金沢 ことば悦覧 2008年春 home 林野紀子さん ことば悦覧 2時間23分 その01 その02 その03 その04 その05 その06 その07 その08 その02 15分05秒〜 30分21秒 林野:でも先生の数は限られているから、なかなか自分のやりたい 事をやっている先生が居ないと指導受けるのも難しくって。 そういうい意味では。 佐藤:それで何処をやったのですか 林野:あんまり、大きい声で言いたくないんです 共にけらけらわらう 佐藤:小さい声で言ってください 共にわらっている 林野:なにか写真の事をやったんですよ。 佐藤:そんなら、だいぶん ハジッコも はじっこじゃないですか。 林野:「林野さんは大学院は行かないから、何やってもいいよ」みたいな わらう 佐藤:あぁそ。写真に色々ありますよね。一番日本での写真は 鹿児島県の人だったかですよね。 林野:日本人ではなくって。写真って言う 何か技術が出来た、本当の最初の 佐藤:フランスあたりかな? 林野:フランスの、その頃の事をやったんですけど、まあまあ 佐藤:凄いね、写真に行ったら 映画に行かなきゃ〜〜 いけなく成っちゃうね 林野:そう、そうなんですよ さとうけらけらわらう す〜ごい大変で。とにかく文献があんまりないし。あの〜 私も色々知ってる先輩とか色々聞いて歩いたんですけども。まあ一寸大変 でした。 佐藤:写真の分野もすごいひろいからね。ジャーナリズム写真と言うのもあるし、単に肖像写真もあるしね。リアリズム写真もあるし 林野:でもまあ、当時では、ようやく伊藤俊治さんとか、飯沢耕太郎さんとか。写真の分野を世に知らしめた、走りの頃で。脚光を浴び始めた頃ではあったんです。 佐藤:写真が好きだって、このカメラマンが 大好きだとはではなかった? 林野:あ あ〜あ。いや、結構。どんなのでも見るのも楽しくって。好きって言えばそうですね。 佐藤:このカメラマンはいけるとか。女性カメラマンあまり出ていですよね、沢田知子だっけ。シンディーシャマンとかは。 林野:ああ丁度、シンディーシャマンとかが売れはじめた頃 佐藤:ころね。 林野:あの当時はシンディーシャーマンとか、ダインアーバスとか結構 すきでした 佐藤:セルフポートレートの草分け 林野:ポートレートは凄く好きだな〜と思いました 佐藤:なるほど。しかもまた 底へ偶然、写真なんか研究しちゃって〜 わらい 林野:そんな研究ってほどの大した事ではなく。 佐藤:建築に世界にまだこないね 林野:そうなんですよ。 佐藤:どうなって建築に来るかわけわかんなな〜判らない。まだ、そこで写真勉強して。2年間 写真の研究をやったんですか 林野:卒論書いたの最後の年なんで、本当に本腰入れてやったのは1年ちょっとぐらいなんですけど。で〜 佐藤:テーマは何だったんですか?卒論のテーマは 林野:はい 複製技術が出来た時の 絵画と写真の違い みたいな事。やつぱりその今までは、模写って言うのが絵画の中でも割と重要な意味を持ってた。 佐藤:凄い面白い研究じゃないですか。これが建築にも凄く役に立ったじゃないですか? 林野:どうだろう。いや、写真が出来ら、その必要なくなっちいますよね。記録としての絵画。と言う 佐藤:記録と言うのは、でも、人間が記録する、記憶するって言うのと、カメラが化学反応で写し取るって言うのは、全然違うじゃないですか? 佐藤:そうなんです。で最初おもしろいな〜と思ったのは。最初にカメラの技術が出来た時に。今みたいにリアリティーを追求するような写真とか報道写真とか。報道写真はあったんですけども。そういうのよりもむしろ、絵画的な写真って言うのが凄い流行って。 あのワザトこうスタジオの中にセット作って 佐藤:今も居るよね。中国の若い人が 絵巻物 王様宮廷生活をそのまま現在人が並んで 林野:ああああ。はい。まさに絵画も。例えば何かビクトリアンチックな 佐藤:みんな洋服着て 林野:そうなんです 佐藤:昔の絵に合わせ みんなでゴスプレするみたいな、コウスチューム 林野:凄いんですよもう 佐藤けらけらわらう 佐藤:写真としての使いかたが まだ解ってない時代の写真なんだね。 林野:まさに。でビクトリアリアリズムとか言って 佐藤わらい 絵のような写真を撮る、って言うのがあって。 佐藤:今だと逆になっているけどね。 林野:最初けっこう面白いな〜と思って 佐藤:おもしろいよね〜ったら。だって 写真そのものが持っている潜在的な能力ってのは、みんなまだ理解できてないから。 林野:そうなんです、そうなんです 佐藤:やっぱり、既存の似たも の 絵 にすり寄って。まだ写真の完璧な能力が発揮できてない時期があって 林野:やっぱり似たものだと思っていたみたいで。絵と写真が。絵からスライドしていくみたなんですけども。でもだんだんそうじゃない使い方 佐藤:でも新しいものが出来る、出て来る時ってそうだよね、キット。同じような物なんだけ どこいつの凄い底力をさ〜 シラン 林野:うん 佐藤:当初は解らないんだよね。だんだに使い込んで内の 林野:そうなんですよね 佐藤:言葉と一緒やね 林野:うんそうそう 佐藤:そうかそうか 林野:だからずれていく感じが 佐藤:面白いよね〜 写真と言うものの本質が段々顕わになって来る過程を研究したと 林野:具体的に取り上げたのは アジェって言う写真家が居て。アジェは 佐藤:おれわかんないな 林野:アジェは、自分では写真家と思っていなくって、下絵描きだって言うんで。つまりその。誰か画家が絵を描くときの下絵。 佐藤:のためにね。 林野:下絵のために一杯写真を撮る 佐藤:(モデルが)じーっとしてるのが大変だから、一パイ写真撮って 林野:そうなんです。だけど、むしろそういうのって 佐藤:記録写真に成っているじゃないですかね 林野:そうなんです。そこから始まって段々 町の風景とか。なんかこう、なんでもない人の何か 佐藤:観察する方にシフトして行くわけですね 林野:そうなんです。それが凄い面白かった 佐藤:何か浮世離れした天国みたいなものを書くと言うのがあるけれども だんだにその、観察するっていうか、現実にドンドン移行していく。その人そのものだろうね。 林野:そうなんです、。でもアジェ自身が 何処まで気づいていたか、どうか分かんないですよ。 佐藤:なるほどね。 林野:そのアジェの撮り貯めた写真が再発見されたのがアメリカなんですよ。 あぁ 佐藤:誰か来た 林野:どうぞどうぞ 佐藤:今インタビュー中です。どうぞどうぞ 林野:あの。うちの若い者です 佐藤:家の若い者どうぞ。今喋っているけどね 。まあどうぞ どうぞ。 ガラガラと障子を開ける音 佐藤:はじめまして 林野:紹介します。野田君 佐藤:じゃー名刺 名刺 はじめまして 林野:建築家の 佐藤:さとうです 一ノ瀬:はじめまして 佐藤:今 林野さんのインタビューしてんですよ。よかったらどうぞ。よかったら聞いていてください。 一ノ瀬わらう 林野:二人とも建築家の卵 佐藤:卵ってどういう意味?どういうこと 林野:卵、けんちくかの たまご 一ノ瀬:よろしくお願いします。一ノ瀬ともうします 佐藤:建築家の 事務所とか何かはじめて居るとかわけじゃないの。いちのせあやさん。あぁ学生。 一ノ瀬:はい今博士課程に居ます 佐藤:どにも居るんですか? 一ノ瀬: 筑波大の研究室です 佐藤:なんで 金沢に 筑波とここ違うでしょう 林野:話せば長いだよね 佐藤:じゃーついでにインタビュー夜さしてもらいます 一ノ瀬:はい 会場笑い 佐藤:色んな人にインタビューして歩いているんです 一ノ瀬:そうなんですか 佐藤:正確には何番目かな〜14番目ぐらいです、15、16現る 会場わらい 一ノ瀬:すごいですね〜 佐藤:一人ずつでも2人まとめてでも、やりますから。なにか名刺あったら 野田:かなり ぺらぺらな物ですけども 佐藤:同じじゃない。人と場所を研究してる ってことですか 野田・一ノ瀬:そうです 佐藤:じんばけん 一ノ瀬:マンバケンです 佐藤:これマンて読むの。ああ万馬券を当てようと 文字 当ててるわけね。凄い面白いけどダジャレの 会場爆笑 じゃあとで聞かせてください。 佐藤:それでその話戻しますね 林野:わらう 佐藤:写真研究 林野:まだそこですね 佐藤:おれ知ってるかもしんね〜な 林野:たぶん御覧になれば直ぐ判ると思います 佐藤:それで写真史そのもの、体現している様なその人アジェを研究して。まだ建築へは。それで卒業したんですか? 林野:はい。それでま〜平行して「将来どうすっかな〜」そろそろ就職しようかな 佐藤:卒業したんでしょう。一応 林野:そうです。しました。ただその頃って。私73年生まれなんですけども。超氷河期だったんです、就職が。 佐藤:なんねんですか、98年ぐらい 林野:ほとんど覚えてないです けらけらわらう 佐藤:銀行が潰れたあたりですね 林野:そうです 佐藤:自殺が一杯、山一証券がつぶれ 林野:山一証券潰れた 佐藤:97、8ね頃です 林野:本当に一番、人が多いのに就職が無い 佐藤:自殺者が3万人を突破して、一日100人ぐらい自殺。で今でも相変わらず止まらないと言う。そう言う時代が始まった時だ 林野:だったんですよ。 佐藤:ようするにロストゼネレーションと言われている世代ですね 林野:そうです 佐藤:行き場が無くなっちゃった 林野:無くなったんですよ さとうけらけらわらう ただ自分の中にも 佐藤:喋っている 写真撮ってくれないですか 林野わらう 一ノ瀬:いいです、はい 佐藤:わるいけどね 一ノ瀬:はいはい 佐藤:立っている者は親でも使ってしまう。はいどうぞ。どうぞ。いつも写真撮る人いなくって、困っているんで 林野:乗り切れない 思いみたいなものが在って。 佐藤:じゃん じゃん こっちのほう あらも あっチンほうからも。時々撮ってください 林野:なんていうのかな〜 。それでとにかくこう。脅されるんですね。就職は厳しい 佐藤:先生?、家族? 林野:先生は放置。放任 佐藤:家族ですか 林野:あれは何なんだろう。友達にもいたし〜 佐藤:ああそうか就職して、何か生きて行くのが。人間のごく一般的な在り方だなと 林野:だれか そう言うわけじゃないだけど。多分じぶんの中にそうだった。脅迫観念が在ったでね、そういう。 佐藤:まあ、お父さんサラリーマンだしね。 林野:どうしよう。みたいな。 佐藤:プー太郎じゃないし。、ふうてんとらさん じゃないしね。 林野:そうなんです 佐藤:やっぱりどっか勤めないと。人生成り立たないんじゃないかと 林野:東京は家賃も高いし。どうしよ〜みたいな、凄い思いつつ。かと言ってなんだろう。 なんかあんまり器用に 色んな所に声を掛ける事も出来なくって 。結構 困っていた。その一方で まだ半分呑気に旅行なんかもしていて。 またその〜 佐藤:エジプトへ出て行く 林野おおわらい 林野:エジプトじゃないです 何度もその ヨーロッパとか。色んな所に 佐藤:それは写真ですか?目的は。写真研究じゃなくって。 林野:それは美術館を観に行った。 佐藤:あぁ美術館を 林野:写真やっているからとは言え。「いろんなものを観ないとだめだ」と言われて。とにかく何かについてレポート書くと「きみ〜 これは観たのかね〜」と言われる 佐藤:それは言われるよね 林野:でもルーブルに在る、なたらの絵なんか 佐藤おおわらい そんな観たことないじゃないですか。そうすると 凄い真面目に 佐藤:図録かなにか見て,観た気分になっていた。 林野:図録じゃだめなんだ〜と思って 佐藤:本物みなきゃ〜ね。だめだと 林野:でも旅行も楽しかったから、せっせとそれを口実に行ったりして 佐藤:ふん〜、そうか 林野:そうすると、でもなにか こ〜。建築ブームでもあったんです。美術館建築ブーム。当時って。 佐藤:はぁあは。ブームって 作る ブームも? 林野:終わっていたけども、何か色んな処で美術館は面白いんだみたいな感じに成って。自分もこう歩いていると。作品そのものよりも美術館の建物の方が面白く。 佐藤:中身よりも入れ物の方に 林野:そうなんですよ。ちょっとずっそこら辺で、やや建築に意識が 佐藤:ちょうど10年位まえだよね 林野:そうですね。そうです 佐藤:へ〜え 林野:それともう一つは。当時三つ下の妹が居るんですけども。 佐藤:姉妹はふたり。 林野:ふたりです 佐藤:おんな姉妹、いいね 林野わらう お父さん幸せだね 林野:どうかな〜 佐藤:女性に囲まれて わらう 共にわらう 林野:その妹が建築学科だったんですよ 佐藤:今でも建築やっていらっしゃる 林野:彼女は今インテリアをやっている 佐藤:はあはあはあ 建築を東大ですか 林野:横国の 佐藤:一番最初のインタビューが 横国人だった。伊藤さんと言う人に会って、サトル君。知っているの? 林野:金沢にも来ています 佐藤:それで何か、石川さん 元氣つばささん と言う方を紹介されて。横国の雰囲気を。 いうのをちょい 判ったけどね 林野:なにか独特ですよね 佐藤:横国離れをしたいと思って 林野わらい だんだん ここへ来たわけです 林野:そうすか、でもまだちょっと横国の気が残っています ケラケラわらう 佐藤:そうですね、でもまぁ。だいぶ離れました。 今度は大阪にも行きますから、そうとう離れちゃいます 林野:で妹が、建築学科なので 家で模型作ってたりしているんですよ。 佐藤:ああああ、 林野:手伝わされるんですよ。「おねちゃんやって〜」 佐藤:一人で作るの大変だからな マンパワーいるからね わらう 林野:うちの妹はすごい模型 下手なんですよ。模型を作るのは上手なんだけども。解ってない!!建築を 佐藤:建築を解ってないわけね 林野:思っちゃったんですよ私。 素人ながら 佐藤:すばらしい 林野:なにか 下手な人のやっているのを見ると「自分も出来る」勘違いしちゃう事ってあるじゃないですか 佐藤:それはだって。社会出ている人でも 建築へたっくそなのに、建築出来ると思っている人一杯いるもん。名前は言えないけど。そんなこと言えないじゃないですか 林野:最初の勘違いを 凄い低いレベルでしちゃたんですよ私 30分21秒 次の頁へ |