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          2003年12月28日  建築あそび記録 
          菅野裕子 さんによる  建築と音楽
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●スライド
じゃーCD次お願いします
・・曲がなり出す。
すみませんさっきの曲でしたね・・。いまのやつも最初は休符から始まっていたフレスコバルディーの曲で・・じゃCDお願いしますスライドはこのままキープで

s CD一杯持ってきてるの・・

そうなんです。・・CD曲を選択するキー音
s次から次とCDかけ替えるし・・会場微笑む・・
あれこれじゃないじゃない・・

あれ・・コレじゃないんんじゃない・・その前のCDがあったとおもうんだけど・・

i あ分かった違うやつだ・・CD入れ替える五十嵐

・・曲がなり出す

それはなんですか・・

i こえじゃないの

その前のCDじゃないのかなー・・じゃいいです・・この曲出てこないから、これも最初の所に休符が書いてあって、

i・・前のってさっきかけたやつじゃないの

イイです別に。この曲ちょって出てこないから、最初にの所に休符が最初に書いていって、空白から 

・・曲が鳴り出す・・

そうだね・・あれ・CD忘れたのかも・・まいいやー

という風になっていて。そのつぎ全部が空白から始まる曲ができます

●スライド
また間違えるかもしれない・・どうですか正しいですか

正しいです

s お〜素晴らしい・・・会場わらい

これは伴奏がここになるんですけども、旋律の方は空白から始まっている、モンテヴェルディの曲です。次お願いします・・スライド

●スライド
s 最後ですよ

ハイ最後です。これ逆さだ

s 裏表は
あ裏です

s これがやっと正しい

これもモンテヴェルテイの曲なんですが、全部のところが空白でそこから始まっています。それで・・以上なんですが。ルネッサンスとバロックの話は。

      ・・・・まとめ・・・  

まとめると建築は15世紀には曲面が外壁に有ったとしてもそれは外側に出っ張ったっ張った曲面がほとんどだった・・・また 、宗教音楽も小節の途中から始まるというものがなくて、小節がそもそも無いので、最初の音が鳴ったところが曲の始まりでした。

これはどういうことかというと建築も音楽も自己完結した形を持っていて、それ以外のところ外部との関係性が薄かったと言えます。それが16世紀17世紀になると建築では凹んだ曲面の外壁が増えていて、音楽では小節の冒頭の一拍めのから始まらなくて、休符がまずあってその後から音がなり始めるという曲が登場します。

、このように両方とも建築と音楽もその実体の見えるものだとか聞こえるものだと、何かが欠如してるような印象が与えられるんですが、それはどういうことかと言うと、

建築でいうと見えない外部というような空間が意識されていて、音楽もその聞こえない、曲が始まる前から刻まれている時間のリズムというものがある。

それが今の楽譜でいうと 小節だとか拍になるんですが、そういうものが意識されていて、その曲の始まる前の外部にある空白の拍子、聞こえない時間というのがあり、それらが実際の曲や建築を補完して、それによって完結した存在となるような作曲方法だったり設計方法が出来るようになったと考えられます。

ここまでが ルネッサンスと建築の・・建築と音楽の比較研究です。
一回休憩とスライド入れ替えていいですか

s  休憩です

・・手伝いましょうか・ビデオ入っている

   休憩・・ 後20分・・
my長女 入っている

 20分で終わるかナー・・急いで話したほうが・・

終わんなかったらいいです。入れ替えますから

my長女今入れ替えたほうがいいかなー

s 今入れ替えよう、新しいのといれかいちゃいましょう・・。

   テープ入れ替えをスル・・がさごそガサゴソ・・
初めていいんですよね

s 電気消して・・
●すらいど

ここまでの・・・、さつきのルネサンスとバロックは修士論文の中の一部で、その他にもいろいろ印象を比較したりとか考えたのですが・・これから先にどういうふうに研究をすすめて行くかと考えるにあたって、

まず最初からあったように建築を音楽と一つの芸術として、対等に比較したというこというふうに考えていました。

それで対等に比較すると言っても、建築と絵画とか、音楽と詩というのはやったことないからどうなるか分からないんですが、もしそういう比較研究をするとしたら、もしかしたら社会背景を比較するということも可能かもしれません。

あるいは建築と彫刻だったら、ルネサンス時代なら建築家兼彫刻家というのがいたから、デザイン的な共通点があるので、そういうふうに比較するのも可能だと思ったのですが、建築家兼音楽家というのはあまりいないので、建築と音楽を比較するにはやはり、社会背景だとかデザインの動きとかそういう事ではなくて、空間と時間を対応させるということを考えたいと思いました。

それで空間と時間を対応させるということは、すなわち 建築と音楽を抽象化したときにどういうものが有るかといふうなことを考えたいと・・その時おもったことなんですが

つまり抽象的な空間概念というのが建築の中に出ていて、抽象的な時間概念が音楽にあって、それをなんとかして取り出して比較したいと考えました

始めに考えたのは日常の空間とか時間と・・あるいは都市の空間とか時間とか、抽象的な空間時間が何かあると仮定したら、それとそれと建築と音楽がどういうふうに関係が有るのかとか、それぞれの時代の人達がどういうふうに考えていたのかということに興味を持ちました。

まず絶対的な時間の長さと音楽がどういう関係があったのかを調べてみたんですが、音楽には日常的な時間とは切り離された時間があって、それと絶対的な時間とはどのような関係を持つのかということについて、どのような記述があるのかというと。

グレゴリオ聖歌の時代には演奏速度について「たいして正確には計られていないという記録がヨハンネス・デ・グロケオによって書かれています。

13世紀後半のケルンのフランコという音楽家は単線律聖歌には計量、時間の速度を測る計量がみいだされないと書いています

16世紀になると、ハンス・ゲルレという人が速度に関して「ゆったり落ち着いて、一二三四と数えるように」と記していました。

このように近代的に計測された時間がないと、音楽の時間というものが感覚的なものに頼らざるを得ない、という状態だと考えられます。

同じく1530年代ですけれど、ルイ・ミランという人の曲に「早く」とか「ゆっくり」の指示があったり、17世紀になると イタリアのバンキエーリという作曲家の作品に、「アダージョ」とか「アレグロ」。これはイタリア語でゆっくりとか快活なという意味なんですが、そういう表示が登場しました。

しかしこれも、その時には主観的なものであって客観的なものではないです。正確な時間の探求というのはメトロノームの制作となって現れるんですが、もともと、16世紀の終わりにガリレオがピサの大聖堂で振り子の等時性を発見していました。

、最初はもちろん音楽のためではなかったんですが、その約50年後に・・メルセンヌという人がテンポを計るための振り子を考え、これは余り実用的ではかったんですが、1676年に頃にはメイスという人がリュート奏者が拍子を外さないために天井から振り子を吊したという記録が残っていたり・・後19世紀になるとメルツェル現在のメトロノームの原型をつくりました。

その他に時間について楽譜に表示しようとしていたかというと、1700年頃には拍子記号の上に 三桁の数字が記されていて、その一拍の長さを記述していました。一拍の長さはどういう単位かというと、ティエルスという単位でそれは60分の1秒が一単位というものでしたが、その単位によって一拍がどれぐらいの長さということが書かれたりとか・・・。

1746年頃には
4分音符が一秒というふうに、その頃の音楽理論書には書かれていたりしました。その他にも19世紀になると4分音符の早さが何秒とかいうことを書く人がいたり、20世紀になるとマーラーが交響曲で第一楽章が22分、第二楽章が14分というふうに何分で演奏するように指示して、バルトークという人は何分何秒まで指示した曲を作ったりしています。


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