2023/7月4日午後 森純平、家成俊勝、岡田栄造 所員の方々 @北加賀屋 作成:佐藤敏宏

森純平さん聞き取り前のワイワイ

佐藤:暑い中「千鳥文化」を案内していただきありがとうござました。
 ドットアーキテクツの打ち合わせ椅子を並べ、話し合いの準備を始める  コップに水を注ぐ音
岡田:水を一杯、飲もう。
佐藤:各自、備え付けの水は勝手に呑むように。

家成:一個だけ電話していいですか?
佐藤:はいどうぞ。遠慮しないで仕事しながら聞き取りしたり、話し合ったりしていいので対応よろしくお願いします。
岡田:冷たい水を飲み干し・・・美味しいおいしい!

佐藤:どうも暑い中でしたが千鳥文化見学、見てもらってよかったです。見てからじゃないと話しにくい、家成さんに案内してもらい見たら感動するでしょう・・・。
岡田:すばらしい。
    宮地さんわらっている
佐藤:千鳥文化は○△建築だけど、今後も修正は幾らでも可能ですからね。なかなか良い場所です。あまり事例がない親密さも備えてますね。

森:何時いらっしゃったんですか?
佐藤:去年(2022年)の10月4日、ここに来て午後から夜まで酒呑んで帰っていきまいした。まだweb記録に仕立てていません。
前半は真面目話でしたよ。映画の『パンフレット、『ギャラティツクロトランスポート(ギャラティク運輸の初仕事)』の話をしたり、脚本なしの即興演劇をドットが初演することなど、
岡田:さっき下ネタしか話してないと言ってましたよ。








2022年10月4日家成さんとワイワイ2ショット


2022年10月4日集合写真








パンフレットイントロダクションより
映画『ギャラテック運輸の初仕事』は建築家ユニットdot architectsとアーテストユニットcontact Gonzoによる創作物である
。・・・・2020年から2年計画で展開したプロジェクトの集大成である

1年目はコロナ禍で困難になったパーティーの概念と鉄道輸送・・・・・9回のパーティーを実践
2年目はパーティーの実践を経て蓄えたパーティーの概念を箱に詰め、宇宙へ輸送する思考実験をもとに映画制作した。・・・


佐藤:下ネタしか覚えてないのか(笑)、あの日の記録作らないと証明できないけど。そうそう、あの映画制作話から調子に乗ってしまい脱線しましたね?で、建築話も下ネタだったかね(笑)俺は家に戻ったら本物の下ネタの病になってしまい、今はホルモン剤呑んでます。
家成さんとは大島哲蔵さんつながりかもしれないです。大島さんは淀屋橋で洋書店を営みつつ、翻訳の会を開いて大阪の若者に建築愛を注いでいていまして、若くして(2002年6月54才)亡くなってしまいました。俺は大島さんと1990年頃から福島市にもきてもらったり盛んに交流し合てたので、そこに家成さんも居たかもしれないですね。
で、俺と家成さんの付き合い、古くて長いので最初に会ったのは何時だったか覚えてないんです。大阪に来ては家成さんを飲み屋などに呼びつけてマンツーマンでも何度か現況を説明せよ!・・・などと説教などしてたのは覚えてます。家成さんにとっては呼ばれもせずに押しかけて来ちゃうからウザイオヤジだと思います。

岡田:それはいつ頃ですか。15年ぐらい前ですか?
佐藤:説教話は、そうかもしれないですね。大島さんとの絡みもあるので覚えてないけど、もっと前かもしれない。大阪に来たら家成さんにも連絡して会ってました。

岡田:家成さんはなにやっていましたか?
佐藤:アーティストのお手伝いで、各地を飛び回っていろいろ作品制作の手伝いしてましたね。
岡田:ドットアーキテクツは3人でやっていたわけですけれど。

佐藤:家成さん聞き取り推薦人は大島さんの最後の弟子の柳原照弘さんでした。俺の聞き取りは他者推薦の方が対象なんです、自薦は受けてないです。家成さんを推薦されたので事務所に行ったら三人事務所だ!それは知らなかったです。
残っている記録はドットアーキテクツ3人で立ち上げた後で、聞き取りしたのは2008年5月15日。その後も会って作品00を案内してもらった日(2012年2月6日)の家成さんを朝から夜まで追っかけて動画を作った。で、記憶がごちゃ混ぜになっています。

岡田:たぶん15年前はまだ3人だったような気がするから。
佐藤:豊中の事務所の目の前にあったゴルフ打ち放し場をみながら聞き取りしました。その後、大東さんがどこかへ行ってしまって、またその後、2022年に10月に赤代さんもいなくなった、という話は聞きました。家成さんは変わらず、同じことを続けてやっているところがいいです。それらは俺から見る、後知恵ですけどね。建築がやたら上手になったなという気はするかな・・・。

岡田:仕方ない。
佐藤:こなれてきて建築家風になってしまいました。建築界の流儀に染まっていくのか、家成さんらしさがなくなるのか?みてると面白いです。

岡田:ドットの仕事をあまり見たことないですよ。
佐藤:家成さんは神戸の飲み屋でバイトしならが50万円で内装改修を設計施工で請け負って完成させたなど前段の話もあるんですよ。家成さん活動詳しい年譜は『山で木を切り船にして海に乗る』2020年刊行をさんしょうください。

3人で始めた事務所の最初の住宅(00)は多数の他者の手をへて設計が成る、そのプロセスが面白かったんだけど・・・外観はまま出来て、中にその混乱ぶりは反映されていず、普通の内部に近かったね・・という感じだったかな。家成さんに案内してもらい動画もとりました。(右欄の動画参照)内部はお施主さんに気配りして作り込んでいる印象でした。内部に千鳥文化の配列のような過剰さは無かったです。普通のお家お部屋でしたね。

岡田
:ゼロから造るからね。

佐藤:そうですね。そうなるか!整っていないだろうと思う・・・俺の勝手な期待は裏切られたけど、家庭や事務所は予言通りに分解した。事務所が壊れるか家庭が壊れるかだね・・・と予言していたが、どちらもそうなってしまった。既存の建築が目の前にあると作り込めない新旧の混在した良さが残りますよね。

岡田:そうそう。

佐藤:その新旧の対比が語る物語りが訴えてくる、そこがいいんだよね。
岡田:まあね。
佐藤:新築の場合は予算があったとしても、どこで筆を置くのか・・そうとうに難しいですよね。
岡田:(千鳥文化)あれをゼロから造っても馬鹿でしょう?
佐藤:0N.00、設計プロセスは非合理的で合理設計はやりの目からは馬鹿だったけど、おもしろい!
岡田:違うんですよね。

佐藤:「千鳥文化」全体と「No.00」の外観は未来都市だと思た。昔から建築周りがねつ造してきた神の視線が蒸発していて、驚異みたいで今世紀に合っている気がしました。個々人と建築の大きさも対応しているし、あの構成を資本の力を使って10倍にしてもしょうがない建築になるしね。千鳥文化は農園・畑が付いているものいい。それから外廊下などあり、どこからでも出入りできるのも自由を担保できるようでいい。

大島哲蔵
1948年兵庫県生まれ、東京外国語大学ロシア語学科中退1976年より名古屋にアート・ブック(洋書輸入販売業)を設立。1985年頃より翻訳、批評、講演活動の傍ら、エキシビジョン参加、建築および美術のプロデュースを行う
1992年より名古屋にスクウオッターの名で店舗を開設、その後大阪にも開設
2002年6月死去(享年54歳)


2003年6月
『スクウォッター 建築×本×アート』
楠本菊実島澤宏美、新田正樹、柳原照弘によて刊行された。


★2008年5月15日
大阪ことば悦覧 家成俊勝 大東翼 赤代武志さん (biglobe.ne.jp)記録を読む



動画:2012年2月6日家成俊勝さんの一日の活動を追う


藤のツイート
2012年02月07日(火)先月末から京都北山を拠点とし真っ白な動画撮影日程表で開始した、「支援者たち」動画撮り 既に終盤へと進んでいる。今日は大阪で家成俊勝さんを朝から追っかけ撮影中(室温20度)夜は京都に戻って 江頭さんのライブに来ていた関係者のピアノ即興引きに合わせ歌い、支援者たち主題歌を撮る(濃い日
posted at 14:05:15

翌朝のツイート
夕べはmy支援者の家成さんを1日取材後、深夜気合い入れて、作ったmyバンド「人間ズーム」(ドラムとピアノとボーカル)気合い入れて歌いすぎたのか今日は抜け殻になったのか?だるだるであるも、魚谷さんに助けられ動画取材順調です(大方終わった)事務所の一角借りて昼寝 posted at 17:03:16









2022年10月6日千鳥文化の農園

千鳥文化外観

岡田:「千鳥文化」の各棟、えらいつながり方しているなと思った。

佐藤:岡田先生の自邸のてっぺんに外階段が有って出入り自由のような路状性がある。岡田先生の家は路上だけどてっぺんで行き止まる。そこから階段があったら、千鳥文化の成る素地になるんけど。神社の方に外階段があると成る。
岡田:そうそう。

佐藤:中山英之さんの限界は建築神の視線を持って他者に閉じてしまう点かも・・だね。
岡田:子供たちは自由に往き来してましたからね、(笑)
佐藤:こどもは屋根に登って出入りできる(笑)子供の方が脱建築の仕方を知っていて、賢いですよね。自分たちに合った使い方を知ってて、素直に実践している。こどもは外壁だろうが屋根だろうが内外どちらも使っているのはいい。

(参照:2009年12月13日、佐藤が最初に見たO邸と子供達の暮らしぶりを記録した「えいぞうさんの家体験記へ
」右:水晶のような断面を持つO邸の外観)


八戸市美術館と周囲の町並み2022年6月23日 佐藤撮影

ジャイアント食堂の演劇あるいはト書き
 聞き取り体制が整って、森さんの聞き取り前ワイワイ

佐藤:森さん遠いところ北加賀屋まで来ていだだきありがとうござました。
森:いいえ、いいえ。
佐藤:これを体験して見てもらうと人生が変わるかもです。
岡田:ついでで、仕事があるでしょう?
森:いや、全然ないです。
岡田:すげーな、泊まらないの?
森:今日は一泊して帰ります。

佐藤:俺が呼びつけて電車賃も払わないです。来なければ俺が森さんを語るしかなかったけど・・・とんでもない奴です。

森:こんな光栄な企画を・・・。
佐藤:森さんと家成さんと、岡田先生やドット事務所の方も交えて話しておくと、今後、面白く成ると思う・・・気がするんです。
:たぶん。

佐藤:森純平さんのこと参集のみなさん、知っているのかな?
岡田:今や有名人だもの!
佐藤:そうなの?既に有名人なのね、有名人は記録しないことにしてたのに、まずい(笑)
岡田:違う、実力(笑)

佐藤:俺は去年まで森さんの事も全く知らなかった。ある日(2022年6月23日正午)八戸市美術館に入ったり出たりしてたら俺の目の前に森さんが立っていた。写真撮っていたんだけど、声を掛けたら若い人が森さんだった!


2022年6月223日出会えばそく2ショットする佐藤

岡田:出会うべくして出会うんです、人間というのは!

佐藤: 2022年6月22日に美術観に電話したら「休館ですから、来てもなにもないです・・」と女性の方が応じたんだけど「なにも無いから観に行くんです」と言いまして。俺が行った翌々日から「ジャイアント食堂」という催し物が開かれるなんて知らない。美術館の情報サイトも見ずでかけた(笑)「ジャイアント食堂」というイベント内容はご存じですか?

岡田:さっき聞きました。

佐藤:後日談があって、五十嵐太郎先生に教えてもらったんだけど、今年(2023年)の「お正月に福島の原発事故被災地を観に興味あったら行きませんか?」と五十嵐さんが誘ってきたので付いて行ったんです、そのときに聞いた話です。「ジャイアント食堂のイベントをそのままビデオで撮って、それを文字にして脚本にしている・・・」と。
岡田:ああ!?誰がそれをやったんですか?
佐藤:森さんたちですよ。

森:むしろ脚本は先に作って有って、1日の流れがそのまま。例えば、朝8時、家成さんがドアの鍵を開ける、そういうト書きが全部あって。
佐藤:なにそれ!?「ジャイアント食堂」は演劇だった!(寺山修司、さらに八戸のモレキラーシアターは豊島重之さんが主宰してた。青森演劇 濃い)
森:ト書きをして。

岡田:でも来る人は、そんなの関係無く来るんでしょう?
森:はい!でも起こりうるべきして起こる、水を出すとかあると、そういうのはある程度演出してあって、その台本がジャイアントルームに置いてある。

岡田:へーえ!!面白いな。

佐藤:実施し終えたら元のト書きはビデオを観て修正しているんでしょうか?
森:で、修正して・・みたな。
佐藤:いい!『ジャイアント食堂』の台本を売ったり、再上演をするっていうことでしょう?
森:そう!できればそれをそのまま、美術館なので美術館に収蔵できたらいいねと。

岡田:それは面白いね。
佐藤:さすがだ!寺山修司が生まれ青森県と融合している。超かっこいい劇団(Molecura theatre)豊島重之さんが率いた劇団がある台地だな・・と思います。ト書きありの「ジャイアント食堂」というイベント開催は腑に落ちますよ。
岡田:凄いですね。

佐藤:寺山修司が育った三沢市がすぐ北で、八戸市のそばだからね。森さんが居るとはまったく知らないで福島市を早朝に発って、神のお告げにしたがって八戸市美術館を見に行った。
家成:神のお告げ(笑)
佐藤:そう!八戸市美術館が来いと呼んでいる気がした。その理由は俺も分からないんだけど、「八戸氏美術館観にいかなければだめなんじゃない」と勝手に思って即でかけた。駅に着いて特産のでかくて美味い青森ニンニクを仕入れて・・・気分だけのお払いですね。

岡田:まだ開館して2年なんだ。だいぶ昔のような気がするな(笑)
佐藤:そんなにいろいろなことをやってしまった?
岡田:何か・・。
家成:ずっと建つ前から賑やかだった。
岡田:そうそう、建つ前から盛り上がっていたから。
     ワイワイがやがや
佐藤:そうなんだ!雑誌なんて見てない俺は建築界の時流に乗ってないな。
家成:「一回、みんなで行きたい」って言っていたんです。

森:是非是非!
佐藤:八戸の町も人が生活していて、いい雰囲気ありますよ、美術館と町の関係もいいけど。
家成:そうですか。

























































八戸市にはナイスな現代演劇を主催した精精神科医の森重之さんが居た。劇団名はモレキュラーシアターという。20世紀末、佐藤は彼女たちの演劇を観てしまった。

3人の設計者について

岡田:美術館を3人で設計しているじゃないですか?
森:はい。
岡田:どうやってその3人が決まる?コンペの時に誰が声かけたんですか?

森:西澤さんと浅子さんと中山さんが。
家成:中山英之さん・・へーえ!
森:三人でやっていたらしんです。
家成:そんなのまとまらへん3人じゃないですか!
森:そう!
      会場爆笑
森:中山さんは早々に抜けて。一回目は現地を見たやつで。プログラムがふわっとしているというか、自由だったので浅子さんと西澤徹夫さんで考えた。けど、決め手が無いねってなって。僕はさっき千鳥文化のそばの外壁の壁画をやっているアーティストの運営とか、アート系の事をやっているので、アドバイス頂戴ということで・・・・言ってきて、相談を受けた。
八戸にブラックキューブとかあるんです。それってkumagusukuの矢津吉隆(1980〜大阪生)さんがホテルのプロジェクトやっていたじゃないですか?
家成:そうなんですよ!
森:ブラックキューブの話とか聞いていて「やりたなー」とずっと思っていて、ブラックキューブ使ってました。

家成:矢津さん喜ぶんじゃないですか。
森:最初の頃、矢津さんにもヒヤリングに行って、コンペ獲ったあとに、こんな感じになったんですけど・・とか。
           岡田、家成 へえー!
:いろんな人から意見を聞いて
佐藤:ご縁がここにもあったんだね。
森:そうですね、忘れてました。



kumagusuku矢津吉隆さんの作品紹介動画。美術家、kumagusuku 代表。1980年大阪生まれ。2004年京都市立芸術大学美術科彫刻専攻卒業。

岡田:
早々と抜けるのが中山らしい!
   会場わらう 森さんふふふふしている
岡田:仕方ないね。
家成:中山さんですからね。
岡田:中山が抜けることによってこのチームが出来たと。
家成:おおきな声で笑う・・・中山さんが居たらある意味なんていうんでしょう。凄い、建たなかったでしょうね(笑)岡田さんおお家で設計何年かかったんでしたか?
 O邸 神社がわから観る

岡田:
設計はすぐ終わった、おれなんか全然。ゲンとこなんか8年だから!(笑)
佐藤:ゲンってなんですか?
岡田:中山さんがやった東京の住宅。 
佐藤:丸いやつですか?
:ドラム缶型の家。
岡田:あのお施主さんは8年ですよ。神だよ・・・設計が何回も変わり、・・・。

佐藤:岡田さんの家は2度設計してますからね。
岡田:2度設計ですから、早かったです。
家成:2回設計やっている!?
佐藤:ほそい敷地で真ん中に柱が並んでいる家のあとに現在のO邸設計。
岡田:それが最初の土地の設計。実際今住んでいる家は二回目の土地です。1回目は事情があって造るのをやめた。

2009年12月10日
えいぞう・きみこさん 「新居を語る」記録を読む


森純平さんの生い立ちを聞くよ


佐藤:
俺は神様のお導きがあって森さんと出会い、今回で肉声から記録をつくるのは3度目なんです。ですが森さんの生い立ちなど、お聞きする暇が無かったので生い立ちはまったく知らないです。みなさんは知ってますか?

家成:全然知らない。
森:そういう話なんですか?
佐藤:誰も知らない謎の人、森さんなので・・・。
岡田:いつのまにか居た。
佐藤:俺の目の前に現れたから気の毒だけど記録しちゃうよ。

家成:僕はデザインイーストで森さんと会ったことすっかり忘れていた。
佐藤:生い立ちを話したくなかったら跳ばしてもらっていいんです。どこで生まれたとか、その辺りからお願いします。教えてもらいますか?

森:さくっとで。
佐藤:長くってもいいですよ。
岡田:さくっとじゃなくって念入りに!(笑)
佐藤:濃い生い立ちですね。念入りにという要望がでました。
岡田:ディーテイルが大事(笑)

佐藤:ディーテイルないと面白くないからね。「謎の人物・森純平」でもいいけど、何処で生まれたのか、それは要る。1900何年ですか?

森:1985年にマレーシアのボルネオ島で生まれました

家成:え、もう面白いじゃないですか!

岡田:ボルネオ島!?
森:先週ぐらい・・・
佐藤:なんでボルネオ島なの?お父さんがそこで・・・

森:総合商社でコンパネとかで仕事を・・・。
岡田:ボルネオ駐在。
:駐在でした。
岡田:木材の買い付け?
森:木材も、最初、村を造っていたと言ってます。

   岡田 会場 すげー!!

森:道、拓いて
岡田:そこら辺に住んでいる人に向かって「おまえら仕事やるからここに住め・・・」みたいなところから開墾するわけね。
森:丸太で橋を造って、その上に家を仮に建てて、そこに母もなにも無いところで1年ぐらい住んでたらしくって。
佐藤:外国の飯場で飯炊きお母さん??凄いタフな女性だ!
凄いタフです

佐藤:お母さんはジャングルからお父さんを捨てて逃げださなかったね!


 (参考 木を伐りだす写真集)

森:カヤ(蚊帳)が有った。全部ゴキブリとか凄かったらしいです。
佐藤:暖かいからね・・ゴキブリもデカイだろうな、虫も凄いのいろいろいはいずり回ってそうだ。
:ジャングルの中はシーズンごとに全然違う・・・らしくって。

岡田:ジャングルで生まれたの?
森:それで、生まれないはずだったんですけど、早く生まれちゃって・・・即ヘリヘリコプターで日本に帰ってきて。
佐藤:危なかったね!
森:それはジャングルですからね、生まれるべき場所ではないし。
岡田:ジャングルで生まれた人が日本にいたの!?

 ワイワイがやがや・・・がやがや

岡田:本物のジャングル!開墾中のジャングル!!
森:僕は全く記憶に無いし。
佐藤:それはそうだろう。
森:特に思い出はないし。

岡田:ボルネオ島から、お母さんは日本に帰ってきて。
佐藤:森さん育て、子育ては日本だった。
岡田:お父さんは開墾を続け村を造ってる。
森:3、4年。
佐藤:お父さんは土木とか建築工事とか関係ない商社の仕事マンなんですよね?買い付けの人?
:神戸の甲東園に住んでいたんです。
家成:ええ!!
佐藤:お父さん関西生まれの人なんだね。
森:関西の人です。

家成:甲東園といえば千鳥文化の地主さんも。

森:家は千葉なんです、父が居なかったので母に連れられ、兵庫に住んでいたり。もう一つは金沢に住んでいたり。
佐藤:森家は日本に家が何軒もあるのね?
森:おばあちゃんの家とか、友達の家、ニューヨークにも住んでいたり。

岡田:お母さんはお母さんで自由は人なのね?
森:アクティブです。
岡田:小さな子供抱えて各地をうろちょろするぐらいの女性。
森:めちゃくちゃアクティブですね。ふたりともそうです


ボルネオ島





武庫川の西にある甲東園
岡田:おもしろいぞ!面白い。お母さんのルーツとかお父さんのルーツとか聞きたくなる(笑)
佐藤:いずれ森さんのご両親の聞き取り記録もつくりましょう(笑)岡田栄造先生のお母さんの人生語りを聞いて記録をつくりました。(右欄:公開中)
純平さんが腰が据わらないというかフットワーク軽く移動が止まらないというか、分かったような気がする。
森:ふふふふふ、なるほど確かに。
佐藤:生まれた時から移動は止まらずヘリコプターで飛ぶ、日本に来ても各地に住んではニューヨークなども往き来して育つ・・・。
森:生まれた瞬間からヘリコプターに乗っている。

 会場 がやがや ワイワイ すごいな・・・

佐藤:なぜかしらないけど、土地にへばりき気味の建築家らしさはなくフットワークの軽さと広さは不思議だった。珍しい人に会ったなと思ったけど。生まれた時からヘリコプターで地球上を移動する森純平だったのね。
森:そうですね。
佐藤:森さんは場所にも人にも、びっくりしないし初めての土地でもフットワーク軽く活動できているよだよね?
:そうですね。

佐藤:幼稚園とか小学校とかは何処でしたか?
森:そんなこなで、金沢とか兵庫にちょっとずつ行って。
佐藤:生まれた後、子供の頃はボルネオ島では生活しなかったんですか?
森:行ってないですね。何か・・・・高校ぐらいのときに自分探しでマレーシア、クアラルンプール、シンガポール辺りへ行ってきたんですけど・・・一人だと寂しすぎて!

 会場 おおわらいが起きる

岡田:ボルネオ島まで行かなかったんだ!
:怖いし、高2ぐらいで行ったんです。
佐藤:何が怖かったですか?巨大な虫が嫌いだったとか。一人ぼっちの寂しさが怖いんだとか・・・・言葉が通じないとかもあるかな?
森:はい。高2の時はそうでした・・・(東南アジア)経験もないし。
岡田:高校2年でボルネオ島に辿りつけない。
森:ちょっと行き着けなかったです。



聞き取り2017年8月26日
岡田治子さんに聞く」記録を読む

高校に行くな!


佐藤:
高校は何処に入学したんですか?
森:その後は千葉県に住んでいて。日大理工がある北習志野に住んでいて。
岡田:千葉人なのね。
森:一応そうです。

佐藤:人生で一番長く住んでいた場所が千葉県ですか?
森:千葉ですね。
佐藤:小中高はずっと千葉県ですか?
森:そうです。

佐藤:子供の頃一貫して続けたいてことは・・・例えば植物採取とか・・・ありましたか?昆虫獲りするとか?
森:サッカーとかハンドボールとか・・・。
佐藤:スポーツ少年だったんだね。
:はい!この話をお二人に聞かれるのはおそれおおいですけど、謎ですけど(笑)

岡田:めちゃくちゃ面白い!

佐藤:中山英之先生を聞き取りしたときは器械体操部の話がでて大笑いしました。中山さんのその後の人生を的確に語ってしまっていました。森さんの語りはおそれおおくないのでは?
森:たしかにね。
佐藤:サッカーでエースストライカーだったとか?
森:そういう感じではなくバックとかです。
佐藤:守備、デフェンスも強い森さんなんだな。

森:

何かがこぼれる・・・がやがやワイワイ

佐藤:・・・宮地さんに向かって・・データ送っておいてください
宮地:分かりました。
佐藤:サッカーのデフェンスは分かるような気がするけど、ガリ勉君じゃなかったんだね。
森:読書とかは好きです。
佐藤:なにを読んでいたの、哲学書とか言わないでね。
森:無限になんでも読んでました。ひたすら読んでました。

佐藤:そうですか、小説じゃないんですね?
森:なんでも読んでました。
佐藤:雑読かな?
森:雑読ですね。
岡田:へえ〜。
佐藤:このジャンルを読むのが好きだったとかは無いんですか?

森:何か次の本が読みたくなるのは本の中にあったり・・・それで次の本にいくみたいな。
佐藤:読んでいる本の中に次に読む本が現れてきていたんだと。
森:そんな感じですね。
佐藤:偏らず出会ったままに本を継ぎ読みしていたんだね。
岡田:知的好奇心の固まりか・・・。

森:
そうですね。そういう父だったので・・高校に行くな!と言われていた。 

家成いえーええ!!
佐藤:いい父ちゃんだね!日本の高校よろしくないからな、いい指導だよ、とうちゃ!
森:宮大工になれってずっと言われていた。

岡田ええ〜!!
佐藤:ますます良い父ちゃんだ、人が生きるって何か?基本が分かっているね。
岡田:何でなんだ、でお父さんは。
手に職か、丁稚でしょう・・みたいな感じです。

  会場 うえーえええ 会場 青ざめている・・・

岡田:お父さんは自分は一流企業のサラリーマンなのに!?丁稚、宮大工!
佐藤:お父さんは自分が物を生み出さないサラリーマンが嫌だったんだよ、きっと。
岡田:嫌だったの?
森:わからないけど。
家成:ジャングルに。

佐藤:お父さんに「なんで?」って聞かないの?
森:そういうキャラなので・・・分かるというか。
佐藤:外国でジャングルを開墾している男だからね、野生原野に生きて稼ぐ男。
岡田:楽しかったんだな、開墾が。

佐藤:勉強より未知・未開の地球を拓き、物を作る神社仏閣の大工さん、お父さんの気持ちが分かるような気分になってきたよ。
森:なので反発しないと丁稚に行かされるので。
  佐藤 大笑い







最初の建築家はカーン

森:まず高校に行きたいと、建築家になりたい・・・とか
岡田:建築家になりたかったんだ。
森:小学生ぐらいからです阪神大震災があって、祖父母の家が被災!
佐藤:10才だね、1995年1月17日だから。
森:中学生ぐらいか?
佐藤:10才ぐらいだよ。中学生になってないですよ、小学3,4年生でしょうね。

森:祖父母の家は被災して、甲東園にあった家が無くなっていて。家がつぶれたので祖父母は千葉に来ていて。同時に建築家のことも何となく知ってたんです。そこで祖父母が次の家を造るとか設計作業とかするじゃないですか。
佐藤:森さんは10才だと思いますけど、建築家の名前は知っていましたか?
森:最初はカーンの本を読んで。
  会場どよめく
佐藤:めちゃめちゃ!カーンしてる子供だな、ちょっと違う。
図書館の建築家の棚で、カーンの本を読んで凄い好きになって
家成:どんな本や?
佐藤:文章が好きということですか?
森:今、あんま・・・売ってないんですよね。薄い本でした。あと、ミースの空間、カーンの空間構成みたいな本があって。

家成あったな、これぐらいの本な。
:薄目の本です。
家成:はい。
岡田:小学生でルイスカーン本!???
森:あれが凄い好きで、薄グレーみたいな本。
家成:そうそう!

佐藤:最近ドイツに行って、ミースの建築体験し、その感動をフェースブックに投稿されていましたね?
森:はい、その時にユニバーサルスペースとかも知って、超感動するじゃないですか?
岡田:感動しないよ!小学生。まだ・・しないよ。
佐藤:アニメの英雄に感動する年代だよ(笑)
岡田:そういうレベルじゃね。

 ・・がやがやワイワイ 皆笑う・・・

岡田:すげーな!やっぱ変わっているというか、すげーな!
佐藤:父ちゃんの推しは宮大工なのに、息子はユニバーサルスペイスのミースだからね。プロテクト・反発反抗の仕方が半端じゃないね(笑)
家成:みんなでカーンの本をさがそう。 
 ドットアーキテック事務所内書棚を探しだす所員たち

佐藤:
ミース本探しは所員の方にお任せして話を続けましょう。
 ワイワイガヤガヤ 
 ワイワイガヤガヤ
家成:いいね、いいね。

岡田:森さんはそれで建築家になりたいと思ったんだ?
森:はい。
佐藤:宮大工になれ、丁稚せよ!なのに建築家という職能は知らないでしょう?
:ああ、だから読書好きだったので。Any会議の本が一杯あるじゃないですか

岡田:小学生でAny会議本?!
 ・・・・会場ざわつく がやがや がやがや
佐藤:訳の分からん本を読んでたんだ!
森:あれを読んで、めちゃ分からない難しく書いてあって、カーンはあんなに分かり易いのにAny会議むかつくなー・・・と思って。なんでこんなに難しく書くんだ!ろうと
岡田:思った!?

佐藤
:分かるな・・。
森:言っていること格好いいけど難しい。
岡田:小学生で思っていた?
森:思っていた、凄いむかついて

岡田
:普通は分からない世界があるんだなって。
家成:僕はそう思います(大笑)
岡田:理解できない知的世界があるんだな・・・と思う。そんなので子供はむかつかないですよ!
森:だけど、ジル・ドゥルーズとかも読み、なんだろうと、でもやっぱり意味ないなと思って。
岡田:すげーそんなこと言えるんだ、恐ろしいよ。
:幼心ながらにですけど。
岡田:読んだけど、これには意味がないと。
森:たぶんそうです・・その時点では。

 会場 静謐なシーンとした空気がながれている

岡田:実際意味なかったし(大笑)

Any会議本佐藤が購入していた

ジル・ドゥルーズ

高校生で学校は週一しか行かず、お寺造り現場に通っていた

佐藤:高校生になる時など、なにか?進学する学校を選ぶときに何か?東京芸大を選ぶときの森さん動機ですが。
森:芸大はいるのはなんとなく決めていて
佐藤:芸大にサッカー部あるんですか?
:サッカーには特に興味なく。
岡田:建築家イコール東京芸大だ?

森:東大か芸大だったら、芸大の方が楽しそうだな!と思って。
佐藤:楽しさの基準で進む大学を選ぶと・・東大に入ってパターナル・偉い人にはなりたくないと・・・。
森:(笑)そんなとこまで特に考えてないです。
佐藤:芸大の方が面白そうというのは?森さんにとって面白いとは、どういうことですか?

 ・・・がやがやワイワイがやがや・・・

森:
芸大は浪人するのがデフォルトだったので、それがいいなーと思って。
岡田:画塾に通って。
森:そうですね、新美(新宿美術学院)に行ってました。高3ぐらいのときに通ってました。

岡田:浪人したんですか?
森:浪人してました。2浪して・・・。その間、父親の現場の知り合いの大工さんが次に「お寺を建てる」と言っていて。僕は芸大に行くつもりだったので学校へ行く必要は無かったら、高2ぐらいからずと、お寺造るのを手伝っていた

佐藤:(大笑)・・・現場に入って図面書いてた?とか。
森:高校は進学コースみたいなの、学校には週一だけ行けばよかったんです。それ以外の日は寺造りの現場に行っていて。高2,3ぐらいで寺をやっていて。ちょっとだけバイト代もらって。

佐藤:俺は高校生土方だせ、森さんは高校生で宮大工で寺造りだよ!同じ現場バイトでも質が違うな(笑)
家成:僕はゴミ集めてた(笑)
岡田:測量の手伝いやっていたよ(笑)

佐藤:高校生で現場バイトは俺もやっていたけど、学校には毎日通っていた。夏とか春とかの休みに行っていた。宮大工の仕事のバイトはあるな!身近に宮大工が居なかったので気付かなかったぜ。

宮大工には成りたくはなかったですけど、建築家として宮大工の経験は楽しいなと、その時は思ったんです。
岡田:高3でだから、2003年ぐらいだね。
森:そんなもんです。
岡田:2003年か・・・。
家成:高校へは週のうち一日しか通わないでよかったんですか?
森:そうなんですよ!日大系の付属高校で基本は皆推薦で大学に行けるか、外部の大学にいけるので、教育よかったんですよ。

森:ええ〜。
森:外部に行く人は勝手に塾みたいなところで勉強するし内部の人も勉強しなくっていいし。
佐藤:高校生の選択にゆだねられて、自由、そのまま進んでしまうんだね。
森:そうそう。

佐藤:義務教育にありがちな・・義務教育延長みたいな教育コース、皆兵士教育みたな教育指導方針から外れた高校生活で羨ましいな!21世紀になっているんだからね・・手の抜き方、力の入れ方が分かっていたと、机に縛り付けるような不必要は勉強はしない(笑)
家成:Anyシリーズ読んじゃってますからね。
岡田:そうだよね。
佐藤:Any会議本は森さんには意味無いと分かっていたし、高校、学校に通うのに意味無いよと知ってしまっていたと。

岡田準備が出来すぎている
 ・・・会場がやがやわいわい あきれ果てて大笑い・・ワイがや・・・
岡田:芸大に入る前に宮大工になって・・・・・・ははははは
家成:Anyシリーズも読んでいる
岡田:最強じゃん!!


芸大試験会場の空間を楽しんでしまう受験生 森

佐藤:芸大は一発合格できなかった理由はなんですか?
森:二浪ぐらいで入りました。
佐藤:実技試験で落ちていた??
森:なんで?ですかね。意外といけそうな気配はあったんですけど・・・何か抜けていたんですかね?

佐藤:俺、芸大の入試内容も分からないんだけど、ペーパーテストまずあるんでしょう?
森:あります、センター試験。
佐藤:その他に実技やったり論文試験とかあるんですか?
森:立体構成と言って。
佐藤:物を作るのね。
森:角材10本渡されて、3mの物を作れとか?
佐藤:試験会場で、道具は?

森:1日かけて。
佐藤:宮大工やってるし、角材10本で3mはちょろいよね。
森:いやいや、そこに構成とか求められるじゃないですか。これを支持体に角材1m10本で何か作れとか・・・凄いいい受験だったんですよ。それと題材は西洋美術館とかで建築写生といってA1ぐらいに1日かけて絵を描くという試験

佐藤:最初の受験は失敗するんだけど、何で?落ちたかは合格したあとで分かったのではないですか?
森:はい、楽しみ過ぎた
佐藤:大笑
岡田:実技で落ちるんだ。
森:そうですね。
家成:ルールみたいなのがあるんですかね?こう描かなあかんみたいな・・。
岡田:感覚的に一発で、考えて作っているな、この受験生はとか・・。
佐藤:森さん合格させたら、先生がかなわねーから落とそうとした(笑)
    ・・・家成げらげら大笑いしている・・・
岡田:造形が概念的な制作は意外に嫌われる、自由じゃないと嫌われる。
     会場大笑い
佐藤:そうか!理屈ベースで制作しちゃうと落ちるんだな?
森:どちらかというと感覚派というか、Any会議は昔の話なんで・・むしろ自然と反応する方が素直なんじゃないの・・みたいな感じだったような気がします。
岡田:そうですか。

試験会

森:
受験は芸大の美術館の一番上の所でやるんです。そこそこカーンを参考にしたトップライトとか有って・・展示室の中で試験があるんですよ、それがめちゃ好くって。
佐藤:受験室の空間を楽しみながら制作していたんだ。
岡田:それはいいね。
佐藤:六角さんが設計した3階だったかなあの展示室ですか?
森:そうです。
佐藤:ことし待ち合わせ場所にした・・・卒制展みたが、あそこにトップライトがあるなんて知らなかったよ。
森:いいんですよ! 



東京芸大美術館

■図書館に通い読む、無い本はリクエストし所蔵させる

岡田:
さっきAny会議本を読んだのは小学生じゃない(笑)
家成:それがエグイです。
岡田:建築家、建築に関する何て言うか・・・建築に対しての興味がどういうふうに受容されていったんですか?キープされていったんだ?
森:キープしてたと思います。

岡田:本を読んだり。
森:今だと全部わかっちゃっているから、プロセス忘れましたね。
佐藤:ここで急造ねつ造してもいいから分かりやすくして語ってもらえますか。創作でもいいし
 ・・・会場大笑い・・
岡田:忘れていても、建築の本は好んでいたのかとか。
森:それでいくと、買えなかったので近くの図書館に有る本を基本は読んでいたんです。最初は建築コーナーにあるものを読み尽くして、無くなっちゃうとその時に発売になった本とかを欲しい本や図書みたいなのがあるじゃないですか。
佐藤:福島県立図書館ではリクエスト本と言うよ、リクエストした人は最初に借りられる権利を図書館から与えられる。
森:毎週10冊ぐらいずつ、新刊みたいなやつを全部とか出して。
家成:小学生が建築の本を図書館にリクエストする!?
:新刊が出るので買う、それを見るとか・・そういう意図だった。

岡田:どういう本でしたか。例えば海外の・・・
森:普通に住宅論とか
岡田:感銘を受けた建築家?
佐藤:ミースだよね。
森:ミースとカーン。
岡田:ミース、カーンだけですか?
家成:もごもご・・・

森:そういうのは分からなかったですね。意外にわかってないかもしれない。
岡田:ミース、カーン最強時代だった。
森:ですね〜。逆に工学系、何かステルス戦闘機の本とかあるじゃないですか、ああいうデザインの話とか・・・。その頃はデザイン系の本の方がスプーンのあれとか、分かりやすいというか。理論が明確にあるので、デザイン系の本は分かり易くって。建築家の本は分かってなかったかも分かりませんね。

岡田:建築やデザイン系は80年代後半は最悪だもの・・。
    会場 おおわらいの渦
岡田:本当にいま読んだら分け分からない!当時はありがたく読んでましたけど(笑)
佐藤:小学生の森さんも読んでいて。
岡田:これはくだらないと(笑)
家成:僕もちょうど同じ時期に読んでますね。
    会場おおわらい
岡田:俺もそうだ。


絵WEBより ナショナルギャラリー

森:あとはプアのかリシャード・ロジャースの『都市 この惑星の』『都市 この小さな国の』ピンクと緑の小さい本。

家成:見てない!
森:ロンドンのマスタープランの話とか書いてある本で、それは好きでした。けっこう感動した記憶があります。

佐藤:『都市 この小さな国の』友達が訳していて、そこの事務所の床を借りて寝た(笑)東京で聞き取りしてたときにもらったよ。森さんは英語は小さいころから喋ったり読んだり、書いたりしていたんですか?
森:ぜんぜん喋れてないですね。
岡田:エンジニア系の建築家?
森:雑多に町の話とかクリティバの話とか。町づくりの話です、
岡田:クリティバは名前は知っているけど読んでない
  会場の誰も読んでいないようだ

森:
花通りとかブラジルかどこかの都市で町づくりの話で、衰退していた町にクリティバの市長が、シビックブライドを醸成するために森の学校みたいなものを森の中に作ったりとか、花通りというプロジェクトで単純に道に花を植えるとかだったかな。町づくり系の話とか、ロジャースの本もたぶんそういう系で。ロンドンのネットワークとかの話とか、

佐藤:具体的な建築物ではなく都市計画や都市の現況に興味が向かっていたと。シビックプライドという言葉は、2011年の気仙沼で一緒に被災地支援もした太田浩史さんの奥様、理科大の伊藤香織先生に教えてもらい、たしか本も刊行して。俺は老人になってから教えてもらった(笑)高校生で本を手にとって考えていたんですね。
森:レイチェルカーソン本が・・・

佐藤:レイチェル本『沈黙の春』は環境汚染の話だったかな?本を買ってないなや。
   会場大笑い
森:そんなことないでしょう。
岡田:レイチェル・カーソンは俺は読んだから。




2004年9月30日鹿島出版会刊行
友達の太田浩史、樫原徹、南泰祐、桑田仁が勉強会を開いていて翻訳とすりあわせをしてて、刊行後この本を佐藤はもらった


クリティバ「都市と環境─なぜ変化が必要なのか」にクリティバの過去30年1970〜2000)に渡るクリティバにおける人間活動による環境ダメージのことなどが描いてある

レイチェル・ルイズ・カーソン



父・息子、自邸を設計し工事監理する

佐藤:ゼロ年代は高校生で都市や環境などを含む町づくりの本を読んでいて、芸大は何年目に入学したんですか?
森:二浪で入りました。
岡田:2005年ぐらいの時じゃない。

:そうですね。その前に自邸を父と一緒に造りました

岡田:え!!
佐藤:なにした? 物は何で造ったの?何処に?
森:何か・・・千葉です。
佐藤:お父さんが自分で設計して大工さんに依頼した?
:父はプラントの設計、監理しているんです。水処理系です。けど、建築士の資格を持っていなかったんです。そういう父なので2級建築士の資格をとって自分で家を設計をして。
佐藤:お父さんはジャングルを開墾したが・・・2級建築士をとってしまう!工事に長年関わっていて受験資格を得てたんだ。水処理は町や工場全体、排水処理系なんですね。どういう水処理ですか?

森:
農場とか養豚場とか、そういうのです
佐藤:あるね。農業集落と農業施設の汚染水処理施設のいろいろを造ったんだ。昔、水問題は聞き取りしたことあるな・・・。
森:そういう下水プラントです
佐藤:家畜の糞尿や農業地帯での住宅も含めそれらから出る・・・下水処置のプラント造りですね。
:でかい池を造ったり。
佐藤:強酸性の温泉排水処理の為、ため池は福島の温泉場にも造ってあるね。お父さんは農業用排水の為のダムやため池も造った!バランスいいね。人間の造作を環境に効かせるのってめちゃ難しいね。

森:それもやっていて、二級建築士の資格をとって、自分で父が自宅を設計して、あんまりセンスは無いんですけど、何かプラント的なごつい感じの自宅

佐藤:プラント的、いいじゃない!
森:で崖に敷地があって、崖地ですね。
佐藤:父息子が一緒に造ったんですから、いいよ。どんなプランかは覚えてますでしょう?
:もちろん。



絵:伊藤香織先生WEBより
シビックプライドが地域の価値を再定義する
[伊藤香織]東京理科大学 教授
シビックプライド研究会 代表

佐藤:この紙に描いてくれますか?
森:下2階がRCで上に木造になっている。
佐藤:崖地の家のプラン描いてみてくれますか?
  プランを描きだす森
佐藤:あ、左利きだね
    プランを描いている森
森:こうかな・・・こんな感じでコアがあって。で、崖地なので3階と地下、2階と地下1階が両方とも接地していて、2層(地下1、2階)がこれで、3階も階段で水回りがあって、1階は。
佐藤:2階から入るのね?
:B1、2階から入れる、この2層がRCです。
岡田:RCは地下2層ね。
森:そうです。
佐藤:1階が真ん中の図で四角いところが水回りですね。
:そうです。ここにキッチンがあって。地下が有って
佐藤:最上の家が木造、三層積み重ねた一番上が木造だと。
森:そう。
佐藤:2階は共有の場になっていて、1階は?
森:寝室とかあったり地下1階がこういう感じです。

佐藤:崖地との関係はどうなっているんですか。
森:崖との関係は、こういう感じかな。
  断面に斜面を描き加える森
:これぐらいかな・・・。
佐藤:崖をままにし平らに造成しないで三層の住宅を建てたと。
森:そうですね。

佐藤:東京芸大の建築科に入る前に自邸・建築を造ってしまっていた!
岡田:自邸造りでどんな役割を果たしていたんですか?
:何かプラントのおっちゃんたちが来るので、現場監督の代わりに掃除をしたりとか、監理はできないですけれど。何か楽しそうだなと思ってやったり。内装とかは・・。
岡田:浪人中ですか?
:浪人中ですかね。

佐藤:自宅現場の掃除しちゃうのは森さんらしい!お父さんと息子が一緒に自宅建ててしまうのは最高にいいね。この住宅建築でどここが気にくわなかったんですか?さっきお父さんごついと話がありましたが、自分でどこの辺りがごつい!気に入らないと思ったのか?教えてください。
森:けど一周回って、今は良いかもしれませんけど。本当は細かい所を設計たくなるじゃないですか。それが本当にザクッと造ってあって、質実剛健な感じなので・・・良いと言えばいいですね。
構造設計も自分で手計算でやっているので、図面になったりするから、開口とか本当はもうちょっと開けておけば好かったな・・・と今となっては思うけど、それぐらいですね。

佐藤:設備設計のプロにとっては自宅設計はチョロイだろうね。3層の一番上が木造ね。大学に入る前に浪人しながら自邸を造ってしまった。この自邸を造りながら大学に入学して、そういう経験してしまうと芸大はかったるくなかったですか?そんな芸術語で造っていてもしょうがねーな・・とは思わなかったですか?入学したら「つまんねーな・・・」とは思わなかったですか?課題が楽しかったとかありますか?

森:そんなことはないです、課題楽しかったです




2023年7月4日森さんスケッチ

東京芸大に入学

佐藤:入学して、いきなりどういう先生に指導されたんですか?同級生は10人ぐらいしかいないんでしょう?
森:そうですね。益子義弘さん(1940〜)住宅系の先生とか六角鬼丈(1941〜2019)とか、あと誰ですかね。
岡田:北川原温(あつし1951〜)
森:北川原さんもいました。2年生のときに。あと誰だろう。最近、中山英之さん(1972〜)とか藤村龍至さん(1976〜)とか。黒川(?)さんとか。木造で大架構造っている人とか。
家成:六角先生と森さんは話が合いましたか?
森:合いましたね!先生との話はまあ、その頃はそんなに楽しくなかったですけれど。

岡田:同級生は?
森:同級生は、今、学部の時の同級生はいろんな事をしているんですけど、大工になったりジュエリーデザイナーになったり。全体を通していくと、最近だと岩澤亮介君だとか工藤浩平とか、そこらへん。ピーター・ズントーの所にいた杉山幸一君とか。
岡田:話合うと、芸大建築に入ってくる人達とは。
:そうですね。
岡田:つまんないという感じではないんだね。

森:京都工芸繊維大は楽しくなかったんですか?
岡田:工繊は森さんのような学生が来たら「なんやこいつ?」と見られる・・・建築のことも知らん、入学した時点で建築家の名前は安藤忠雄しか知らないですからね。そんな感じの人と一緒だと辛いやん。芸大だと辛くはないんだね。
森:建築家の名前、全然知らない人とかも楽しいし。
岡田:まあね、そうそう。



益子義弘(ウイキペディア


六角鬼丈
大学の外で活動し始める

佐藤:学部で特に印象に残った課題などはありますか?この課題は燃えて面白かったな・・など、聞いていると自邸造るのが一番面白そうだな・・・という気がしましたが?
森:いやいや、全部課題は楽しかったですよ
佐藤:仲間から提出課題が受けたとかはないですか。森純平作品集として手元には残してあるんですか?
森:残っているような気がします、ポートフォリオ。
佐藤:どこかに発表していますか?
森:発表は特にしてないです。

佐藤:森さんと喋っていると建築愛感じないんだけど、課題もおもしろくやっていたなら、八戸市美術館で会ったときに建築を熱く語る系、建築人ではないのかな・・と思いました。建築をネタに今世紀に合った新しいことしている、人口減少の流れに沿った町づくりと建築の関係、その一例を実践してしまっても、はしゃいでいず静沈着な感じ。

森:そうか、それでいくと、真面目に課題をしてたです。課題をすればするほどそこで使われる要素とか、そもそもプログラムは謎だな・・・と、なんでこうなっているの?・・とか。今の活動と繋がるんですけど、前提の話とか、それか実際に決定している理由というか、形だけではない処が本当はあるんだなというのが、何となく興味を持ってきて。
それで学部2年生の半ばぐらいから(大学の)外に出ていろいろな活動をするようになって
で、一つはその頃、北千住に芸大が新しい校舎が出来て音楽環境創造科というところなんです。学生も校舎が新しすぎて、芸大生なのに汚せなくって詰まらないから・・・というので、近くの元洋品店だった場所を借りて、音環生4人ぐらいで、そこで「おっとり舎」という名前でオルタナティブスペースを始めて、運営をしていたり

佐藤
:「おっとり舎」って あの人がおっとりした方・・・とかいうあれですか?
森:そうですね。おっとり刀のおっとりです。そこは京都の浄土(kumagusuku?)の複合という。
最近やっている池田剛介君という人が居たりするんです、彼も後でおっとり舎に来て、アトリエとして使ったり、大山エンリコイサム君とかグラフィティーやっている者、途中から入ってきた。そうしていろいろなアーティストとか音楽家が「おっとり舎」を使って活動していたり。ラジオ局のプロジェクトみたいなものも。
また違う。台東区デザイナズービレッジというのが台東区の小島小学校という所に在るんです。芸大が改修のプロジェクトがあって、油画科のアトリエが一時的に引っ越しているタイミングだったのです。それにかこつけて、元小学校の3階か4階のワンフロア全部アトリエで空いていて、そこで友達と一緒にラジオ局をやったっていたりとか。

家成:その小学校は行政関係で、使われてなかったんですか?
森:そもそも小学校としては使われてなかった、今も在るんです。台東区がデザイナーズビレッジとか、若手のための1階2階ぐらいはアトリエになっていて。それはアーテスト向けじゃないんです、ジュエリーデザイナーとか、最近は蔵前とかお洒落になっているので、それの種になっている気がするんです、その運営。でラジオ局をやっていて。

佐藤:台東デザイナーズビレッジは発起人じゃなくって、一参加・アーテストとして関わったんだ。それが展開してPARADIS・AIR、松戸駅前の施設や八戸市美術館の設計などにつながっていったんだね。森さんの事が分かって来たような気分(微笑む)
森:そうですね。一緒に動いていくみたいな。

岡田:普通に自分と共感し合う人がそこら中にいるイメージなんですね。
森:何か失敗もするか分からないんですけど、言ってやってみる・・・みたいな感じですかね。
岡田:何か一緒にやろうや!という人が普通にいるみたいな感じね!
森:そうですね。むしろ友達が出来ていくから建築から離れているというか。

岡田:そういう意味で言うと同級生とかは建築をやっていたり?
森:もですし、普通に油絵とかも音楽とかもしますよ。
岡田:同じ場所に思考、嗜好としては似ている人が居ると。
森:そうですね、気は合う。
岡田:そこでやったら共感してもらえる。
森:そうですね。


北千住 芸大校舎









おっとり舎(WEBより
年前に北千住に進出した東京芸術大学の学生たちの集まりです。 音楽学部音楽環境創造科4年の庄子渉さん(22)、同・大和田俊さん(23)、同・杉本喜洋さん(21)、美術家の池田剛介さん(29)、美術家の大山エンリコイサムさん(25)、同大学院美術研究科の森純平さん(24)の6人
 
おっとり舎の活動記録へ
絵:同上サイトより














絵:ファッション関連デザイン創業支援施設
台東 デザイナズービレッジ(サイトより)

■学生時分から「おっとり舎(アトリエ)」を自前で持つ

家成
:おっとり舎は完全に自分たちで家賃を払ってオルタナティブスペースの運営をやっていたと。
森:そうです、5万円の家賃で、一人1万円ずつ皆で割る・・・みたいな会計システムで。
佐藤:おっとり舎でのメインの仕事は何だったですか?
:ただのアトリエですね。乗りで借りちゃったら、意外といろいろなことが起こる感じですね。
佐藤:共有の場をみんなで持ってしまうのはいいよね。
家成:もと洋品店というと、そんなにでかくはないですね。
森:でかくないですね。
佐藤:スペースを学生仲間と割り勘で借りて活動スペースを確保するのは偉いね。場所が要るし持っていると後々効くんだな。建築家らしい発想でいい。
森:僕らが最初借りるタイミングじゃなくって、借りちゃってたぶん3ヶ月ぐらい経ってから何も始まらない・・・というので呼ばれて。「ちょっと建築家、やってくんない・・・」みたいなことで。
岡田:建築家、必要だったんだ。
森:そうみたいな感じで、どこかの事業で友達になった誰かに呼ばれたと思います。
岡田:建築が必要?
森:掃除しなき
岡田:場所を運営するイコール建築。
森:場所を運営というか改修じゃないですか。
岡田:場所をなんとか使えるようにしなきゃいけないと。
森:大屋さんがいて、その人には棟梁と言われてました(笑)大工役みたいな感じで建築家というか。
家成:そこで宮大工に行って働いていた体験がスムーズに生かされて。
森:床を替えたりとか。壁を抜いたりして。

佐藤:森さんを棟梁と呼ぼう(笑)
森:毎回、いろいろな呼ばれ方をしています
佐藤:確かに、森さんはいろいろな職業を渡り歩いちゃってるからね、日本伝統にあった芸能の民たちの親分に見える。で、ろいろな呼ばれ方をしていたのは腑に落ちる。

岡田:
それは学部何年生のときですか?
森:2〜4年まで。学部を卒業するときにそこは辞めようという話をしていて。
岡田:卒業するまでの期間限定の場所と活動だと。
:その後、それがそのまま松戸(PARADAIAE AIR)行ったりしているんです。

佐藤:俺は建築観にいかないので、八戸市美術館での出会いは偶然だけど、松戸のパラダイスエアーに押しかけて、聞き取りした。今日ようやく森さんの活動の全部はつながり森さんに対する謎が少し解けてきました。芸大入ったときからすでに社会活動が目の前に落ちて来て素直にその環境に合わせて森純平活動を始めちゃっていたんだね。

森:あとは、音環で音楽系の活動で、例えばジム・オルーク来るときとかに勝手に寄っていって、勝手にトークイベントしたり、ライブしたりたりとか。
岡田:そこに連れて行ってライブイベントやったり。
家成:やるね!
岡田:凄いよ。

佐藤:芸大の学生たちが押しかけて行ってトークライブやライブぶちかましたんだ!
森:学生だから乗りでやるか!みたいな、僕が呼んできたジムじゃなくっても、そういう乗りをしてた。

佐藤:現在の活動の質と学生時代の森さん活動の質がまったく変わってない・・・というかぶれていないね。
森:そしたら海外の音楽家が来たときに、ちょっと声を掛けてくれるようになったり
佐藤:学生時代から、現在の活動を始めちゃっていた。
森:そうですね。

佐藤:去年(2022年8月28日)、花田達郎先生と、編集者の中村睦美さんと3人で松戸駅に集合して、パラダイスエアーに押しかけて、森さんに講義してもらってしまった(笑)質疑応答を含め3時間だった(笑)あのとき「松戸の活動は後輩に継いでもらって、俺は辞める・・」と言ってましたが?

:アトリエの話ですか?
佐藤:アーテストインレジデンスのお世話係というのかな、それを辞めて若い人に任せるという話ですが。
森:松戸の活動は卒業みたいな・・・。
佐藤:台東区のレジデンス活動を学部卒業と同時に辞めるみたいな感じなんだね。
:そうですね。

岡田:(台東区の物件)呼ばれて行ったと言ったじゃないですか。最初に自分でやろうとしたんじゃなく・・。だけど、建築やりたい訳ですよね。でも、どんどんそっちに填っていった、それが自分のやりたいことになってく?
森:ですね。
岡田:はっきりしているね。

森:ただ、比較的学校へ行かなくなるタイプじゃなくって、課題は課題で必要で、そっちは一応ちゃんと優秀にやっていて。深追い、まではしなかったですね。同時に活動の方も大事な・・・と思っていて。

佐藤:高校生のときは週一だけ通学し、宮大工、大学に入ったら社会活動に呼ばれ、大学の課題も優秀にこなしてバランスよく、難なく両方やってしまっていた。
舞台をやったりとか。
佐藤:さらに舞台もね!頭でっかち、専門性に特化した活動にならずバランスよく暮らしていたんだね。棟梁とも呼ばれたりしながら多様な面を活かしそれぞれに状況に合わせて森さんらしく学生生活も送っていた。
森:何かいろいろやっていました。






Jim O'Rourke - Therefore
ジムオルーク





2022年8月28日
パラダイスエアー聞き取り3時間記録を読む
家成:台東区の「デザイナーズビレッジ」と「おっとり舎」というのは、芸大の枠組みを越えていろいろな人が集まってきていた?
森:そうです。
佐藤:台東区が空き小学校の使い方を募集していろいろな人が集まっていたから、大学の枠内の活動ではないようだ・・・そこでもなんとかしようとして自主参加でしょう?

森:勝手に行くんですね。大学がデザイナーズビレッジの4階をアトリエとして借りていて。だけどそこは大学じゃないので誰も管理しないじゃないですか。だから勝手なことをやっては皆で遊んでいた

佐藤:台東区が、「芸大さんとりあえず空いてるから何かに使ってよ・・」行政が大学に借りてもらった、使ってもらう感じかな?
森:芸大の本当の校舎は改修中なので、代わりに要るよね、というのでデザイナーズビレッジの4階を借りていた。

佐藤:芸大公舎は改修してたので、教室が台東区の小学校の校舎に流出した時期に森さんが入学していたと。改修が済んでしまった現在はそういうことは出来ないよね?
森:そうです。
佐藤:不思議な出来事と森さんの巡り合わせで森さんの活動が広がる、不思議だな・・。


:その時にツバメの山道拓人とか、G86とかやっていて。
佐藤:俺、彼らと建築学会の企画でお呼ばれして、日比谷公園でずぶ濡れになりながら86のメンバーとワイワイして『建築雑誌』に記事が載ったな、時期は忘れた。あの時期は森さんもG86と絡んでいたんだ!

:で、1回、ラジオ局のプロジェクトを銀座のギャラリーで開催することになって、そのときに2週間ぐらいギャラリーを借りてラジオでいろいろな番組をやっていたんです。その内の一つでG86、どっちが持ちかけたのか分からないんですけど、アーキサミットみたいな感じの放送をやって、

佐藤:ツバメの連中は俺も何度か絡んだ。彼らの事務所でワイワイしたけど森さんの事を一度も語らなかったのは謎だ?な。
森:そんなに仲がいいわけではないから、昔から知っているだけ。
   家成お笑いしている
佐藤:G86の連中が森さんを気にしていないのはおかしい?と俺は思うんだけだけど。
森:すごい昔から知っていますよ。

佐藤:そうでしたか、俺は呑んだり喰ったり仕事したりしてるのに、森さん、同世代の(一つ年上)の活動を話題にしなかったの?って未来の人の感性を見るセンス無いのか?

 家成大笑いする

森:いえいえ。
佐藤:森さん、同世代の人間を理解不能として処理してて積極的に交流しないで過ぎていたのは謎なんですよ。
森:西川日満里(ひまり)さんとかも昔一緒にプロジェクトやったことあります。

佐藤:そのころかな?彼らとは我が家でワイワイしたんだけど、話題に出ないとは?同世代の活動、周りが見えてないのかな?森さんはラジオでアーキサミットと題する放送してたんですね。

:はい、ラジオをやっていたアーティストは今は京都の事務所でオタクテ的な毛原大樹君というんです。
岡田:毛原君!
森:彼とずっとやっていて。
岡田:水野大二郎さんの教え子。
森:水野さんの教え子ではない、違う毛原君?町屋のアトリエみたいなの在るじゃないですか、あそこにアトリエを持っていて。

岡田:あ、今京都に居るっていうことか?
森:はい。学校で教えていたりしていたんですけど、毛原大樹(ケハラ・ヒロキ1982〜)とやっていたり。
岡田:いろいろな人が集まってやってくる。


毛原 大樹(けはら ひろき、1982年 - )は、日本の美術家・アーティスト・造形作家である。東京芸術大学大学院修了。別名コジマ ラジオとしても知られる。
2014年11月7日ニュースラジオで授業!?





2012/02/13「伊丹十三への13の質問」



家成:
物理的な場所があるのがデカイですね。
森:はいそうですね。

佐藤:日本社会に空き家が増え、商店街がシャッター通りになり、森さんの活動の場が準備されていて(笑)その状況に森さんの才能が共振し、森さんの活動が活発になっていたんだね。時代に導かれるように見えるね。
森:お陰様で!

佐藤:時代がつくる巡り合わせって不思議だね。芸大の改修工事時期に合わないと森さんの活動の場は台東区から始まらなかった。普通の芸大生をやっていたのかもしれない。
その時期に森さんがいろいろ活動を起こした、始まりの時期と世の社会状況が出会い活発に展開し広がっているのは不思議である。時代にも呼ばれている感じの才能があるんだね。
家成さんもコーポ北加賀屋に招かれたというか、町の時代と環境に呼ばれ「千鳥文化」が生まれたようにね。場所や時に導かれ、そのことと素直に対応し互いの力を発揮できる能力も備えていた、学生時分の活動が、松戸で活動に広がり八戸市美術館建設に大きな影響を与え森さんの活動の総体が一層分り易くなっていて、今日はお爺さんの俺でも分かる建築になるんだな。

岡田:面白いね。

佐藤:ただ、山道さんのような若い方とも接しているんだけど、彼らは建築(東工大造る)系の目でしか森さんを見てないので応答していない。既存の建築路線を歩んでいるから森さんを見たり感じたり評価できなかったとも言えるね。森さんのような、世がもてあましている場所をこれからの人間に要る公共圏をうみだすような個人が起点になる活動は日本にはほとんど無いので、分からないかったんだろうね。
そのように10数年前森さんと交流していた若い人々を想像してみる。いかに建築学(工学脳)の病に冒されていたかが分かるような気がする。
森さんは建築系のてっぺん目指す人に見えなかったという、専門家が持つ目の曇りの原因を追及してみたくもなる。

家成:松戸というのは?(パラダイスエアー聞き取り3時間記録を読む

佐藤:ざっと言うと、松戸駅前の市民と一緒に旧ラブホを使って世界のアーティストを滞在させる活動。10年間ほどの活動。「おっとり舎」は空き洋品店を改修して日本の若者同士で「さ〜何する?」を考えていたんだけど、台東区の経験も経て、松戸駅前の活動は最初から外国人アーティストを松戸市と市民が招いて、制作は表現の活動させた。制作と滞在場所は、主なアトリエは元ラブホの部屋。
さらに市街を使ってアートを制作させちゃい町の人々と交流する。活動意図がはっきりして始めていた。「おっとり舎」の活動と共通しているのは空いた建築機能の転用かな。だけど、既存建築だった場所で起きている意味はまったく違うし、森さんは何をすべきか明確になっている、その結果がパラダイスエアーの表象となっていて、俺にでも分かりやすくなった。

家成:松戸を立ち上げていくメンバーは「おっとり舎」のメンバーというわけでないんですか?
森:半分ぐらいはそうですね。立ち上げはまた別でして、MAD Cityマット・シティプロジェクトとかやってたんです。それは寺井さんという渋谷で活動している人がいたり。



森純平さんに聞く2 へ続く


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