岩堀未来さん (35回) 環境と交流する建築 
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2020年8〜10月 作成 佐藤敏宏
 (その02)  矢吹町中町第二災害公営住宅
 このプロジェクトは設計に至る過程が非常に長い道のりがありまして、そこが非常に重要なところであります。で、少し背景について詳しくお話したいと思います。経緯と町づくりとその景観計画についてお話します


 (図:長尾亜子建築設計事務所)

 経緯を年表を使ってお話いたします。切っ掛けは2011年の東日本大震災です。5月に矢吹町に在る酒蔵の復旧復興に東京の建築家が参加したことが、始まりになりました。
 8月には、東京大学生産技術研究所の有志が矢吹町を訪れて、矢吹町役場と懇談会を設けました。
 次の2012年の4月に本日特別賞を受賞されました大正ロマンの館、こちらのお掃除プロジェクトや簡易的な修復を行いました。そして2012年の7月に矢吹町と東京大学生産技術研究所が覚書を締結しました。この覚書は「震災復旧復興に向けた連携と協力に関する覚書」というものです。

 2013年2月には、第一回矢吹町復興まちづくり車座会議というものが開催されました。ここで、未来の矢吹町について様々な意見が交換されました。ここには多くの町民の方が参加されました。
 そして2014年に矢吹町都市マスタープラン見直しの支援、それから、町中に計画されている幾つかのプロジェクトの作成支援や設計を行いました。中町第二災害公営住宅もこの中の一つになります。




 次に町づくりと景観計画について少しお話します。この2014年に矢吹町復興町づくりの最初の取組みとして、東京大学生産技術研究所の提案をベースにして、災害公営住宅の整備というものが始まりました。
 そこで整備の目標というのが、三つあります。一つは町中居住の促進。二つ目が木材の積極利用による新しい町並みの形成。三つ目にコミュニティー空間を持つ災害公営住宅というものです。

 その計画地は、左の図のように矢吹駅の前に旧奥州街道というものが通っているんですけども、その旧奥州街道沿いに、愛宕山という山がありまして、この近辺に三つの災害公営住宅と自治会館を再建することになりました。

 またこの設計に当たったチームですけれども、計画の当初から関わっていた建築家を含む三チームが行うことになりました。

 この三チームはコンソーシアムを組んで、キーワードを共有して、あとそれぞれの施設、具体的な設計はそれぞれが行うという、そういうチーム編成になっています。このようなチームのありかたというものが、施設の多様さを生み出しながら、全体としては統一感がとれている。そういうような、計画になったのではないかと思います。
 これも非常に先進的な試みで、矢吹町さんの理解があり現実したのではないかと思います。

■ キーワード
 
 このコンソーシアム(共同事業体)で共有しましたキーワードを少しご紹介します。
左の上に6つのキーワードがありますけれども。小さな公共空間凹凸のある街並みコミュニティーパス白と茶色による景観形成木質化、木の縁側であるとか庇というのが共有したキーワードです。

 このコンソーシアムによって、特に一区自治会館と中町第一住宅と中町第二住宅の三施設が連動して計画されました。最大の特徴は町の生活像というものを読みこみながら、旧奥州街道と直行する三施設を貫く新しいコミュニティーパスというものをつくって、周囲の町並みとつないでいるということです。

 この中で景観計画というものを考えました。ここを景観誘導エリアとしています。中町第一住宅と一区自治会館は、旧奥州街道沿いに在って、街道モデルとしました。中町第二は街道から少し離れていますので、周辺モデルと名付けて、各景観の特徴を持ったモデルになるように、設計を進めました。
 実際に住まわれた、各住戸の計画ですけれども、矢吹町全体では全52戸在りますが、この旧奥州街道沿いの中町地区では第一住宅、第二住宅、第三住宅の計48戸がエリアに建設されました。

 我々が設計をしました、第二住宅は一人から二人の世帯用の住戸が20戸と、3〜5人のファミリーの住戸が3戸、計23戸を、低層で戸建て住宅の様な雰囲気をもった公営住宅として、計画するという方針がきまりました。 

 以上のような矢吹町さんの考え方を踏襲しまして、私たちはこの中町第二災害公営住宅というものを、先ほどの環境交流装置としての集住体というふうに捉えました。ここで言う環境とは、申し上げましたが自然環境だけではなくって、地域とかコミュニティーといったものも環境と捉えて、それらと積極的に関わりをもって集まって住む町のかたち、というものを考えました。


(新建築社写真部 撮影)

 まず初めに敷地についてご説明いたします。先ほどの図面ですけれども、こちらが中町第二住宅の敷地になりまして、ここに愛宕山という小高い丘があります。ここから北側に下る緩斜面になります。ここに23戸を計画しています。

 この中町第二住宅は非常に特徴的なのは、敷地のデザインから始められたということです。初めこの敷地は左の図のように愛宕山から下っていく斜面なんですけども、高い段と低い段の大きく2段に造成されていました。それを私たちはこちらの右の図のように、愛宕山から下る斜面を緩やかにそれぞれ傾斜した4段の平場を全て法面でつないで行きまして、それを周囲の町並みに連続させていくようにデザインしました。
 
 最終的な敷地はこのようになりましたが、これは南の愛宕山から北向かって見ているんですけど、このように、それぞれの平場が少しずつ北側に連続していくような、その中を先ほど新しいコミュニティーパスが通り、こういう公園のような敷地、場所にデザインしました。

■中町第二災害公営住宅の建築について

 ここから建築についてご説明します。まず建築を設計するに当たって、6つの方針というものを立てました。一つ目が外部空間と内部空間が一体化した住宅空間。二つ目が周囲の町並みや町民の方に開かれた住空間。三つ目が住人、住まわれる人同士が気配を感じることが出来る住空間。四っ目が多様なライフスタアイル、様々な暮らしを許容できる柔軟性のある住空間。そして、寒冷地でもありますので、パッシブな手法を用いて快適な生活が出来るような住空間。最後に6っ目に先ほどのも言いましたが、工業製品を単純な構成にして、コストパフォーマンスの高い住空間をつくろうと考えました。

 このような非常に複雑な条件を単純な仕組み、システムで解決していく事で地域や自然と交流する開放感を持った集住体というものが出来るのではないかと考えました。
■ 1住戸ユニットについて

 初めに、集合住宅のなので、ユニットをつなげていって全体を構成しているんですけれども、その一つの住戸、ユニットについて話ます。



 このユニットは通常のnLDKじゃなくって、この図にあるように南北に長い筒のような空間を、長いものと短いものを二つ並べて、これを我々は 通間(とおりま)と名付けているんですけど。こういう空間の構成にしています。これによって、右の写真は通間の写真ですけれども、高い開放性と、この中を使う柔軟性、それからこれを大小組み合わせているので、不整形な敷地の中に配置していくときの対応性や自然環境、自然の通風であったり、自然採光というものを最大限確保するように考えました。
  
 またこの通間の南の一番端 、ここに縁庭(えんにわ)という空間を設けています。縁庭というのは、ダブルスキンを奥行1間に居室化したようなもので、丁度この右下の写真のこの部分になりますが、土間空間であるんですけど、外と内側にサッシが入っている。 こういう空間を設けることで、室内の生活が外に連続して行くような、溢れ出て行くような、そういう事を考えました。

 で、ユニットとしては一人から二人用の住戸は1階と2階を重ねて、重層タイプと言われるタイプをつくり、3〜5人の住戸は1階と2階をつなげてメゾネットタイプをつくりまして、この二つのタイプを組み合わせて全体を構成することを考えました。

 このユニットの構造や工法ですけれども、非常に単純化するように考えました。例えば構造はツーバイ材のツーバイ6という非常に小さい木材を梁として利用して、これを連続的に使う事で非常に単純な構造としています。



 また構法に関しては左の図のように様々な工業部品を使っているんですけども、これを非常にシステマティックに構成することで、簡易でかつ高い性能を確保するように考えました。


  

これは平面図ですが、先ほどの重層タイプとメゾネットタイプを1ユニットずつ組み合わせた、2号棟の平面図になります。このように南北における通間というものがありまして、その南側に縁庭という土間空間が在りまして、その周囲は敷地が不整形なので、様々な形をもった庭というものが現れました。この中に先ほどのコミュニティーパスが通っています。

 このような構成でこの道から庭に続き、さらに縁庭、通間というふうに、内外が少しずつ連続していくような空間構成を考えました。断面図で見ますと左側がコミュニティーパスになりますけれども、このコミュニティーパスから庭、そして縁庭がありまして、その先に通間がつながっていく、という様子が分かるかと思います

 (淺川敏 撮影)

 先ほどの写真を出しましたけれども、通間の写真です。この様に通間は真ん中で引き戸で分割も出来るようにしましたので、暮らし方によっては二つのスペースに分割することもできますし、それをつなげて使う事もできます。

 このように通り間から別な棟の通間に生活の気配とうものが伝わるようになっています。
 これは手前の庭から通間越に敷地の外の竹林が見えるような、非常に開放的な空間です。


 ((淺川敏 撮影)

 これは縁庭の写真ですけれども、通間から土間に降りて、土間の内側と外側に窓があって、その先に庭が在るという、内外が連続した空間になっています。このような小さい粒のようなユニットをつなげていくことで、全体を構成することを考えました。

コミュニテーについての検討

 コミュニティーの作り方というものを検討しました。右の上の図のように住戸を幾つかのグループにグルーピング化して、それぞれ中庭のような共有空間を設けようとすると、グループごとは非常に強いコミュニティーが生まれる可能性があるんですけれども、全体のつながりとしては少し弱くなる。

 一方こちらの絵ように、住戸を平行配置して手前に共有空間をつくろうとしますと、全体はつながって行くんですけれども、手前の共有部分が共有している部分がみんなで共有している感覚というのが少し薄れていくように思いました。結果として私たちは凹凸のある住戸を雁行配置させて、少しずつ窪みを作りながら基本的には平行配置で全体をつなげていくというような方法をとりました。こうすることでそれぞれ共有感というものを少しずつ持ちながら、緩やかなつながりになる、そういうコミュニティーが生まれるのではないかと考えました。

 これは配置を検討していた時の図面・スケッチですけれども、例えばこれが二段造成のままそれぞれの段にグルーピングして、そこで中庭をそれぞれ造って、中庭を囲むような配置を考えています。

 一方こちらは、敷地を三段にしまして、それぞれに平行配置するような案も考えました。このように敷地のランドスケープと建築の配置計画というものをセットにして、同時に考えているのが特徴的だったかなーと思います。最終的にはこのような全体の計画になりまして、4段の平場を法面で全部つなげていきまして、法面の間をコミュニティーパス。私たちはコミュニティーパスを道というふうに呼びましたが、この道が町民の方々への通り抜ける道が貫いています。

 
 この道に沿わせながら、先ほどのユニットを少しずつつないでいくと、全体として、南から北に下るように雁行配置になりました。このように雁行配置をすると、建物の形というものが凹凸が多くまります。この凹凸によって様々な形、大きさをもった外部空間というのが生まれまして、それが少しずつレベルを変えながら、連続的に周囲の町並みにもつながって行くような、そういう雰囲気になります。

 建物の凹凸というのは近づくとこのようになっていまして、意外なんですけれども、囲われた屋外のリビングのようにもなりますし、縁庭が庭と連続して、内と外が混在している、噛み合っているような、そういう建築になっています。


(淺川敏 撮影)

(淺川敏 撮影)
 この道沿いに建物の凹凸を並べていって、全体として公園のうような雰囲気になっています。
 このように、法面の間の道は舗装してまして、この敷地の中のメインのストリートのような雰囲気を持っているですけども。例えば住棟同士の間を通り抜ける道なんかも造っていまして、これは獣道ではないですけれども、非常に細い道で砂利敷きにしています。道も色んなタイプを造っています。

 町づくりも共通のコンセプトとして、白と茶色の色彩計画。それから木質の景観形成、また明かりの空間というのものがあります。全体の計画の中に、今申し上げた茶色であるとか、木の仕上げであるとか、点在させまして、景観を変化に富んだものにするように考えました。

(淺川敏 撮影)

(淺川敏 撮影)
 これが茶色の壁ですけれども、南北面が開口なので、どちらかというと東西面に茶色を部分的に施しています。この色も三種類ぐらい考えました。道を歩いて行くと少しずつ茶色い壁が現れてくるような、そういう雰囲気になっています。

 このピンク色の花は町の木で、ハナモモと言う木で、所々のシンボルツリーとして植えた。また木の景観という事に関しては、北側の立面の町道から見てますけれども、北側に住戸の給湯器とか、配管類とか、そういう設備が出ているんすが、それを隠すための、目隠しのルーバーを全部木で造りました。そうするとこのように、リズミカルに木の仕上げの壁というものが、現れてきます。
 
 先ほどの、縁庭の内側の仕上げを木にしています。こうすることでこの道を歩いていますと、縁庭の内側の仕上げが目に入って来ます。また庇、ちょっと暗いですが、庇の軒裏も木の仕上げにしていて、見上げるとそういう木が感じられる。

 そういったような所々で目に木が入って来るようにしました。この木の茶色の色ですとか、先ほどの茶色の壁ですとか、三種類あり町長さんとも細かく相談しながら、決めていったという経緯があります。


(淺川敏 撮影)
 明かりの空間ということですけども、これは先ほどの縁庭の照明が灯ると、そこが行灯のような形で軟らかい光に包まれて、それが敷地全体を軟らかく照らすような、そういう照明計画を考えました。軟らかい光で敷地を照らしています。
 ここの照明は室内のスイッチを入れると縁庭が光るというような計画をしているので、暗くなり誰かが室内で電気を付けると、こういう状態になるということも考えました。

 それから、矢吹町は冬はマイナス5度ぐらいまで下がるんですが、こういった寒冷地で公営住宅なので、エアコンなど初めから入れられない住宅なので、出来る限りパッシブエネルギー利用ということを考えました。
 通間というのが、南北に抜けた空間になっていますので、通風がスムーズに抜けて行きます。

 また縁庭ですけれども、これは先ほどダブルスキンと申し上げましたが、外側と内側にサッシが入ってまして、春夏秋はこれを開け放つと先ほどの通風が可能になって、こういう床や庇が陽射しをカットして、縁庭の部分が木陰のようになります。冬はこれを両方閉めますと、縁庭が温室のような形になって、ここで暖められた空気を通間に取り込むと、いうような事を考えてまいりました。

 先ほどの陽射しと通風を取り入れるために、全て南北軸に沿わせるようにしました。

 この縁庭の効果を検証するために、2016年12月に環境調査というものを行いました。この調査の結果から縁庭の内側の窓の開閉の仕方によって、通間の室温が大きく変化するという事が分かりました。例えば日射取得が大きくなる昼間の時間帯などは、この窓を開放することで、縁庭の温かい空気というものが通間の方に入って来て、室温が上昇していきます。一方、日射取得が小さくなる夕方の時間帯になると、この窓を閉めまして、そうすると通間の室温の下降というものを緩やかにする効果があることが、分かりました。
 このように縁庭というものが、室内の気候に関して効果的であるということが示唆されたと思います。
 以上のように、自然環境や地域やコミュニティーという、そういうものの、関係性をこの建築の中に様々に重ね合わせています。重ね合わせているんですが、建築、ランドスケープそれ自体は、お話しましたように、非常に単純な仕組みで出来てまして、このようなものを「環境交流装置としての集住体」と呼んで、これから造られる公営住宅も、新しい形になるのではないかなと考えました。
 
以上で中町第二災害公営住宅のお話は終わりますが、その次にですね、その他の事例として私が中町第二住宅以前に設計しました事例を三つほどご紹介させていただきたいと思います。 

 その3へつづく