2021年4月15日16時から 川井操先生に聞く 建築食堂えで図 (ROOM・オンライン聞き取り) |
その2 その1 その3 |
佐藤:川井先生とはあまり関係ないけど、大学の独法化って20年ぐらい続いていたじゃなですか。知性主義者にとっては酷い改革でしたよ。要するに文科省が大学の予算を削るために、競争的なんやらという口実で、各大学の事務局に降りて来て、天下った事務方が教員達の自治を奪いとって、知性という職域を奪って研究者・教員同士競わせて、互いに先生同士が首を絞め合うので、当然先生たちを疲弊させ続ける。そういう教育の新自由主義化の悪弊の流れの末端に入ってしまったんでしょう。基礎研究はほったらかしにして競争させるのは論文の本数、それを競わせるなんてのが続いている、知性を質ではなく本数で見比べたりしちゃう。。教員同士が虐め合い首絞め合う、ヒラメ型教員化政策ですかね。
そこ大学を脱して、見切りをつけて外にでたのは、20年前の東浩紀さんでしたよ。大学制度も大手出版型にも見切りをつけて。言論の場を具体的空間につくり、自分で出版社をつくり販促し、言論空間を維持し、人を集め会員制で維持する手段に打ってでた。
その他のタイプは在るように思うが、里山に引き籠って、私塾を開いて隠遁生活のような暮らしをしつづ研究、建築を追求している人はいそうだけど。そういう人は情報発信しないので知りようがない。東さんのようにネット空間を自在につかって21世紀に即した人集めと議論の場づくり、教育と商売を上手く維持できる人は稀だろうが実例があるので、若い人もやり易いんではないかな。
普通の人間はあのようには出来ない。どういう形で次の社会がつくられているのか分りにくいんだよね、先輩、いわゆる老害といわれるような者が政治家も含め人々が大量に死んでいく社会に、もうじきなる、もうなっているのかな、若い方はそんなことでしばらくお待ちください・・・という間に新コロナで死んではいけないよ。次のあるべきデカくが顕れてくるのも近いでしょう。
移行期の今は、中身がないけど売れるコンテンツで稼いで、売れないけど濃い内容コンテンツと併存させて、経営も維持するしかないんだろうね。求めている人人が大衆的な欲望であれば併存は仕方がないよね。両方こなし続けないと。雑誌の世界も同じ、一本やりでは生き延びられない。週刊誌は今でも毎週200万部ぐらい売れるけど、研究書は300部だって売れやしない。常に起こることだからね。専門化と大衆化というのをどうバランスしていくかは悩まなければいけない課題の一つでしょう。
川井先生のやろうとしていることは、地味な東近江のその土地でしか通じない、維持できない手法でしょうけど。それを手探りでつくり出す、抽象化した言葉も手に入れるということでしょうから、流行りの新自由主義とはかけ離れている。移行に生まれる問題解消、その当たりが今後の課題になるだろうけど、地球の声、ボイス。オブ・アースだから風呂敷でかいですよ〜。
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川井:そうですね、地球の声って自分の体の声のことだと思うから。自分の体が悲鳴を上げているってことは、もっと大きく言ったら地球も悲鳴を上げていること、とたぶん一緒たと思う。
佐藤:それはちょっと違うような気がするんだけど。ゆっくり変わっていくんだと思う。でも川井仮説が出来たのでやってみて分ることだろうけどね。若い人達が地球の声は議論したり、やっているんでしょう。爺さんじゃないよね
川井:塚本先生が主体的かな
佐藤:若くはないね、振舞い学とか言い出していたんじゃなかったっけ。
川井:千葉の方の田舎の方に行っていろいろやっている見たいです、詳しくはないんですけど
佐藤:直に聞いた事あるかも忘れた。障害者施設だったかな福祉施設のようなところの建築あったかも。そこで商品も造っているような記憶があるけど。たぶん金沢の古建築、町家改修の当たりから言い出したじゃないかなー。それまでは東京のメイドイン東京、隙間建築、ペットアーキテクチャーだったような気がする。古い建築に目が向いたのは、21世紀美術館の学芸員だった鷲田メルロさんの導きだったんじゃないかな。金沢工業大学と金沢美術工芸大学と福井大学、石川高専なども参加して金沢の町家w改修した。今は筑波大の奥さんのお弟子さん(野田直希)たちが金沢に住みついちゃっているよ。塚本さんと金沢の古建築プロ武藤さんだけど、あの人たちが改修した町家に二度、滞在して聞き取りしたよ。一泊2000円で風呂は無いんだけど。町家一軒借りて滞在できるんだよ。布団はある。トイレも台所もある。部屋は1,2階に二つずつ和室がある。
鷲田メルロさんは十和田の美術館に移ったと思う。鷲田夫妻が中心になって寺町を起点にして町おこし始めたんだよね。その時に俺は訪ねて聞き取りした。塚本さんは鷲田さんの導きで古建築の良さをしてしまった、再発見、あるいは興味が向かったというのかな、そういう印象をもってます。
改修記録集もできていて、それを貝島さんの弟子の野田直希さんからいただきました。塚本さんはもともとリサーチして建築を再発見していく活動家でもあったから「地球の声」もその線上にあるような感じがしたけど。今後活動し川井先生に確かめていただきましょう。
川井さんの次は石川初さん(17年前の記録)をオンラインで聞き取り予定だけど、石川さんはデジタル技術を使いまくって地球の表面を私物化する、広大な行為をやっている人なのです。俺は勝手に「地球の庭化計画」という概念だと思ってるんだ。地表の自分が地上を自分の皮膚のように私物化する、デジタル術で変容させ手に入れるていうのかな。デジタル技術と人の脳がハイブリットし、よそよそしい街を親密なものに置き換えていこうとしている。デジタル技術を使わないと深度が増さないということと、手を使って学生に固有の地図を描かせたり、神山町にでかけていって町づくりをおこなったり、老人の優れた生きる術を観察したり、ファボGといいう概念を造ったり。それはお爺さんたちが里山でいろいろ網だして巧みに生きている姿を記録ブック作ったことで生まれた概念だった。老人たちの暮らし方を見直してしまった、単に観察記録を続けていて面白い人なのです。「地球の声」と対極ベクトル逆向きかもしれないけど、かなり共振するように思います。
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金沢アート・プラットフォーム2008
「いきいきまちやプロジェック」資料より
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佐藤:川井先生が関わっている畑・田圃里山の人々、里山主義者だと思います。そこで分らないのは人口問題に対応できるのかっていうことだよね、自然とともにある暮らしが出来たのは、人口は3000万人ぐらいだし、現在地球人口は77億弱くらしている。今後も増える。大勢の人が暮らしていくため、これから20年ほどは日本の敗戦後頑張るマンの人々が亡くなるまでの体験を活かしつつ柔軟に対応しなければ。それも課題になると思います。
今までの課題は地球人が同じ豊かさを平等に得る、不可能なことを追求していた。地域それぞれ別々の豊かさをもって互いにバランスよく暮すし共生していて、地上全体もバランスが保たれれ続けるようなイメージで繋がっていけるのか。近代の都市化の中で生きるのを豊かさを拡散するのではなく、互いの暮らしを尊重し合い生きる、徐々にゆったりと移行しつつ変わっていくのかなーと、川井先生の話を聞いていて思いました。21世紀の建築的事態は大きな湖と里山を抱え大都市京都と名古屋の間に在る滋賀県大から始まる、そのようなイメージかな。
川井:自分が関わって始まるマッスなというか、全体を統括するようなことではないし、全体を巻き込むような事ではないし。ただ苦しんでいる人とか、助けて欲しいと思っている人をちょっと救うぐらいの事になればいいかなーと思っているんですけども。
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佐藤:GAFAが造った仕組みというのは地球上の全員が恩恵にあずかっているわけではないけど、情報の共有の仕方を示しつつ彼らは維持費を広告費で賄っている。巨大企業になったんだけど。基本にあるのはスマフォ一個持って地球上の人がだれでも簡単にアクセスし繋がり合う、動画やメッセージを発信し、スマフォを介して理解し合おうという事だったから。基本はそこにあったと思う。今世紀初めのネットロマン時代はそうだったんだよ。
ネットに政治家や大資本、企業、グローバルな会社も多様に乱入、さらにクレーマーも正義中毒者も、マスコミも乱入して来て、今は、ぐちゃぐちゃに成っっている。そういう経過はあるんだけど。ネットロマン時代は、個人個人がTに関わって受容して、それぞれの豊かさをつくるかという事だった。ネットも今は環境負荷が高くなっているんだろうけど。PCが浸透して20〜26年しか経っていない、爆発的にスマフォが増えたのは2010前後じゃなかったですか、今はライン大流行りですけど、今後のIT状況も若い人が作り替えていけばいい。私は20年来のPC・HTML発信のままでいきます。
川井さんの場合は色々な現状に襲われてしまい、直接、身体、特に脳に来てしまって、体が硬直してしまい里山主義者へと転移し展開していくということだから、体が素直な感受性を持っていたからいいよね。自分の能で分かり易い拒否反応が出たからいいんだよね。体固まらずに心だけ病んでいる人もいるからね。一人で引き籠ったり、社会とコミットできなくって、喰えなくなる。
建築では居住支援法というのが出来き、各地に居住支援法人ができていて、生活支援を政治がどこまでやるのか、建築界が福祉の支援もやるのか・・・分らないけど、去年からは法務省、国交省、厚労省が連携しだしたので支援も広くなるように思います。
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佐藤:現在の川井さんは体の中と、洋服の延長である建物を人工物ではなく自然の素材とでもいえばいいのか、それらの素材を厳選して建築を試行錯誤してみようということだと。 日本で言えば戦前の地域社会の人々の暮らしぶりに戻る・・・そんな感じかな。80年前に戻る。そこから今までの経験を反省しIT化と重ね合わせつつ活かした行為がスタートしてるのかな。
川井:僕の田舎は凄く島根の安来市はめちゃくちゃ田舎で、母親は里山なんでよ
佐藤:味噌醤油もつくっていたの
川井:うん、写真、ちっちゃい頃の里山に僕が行っていた。その頃の写真を送ってきてくれたら、僕の記憶には無いんだけど。田圃の手伝いとか田植えの時、稲刈りのときの手伝いしていた写真が送られてきて。その時凄く、そういうものとかなり近いところに居て、覚えてないんだけど、原風景というか自分の体が確実に行きたがっていたんだなーと実感しました。繋がっているなーと、自分の体験して来た記憶は確実に今の撲と繋がっているなーというのは、あるので。僕はぎりぎりそういう世代なのかなーと思って。相当田舎なんで里山が1980年代初めまで残っていた。
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佐藤:俺の田舎暮らし自慢は負けないよ。ふふふ。東電・放射能沈着で150年ほど続いた、小学校・閉校になったけど
川井:こないだ、1年前美山の茅葺職人さんと美山に泊まって、いろんな話を聞いてもらって。自分がそういう状態で「悪い」と話をしたら「ちゃんと墓参りしてるかって」祖先の事をちゃんと向き合っていないと。スピリチュアルな言葉を言われたんだけど。僕も行っていなかったので、しばらくアジアを回っていたから。「夏、お盆とかも帰ってないなー」と思って。
去年は久しぶりに里山のところに行きました。もう誰も住んでいなくって、茅葺なんかも完全に土に返って、墓だけは残っている。その状況もかなりインパクトが強かったです。その話も、4月1日ボイズ・オブ・アースでも発表したんです。
自分がつながっているものって、今出会っている人たちもそうだし、祖先とつながっている感覚、そのときめちゃめちゃ感じて。そういうふうに思うと今の自分が付き合っている人も、過去にどこかでつながっていた、そんなこともあるし、どこかで交差してご縁があるんだなー・・・・みたいな。だから、そこの時間軸を広げていったらかなりおっきい数の人と出会ってきているはずだ。その辺がおもしろいなーと。そのつながりがおもしろいなーと思って。そんなことも考えたり、自分の中で勝手に感じているのか分らないんですけども。そういう深いところまで自分を見つめ直す時間になりました。
佐藤;今の話を聞いて想うのは明治維新に廃仏毀釈をすすめ国家神道と教派神道に分けて、日本は天皇中心(主権)の臣民の国にした。そこで帝国をつくるときに犠牲になった臣民を靖国神社に祀るかたちが出来た。あのとき仏教関係者は骨抜きにされ葬式仏教化がすすんだよね。それ以前は政治と宗教は一体だったからね、人々はこころの寄り何処をなくしてしまった。天皇制なんていうのは士族支配者たちによる捏造した宗教みたいなもだったからね。
歴史上も現在も宗教と人々の暮らしっていうのは分解できないけど、それを無理やり分けたからね。国家神道と葬式仏教だけにして新宗教を弾圧した。仏教も弱体化し国民も心の病に堕ちる。日本人を支える精神的な裏付けがないのが今だから拝金や勝者主義、新自由主義者にならざるを得ないでしょうね。
空海とか重源や行基もそうだけど、中世の仏門・建築家たちは政治と宗教と民衆救済が一体化した活動だったので、災害や政治の混乱で起きる乱世も経世済民という民を救い出すために炭衣で活動してし、骨を背負って本山に祀る聖たちだからね。今は、政府も宗教家も人々を救わない。新コロナの場合も感染者の数を毎日、数えあげニュースで取り上げる。感染すると犯罪者にでもなったような変な様になる。お互いが虐め合う。コロナとともに派生する精神の病を救う手立ては施さない。普通に暮らしている素朴な人ためには宗教の出番の時期だとは思うけど。
政治家はコロナと闘い勝ち誇るという、狂った発言をしちゃうんだからね。国民は病みますよ。疲れているんだから。福島では日々放射能廃棄物はどどまるところなく増え続けているし、皆でお祭りやっている状況にはないが、コロナと闘った振りする。政治的なものと宗教的なものと暮らし方、営みといのが一体なんだけど、、明治初期に植民地化されないように士族たちが頑張ってつくった国が敗戦もはさみ、ここまで至ったと。まだ何か成長しようとか豊かになろうとか、何もないのに。別な幸福があると思い込んで闘いを煽るのは、それ自体も滑稽だし喜劇でしかないけど面白いよ。昨日も政府と電通君たちがつくったた汚染水キャラ発表になったよ。
中世的な世界に戻る、今も空海さんは毎日2食たべて生き続けているので、ああいう時代の人と交流したりしつつ、政治と宗教と地域の営みの豊かさづくりには参考になるかもしれないね。
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絵:4枚川井さんん提供
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川井;めちゃくちゃ興味がありますね。こないだ藤森さん建築訪ねて諏訪の方に行ってきたんです。藤森さんが造っている建物って彼の実家近辺で、お墓とか近くに在って、親族や関係者だらけ。それのルーツは諏訪大社があって、武田とすごく密接につながっていて、藤森さんがああやって飛躍したり、活躍している背景に彼の支えられているバックボーンみたいなのが好い状態だなーという、空気感を藤森さんの周辺に見ていて感じましたね。
佐藤:近代の建築の価値観でみると、藤森建築は何をやっているのか分らないという、建築哲学的なもの技術史てきなものは社会と噛み合わないところが面白いよね。藤森さんは自分の欠点を分って補いつくす建築を造っているのかもしれないし、その当たりは聞いたことが無いので分からないです。
東京大学の建築の作り方とはだいぶ違うよね。東北大学で歴史を芯に活動していたということも影響しているのかもしれない。タンポポハウスとか見ると東大に入学して偉い先生に虐められすぎたのかもしれない。その反動でタンポポなど咲かせたと想像すると愉快だ。その辺のところも分らないdす。若い時分からずーっと、最初からああいう建築を造っていたわけではないから、歪んだ何かが表出してきたようにも思ったりする。タンポポハウスとかニラハウスとかね。
最近は子供や女性というかおばさんたちにも人気出て来ているようなことも聞いたりするけど、ジブリアニメの仲間に合っているのかもしれないね。藤森さん建築がポピュラーになっている。それは何かあるんでしょうね
川井:ポピュリズムに行っちゃった感じもある
佐藤:大衆は川井さんが感じたような事を意識の奥で思っていて、あのような建築とか、アニメを制作提示されると・・・過剰に反応するのかな。屋根に草が生えていたり、秋野不矩美術館のように素足で歩いて座って絵画を観る、親密な美術館みたいだし。ああいう建築に反応する人も、そのゆったりした感じが好きなんじゃないかなー、という気はする、過敏で繊細な自然系愛好家に好かれるんだろうかね。
川井:藤森さんも、その一つの功績があるし、本当にこれから体で触れて気持ちいいとか、心地いいみたいなことか、もう一回建築でちゃんとシンプルに伝える
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絵:2枚WEBより
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佐藤:さっきでた田舎自慢に関係するんだけど。俺は1951年生まれで、小学校は10人しか居ない分校に入学した者だったのね。田圃も畑も山も、萱場も全部、我が家の土地で育った建材、茅材も山にあった。
小さい頃は茅刈、茅葺屋根の葺き替えを手伝って体験している。母は母乳がでなかったので山羊の乳で俺を育てたと聞かされた。山羊には足向けられない俺ですよ。日々の食い物は味噌醤油(たまり)自家製、麹は頼んでたけど、小麦も大麦も大豆もみな自家製、勿論米も自家製。養蚕農家だったから、晴れ着は自家製絹糸で機織り造った。福島は養蚕農家が多いので、似たような暮らししていたと思う。養蚕のために室温を保つために冬は炭を焼く。炭釜作りも手伝った。そうて生産された絹糸は座撚りで高級な絹糸でね、たくさん生産ししていて、俺が生まれる前、明治の中頃かな最盛期は日銀福島支店も川俣支所も在ったほど金が回っている地方だった。
子供の頃には、今の川井さんが理想としている全てがあって、その中で生きてきたんだ。けど、小学校5年生ぐらいだから1961年頃かな、田圃に除草剤を撒いた、桃畑やリンゴ、畑野菜に農薬を散布してね。農薬撒くと田だとドジョウだろうがタニシだろうがヤモリだろうが、鮒も鯉も、生き物が腹を出して裏返って死んで、浮くんだよね。それは地球の終わりって絵柄だったね。でも腰が痛くて重労働の手作業から開放されて除草が楽だからね。田の草取り除き作業したことないんじゃない。
生糸は人絹といって化学繊維で織った布に代わり、それが出回って、中国絹糸が入って来て、養蚕農家は潰れ、田畑は農薬や化学肥料が入り自家製で食べる農業から売る農業に変わったね。農業で収入が得られない分は、出稼ぎや日雇い土方に行くわけよ。で福島の原発も造ったはず。俺は東京に出てしまったから原発が10機出来るのをみていない。そうして農業では喰えないから、子供の教育費も稼ぎ出せないので、農民が土方に変わり、都会の万博会場も団地も町中の建物も造ったんだよね。
俺は農業に見切りをつけて、トランジスター系か建築の道か・・・迷・・・ったんだけど建築に進もうと決めて。そこからは中学生の3年の頃だな、休日は建築現場を知るために土方としてアルバイトに潜り込んだ。現場に通っては日当500円もらって色々買った。当時、黒いダイヤル式の電話が普及しだして、福島市の電話局がパンク寸前だったから、電電公社花園町にデカイ交換棟のコンクリート打ちをしてた。建築現場には高校3年まで暇さえあれば通っていたんだ。稼いだ日当で、黒川紀章の『行動建築論』も買った。読んで、建築はこういう世界があると知ってしまった。で、設計の道に絶対入る気満々の高校生だったのよ。黒川紀章だのコルビュジェと語ると先生たちには「ばか」って笑われ、馬鹿にされまくったけど。
川井さんの言うような農業暮らしに未来は来ないなーと思った、そんな高校生だった。かといって人夫・土方を管理する現場監督になるのはいやだから、建築士の道に入る。人絹になり肌が荒れたり、田畑が荒廃していくのを見ていたんだ。食い物も自家製で自然素材はいいのは分っている。それを潰して来た時間が俺の中には埋め込まれている。多くの人がある種の戦後の豊かさを身に付けた、その暮らしぶりも見てきたので、もろ手を挙げては川井さんの移行には同意できないんだよね。
川井:目の当たりにしてきたんですね
佐藤:自然素材主義 無農薬万歳、仮設住宅を木造で造るのが最もいいとか、放射能ははいっちゃたよ杉にも。さらに日本の山は斜面だから道も無いし馬や牛もいないし、今復興する山の林業きついよ。植林直後の下草刈りも初夏の難行の一つだし。俺は、住宅は木造が体にいいという場には行かず、中学生でコンクリート打ちしたのでコンクリート住宅を自分で設計し35年以上住んでいる。自然主義、天然素材万歳には素直に同意できない。乗れない。天然素材主義や無農薬野菜万歳にはいかない、それで生きられる人がどれだけいるか。地球上には生活する家も無い人もいるだろうし、食い物も無い餓死して死んでい死んでいる人も居る。だからなぜ自然素材などに関する営みを捨てて来たのか・・・というその視点が織り込まれていての発言と反省も関係していない語りには、共感しにくいんだよね。
人人が自然素材を捨てて来た歴史も川井先生には解明して、咀嚼して、いつか胸を張って指導してもらいたい・・・と、強く希望しますね。その点も議論しておいてもらわないと。
川井:なるほど
佐藤:福島市内にも古民家を改修して、昔のような暮らしをしている有識者はいるんだけど。自家車家族の台数買って、部屋は冷暖房で電気ガンガン使っている高額の電気料金はらって暮らしているわけで。俺未だクーラー無で暮らしている。だから彼らの暮らしはどうも共感できにくい。俺、自家用車を捨てて15年は経ったから地球に優しい人だけどね。車屋・トヨタ離れ、自家用車離れ、そこも詰めておいてもらいたい。
そうしないと川井先生の金持ち道楽でやっているだと見られ、真剣に受け止めてもらえない。地球の声というのに皆が共振するには、現段階では一方的で無防備過ぎるんじゃないかなー。目の前にある原発廃炉どうすんだよ〜議論しろ〜。しないままだと、ヒッピー運動みたいに一過性で消えていくんじゃないのかなー。
答えは今すぐどうこうする必要がないし、もし自然主義を多くの人が選ぶとすれば、徐々に徐々に多くなって社会全体が変わっていくだろう。白黒はっきり言いすぎる、過信している人はさほど信用できない。たぶんここまで来ると敗戦後の社会の作り方、暮らし方は間違っているとは気付いている。SNSの投稿のように、人に攻撃てきに成らない方がよいように思う。
10年前に福島の大地には放射能沈着しちゃって。自然農法も自然素材も数百年はその言葉は使い難いじゃないかな。今までとは違ったセシウムもある環境大地が生まれてしまった。日本列島各地に原発がばらばらと配置されている。高浜も古いし、琵琶湖周辺にも放射能沈着する可能性はあるよ。
福島は何度もダメだしされて来て続いている大地だからね、素直には賛成できないんだよね。すまんが・・・。
放射能廃炉問題は万年単位の問題だからね。現在進行形で抱え続けて暮らしていくしかない。近代が持ってきた最終板は射能にまみれた大地。これから私たちが手に入れなければならないだろう理想の大地や課題を巧みに組み合わせて語らないと。自然好きな奴が、金持ち健康主義者が楽しんでいるなーで、共感が広まらずに終わってしまう。悲劇を体験しても、このままで良いと思っている人がいるから与党政治、私物化した政府状態は続いている。私物化して嘘つき集団だと分っているけど、変えられない人が多数派だ。そちらの事も気配り目配りして語らないと。政治的なことと宗教的な事と心の癒しと食べものの自然回帰と。それら全体を生活環境と呼べば省略できるね、どうやって生活環境の危機と認知して改善し継承していくのかって課題が目と鼻の先に福島には大きくあるので。
宗教絵画には悪い事やると地獄絵で示せたじゃない。分っていることをフィクションアートとして可視化人々の行動の暴走をもコントロールしていたんだろうね。ジブリアニメの風の谷のナウシカなども放射能で汚染された大地から生まれた怪物との調和がテーマだったけど、アニメは少女に任せて解決できるけど。
それらを「建築」でどうやって実現するのか、解答例が例えば藤森さん建築なのか。これからの川井さん建築かもしれない。藤森さんが行ってきた弱点を補いつつ継承しないと川井建築は広まらないかもね。特殊解としての建築の一例で、終わってしまう。
4月1日に川井さんはカミングアウトして、自分で手がかりを掴んだ。掴みつつあるから、あとは叩かれて試行錯誤し提示していけばいいんじゃないかな。いい位置にいるんじゃないですか。お爺さんになって気付くよりは。
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佐藤の父母が暮らしていた里山土地は東電放射能が沈着したことで子供が消え小学校が閉校になった。そのことは地域がやがて消滅することを意味している
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その3へ続く |
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