HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
川井操さんに聞く 2017年1月29日 彦根あたりにて その1 その2 その3 その4 その5 その6 |
その1 予定になかったが、夕暮れの雨の静原から森田一弥さんの車にて琵琶湖大橋を渡り川井先生の家を訪ねて聞き取りすることにした。途中のスーパーで酒を仕入れ彦根当たりの川井先生の家に来る。小雨ありの夜なので周囲の様子が分からないが、駐車場に雪がたくさん残ってて車が窮屈そうに何台もあった。4階建てほどの集合住宅群みたいだ。グズクスの雪道を歩き駐車場の一棟裏に在る棟の1階が川井先生の家で、先生はすでに酒の肴を作って、会場を整えて待っていてた。夕方電話したばかりなのに、急に人が集まって呑み会を開くことも慣れているようだ。みなが集まるまで呑み始める 佐藤:福島を出るときには彦根に来るなんて夢にも思わず・・でしが、今夜は福島市内より雪が多い滋賀県立大学の川井先生の家に来てしまいました。森田さんの車に乗っかりまして、1時間ちょいでしょうか。川井先生のこれまでについて話を聞かせてください。よろしくお願いします 川井:よろしくお願いします 佐藤:観客もいますね〜 お弟子さんでしょうか 川井:中村さん彼女だけは僕の研究室にいて、男の兼田さん、女性の川井さん。二人は卒業してて うん うん 佐藤:じゃ手伝ってね、写真を撮ってください。通常は自撮りなのでいつも俺の顔がでかく写ちゃうんで 川井:呑んでる顔ですね〜 佐藤:ただの酔っ払いオヤジですね、話の内容について裏取しません、聞き取ったまま文字にして公開しますのでよろしく 川井:よろしくお願いします 佐藤:今日は初回なので川井先生はどこで生まれたのかなど生い立ちから聞き始めます 川井:僕は島根県の安来市、安来節で有名な、ドジョウすくいの。鋼(はがね)の町の所です。安来港ってのがあって、鋼を外に出していくっていう麓で鋼を作っている。今でも日立金属って言って。森田さんの左官の鏝なんかね・・(和鋼博物館へ) 森田:安来の玉鋼っていって、ブランドですね 川井:昔の砂鉄から作っていた鉄の産業があった。たたら製鉄 佐藤:安来市で生まれたと、小学校中学校から高校までぜんぶ〜ですか 川井:全部です。僕は安来で生まれ育って 佐藤:子供のときになにか 川井:野球やってましたね 佐藤:ポジションはどこですか 川井:小学校のときはファーストで中学の時はサードの補欠。高校はやてなかったんですけど。高校は途中からソフトボール部に入りました。 佐藤:高校の途中からソフトボール部へ、高校球児じゃなかったんだ 川井:高校球児ではなかったですね。諦めましたね。 佐藤:以前、聞き取た柳原さんが高校球児だったんですけど、野球系は2人目かね 川井:僕は途中で挫折しましたけど、 佐藤:ポジジョンは野球と一緒でしたか 川井:ソフトボールのときは凄い弱くって。キャッチャーやってましたね 会場 ははははは 佐藤:一番ハードなポジションで 体力要るし〜 森田:うははははは 佐藤:裏方やっちゃったわけですね 川井:でも県で2校しかなくって。自動的に中国大会に出れるっていう かいじょうふははははは 森田:よくあるよね、そういうのね ははは 川井:一回勝てばインター杯出場みたいなふふふふ 佐藤:高校で男子でソフトボールってのは珍しいよね 川井:あんまりないんですけど、珍しく、僕の安来高校にはあって 佐藤:ボールが大きくって柔らかくって飛ばないし塁間が短いし、なかなか難しそうですね 川井:でも まとが大きいから、結構ミートし易いですよね。距離も短いし。野球から見たら球遊び的なところありますよ 佐藤:塁間が短いので瞬間に動きださないと難しそうだけど 川井:そうですよね瞬発性のスポーツかもしれないですよね うんうん それはそうかも知れない。僕らは弱小チームだったから球遊びでした 佐藤:打った瞬間に動き出して捕球しないどセーフ。球技と言えばバスケットボールの森田先生もいますけど 川井:何高校でしたっけ 森田:千種高校 川井:キャプテンですか 森田:キャプテンじゃなかった、裏方でもないな 川井:7番 森田:6番 川井:ガード 佐藤:高校までスポーツに明け暮れ、大学はどうされました 川井:大学は一浪して、東京理科大の夜学に入ったんですよ。親からは「国公立じゃないとだめだ」と。私学だったら夜学は安いから 佐藤:「俺んちは銭ねーんだぜー」と言われ 川井:銭が無い 佐藤:「私学! 何を寝ぼけたこと言ってるんだよ」と 川井:「夜学へ行きなさい」と言われて、理科大の夜学に行ったんですよ 佐藤:理科大でも色々学科があるでしょうが 川井:理科大の建築ですね 佐藤:どうして建築に入ろうと思ったんですか 川井:高校の受験勉強を始めたときに、オヤジから。僕けつこう絵が上手で。 佐藤:見せてよそのごろの絵を かいじょう ふふふふ 川井:いや それでオヤジが「建築がいいんじゃないの」ってぱっと言ってくれて。 僕が小学四年生ぐらいの時に家を建て替えて、大工さんと一緒にずーっと現場で走り回っていたから。だから物を作るのがすごく好きだった。それで凄くイメージがよくって。 佐藤:ソフトボール、球技に明け暮れてたけど、お父さんが息子の才能をちゃんと観ていたんだね 川井:そうそう 佐藤:オヤジさんに一声かけられちゃって ただ金が無いから夜学に行けと 川井:そう、「私学受けたいんだけど」と言っても「いや駄目だ」と「それは無理だ」と 佐藤:夜学に行っても昼は暇じゃないですか、日中は何をしてたんですか 川井:パン屋さんでバイトしてて 佐藤:そうか本業はパン屋さんで、夜に学びと 川井:そうなですよ パン屋さんけっこう厳しくって。神楽坂のパン屋さん 佐藤:今じゃ人気のスポットですよね神楽坂 川井:隈建築が一杯あるあたり。そこのパン屋でバイトしてて 佐藤:パン屋で生地こねてたんですか 川井:朝からパンの生地こねていたんですよ、朝6時から 佐藤:夜学してうるのに〜朝6時から作業って超早いね 川井:めちゃくちゃ早いですよ。 佐藤:それで何時までバイト、あ本業だったか、バイトって言ってはいけないな 川井:朝の6時から午後3時ぐらいまでやっていたんですよ。月15万とか、そのクラスで稼いでいて 森田:すごい! 川井:俺このままパン職人になるんじゃねーかなーって思って かいじょうふふふふふ ちょっと焦ったんですよね かいじょう がははははは 佐藤:なんで、焦らなくっていいじゃない 川井:夜学で建築やりたくって東京に行ったのに。凄い田舎者で、バイトのシフトも断れないんですよ〜。上の人にも〜めちゃくちゃ気に入られて。「おまえ本当に凄い」と 佐藤:おだてられ のせ上手だ〜 かいじょう ワイワイがやがやははは 川井:とにかくこの状況を脱したいと思ったんです ははははは それで夜勉強するのも嫌だったから。ラストチャンスだと思って。辞めようと。 佐藤:それは1年間ぐらいパン職人したあとですか、いつですか 川井:半年ぐらいで大学やめたんですよ。もう一回受験勉強しなおして、他の国公立受けなおそうと思ったんですよ。それで、夏までそのパン屋の修行が終わって。涙で送られて かいじょう ははははは 涙でおくられた はははは 凄い涙で送られちゃって。「お前が居なくなるって本当に寂しい」と「俺は心の支えが無くなった」みたいな凄い熱い職人のパン屋さん 佐藤:19歳の若者が居なくなるので 泣いたんだな 職人さん 川井:で辞めて、実家にもう一回帰って。受験の準備をし直して。センターを受けてというとこでしたね。 佐藤:パンはどんな種類をつくってたんですか 川井:色々なパン。リトルマーメードっていう系列のパン屋さんだったんで、冷蔵庫から出していって膨らんで来たらこねなおす。それをずーっとしましたね。パン職人になりそうなんで・・脱そうと思ったんです 佐藤:青春時代は球技で体力つけて、その体力で生地をこねて、足腰鍛えられている若者だっね、一番力が出るときだものね 川井:パワーもあったし。夜学もちょっと嫌だったというのもあったし。理科大のなんて言うんですかね。カリキュラムが数学とか物理とか構造とかばっかりで。 いわゆる設計系の先生、この大学にぜんぜん居ないなと思ったんですよ。自分のカリキュラムを見直したりして。 佐藤:それまで建築家の存在知らないんじゃないですか、大工さんの仕事は知っていたけど 川井:大工さんしか知らなかったんだけど。これは一寸違うなと。自分が思っている建築学科とイメージが違うなーと思った。 先輩の話も聞いたし、当時写真部に入っていたので、で建築の先輩も居て。「4年間どういうふうに過ごされてますか」って聞いたら、あまり実のある話が返って来なくって 佐藤:実のある話ね〜なにか目的もってたんだな かいじょうはははははは 川井:僕にとっては、昼間は新建築社でバイトしてるとか。山本 理顕のところでバイトしているとか。そういう先輩も多かったんですけども。でも、建築の事を知らないのに、いきなりそこでやるより、一寸じっくり色々な本を読んだりとか、勉強してみたいなーと思って。それで受けなおそうと思ったんですよ。 あと、東京もあんまり好きじゃなくって。 佐藤:それは 当時の気持ちを語ってないように感じます、後付ではないですか 川井:そうかも知れない 森田:うはははは 佐藤:もうちょっと違う 何かが 川井を動かしたんじゃないんですか〜 森田:辛かったことは忘れて、よかった思い出は残るんですよ 佐藤:なるほど 森田:はははは 川井:これだけは確実な話があって。予備校は東京だったんですよ〜凄く好きな子がいて。予備校時代で。 佐藤:もちろん男じゃないよね 川井:男じゃない 森田:ははははははは 川井:その娘は美術を専攻してて。京都の教育大に一浪して行ったんですよ。その娘を本当に 好き過ぎて! 佐藤:はははは 川井:ちょっと俺 京都、関西行きてーなと 佐藤:好きな娘のためならばー いいなー青春してる〜 かいじょうはははははは 川井:それは本当ですよ。絶対その娘と付き合いたいと思ってて。で、東京は嫌だって。関西系の大学に受けなおそうと思った。これは本心ですね 佐藤:それで 彦根に途中下車したと かいじょうはははははは 川井:そうなんですよ、それで京都に行き切らなかったということで。落ちなんですけど 会場がやがやははははは 佐藤:彦根に下車しちゃって 教員になる わかっちゃった気になてきたねー。可愛い娘を追って来て〜 途中下車したと そうなんだ 川井:そうなですよ。結局振られたんですけども。でも当時はそういう思いがあって。関西に、その娘は居て、何回も遊びに行っていて。関西の雰囲気は凄い好きで、ゆったりしてるなーと思って。東京のごちゃごちゃ感よりも、すこし この空気感で、勉強してみたいなーというのもあったんです 佐藤:本音で生きているっていうかステテコはいて道歩いてるような感じがあるよね 森田:そんな人いないですよ ふふふふ 川井:だから受ける前に、京都にも一回遊びに来てて。この感じで建築勉強をしたいなと、いうのはあったんですよ。直観的には。彦根は降りてなかったんですけども あと情報をちょっと集め始めたときに。京都から理科大に来てた男の子がいて「受けなおそうと思ってんだけど、どっかいいとこないか」と聞いたら「滋賀県大すごい〜いいよ」って言われて。「なんで いいの」って言ったら「新しくできた大学だけど、内井昭蔵っていう建築家が居て、凄い建築に熱い」みたいな話を聞かされたんですよ。 で、なんとなくそれが頭に残っていて。浪人中は気にもとめなかった滋賀県大っていうのが浮かび上がって来て。それ〜候補の一つにしたんですよね。もう一回 調べなおしたときに、滋賀県大っていうのがぱっと出てきて。 佐藤:内井さんの建築を雑誌で見てとかは 川井:ぜんぜん見てないですね、名前だけが先行してて。それとその男のこは実家が京都の設計事務所だったんですよ。色々詳しくって。内井先生にも会いに行って、非常に物腰柔らかい、偉ぶらない建築家の人だったと。建築家って偉ぶるやつが一杯なんだけど、その男は凄い生意気な感じなんだけど かいじょうははははは 「あ、そうなの」みたいな。内井さんというのは非常に物腰柔らかい巨匠だけど素晴らしい人格者だみたいなことを・・悠々と語っていたんですよ。 その02へ |
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