山極寿一 聞き起こし 2019年3月15日 作成 佐藤敏宏
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人の普遍的な社会性 互酬性 向社会性 帰属意識 

 今、猿の目が並んでいます。一番下に人間の目がある、こっちは人間の目が一番上にあって、次に類人猿の目、人間に近い類人猿の目が並んでいます。ゴリラ、オランウータン、チンパンジー。手長猿です。人間の目だけなぜか違うんですね。白目がある。横長だ。これは地上生活をしているから横長で、要するに視野が広いということを表してるんですが、なぜ白目が必要なのか、これはよくわかりません。
 しかし幸島司朗さんたちが言っているのは白目というのは、内面の心の動きを表している、あるいは視線の方向を表している、だから、向かい合って言葉を交わすだけじゃなくって、相手の目を見ることによって、相手が自分に対して下している評価や、相手の気持ちの動きというのをモニターできる。それが実は人間関係にとって重要なんだ。人間関係の調節に重要なんだということを言ってる、表しているんじゃないかというわけです。


 人間のもつ普遍的な社会性というのは三つだと思います。互酬性と 向社会性帰属意識。向社会性 プロソーシャルというのは相手の身になって何かしたいという気持ちですよね。

 互酬性というのは相手と対等でありたいという事、相手が何かをしてくれたら、何かをお返しをする。そして、帰属意識というのはある集団に所属しているという、その事に対する喜びです。これは食物だけではできなかったからだと思いますね。

人間の目は白目あり横長の目。白目は内面の動きを表す視線の方向をしめす

人間関係の調節に重要は相手の気持ちの動きを知る

人間の社会性 互酬性・向社会性・帰属意識

互酬性:人類学においては、義務としての贈与関係や相互扶助関係を意味する

向社会性:相手の気持ちを理解、共有し (共感)、自分よりも相手を鐙先させようとする 心情や行動である

帰属意識
人間の性  持続的な選択と関係が要る

 もう一つ重要な問題、それは性です。つまり動く性。しかも同性同士の競合関係だけでは解決が着かない。相手にも選ばれなくってはならないという異性の問題。これをどうやってルール化したのかということなんですね

 霊長類の性の特徴というのは実は人間とだいぶ違います。発情というのが有るんですよ。人間といは発情、これは二つ言い方がありますがね。ずーっと発情しているという言い方もあるし、ずっと発情してなくって、自由にその時を決められるという話もあります。私は後者だと思っているんですが、ただし霊長類は必ず発情する期間が決まっています。これは排卵に関係があるんですけどね。

 そして食物と違ってこれは消費財じゃないんですよ。相手は無くなりません。だから、相手の気持ちを自分に向けさせなくちゃいけない訳です。そのために食物は相手が動きませんから、しかも相手は自分も選びませんから。食べちゃえば無くなりますから。競合の源は食っちゃえば無くなるわけですよ。ところが性は食べるわけにはいきませんからね。これはずーっと残っているわけです。持続的な選択と持続的な関係というのはここには絶対に必要になるということですね。

 これは分割も分配もできません。手足を引きちぎってじゃーこれは貴方のもの、これは私のもの。出来ませんから、性は非常に複雑なんです。しかも交換もできません。交換できるという人もいるかも知れませんが。なかなかこれは交換できないんです。そして、同性同士の二人の間では解決できないですね。いや男同士が、オス同士が俺の方がお前より強いんだからよこせよと言ったって、雌が「私嫌よ」と言っちゃえばセックスは出来ないんですよ。

 それは人間の世界以上に猿の世界は、メスが嫌だと言えば出来ないです。強姦はありませんから。だから二者間では解決できないです。そして、選ぶ雌、選ばれるオスという基準はだいたい決まっています。だいたいオスの方が派手ですから。それをメスが選ぶという形にだいたいはなります。

人間の性 動く性は同性同士の競合では解決が着かない

消費財ではない
交換できない

サルの世界に強姦はない

 そして、先ほどの言いましたように、社会が二つに収斂しているわけです。オスが集団間を渡り歩いていく社会と、メスが集団間を渡り歩いていく社会がある。両方これは違うんですね。ただし、選ぶ雌、選ばれる雄というのはだいたい基本的に決まっている。そうすると非常に面白いんですけれど、尾長猿という猿と呼ばれている、マガクとかね、ヒヒとか、こういう連中は、だいたい複数の雄か単数の雄、そして、複数のメスが共存して社会を作る。GかGMなんですね。GかMなんです。

 ところが人科の類人猿というのは、それだけじゃなくって、ソリタリーのオランウータンもあれば、ペアで作る手長猿もいる。そして、母系ではなくって、尾長猿の社会っていうのは、ほとんど母系なんですね。オスだけが集団間を渡り歩く。母系じゃなくって父系なんですね。メスが渡り歩くっていう社会を作っている。これが実は非常に、不思議なんですねー。これ類人猿の社会なんですね。三角が雄で丸が雌です。雌だけが集団間を渡り歩く。ゴリラチンパンジーボノボみなそうです。


 絵:『オトコの進化論』p159より

 オランウータンも、集団を作りませんから、雌が渡り歩くと言ったって、雌は縄張りをつくるわけですけれど、でも雌が動くですね。手長猿はオスもメスも動きますが、メスも動くんです。これはメスが動くっていう事で共通した、類人猿の社会構造と言ってもいいと思います。そうすると非常にメスの動きが重要なんですね。

 で、もう一つ考えてみると、ここにですね、手長猿という、ペアが縄張りをつくって、他のペアに干渉しない。究極の配偶関係というのがあります。

 もう一つはボノボの社会というのは、全くそういったペアを作らずに、オスもメスを独占せずに、メスもオスを独占せずに、完全な乱交をします。

 だから、この二つの社会というのは実は類人猿の社会の中では両局だと思います。完全な乱交か、完全は配偶関係か

 で、非常に興味深い事にその、両方の局の中間にいるようなチンパンジー、チンパンジーは強い雄がある時期メスを独占して交尾するような事があります。ゴリラは単雄、オスが一頭でメスが集団を作ることが普通だから。オスがメスを独占していると言っていいと思います。こういう社会では、子殺しが起るんですね。子殺しというのは雄が乳飲み子を殺して、その母親を発情させて、自分の子供を残そうとする、行動だと解釈をされています。そういう行動が起る。

 つまり乱交だったら子殺しをする効果が無い。しかも配偶関係が確立されていたら、子殺しをする必要がない。ここは子殺しをすることによってある程度オスにメリットが生じる、そういう社会なですね。これは人間社会を考えるうえで非常に重要は問題だと思います。所有という問題なんですね。性の所有という問題なんです。
完全な乱交か配偶関係か

乱交だったら子殺しをする効果がない

 で、非母系的な類人猿の社会構造というのは、今言ったように手長猿のような配偶関係が確立された社会と、完全な乱交のボノボの社会を両極として種間で変異がある。

 そしてメスの発情と移動というのが、オスの群がり方に大きな影響を与えます。そして、先ほどビデオで紹介したようにメスがオス間の争いを調停します。チンパンジーもそうなんですね。メスが屈強なオス同士が勢力争いをしている時に、間に入って、そのオスの喧嘩を止めるということをするわけです。

 つまりそこは何を意味しているかというと、オス同士が喧嘩をしてくれると、困るからです。群れの秩序が乱れてしまう。だから、そこにコミュニティー、集団の秩序の安定性というものが、メスの関心事として、入って来る。これは凄く重要なんですね。
 なぜならば、メスは自分を無条件で保護してくれる血縁者が要ないわけです。 コミュニティーの中で自分の血縁というのは居ない。だから自分が頼りになる相手、仲間という者を移ってから作り上げなきゃいけない。

 そうなると、コミュニティー全体に目を光らせて、自分の立場だけではなくって、コミュニティー全体の安定性というものに配慮をする必要が生じてくる
。これが類人猿の社会だと思うんです。これは人間に繋がるところがあるんだろうと思います。
集団の秩序の安定のためにはメスは自分を無条件で保護してくれる血縁者が要る

コミュニティー全体の安定性を配慮する必要が生じてくる

で、その一つの武器というのが、この性皮の主張なんですね。性皮の主張といのはメスが発情すると、つまり排卵の前、発情すると、性皮の部分が ぼわーっと腫れるんですね。ピンク色に腫れる、非常に目立ちます。それが種によって違う。チンパンジーはこれですね。で類人猿の中ではこういう発情すると大きくお尻を腫らせる特徴を持つのはチンパンジーだけなんですね。ここが非常に重要なところです。


 絵:『サル化する人間社会』p17より

 実はこれも系統樹で、社会構造と、一番左側のコラムがメスがお尻を腫らすかどうかということを示したもの。真ん中が一頭の雄が複数の雌と集団を作るのか、複数の雄が複数の雌と集団を作るか、という集団構造を表したものです。こちら側が発情に季節性があるかどうか、っていうのを示したは図なんですが。このスリリングという、つまり雌がお尻を腫らすという特徴が何に見合っているのかというと、社会行動の合致しているということを示している訳ですね。

 つまり、こういう事なんですね。社会構造というのはこの発情兆候、メスがお尻を腫らすというのがプラスです、これがちょっとしか腫れない。ちょっとだけでも腫れます。で集団行動、これはまったく腫れない単婚、オスとメスが一頭ずつで、ペアを組んで、その相手としか交尾をしないという種類の社会を作るのは、基本的にメスがお尻を腫らしてしまったら、出来ないんです。できないです。
 で、他の単有ふくしという大きなグループは、一応色々あります。重要なのはここなんですね。で、それを系統樹分析した人がいます。

 単婚型というのは発情のサインの無い種からしか生じないということです。つまり発情サインが無くなってからしか、単婚姻型は出来ない。単婚姻型が出来たから発情サインが無くなるわけはない、いうことなんですね。だから単有福祉型の発情サインがなく、進化したというのが人類の進化なんんじゃないかというふうに言ったわけです。

 それを図にしてみると、これ系統樹でオラウータン、ゴリラ、ホモ、つまり人間ですね。そしてチンパンジーとありますが、チンパンジーだけが、お尻を腫らす特徴を持っている。これは派生型特徴と言って、ここの系統だけにあらわれている。祖先は元々ちょっとだけお尻が腫れるような性質を持っていただろうと。それがオラウータンと、この人間で消失したと。いうふうに考えていいんじゃないかと。オラウータンはソリタリー、単独になりました。人間はペアという事を重視した社会をつくった
単婚型は発情のサインの無い種からしか生じない

人間はペアというの重視した社会をつくった

人類は家族を持ち、男女ともに集団間を行き来する
   婚姻が家族を結びつける 見返りを求める集団と求めない家族

 で人類の社会の特徴というのは、社会の基本単位としてどの文化でも家族をもっています。で、個人が男も女も集団間を行き来します。出たり入ったりします。行ったきりじゃない。

 そして、結婚が家族を結びつけて、複数の家族を含んだ共同体、コミュニティーというものを持っている。これが人間の社会の特徴です。

 で実はすごく重要な事はこの家族の論理と、集団の論理というのが違うんですね。集団の論理は優劣関係か、あるいは互酬性というのが必要なんです。家族というのはそういったものではなくって見返りを求めずに奉仕するという集団です。自分の血縁ですから、血縁のためには見返りを求めずに奉仕するというのが当たり前になっていますね。

 で動物はこの二つを組み合わせることができません。人間がこの二つを組み合わせて、社会を作った。

 ここに、最初に私が申し上がた性と食が、食と性が逆転するという現象が必要になったんだと思いま
す。この両方を両立させるためには、高い共感力が必要になった。状況状況に応じて、立場を考え、それに合った解決策を講じるということが必要になったんだろうと思います。
人類は個人が男も女も集団間を行き来する

集団の論理は優劣関係かあるいは互酬性が必要

家族は見返りを求めず奉仕する集団

性と食を両立させるためには高い共感力が必要

 人間以外の霊長類の社会、一つの群れと考えてください。で、個体どうしは非互酬的 つまり優劣関係によって出来ている。でおそらく、母とまだ乳飲み子、幼児の間では母親は幼児に尽くしますから、これは向社会的な関係が生じるかもしれない。でも普通は交尾によって多少のやりとりが生じたとしても非互酬的ですね。猿は一端群れを離れたら、この群れに対する帰属意識というのは全く持たなくなってしまいます。これが猿の集団です。猿は言い方悪いですが、自己の利益を最大化するために群れを作っているわけです。その利益は何かと言ったら、食物と安全性ですね。それは群れを作っている方が有利だから群れを作っているわけです。
猿は自己の利益を最大化するために群れをつくる 食物と安全性のため

 人間は何か変なんですよね。食の協働をして家族同士を結び付けて、家族というのは、向社会的です。そして家族同士は互酬的、結婚によってこれは向社会的に変化する事があります。この共同体に実は半永続的に帰属意識を持つわけです。だから出入りが出来る。帰って来ることが出来ます。

 猿はこの群れに帰ってくることができません。一端離れちゃったら、よそ者になっちゃうわけですね。人間はよそ者にならず、帰属意識を永遠に持ち続けて他の共同体に移る。だからこそ、結婚というものが、家族と家族を結びつけられるわけですね。

人間は帰属意識を永遠に持ち続けて他の評胴体に移る。結婚が家族と家族を結びつけられる
 ■人間の生活史の変化 成長と繁殖のスケジューリング

 人類の進化というのは色々化石人類が出てますから、まずアフリカで進化をし、そしてホモサピエンス、あるいはホモエレクトス段階でアジア、ヨーロッパに進出をしたと言われています。で幾つか重要な特徴が、その時々に現れていると思うんですが。その中で重要なのは人間の生活史の変化です。生活史というのは簡単に言えば人間の一生を通じた、成長と繁殖のスケジューリングです。 

  ゴリラから見ますと、その中で非常に面白い現象が見られます。まず人間の赤ちゃんというのは、大きいんですね3kgある。ゴリラは大人になるとあんなに体が大きくなるのに、生まれる時は1.8kgすごい小さいです。赤ちゃんよく泣く。でもお母さんにつかまれない。で、人間の赤ちゃんは乳離れが早いです。大きな体重で乳離れが早いということは、成長して生まれてくるんだと普通は思いますが、成長は遅いです。

 こういう特徴はどういうふうに解釈したらいいのか、例えばこれが生まれる時の体重と離乳する時の体重をとってあって、これ人間以外の霊長類ですがこっちに居ます。人間だけはこっちにいるんですね。それはなにを表しているのか、というと、生まれる時の体重は重いのに、離乳する時の体重は軽いんですね。そんな変な特徴をもって生まれて来る。

 そして、人間の生活史を色分けして類人猿と比べると、年齢ですけれども、この乳児期少年期青年期老年期というのはみんな持っています。しかし長さが違います。オランウータンは乳児期っていのは7年もあって、凄く長いんです。ゴリラもチンパンジーもけっこう長い。人間だけが1年、2年でお乳を吸う事を止めてしまって、ただし、少年期にすぐ移行できません。乳歯ですから、大人と同じ物は食べらない。だから、子供期というのを持っています。子供期というのは歯がまだ乳歯だから、その子供に特有の食べ物やらなくちゃいけない。コストが掛かる期間です。人間だけに有る。
人間の赤ちゃんんは大きい 3kg 乳離れが早い
離乳する時の体重は軽い

乳児期 少年期、青年期、老年期を持つ
人間の乳児期は短い

繁殖能力がついても繁殖できない青年期がある
老後が長い

 そして、もう一つ、人間には繁殖能力が付いても繁殖が出来ない、繁殖をしないという時期があります。これを青年期と呼びます。こういう変な二つの時期が挟まって、そして老年期が長い、こういう特徴を持っています。

 なんで人間の赤ちゃんは乳歯のうちに離乳しちゃうかと言うと、これはおそらく人間の進化の初期の時代に森林から離れて、草原に進出したときに、肉食獣に襲われた。だから、幼児死亡率が格段に上がったはずです。そんの為に多産になった。だいたい狩猟される動物ってそうですね、一度にたくさんの子供を産むか、何度も子供を産むかです。人間は多産になるために、赤ちゃんを早くから、オッパイを早くから引きはがしオッパイを止めた。そうすると、プロラクチンというお乳のさんせいを促すホルモンが止まって、次の排卵の準備が出来る。で、そういう事を行ったんでしょう。
人間には青年期、繁殖能力が付いても繁殖できない時期がある

人間は多産になるために赤ちゃんをオッパイから早く引きはがした

人間は二足歩行を完成させてしまっていてから脳が大きくなり始めたので、小さな頭の子を産んで急速二脳を発達させる 一年間で2倍になる だから成長が遅い
人間にある思春期スパート

   でだいぶ経ってから、実は人間の脳が大きくなり始めた。で、その時に人間は既に直立二足歩行を完成させてしまっていたから、頭の大きな子供を産めなかった。だから、頭の小さな子供を産んで、産んでから急速に脳を発達させる必要が出て来たので、脳が一年間で2倍になります。そういう不安定な時期に栄養の供給が滞ってはいけないので、たくさんの脂肪を予め蓄えて人間の赤ちゃんは生まれて来ます。だから人間の赤ちゃんは重いのは脂肪率なんですね。

 だから子供の成長が遅いのは、脳の成長を優先させるためです。そうすると何が起るかと言うと、これは成長速度で一年間に延びる身長の割合、これは年齢なんですが、これが成長速度の曲線です。緑の点線が女の子、赤色の実線が男の子なんですが、両方とも脳の成長がストップした頃に、エネルギーを身体の成長に回すことが出来るようになって、身体の成長がアップします。これは思春期スパートと言います。男の子も女の子もある。この時期は非常に不安定です


 絵:webより

 で、これは、脳の成長に身体が追いつく時期で、繁殖力を急速に身に着ける時期であると共に、学習によって社会的な能力を身に着けなくってはならない期間でもあります。この時期を誰かが支えてやんなくちゃいけない

子どもの成長が遅いのは脳の成長を優先させるため

思春期スパート この時期は非常に不安定。脳の成長が体に追いつき繁殖力を急に身に着ける 学習によって社会的な能力を身に着けなくちゃいけない

親以外の大人がこぞって支え協働保育をする

気候の変動で森からサバンナへ 家族が誕生 家族は脳が大きくなり始めた200万年以降に登場しただろう

離乳期4年 思春期4年 大人がこぞって支える協働保育が要る
 つまり人間は類人猿と違って、離乳期、4年ぐらいあります、思春期これも4年ぐらいあります。こういう、変な時期を抱えてしまったがために、その時期を親以外の大人たちがこぞって、支えて協働保育をした。そういう事が人類の進化の中に歴史の中に埋め込まれております。

 で、簡単に言いますと、初期の人類が直面した事態というのは森林が、これは気候の変動ですね。それによって森林が縮小して、サバンナに出ざるを得なくなった。その事によって、いくつかの形態的な、あるいは生理上の変化が要求された。

 そして、結果として集団で子育てをしなければならなくなって家族が誕生した。そういう歴史を持ってるんだと思います。ですから、家族というのは脳が大きくなり始めた200万年以降に、登場しただろうと思います。


で、おそらく言葉を喋る前に人間は、音楽の能力を高めたと思います。音楽がなぜ起こったのかと言ったら、おそらくこれは育児というもを通して、起ったんだろうと思います。これは詳しい説明は省きますが、なんせ赤ちゃんは言葉を喋りませんから。言葉の意味が分からない。で、語り掛けられる音楽的なトーンによって、赤ちゃんは安心感を覚える。しかも人間のお母さんは赤ちゃんを離してしまって、協働保育をしますから、色んな人の手に渡る。そのために、赤ちゃんは安心させてもらう必要があるわけですね。お母さんに抱かれているような安心感を覚えるために、音楽というものが、おそらく定着した。
 そしてその音楽が、食物の分配と同じように、大人から子供へ与えられるものであったものが、大人の間に普及した。その結果赤ちゃんとお母さんとの間にみられるような、感情の同一化というものが、促進されるようになって、共感力が高められた

 だから言語以前のコミュニケーションの道筋としたら、まずは音楽的なコミュニケーションで同調というものが強化され、つまり、相手と自分が、同じ気持ちを抱くということが、非常に大きな生存化を持つような危険なニッチに人間が長く居続けることによって、出来、それが心の理論や意図的な協働を産んで、ついには言語というものが成立するようになたんではないかというふうに思っています。
言葉を喋るまえに音楽の能力を高めただろう 赤ちゃんとお母さんの間にみられる感情の同一化が促進されるようになり、共感力が高められた

音楽的コミュニケーションで同調が強化された 心の倫理や意図的な協働を産んで言語が成立するようになった
協働育児が人間の社会性に至る道を拓いた

 だから人間の社会性に至る道というのはおそらく、協働育児というものが多きな切っ掛けとなって、そして、家族というもが単独では生きられない。複数の家族で協働 されることになって、性というのを公にするのではなくって、隠す必要が出て来た。家族の中に閉じ込める必要が出て来た。ということが重要なんじゃないかと思います。

 つまり、家族の成立とはですね、複数の男女が混在するなかで、性の平等性の保障をしたんだと思います。そして、本来、性の相手というのは所有も譲渡も出来ない。これを帰属するための社会的了解が必要になった。だからそれは、食の固有のように、食のルールのように、簡単なものではありません。非常に複雑なものをルール化したということが重要なんじゃないかと思います。

 その所有を保証する、集団へのアイデンティティが必要、つまり性に関するものは集団への帰属意識というものと非常に大きな関わり合いがあります

それが、いまだに大きな障害になってさえいるわけですね。おそらく食物と性というものの、ルール化というものを一体化させる事によって社会というもの、集団というものの輪郭が見えて来たと思います。
複数の男女が混在するなかで性の平等を保障したんだと思う、性の相手は所有も譲渡もできない これを帰属するための社会的了解が必要になった。帰属意識

協働育児  制を隠す必要が出て来た 性を家族の中に閉じ込める必要がでてきた
 
で、それが、最終的には規範として、成立をする。つまりものの所属、性の所属というものを巡る不公平感を是正したいという心の動き。 これは霊長類にもあります。それを集団のルールによって、(行動)構造修正を始めた。でそれをですね、おそらく言葉というものの登場によって、集団で共有し、噂話や評判によってそれをルール化していったわけですね。文字に書かれたのではなくって、噂話やスキャンダルをあげつらう事によって、ルールから逸脱したものを罰するという事がそこで起こってきた。
 道徳というのはだから、上から押し付けられ、つまり権威者からルール化というものを押し付けられるんではなくって、コミュニティーへの共感意識から、起って来たものだと思います。これはボトムアップなんだと思うんですね。

 おそらくその分岐点というのはこの現代人がここに居ますけれども、肉食というものに発して大脳化から家族になり、協働保育をすることによって、共同体をつくり、その共同体を繋ぎとめる手段として、音楽的なコミュニケーションがとられ、そしてそれが、言語として発達していくという過程をとったんではないかと思います。
肉食 大能化 家族 協働保育 共同体をつくる 音楽的なコミュニケーションで繋がる 言葉が発達する 

道徳はコミュニティーへの共感意識から起ってきた 

 最後にですね、これだけは言っておきたい。道徳性というのはこういうふうに身体の進化の歴史に裏付けられていますから、実は進化の途上にある。共同体と家族の重層構造によって、平等に生殖する権利を与え、つまり家族の中の論理ではなくって、共同体の論理をその上に載せて、縁者贔屓を抑制する。つまり、共同体のルールは何かというと個人の欲望の抑制なんですね。そしてその情感の共有です

 で、結束力の強い社会を作ったんです。しかし、未だに道徳性というのは集団の外に出ていっていないです。そのために、協力的な社会であれあるほど、集団間の争いは激しくなる。これは矛盾と言ってもいいかもしれません。

これがつまり世界的な宗教の抱える問題であって、その集団の外に共感やルールというのは出て行っていない。これをどうやって、解決するか、これはまさに心の問題として、どのように人間がこれから変われるかということの大きな課題なのかも知れないと思います。
時間が超過しましたが、これで終わります。

 山極寿一さんの一部著作へ 

共同体のルールは個人の欲望の抑制 そしてその情情の共有

協力的な社会であればあるほど集団間の争うは激しくなる