HOME 文責・作成・佐藤敏宏 | 佐藤敏宏の京都ことば悦覧録 2017年1月27日から2月2日 |
ことば悦覧録 |
浅見俊幸・浅見千晴さんに聞く 2017年2月01日京都市内にて その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 |
その5 浅見:時間がいくらあっても足りない。 千晴:子供が二人になってから ちょっと忙しい 佐藤:二人いるんだ 浅見:今保育園に行っているんです 佐藤:生まれて半年経ったぐらいなんですね 浅見:そうです、上の子 3歳になったところです 佐藤:都会だから 送り迎えたいへそうですね 浅見:いそがしいなー 実家が近くにないから預けるわけにもいかない 千晴:そうそう 佐藤:実家の話がでたので、浅見さんの8年前から今日まではこんな感じでいいですか 浅見:はい 佐藤:ここからは奥さんの生い立ちについて 千晴:私ですか 佐藤:奥さんは元々の名は 千晴:元の名前は戸崎千晴です。鳥取県出身です。1975年同じ年です。家はサラリーマンで、姉弟は二人です。弟がいます。木造の田舎建ての瓦屋根の漆喰の家でした。町名は無くなってしまったんですけど、ハワイ町って言ってね。漢字で羽が合うって書くんです 佐藤:雨合羽のね・・ 千晴:合羽の逆です 浅見:市役所の方がアロハシャツ着ているもの 佐藤:しゃれてハワイしてるんだ、人口はどのぐらいですか。 千晴:二クラスで小学校が2つで中学校が1つでした。ちっちゃいです 佐藤:大工さんが好きで工作部だったとか 歌を歌っていたとか 千晴:小学校の時には合唱団でした。 佐藤:歌うことが好きなんだ 千晴:そうですね 佐藤:練習きついんじゃない 千晴:きつかったです。中国大会で銀賞とりました。県大会では一番でした。 佐藤:NHKでやってますね 福島県はめちゃ強いんですよ 郡山あたり 高校は日本一みたいで 千晴:NHKのコンクールでました。 浅見:初めて聞いた 千晴;県では一番になりました 地方大会で2番だったので全国大会はいけなかったです。小学生なので混成合唱でした。 佐藤:課題曲と自由曲ありますよね 千晴:はい。祇園祭という課題曲でしたふふふふ 忘れちゃったなー 祇園祭 動画 WEBより 佐藤:校歌 覚えてますかー 千晴:覚えてます 歌えます 高校が一番覚えてなくって、小学校とか幼稚園の方が覚えてます ハワイ幼稚園ですけどね 佐藤:歌すきなんだー 最近はJポップの女性が作った曲を歌うみたいなの去年偶然TVで観たような気がする。当時は固い感じの曲でしたか 千晴:固いかんじの曲でした 中学はテニス部でした 佐藤:小学生の合唱部でも筋トレするんですか 千晴:歌う前にみんなでストレッチみたいなのするんです、それから歌のおけいこ。発声練習もして。夏休みとかなんにも、歌だけで終わるんです。 佐藤:小学生なのにずいぶんハードだね 女の子はファミコンはしなかったんですか 千晴:ファミコンは家にはあったんですけど。私はそんなに興味がなくって、弟はやってましたけど。へたくそだったのもあって。あんまりやらなかったです。 佐藤:合唱は高音部とか低音部ありますけど 千晴:両方やってて局によってアルトに行ったり、ソプラノ行ったり 佐藤:浅見さんは聞いたことあるんですか 浅見:子供を寝かしつけるときに 特に感動した覚えもない 千晴:そうだと思う 佐藤:こんど自作の歌をつくって 建築家はつらいよソング 浅見:はははは こども寝かせ付けるんですか・・ 佐藤:で高校はテニスをして体鍛えちゃったと。 千晴:男女共学だったですけどテニス部はすごい少なくって。私たちの学年で10人いなかったですね。下の学年も似たようなものでしたね。全体で20人ぐらい。団体戦で県大会3位になりました。ガツガツはやってなかった。軟式だと全部ダブルスなんです。 浅見:はははは二人でテニスやたこと無いんです 一度も 佐藤:高校はどうでしたか 千晴:高校は色々やってたんですけど、メインは美術部なんですよ。 佐藤:平面絵画ですか 千晴:なんでもやります 彫刻もつくりますし。面白いと思ったら 美術部も、これも何となくなんですけど。私、冬季国体のシンボルマークをデザインしたことがあります。鳥取でやった大山国体があって。シンボルマークの公募が掛かったので、部費を稼ごうと友達が言って。応募したら私のが採用されたんです。で本格的に美術部に入ったんです 佐藤:なるほど、金額はいくらでしたか 千晴:高校生だったので、私には商品券だったんです。それでも5万円ぐらいはいたいた気がする。商品券なので「君がもらっておきなさい」と言われ 私が全部。何買ったかなー親に預けちゃって、自分で使わなかった 佐藤:大学はどうしたんですか 千晴:京都に来て 佐藤:近いからね 鳥取の人は京都に来るのが多いんですか 千晴:東京へ行くのも関西に行くのも 電車一本なんで 半々です。私は東京へそんなに行こうと思わなかったので京都に来た。京都造形芸術大学の環境デザインっていう建築をやるような。横内敏人先生の研究室でした もともとは建築を学ぼうとは思ってないんですけど、受験の時には美大に入り、それで面白そうだなと思って。入ってみてから、横内先生だったので凄く面白くって。渡辺豊和先生が学部はメインで教えはる感じなんですけど 横内先生もゼミをもってらっしゃって。両方から教わったんです。最終的に卒業制作の時は横内先生にお世話になりました あとは全部、渡辺先生でしたけど。 渡辺先生面白いですよねー。ぜんぜんタイプが違ってて。 佐藤:渡辺先生はアルミの弁当箱に日の丸弁当 だべてたでしょう 浅見:ふふふふ 千晴:そういうタイプですね 佐藤:渡辺先生の家に何度か泊まった、佐藤これから学校へ行くぞと 奥さんが四角いアルミの弁当箱に飯詰めてたのもの 鞄の中は梅干し弁当しか入ってない 寝る前には寝押しでしてたよ 千晴:私も一度おじゃましたんですけど。面白いですよね 佐藤:渡辺豊和先生つながりがここにも!家に行ったって本当ですか 浅見さんより縁があるね。で大学卒業してどうなったんですか 千晴:大学を卒業して地元の公立中学の教員になったんです その6 |
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