八戸市美術館を訪問記  設計者のお一人 森純平さんに聞き語る 2022年6月23日 作成:佐藤敏宏  (HOME
   

佐藤:初めまして。森淳平さんにさきほど、偶然お会いしました。設計者なんですか?
:そうです。凄いですね偶然です。
佐藤:八戸市美術館を体験しにきましたら、いきなり設計者にお会いしてしまいました。運がいい、ご縁がありますね!森さんには連絡したこともなく、八戸市美術館の設計者の名前も知らずにやってきました。到着してすぐに外部も含め一巡しまして、設計者のご苦労が分かりました。
最初に外部を一周して観て歩きましたが、敷地が狭いので、たくさん機能を詰め込むのは大変なことだなと感じました。それから予算が潤沢になさそうで苦労なさっていると想像しました。その二つは強く感じました。入館すると高い天井には中央の空を突き破るかのような、関係者の熱情を表したのでしょうかね、そのことを表象していて微笑ましく思いました。

一巡してからFB投稿しましたので読んでみてください(FB投稿内容を森さんに見せる佐藤)最初に入った部屋というんでしようか?

:ジャイアント・ルームです。



2022年6月23日佐藤のFB投稿内容
佐藤:ジャイアントルームと名付けられた施設は脱美術館していて、これから市民が使っていく公共的施設としては最先端をいっている。ただ、投稿にも書いたように、運営の仕方が初動時は市民だけでは非常に難しいし、市民の意識が活発な活用を産み連鎖していくような意識が生まれるのか?そのようにうまいこと市民の意識が高まるまで、どのようにサポートするのか?
竣工後の活用のための支援活動は設計者の責任なのか?行政の運営に委ねてしまうのか?それを言い出すと暗礁に乗り上げて、お互いに責任のなすり合いに落ちてしまう。そういう流れが今までの公共施設、管理委託施設の関係者の経路だったように思います。
そこをどういうふうに、運営の仕方を設計される時に練り込まれたのか興味が向かいます。通常の美術館機能部分はジャイアントルームの背後におしやっていますね。ジャイアントルームの床にはレールが敷いてあるので、ルームに置いてる動く大きな工具箱のように見えます、大きな工具箱を動かし使いながら、市民それぞれの活動をする。

通常の美術館機能はジャイアントルームの周辺に単に並んでいるようですね。市民の活動を前面にだして分かり易く伝えようともしています。その点は象徴的で市民の日々の活動とその支援が露わになっているジャイアントルームです。2階には桟敷型の廊下も設えてあり、市民の活動を互いに観察し合うことができます。活動することと観察する行為が同置してある。それが一目瞭然で清々しいですね。

異常に高い凸型の天井は市民の熱意を表すような高さで、15m以上ありますかね。もっとありそうだ。

:一番たかいところで17.6mですね

佐藤:ジャイアントルームの天井は他の部屋が比較にならないほど高い天井高を有しています。市の担当部署と設計者の熱意が充満している、そのことが可視化されていて、好感も持てます。光は高い天井から入ってくるので、今話しているジャイアントルームとは閉じている、ような気がしますが、北側のタイル張りの庭との連携活用が視線のみですね。オープンするには予算が無かったのだと推測します。

:ははははは






佐藤:ジャイアントルームの北面窓を開け放ち、庭と一体に活用可能だと、さらに使い勝手は増しそうですね。窓を壊して一体化せずともジャイアントルームで、市民が櫓を組めば盆踊りのようなこともできそうです(笑)。
八戸市にとっては現状で市民活動ができる十分な広さなのかもしれませんね。八戸市の伝統的な祭りなども小規模に開催できそうで、笛や太鼓や囃しの音が鳴り響いても十分包摂してしまいそうですね。
美術館の機能としては収納部・収蔵する、教育普及する、展示するが主でしょうけど。八戸市美術館は市民の活動を支援するような美術館をつくりだしてよい感じ、そういう形だと思います。







金沢の21世紀美術館も体験しましたけれど、展示のための箱がきちっと並び、グリット状の町並みを象徴的な円で囲い込む形式でした。ジャイアントルームのような幅広い街路型の場は無いから、市民の活動を前面に出して見せるような美術館ではなかったです。「作品をありがたく見せる」という20世紀型の美術館のミッションで成り立っていました。


 (21世紀美術館平面図 WEBサイトより

八戸市美術館は20世紀の美術館に秘められている主客を転倒させてしまい、市民が活動する姿を見せ、誰でもがあからさまに観たり触れさられたりする。そういう21世紀型の美術館がようやく20年経って現れたと思いました。

(仙台メディアテークは市民活動の場でもあり図書館もついる文化複合施設なので、設計初頭、花田達朗先生の「公共圏」概念(公共圏に吹く風)をベースに総合文化施設にできあがった。市民が主体の主旨は似ている。市町村立美術館としては八戸市美術館が嚆矢を放った形だろうか。)

八戸市美術館は21世紀美術館のような象徴性のある形は放棄していまして、外観には拘っていないような潔さも特徴の一つだと思いました。強めに言えばお墓型シルエットでしょうか。洗いざらしの普段着のような外観で好感が持てます。

ジャイアントルームに入ると外観とは全く異なる質の高い場所が生まれたんだという強い印象が残りました。内部は死者・過去に制作された作品の入れ物施設ではない。内部がつよく生きているので、好感度はベストという感じです。

:ありがとうございます。








佐藤:今世紀の美術館としては申し分のない市立美術館ですね。文句があるとすれば、設計者にもっと予算をつけろ、金をあげろ!(笑)建築コストもっと掛けろ、金を出せです。

:ありがとうございます。

佐藤:ジャイアントルームの大きなカーテンは不要なんじゃないかと思いました。

:その可能性もありますね。

佐藤:僕は建築の理想は路上だと思っているので、ジャイアントルームは道路の上に基壇上の大きな屋根が掛かっているように受けとめました。入口の前庭もふくめて、道路の延長状です。路上的な、いい感じのジャイアントルームなので、文句のつけようがありません。強いて文句が出そうなのは、八戸市民の年齢構成は分かりませんが、日本は独居老人が多いので階段が急で上り下りに苦情が出るぐらいでしょうかね。

:2階に機能が無い。上から眺めるぐらいですね。

佐藤:天井桟敷状の通路がありジャイアントルームの様子を見ることができる。他は事務室でしょうか。

:全部一階にあえておろしています。


佐藤
:ジャイアントルームを庭に対して閉じなかった点は迷いましたか?

:むしろそれでいくと、本当は妻面が街に開いているはずなので、妻面(西側)を開いた方がいいかもと思うんです。そうしちゃうと、これは難しいところなんですけれど、開き具合をどう制御するかという。前面ガラス張りにしちゃって透明性を高めると、このコージーな空間は落ち着くじゃないですか、この巨大な空間なので。何かそこのバランスがあって、街からの距離感とうのは大事だなーと思って。

佐藤:で入口を北面に細く付けたんですね。

:そうですね。
佐藤:青森銀行の外壁とか工夫されてよくなっています。街路が強調されています。協議されたんですか?
:そうですね、協調開発というかたちです 



佐藤:隣の銀行の外壁には木製縦ルーバーを設え隈さんしている、気配りですね。
:気を使っていただいてます。
佐藤:街の方々と総合的に配慮しあってて、いい感じです。もう少し敷地面積を与えてあげたかった。そんなところです。
南側から見ますと、多くは閉じていますよね。

:とは言え、アトリエの方も実は窓が開いています。市民会議室も硝子張りになっていたりします。展示の準備をしている様子や会議をしている様子などが街路から見えるようにしています。

佐藤:日中は展示室より外が明るいので硝子面は鏡面になってしまいますけれど、夜になると逆転効果があらわれ、市民の皆さんの活動が見えてきますね。
森:上がオフィスなんですけど、そこは不夜城ではないですけれど、昨夜もおそくままで明かりが町に対して漏れていました。



佐藤:2階の桟敷席状の廊下から外部にでると、庭が設えてあります。先ほど上がって見ました。休憩したりしつつ街を眺めることができる、桟敷席からは内外部を眺めることが可能になっていますね。 町の辻の往来を眺めながら、外で休憩したりお喋りもできるようになっているので、市民の方は夕暮れ時にも来て快適に活動しやすいだろうなと思います。公共施設なんだけど私的な場にし易いということです。二階の屋上テラス、今日は暑いので夜涼みながらしながら活用すると良さそうです。

:まずはジャイアントルームに来て欲しので、後々つながっていくと思います。





佐藤
:私の予感はほとんど外れますけれど、ジャイアントルームは成功してほしいと言いますか、成功するだろうというのが初体験での思いです。
今、ジャイアントルームで語り合っています。目の前では市民の方が活動している若い人もいます。彼らは動員されて活動しているのか不明ですが、八戸市は表現活動が好きな人が多いのではないかと思います。
私が八戸で知っているのは八戸工大と劇団モレキュラーシアターと中山英之さん一家が暮らしていた2013年7月11日聞き取る)ということだけでした。今日からは八戸市美術館も加わりました。 モレキュラーシアターは精神科医の豊島さんという方が主宰し、レベルの高い現代演劇集団でした。40年ぐらい前に塩竃市で彼らの演劇を鑑賞したことがあります。いい感じの表現で好感を持ってしまいました。私は八戸市の歴史的背景を知らないのですが、豊島さんの演劇集団を見た限りにおいては文化の継承や個人の表現に対する感覚が高くて、市民活動も活発だろうし、いろいろ起きてくるんだろうと思っていました。
今日、市美術館を体験するまでのそのような予備知識が少しあったので、先ほど関係者特に、学芸員の頑張り次第でこの美術館の特徴を活かしきって、成功した市美術館になるだろうと思いました。


設計チーム3人


森:そもそも他の都市だとしたらこのジャイアントルームは使えないと思うんです。けれど八戸の場合プロポーザルの前提の段階でけど、設計者として無理に提案するわけじゃなくって、むしろ設計者は私だけではなくって、西澤徹夫さんと浅子さんと3人組で設計しました。
佐藤:それぞれに雇用関係はなく、お互いが独立した3人の関係なんですね。

:そうです。

佐藤:じゃ、八戸市美術館を提案し実現するためだけに設計チームが出来たということですね。そうしてコンペに提案したと。コンペで設計者が選定され決まったんですか?

:コンペです。
佐藤:審査員はだれだったのでしょうか?
森:青木淳さんと、佐藤慎也さんとか、北原啓二さんとか。
佐藤:北原さんは八戸工大や、弘前の大学で教員でしたかね?

:そうです。あとは地元の吉川さんとか、です。

佐藤:青木さんの推しが強かったのかな?
:ただ、西澤徹夫さんは青木さんの元スタッフですので、青木さんは何もコメントをせず。逆に推せない状態だったんです。

佐藤
:そうか、青木さんが弟子を推したりすると、参加者し落選した方々からある事ない事SNSなどに投稿されかねないですからね(笑)

:そういう意味で言うと設計者というよりも、そもそもの応募要項自体が、こういう場所を求めていた。ソフトの方の設計が凄く意欲的な内容だったので、それと同じ位のレベルで設計を返したという感じです。

佐藤
:入って来た瞬間にそう思いました。行政の方々の異様な頑張りがなければ実現しない形式と構成ですね。設計者が思いを込め尽くして提案したとしても行政サイドは受け入れなかったと思います。そう思うのが今までの様相で、20世紀型の美術館もパターナル形式ですからね。

:あそこに座って打ち合わせしている方が、副館長で、その応募要項を作成した人です。八戸美術館の前に、街中で「はっち」(八戸ポータルミュージアムはっち)とかご覧になりましたか。
佐藤:ここだけ観に来たので知らない名前です。

:はっちはトータルミュージアムという形で最初に出来ていて、入口の美術館。何でもありなんです。ですけど、それの立ち上げからずーっといらっしゃって、2011年に出来た美術館というか、何でもありの館みたいなんです。

佐藤:そういう意味では八戸市の施設づくりに参加できる設計者は恵まれているという、世にも稀な設計を提案することが出来るわけですね。

森:高森さんという方です。

佐藤:市役所の高森さんが八戸市の市民活動に適した施設を誘導し実現してきたんだと。美術や市民活動とその表現は何か?と常に考えつづけていないと、このジャイアントルームには至らないでしょうね。
新型コロナの騒動下で、今年の2月からロシアとウクライナの間で戦争が始まった。そのことで文化的、あるいは市民の表現活動こそが誘導兵器ジャベリン一発撃ち合うより人間の暮らしと確認したことでしょう。文化的営為にこそ生きる価値があると、確信できるようになりました。殺し合いより文化的な活動に金を掛ける方が未来にとっては豊かな暮らしが生まれる可能性が高く、その活動の継続こそが重要なんだと。戦争が起きて、誰でもが納得できるような状況がうまれました。
コンペの参加時には新型コロナも、今年の戦争のことも八戸市は想定していなかったでしょうし、設計者の森さんも同様だったと推察します。21世紀の戦争や感染症は人々の交流や文化的活動での相互交流をつくることでしか乗り越えられない。その事実を今現在日々確認合っている、稀な状況下ですからね。八戸市美術館のオープンは新しい文化を育む公共施設やその政策の嚆矢となっていますね。

人間同士の殺し合いや戦争をプロテクトするのはアート活動や表現以外に存在しない、武器をつくるのも戦争し殺し合うのも負の文化ではありますが・・・それに対する逆のベクトルが、若い市民活動による文化的営為の支援だ。そのことが明確に示されています。八戸市美術館が今後活動し続けることで、そのことが証明されていくと思います。市民のスピリチュアルなホームをこの美術館に集うことでつくりだすと。

八戸市美術館を体験すると、そのことが実現するんだと思うことができました。森さんも他の設計者二人とこの美術館ともに、21世紀の時代の申し子だと思いました。とても象徴的に世に現れてきました、おめでとうございます。ここで実現できてしまう、八戸市美術館で市民活動を支えている職員の方々には敬意を称し同時に人間の誇りを感じてしまいます。今後の八戸市の動向に刮目してしまうでしょう。

:その活動自体を今までの美術館ですと、頑張って展示を作ろうとか、頑張って市民活動しようとか、そういう気合が必要だったと思うんです。

佐藤:笑

:八戸市美術館の場合、市民活動しろ!という場所じゃなくって、逆に普段であれば美術館の裏側で、こういうアーテストと事務員の方の打ち合わせとかは見えない。そのところを全部!表に出していく。アーテストの制作もここで行ったりした方が双方楽しいし、そういうのが漏れて来て、同じように市民の人も無理に来るというか、聞き耳を立てていたら楽しそうだから一緒にやろうよ、とか。そういう形で人が寄って来る

 女性が寄って来る

佐藤:今、森さんの聞き取りをしているんですけど、森さんに用事ですか?
女性:すみませんちょっと展示の仕方が気になるという方がいらっしゃるんですけど、あとで。
:後でもいいですか
佐藤:俺は長話し合う人なので、中断して先に対応してください。
女性:では先にちょっとお願いします

佐藤:では一端中断しますね、今日一日ここに佇んでていいので、遠慮なく行動してください。

森さん対応に立ちあがる



埋め込み動画 
Som Sabadell flashmob
- BANCO SABADELL



ジャイアントルームの現在

佐藤:ジャイアントルームの活用方法は市民の方々が、身に付けていくしかないと思います。森さんの名詞にはデレクタ〜とあります。八戸市美術館に雇われているんでしょうか?

:違います。この表記は今週6月25日にこの場所で「ジャイアント食堂」という企画をする予定です。それをテーブル周りにいらっしゃる4人の名前はシアターというユニットが企画運営しているんです。その人たちに言われてインストールを手伝っていました。

佐藤:支援活動ですね、それはボランティア活動ですか?

:ちょっとだけいただけます。あ、ボランティアかな?

佐藤:市役所と支援活動のための契約はされていないんですか?設計者が運営にも関わっていくことで市民活動を軌道にのせていく。設計者が係わる良し悪しはあると思うんです。第一段階はこの特徴のある建物や巨大空間の活かし方を理解してもらう、初期段階ではボランティア行為でも良いと思います。契約してしまった支援活動だと設計者の意図を押し付けてしまい成果を急いでしまうかもしれませんね。で、自発的な市民の芽が発芽しにくくなり、依存型になる可能性もありますので。あらゆる公共施設に担当した設計者が2年間ぐらい関わっていく仕組みがある方が実建築の勉強になるので双方に効果がでるとは思います。仕事の手切れ具合が悪くなるからでしょうか。
設計者が建物を使うための支援活動をしているというのは、初耳なので。もしかしたら市から一時期支援活動の雇用契約があるのかと思ったのでお聞きしました。





■VIVAについて

森:
という関係性ではあるんですけれど、残念ながら八戸市美術館とは契約をしていません。ちなみに僕が他、茨城県取手市にあるアートセンタービバ(VIVA)というのに関わっているんですけど、そこは基本設計 もして、プログラムの設計もして、運営のデレクタ〜もしています。

佐藤:ある種の建築にとっては完全に幸いな契約形態ですね。

:はい、全部やっています

佐藤:もう一度お聞きしますが、茨城県の何ていう施設ですか

体験VIVAという、体験美術場で体験びばといいます。茨木県の取手市です。
その施設は八戸市美術館の設計中に話が来て、ですからカーテンとかプロジェクトルームとか、八戸で考えていることを実験的に入れてみています


 (絵:VIVA webサイトより

佐藤:「VIVA」は森さんがお一人で担当しているんでしょうか?
:そうです。
佐藤:では「VIVA」は森さんの個性を存分に出せますね
:そうですね。そんなに個性は出してはいないですけどね。

佐藤:運営プログラムを作ったのですから、酷い忖度がなければ、そうなるような気がします。

:そうですね。それもゼロから持ってきているわけではなくって、取手にはもともと東京芸大が在ったり、芸大の収蔵庫が入っていたり、取手市にも市民ギャラリーが在ったりしたので、基本的に取手に元々あった機能を入れているんです。

佐藤:美術活動や市民との連携活動を学生時代から徹底して勉強と体験されていたんですね。
:まあ、そうですね。

佐藤:八戸市美術館の運営に最適任者、そういう意味では森さんは超プロフェッショナルだったんですね。これまでのことに関しては博士論文は書き上げられているでしょう?

森:書いてないですけれど、確かに20年ぐらいは最前線の現場に関わってきていますね。

博士論文書いて

佐藤:博士号はまだもっていないということですか?
:まだもっていないですね。
佐藤:とりなさい!と俺が言うわけにもいかないけど。

:とった方がいいと思います。
佐藤:建築系の先生たちは博士論文なしでも教員になっている人いますから。あの手法はよくないと思います。
:笑 。なるほど。
佐藤:藤村先生も博士論文無いはず、読んだことないですから。
:博士課程は行ったんじゃないですかね。

佐藤:今も在籍中かもしれませんね、研究室の関係者によると博士論文のネタが切れて久しいんだと。教えられたことがあります。事実かどうかは先生に直接、確かめていません。

森::笑。松島潤平さんはどうですか。

佐藤:松島潤平さんは博士論文書いて博士号を受けたとFBに授与式の写真とともに投稿していたと思います。そうそう俺、松島さんに博士論文を頂戴するのを忘れてました、早速連絡して頂きます。博論は別の大学かもしれないですが、東工大の仙田研究室を出ていますので。博論文残部無くなってしまったかな。東京芸大は博士論文は書く必要は無いんでしょうか。

(7月15日連絡によると松島潤平さん、博論製本していないとのこと タイトル『形態と仕上げの関係からみた開放系装飾による現代建築の実践論的研究 A PRACTICAL STUDY ON CONTEMPORARY ARCHITECTURE WITH HETEROGENEOUS DECORATION THROUGH THE RELATIONSHIP BETWEEN FORM AND FINISH』
』 学位取得日:令和3年1月31日 学位取得大学:東京工業大学))


森:芸大博士課程で博士論文は要るといえば言えるけど、実践的展示も査読に入るんです。論文を書いている人もいますね。歴史系は多いですね。

佐藤:博士論文へ脱線したのは、森さんが20年ほど美術活動と市民活動のディレクションを実践したということですから、是非書き上げて多くの人に伝えてほしいと思ったもんで。
お寺の仏像や地獄絵・曼荼羅など経て美術館の今までは、金持ちが道楽で集めた貴重な品々をありがたがって観る、日本独特のパターナルな押し付けタイプの美術館運営が長年続いていたと思います。教育効果を目的にされているかのような存在。八戸市美術館は日本の市町村においては革命行為、あるいは発明的行為になっていると思いました。
美術品というと高価でありがたいとの思い込み、金銭と上から押し付け教育的な行為として、多くの市民には馴染みがない(笑)。現在の若い人だって、美術館に行って何するの?何をする所なの、美術鑑賞するってなによ?と変人扱いだと思っている人は多いように感じます。
アーテストは、社会に対してやむにやまれない鋭敏な精神をもって生まれて来てしまった、表現行為をしないと生き続けられない。社会との暗・バランスな精神から作品がつくられていて、社会状況を激しく刻印するものであるから、大切にしようという捉え方をする人は少数派で、現代社会を的確に映し出す発明品、あるいは鏡作用を持っていると思う人も少ないと感じます。
頼まれもしないのに制作し、価値の有無もさほど気にせず制作し続けている者がアーテストだと思います。仕合せに生きてほしいけど、そうはいかない。やむにやまれる中から生まれて来るのがアート作品で周囲の人々に迷惑を掛けることもあります。作品評は分断も対立もうみます(参照:津田さん藝術監督のあいちトリエンナーレ)。市民の未来を先取りして警鐘を鳴らす機能も果たしているのですが、多くの人々にそのことを理解されているかどうか分かりません。 

アーテストの作品の中に自分の負の可能性が内在していれば鑑賞していただけで、気分が悪く成ったり嫌になる、あるいは苦情の対象になる。制作者はよんどころのない内面の事情があって作品制作に挑んでいるんですが気の毒な事もおきます。制作者は内部を晒して生きているので、そのような表現している。
そういう作品の見方は義務教育で私は学んでいません、多くの売れないアーテストとの交流の中で知りました。いまだに義務教育の中にもないように思います。そういう状況下で市民が理解できない、現代芸術作品は分らん!言葉が途切れたままで放置されていると思います。そのことはもったいない、誤読であろうがアートに係わることで、自覚していない自分に内在している可能性をみつけることができますので。

アート作品が内包している力を森さんに誘導していただき、市民のためにもアート作品との媒体になっていただくといい感じですね。同時に森さん発の本が刊行されると嬉しいんです。是非、八戸美術館の実践をテーマに、論文など書いていただきたいです。
今までの公共施設は前例主義にもとづいた合議制で決まり、上意下達のかたちで市民に降りてくるだけだったと思います。さすがその形態は21世紀も20年代に入りましたので古過ぎます。
八戸市美術館は市民にとって身近で使い勝手のよい施設になるでしょうね。

:そうですね。


市民の居場所を誘発する美術作品と制作過程

佐藤:今年になって40年間所有していた日本画一対と写真・オリジナルプリントを福島県立美術館に寄贈しまして、作品と市民の距離について考える時間が多くなりました。買うときに私は直接作品や作家と接していましたので、作品や作家との距離は離れていません。
現在の美術館や作品は地域の暮らしと地続きであり身近であるべきと強く思います。目の前に生きている作家が内包している、やむにやまれぬアクチャルな感覚でつくりだす作品。あるいはその制作過程を市民と共に体験することの方が作品より価値が高いと思います。
鑑賞者は作品や作家と制作過程を通して自分たちが生きている混沌としている社会の実態の一部を理解することが可能になるからです。アーテストと一緒に居ることによってそのことを確認したり検証できる、その点が八戸市美術館の良さになっていますね。一方には20世紀的、旧来の美術館に対する意識が大半を占め、またそういうパターナルな意識で美術展が開催されている。今の社会に同置されていると互いの施設の効果が強調され明らかになってよさそうです。




福島県立美術館の学芸員の方々が2022年7月6日佐藤の家から寄贈作品を搬出する様子

作品を制作するのも表現ですが、行き場がなくなった独居老人が八戸市美術館のジャイアントルームに毎日通ってくる、それも表現です。この美術館から有名なアーテストが誕生することで八戸市が表現者を育てる、そんな事もあってもいいでしょうが、名も無い人たちが美術をつくりだしたり、制作過程を楽しんだするなかで、美術の価値を知らず知らずに身に付け豊かに暮らしている、それがいい。八戸市美術館のような公共施設が津々浦々に造られると戦争も分断対立も減少する、そのような世を期待しますね。

森さんのような建築家兼演出家は表に出る必要はないでしょうし、黒子でいいと思います。専門的な方々が森さんの存在を知っているだけでいい。

八戸美術館に関する本ほしい

八戸市美術館では今、まさにいろんなことが行われているので、そこも本にできるといい気がしているんです!

佐藤:ぜひ本一冊、森さんの手から世にでるといいですね。7月半ばに京都に行く用事があるので、知り合いに聞いてみます。
森:ぜひお願いします。
佐藤:建築系の本は売れないからね、いいなと思っても刊行までは至らないですよ。
:そうですね。
佐藤:どうやって売れる本をつくるか、編集するか。重版を重ねて長い間売れ続ければいいんだけど。
:それだと各地の美術館においておくと売れそうな気がしますね。
佐藤:美術館も図書館も全国津々浦々にあるから、学校の美術教育で活かしてもらったり、美術館に置いて売ってもらえる、そんな本にするといいかもね。


街中にある寄贈作品を展示 

:アーテストも美術館に居るのものそうなんですけれど、今日残念ながら全然展示していないのです。八戸美術館で面白いのは町の人がめちゃ喋るんですよ。これ何とか、それが凄いよくって。アーテストが居るわけじゃないけど、作品がここに置いてあって、収蔵作品ではなくって、街中に寄贈されていたような作品たちを今回は借りて来て展示し、25日にジャイアントルームで。直射日光が入ってくるので収蔵作品は出せないんですけど、逆に街中に既に存在してる作品たちを借りてきて、それを飾る。そうして、ここはご飯も食べることができるんです。

佐藤:そうなの!ジャイアントルームの作業机でスタッフの方が先ほど弁当を食べていました!
:ここから向こうまでなんですけど、ギャラリー部分は食べるのはだめなんです。
佐藤:諸問題が起きると問題になるね。食堂営業としているとはいえないよね、持参した飲み食いは可能だと。

森:6月25日に「ジャイアント食堂」イベントとして食堂をやろうとしています。(右欄に結果)
8月8日森さんFB投稿の一部より
 2022年6月に八戸市美術館のジャイアントルームで開催された「ジャイアント食堂」。八戸市美術館の最大の特徴ともいえるジャイアントルームを全面的に使った本企画は、1日でのべ約
4000人を動員し、大盛況のうち幕を下ろしました。「ジャイアント食堂」当日の様子を、展示とトークで報告します。
日時|2022年9月18日(日)
展示 13:00〜19:30 /トーク@ 15:00〜16:30・トークA 17:30〜19:00
会場|PARADISE AIR(千葉県松戸市本町15-4 ハマトモビル)
参加費|無料
予約|トークのご観覧は要予約(※展示のみの場合は不要)
定員|トーク定員:各回10名


進行:東彩織(居間 theater)
出演:加藤甫(写真家)、冨田了平(フォトグラファー/ビデオグラファー)、??方大(インストーラー)、宮武亜季(居間 theater)
●トークA  17:30?19:00
「場をつくるのか、場からつくるのか」
「ジャイアント食堂」をどのように創作し、またジャイアントルームをどう捉えて企画を実施したのか。
演出・構成を担当した居間 theater、八戸市美術館の山内氏、八戸市美術館共同設計者の1人でジャイアント食堂のインストールをともに行った森氏と、東京・谷中地域をベースに事業を展開する建築家の宮崎氏をむかえ、ジャイアント食堂、ひいてはジャイアントルームについて、他の事例との比較を交えながらざっくばらんに議論します。
進行:稲継美保(居間 theater)
出演:宮崎晃吉(HAGI STUDIO代表/建築家)、森純平(建築家)、山内伶奈(八戸市美術館)、山崎朋(居間 theater)

佐藤:街中の作品も借りてくるのもいいですね。制作された作家も所蔵者も市民も交流できる素晴らしい企画ですね。各人の家のお宝作品を持参展示し皆さんに観ていただく、我が家のお宝自慢から始まって話に花が咲き続けそうですね。
:楽しい。そこにある干物の油絵とかは市場の社長さんがもっていて、市場に普段は飾っている。それを借りてきました。

佐藤:八戸の漁業の皆さんともアートで繋がっているようで、いい感じがしますね。

森:けっこう面白いです。

佐藤:八戸市のみなさんの身近な生活の延長場にあるアートを愛でるのはいいことだと思います。地域ゆかりの作品を鑑賞する日々は豊かさの一つですよね。森さんがそういうディレクションをなされて、本も出したいと。そういう本は一冊あった方がいいと思いました。だれかれなく推しておいきます。


八戸市美術館活用支援活動の源


佐藤:話を少しかえます、森さんは美術館の活用支援をボランティアで押しかけてきていて、設計者としては、今話されたようなことが八戸市美術館に定着し継続されていくのか?4,5年は掛かるだろとう・・とか見通しのようなものは設計する段階から市のみなさんとも話あっていたのでしょうか?

森:そうですね、それでいくと僕らはまずは予想を越えて欲しいというのもあるので、むしろ最初は直接は関わらないけど、当然展示の毎回あそびに来てます。遊びに来たついでにスタッフの人に捕まって建築ツアーをやってとお願いされます。

佐藤:森さんは熱情があります。その源泉はなんでしょうか?

:こういう施設、最初褒めていただいたと思うです。なかなか無いと思うし、それから、使われることが大前提ですから、それを支援。
佐藤:「支援するんだ」と軽く言われますけれど、設計者は自分の思う建築ができたら、あるしゅ自慢げに我が成果を語り発表するような人が多かったと思います。森さんはそういう気配がみじんも無いですね。

:そうですね、西澤はもうちょっと上なんですけど、そういうことは言ってなくって。青森県美の担当だったり、京都市美術館の担当も西澤さんと青木さんの二人でやっている。東京国立近代美術館の上の階の改修とかも。美術館専門。

佐藤:日本の津々浦々に美術館もあるけれど、八戸市美術館のジャイアントルームのように生き生きしている、と感じる美術館に入ったことは無いように思います。なんとなく静謐な墓場のような空気が漂っていて過去の作品を静かに鑑賞する。

森:しかも休館日、展示していないのに観てもらって、それを佐藤さんに言ってもらってるのはとても嬉しい。

佐藤:昨日(2022年6月22日)に八戸市美術館に電話を入れたんです。建物見せてくださいと。「展示してないので何もない」と言われました。収蔵されている作品を観にいくのではなく、建築を観に行きたいので、入って建築を体験させてもらえるのか?と尋ねたんです。

:よかったです。

佐藤:来てみましたら、受付にいらっした小太りの方が熱情満々で親切、多様な質問を浴びせましたが、嫌がりもせず、雇われて受付をしているという感じがなく、この美術館を愛している関係者の一人であることが伝わってきました。

:そもそも受付の人めちゃくちゃ丁寧で、それもいいですし。
佐藤:ICレコーダを向けて記録しようかと、思いましたが公務員の方なので音採取はしませんでした。対応もよかったです。展示していない日に建築体験しに来てよかったです(笑
森さんは今なん才ですか?西暦何年生まれですか


森純平さんのこと

森:
1985年生まれです。
佐藤:37才ほどですね。私はこの20年は30才前後の建築系の人々を聞き取り活動していたんですが、松戸に行く機会をつくって森さんの話をお聞きしたいです。設計事務所は一人で開所されているんですか?

:チラシがあるので、差し上げます。
佐藤:ありがとうございます。森さん自身を紹介するためのチラシですか
森:パラダイススエアーのチラシです。これはアーテスト・イン・レジデンスってご存知ですか。

佐藤:知ってます。
:その略称なんです。松戸でアーテスト・イン・レジデンスをやっていて。
パラダイス・アーテスト・イン・レジデンス

アーテスト・イン・レジデンス(AIR)いろいろ

佐藤:アーテスト・イン・レジデンスを知ったのは2008年4月です。金沢市の鷲田メルロさん夫妻が主導していたものです。金沢市寺町の町家を改修してそこを基盤に活動していました。聞き取りに行きましたら、東日本大震災に遭って宮城県や福島市周辺での被災地活動を報告させられました。金沢の人々にも被災地での古建築レスキュー支援活動を手伝っていただいたので、報告兼て聞き取りにいきました。
偶然その寺町の町家がアーテストレジデンスになっていて、そこで30人ほどの人があつまってきて、被災地報告と私の活動の講演をしました。聞き取りはそこに泊って活動しました。
その後も一度いきましたが別の場所でアーテスト・イン・レジデンス活動をされていました。その時は塚本由晴さんたちが改修された町家に4日ほど泊って聞き取り活動しました。貝島さんのお弟子さんたちが金沢市に住みついていていることもありまして便利なんです。俺が一番、金沢のアート・レジデンス風・町家を使っているのかもしれません(笑)21世紀美術館に展示作品をつくっている人は居そうですが、高知工科大の渡辺菊眞先生は「野宿しながら展示作品を制作した」と言っていました(笑)

金沢21世紀美術館周辺にアーテストレジデンスもよかったんだけど、市民との交流と市民が自主的に活動する姿は今日の八戸市美術館のようにはなりません。建物の計画上発展しない象徴的で強い形態ですからね。周囲の芝生で市民が活動しはじめれば、現況を破壊して八戸市美術館のような風景が生まれる可能性はあるかも知れません。そうはならないですね。




008年4月金沢市寺町にある
町家を改修したレジデンス
CAAK姿
鷲田めるろさんと2ショット
カークサイトへ

金沢の美術館会館当初ですがアーテストの制作過程を見せているのかもしれないけれど。俺は偶然に、ボランティア市民=寺尾ユリ子さんがヤノベケンジさんとスタッフを彼女の家に泊めてあげて制作を支援していたそうです、そのことも聞き取りしました。
美術館の外にアーテストinレジデンスと展示する場所を借りて、始動しようとしてたんですが、さほど市民の琴線には触れていないような気がしました。金沢市の場合は金銭支援が少し、とスタッフも1人ぐらいだったでしょうか、起動のための行政の支援が少ないと思いました。(調査していません)金沢市内にはアートや歴史が一杯あるから、市民にはさほと熱があがらないようでした。「一生けんめい活動するのは他所からやって来た人たちだ」と渋谷で育った寺尾ユリ子さんも語っていました。渋谷生まれの彼女はシルクスクリーン作家ですが、金沢に移住した人なのでボランティア活動はとても楽しみながらされ活躍していました。

金沢には観光客も一杯くる、観る場所もたくさんある、さらにアートを重ねてもね、という感じでしたね。

森:そうですね


ボランティア活動をされていたシルクスクリーン作家 寺尾ユリ子さんと2008年5月1日
佐藤:めるろさんは十和田美術館に移住されたと聞いています。初耳アートレジデンスはめるろさんからお聞きし体験しました2008年4月ですね(佐藤の2008年4月の日記)。
松戸のアーテスト・イン・レジデンスは、俺が行っても泊っていいのですか。そこを拠点にして聞き取り活動は出来るんですか?

松戸にある アーテストinレジデンスの場合

空いてればですけれど、この7月からはめちゃくちゃ一杯です。ざっと説明しますけれど。年間だいたい60人ぐらいアーテストが世界中から来ているんです。2013年から始まってまして、これは去年(2021年)の記録です。新型コロナの影響下なので少なめです。

佐藤:アーテスト・イン・レジデンス活動を10年続けているのは日本には松戸の施設だけじゃないでしょうか?凄いエネルギーですね。森さん自身、つまり市民が独自に活動しているということですよね。行政は関わっていないんですね?

:ちょっとは関わっています。文化庁のお金をいただいてます。年間60人ぐらい世界中からアーテストが来て、街に滞在をして制作するという施設です。
佐藤:年、60人来日して、平均一人何日ほど滞在しているでしょうか?
森:普通は3週間

佐藤:3週間で1作品制作する?!
森:作らないです。作らなくても大丈夫です。居てくれたらいい。
佐藤:それは懐深くていいね。

:作るとかでは3週間は短いじゃないですか。世界を変える作品をつくってほしいんです。3週間では短いので、むしろ日本人、海外から初めて日本に来る人とか、初めて松戸に来る人、制作をしろと言うとそっちに集中しちゃうので、松戸から経験を形にしていくためにまずはインプットの時間にしてくれたほうが、いいので。無理に何もしなくっていいよと基本的には言ってます。とはいえ作りたがるんです。

佐藤:食事はどうしているんですか。食事は提供するんですか。
:差し上げません、むしろ町に出て行ってくださいという対応です。部屋があるので無料で泊まれるかわりに、こちらも何もしない。お金はださないよというスタイルです。
佐藤:世界各地に暮す意欲的で若いアーテストに制作場所が松戸に与えられた、生活はそこでいつもの場所のように始めさせると。
森:とは言えコーディネートしたり出来るんですけれど、大元の関係性としてはお互いお金の関係性は無い状態にしてあります

佐藤:そうするとアーテスト同士で交流するのだろうけど、松戸の人々との関係とか交流はどう支援されるんでしょうか。金沢でもそうでしたが、町家という箱の中に入って活動してしまうと、壁があるので閉じてしまう。俺はそれは嫌だから話を聞きに金沢のレジデンスに来てくれた人の家に泊めてもらいました。市井の人々に暮す家に泊まって初めてその土地と人を理解できる気がしますからね。ジャイアントルームの交流だけでは八戸市の人々を分かりにくいですね。

森:それがあってここの設計をしていたりするんですけれど。町に開く場所とか、裏側で準備している様子が楽しいから見せようねとか。それは滞在とは別に展示したり、トークしたとかの場合はむしろ年間60人居るので、やらなくて言いとうと皆さん活動します。ですから一月に3人ぐらい何かしたいアーテストが、街中でライブしたり、トークしたり展示したりしているから、むしろ凄いコスパはいい。お金払ってないはずだけど皆さん来たがる。そういう関係をつくっています。

佐藤:海外からやって来るアーテストは筋金入りの強者たちでしょうからね、活動しちゃう(笑)
森:そもそもそうなんで、やらせないと言ってもやる。

佐藤:余計な課題やテーマを与えない方が誤配というか広がりが強くなるでしょうね。

森:素材も与えちゃったりすると、逆にそこで縛られるちゃうので。自由に放置というのが基本です。ちなみに7月からは、やっと新型コロナが開国したのでスペインからアーテスト4人ほど、ドイツから2人来ちゃうのです。
佐藤:それは、なにより!よかったですね。
:部屋は空いてないというだけです。基本的に毎日居るわけじゃないので、私は毎週火曜日に行っています。
佐藤:松戸のアーテストレジデンスに火曜日訪ねると森さんもいらっしゃるんだと。HPはあるんでしょう。
:あります。それをぜひ観ていただければと思います。(HPへ


松戸市にあるアーテスト・イン・レジデンス
HPの扉 HPへ

佐藤:
森さんは凄いですね。30代でこのような多様な活動を実践し、それに裏打ちされた美術館も設計しちゃっている!!とは凄い、俊英の極みです。

美術館設計することになるとは思っていなかったです。
佐藤:設計をする前に10数年アートに必要な活動を積み重ねられていますから、八戸市美術館が成せるわけです。で、アートの神様に当然選ばれたんだと思います。

森:この人たちは関係性が無いといいましたけれど、世界中のアート事情が彼らを通じて常に入ってくるので、滅茶苦茶お得だと思います

佐藤:松戸のアーテストレジデンスが世界に開かれたアート情報の窓口になっているんだと。
これまで340人ぐらい受け入れているんです。

佐藤:凄い人数ですね。世界中の方々から最先端のアーテストと市民の関係の情報もたらされるんだと。英語が堪能なんですね。
:ぺらぺらじゃないですけど話は聞けます。

佐藤:森さんのやる気と八戸市のやる気が合流し、ジャイアントルームの大きな流れになってしまっているんだね。日本各地の市町村の美術館の見本をつくり出し始めたようです。森さんは時代に選ばれた人なんじゃないですか?

森:そうかも知れないし。

佐藤:建物の設計は好きだけど市民との関わりは苦手な建築家もいるでしょう。森さんは後者も得意だと。ポジショントークじゃなく本心でどっちもできる人に会わないですね

森:無理して市民の人たちに合わせて支援してもしょうがないですよね。

3人のチーム+美術館の機能あれこれ

佐藤
:市民サイドもそれは分かってしまうので逆効果になりますしね、支援活動が好きじゃないと市民から愛されない、そうなりますよ。上から目線のように市民に活動を押し付けるようでは、八戸市美術館の建設理念に反しますでしょうし。この美術館の営み全体がアート作品だとすれば、建築家と市民の境界は蒸発して一体になった活動になるでしょう。
森さんがひっぱりだこになったら、コンビニ美術館が各地に出来てしまうでしょうし。そこの支援の仕分けは難しいそうですね。その点は森さん自身もお考えになっているでしょう?
八戸市美術館の支援活動をする場合はどなたかとコラボして、他所で支援活動をするときはコラボ協働者をかえ続けていくんだと。

森:そうです。1人でやるわけではなくって。

佐藤:森さんが支援をやり過ぎると、金太郎あめのような活動が蔓延してしまう。ポスト近代に生きている人たちはそこを熟慮して支援活動している。近代人でしたら似たような考えや理念で世界を制覇したでしょうが、もう世界を近代化する作業は終わりましたからね。
森:なので、そのプロジェクトによっていろんな人と関わってつくり。ちなみにこのプロジェクトでは浅子さんと西澤さんがいいのは・・。

佐藤:どういう経緯で三人のチームができたんですか?
森:浅子さんにはコンペの時に初めて会いました。二人ともいいのは展示をすごく観に行っていて、いろんな美術館を、「あ、浅子さん居るな」というのは分かっていました。特に喋るわけじゃない。美術館でしゃべっていると邪魔になりますので。そういう意味ではもとから信用していた人。よく喋る関西人です。

佐藤:関西人はお喋りするの好きな人多いですね(笑)
:そうですね。
佐藤:話の天辺獲るつもりの人もいるけど(笑)
:そんな感じの人ではないですね。

佐藤:西澤さんとの出会いはどのようなものですか?
森:西澤さとは東京芸大の大先輩ですし、芸大の助手もされたいんですけど、同じタイミングで独立された。

佐藤:奥さんはいらっしゃるんですか、そして森さんの活動に興味をもっているパートナですか?

:奥さんは音響設計をやっています。この建物の音響設計を凄くしています。吸音しっかりしています。

佐藤:建築系の音響を仕事にしている方なんですね!

:この空間ほとんどそうなんです。
佐藤:入館して直ぐ拍手してみましたけど響かなかったです。音響設計もよくできているなーとおもいました。(笑)コンクリートの床面をぱたぱた歩いても足音が響き渡らないですし。

森:かなり吸音させています。それを一緒にやっていたりします。
佐藤:それは鬼に金棒!心強いですね。奥さんも八戸市美術館に挑んだ同志しなんだね。いい感じですね。
  

:それもあって、カーテン邪魔だけどもうちょっとちゃんとしたイベントをするときは、もう少し吸音性が必要だったりするので、そういう理由も実はあります。
それから、押し付け問題でいくと、すでに押し付けてない感はでていると思うのですけれども。しっかりした展示とかができるのはホワイトキューブの中、かなり最先端の機能を入れていたりし、そこらへんも凄く恰好いいギャラリーになっているんです。そっちでチャンと集中してもらうために、ジャイアントルームはむしろ設営とかし難いようにしてあって、それらの塩梅は配慮しています。設営し易くしてしまいがちなんですが、それをしないようにしています。照明などもろもろ。照明吊り易いようにはしてあるんですけれども、照射するのを日常的にするのは大変なので、そこはしなくっていいよ、としていたりします。
本当はゼロベースで毎回展示をつくる、それも出来たと思うんですけど。そこをあえてしないように可動壁を置いてあって、逆に言うと使いづらい、というか。展示をする人にとってみたら使いづらいけど、日常的には、そこらへんに延長コードが入っているんですけれど、すぐにものを出してきて、このテーブルも可動壁の中に入ってしまう。いつでも道具をだしてきて直ぐ始められます。

佐藤:先にも話ましたが、家の傍の福島県立美術館の学芸員の方に先週、我が家に来ていただいて、寄贈する作品の話がまとまって、8月初旬の寄贈委員会でOKがでれば寄贈作品を書面上受け取ることになります。で、美術館を観にいったんですけれど、近代の精神に基づいて計画されている美術館ですから、過去の作品を並べるための箱になっていました。お墓の中のような感じで今共に生きているとはいいがたいです。玄関ホールもジャイアントルームとは比べようもなく、石や板が貼ってありまして、山師の玄関ふう、はったりのための場になっていて、豪華に仕立ててあるわけです。叱られるでしょうが、私が見ると死んだ場に見えるんです。八戸市美術館のジャイアントルームは仕上げ素材にはお金が掛かっていませんが、路上的で活気があります。今ほどうやって作品を吊ろうか、展示に難儀するというのをお話されました、支援しすぎないようにしているともいう。作品を持参した市民の方々と共に展示の仕方を考え展示の場も作るのがいい。

森:そうですね、吊れないようにとか言っておいて、オープニングでは吊ったりしているんです(笑)それはやろうと思えば出来るんです。

佐藤:お節介しすぎない、その点も抑制されているようですし、デレクターがどこまでするのか?支援し過ぎないようになする要点を森さんはご存知で実践されている。支援方法は人や場所ごとに異質になるはずなので、その対応力も凄いことです。若いこれからの方なのに総合的に把握されている。その実態を目の前で見ている。老人の出番は無くなりましたね(笑)今ここで森さんにお聞きした話を多くの人々に伝えるのが私の役割だと思いました(笑)
八戸市美術館について建築系の方々の評価につては知りませんが、私の評価はそうとう高いです、というより、ようやく公共圏の精神を具現化した美術館が八戸市に出来た!と思いました。

森:ありがとうございます、とても嬉しいです。

佐藤:東日本大震災以降、建築に興味がなくなっていましたが、八戸市美術館のような精神構造を具現化した建築ができるのだったら、建築もいいなと思います。

:建築の範疇が広がっていると思います。

佐藤:今、玄関を通過した老夫婦の方を見ると、ごくごく一般の農家あるいは漁業をされているような老人たちですよね。既存の美術館に行って、今、入館したような老夫婦に出会うことはないですよ。知識や意識高い系の方々、美術愛好家たちばかりです。ごくごく一般の老夫妻は入ってはいけない場所だという認識があると思います。観光客にも見えない、既存の美術館には市民の方が日常的に何気なく美術館に入ることはないでしょうから。観光バスに乗って名所めぐりのように、受動的に旅行会社の人々に連れまわされるのは見かけますが(笑)
漁が済んで昼飯も済んで、ちょっと美術館に行ってみようと、いう雰囲気が溢れていますね。今日は展示してない作業しかしてないと分かってても立ち寄って中で作業をしている人々の様子を見に来る。そういう動機をこの美術館は起こさせている。森さんたちの計画力、実施設計力の賜物じゃないですか。プログラムを作成した市役所の職員の方々はもっと優れているんだけど。
2002年3月「公共圏について」花田達朗さん我が家での講義録へ 花田達朗先生は仙台メディアテークにも関わっていた
  
森:5年後はそうだと思うけど、今のところは美術館に来ているかというより、町の人たちがそもそもこういう場に来ることを日常にしていることなんだと思います。そうですね、めちゃ見てますね。素晴らしい!展示作業風景を見せているのは意図的なんです。

佐藤:今日は八戸駅からバスに乗って最寄り停車場で降りて美術館にとことこ歩いて来たんです。道の途中で楽し気に飛び跳ねるように二人連れの50才すぎの女性たちが美術館に向かっているので、後ろについてきました。ずーっと楽しそうなんですよ、歩いてる姿を見ていると美術館開館したばかりなんだけど、そうとう愛されちゃっているんだなーということは分かりました。
金沢の美術館の開館からボランティアでお手伝いされている寺尾さんと話したんですけれど、完全に学芸員の下働きふうボランティアなんです。市民同士がつながってボランティア活動が展開するんじゃなくって、学芸員の指示にしたがって作業をお手伝いするという上下関係になっていました。市民がみなで企画展をつくって鑑賞するのではなく、ありがたい作品を世界各地から集めてありがたく拝顔するかたちでした。あるいは有名な作家の制作の手伝いに市民が使われるという段階でした。制作するアーテストが主で、市民は従、使役される関係でした。

八戸市美術館はまだそういう主従の関係はできていなようです。これはかなり期待できますね。いままで見たことがなかったので、公民館か??と思ったほどです。プログラムを作った人が賢いと言うしかないんですが、従来の美術館の概念を破壊しちゃっていますよね。

森:笑)そうです、ネーミングも難しかったんです
佐藤:美術館と言い張っているんだから、その姿勢を賞賛しちゃいますよ。ここに入って瞬間にいいなと感じました。日本において現時点では100点満点+αじゃないですかね。

森:おー嬉しい!

佐藤:開館半年でこのような雰囲気を出してますから、満点は当然でしょう。作業している人も、議論している人たちも楽しく充実したような気をだしていますしね。
:何か知らないけど居心地がいいです。

佐藤:居心地いいですよね、天井が高くって、天井が無いというか路上的、あるいは公園で佇むような思いなんですよ。たぶん断面が凸型して大きいのも街路的な居心地の良さを生み出しているような気がしますが。単に高いのではなく凸型の高さが醸しだすものではないでしょうか。天井のメリハリ、明るさの強弱もあるし、祠のような場もあるし、他者が発する音が響かず他者の動きが気に成らないとかかな。(中山英之さんのO邸も路上的)
盆踊りしそうですね、カラオケ大会されるそうで、それには驚きです、成功するといいですね(笑)

お祭りが凄く盛んな町なんで、逆にもってこれちゃうんですけどそういう機能は既に街中にあるので。断面の道路側を山車入れたいので開けてくれという要望があったですけど、そこはあえてやめましょうと。設計チームじゃなく運営側の人たちも反対しました。

佐藤:そうだよね、相乗効果を生み出すために賢いブロックだと思います。温泉街のように1軒で巨大な旅館に、あらゆる商業機能を内包してしまって周辺の街を商売を疲弊させて、温泉町が一気に錆びれてしまった、バブル期にはそういう町の姿をよく見ましたから。
森:そうそう
佐藤:公共施設でどこまで町おこし的機能を内包させるの?町壊し施設にしないか、その抑制能力をなんでもしたがる設計者が身に付けるのは難しいですですよ。

「八戸えんぶり」2年ぶり披露(2022/05/01)


どこまで支援するのか問題は難し

森:だから最初そこにティールームと言ってキッチンがあるんです。そこにカフェとか入れようと思ったけど、やっぱり街中にお客さんを出したいから。あと、ギャラリーみたいなショップもあるので、ブックセンターというところはご存知ですか。ぜひ見てほしいんですけれど、ブックセンターもあるので、基本来た人は街中に行くような展開を準備していたり


 八戸ブックセンターの様子

佐藤:町の関係を相互補完しならが存在しているという話をお聞きすると、一般の行政の仕事は法にもとづいて縦割りで動いてる。ブックセンターを運営するのは福祉系の部署で美術館を運営スポーツ文化系の部署で、市民活動や教育や教育委員会でなどと割られていて、横につながって市民のための支援、部署の互いの活動に連携しにくい。その縦割り状況が常態化しているわけです。八戸市美術館のお話を森かさんからお聞きしていると、街中のそれぞれの施設と共振させ、お互いの活動で足を引っ張ることを防止し合う設えだと。街中にあるそれぞれの施設と八戸市美術館が共振し合って互いに活動の拠点を形成しているということですよね。

:そうです。

佐藤:美術館に偶然来た私のような他所の者でも「ブックセンターも見てください」と言われると体験しに行く。そうして八戸市の町をすこしずつ体験して知っていく。町の人たちはブックセンターで本を読んだり、市美術館で活動したりできる。八戸の当事者じゃなく、よそ者が設計するというのはいいことだなーと思いました。しがらみなく八戸市の課題をぶつけられる。何故か政治的なしがらみも見えたりして市の当事者どうしだと、どうも発展的な対話が生まれにくい。

森:そう、よそ者かつアーテスト、かつ海外の人だと凄い聞き易いんですよね

佐藤:そう幾重にもよそ者ほど、その場のどんどん中心の課題に入って行きやすい、外人という立場もいいですね若いという属性もかなり力を発揮しますよ。市民のもつ課題を相対化して聞き取り受け止めることが可能だいから抽象化もしやすい。八戸市の当事者じゃない方々が施設を設計して実現している良さが存分に発揮されているのは感じることが出来ます。
「森さんもう来なくていいよ」と言われたら、その時森さんの支援行為が実った・勝った瞬間なんだけど。そこまで育っていくかどうか?今は不明ですけれど。

森:確かに。

佐藤:支援が成功して行くほどに来てみると快適になっていくでしょうが、「もう来なくていい」と言われて、そこがデレクターとしての支援活動の完成だ。
:今のところは声はかけられていなくって、設計チームが勝手に来ている状態です。そうなったら夢みたいな感じですね。

佐藤:森さんは設計者の1人だけど、勝手に押しかけて来て支援活動をしているのはたいへん偉いことです!
:毎回、ジャイアントルームの使い方が変わっていたりするので、オープニングの時は全部の部屋を使ってます

佐藤:今日までの美術館の支援活動を記録しただけでも八戸市美術館史になってしまいますね。
森:そうです。
佐藤:桟敷廊下から定点観測で画像だけとってアニメを作るだけでも歴史になりますね。
:そうなんです、だから毎回来て楽しいんです。

同世代からの評価はどうなの

佐藤また1人幸せ建築家が誕生していました。来るたびに楽しいでしょうね。仕合せなことです。桟敷から観つづけると機能が転倒して行く姿が記録されていくでしょうし。
ここに来て私は森さんと初めて会い、長話をしているわけですが、同世代からの評価はどのようなものでしたか。

:全然関係ないんじゃないですか?
佐藤:ほんとですか!興味さえないんですか!
森:興味ないんじゃないですか、分かんないですが。
佐藤:私のような森さんの倍も生きている人間が興味をもっているのに、同世代に興味を持たれないのは不思議ですね。

森:専門がずれているといいますか、たぶん皆さん設計がちゃんとできると思う。
佐藤:他の人は専門馬鹿ふうなのかな、与えられた状況に反応し同世代の活動に興味が薄れているということでしょうかね。
森:そのような気がしますが。

佐藤:俺は土方上がりで高卒なんで、大学を経ていなくってよかったなと思うことがあります。東京芸大なら芸大卒業生の塊をつくって、閉じた人間関係のなかで相互監視、あるいは喜び合う。東大卒、京大卒な東京工大、早稲田なら同様に同窓での人間関係での連なりに成ってしまいがちに見えます。ある者は会社を「我が社」と言いますので建築家が社畜というときついですが、独立した建築家として会社を越えて連携し合い、社会と対抗して困難を勝ち取るという仕組みができてないですね。
東大卒の偉い先生は建築家として独立しているのに、いつまで影響力を及ぼそうと監視している気配を感じたりします。独立した人間とし仲間として育てようとしてないていない、あくまでも俺の弟子的に見ている。単なる感想ですがね。
森さんが外国人のアーテストと交流し続け、脱・東京芸大しているというお聞きすると、八戸市美術館のジャイアントルームは建築の構成はますます信用に値します。非常に好ましい青年が出現していました。

:そうか、それでいくと、東京芸大で既に同級生たちとか、先輩も含めてですけれど、僕がこの八戸市美術館を支援しているから、同じ事をしなくっていいやと、一杯いるから設計者を呼べばいいじゃないですか。そういう感じでお互いキャラを、専門性をむしろ分けている、(住み分けている)気はニッチの中でします。僕と同じことを友達がしてもしょうがない。美術館の専門だったら西澤さんだし、音系だったら、音楽ホールだったらまた違う奴がいるし。ホテルだったら誰がしとか、いろいろ分かれて居ます。町づくりなら藤村さんだし(笑)声を掛ける人が一杯いて選択肢が多くあります。

佐藤:東京芸大にはいろんな独立している専門家がいると。各人レベルが高いんだけどもの10年間はSNS発信を多くの人が始めたので、日々マスコミと個人の情報が溢れてしまって、分かり難くなった、そういう気がします。
八戸市美術館は偶然、なにかで知って、「体験しよう」と思ってまして、4日間、新幹線乗り放題の運用開始日が今日(7月23日)だったので、体験しに来たんです。で、偶然、幸運にも今ここで森さんとお会いし話を聞き取りし記録しようとしています。だいぶん詳しく森淳平さんの活動内容を本人から聞いてしまってる。そういう意味では私は稀な体験をしてしまった、何か建築の神様に導かれていたわけです(笑)
1984年から自分の家をつかってプチジャイアントルームのような居間を使って、ゲストを招いて「建築あそび」と名付けて活動していました。そこで発した言葉の一部をweb記録にして公開し続けていました。何の役にも立たないんですが長年続けています。仙台メディアテークのコンペの時に花田達朗さんが「公共圏概念」を使って関わていた、と本人から聞いて、交流が始まり20年間の呑み語り友達にもなってしまいました。藤村さんは学生の時に何度も我が家にやって来てました

:笑

佐藤:藤村さんは2004年3月27日に我が家でオランダの留学後の報告をしてくれたりしていました。今は藤村さんらしくなりましたね。20〜30代のゲストの方々の多くは大学の教員になってしまいます。はやり日本では独立系の人としては民間社会で生きるのはハードルが高いのでしょう、教員になると行政も受け入れ易いんでしょうかね。日本の教育システムの中に囲い込まれていって私から見ると少し色褪せた生き方になっているのでは?と思ったりしました。
就職氷河期とか襲われてしまい、流布しているこの失われた30年間、社会人も学生も生きづらいのでしょう、はやり大樹の下に暮したいと考えるのが人情の常なんだと思います。明日の生活も分からない不安定な経済状況になるだろう独立系人にもなりたくないですからね。




2006年6月1日佐藤の家でワイワイ
藤村龍至、藤本壮介、私

 この10年間は情報が増えすぎて、誰がなにをなしとげたか分かり難くなりました。一方でラウンドアバウトジャーナルもデザインイーストも、大阪のアーキフォラムも休眠してしまった。アーキフォラムは再開会したのかな、川勝真一さんをご存知ですか。

:知っています、川勝さん、榊原さんも知っています。
佐藤:日本は狭いんだね、八戸市に来て、関西の知り合いを知っている森さんに会うとは(笑)川勝さんなどがアーキフォーラムを再開したので来月会いに行ってみようかなと思っています。

:それこそデザインイーストにでたときに川勝君たちも居て、初めて会いました。その前から知ってはいたんですけど。
佐藤:2007年3月、大阪在住の柳原照弘さんを我が家に呼んで、大阪で活動開始するように背中を押しました。その後2008年5月に大阪に行き、若い人たちを紹介してもらって、彼らを聞き取りしました。そのとき柳原さんは一部の聞き取りに付いて周ってましたね。靭公園でカレーを食いながらいろいろ語り合い、その後、彼の好みの仲間を決めて、デザインイーストが始まりました。造船所跡地を借りて派手に始めました。規模が大き過ぎて有志だけで継続するのは難しいかなとおもいました。で、次世代に繋がり継続・継承はできなかった。見ててそう思いました。

2009年頃の柳原さん

八戸市美術館は、在野の若者たちが肩ひじ張って継続するような、気張ることは要らないので、継続・継承していく可能性は高いと思いまいす。建築家主導になって見栄を切るイベントにする必要もない。
:そんな気がします。

佐藤:イベントに派手さは要らないと思うのですが継続することで蓄積される。イベントが目的ではない領域に到達するはずなのに、自己の存在を強く示さざるを得ない新自由主義下の若い方々は目的化してしまっている。若者の活動をアピールすることが目的化してしまうと回を重ねるごとに年も重なるので、息切れしやすくなります。

:そうですね。

佐藤:若者は他者承認を求めているのかもしれないけれど誰も見てないなかで、成功するなり名を成すことを先食いして、継続する、そして継承することが二の次に成ってしまうのかもしれません。


森:今回、この緩いプロジェクトに参加しているのは設計者がこうやれとか、もっと格好好くしろとか言うじゃないですか。そこをいい塩梅でいいんじゃない、という言いう役割かなと思っています。

佐藤:カッコいいね。

:お墨付きを与えるのかなと。これぐらいでいいんじゃないのみたいなことを言う役割。
佐藤:世に無いものを始めてしまうと、初動時は参加している皆さんも活動位置を見回してもないから不安になりがちですよね。その時に少しアドバイスしてくれる演出家がいると、背伸びさせずに次の活動に展開していけるように思います。とても重要なんだけど、行政の中に市民活動応援課のようなものは少ない、また八戸市美術館のイベントを支援するような経験もない。で関係者の多くはリア充を求めすぎる。森さんは30代半ばでそこまで分かって行動しているのだから凄い青年ですね。
八戸市美術館内で完成される作品は稚拙だとしても、立派な作品をつくることが目的ではないでしょうから、アートが出来上がっていくプロセスを理解したり、そこに係わることで見方や鑑賞の楽しみが分る人が増える、そうしない限り戦争にまさるアート制作活動は増えていかないでしょうね。

八戸市美術館の建築がいい、大絶賛なんだけど、ここまで語ったような内容を八戸市民が言い出すようになるといい。戦争よりアート制作をしようといだすと21世紀の社会が訪れると思うんですけどね。八戸市美術館の試みは建築系の若いひとに、あるいは町づくり系、ランドスケープ系の人には知ってほしいですね。移動可動工具箱の扉がホワイトボードになっていて、打ち合わせ記録がむき出しになっているもの面白いです。

  

:あれはもうちょっと何かあってもいいかなと思っています。もう少し格好よくしたいなーと思ってます。
佐藤:落書きと区別し難いかも。
森:そうなんですね。普段部屋状に割っているときも活動が漏れてていいんですけれど、ただ漏れているだけになってしまってて、ちょっとダサいかなと。だからもう少し技があるといいのかなと。これからさんざんアーテストが来ると思うので工夫するとは思うんです。


森さんと同世代の仲間について語る

佐藤:八戸市美術館の話はこのような感じでいいと思います。もう少しお聞きしていいですか。
森:はい。
佐藤:若い建築家たち、ポストモダンと言われている社会に生きていて、だいぶ時間が経ちました。ようやく八戸市美術館の中に入ると地方の行政でもそれを実現していなーと思いました。以前は形の寄せ集めの乱舞だけで精神は近代のままで実りは少なかったですが、ここにようやく行為と思考がベースになって実現しているという実感がします。地方の誰でもがポスモダンの世に暮らしているという、無意識にでも体感できてしまいます。

:そうですね。

佐藤:そういう結果を示していると私は思いますが、森さんは意図的に実践したわけです。同世代の方で、こういう方向もあるかな?と思わせる人は居ますか?注目すべき建築家はいますか?もしご存知でしたら、人でなくてもいいです、場所でも事例でもいいです。これから数十年は八戸市美術館の理念で進んでいくのがいいと思うんです。近代の精神にもとづいた、立派なものや事にしかお金を出せない社会ですけれど。ジャイアントルームにお金を100万円持ってきて、活動資金として使ってください、そう言い出す市民は現れていないと思います。現況では徴収した税金を活動資金として配分するしかないんですが、市民から活動のために寄付金が集まるようになれば、近代に代わる世が出現したと確認できるのですが。今はクラウドファンディングで集めるしかない。

:そうですね。

佐藤:そういう状況下でアーテスト・イン・レジデンスの支援をされつつ八戸市美術館の建築の設計とその後の支援活動をされている。そういった行為をしている人に会ったのは森淳平さんが初めてです。他に森さんと同じような考え方で活動をしている人がいましたら紹介してください。

森:ちなみにどんな人も川勝真一氏もそうですけど、そのメニューになりうる、と思っているので、情報としてはいろいろ皆見ているんです。参加する今シアターというのは、谷中にある「萩荘」ってご存知ですか?
佐藤:分かりません
  
 

宮崎みつよしさん画像 サイトより

萩荘 サイトへ 
森:もともと萩荘という宿舎です。今はアルファベットでhagisouです。宮崎君という。宮崎みつよし。萩荘というもともと自分が住んでいた、芸大なんですけれど。

佐藤:川勝+辻さんが開いた「パラレルプロジェクション」の反省会(記録へ)のようなZOOMで12時間イベントのゲストでしたか?
:あの辺の人はいいですね。その谷中のエリアでいろんなホテルというかA&Bをやったりとか。西日暮里駅前のカレー屋をやったりとか。萩コンツェルンとか、町中でめちゃくちゃ活動を展開しています。設計も萩スタジオでやりつつ運営も全部自分たちでやっています

佐藤:森さんの友達ですか?
:友達です。土曜日行きます。松戸に来ます。今シアターでカフェの中で演劇したり、そういうのをやっていたりします。

佐藤:私の体験からみると40年前に福島市内のネガビルでギャラリーでワイワイしたような感じですね、町づくりには手を広げなかったです。なるほど谷中で活動していたのか!

:また狭い関係ですけれど、工藤こうへいと言って、SANAAに行って、もともと芸大にいたんです。最近独立して、いろんなところで、基本は住宅かな。

佐藤:ここまでお聞きしたのは文字にして送りますので、固有名詞をチェックしてください。
:わかりました。
佐藤:ここで偶然語り合った内容は文字記録にしますので、その後いろいろ紹介していただいたりして、展開していきたいので対応よろしくお願いいたします。

森:分かりました。
佐藤:一度それぞれの場を訪ねて皆さんと情報交換したり場を体験させていただければと思います。森さんの話を聞くでもいいですし、宮崎さん、工藤さんの語りを聞くでもいいですので、1人ずつ2ケ月に一度ぐらいの時間割りで対応して頂きたいと思います。よろしくお願いいたします。

森:
分かりました。東京に遊びに来てください。

佐藤:わかりました、東京までは新幹線で1時間半ですから、体験しにお訪ねしたいと思います。よろしくお願いいたします。

東京芸大のこと あれこれ

佐藤:政治的な振る舞いで人を集める能力も高いので政治家ふう建築家だ。その位置を狙っててそうなったから、おめでとうございます!

:そういう毒を呑むというか芸大に藤村さんを呼ぶというのは面白いなと思いました。そんな事するんだ!?

佐藤:東工大じゃないのと驚きました。
:人事が全国的に柔軟だったりします。そんなのありなんだ?!乾さんが抜けるのも藤村さん呼ぶのも、柔軟性がけっこうある。

佐藤:京都のO邸の夫妻と友達なんで、京都に行くと俺の家のように中山英之さんの建築を親しんで来たんです。中山さんの平面は路上が湾曲して、建築全体はアート的建築です(個の表現として成り立っている)藤村建築は理詰めで多くの方も共有しやすい。理と造形が不可分なのは説明で分かるけど、腑に落ちない点はあります、ですから建築としての良否がつけられない、そこが良さの一つだけど。藤村さんは言い張っているので認めるわけです。藤村さんのような存在は建築界には貴重なので認めるべきでしょう。世界に通用するのは不明ですが、日本ではスター的要素を発揮し受けて突き抜けて来たのも政治的だし。なかなかです。

:芸大で教員のインタビューシリーズのYouTubeを去年作ったたんです。その時に「政治家になりたかったんです」と市長だったかな。「建築家になる前にまずは市長の右腕になりたい」と。

佐藤:20世紀的だなと思います、大きな物語をつくり目的に向かって進でそうなる。と実に目的合理的生きかたで、申し分ない。21世紀は目的に向かわずにも世の荒波に流れて、内包している才能がそこに到達させる、無自覚で相対的な力学の総意が集合しそこに行き着いてしまう。目的を設定してそうなるのは20世紀では普通の事だよ。

:(笑)

佐藤:それはよかったねとしか言いようがない。人生や時代と共に生きる面白さは内包されて完成しない排他的じゃないかな。この時代にいきる価値の可能性を少なくしていると思いますが。
森さんは目的をもった行政の要請に従って今までの体験を要請に重ねることで、八戸市美術館という世にも珍しい公共施設を出現させました。今支援活動をしているのは、そうしようと思って八戸美術館に至ったわけではない、そう私は受け止めました。森さんと八戸市美の活動の行方を見ている私=観客あるいは観光客として、目が離せないような気にもなるし、次にどのような展開があるのは見たく、知りたくなる。そういう20世紀にあった目的と行為の合理性や理論では出会うことが出来ない事態が森さんの周囲から生まれる、その面白さがここにはある。
森さんが大建築家に成りあがって日本各地のこのような美術館を普及させるなんてことを思っていない、それだと非常につまらない在来の建築家に成り下がってしまいますよね。日本の政治的なシステムに囲い込まれ不自由をつくって拡張するだけの建築家になる。そういう姿は20世紀で終っていいのでは。

:そうですね。そんな気はします。
佐藤:藤村さんの悪口みたいになっているけど、彼が存在しなかったら森さんたちのような若者は生まれてこなかったのではないか、そう思うのですが
:そんな気がします。
佐藤:藤村さんの政治的活動はわかりませんが、若者を先導する役割は終っていると思うんです。貴重な存在でした。

森:芸大生には反骨心を産むための切っ掛けとして、打倒藤村ですね

佐藤:なるほどね、反藤村派にエネルギーを与え結束を強くしたんだと。芸大生にエネルギーを与えたんだと。(笑)芸大生にとってはエネルギー源になっていると。青木さんとのコンビ反発しつつエネルギー与え合ってていい感じなんじゃない。
森:幅が広がっている。

佐藤:今日初めて森淳平さんという建築家を知ることになりましたが、いい感じですね。人生初出会いで長々と駄弁ってしまいました。

:偶然出会ってよかったです。
佐藤:俺も導かれて出会うべき人に出会ったんですね。
:光栄です。

佐藤:若い人も旧来の成功モデルをなぞるしかないのでしょう、プロフェッサー建築家ですかね。それ以外の道を歩いている人に出会わないので。芸大は違うのかもしれないけれど、大学制度改革で成果主義に変わったですからね。政治とくっつき、儲ける大学。お金を生み出す研究せよとか。大学に文科省の方が下ってきて、支配するような形に変化してしまった。そのような状況下で次の世代をのびのび育てられるのか?なと思って見ています。ちょっとその環境下だと育たないだろうと思うこともあり。

森さんをはじめ谷中を拠点に活動している工藤さんですか、さらに宮崎さんでしょうか、取手の活動話を聞いていますと、そういう場所が学校に代わる自由な情報交換と人的交流の機能を担っているようで、移行期にふさわしく大学の教育の一部を担って行くような補完する場になっていく気がします。
そういう場に投資してくれると、日本もこれから変わって拠点と人材育成になると思いますね。21世紀に相応しい、自由な言論が保たれて人間関係も豊かに増殖する場が少しずつ広まっていくように思います。それにしても変革速度は遅いですね(笑)

:大学はすごく上手いシステムにできてるなと思います。

佐藤:森さんは既存の教育システムと町場の交流の場の両方に関わっていて、次の社会を創作し、移行させつづけているのですから、試行錯誤の失敗も許される立場でしょう。多いに腕を振るっていただければありがたいですね。多いに期待してしまいますよ。
仲間と連携し合って相互に強くなっていけばいいだけでしょう。デザインイーストやラウンドアバウトジャーナルのように、休眠したり、分解してしまう可能性もあっていいわけですし。仲間増やして活発にする、若い人には形態も古い感じなんで休眠するんだと思います。森さん世代が、その罠から逃れるために、どうすべきか俺には分からないです。


 3人で八戸市美術館の設計チーム

:それこそ設計チームに僕が入っているのは異質だと思うんです。建築業界では知られていない。それで3人体制で、最後にクレジットまで入れてくれるんです。
それを見たから僕的には乾さんが辞めたのも、戦国時代を作ったなと思っていて、人事的にみんな自由になったじゃないですか。で、藤村さんが入ってみたいな。同じようにこの八戸市美術館のコンペも三人で獲って、その技あり!なんだみたいな。京都芸大とか、あのチームを作ったのも八戸の影響があるような気がしています。皆が

佐藤:乱世室町時代に私は暮らしていたわけだ(笑)乾さんも森さんたちのチームの影響をうけて京都市立芸大のコンペに勝利した。芸大は戦国時代に突入した(笑)
森:単独チームだと普通じゃないですか、チームをつくって、それ。

佐藤:俺は設計チームをつくって勝利して実現した。建築設計コンペチームでOKは建築で独立系の方々の集まりでは初めて聞きました。施工は共同企業体で請負うとうのは以前からありましたが。その建築だけの設計チームはアメリカでは多く実施されているという話は聞いたことがあります

森:日本ではあまりなかった

佐藤:今日実現に至った建築はここで初めて知りました。3人それぞれが独立していて、この設計のためにチームを作り勝利し、八戸市美術館を造ったと。それを聞いて世間は変わったかなと(笑)前例主義が幅を効かせていたのに変わりましたかね。組織事務所のどこそこは美術館をたくさん設計しているから請負ってもらうという話が多いんじゃないかな。実作前例に任せるとさほど問題が起きない、で行政は責任を負うことから回避されて議会の追求からも逃れられる。安全な道を選ぶのが通例ですよ。

:八戸美術館のコンペの資料とかも基本的に全部公開したままです。ネットに公開しているんです。それこそ運営側の、元から参照されやすいように全部残して置こうと。
佐藤:賢い行政マンがいるもんだね。多くの自治体で今後倣うことができるね!
森:そうなんです、だから条件とかもかなりハードル下げて、だから僕らが公募で応募できたりするんです。そういう条件も含めて、もともと行政の運営側の人たちも考えてやっている。

公僕に変化はあるのか

佐藤
:八戸市役所の担当者は素晴らしいですね。俺は偶然昨夜、黒沢明監督の『生きる』をDVDで観たばかりなんですよ。
市民課の課長のお話なんですよ。市民課長が胃癌だと知って、余命半年しかない!この30年間毎日押印するだけの人生だったと、余命で何をやるべきなのか?必死に脱・役人していく。彼が辿り着くいた末後の行為は、市民から陳情されている小さな公園を造ること。そうして生を全うする。そういう筋書きなんです。市民課長は公園を造るために役所の中を自分で書類持ちまわって実現してしまう。

市民課長が亡くなったあと葬式の会場で、そのことが、市民課長の孤立無援の活躍の詳細が、語りで明かされていく、そういう映画の構成になっていました。『生きる』を観たあとですから、八戸市美術館に関わった市役所の職員の方の偉大さがどーんと腑に落ちますよ。
というのも東本大震災において福島県庁の建築課の職員が何をしていて何が困難だったのか?、そのことを昨年一年掛かって聞き取りしたんです。現在の役人の県民のためにと思たったとたんに、仕事のし難さ、壁が厚くって高いんですよ。
公僕と言う方々は法律にがんじがらめ、上下関係もがんじがらめ、おまけに人事移動は数年ごとの慣例だ。そいう仕組みの中に生きている。八戸市役所の職員たちにも人事異動はあるでしょう。前例あればいい。大きな理念があると邪魔になるので仕事がしにくいんですよね。八戸市美術館の前例が無いなかで開始時からデータも公開している、そういうして施設を実現した。
八戸市民のための活動拠点をつくり市民の方々と共に文化的な出来事をつくっていこうなんていう、姿勢は『生きる』に登場する市民課長さんの日常とは違う、難しい仕事を日常的にする公僕の誕生の存在を示していると私は思います。
その事の意義も八戸市美術館を体験し森さんのお話をお聞きして深く理解できました。生きるでは余命半年の市民課長に、部下、各課の課長さん、助役とか市会議員とか利権関係者の圧力が掛かりまくるわけですよ 



役所内ではそういう慣例だと思うけど、八戸市美術館の完成は公僕の仕組みを突破して、世にも珍しい脱・美術館を造ってしまいました。議会も認めているんでしょうし、これから議会の監視も続くでしょう。市民の意見も集まるでしょう。

:基本は市長がトップダウン式に文化施設に力をいれていた。

佐藤:市長は文化施設のこれからが分かっている人なんだと思います。八戸市美術館を造るまでに関係した人々の話を聞きたくなりますね。
:そうなんですよ。前回の選挙に負けてしまいました。

佐藤:この施設を造って批判された?とかですか。
:三期目、四期目ぐらい。
佐藤:多選批判なのかな。
:建設チームの方々の話を聞いておいたほうがいいかな。

佐藤:聞いて記録を作っておいた方が、八戸市の意思や理念が伝わりますから、ぜひ尽力して残してください。不思議な事が起きたと私は思うので出来るまでの経緯記録も読んでおきたいです。
議会でも問題にならず、全会一致なのかどうかも含めて知りたい。反対意見も知りたいです。議会議事録は残っていますよ。近隣のおばさんたちがルンルン跳ねながら八戸市美術館に入っていく姿は印象に残ってしまいました。

森:問題になっているのかもしれません。

佐藤:問題になっていれば議会議事録に記録されているはずですから、何が問題か分かるので今後生かせますから。今はYouTubeで発信している市議会も多くなってます。
私は大成功だと絶賛していますけれど、議会で問題になっていれば私の評価と議会の評価の相違点が明らかになります。それも貴重な資料になるはずです。
市議会の反応につて知ることは、今後の森さんの活動にも大きな影響を与えずにはおかないでしょう。

森:確かに。

佐藤:
問題になれば、修正情報を得るチャンスだと思います。昨夜DVD『生きる』を八戸市美術館を見る予習でもあるかのように観てしまいましたので、そんな事も思いました。公僕とは生きづらいシステムの中で暮らしていて不自由な生活を続けているのかと。「生きる」では市民の人たちが児童公園が出来て喜んで市民課長のお葬式に線香をあげに来る。助役が帰ったあと、市民の方が焼香を終えて、立ち去ると、部下たちが市民課長は素晴らしい人だったと語りはじめます。後に続こうなんて言いだすわけです。映画の仕舞は、翌日になると部下たちは以前の日々の様に自分の役割だけこなして、システムの中でしか生きようとしない。
「生きる」を観た翌日だから八戸市役所の職員の方が活動が輝いて見えてしまうわけです。なんで出来たんだと謎として浮かんでいます。

森:微笑む
佐藤:そういう事ですから、市役所の方々に聞き取っていただいて教えていただければと思います。これは非常に重要な内容になると推測しますよ。
:そう思います、むしろそういう話を聞いて、実際の公僕の方たちが開いていく。

佐藤:森さんが市役所の関係者の方々を聞き取り、記録を本にまとめて市町村の生涯学習課や教育委員会でしょうか、配布すればと思うのです。森さんのさらなる活躍に期待してしまいます。市会議員の方の話もあるとかなり立体的になるでしょうね。
自分で設計した建築を森さん自身が宣伝するのはし難いね、とりあえず方々にいったら八戸市美術館と森さんの宣伝をしておきます(笑)

森:
こんなことが出来るのは特殊だと思うので、全国に在ったら逆に困る人もでてくるでしょう。八戸市だから出来たというのもある。

佐藤:そうなんだよね、だから、これを押し進めていくと学芸員の職域を犯していくことにもなる。研究して、展示して、収蔵する専門の仕事も必要だけど。八戸美術館のジャイアントルームの活用は学芸員的な仕事から少し外れて違う領域の仕事ですよ。社会学習とか居場所づくりとか福祉部署の仕事だったりする。研究を専門にしている学芸員に福祉部署の仕事もしろというのは無茶なので、森さんが新しい職業を発明してあげるしかないでしょう。学芸員にさらにお背負わせても無茶になり辞めていくでしょうね。
ここは微妙に難しい、未知の領域に入っている活動だから、思考錯誤するのはしかたがないでしょう。それを許すゆとりが行政サイドにあるかどうかですね。予算をつけないと動かないからね。

:国も動かしていくしかない。
佐藤:民間の寄付やクラウドファンディングも少しずつ定着している気はします。北九州市の抱撲というNPOは居場所運営にクラファンで1億円集めました。次に施設づくりに3億円集めると動画配信しています。ですから、可能性はあると思います。
アメリカの様に大金持ちが巨額を寄付して財団をつくり、そこからお金をだす。そういう日本人は見聞きしない。調べてないので分かりません。

話が尽きないな。ここで第一回目の森さんとの話し合いは止めておきましょう。森さんの仕事をじゃましてしまいそうだ。(笑 

森:引き続きお願いします。 
佐藤:ではまた会いましょう。ありがとうございました。


   
これで八戸市美術館で語るはお仕舞です 最後までお付き合いいただきありがとうございますした。
引き続き森純平さんと仲間たちの活動をお聞きし記録を公開していきたいと思います。

 2022年7月12日 佐藤敏宏         HOME へ