HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
浅見俊幸・浅見千晴さんに聞く 2017年2月01日京都市内にて その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 |
その6 佐藤:造形大を出て地元に戻り教職ですか 美術の先生 千晴:美術の先生です 元々高校時代も芸術一本で食べて行くーぞーっていう勇気も無かったので。教育大学ばっかり受けていて。美大に入りたいけれど、造形大は受かったので。 教育大学よりも、美大の方が断然芸術的なセンスは高いなーと思った。面白そうだったので。田舎出身ってこともあって、他には高知大学と岡山大学受けたんですけど。どのみち田舎から田舎へいくようなもんなので、なんとなく京都に行きたいなーと。 佐藤:高校の先生になるの大変じゃん 千晴:たまたまねー運が良かったっていうか。採用一人だったんですけど。急に定年退職でもないのに美術の先生が一人辞められたので、二人になったので。滑り込んだんです。 佐藤:倍率凄いでしょう 千晴:当時は高い、試験の時は泳いだりもしました パソコンもやりましたし 佐藤:小学校の先生は全部できないと受からないっていうし 教職受験も大変なんだよね 千晴:試験が大変なの タイムも測からはるの。 浅見:遅かったらだめなの 千晴:分からないけど タイム測って、泳げなかったりしたら何かなるんですかと聞いた。走りはしなかったですね 運動はプールで泳ぐ程度でした 小学校の先生は何かしてはりましたけど。小学校はたいへんです 佐藤:美術の先生なのにプールで泳がされてと 浅見:なんでなんだろう ふーん 千晴:なんでですかねーみたいな感じで。ストップウオッチもっている先生に聞いてみたら、「わかんねー」って言ってました 佐藤:美術の先生は何年勤めたんですか 千晴:1年やって大学院に戻っちゃったんです。 普通は新任は大きいい学校で美術教諭が二人ぐらい居るところで、王御所っていうか古株の先生について勉強するんですけど。いきなり決まっちゃったので、一人で教えてて。気楽に教えましたね。 佐藤:中学校で女性の美術の先生って悪がきに、からかわれたりしないんですか 言うこと聞きましたか 千晴:わりと 田舎の純粋な子だったので。悪ガキは居ることは居るんですけど、美術の先生ってどっちかと言うと自分たちの味方じゃないかという感じで観てくれるんです。5教科教えている先生は敵対心がありそうですけど。 佐藤:忌野清志郎の僕の先生という曲の影響受けすぎてるんじゃない 浅見:ははははは 佐藤:タバコぷかぷか吸って相談にのってくれるいい先生って歌ありますよね 千晴:はい知ってます 佐藤:ちょっとセンスのいい男は美術の先生と仲良しになるんだみたいな曲の 千晴:私の高校の美術の先生がそんな感じで、やっぱり私も美術準備室に行ってました。 佐藤:システムを詰め込む学校の中では美術の先生は違った空気をもっているからね 千晴:そうですよね。面白かったです 佐藤:1年の期限付きで先生になったんですか 千晴:期限付きじゃないんですけど、教員というよりは建築がしたかったんですよ。就職難だったんですよ、私たちの時代は。 ずーっと建築はしたかったんですけど、4年生の時に就職活動に熱心になれなかったんです。それよりは、卒業制作で集大成として賞がとりたいと思ってしまって。 当たり障りなく就職活動はするんですけど、たぶんバレバレでしょうね。就職する気が無いっていうのが。形式だけで受けているみたいな。ちゃんと就職活動もしてないので、どこも決まらなくって。唯一決まったのが教員だったので。親に迷惑を掛けるのもなんだしと思って。一回帰ったんですけど。お金が貯まれば大学院に行こうと思って 佐藤:計画的だったんだ 教員給料たかそうだものね 千晴:教員は凄い楽しかったですね、若かったので。 佐藤:明るい先生が辞めちゃうよって残念がられたんじゃないの 千晴:うん、なんで辞めるのって言われたんですけど。その時はまだ若かったので、このまま終わっちゃやだなーと思って。楽しかったんですけどねー 佐藤:浅見さんが引っ張んたんだなー 俺の嫁になれってー 浅見:はははは 千晴:浅見と知り合ったのもたまたま、 佐藤:また京都造形芸術大学に戻ったんですか 千晴:そうです でまた渡辺先生と横内先生に教えていただいて。1年生の時は渡辺先生で修士だけとって出たんです。2年生の時は横内先生。大学院は作品と論文両方するんです。 論文は木造建築なんですけど、木造による新たな文明を再生しましょうっていう、ざっくり言うと。 佐藤:渡辺先生の影響ばりばり受けている感じだね、あのころ京都に木造で巨大な高層建築を計画してたからね 千晴:そうですよね。ちょうど院生だったので、渡辺先生が事務所でやってらっしゃるような模型とかの手伝いをずーっとやってました 佐藤:じゃ内田康博さんとか知っているの 事務所はだれが居ました 千晴:増谷さん 佐藤:京都のはんなりした若者ですね。千晴さんは渡辺事務所の模型もつくってたって 浅見さんよりバリバリ建築家の路を観てたんんじゃないの 浅見:確かに 佐藤:で無事修士を卒業し 千晴:1年なんとなく、イギリスに勉強しに行って。 佐藤:イギリス留学へ 俊幸さん ここでもまた差をつけられましたねー 浅見:ふふふふははははは 佐藤:留学しちゃったよ 千晴:たまたまで、主にロンドンに居ました。ヨーロッパを回ってみたかったのと英語が勉強したかったのと。何となくでしたね。パリの方が行き易いのかも知れないけど、なんとなくロンドンにしようと。 佐藤:正調英語って感じだね 発音もきれいだし 千晴:9ケ月で。あとは3ケ月旅行とかして帰ってきた。イギリスに行っている時には朝ニュースを聞きながら何言っているか分かったんですけど。日本に帰ってきたらすぐに忘れちゃって。 佐藤:ロンドンで英語使って生活はできたんでしょう 千晴:そうですね 佐藤:外人投資家が京都に一杯来ているから その時に身に着けた語学活かせるね コミュニケーションは可能でしょう 千晴:日常会話程度ですけど 子供が出来ちゃったので、俊幸さんが主に打ち合わせに行く感じです 時々行くくらい 佐藤:1年留学してもまだ 浅見さんとは会ってないですよね 千晴:2月に帰ってきたんですけど4月には浅見設計に居ました。 佐藤:浅見さんをどうして知ったんですか 千晴:雑誌に古民家を改修してる建築家として載ってて。面白そうだなーと思って。 日本では住宅を勉強したいなーと思っていたんです。で、京都なので町家の改修とか古民家を改修するっていうもの、興味はあったんです。 ロンドンに行っていると、日本の建築について、もうちょっと足を固めたいなーと思う。ロンドンに居ようと思えばずーっと居れたんですけど。生活も困らなかったし、直ぐにアルバイトとか見つけられるんです。ビザ無くっても外国人でも。建築の仕事もしてました。建築事務所でほとんどもらってないですけど、3か月だけしました。 佐藤:ロンドンに居て日本の木造建築を学んでみたいと思って 千晴:私就職しなかったので、建築業界で働いてなかったので、どうも日本の建築を知らない、知ってから海外に行くともっと吸収がいいんでしょうけど。憧れのまま行ってしまったので、まず日本で下積みを経ないと何も吸収できないんじゃないかなーと思って。 せっかく京都で学生だったんだから、町家の改修とか、古民家改修みたいなのをしている事務所で、住宅を主にやっている所、人の生活する場っていうのが、設計する要素がたくさんあるので。そういう所からやっていきたいなーと思って。 佐藤:雑誌観て直に就職活動したんですか 千晴:はい、 佐藤:給料さいしょからくれたんですか 千晴:ちょっとだけですけどね 佐藤:大学院に行ってロンドンに行ったんだから蓄えの底はついてたんじゃないの 千晴:そうですね、大学院に行くときには日本育英会から借金をして行ったので、アルバイト代で生活費を稼ぐぐらいで その7へ |
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