなー」と思って。それが去年(2020年)の3月ぐらいだったんです。

佐藤:自然農法で採れた玄米を喰っているということですか
川井:「そいうそう玄米を喰おう」と思って、意識的に食事を変えようと思って。そこから自分の食生活を見直したり、あるいは友達に話たり。僕の知り合いが「一緒にやろう」と。そこから美味しい系のネットにドンドン繋がっていって。それを食べたり自分が田圃をしていたり、自然の中にいると調子が日に日に好くなっていって。体の調子が体重もどんどん落ちていって、ちょっと太っていたんですけども10数キロぐらい落ちて。

佐藤:そんなに落ちたの!
川井:そんなに落ちて。食事ですね。自分で食べる物を変えたことが、凄い転機になった。それがこの1年ぐらい継続中で、そういう人たちと付き合う、自分自身も意識するようになって、物の価値観というと嘘臭いですけども、心も体も凄く明るい状態になっていったんです。そういうのがこの1年間あって。そういう話を4月1日にボイス・オブ・アースで発表したんですよ。

佐藤:自分の抱えた悩みを打ち明けちゃったのね
川井:僕はそういう事をしたこともなかったし、自分の事を開けっぴろげに話すっていう場、人生で初めて。したんです。
 4年前の佐藤さんの聞き取りか、今回のボイス・オブ・アースか・・・みたいな。自分は本当に力を入れた。自分の調子悪い、その悪いことを話したんです。恥ずかしかったんですけど。でも頑張って話して。自分の心の状態や体の状態が悪いというのは、僕だけの問題じゃなくって、社会にもそういう人増えているんじゃないかなー」と皆の問題だと思い始めて。 
 一つは添加物を採ったりし、心とか体の中の状態を悪くするものを自然に採っていたりするのあるなーと思って。実際、自分が好くなったし。「建築はそのときにどうなんだ」と思って。建材も好くないし、自分が知らずに入手して使っている建材も多いし「建築もこのままでいいのかなー」と。カタログの中から建材を選んでそれをパッチワークするような建築の造りかた。言ってみたら「添加物入れて食品を造っているのと同じじゃないなかー」と思って。それで「建築に自分で食を通じて感じたことを、どう展開しなければいけないのかなー」と思って。山にもすごく関心が出てて。
 知り合っって、畑をやらしてもらっているパン屋さんが凄い人で。彼は里山の整備して、「里山から降ろして来た木をどう使うか」と思い窯焼きのパンを造ろうと。薪火でパンを造ろうと。そこからパン屋を始めた人でした。その人に畑を教わりながら里山の事にも一緒に入って行く機会をいただいて。最近は里山にも入るようになりました。山の事も、そこで育った茸とか、あるいは松茸がどうやったら採れるか。そんなことを里山入りながら教えてもらっているんです。
 そういう意味で山の木を使うことはどういうことなのか、あるいは米を作っているから稲わらを使って建築を造れないか。滋賀は葦が多いんで葦を断熱材に使えるんじゃないか。自分でそうやって素材にアクセスして、建築に使う。「これからやりたい」と強く思う様になって。今、足軽屋敷を改修しているし、自然素材を自分で採って来たもので造る。そういうテーマを最近はしています。自分の心身の転機の中で建築にも取組んでいきたいと4月1日に話たんです。



















米 滋賀県東近江市の自然農法








絵:上5枚 川井操さんより
引き継いだ講座

佐藤:よかったですね。体と心の調子が崩れてた

川井:めちゃくちゃでした。色んな原因があったんです。布野さんから受け継いだ講座ですが、建築教育、自分自身を置き去りにして「学生を育てなきゃいけない」と。自分自身が未熟なのにそっちばかりに集中しちゃって。自分が本来何をしなきゃいけないのか、自分が本来何をやりたかったのか。ぐじゃぐじゃに成ってしまったんですよね。それが心身を崩した一番の原因だったんです。
 自分の生まれ育った環境とか、自分が感じてきたこととか、あるいは自分のバックボーンも凄く考えて。布野さんのことを凄く尊敬しているし、今でも凄く好きなんです。でも、布野さんじゃないな俺は。ちゃんと自分の事を、「僕は僕のことをやらなきゃいけない」と、強く思って。この一年はそういう時間になりました。

佐藤:辻さん語りにもつながっていますよ。本来の自分の表現というのを知ってない。価値を学校で刷り込まれたまま、川井さんの外で作られた価値観で活動していた。例えば川井先生が布野先生みたいな講座をつくり頑張る。川井先生がやらなければいけない講座でないのに、既存のそういう形式を打ち出してしまっていた。出来てしまった評価が定まった形式に自分を合わせて生きようとしてしまったと。脳はそれで好かったんだろうけど、無理だと体が教えてくれた。そこで川井さん自身が自分らしい建築のあり方を学生に伝えいこうと。そういう原点に立った、ということですね。

 1年間、それを手探りしていて、原因が分ったので、ここからは学生にみっともなく見せていけば、学生は自身で、次の時代をつくる手探りというのを作ることがきるからね。それまでの川井さんは出来あがっていた価値観を追ってバージョンアップ型教育をしようとしてだったんだろうけど。20世紀型の講座タイプは、21世紀に入ると、各種ITが状況を変えてしまい、古い形式の事態が限界にきてるけど続いていると。
 同様に、食べ物も効率よく生産し、効率よく分業して添加物たんさんいれて腐敗しないよに整え大量加工し販売し、コンビニエントな暮らしをしている。体に悪いのは分っているけれど、幸いを効率や量で追ってきていたと。それらが壁にぶち当たって川井さんの体を通じて悲鳴をあげたようですね。
 布野先生の教え方が悪いのじゃいけど、敗戦後、焼け跡から立ち上がる頑張るイデア型は限界が来て、世界中の集落リサーチしたいたけど、どうしても近代の成功モデルが目に入ってしまう、それを追い目指す、そんな悪循環だった。先人を習って造ろうと。知性の優秀な者というのも変だけど、生き物、動物の快適な暮らしぶりには合っていなかった。学会の評価がリアルな生き物に有効か、という問いは棚上げされて来たんでしょうかね。知性だけを評価しても心身全体の健全性から問い、その答えを目指してたわけではなかったと。
 敗戦後の一億総一生懸命は頭打ちになっていたいるんだけど、まだそれを追っている老人指導者も相変わらず多い。限界なんだから後追いしている若者は言葉も出なくなるし体も固まる。
 そこで、川井先生は今年の4月1日に学会でその告白をしたということでしょうか。







川井:自分のことを開けっぴろげに喋っただけなんですけど。

佐藤
:敗戦後につくってきた日本社会と人も、病んでいるので、多くの人は戦争と経済競争の20世紀病だ。精神も病んでいるけど気付かないんだね。原因は近代の仕組み、IT化でさらに先鋭化した教育現場も含む各種システム化だと思うな。自分の脳が現在の社会システムに適応しようとし続けて、脳の働きと身体のバランスが崩れだし、さらに身体を取り巻く環境の三つのバランスが崩れている。
 そこで暮せば正常な生き物なら心身が崩れ具合が悪くなるのは、体の反応が正常でしょうね。何万年も生きている体の方は正直ですから安心していいんじゃないないの。外部環境の悪さに正直に反応してくれているから体に感謝すべきだ。同じこと言うけど、脱・戦後価値で生き続ける人が集まって社会を作っているから社会全体が病んでいる。そのことを抽象化して語って心身の共生の筋道みたいなものをつくっている人がいないということでしょうか。今、21世紀型建築人の第一世代は滋賀県大学から立ち上がる、それはいいんじゃないですか。

川井:ははははは

佐藤:そういう生意気なことを言っていていいんじゃない。今までのやり方だと心身が病むんだから。もう続かないよ。若くて元気な先生たちも会社人も、心を病んでいる人は多いんじゃないかな。コロナ対応でもそういう印象をもった。そんなのは自明なことだけ皆さん、人間の口ではなくシステム脳の口で喋るからね。川井さんの体は分って、ようやく脳も川井式暮らしのやりかたが分ってようで好かったですね。

川井:僕は凄く感じ易いといことが、ようやく分って。自分自身が反応しやすい。人のことは凄く好きなんだけど、でも、人の事をよく見ちゃう、感じ過ぎちゃう。学生の事もいろんな価値観の子たちがいる中で、全部を受け入れようとしちゃって、壊れてしまったというか

佐藤:長男でしたかね

川井:撲、3男なんですけど。
佐藤:3男で人の話聞く、聞こうとするのは、珍三男じゃないのかな
川井:そういうこと、研究室のこともいろんなプロジェクト仕掛けるのを全部やめて。自分自身の時間を。去年の4年生の子、森田さんの娘さんとかもいたんです。割と自分の事が出来る子たちが集まっていたから、プロジェクトもすることなく、自分自身と向き合えたと。生徒とも距離がとれて、タイミング、コロナもそういうタイミングだったんで。自分には滅茶苦茶よくって。



 その02へ続く