2021年4月12日17時40〜18時40分  辻琢磨さん ROOM 記録
もくじ

その1
その2
その3
その1
オンライン 建築食堂「えで図」開店

佐藤
:おげんきでしたか、聞こえますか
:はい
佐藤:確定申告でお忙しいところすみません。
:いえいえ。
佐藤:2018年4月6日新宿でSDL2018の審査員でしたから、その感想を聞き取っています。あの聞き取りで落ちてしまったものも多いので、いろいろお聞かせください。辻さんが暮らしている所は浜松ですかね
:そうです

佐藤:浜松に行かないと、どうにもならないけど。
:前にも言ってましたね!
佐藤:そうなの。おれはオンラインで聞き取りしたくないんだね。たぶん新コロナは収まるまで10年ぐらい掛ると思っているので、2,3年で落ち着くわけがないよ。それ待っていると、俺、死んじゃうかもなのでさ。

:ははははは、もうちょっと生きたほうがいい。

佐藤:そんなに生きられないよ、平均寿命で死んじゃう。しょうがないのよ高齢者だからね。「新コロナ高齢者がうつると死ぬ可能性高い」と言うから、用心してね。予防接種は6月中に2回終わるそうなので。今日も国会で審議していたけど、当てにならからね。いつまでも待ってるのも俺らしくない。で、今年2021年のお正月からオンラインで聞き取り始めました。そういう事で今日はお付き合いよろしくお願いします。

辻さんに聞き逃したことは、生まれてから横浜国立大学に入学まで、横浜に行くまでの内容が飛んでいてて、前回の新宿では聞いていない。横浜国立大学での卒業設計の困難なところは聞いているんだけど。そこで今日は、時間の許す限り、1時間弱でいいです。

生まれた所はどこですか?など「生い立ち編」をお願いします。ぶじに大学卒業されてからのいろいろは、次回、またの機会を設けて、ご結婚などいろいろ続きの後半編を聞くことにしたいと思います。

:たくさんやりますね ふふふふふ。

佐藤:俺、記者商売じゃないので、たくさんの人を追っかけているわけじゃない。縁のあった人だけ聞いているので。縁が出来たらコツコツ同じ人の話をたくさん聞き記録したいのです。若い人を追っかけていると、次世代(未来のような)ものが見えるからね。現・爺さん、成りあがった人の話聞いていもね、過去ばかりで面白くないので。手探りして生きている若い人の方が将来を見ているのでね。20年ぐら聞き取りしているので、彼らは大学の先生になっちゃってる人多いね。俺の予想を越えて、普通の人になっていく。昔も今も「末は博士か大臣か」その道しかないのかなーと、それは呆れているんですけど。

:ははははは







辻さんの生まれた土地と家族

佐藤:みんな給料を稼いで仕合せになることは、生きるために大切なことだからね。私が想像していたような人間になっていただかなくっても構わないので。前置き長くなりましたが、辻さんはどこで生まれたんですか

:浜松です。
佐藤:地物なのね。
:そうですね。
佐藤:お母さんお父さんは何をしていたんですか?言いたくなかったら言わなくっていいですよ。

辻:いやいや。うちの両親は普通の、サラリーマン。全然、建築と関係ない。なんて言ったらいのかなー。一応結果的には建築業界ぽいところに居たということが、大学終わるぐらいに分ったんです。何て言ったらいいですかねー、自動制御っていう設備設計の下請けみたいな、業者ですね。その会社の浜松支店にずーっと勤めていたんです。オヤジが何を仕事にしていたのかはよく分っていなくって。ただのサラリーマンだと思っていたんです。
佐藤:父ちゃん何やって生きて来たのか聞いておけよ。
:ふふふふ。全然聞いていいなかったですよ。
佐藤:親子ってそんなもんだよね。
:母親は今は医療事務をやっているんです。
佐藤:そりゃー、新コロナ下で大変だね。
:でも、それもここ20年ぐらいの話です。小さい時は主婦だったんです。化粧品を売ったりとかしたいとか、メーカーの販売を委託されるみたいな感じで。自分でやっていたわけじゃないです。

佐藤:今年は、辻さんよりお母さんの方が今は生活環境は酷そうだね、病院に勤めているんでしょう。
:でも事務方なんで。看護師とかそういう仕事ではなくって、病院内の窓口の中に居る人。
佐藤:病院の受付、窓口はやっていなんだね。
:受付はやっていないです。
佐藤:でも、病院出入り人数はすごい多いからなー。
:まあそうですね、感染リスクは僕らよりはあるかもしれないですね。そういう話全然しないですね。はははは またく知らないですね。







 
辻 琢磨 プロフィール hpより
1986年静岡県生まれ。2008年横浜国立大学建設学科建築学コース卒業。2010年横浜国立大学大学院建築都市スクールY¬GSA修了。2010年 Urban Nouveau*勤務。2011年メディアプロジェクト・アンテナ企画運営。2011年403architecture [dajiba]設立。2017年辻琢磨建築企画事務所設立。
現在、名古屋造形大学特任講師、滋賀県立大学、東北大学非常勤講師、渡辺隆建築設計事務所非常勤職員。2014年「富塚の天井」にて第30回吉岡賞受賞※。2016年ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館にて審査員特別表彰※。









■ じいちゃん

佐藤
:聞きとりやっていると「俺の母親のこと聞いてくれない」って頼まれたことあるよ。聞いちゃって長い文字記録つくったことあるんですよ。親子、兄弟でもちゃんと話合うの難しいんだよね。

:そういう意味では祖母、祖父とは、じいちゃんは農協にずーっと居て。でビニールハウスとか、そういうのを造っていたっていうのは聞いたことあって。
佐藤:農業用資材を売って歩き、組み立てると。

:いや造っていたって聞いてます。ずーっと農協に勤めていて。
佐藤:農業用温室って建築だもんな、浜松だったらウナギの養殖場に屋根つけるとか、ないのかな。

:ありますよ。じいちゃん、何のビニールハウス造っていたのかは分らないんです。それで百姓みたいな畑とかも持っていたし。大工仕事も爺ちゃんやっていて、今ぼくは爺ちゃん婆ちゃんの家に住んでいて。オンラインしているこの場所なんですけど。この場所はじいちゃんがちょっとずつ手を入れたりしてましたね。

佐藤:じいちゃんリフォームを自分でやっていたんだ。石榑さんて知っているかな。
:あ、榑さん知ってますよ
佐藤:石榑さんは爺ちゃんがヒーローだったらしくって。爺ちゃん家を直していたらしいよ。
:ヒーローっていう感じではないですけどね、じいちゃんの方が大工感があったなー。










佐藤
:そういう環境で。ということは鍵っ子っていうことですか。

:いや、あんまり覚えてないんだけど。母親はまだ家に居て、おっきくなり始めたら働きに出たような感じだったんで。どちらかと言うと、じじばばに見てもらっていたみたいなところがって。二世帯で住んでいたんです。小学校6年生までこの家に二世帯で住んでいて。中学校から、両親が家を別に建てて引っ越したんですけど。
佐藤:今は両親の家は別に在るわけね。

:ここはぼくの家族が住んでいて、妻と息子が住んでいて。爺ちゃん婆ちゃんは施設に爺ちゃんが入って。婆ちゃんは亡くなって。空いていたんで、入って。両親の家は別にあって。その家は中学校3年間と高校3年間暮らしていましたね。

■ 一姫二太郎

佐藤
:新宿で聞き取りしたり、川勝さんとイベントしていた後、辻さんは結婚されたんでしたよね。前回聞いたときは結婚していなかった。

:そうですね。
佐藤:新宿聞き取りのときは、フットサルで足・怪我したとかで、松葉杖を使ってたよ。結婚の話まで今日は行かないと思いますので、とりあえず幼少期の話をしを。

:幼少期の話って全然したことないから覚えてないなー。
佐藤:思い出した分だけでいいので、写真とか無いんですか。

:写真とか残ってない、探せばあるだろう。
佐藤:長男じゃないの。
:長男ですけど、姉と妹なんで。二人目です。

佐藤:一姫二太郎の理想で、真ん中の子だと。真ん中の子は賢く育つよ。長男コンプレックス長女コンプレックスなくて育つからのびのび。親の期待掛け過ぎられない、ちょうど2番目はいいわけよ。長男・長女で固まっている人見るけど子供2人目だと両親が子育て慣れてきてるからちょうどいいわけよ。

:そういう進路とかはまったくアドバイスとか、こうした方がいいとか無かったです。
佐藤:それはいいことじゃないですか、信用しているんだよ、一々言われ続けてもね。自分で決めればいい。
:それは凄いよかったなーと思います。





2018年4月6日新宿駅南口で






佐藤:いがいに親になって子供に干渉しないって難しいもんだよ。親になって分ったろうけど、指図したくなっちゃう。こうせいああせいと言う。それはやっちゃいけない事だと思うけど。親馬鹿だから子離れできない、自分の心配を子供にぶつけてるの気付かないよね。
:そうですね。
佐藤:で子供に「ああせいこうせい」と言だすと逆効果になる。あるいは子供が賢くて親の期待に応えすぎてサービス精神発揮しすぎちゃって疲れ切っているの知らずに大人になる。で50過ぎから爆発する人をみるよ。
:ははははは。
佐藤:笑っている場合じゃない。今年は新コロナ来てるからドメスティック暴力も多そうだし、本当にいるよ。親離れ子離れの時期って難しくって、お互いの人生を左右してしまうよね。辻さんもお父さんになったから、子離れ難しいよ。ふふふふ

:できるだけ放したいですけどね。

佐藤:小さいとき手間暇惜しまず充分に可愛がってね。可能性を自分で見つけるチャンスはつくってやらないとね、親は。そういう場を与えてやらないとね。おまえが喰えなくなったら飯は食わしてやると「いつでも帰ってこい」と言えるかどうかだよね。脱線しましたね。幼稚園には行ったですか









サッカー少年

::幼稚園、いきました。 
佐藤:本ばかり読んでいたとか、女の子とばかり遊んでいたとか、走り回っていたとか、琢磨少年には特徴ありますか、土いじりかな。

:どうだろうな、本はまったく読んでいないですね。

佐藤:あれ、今、読んでいるじゃないの。
:家に無かったし、本当に今もたいして読んでないんです。大学で設計始めてからちょっとずつ読むようになって。それまでは全然、本が一番遠かったかもなー。
佐藤:体育会系なんだね。

辻:そうですね、芝生の広場みたいなところでサッカーしていた。
佐藤:建築家するなら体力あった方がいいよね、発注者に理論を語っても人は動かないからね。現場で論じても動かないよ。
辻:そうですね。

佐藤:建て主さんだって馬力ある方が好かれるよね。建築現場でも理屈っぽい人が好かれるとは思えないな。小学校は同級生は一っぱいいたんですか、学校近いですか。















■ 1986年生まれ 山の民

:この家の近くですね。赤佐小学校という、40人4クラスだった気がします。
佐藤:浜松市からちょっと外れる所なのかな。

:そうです、そうです。北の方なんです、天竜って分りますか。ほぼ天竜ですね。
佐藤:スズキ自動車の社長が無理やり合併させたと聞いた事あるな。どでかい浜松市になっちゃった。その前は天竜市だったんですか。

浜北市ですね、、浜松と天竜の間のベットタウンみたいなところです。
佐藤:合併したあと山にある家では救急車到着するまで1時間も掛ってしまうほどでかくなったと聞いたことあるよ。広域合併は市民への行政サービスでは問題が多いと。

:そうですね。そういう意味ではうちの両親は天竜市出身なんで。川が分かれて山が上にのぼっていくんですけど、そのこちら側とこちら側みたいな、だから山の人間の血を引いてますね、明らかに。

佐藤:浜松だから、海の民だと思っていたけど、そうじゃなかったんだ。山の民の血が流れていると。木こりとかそっち系ですか茶碗の木地師とか。
:きこりさん身近に感じる環境には居なかったんですけど。夏は川遊びするの普通でしたね。海は遠かったなー。

佐藤:引きももりはしなかったんだ。
:そういう意味では普通に育ってます。 
佐藤:きわめて健全に育ってた。

:きわめて健全にすくすく育ってます。



 赤佐小学校校歌


佐藤
:生まれたのは何年でしたか。
:生まれたのは1986年ですね。
佐藤:この春から法政大学の先生になた山道さんと一緒だね。

:ぼくは早うまれの1月なんで、学年は一つ上なんです。生まれ年は一緒ですね。

佐藤:86世代の山道さん周りの人たちと付き合っていて思うんだけど、人との付き合い方が上手だよね。
:山道はおれなんかより全然うまいですね。
佐藤:押し付けないし、逃げ方も上手だし。俺の上の世代のように俺についてこいというのもないし。
:違いますね。

佐藤:人間の関係のつくりかたが上手だなーと思うね。それでも自分たちの合う人を上手に選んでチームをつくって仕事を進める。
:そういう感じはしますね。
そろばん好き

佐藤:体育会系で人間関係とかは学校でもつくり、引き籠りでもないから普通に育っているから、特殊な能力を発揮してどうとかいう特殊な感受性じゃなくって、一般的な感受性だよね。
:だと思っていいますね。習い事とかもやっていたんですけど、本当に普通です。習字とそろばん。
佐藤:読み書きそろばんを習っていたと。ふふふふ、習字は絵だから面白いんだよ。

:習字は、撲一番嫌いだったんでやめちゃいましたね。

佐藤:自在に書くとおこられちゃうのかな。

:そろばんの方が続きました。
佐藤:空海が竹を割って先を叩いて筆つくって、生まれたての文字に戻すような書を見たり聞いたりしたことないですか。空海の書には漢字の中に鳥や川面が描かれている、それをどんどんすすめたら平仮名がうまれた。もどし漢字というか、崩し字というのかな。象形文字だから、文字の中に鳥がとんでいてもいいわけじゃない、川が流れていてもいい。漢字にするときに煩雑だったのだろうど、抽象度あげてこの絵を庭と読もうと、庭はこういう形じゃ、気にくわないという人もいたりして。習字をもっと深く習えば面白かったかも知れないね。

:そういう文科系の絵とか字とか音楽とか本とかそういうものが周りに何も無かったんですよね。それはコンプレックスでもあるんですけど。

佐藤:今は難しいこと書いているから、その時に生まれたコンプレックスがエネルギーになっているのかな。
:そうじゃないですかね。

佐藤:そう思うのなら、じゃんじゃん書けばいいように思う。心身が要求しているのなら逆らわず書くと。




空海の書 石川九楊さんの場合(絵WEBより)


1日亡くなった篠田桃紅さんの書画
絵WEBより


:そうですね。だから、打ち込んだということがあるとすれば、サッカー部だったんで、サッカーと受験勉強です。
佐藤:サッカーはポジションはどこですか。
:高校のときは真ん中にいましたね、ブランチ。
佐藤:守りも攻撃も両方するのかな。

:サッカー、経験的にはずーっと小学校からやっているわけではなくって。中学校のときに一回テニスを挟んでいるんです。それはね中学校のサッカー部の練習がキツ過ぎて、耐えられなかった。
 でも高校の時に「何でもう一回やろうと思ったか」と言うと、友達が凄くいいやつらだったんで「そいつらと一緒にやりたい」と思ってやったんです。その友達は皆、小学校からずーっと。高校のサッカー部はそういう場所なんで、皆、本当に超うまい奴らが一杯いて。

佐藤:浜松市あたり、ここのプロチームは磐田でしたか。
:ジュビロ磐田ありますよ。それこそジュビロのジュニアユースのやつとかも来たりとかしていました。
佐藤:プロチームも傍にあって、環境が整っているんじゃ将来プロを目指す人も多そうだ。
:そう、もうガチンコでやってましたよ。だからそういう人たちに比べると下手くそなグループで。でも何とかきつい練習を3年間耐えてやっていた。

佐藤:聞き取りしててサッカーやっていたのは日建設計の伊庭野さんかな、東京タワーの足下で練習していたと言っていた。サッカーの話したことありますか
:藤村さんのイベント (注1:LRAJ 2010年2月20日 17:09 辻さんのコメント参照へ) で一瞬って感じですけど、そんなには話していない。 
























 註1:2010年 LRAJ記録へ

生徒会、副会長選 立候補

佐藤
:中学校の規模はどんなでしたか。
:中学校は増えて40人で6クラスでした。で、親が家を建てたので、学区が変わったんです。中学校の時に引っ越して、転校というか、そのまま上がる中学校じゃなくって、隣の学区に行ったんです。実質的には転校ではあったんです。

佐藤:バレンタインデーにチョコをたくさんもらったというエピソード、ないですか。
:ないですねーふふふふ。

佐藤:彼女の話はないの。
:うーん中学校、ないかどうかなー。中学校の不良グループみたいなのあるじゃないですか。ああいうところとは仲よかった。半分混ざったりして中二ぐらいの時が一番荒れていたかなー。なんだか分らないけど悪さはしていましたよ。

佐藤:尾崎豊の世界かな、バイクを盗んで飛ばすとかかな。
:バイクは盗んでないですけど、ふふふふ。
佐藤:タバコ吸ったり酒呑んだりしてるとか、青春期スパート・ホルモンたくさんでて心身変わるから、むしゃむしゃするからな〜。

:そうですね、不良グループとは高校の受験勉強を機にちょっと疎遠になって。ぼくは勉強出来たんで、塾に入って、結果的に進学校に行ったんです。浜松北高校(静岡県立浜松北高等学校)って言って、一応、県内では一番みたいな。だけど中二まではぜんぜん勉強とかしていなかったです。なんとなく塾に入ってみて。そうしたら割と成績が伸びたんで。それで割と勉強できるんだなーと思って。
佐藤:やればできんじゃん俺!・・・になった。勉強に目覚めると
:そうですね、中学校はそんな感じだったかなー。

佐藤:中学校で生徒会活動とかはやっていなかったですか。
:中学校のときにやりましたね、会長じゃなくって副会長に立候補して。それこそ勉強始めたくらいのタイミングで。不良グループとも仲がいい生徒会の人、みたいな。
佐藤:生徒会に不良たちの情報も入れておかないと混乱するからな。
:それでマニフェストとか考えるじゃないですか、その時のことは覚えているんですけど、個性発見塾というプログラムを作って。で、会長と副会長で給食の時間に各クラスに旅して、一緒に飯を喰って「何がやりたいんだ」と聞くみたいな。
佐藤:校内リサーチして歩いたんだ、建築家の仕事をしているみたいだね。そういの大切だよね。
:それは覚えているなー、それぐらいしか覚えてないですけど。マニフェスト出して、副会長選に立候補して、演説したりするんです。当選しました。
佐藤:おめでとうございます。750人ぐらいの人も前で演説するんだから、けっこうな人いるじゃん。大観衆だよね。

:襷を掛けてね、演説をしてましたね。
佐藤:現在の建築レクチャー圧倒的に観衆は多いじぁねーか、750人集まる建築レクチャーないでしょう。

:そうなんですよ。確かに。その話ほんとうに忘れてたなー。そんなの話す機会ないし。かなり記憶の奥底に眠っている。
佐藤:そういう体験は心の奥底に眠っているけどパワーの源になっていたりするから、だから辻さんは川勝さんと組んで建築学会のイベント、すんなりしちゃうんじゃないのかな。
:ちょっと似てますよね。

佐藤:少年のときの活動が専門家してグレードアップしてるのか。同様な活動をしていると、本質は変わっていない感じがするね。そういうリーダー的なこと迷わずできるじゃん。川勝さんと二人で学会イベントやっていたんですよね。
:そうですね、今年度か、一応最後。対面では出来ないですけれども、オンラインだけで、去年は新コロナで学会の活動自体がお休みになっていたんです。今年オンラインで何かおもしろいことをやりたいと話ている。

佐藤:俺、今年からオンラインでワイワイし始めた新人だけど。一番困るのはWi-Fi能力が少なくって、Wi-Fi詰まりが起きることだ。家族が毎日、動画見ているから、一緒に使うと電波が詰まるね。アンテナ周辺の人々も一斉に使う時間帯とか詰まるよ。
:ははははは、そうですね。

佐藤:新コロナ予防接種もいいけれど、Wi-Fi詰まり解消したい。安価で使える電波環境も政府には整えてもらいたいなーと思う日々だね。Wi-Fi使うにも格差問題はあるよ。貧乏な学生なんか電波料金どうしているのか、それは気がかりになるよ。朝から晩までオンライン授業を受けていると通信料が掛りそうだ。交通費より負担が大きかったりしそうだよ。

それでめでたく目指した浜松北高校に入学することができたと。
































絵:WEBより立ち会い演説会の様子例













■ 浜北高校から横浜国立大学へ

:入りました入りました。
佐藤:高校でも3年間サッカーに明け暮れたと。受験校だから2年で終わって受験勉強突入かな。

:3年の5月まではやるんですよ。高校総体が予選があり、勝ち進んでいけば8月の全国大会まで。県大会とか5月で終わるんで、そこで負けて引退という感じでしたねー。

佐藤:横浜国立大学は難関校なのかな、ちょろ勉強で入れないんでしょう。

:大学受験はそれはそれで、変な入り方というか、うちの高校って進学校なんですけど、勉強というよりはイベント、体育祭とか学校祭とか合唱コンクールとか、それに並々ならぬ熱量を投入する高校だったんで。夏休みとかもずーっと体育祭の練習していたり、半分ぐらいは浪人するんですね。5月に引退してからすぐ合唱コンがあって、学校祭があって、夏休みはずーっと体育祭の練習で、9月に体育祭があって、10月から受験勉強始めて。

佐藤:ずいぶん遅いスターとだね、入試に間に合うのかね。
:3カ月半ぐらいでセンター試験ですね、センターが数2Bがぜんぜん駄目で、100点満点で30点代だったんですね。それでセンター利用ってあるじゃないですか、私立にセンター試験だけで行くみたいな。あれ、全部落ちて。明治とか、芝浦とか、理科大か。ちょっと早稲田とかよりはちょっとだけ下がる大学のセンター利用だしていたんですけど、全部落ちて。二次も全部落ちて。で、立命館の中期っていうものあって、それも受けて落ちて。

佐藤:落ちるの得意だな、パパママ受験費用工面するのたいへんだけど。
:そうですね。横国は第一志望だったんですけど、前期も落ちて、後期で結果的に受かったんです。横国の後期は逆で学科の配点が高くって、それでひつくり返したって感じでした。
佐藤:後期は論文じゃないの。
辻:横国は逆なんです、前期が面接と英語、ヒアリングだったですよ。学科勝負が後期に来るというちょっと珍しいパターンだったんで。周りはみんな、もう受かって、ウキウキしている中で一人受験勉強してましたね。それは本当にきつかったですけど。3月前半まで勉強して。

佐藤:大人になってしまうと1年なんてあっというまだけど、18才ぐらいだとそうは思わないもんな。
:その時はなんとか現役で受かりたいとは思っていた。
佐藤:黒歴史になりやすい浪人事態は避けたいと思うのが人情だ。合唱と言ってまいしたが 、合唱は本格的に歌ってたの
:してないです。みんなやるんですよ。全員で合唱するんですよ。
佐藤:すごいねそれは、物凄いパワーでるよね。
:それを三学年全部で歌って、10クラスあるんです。30番から順位が発表されていくという、学年を越えた対抗歌合戦。盛り上がるんですよモルダウ川のとか、あと何を歌ってたっけなー。いわゆる合唱で使うような楽曲、翼をくださいとか、そういう系の、ポップソングじゃないですね。

佐藤:山本順子の翼をくださいね。コーラスしてた人初登場です。
:高校生全員歌うんで。










































浜松北高校合唱大会の様子の例



 その2へつづく
参照 11年前の活動のひとこま

2010年2月20日 17:09 辻琢磨 (24才)さん より。

初めてのLRAJでしたが、藤村さん初め、山崎さんや松島さんに声をかけて頂き、彼らが作り出す程よい緊張感を体験出来たこと、嬉しく思っております。

編集作業に関しては、昨年も同様の作業を経験しているg86の鎌谷くんがコツを的確に教えてくれたので、なんとかやり切ることが出来ました。1ターンの編集時間は30分。あれだけハイコンテクストな議論の核心を5分でつかみ、15分でバッサリ削り、5分でジリジリ削り、5分で調整といった具合ですが、実際は目の前の一行一行と格闘している感じで途中からほぼ思考が停止し(作業放棄ではありません)、半ば自動的に作業していたと思います。
結果的にその時の詳しい内容や思考は覚えていません。ですが、実物としてあのフリーペーパーは確かに存在した。そういう事実が一番大事だと思っています。

余談ですが、磯崎氏の文章編集だけは異様に疲れました。彼の言葉のそれぞれはズルズルつながっていて、どこも削れない、要約出来ないという気にさせられて頭がおかしくなりそうでした。要約ってそもそも合理的な作業だから、彼の言葉自体が要約という合理作業に対して喧嘩を売っているような感じでした。それでもなんとか削ったわけで、不安でしたが、「ただプロセスだけが時代を超えていく」という素晴らしい見出しを見て、ほっとしました。貴重な爽快感をくれたTRAのみなさま、関係者のみなさま、来場のみなさま、本当にありがとうございました。

 (参考 ツイッタ連絡) 
2月19日16:59:57 連絡どうもありがとうございます。編集作業は自分がセッションごとの前半を、鎌谷くんが後半をそれぞれ担当していました。彼は昨年も担当していてノウハウが蓄積されていたので、的確なアドバイス等、かなり助けられました。詳細なレポート、本当にお疲れ様です

 その2へつづく