金沢  ことば悦覧 2008年春   home 

  林野紀子さん ことば悦覧  2時間23分    

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   その03  30分21秒〜45分32秒  

林野:私の方が出来るかも
佐藤:身の程知らずにも
林野:まさになんです

佐藤:でも、それは良かったんじゃないかな。それで道を踏み外したと
林野:踏み外したんですよ
佐藤:妹様のお陰様で 共にわらう
林野:半分妹のおかげで あとの
佐藤:家庭環境だよね

林野:そうかな〜
佐藤:家庭環境ですよ。だって妹が建築をやっていなかったら、そうは成らないよね
林野:ならなかったですね

佐藤:妹さんのスタディー模型とか、いろいろ見てて。あなたのやっているのは建築じゃないよ
林野:思っちゃったんです
佐藤:そうだよね
林野:ちょうど その時に。何か東大で建築科学士入学って言うのがある
佐藤ふぉーお

林野:誰かが教えてくれて。
佐藤:うん
林野:友達が「受ける」、って言ったんですよ「じゃ、私も受ける」って けらけらわらう林野

佐藤:乗り換えちゃった。なるほど学士入学って言うのは 主に研究者を育てるって言うことですか?
林野:んじゃなくって。どういう制度だか分かんないですけど。東大出た人が
佐藤:学生数が少なくなるから。とにかく、学生も もう一度いれよう〜みたいな わらい
林野:本当にそれは 面接と論文で

佐藤:それは 卒業間際に試験が在った
林野:受けたら、受かっちゃて。「一緒に受ける」って子も「わたしはやっぱりやめた」と言って結局うけなくって。
佐藤:それで建築学科受けちゃって

林野:受かっちゃって。
佐藤:おめでとうございましたようこそ建築の世界へ
林野:それが良かったかどうか微妙です
佐藤:試験官はだれですか

林野:鈴木博之先生です。結局わたしは鈴木先生にいろいろとお世話になり
佐藤:鈴木先生は歴史ですよね
林野:そうです
佐藤:それで学士入学して何年勉強したんですか?、何年居たんですか?東大は。

林野:長〜〜かったんですよ。またそこからが。
佐藤:そこで何を研究したの? 建築の研究は。長かったって。つい最近まで居たって言うこと
林野うん
佐藤:わらい、10年ぐらい。

林野:10年は嘘ですけども
佐藤あれ 阿部さんの処へは 10年前じゃないですか。 僕が接待うけたって言うのは
林野:そうなんです入ってすぐ休学して、阿部さんの所に
佐藤:ああ  そうかそうか
林野:入ってすぐじゃない。間違えちゃった。大学に入って直ぐだ。

佐藤:大学に入って  。東大に入った時と言うこと
林野:違います、阿部さんの所に行ったのは
佐藤:学士入学した時ではなないの?
林野:学士入学して 私は文系だったので 3年掛かったんです。まず建築学科を卒業するまでに

佐藤:ふん 
林野:なにか 大学院に行って、(通し8年生目)大学院1年生に、入って直ぐに阿部さんの所に行ったと
佐藤:そうかそうか、学士入学して3年で卒業して、院に入ると。僕の頭のなかは今、。文学部に入って、2年教養を履修して、あとの2年は写真を研究して。そこで学士入学って言う
林野:そうです。

佐藤:5年目に休んだのね
林野:違います
佐藤
林野:わけわからなくなっているんです

佐藤:わらう
林野:5,6、7年めまでは建築を学んで
佐藤:5,6、7年は学士入学したあとでね、鈴木さんに教わっていた
林野:はい。で建築やるんだったら、大学院に行かなければダメだって言われて。大学院に8年目に入った

佐藤:もう大学8年生だね既にね。普通だったらね
林野:ところが、やっぱりさすがに学生生活が長すぎ  で、自分の中でも「ちょっとどうなの?」って。早く現場に行きたかったの。めちゃくちゃ。

佐藤:それで阿部さんの所に行ったと
林野:入ったんです。
佐藤:それで 俺なんかをチラチラ見ちゃたわけね
林野:そうなんです
佐藤:わかんなかった。ちょうど10年位前え〜 だよね

林野:そんなに前だったかな。もうちょっと近く だったような気がします
佐藤:7,8年。
林野:はい
佐藤:あそ(阿部事務所)の山の所に行った時は、そこで対談とかしたですね。その後直ぐだな

林野:じゃその時かもしれない。
佐藤2000年 あたりかな
林野:そうです
佐藤:その時 阿部さんのところに入って、それでいきなり1年で辞めた

林野:いやいや阿部さんのところには、結局 足かけ3年
佐藤:あ−そんなに居たんですか
林野:はいお世話になりました
佐藤:そうですか、何か設計とか  したんですか?

林野:色々、展覧会も当時 凄い多かったし
佐藤:ああそうか。展覧会の準備もあるしね
林野:あとまあ住宅とか病院とか
佐藤:本も出しているしね
林野:本もあったし。すーんごーい なにか 色んな事をやらしていただいて

佐藤:やること一杯有った
林野:パーティーもあったし 共にけらけらわらう
佐藤:パーティー好きだからねイベントすぐやるからねへー。それで3年間いて、また東大に戻った

林野:残っているから、なんとかじゃーやるか。「やめてもいいかな」と思ったんだけど。うちの父が「せっかくここまで授業料払っただから 」さとうケラケラ大声でわらう。「授業料分 ろ!」って 共にわらう 言われて「そうか」と思って

佐藤:それで博士号とったって 言うこと?
林野修士ですね。なんとかとって。
佐藤:  ついでだからもう。博士号とりましょうよ 

林野:それはなくって。ていうか。私にはそこまで研究する事は出来ないでし、早く現場にまた帰りたかったし。いろいろあった。
佐藤いい〜ね。この構え方が。こんかい初めて だな。こういうゆるい建築家の対面のしかたと言うのは

林野:なにかね、後から思うとちょっとこれは、問題発言なんですけども。鈴木博之先生に「あなたは普通の人と ペースが違うね〜」って言われて。卒業するときに

佐藤:それは違う わいね。おれも話聞いて、違うと思います。それが良いね
林野:いやちょっと 良いのか悪いのか
佐藤:それは良いです  したい方にしていかないと
林野:そうですね

佐藤:それで。  あえ〜ってと  なんで? ここに居るの? わらう
林野:そうですね

佐藤:なんでここに居るの。ここ山梨県じゃないよ
林野:実はここに来たのは。3年前なんです。

佐藤:3年前
林野:その時は。まだ修士、最後の1年は重なってて。こっから通っていたんです。金沢から
佐藤:金沢から院にね。金沢の何か研究していたんですか?
林野:えっとね。まったくそういうわけじゃなくって。もうその時 結婚していて
佐藤:はあ はあ

林野:夫が金沢に勤務していたので。東京の家賃払うのも、何かもったいないし
佐藤:学者じゃないの 旦那さんは何をやっているのですか?建築?
林野:21世紀美術館の学芸員です
佐藤:あ  そうですか。 そうかそうか、学芸員をやっているから ここに居るから  ここから通う。なるほどね

林野:最後の年はそんなに行かなくっても良いし。って感じで。その後どうしようかって。だけどまぁ当然仕事も直ぐには無くって。そのまま今に至っている。ですけども  わらう
佐藤:設計事務所ですよね。建築士はもってないの
林野:そう
佐藤:それなら 誰かとやらなければいけない

林野:でまあ幸いにして、丁度 私の年の友人がそろそろ家を建てる頃なんですよ。同級生が。で最初の仕事はその山梨の高校の同級生がくれて。それはモウ一人の友人と一緒にやっていて。で今は3年目にしてようやく 金沢の仕事をもらえる様になって。そんでこっちの仕事を、ボチボチやっていると言う

佐藤:一級建築士もっている人と 共同して建築を作って行く」と言うかたちに成るわけですね。日本では幸いにして建築士と建築家と言うのは別だから。
林野:え・そ〜 う なの
佐藤ラッキーだね
林野:あまり よくわからないですけども
佐藤:そう思いますよ。建築家と建築士は全然ちがうものであるから。よかったな〜と。初めて、林野さんみたいに幸せな人が居ると 林野くすくすわらう みんなゴジャゴジャニ成って。建築家なのか一級建築士なのか分かんなくなって、わからん発言するひと居るから、困ったもんだな〜と思って聞いたりしてる

林野:でも、わりとこう。流れ着いて金沢 みたいな
佐藤:結婚したときに、当時は金沢に来るって言う予定ではなかっだけど
林野:そうです
佐藤:旦那さんは美術の専門家で博士号なにかもっていらっしゃるでしょ
林野:あの人は博士を中退したはずだ
佐藤:博士課程は入って、なかなか専門的ですよね

林野:まあまあ学歴だけは
佐藤:なかなか 。 研究者の職場と言うのも、なかなか見つからないけど
林野:そうなんですよね
佐藤:美術の事だって、財政難だから。金沢の21世紀美術館はどういうふうに採算をとっているか知らないけども、やっぱり公共の美術館財政難で段々縮小ムードに在るから

林野:そうですね
佐藤:大学で教えたり、美術館で企画をたてたり。キューレターが町に出て色んな事をやらない限り。大変 消え入る時代に成ってって。 思いますけどもね
林野:はい、日本全般で就職もないし

佐藤:そうですね。政治そのものも。官僚になるよりは 社会の投資会社に勤めて、活動した方が良いから。官僚機構は段々弱体するからね。それを支える為には、民間の僕たちが頑張って、よくしなければ。良いんじゃないですかね。

林野:そうですか
佐藤:ね、今までみたいに 国と経済が安定して、文化とか建築なんかもそうだけども。そう言う ものを守ってくれた。制度が作られ維持されていたけども。それはもうグズグスに成って来て。何でもは支えきれない。 自分たちの暮らしの中で建築も文化も 美術の文化だとか、使い方見方って言うのを、自分たちで支え発明しない限りは、底なし沼に落ちたかの様に。無くなって行くか

林野:うん
佐藤:とういう状況、今ぎりぎりの所に来て 移行期であるから
林野:そう言う意味では金沢は何かうまく行っている部分があると思っていて。まず町が小さいんですよね。だから何かやろうと言う時に、二人ぐらい辿ると、自分の求めている専門家に辿り着くんですよ
佐藤:良いね 専門家が居るから
林野:そこがいいんですよ。 共にわらう それで今美術館が開館して3年経つんです。のかなそろそろ。
佐藤:はぁはぁ

林野:
出来た当初は賛否両論あったんですけども。まぁ幸いにして、割と 人が来ていて。人が来ているから成功か?と言われると。素直に「うん」と言えるかどうか分かんないんですけど。とりあえず、まぁ行政的には「成功」って言われてるので、身動きがとりやすいと
佐藤:採算がとれている、採算ベースの乗って、収支が安定してるのね?収入が。
林野:かなり、なにか うん。人が来ている。年間

佐藤:見せ物小屋だからね、それで良いんじゃないですか。エンタテーメントと芸術と言われる 境の論争はあるけども、なかなか難しい問題だけども。まず見せ物小屋だから。人が入らなきゃ〜しょうがね〜って言うところはある
林野:そうなんですよ。で まそれが、住んでいる人達にも割と心理的に「そうか金沢美術館うまくいった」って言う。何か確証を与えていて

佐藤:114億円だったけ。直径の長さと同じ数字だって、俺、説明されたけど 林野おおきくわらう 110何億円
林野:なんか そんな
佐藤:でそれが、よそは大体大赤字なんだろうけども。お金が回収出来て、シビックプライドと言うかね。市民の人達が、この美術館は良いモノだ自分たちの誇りに成って行くと言う
林野:何となくそういう雰囲気は。でそれがまた、今それが波及して行って。なんか金沢って、何かやりたい人が多いんですよ

佐藤:何かやりたい人がいるのね。やりたがり屋さんが一杯居るけど何やったらいいの〜?わかんない わらう 良い町だ ねこりゃ〜
林野:でまぁ
佐藤:お祭り好きと言うか
林野:まさにそうなんです さとうわらう これも。ここにあるCAAKと言うのも、そのやりたがりの一部になっているんです

佐藤:あぁあ
林野:けど〜、まあ 何かやっていると。そういう事やりたいグループの人が一杯来て。なんとなくっと 何か動いている、みたいな感じで
佐藤:なるほど。いいね〜。もしかしたら 林野さんは建築の世界を救うかもしんない

林野:何言ってんですかわらう
佐藤:そう思う。 林野わらう だって、うんと。建築家って言う言葉が社会的に認知されていると僕は思っていないので、やっぱり違う言葉をね、概念を生み出さない限りは、建築は不要 なって思うんですよね。
林野:うん
佐藤:それで こんな事をやっているんですけども。そう言う新しい建築家じゃない、社会活動。なんて言ったらいいのかな。そう言うものを生み出すためには、周縁の人達からしか出てこないので

林野:はあはあ
佐藤:真ん中に居る アンドウサンからは絶対出てこないですよね。周縁に居るが、真ん中に取り囲まれる者は多いけども、取り込まれない者がそう言うものをつくり出す可能性がある。

さっきの写真。写真が持っている本質的なものが段々記録観察することによって、写真の性能と言うか 写真自身の能力って言うのかな。そう言うものが発見され発明されて行くって 言う過程があったわけだから。

まさに林野さんのような状況下に置かれた人達が居ない限りは 建築家はもう一度 再発見されて、新しい建築家に生まれ変わるしか ないだろうと言うのが僕のね。見方ね。だからど真ん中に居る人には 無理だす。 目指す人も。

林野:ふ〜んそうですかね〜
佐藤: その人達は現在にぴったり合っている。玄社会のシステムに合って居るわけだから。次の社会システムに合わない。今 移行期だから、概念が日々 ドンドン移行している過程だから。その方々は固まってしもて、天然記念者のように 共にわらう なって しまうしな〜ない って


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