2023/7月4日午後 森純平、家成俊勝、岡田栄造さん @北加賀屋 | 作成:佐藤敏宏 | |
森純平さんに聞く 千鳥文化を逍遙体験 後 森純平さんに聞く 01 同 02 場所日時 2023年7月4日 家成俊勝さん率いるドットアーキテクツにて |
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森純平さんに聞く 03 絵:宮地敬子撮影 | 1:26:14 | |
■原田祐馬さん撮り下ろし写真集 家成さんがギャラ間展に合わせて刊行した本を探すため、席を立つ・・・ 佐藤:サインしてください! 岡田:いいんですか? 家成:はい。手ぶらじゃなんですから・・。 佐藤:こんなに分厚いんだ! 岡田:佐藤さんの鞄に入っていきますから(笑) 会場 笑い 佐藤: サインしてサインして! 家成:サイン? 佐藤:あとで分からなくなるから、サインして。森さんは既に買ったので要らないですか? 森:買いましたけど、もう一冊お願いしてもいいですか? 佐藤は配布した本にサインをしろと五月蠅く言いつづけている 佐藤:さあさあ、集まった方みなさん サインして、サインして 森:こんなタイミングで手に入るとは(微笑) 岡田:(編集は)やっぱり原田祐馬さんですか? 森:写真がめちゃいいんですよ。 家成:もう一回全部写真撮ろう・・・という話になって。原田祐馬君最近写真家だれがいいか全然わからへんから、どうしよう?原田さんが撮りおろした。 佐藤:サインして、何時、家成さんからもらったか日も分からなくなるの嫌でしょうが書いて。 家成:え〜! 岡田:お!写真は原田祐馬じゃん。 森:そうなんですよ、全部、超いいんです。 岡田:えすげー!写真、原田祐馬だって! 佐藤:昨日原田さんとワイワイで会ったばかり。 森:すご、写真もいいんですよ。 岡田:へー、すげーな。 佐藤:原田さんは建築家としても扱われていないので気の毒だから「すでに原田さんはすでに建築家だよ」と伝えました。最近は建築を立ち上げ時から設計者とのチーム君で設計支援などしていました。家成さんサイン書いてね、俺は爺だから見やすいようにしたいので、最初の白い頁に書いてね。 森:笑 ワイワイがやがや・・家成俊勝サイン会になる・・・・ |
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2023年7月3日 原田祐馬事務所でだべり、スタッフと集合写真する。原田さん真ん中 佐藤 |
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■家成さんのサイン会始まる 岡田:写真撮り下ろしじゃないよね?ずっと撮っていたの? 家成:撮り下ろしです。 岡田:すげー!! 家成:ぜんぶ一緒に現場に行って、撮り下ろした! ・・・サインをしている家成、名前の漢字をたずねたりもしている・・・ 森:僕にもサインお願いします。 サイン会が始まりそれを見て笑っている、にぎやか・・・ 森:嬉しい。ありがとうございます。すごい、やった! 会場 ギャラ間での講演会は終わったんですか 家成:はい。 ・・・がやがや ワイワイ・・・ 家成:森さん!松戸でもえちゃんって高校の後輩なんです。その彼女は横国です。横国の世代も合流しているんですか? 森:そうです。もえちゃんは藤原徹平さんのドリフターズというサマースクールをやっていた時に知り合って。「5ウィンドーズ」という映画のプロジェクトはご存じですか? 家成:それ、聞いたことあります。 森:横浜の黄金町で映画を作るんですけど、ウインドーズの名の通り。町中に5カ所スクリーンと作って、そこで上映をして。映像自体も町中で作ると。音で蓮沼君とかが居て。2011年にやっていて。そのプロジェクトをもえちゃんたちと一緒にやったりとか。 家成:なるほど。黄金町の活動にも森さん噛んでたんですか? 森:はい。 家成:凄い、どこにでも森さんは居る! 岡田:ほんまやな(笑) ・・・会場 ワイワイがやがや・・・ 家成:どこにでも居ますね。 佐藤:岡田先生、袋持ってないでしょうから、俺のバックに家成さんの本を入れて持って帰りましょう。 岡田:いいですか。 佐藤:いいです。 森:(笑)かっこいい。 岡田:これ、いいわ! 森:これめちゃいい!! 佐藤:もらった本に名前書いてくれる。ここに集まっていた人の名前分からなくなるから、ちゃんと書いて!俺の名前は教えてあげる。こういう漢字だ。 家成:教えてください。 佐藤:家成さんが間違えた漢字のサイン本も面白いんだけど。書いてください。 森さんは純粋の純に平、森・岡田先生にもお願いします。 家成:この漢字で合ってますか? 佐藤:合っている。 森さんにあげた本は「森純平」と書いてね。 森:済みませんありがとうございます。 佐藤:原田さんはどっぷり建築家してる。 岡田:原田さん能力ありますね。私は名字だけでいい。 佐藤:そんなこと言わないで、栄造は、栄える製造の造だよ。 家成:栄える三ですか? 岡田:そうじゃない、造る。 佐藤:製造の造。 家成:わかりました。まちがえた(笑) 佐藤:間違えてサインもまたいいな、 岡田:ぜんぜん問題ない。 |
佐藤もサインを頂戴する |
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2023年5月17日初版第一刷 佐藤が頂戴した家成さん本の一つ |
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■芸大卒業してからの話 佐藤:芸大卒業してからの森さん話に戻しましょう 岡田:修士まででしょう、M2まで。 佐藤:ドクターに行け!と言っているんだけど。 岡田:M2のときは2000何年ですか? 森:2011年です。 家成:その時は横浜の黄金町とかには学生時代に関わっていたということですか? 森:そうですね。 佐藤:東日本大震災のときに森さんは卒業したんだ。 森:映画のプロジェクトは横浜トリエンナーレ2011年の夏だったので、セットして何?しようと・・その時に企画を作った感じです。 岡田:2011年震災の年! 佐藤:福島では原発事故が起きちゃつたので、避難者もいて何をどうしていいか分からなかった。けど関西の人達から義捐金もらって活動してしまった大阪と京都で報告しました。芸大にも東大でも被災地活動報告したけど、放射能で何がとうなるのか?大混乱だったよ。森さんは原発事故については何かコメントありました?しょうがねな・・・と気楽でしたか? 森:その年は、そのまま芸大の助手に呼ばれて、芸大だとあまりないんですけど。そういう活動をしていたので・・。 佐藤:芸大で助手にスライドしたもの2011年だったと。 岡田:誰先生の助手、六角先生ですか? 森:六角先生はいなくって、益子さんの後に元倉眞琴さん、ヒルサイドテラスとかやっていた建築家が入っていてそこに呼ばれて。 佐藤:元倉先生、山形にある東北芸工大で教えてたときには元倉さんと呑んだ。亡くなったけど。植田実さんと家が近いしお二人は建築友でもあった。 森:そう、植田さんと。 佐藤:植田実さん、『都市住宅』編集したり建築の住宅を日本一観て回った人、建築も批評したりしていた。 森:『都市住宅』 佐藤:1994年『建築文化』に特集掲載されたときに2日掛けて植田さんにmy建築を観てもらって評を書いてもらったね。植田さんは元倉さんとは大の友達で東京芸大でも教えていたと・・・我が家に来て話していたね。当時、元倉さんは東北芸工大で教えてたいので、植田さんも山形芸工大に講義で、俺も時々講義を聞きにいって、呑んで芸工大の元倉さんの教員寮にもぐりで元倉さんお部屋に一緒に泊めてもらったこともある。田舎者あっちへ行けと差別せずに気さくな方でしたよ。 家成:へーえ!! 佐藤:元倉さんの「コンペウトウ」時代の聞き取りしに行きます・・」とか言ったら「飲みにこいや・・」と言ってたんだけど亡くなってしまったので元倉記録はつくれなかった。でも植田さんには2000年の春と学会賞受賞後の2005年と二度も・・・我が家に来てもらい講演してもらい記録つくりました。元倉さん早く亡くなりすぎた。俺にとっては気安く垣根の低いおじさん的な建築人だったけど。森さんは元倉さんと益子さんの助手をしていたと。 森:元倉さんの最後の助手をやっていました。 佐藤:元倉さんは食べる金平糖ってある、いがいが付いているけど甘い金平糖という建築集団の名前だったかな。話聞き逃した。 森:松山巌さんとか一緒にチーム組んでデザインサーべー系の活動、町中派みたいな。 佐藤:植田さんの話だと元倉さんの奥さん美人で料理もうまいらしく・・とか俺に教えてくれたな。元倉さんは羨ましい暮らししていると言うんだ。植田さんの家も近くらしくって交流していたと言っていた。講義終わると、山形市の町に出て三人で酒飲み(笑)していろいろ教えてもらいました。 森:へえ〜! 佐藤:元倉さんは癌で亡くなったと思ったが。あの世代は家父長的な建築家が多数のなかでは珍しく、威張りもしない建築家だった。元倉さんは俺を田舎者扱いしないで自作の朝日町の文化複合施設も案内してくれたね。 今でも自前の境界の塀を高くしている建築系若い人もいる、けど、それは仕方のないこと。森さんは塀作らないから嬉しいね。 川勝さんは学会の世界に行きそうで気になる(笑)京都で岡田先生などと酒飲みしたときに、目の前に川勝さんが居たので「今夜、俺を泊めてくれ・・」と、その日に川勝さんお家に泊まってから、京都聞き取りする度に1週間とか泊まるようになった。また川勝さんの家一軒を借りて、子連れで4家族もいたので狭い家に30人ぐらい集まったかな? 1階でも2階でも建築談義、川勝の家は俺家という京都で2009年12月12日に「建築あそび」@京都の活動もしてしまった(笑) 岡田先生には家族で参加してもらいましたよ。(その記録残っているも) |
東京電力福島第一発電所メルトダウンと水素爆発によって世界に撒き散らされた放射能 2001年7月2日 元倉さんよりメール。佐藤さん。木匠塾のルポ見ました。東北芸術工科大学も参加しているのですが、今回は応募しなかったのですね。残念。東北の木匠塾はものづくりに頼りすぎるという批判もあります。でもそれぞれの創造性は評価したい。またどこかで会えれば。元倉眞琴 植田実さん2000年5月27日 千万家での植田さん講義録へ 植田実さん我が家での建築あそび講演記録へ 2005年7月02日講義録 学会賞受賞後の気持ちが分る |
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■RADコンビいろいろ 岡田:今は年に一回、森田一弥さんの家で餅つきに川勝に会うだけになった。 家成:そうなんですか! 佐藤:後に川勝さんも結婚したので、俺もさすがに遠慮しがちだけど。川勝さんの奥さんいい作品を作っていますよ。人間3Dプリンターだ、シルクスクリーンを何とも重ねて立体的な平面画って変な言いかたしかできないんだけど、面白い作品です、生まれ故郷の鹿児島の火山灰を使ってシルク作品も鹿児島で発表している・・・と言ってた。期待高すぎて川勝さんの悪口はなりそうなので・・・ここで止めよう! 森:笑 (2022年7月12日川勝さんの家でワイワイ録へ 再開した大阪アーキフォーラムあれこれについて) 岡田:川勝が生きているコミュニティーがよく分からないね。 家成:確かに。 岡田:川勝どこに居るのか分からない、俺は榊原とかも普通に京都の若い人とかみんな繋がっているけど、そこに川勝は居ないんだ。榊原は凄いですよ。 佐藤:建築学会の活動で忙しいんだと思うけど。 岡田:榊原は京都若者の顔役! 佐藤:京都聞き取りで川勝さんに寝泊りしてたときに榊原さんは居候してて、川勝さんに推されたので榊原充大さんを聞き取りした2009年8月6日だった。名古屋の設備屋さんの息子だと話していた。神戸大卒だけど榊原さんは京都に定住しちゃったですね。 岡田:京都に居る。 (2009年8月6日 川勝さんの家にいた 榊原充大を聞き取りし 2ショット) 森:有楽町のプロジェクトは榊原さんと一緒にやっていて。 佐藤:どういう・・つながりですか? 岡田:榊原さんは根っからのファシリテータみたい。 佐藤:榊原さんは小学区で大きいトトロを作ったり、学校の学園祭で何かつくり、目覚め燃えて活動し始めたと言っていたかな、詳しくは榊原さんの聞き取り記録を読み確認してね。 森:ふーん。すばらしい聞き取り! 佐藤:彼は高校だったかで、そこから裏方仕事に燃えたらしい。学園祭の乗りで京都でも活動して顔役になっているのかね。学園祭のまとめ役をやっていたらしい。彼は神戸大文系だったかな?卒業で、京都にある建築専門校に入ったと思う。 岡田:榊原は京都を代表する顔役!! 家成:大笑いしている 佐藤:名古屋産神戸大卒なのに京都の顔役?川勝の家の離れに間借りしてましたよ。 岡田:川勝の一番大きい仕事は榊原を京都に 森:大笑い 佐藤:そうなんだ。 岡田:榊原がRAD に参加してから京都は今の状況になっているから・・・。 家成:それは功績がある。 佐藤:二度目の川勝さんち俺の家だったけど、「我が家に榊チャン住んで活動してますから、聞き取りしてください・・」と榊原さんの推薦者川勝真一さんだった。 俺は自薦は聞き取りしないから。森さんや岡田先生のように俺の目も前にいきなり現れちゃって聞き取り話し始めるしかない(笑)こともある。 岡田:だから佐藤さんに聞き取ってもらえるって名誉なことなんですよ。 森:やば!! 佐藤:俺の聞き取り活動は基本は無名の若者です!さらに建築独立系30歳前後の他者推薦の人を継続的に聞き取るってこと! |
榊原さんの聞き取り記録を読む 京都の夏は暑いので日焼けしてるな・・・ |
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■佐藤の聞きとりあれこれ 岡田:自薦は認めないと。 佐藤:有名人や自薦を認め聞きとる・・・ろくなことにならないのは予測できるので・・・で・・・有名人と自薦聞き取りしない。若者には憎まれてるし、会っても無視されている(笑)そんなの構わず。俺に一度、断られてしつこく電話して来ない奴を俺は小者と定義して活動している(笑) 岡田先生はなぜか京都聞き取りの時に付いて歩いてくるし、家にも泊まって箔付けてくれとメールして来ました(笑)ご縁がありますよ。岡田先生にはmy聞き取りの多様な可能性を教えてもらいました、例えば岡田先生の両親の話を聞くと昭和を眺める窓のような記録になってしまいました。多くの人が読んでいていろいろ感想を聞かされたり「俺も聞き取って・・」なんていう人まで現れますよ。 岡田:聞いてください、母親の聞き取りもお願いしちゃって(笑) 佐藤:推薦人、息子(笑)2009年12月10日岡田先生の「えいぞう父を語る」は反響が大きかったね(笑) |
RADあれこれ 2017年8月26日 岡田治子さんに聞く 千葉県稲毛市内の共同住宅にて |
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■2023ギャラ間展 家成:僕も佐藤さんに最初ポートフォリオもって行った(笑) 佐藤:家成さんの現況を説明せよ!と何度か呼び出してた。呑み屋経営してた大阪支援者の家に2週間ぐらい泊まって、大阪の人々を聞き取りしてたし時だったな。2003年12月17日大阪芸大で、ゲスト俺と西沢さん、で卒制講評会させられたな(笑) 家成:西九条の喫茶店でした二人だけで・・まだまだやな・・。 森:へー! 佐藤:大島哲蔵さんもmy支援者だったけど若くして亡くなった。居酒屋の支援者の人も癌で亡くなったよ。支援者がいるときは宿代いらないのでドンドン大阪に来ては家成さんに、ところかまわず呼びつけて・・・「この路線で続けろ、行け!」みたいに偉そうに言ってた(笑) 2003年10月4日 我が家での建築あそび ゲスト寺田真理子さん 記録を読む 今は有名になった若者が集まってきていたんだ 右に横浜ビレッジ、壽スタイルの岡部友彦さんも |
2003年12月17日 曇り 室温9℃ ゲスト:まだ毛がある佐藤と 西沢さん 大阪芸術大学卒業設計公開審査 左絵:2003年当時の佐藤の家での建築あそび例 無名時代の田中元子さんやすっかりメジャーな活動を展開している岡部友彦さんなど東京組が多数だった頃 |
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森:へー! 佐藤:家成さんは法学部を出てから神戸のバーでバイトしながら建築活動開始した切掛けの話も面白いけど、今も当時と変わらずバーに立ち建築やアートとつきあっていて、日々やっていることも遊び心も変わらないから、いい。 ギャラ間展の東京進出は東京圏建築家に巻き込まれて家成さんらしさが脱色されるかのしれないので・・・危ないかもね、ゴルフコースも設営し、学会系建築家から「あほやなー・・」って言われたそうだから、まだ安泰かも(笑)ギャラ間展は入場者数がここを達成せよ!なんて目標は押しつけられていないんでしょう? 家成:そんなことないです。 佐藤:ギャラ間でラジオもやるらしいね? 家成:そうなんですよ。 森:やってますよね。 佐藤:そのラジオ記録は残っちゃうの? 家成:ユーチューブで音だけでいこうと思ってます。こないだ一回やろうと思って、失敗したんですよ(笑)放送事故で、何も放送されない??? 佐藤:音も記録されてないの?真っ黒い画面だけ数時間とか? 家成:画面も声も出なかった。次はもうちょい巧いことできるかなと。 森:BGMとか使ってましたか? 家成:使ってない、ただユーチューブでライブ配信するだけで失敗です。 会場大笑い 家成:コンピューターわかんないです。 佐藤:動画と同時に音も採っておいて、安全対策要るよ、音があると後で静止画に音貼って再配信できる。 家成:それでもいいですね。今日のこれまでの話もラジオで配信してたら、めちゃおもろいですよ! 佐藤:大丈夫、音は採ってあるからそのまま流せる。誰かの悪口言っているところはカットなりピー音入れてしまえばいい。 森:大笑・・ 家成:そこだけぴゅーんという音を入れたい。 佐藤:名誉毀損で訴えられると面倒だ。存在しない人間の名前に変えて語り合うでもいいが名前だして悪口言うと楽しいから無理か(笑)その場で判定して誰かにp音出する係してもらわないとね。 |
★家成さんからのメール紹介 2008/05/19 14:03 佐藤様 非常に面白くて濃密な数日間をありがとうございました。また佐藤さんの実作を見たいなあとつくづく思っております。A4のペーパーの件なのですが、もう少し詳しく教えていただいてよろしいでしょうか?また住宅が竣工しましたら御連絡差し上げます。どうもありがとうございました。また御会いできるのを楽しみにしております。家成 |
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■森さん芸大の助手になる 岡田:大笑いしている・・・ ちょっと!森さんの話を続けましょうや!修士を卒業して助手になった。そこからです。2012年ですか。 森:2011年ですね。 岡田:震災直後に助手になったと。 森:そうですね。 岡田:益子さん中山と一緒に? 森:中山さんは六角研ですどちらも。益子さんは石上純也さんとか山口誠さんとか。 佐藤:助手時代って、先生のお手伝いをひたすらするんですか?それとも森流で勝手に活動して合間に助手家業ですか? 森:はい。 佐藤:それは助手じゃないかも、分人業だ。 岡田:フルタイムで助手ではなくって? 森:週3日ぐらいで、課題を教える。それと研究室運営みたいなのだけやれば・・・後はいい。 岡田:だから比較的恵まれた助手なんですよ。 森:そうですね。2011年の4月から週3日で・・・。 佐藤:俺、震災直後、2011年に芸大に呼ばれて行ったな・・・思い出した!森さんも芸大助手でいたんだね。永山祐子さんの妹の紀子さんから連絡あって俺の津波災害地活動を報告した。 岡田:妹いたね! 森:今はドイツに行っている。青森のプロジェクトとかやっていた・・・と言ってました。 佐藤:写真家の阿野さんという人がいて俺を推したと言われた。俺が東大生産研究所で3時間話した、そこに写真家の阿野さんが来ていて「芸大にも佐藤を呼べ」と助言したらしい。阿野さんが芸大の人に推したと聞かされた。経緯は知らないんだけど芸大から呼ばれて、乾研で話した。 岡田:阿野さんも凄い写真家。 森:この写真撮ってもらった、基本写真は阿野さんです。 佐藤:芸大に行ったら「私の祖母からですって」義捐金4万円、紀子さんから渡され。おばあちゃんは建築家の奥さんらしんく!建築家愛が強いと言ってました。 岡田:そんなの知らなかった! 佐藤:永山祐子さんは建築家の血が流れているんだと知りました。 岡田:そうなんだ。 佐藤:おばあちゃんは被災地の建築家の人に支援してあげたいと・・・では早速支援者なのお婆ちゃんを聞き取りに行こう・・・・としたら亡くなった?対応できない・・・と聞かされたかな?大混乱期だったので忘れてしまいました。老婦人が建築家にターゲット絞って義捐金差し出すような珍しい女性だって居るんだ!励まされ記憶に残りました。それを永山さんに話したことがありますよ。森さんとは紀子さんは知り合いだったのね! 森:そんなに知り合いじゃないですけど、中山英之さんとか西澤徹夫さんから聞いてます。 佐藤:また脱線したぞ、森さんの話を戻そう、森さんは助手をやっていて・・。 森:芸大の助手は一回卒業したら事務所などに行くじゃないですか、で辞める時に声を掛けられて助手すると、その分給料が入るからスタッフ雇えたりする。建築家にするための仕組みとして、基本的に助手として採用する。 岡田:いい仕組みだ。 佐藤:卒業したてでは直ぐ仕事とって活動資金獲得するの難しいから、いいな。 森:大阪だと岩瀬凉子さんも中山さんの初助手だし。 岡田:任期は2年? 森:3年か5年かですね。 家成:三宮のおっぱい山をやった 森:津川(名前)さんもですね。 岡田:津川さんは藤村研! 森:その後の湯浅涼介君も内藤事務所にずっと居て独立のタイミングで助手として呼んだりとか。 佐藤:3年、5年で仕事を見つけるんだぞと期間与えられるんだ・・・それはいいな。 森:いい仕組みなんですよ。 佐藤:週3日だから森さん仕事をしながら助手の仕事もやっていた。 森:そうですね、それでパラダイスエアーとか一緒にやりながら助手もやってました。 |
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■松戸市での森さん活動 国立競技場コンペ事務局長 佐藤:自由時間の生きたつかいかたいいね。パラダイスエアは外国人の表現者を限定でして呼ぶんでしたかね? 森:そんなことはないです 岡田:運営能力も高そうだから、重宝がられると思う。大学に普通に建築家の卵を呼んでも、そんなにやらない。 家成:絶対無理です。藤村さんと話して「無理やという」と。 岡田:岩瀬涼子さん助手に興味ないだろう・・・。 森:技として岩瀬さんは事務所を学校に置かせるっていう形です・・・ずっと居るみたいな。いろいろ管理のしかたも技がある。 佐藤:個人の事情に合わせて建築家の卵を育て生かしてくれるんだ!いいな。森さん、パラダイスエアの他に修士で活動してた話をお願いします。 森:修士の時は松戸には行ってたんですけど。田村友一郎君は修士の時ぐらいに東京のフランス大使館の解体の展示があってそれの会場構成というか、会場清掃みたいな仕事をやっていて。その時に田村君と出会い。その後だいたい会場構成というか空間構成をやっていて。田村君と国立競技場コンペをやった。 家成:めちゃ覚えてます、あれで僕が賞をとった初めてかもしんないです。 佐藤:初耳?なんのコンペ? 家成:国立競技場コンペ。田村さんがというアーティストの方と、国立競技場のコンペ要綱(右欄参照)のある一部分だけど書き替えて、材料はボディービルダーにして国立競技場を設計しよう!という、何て言うんでしょうね、それが田村さんの作品なんですよ。それで応募したのが我々と隈研吾の息子。 森:隈太一君。 家成:もう一人ぐらいいて、梅田駅でどういうふうに人間が組み合わされたらオモロイか?みんなでやってました。(笑)実証までしてまして。 岡田:その人がコンペをやる? 家成:コンペを作品としてやる。 森:「出してくれ」と言ったような気がしますね。 家成:氏名コンペですね 森:そうそう。 家成:それで1等賞いただきました。どっかに写真あると思うんですけど・・。 岡田:ボディビルダーが組上がっていく・・。 森:トロフィーあるんでしたっけ? 家成:トロフィーあったかな・・。 森:審査会はボディービルダー3人ぐらい呼んできて、みんなでボディービル組んでいる様子を審査するという審査会で・・。 会場 爆笑 森:構造家の人にも来てもらって。「ここが構造的にダメですね!!」という話を・・。 佐藤:組み立てられた人間に向かってお前は構造的にダメだと言われちゃう(笑)人間は構造材か(笑) 家成:僕らは最初に穴掘って、肉体を鍛えるところから・・コンペテションに盛り込んでいた。 森:ああたしかにあった! 会場爆笑 |
S競技場基本設計コンペティション募集要項に目をとおす |
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佐藤:国立競技場をつくるためには土方をして肉体を鍛える!それ、王道・正統派! 家成:ボディービルダーを育てるところからコンペ要素(笑) 森:その時に事務局長をやっていました。 会場 大爆笑 岡田:どこにでも居るね! 森:その企画を考えて事務局長(事務局:一般社団法人PAIR)(笑) 家成:そうやったのか! 佐藤:だいぶ前から二人は知り合い!だね。 森さん、事務局長しちゃうから巧みだよね、日本の世は今めちゃめちゃ面白い時代だと思うけど、おもしろがり方を知る森さんの世(笑)は到来中・・しているね。 森:そう、たぶん一昨日ぐらいに田村君が家を改修みたいな話で・・・ 家成:土井亘君が見に行って、帰ってきて写真見せられて・・。 森:あ・・・やっぱり。 家成:「協力しますよ」と言うことで。土井君がやる気だしているので、どういうふうになるか。 佐藤:住宅を買う? 森:元病院とかでしたっけ?ダメだったんですね。 家成:木造だったら可能性あるんですけどね・・・。 森:やっぱり、そうなんだろうなと思って。逆に直せないかもな・・・と思ったりして。 |
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■森純平はこれからどうなりたいか? 佐藤:大変いいことですがまた脱線(笑)で、芸大助手の話に戻しますね。何年間助手でしたか? 森:いろいろやっていて5年ぐらいですかね。 佐藤:結構ながい期間、助手だったんですね。 森:その前に芸大のwebサイトのリニュアールとか・・。 家成:なんでも出来る! 森:(笑)そういうのを頼まれて。 佐藤:芸大全体のWEBサイト改修ですか? 森:最初は建築科ですかね。で、セミトラとか呼んで来てwebサイトを一緒に作ったりとかして。自分で手を動かしているわけではないですけど・・・チームを組んでやりました。 で、一回芸大を出て、最近まで助教をやっていたんです。で5年ぐらいかな。芸大に関してはそのぐら居たかな。 佐藤:森さんには遊びと仕事と社会活動の境界が無いよね。 森:そうですね。全然ないですね。逆に遊びはあまり無いですね。 佐藤:でも一般の人から見たら遊びを企画し実践しているように見える。 森:そうですね。 佐藤:そこが森さんの面白い点!の一つ。新しい人間が現れちゃったよ!と俺は思ったんだ。八戸市美術館だよ、設計者の1人が・・・だよ、竣工後手伝いに来ている?!建築家が手伝って「ジャイアント食堂」の開催手伝いしている・・なんてこと観たことも聞いたことないので「新しい人間が建築界に現れちゃった!」と思った。町おこしとか町づくりとか介護とかの施設のように目的合理での支援じゃない。 とくにパターナル建築家が美術館を遊び場にするため竣工後に支援している絵柄は予想できない。それが日本各地の現状だからね。森さんは新しい、そういう人間が目の前に立っていたので驚きました。 発注した市役所の担当者が優れていると思ったけど、それはコンペの設計要綱のプログラムを作って建築家を誘導して造らせる行政の技も巧みなんですけど。 設計も設計監理も終わっちゃって・・・・開館後ですよ、森さんは押しかけまでして、ボランティアでジャイアントホールの使い方を支援に行ってた。めちゃ真に凄い人が現れたなーと、たまたま会ったとき俺はそう思った。 なんで?新築建築を使い込むための市民の支援を、建築家がボランティアを即行う・・・建築人が現れたんだろう・・・・と・・それが謎だった。 で、松戸にも押しかけてお聞きして、今日は家成りさんの事務所を借りて生い立ちを語ってもらい、今こうしてワイワイもしている・・さらに分かった気分。 岡田:分からないですよ!これがやりたいというのが分からないです。これが嫌だったとか、こういうのを本当にムカツついたとか、そういうの、一切ないから。何がやりたいか分からない。 佐藤:森さんはむかつく前にやってしまい、なんでも出来ちゃう。この人間は分業社会に生きてはいないのね・・・いつものようにこの森さんという以前の人間はこの分業の世で専門家で生き行くことをめざしていた、専門技を磨いてこれをやらなければいけないね・・・だったけど。森さんはなんでもやるし、どこにでも支援するから美術館が音楽堂にも食堂にも変わる!それが建築人だという発想をしている人、森さんだね。機能別に分けて対応するという思考が最初から無い、全部ひっくかえる事務局長、なんでもやる。 岡田:成り立ちが違う。(笑) 佐藤:難しい西欧の建築を学んで、俺はこの建築系のこの部分の専門家になっていくぞ・・・という発想しない。だから若い人は森さんを刮目すべきじゃないのかな。 家成:そこがいいと思う。 佐藤:なんでもレベル高く出来ちゃうから変わっている人なのかもしれない。 岡田:じゃ、森さんはこれからどうなりたいですか? 家成:笑 森:やりたくないやつ・・・で言うと、中山さんの事務所のインターンとか手伝いに行って、ずっと一日中事務所に居るのとか、絶対嫌だな・・・というのは何回か・・。 岡田:それがやりたくない事だと。 森:はい、横溝さんの事務所に行ってても最悪だなと思って帰る 岡田:げらげら笑っている。 森:それは無理だな・・・と思って 岡田:ここ(ドットアーキテクツ)はいいよ、知り合いの設計事務所なんか最悪だ。大ボスが支配しているの、あれは嫌だと。ガキ大将みたいな人が餓鬼を支配するみたいなの、嫌だ! 佐藤:20世紀的オヤジ世界を写した、お節介パパふう若い人はまだまだ居ますよ。 岡田:ボスがいて、ずっとダメだしするみたいな。悩みまくる・・その思いだけで生きている・・偉い!と勘違いして生きている。 |
当日八戸市美術館ジャイアントルームではご当地アイドルのステージも pacchi ジャイアント食堂@八戸市美術館 (2022.6.25) |
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■家父長制のお父さんてき建築家?? O邸あれこれ 森:近美でやった「建築はどこにあるの」展、あれは僕と工藤浩平という最近活躍している仲間と二人で、大学の院生1年生のときに呼ばれて行って好き勝手やって。 ・・・・がやがやワイワイ・・ 佐藤:中山さんの建築や周りの人を記録しようとしたのは岡田先生から家が出来たときに呼ばれて、泊まった時に思いついた。 で発注者の岡田夫妻、構造家の満田衛資さん、請け負った工務店にも行って聞き取りし、中山さんも担当の三島さんにも聞いた、何度も泊っている、それらの記録は公開しています・・O邸の家建築の性格が建物を体験して分かってしまったので聞き取りはせずにいたんだけど・・・。 最初のO邸の印象は路上ふうでいいんだけど、家族生活していくと最悪。で岡田先生には子供が成長する時期、高校生ぐらいになったら、誰か出て行く、追い出す・・・または自分が家出して暮らさないと息詰まるよと。建築としては面白いんだけどね。人間が生活を維持し続けられていい建築と、建築専門としておもしろい建築は別もの。同時にいい関係は成り立たない、建築にためや逃げがあり、森さんのように使い方を支援したりし続ければ成り立つ。次を拓く建築には誰も住んだことない建築だから、通常なら住み手は使いこなし方を模索しかつ問われるわけだけど、支援が要る。人は簡単に拓かれた次の建築に移行して暮らすことなんはできない。だから岡田先生自身が家出しちゃうとか、家族の誰かが別居してしまうとかで逃げを作る必要に迫られる。 現在は長男が家をでて滋賀県で暮らしているから徐々に岡田家族に使いやすい建築になってきていると思う。家族全体が星座型居住者同士だとそれを自覚していれば問題ない。 岡田:我が家も成長するごとにどんどん人口密度経る減るからね。 佐藤:子供が出て行くとか、行き止まり最上階に外階段つけて拡張して、勝手に出入り出来し「千鳥文化」のように変容していくとか・・・逃げないので、きついよね 岡田:我が家はそんなことないよ(笑)子供たちは我がもの顔でいるよ。 佐藤:それは良いね、良く育っている。 岡田:俺が帰ったら友達とか一杯いる! 佐藤:子供たちが建築を使いこなす、使い方は身に付いている、そこが岡田先生家族の面白い点。サラリーマン家族だったら無理!父ちゃん夜しか帰ってこないことになって、平等な家族の暮らしにならないね。 岡田:あれが建築の力なんですよ。 佐藤:そうそう。俺の想像では岡田先生が最初に追い出される・・という予想だったが・・父ちゃんが押し出されるはず、子供が出て行ってと・・ 岡田:あんまり居ないから、もう追い出されていますよ(笑) 会場ワイワイがやがや 佐藤:おれの予想ではそうだったけど。今年から長男は家を出て滋賀県で単身生活となっている。岡田先生も大学を辞して、いよいよ良い感じだぞ〜と。 岡田:今、本当に大学辞めてよく家に居る人になっているじゃないですか・・・子供が学校から帰ってきて、私が家に居て、子供を見たりするの、初めての体験。家にはずっと夜しか帰らなかった。 佐藤:1階は方々に出口があって玄関も変わったし、流動性あってそこからは家出可能だからいいんだけど、上に行くと行き止まりだから家出するには問題になる。最上階から屋根へ出入り出来る、抜けがあるといいんだけどね。あるいは貯めの祠部屋があるといいんだけどね。 岡田:なるほどね。我が家の一番上が一番良い場所、子供が一番居たい場所。 佐藤:巣のようだからね。流動性がないから居心地は良いはず。 岡田:唯一!一人になれる場所(笑)長男が居なくなって、今は次男が一番上で嬉々としてる。 会場 へえー 佐藤:中山建築らしい、天辺の一カ所だけがO邸の人々には安定した場と。他は流動性、路上性に満ちている、流動の過剰さがある。建築家は住みこなせると思うけど、戦後の家不足で他人に間貸しまでして暮らした時代と違うけど、21世紀の今でもマイホーム型の家で暮らしてきてるので、プライバシー無しの家、路上的な住宅体験してないから、個室ほしいでしょうね。で、きっとそうだと・・・。 岡田:私もね、子供には申し訳ないなと思う。一人になる場所が無いから。せめて一番上だけはね、最初長男に譲って、今は次男に譲って。 佐藤:お嬢さんが反抗して仕切りをぶっ立てて、自分の部屋にしちゃうとかないですか? 岡田:娘は今は1階で寝るんです、佐藤さんが1階に寝たのを見てて影響でソファーで寝る。 佐藤:それは大物だ!俺が泊まると道路で寝ているのと一緒だもの。 森:すごい! 佐藤:さすが岡田先生の娘だ。また脱線、岡田邸の話になってしまい・・すまんです。 会場 大笑い 佐藤:竣工直後「俺の家の路上に箔付けに来て」と岡先生に呼ばれて、何日も1階に泊めてもらった、長男が早起きで、天辺から賛美歌を口ずさみ1階に降りて俺の布団をまたいでトイレにいく。そのとき家がいい楽器のように響くんだよね。幼稚園で讃美歌ならっていたらしいよ・・・懐かしい。ご縁でO邸は俺にとっても観測しがいがある建築になりました。今晩は岡田先生の家の1階に泊めてもらいます。 家成:佐藤さん1階に泊りに来たらどうするんですか? 岡田:「今日は佐藤さん来る」っていって「2階に寝る」と言ってました。 佐藤:他者が紛れ込むと鍛えられる家なのでいいね、岡田先生が今度は追い出される順番なのです。 【ここからは翌日の話を付け加えておきます。佐藤は翌朝朝起きてから、奥さまに頼まれ次男+娘さんの聞き取りをしたが公開しないよ、奥さんは俺がいても朝食を用意して、えらい、早朝から「何か教えに遠出する」と言って出かけて行きました。(笑)俺と岡田先生がパンツ一丁で朝飯喰うのでありました】 根気よく聞き取り記録しておきます。 会場笑い O邸では俺の知らないことが突然話題になって驚かされる!それが面白い。そのまま記録は残して公開しちゃってますから岡田邸の家族の皆さんごめんなさい! 岡田:いえいえ。 佐藤:建築が出来たら何が起こっているのか?興味湧くので他者の自邸でも記録したくなるじゃないですか 森:ふんふん? 佐藤:超有名建築なはずなので、俺が箔付けに招かれてラッキー!でこのチャンスを体験し記録し伝えないのは馬鹿だ。理由は不明なんですが、そういう面白い建築との出会いが棚から落ちてきてしまったわけで即、体験し記録しますよ。他に有名建築家の家は泊って体験してます(笑)篠原一男の直方体の森も友達だったので何度も泊りましたよ。 岡田:我が家、あの家は面白いですね。 佐藤:そうですよ。危険と隣り合わせ、それは生きていることそのままだからね。 岡田:あの建築だからああいう家族になっているのか、あの家族だからあの建築なのか?もう分からないから(笑) |
O邸1階 佐藤用寝床の様子 上:2009年12月10夜 下:11日朝 子供の歌声が上から降ってきてこの建築が楽器化していいんですよ。 |
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■設計者の不満あれこれ 佐藤:ギャラ間で中山展開催中にトークイベント何度がありまして一度参加したんです。各発注者主導でビデオを作って放映したイベントがあったんです。岡田邸のビデオが流れたら、中山さんがすごい嫌な顔して・・俺はO邸の的確な映像ビデオで!いいなと思って観たんだね。 岡田:中山君は、あの動画は嫌なの! 佐藤:凄い嫌がっている会場にいても伝わってしまうの(笑) 岡田:面白いね。あれが最高なのにね! 佐藤:床はぎっしり岡田家の人々が使い込んでいるんだけど、天井下1mぐらいは神が住む家のように何も無、その対比が撮られていて、音と合っていていいんだよ。これを人と神の棲み分け、それをするためにこの家はあるんだと言える。 岡田:そう! 佐藤:設計した建築家がし住み手が制作した動画の意図を分かってないのはさらに面白い。 岡田:分かってないんだな・・・と思って本当にショック受けた! 佐藤:でしょうね、それは床はやりたい放題やって生き生きしているのに、美しい対比なのに・・ 岡田:もう自分(中山)の作品ではなくなっちゃった!・・・みたいな。 ワイワイガヤガヤがやがや その動画 岡田:いやいや、そうじゃないでしょう・・と思うんだけど。建築家にはそう見えない、お洒落に住んでほしいな・・みたいな。 佐藤:それは傲慢ですね、物としての建築の豊かさを建築家が狭くし住み手に押しつけても、住み手はその狭さを破壊して暮らす、そのたくましさがないと瞬間、瞬間、建築が生き生きしないよ。ですから岡田先生が製作した映像お洒落ですよ! 岡田:お洒落! 佐藤:ギャラ間展のトークショー建築家の建築の価値に対して、住み手が映像作家、音作家と岡田先生が楽しんで作ってて、生き生きした建築の価値が二つに分かれて同時にあるんだよね、それを音がつないでいて、なんていいことでしようか。ですから建築の可能性の奥深さと物としての可能性をさらけ出していた映像。面白かった。 岡田:何回観ても慣れません・・・と・・・。 会場大笑い 佐藤:やはり20世紀パターなる建築家なのではないか?という疑念が芽生えてしまった瞬間でもありました。森さんの話じゃなくなってますね・・・誰の建築の話でも尽き無い、限りが無いな・・・なんでもありだけどね。 またまた森さんの話にもどしてと(笑)で芸大の助教をやりながら、松戸での活動も行い。 |
2019/07/29 , and then: 5 films of 5 architectures / 建築のそれからにまつわる5本の映画 TOTO出版 / TOTO Publishing https://jp.toto.com/publishing/detail... |
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2022年7月21日 O邸の大硝子を背に撮る O邸を家にした男たちと集合写真 夜は京都の町に繰り出し岡田先生とカラオケ屋居酒屋に行きカラオケ歌いました。 |
2009年12月10日 撮影 左遊びにきた友達 右:二人が岡田さんの息子たち |
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岡田:松戸のパラダイスエアの話はどこかにまとまっているんですか? 佐藤:さっきも話ました、俺と花田達朗先生と、編集者を誘って聞き取りし、記録は公開してます。森さんの記録があるのかは知りません。 その記録の最初の1時間ほどは森さんの講義で、残りは勝手に解釈しならが質疑応答記録です。八戸市美術館の記録は俺が95%、森さんは5%としか喋ってないけど、その記録も公開してます。 岡田:それは読ませてもらうとして、2011年から芸大の助手になって、計5年やったということは2016年までということ? 森:そんな感じですかね。 岡田:今から6,7年前ね。芸大とパラダイスエアーに居て。 佐藤:その間に、八戸市美術館のコンペを獲ってしまったから・・八戸コンペは何時でしたか? 森:2017、19?あんまり記憶がないです。 佐藤:助手を辞めてその後コンペに関わったということですか? 森:助教で戻ったときに丁度コンペ獲ったかな?・・・で5年ぐらい。 佐藤:助教と助手ってどう違うの? 岡田:助教は先生。 森:一応、フルタイム。どっちも給料はもらって、5年かな。 岡田:助教も5年の任期ですか? 森:はい。ただ最近変わったと思います。 佐藤:じゃ最近助教を辞したということですか? 森:いろいろ雇い止めで5年とかになったけど・・・・。 佐藤:去年まで助教をやっていたということですか? 森:去年の春ぐらいですかね。 岡田:ずっと芸大に籍はあったんだ。 森:一時、2年ぐらい間はあいていた・・・と思います。 岡田:自分の中でパラダイスエアの活動はどのぐらい? 森:パラダイスエアは週一ぐらいですね。 岡田:森さんの活動はみんなが知っている? 森:最近はですね。 佐藤:あそうなの、みんな知っている森さんだったのね?有名人に当たってた(笑) 森:まあ、まあです。 |
パラダイスエアHP扉一部 「ジャイアント食堂」報告会|居間 theater - PARADISE AIR |
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■松戸の運営手法 岡田:八戸は浅子さんが付いたりしてがんがん言うからね。 佐藤:浅子さんという人は会ったことないな。 岡田:がつがつした人。 森:合わなそう (笑) 岡田:本当に面白いですよ。すてきな人ですよ。 佐藤:関西の人ですか? 岡田:元々大阪かな、神戸かな。 佐藤:あ、聞いたことあるかも、ゲンロンに居ませんでしたか? 森:いました。 佐藤:建築家ですか? 岡田:建築家。インテリアの方が多かったかな 森:がっり建築やっていた。 岡田:だけど東浩紀さんの私塾みたいなのに参加していた。 佐藤:喋るのが好きな人なんだね。 岡田:そう!もともとそういうのに興味がある。浅子さんもブログやってたのかな?俺はそれを見て、東浩紀の私塾の中で「中山英之凄い・・」っていう話をしてて(笑)で、この人は中山さんのことを好きなんだと。我が家の内覧会に来てもらった。喜んで来てくれて、実家も奈良ですみたいなことで、そこからの付き合いです。 森:そうなんだ。 佐藤:俺、浅子さんとの出会いないな。 森:面白いですよ。 佐藤:そうですか?縁があれば出会うでしょうね。 家成:森さんの一般社団法人PAIRですが、これはどういうのですか? 森:それはパラダイスエア用のPAIRです。 家成:なるほど。 岡田:パラダイスエアの運営用のね。 森:運営用の組織です。 家成:社団法人? 佐藤:森さんは文化庁と松戸市の予算を獲得して毎年活動しているから窓口組織はいる。 家成:なるほど。 森:最初は町の人と一緒にやっていたんです。けど、よく分からないアーティスト、松戸に来ないと分からないじゃないですか?町の人は責任あるから、分かる人というか、さっきの壁画とか、イメージが分かる人は選べるけど、そうじゃない人例えばコンタクト・ゴンゾウとか絶対選べない、怖そうだし。 家成:うんうん。 森:話合ってみたら良い奴だ!・・・みたいな、それが事前には分からないんです。パラダイスエアで制作すると応募はめちゃ来るんです。来るけど選べない!みたいな状況があったので、一般社団法人PAIRをレジデンスの運営用には作って、そこで基本的なプログラムで年間50人ぐらいは呼んでます。それとは別に町の人と一緒に審査して選ぶみたいなそういうのものもやっている。 佐藤:世界の津々浦々から膨大に来るエントリーシート、読むだけでも大変だよね。 森:そうです。超楽しい! 佐藤:日本語で来ないですよね。 森:英語ですね。 佐藤:そういう事前の雑用、地元審査前に手間が掛かるよう。で、最後に10人選んであとは町の人々が数人に絞り込んで松戸に滞在してもらいつつ作家との交流もしちゃう。最後の人選は町の人々にもゆだねる。森さんのパラダイスエアだけで閉じて、お仕舞いにしない。運営サイドが町の人々にこれ見よがしな箔付けしない。町の人達がエントリー動画を見ながら、こいつは良さそうだな・・・などと動物的感を活かして招聘アーティストを選んでしまう。 岡田:へーえ! 佐藤:その辺りも面白いし。不動産屋との連携も面白いですよ。俺がもっとも感動したのは、巧く動き出したら森さんは外れて次の他者にゆだねてしまう点です。 岡田:でも外れちゃうんですか? 森:はずれたいな・・・と思ってるんですけど。どうしようかなと。 佐藤:参加している人達は別の職業を持っている専門家たちの集合体でパラダイスエアを動かしいる点も知っておくことが肝心かな。 岡田:自分の仕事も持っていて関わる? 佐藤:お互い専門職を持ちながら集い活動している点も注目です。 岡田:マネージメントだから続けて? 森:参加者、みんな出来る系、もえちゃんとか、含めて。そういうキャラの人を集めているんです。7,8人居るんです。で、もえちゃんは台湾に移住しちゃった! 家成:え!そうなんですか?! 森:はい。もう一人はインドに、旦那さんの関係で1年行っていて。もう一人は今は芸大の助手をやっていて、オーストリアとベルリンとシンガポールかな。メンバー一人以外はみんな海外に行っちゃっていて。今日は本当は定例の日なんです・・・あれ出来ないじゃんヤバ!意外にみんな現場あるらしくって・・・という感じでみんな自由にしていますね。 佐藤:そうか、森さんが出ようと思ったら・・・若い人たちに先に海外に行ってしまったと(笑) 岡田:今、活動を始めて何年ですか? 森:丁度10年越えたぐらいですね。 佐藤:元ラブホの内装をそのまま使い切って展示している、新旧の重ね合いこれも面白い。「制作した作品は置いて帰るな」ということだから、作家が帰ると元のラブホ内装に戻る。死んだはずのラブホが生き物になっているよ。 家成:みんな作ったら持って帰るんですか? 森:そうです。預かっちゃうと大変じゃないですか、責任。もしかすると巨匠になるかも知れないので。 家成:確かに! 森:捨てちゃったのか!ああ・・・になるから。 佐藤:収蔵庫は要らないわけです。 |
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■舞台美術 生前葬 岡田:で、今やりたいこと?やていることは? 森:やりたくってやっているのは、全然違うんですけど、ひとつは舞台美術、関係ないか?生前葬に興味があって。 佐藤:俺の生前葬もやってもらおう(笑) 森:ちょとハードル高いかもしれない! 会場大笑い 家成:だいぶ高い(笑) 森:六角さんも亡くなっちゃったし、元倉さんも亡くなり、比較的芸大側ではメイン側で受けざるを得ない役をやったりして。でも、もったいないじゃないですか。木幡和枝さんというアートプロデューサーで、スーザンソンダクとか仲良かったりして、最近亡くなっていて。死んじゃうと終わるなと思って、生前楽しんだ方がいいなと。そんなに湿っている感じではないです。 佐藤:大笑いしている 森:せっかくお金使うならガンガン楽しんだ方がいい。 佐藤:死んで葬式に来られても・・・亡くなった本人の俺は嬉しくも楽しくないよ。 森:いいねと思ってたら「オイ・ボケ・シ」という劇団なんですけど老いと呆けと死をテーマにした菅原直樹さんという方が岡山ベースで居て。その人が岡ジイといって今年98歳になる主演男優。その人がやる舞台が10作品ぐらい出てるんです、それを8月にロームと岡山芸術創造劇場ハレノワという新しい劇場があって、そこでやるらしくって。それのテーマが生前葬で、何するのかは分からないですけど。そこでどういう舞台美術をやろうかな・・と、言ってたら仕事が来た。 岡田:舞台美術やるんですか? 森:生前葬の舞台美術。 岡田:それ個人で?ですよね。 森:舞台美術は年に一度ぐらいいろいろやっていて。 佐藤:演劇のタイトルが生前葬ですか? 森:「老いと演劇」OiBokkeShi 開館特別公演『レクリエーション葬』と言って、介護施設のリクリエーションってあります、そこで葬儀をやってみるって態で生前葬をやるんだけど、そんなみたない事が循環していく。そういう話になって、本がまだ出来てないです。 佐藤:八戸市美術館にシナリオ有ったし 演じて書き直しもする? 森:書き直しはする、加筆はしているんです。 |
劇団 オイ・ボケ・シHPへ 俳優で介護福祉士の菅原直樹を中心に、2014年に岡山県和気町にて設立。2016年より活動拠点を岡山県奈義町に移す。看板俳優は、認知症の妻を在宅で介護する岡田忠雄(97歳)。 |
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佐藤:聞き取り記録を作り続けているのも、俺と家成さんが亡くなったあと、記録を読み返して演じられる、そういう記録が出来たらいいな・・・と思って続けているので・・・森さんのジャイアント食堂シナリオと生前葬の舞台美術とシナリオ、同じ森さんの身体を通じて起こるのは面白いです。 その時々の、死を遊びととらえるのもよいことですし、この世でしか分からない言葉も、感情も記録に残せるように出来たら、文字記録(シナリオが残っている)と再度人間の吐く気、呼吸としての言葉で再現し死んだ遊びでも目の前に再度立ち現れるような気がして・・・生き残った生身の人間がどういう感情を息にして、言葉に換えて吐気出すのか?それを聞いて次の人の感情は現在と変わるのか? シナリオや画像で記録を残しておくと『レクリエーション葬』を再現し、最初に立ち上がってた場の更新した空気を作り出せるかもしれない、可能性がある。 動画で残すと生き残った人の気を加算と変容させるのは難しい、神の視線に近くなるからなぞり易い。文字はいい加減にしか残せない、のでそれでいい。人間の耳や視力はいい加減だから、それを基にして再演するのはさらに面白いね。それで記録を作り続けてシナリオも変え続けると。 肉声で残すよりは何倍も時間が掛かる文字起こしは面倒なんだけど、自動アプリで文字にすると俺のキーボードを押す指と脳の連動が残らないから、耳で聞いて手で文字にする、どちらにも間違いが起きて、そういう間違いがあるのが何かを変えてしまうので面白い、web記録は売り物でないから間違い文字が有っても責任持たなくていいし。 他薦された人を聞き出すと気分めちゃ悪くなることもあるんですよ。でも、気分悪い人と出会うことも楽しいと思えるのが聞き取り記録活動の楽しみなんですね。文字に起こすとさらに気分悪さが倍加するいし。 聞き取りしてて最も面白いのは家成さんがどういう人になって行くのか、予想したり再会して大外れしたり、家成さんがへたったり、商売が繁盛したり激動しているほうが会いに来ては楽しい。作った記録みてても想定できない生身の家成さんに会えるのは、楽しい事っだら(笑)なんだけど。会ってそこで音声採ってまた記録も作れる贅沢な時が生まれることだよね。 関西聞き取り(ことば悦覧)15年間でお仕舞にするけど、人は相当変わるね。柳原さんはお洒落な事務所に仕事できるキレキレの若い女性をたくさん雇って、フランスにも事務所を出した・・そういうの想像出来なかった、激変しちゃっている。 岡田:柳原さんもコミュニティーから居なくなっていく。あの人のコミュニティーに居る。柳原さんも作っている世界に居る。 佐藤:でも、遊びに行くと柳原さん歓迎しすぎて、彼は飲めない酒を呑んで喜ぶ!・・・誰にでも時々さざ波起こしに会いに来ちゃう人は必要なんですよ(笑) |
2022年7月19日FBより 今は無い、柳原照弘さん大阪事務所で |
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柳原照弘さん大阪事務所にて2022年10月6日18:30よりワイワイ開始 岡田栄造先生、幸家太郎さん、今井敬子さん、 柳原照弘さん、笹岡周平さん |
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1:2:16:11 次のワイワイへ つづく |
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