佐藤敏宏が作成しました 201306 |
2013年6月29日 DANNWASITU 50回開催に対して心より 敬意を表します 8ヶ月ぶりの再会ですが記念の会にお招きいただき 御礼を申し上げます 私的議論の場=建築あそび」の多様な展開の一つDANNWASITUに誇りと光栄を感じます 建築スフィア−をそれぞれの活動を通して充実させていただくようお願い申し上げます |
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滋賀県立大学 DANNWASITU 俺クチャー資料 元・エア建築家佐藤敏宏 セシウム都市福島市内で アクチャルな俺(生物)で生きるって何? その01渡り職人=建築スフィアに生きる 02アクチャルな俺とは 03過去の歴史地震や予想される地震 04システムとしての問題 05原子力発電所の歴史 06仙台藩の災害と藩主・ まとめ ) |
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放射能と健康問題
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福島から離れて暮らす私にとって、日頃の生活の中で原発事故の実感はほとんど無く、新聞やテレビ等のメディアを通してただ、ぼんやりと恐怖心を持ち、そして、できるだけ事実を知りたいと関心を抱いています。 井上悠紀さん発 5っのリクエスト ■1食べ物への影響 (わたしは、滋賀より東で生まれた野菜を買うのに不安を感じるのですが、何処まで影響あるのでしょうか。) ■2 住民・除染作業員含め放射能被曝の実態 (2万人の除染作業員が線量基準に達している等恐ろしいニュースを目にします。無関心な人間が一番いけないと感じます。) ■3 住む場所への影響 (30年間 住めない町は30年経ったら住めるのでしょうか?そこには、誰が、どのようにしてで住むのでしょうか。 未来はあるのでしょうか、ないのでしょうか) ■4 建築・都市の一部としての原子力発電所 (他のどの建築にも無い、モノの影響力のすざまじさを感じ、恐ろしく思います。) ■5 政治とのしがらみ (今日の国会答弁で、安部政権「原発に絶対安全は無い、絶対に事故があってはいけない、 安全を確認出来次第、原発を再稼働する」と矛盾に満ちた方針はいったいなぜ、どうして。。) |
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セシウム敏ちゃんの基本的立位置 渡り職人=建築スフィアに生きる 渡り職人の末裔である ・実家の茅葺き職人と接したり ・中2で体験した寺普請の人足 ・中3〜高3で事務所ビルの建築現場の土方バイトの中での職人との付き合いを通じ渡り歩く人を知る ・定住する場合は職業を渡り歩き ・専業の場合いは地域を渡り歩き ・両方の場合いもあり それら自在に渡り歩く人間である ・「渡り歩く人間として生きる」ことを薦めている 宿命である ・1980年代末に 渡辺豊和著 『芸能としての建築』に出会い 交流をし現在に至る ・建築家を著した本に出会う 「渡り職人考」を読んで、PRで埋め尽くされた建築の雑誌を見ると吐き気をもよおすので購読を止めていたが「日本の建築家ってそんなもにゃない」と書いてあったように感じ 我が意を得たりと思った 私はここ3年(1971〜4年)ばかり・・・・市街地地域開発計画のフィジカルプランナーの仕事で転々と渡り歩き続けて来た・・・・ひとつの町に腰を落ち着け、そこの人びととの肌の触れ合いによって計画すべきであるといった住民主体論とでも呼び得るような民主主義思想に裏打ちされた常識論が横行する中で、私や私の仲間たちは非難され攻撃されながら、次の所へとまた旅立ってゆくのであるが、私はこの浮遊にもにた旅の経験の中で、従来先達達によって考えられてきた西洋建築家の職能意識が如何に根拠を持たないものであるか身しみて感じ始めていた |
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セシウム都市 福島市の実情 | |||||
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放射線量 1msv/年以下放置 1〜20以下(避難指示解除準備区域) 20〜50(居住制限地域) 50以上(帰還困難地域) 外部被曝量が1年間当たり1〜20mSVの地域の例 2011年9月頃より 実家周辺地区の実験的除線の準備やその実施が始まる 9月28日 10月14日 10月18日野田総理大波視察 大波地区除線開始 11月 1日市発表 低減率2割 庭の除線ででる汚染土壌は予想より多い |
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2012年1月1日 放射性物資汚染 対処特措法 施行 2013年6月22日 セシウム都市福島市の実情 平成25年3月1日〜15日測定図 実家 1.25〜1.5μSV 我が屋0.23〜0.75 my次男実測1.0ぐらい その02へ |
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