山極寿一 聞き起こし  こころの起源ー共感から倫理へ 2019年3月15日 作成 佐藤敏宏
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ダーウィンの疑問 人間社会の道徳化された寛大な行動・良心
注 (絵はwebより)

 みなさんこんにちは。今までは人間の話だったんですけれども。私はゴリラですので、これまで長年研究してきました。「ゴリラの目から観ると人間がなんでこんな不思議に見えるんやろうか」と、いうお話をさせていただこうと思います。その中には「人間って、なんて変な心を持っているんだろう」ということも含まれております。

 人間の社会には黄金律というのがありますね。これはどの宗教でも、これが入っています。つまり「人にしてもらいたいと思うことをせよ」という言葉ですね。こういうのは他の動物にはないんですよね。なんでこういう事が生まれたのかっていうのは疑問になります。で他の動物にも、こういう行動がみられる事はあるけれども、限られている。これは血縁贔屓と言われます。自分の血縁個体に対して尽くす。これは(他の動物にも)あるんですね。 しかし、血縁以外の個体に対して、皆で合意したような、道徳化された寛大な行動というのは人間以外に見られない。これが発達して来た過程を知りたい。

 実はこれはダーウィンこれは疑問に思ったわけです。進化論から観ると命を賭して見ず知らずの他人を助けるというのは、ここで自分が死んじゃうわけですから、子孫を残せなくなるわけでしょう。これは進化、つまり淘汰されてしまうわけですよね。
 だけど人間社会にはこういう行動が残っている。ということはこれは何らかの意味が有るだろうと思われたわけですね。
心の起源

(人社会の黄金律)
人にしてもらいたいと思うことをせよ
命を賭して見ず知らずの他人を助ける

 ダーウィンが道徳観念、良心というのは人間に特有だと思いました。しかし「進化というのは動物と人間が連続的」とみる考え方ですから、そうすると「動物にもその源になるような、行動が見られるに違いない」と思うわけですね。それを彼は社会本能と言いました。で、記憶力がドンドン高まって来て、そして言葉というものが喋れるようになったお陰でですね、こういう良心や道徳観念が人間の社会に芽生えていったんだと、想ったわけですね。

 その一つの証拠として「顔を赤らめる」という行動をダーウィンは取り上げました。つまり何か恥ずかしい行動をした時に「しまったなー」と思う時に顔を赤らめるわけですね。これは人間以外の動物には見られません。現在これは確かめられていますが、チンパンジーにもゴリラにもこれは観られない。

 そしてもう一つ、何か好いことをしてくれたら賞賛するという心がある。賞賛されたい、皆に喜ばれたい褒められたいという気持ちが道徳良心というのを生み出す。逆に言えば皆から、残念だと思われるような行動をすると、失敗したという感覚から、つまりそれを自分の過去の行動と比較して、私はこんな馬鹿なことをしてしまったんだという反省の念に囚われて赤面をすると。こういうことが人間の社会に芽生えていくと考えたわけですね。

 つまり感情面で人間は他の動物と違う能力を持っていると。 

 しかし、これは1970年代に出た、一番研究書で有名なジェーン・グドールさんの『森の隣人』という本に出ている絵ですけども。非常にチンパンジーは感情豊かな社会生活を送っている。顔の表情をとって観ても様々な感情表現がなされているという事でした。
社会本能

(道徳・良心を生み出した源)
顔を赤らめる・賞賛する・褒められたい・反省の念に囚われ赤面する

ジェーン・クドール
19434年生まれ・イギリスの動物行動学者、霊長類学者、人類学者、国連平和大使
ゴリラも人の子供を助けた

 それから、これは私が調べているゴリラの有名な例ですけれども「、ゴリラも見ず知らずの他人を助けるんやで」という話ですね。この左側 ビンティーと呼ばれるゴリラが、アメリカのブルックフィールド動物園に暮らしていました。ある時ですね、これはモートと言うんですけども、放飼場に水を張った堀が造ってあるわけですね。
 高い所で見ていた人間の男の子、これは3歳ですね。誤ってそのお堀に落ちちゃったわけです。たまたま水が張っていなかったのでコンクリートにぶつかって気を失ってしまった。中には200kgを超えるゴリラの雄と雌たちが構えていますから、これはもう大惨事が起るに違いないと誰もが思ったわけです。しかもだらしのない事にそこに、居合わせた人間の男たちはゴリラが怖くって、入っていって助けようとする者が居なかった。その時、ビンテージという雌ゴリラが、つかつかと歩み寄って来て、その子に触ろうとしたわけです。これはヤバイというので飼育員たちが強烈な水ホースで放水したわけです。近づかせないようにした。しかしその水を掻い潜って気絶した男の子に近づき、このビンティーという雌ゴリラはその男の子を抱き上げて、まず飼育員の入口まで運んでいって。その運ぶときは子供をあやすようなそぶりさえしたそうです。
 ですから、このビンティーというゴリラは自分とは違う動物が危機に陥っているということを知り、なおかつその危機を救うにはどうしたらいいかという事も分かり、自分が置かれている立場をわきまえずに、その子供を助けた。こういうことは人間以外に動物にみられるんだという証拠として有名になったわけです。もちろんこれは賛否両論あって、そんなことゴリラやるわけじゃないよね、という人も多かったんですけどもね。

 この右側はベートーヴェンという真ん中に居る大きな雄なんですが、これもですね、これとは別のエピソードがあります。一時このビルガ火山群というゴリラが生息している森にはが流行ったことがあって。いろんなゴリラが罠に掛かって手首や足首を失いました。でもこの群れはですね、この群れだけ罠によって傷つく個体が出なかったですね。
 あるとき、面白いシーンを目撃しました。これは跳ね罠と言って、その輪っかに手や足をとられると吊り下がっちゃって自分では抜けなくなる。やがて、縛られた手首や足首が腐っちゃうんですけども。吊り下げられた子供を見つけたベートーヴェンと言う真ん中の雄はですね、引っ張ると逆に締まっちゃいますよね。逆に罠の方に体を持っていって、そしてそれを緩めて外してやらなくちゃいけないんですが、この発想は普通は出来ないんですよ。猿もできません。だけどこの発想が出来るんですよ。つまり外そうという普通考える方向と反対にやって、で泣き叫ぶ子どものゴリラが、手を引っ張ろうとするのを逆の方向に向かわせるということを、しなくしゃいけません。つまり迂回した考え方が、助けるためには必要なんだということをこの雄ゴリラは理解していたということです。助けるために知性を働かせるということを、ゴリラはするんだという一つの証拠となっているわけです。
ゴリラも仲間を助けるために知性を働かせる
共感する能力は猿にもある

 実はですね、共感という能力が人間以外の動物にもあるということを、明らかにしたのは1990年代、イタリアのジャコモ・リゾラッティーさんたちなんですね。これは脳の中に、マガクという猿で実験したものなんですけども。他の猿がやっているのを見ると他の猿の能が発火している部分が、同じ部分が発火する。そういう現象が見てとれました。つまりこれは言い方を変えれば、さっきの下条さんの話じゃないけれども、脳が他の個体の脳と繋がっていて、そして体を回路にして、他者と同調すると。そういう事が人間以外の動物にある、ということなんですね。もちろん人間にもあります。
 人間はその能力が非常に高いわけですが、それが人間だけが持っている能力だけではなくって、動物とりわけ人間に近い霊長類、猿でもこういう能力を持っているんだということが証明された、非常に画期的な発見だったわけです。

・人間は共感する能力が高い

・ジャコモ・リゾラッティ
1996年 ミラーニューロンを発見
 道徳という人間社会に共通な現象を遡ってみるとですね、広くみてみるとさっき言った顔を赤らめる、恥をかくといいう現象はどの民族にも見られます。これは文化人類学者のボエムという人が最近言い出した「モラル起源」についてというところでも分析をしていますが。ただし罪に近い言葉というのは多くの民俗に見つからない。罪と罰というのはある文化ではきっちり定義されているけども、他の文化には無い。しかも共感と同情という二つの能力が同じものではない
 共感というのは他者の気持ちを感じる心ですが、同情はもう一歩進んで気遣う能力なんですね。これはアザリガベンルヘーベンとか英語で共感をエンパシー、同情をシンパシーとか言ったりするんですけど。違うもの、だから違う共感を持っていうだけでは同情するという心は出てこない

 そして良心というのはもう一つ違うものである。ルールを内面化し、自分が暮らしている社会の人たち、コミュニティー、共同体と呼びますが、その価値観に共鳴する能力なんじゃないだろうか。

共感 他者気持ちを感じる
同情 気遣う能力
良心 ルールを内面化し共同体の価値観に共鳴する能力
ルールの内面化を探る
 「食べる」ことと「性」
 動物人間は真逆の様

 こういうふうに眺めていくと、動物社会というのも、もちろんルールはあるでしょう。それがどう作られ、そして果たして内面化されているのかどうかっていうことを探ってみると、人間のこういう心が、心の動きがどういう経緯で出て来たか分かるかも知れない。というわけですね。

 それを考えるとですね、じゃー「動物社会のルールは何が原因で出来ているの」と思うとこれは競合する者があるからなんですね。競合しなければみんな自由勝手に振舞えばいいわけですよ、だけど仲間と一緒に暮らしている以上、何か競合するものがある。それはですね、食べること。そしてなんですね。

 肉食動物と違って霊長類というのは毎日食事をしなくちゃいけないわけです。その能力を我々人間も受け継いでいるわけですが。だから食は日常的なものです。 で食糧には限りがあります。これはもちろんダーウィンが一番先に気付いた話なんですけども。それを仲良く食べる必要がある。


 というのはやっぱり繁殖をして子孫を残してという欲望が誰にでもあるわけですね。しかし、相手がいますこれは。食と相手、性というのは互いに競合するんだけど、その競合する対象というものの性質が違うわけですね。普通動物は食べるときは他人とあまり近づかないように、分散をして自分だけで食物を独占して食べようとするわけですね。ところがセックスの場合には皆が分かってる方がいい。だから公開してセックスをするわけです。

 人間はなぜか逆なんですね。食は公開する、食事というのは非常に気前がよくって、見ず知らずの他人が来ても気前よく食事を与えることが多いです。どの文化でも。

 でもセックスは隠しますよね。人間以外の動物は全く真逆の事をやっている。なんでこんな真逆の事が、いつから、どういう理由で出来たのだと。これを探ることから人間社会のルールというものが、反転した理由が分かるんじゃないか
と思います。

ルールの内面化の起源
食と性で競合する仲間・他者あり

仲間と一緒に暮らすと競合する
食と性


霊長類は毎日食事をする

動物は人間とは逆で
動物は食物を独占して食べようとする
食物を他人と近づかないで食べる、性は皆が分かっているほうがいいので公開でする



伊谷純一郎 父系と母系にわけ
      先験的不平等社会と条件的平等社会

 これは私の先生の伊谷純一郎という人が、霊長類の社会の進化ということを構想した段階で作り上げたものです。
 霊長類というのは今300種類ぐらいいるんです。夜行性のもの、昼行性のもの、そして昼行性のものだとペアという雄と雌が一対の夫婦みたいな、群れをつくるものから、複数の雄と雌。雄一頭・複数の雌といったように色んな構成を持った集団が出来るんですね。種によってです。 で、母系と父系というものに大きく分ければ収斂するんじゃないか、というふうに伊谷さんが考えた。

 母系というのは、メスが生涯集団を離れない。だからお婆ちゃんお母さん娘というのがずーっと一緒にいる。雄だけがその集団を渡り歩いて、いく、これが基本だろうと。これは左側です。この図形で言えば右側の方は逆に雄が集団を離れない、雌だけが集団を渡り歩いていく。そういう社会がある。現実にあるわけです。

 そして人に近い類人猿ゴリラやチンパンジーオラウータンの類、は類人猿といって人間に近いんですけども。これは全て右側、つまりメスが親元を離れて他の、自分の知らなぬ異性と会って、繁殖をするというタイプの社会構造を持っているということを喝破しました。
 そして、実際にルールをつくる元になるですね、食物を考えると、まずは個体のテリトリー。そして性を考えると、それぞれの雄や雌のテリトリーから始まって、テリトリーが段々と無くなって群れ生活をするという進化の経路を考えました

 重要な事は人間以外の霊長類の食物というのは動かないんです。植物ですから。でも性の対象というのは動くんです。雄が動いたり雌が動いたりする、しかも相手が自分を選ぶわけですね。ですから自分が欲しいと思っても、すぐにそれを独占するわけにはなかなかいかない。違うんですね。

伊谷純一郎
日本の生態学者、人類学者、霊長類学者。京都大学名誉教授


メスが親元を離れて見知らぬ異性と会って繁殖する社会構造→食物→性は段々テリトリーが無くなって行く群れ生活に


食物は動かない
性は動くし相手が選ぶので独占できない

 で段々と群れは大きくなっていくんだけど、そのルールが段々と変わっていく。テリトリーの場合には一頭のテリトリーですから、そのテリトリーに入らなければ相手と喧嘩にならないわけですね。
 それが複数の、一頭の雄と一頭のメスだったら同性の個体を排除すれば、いいわけですね。それが複数の同性が入って来ると、同性間のルール、異性間のルールと複雑になっていくわけですよ。
 そこで、まず、人間以外の霊長類の社会が確立したのは先験的不平等の社会と言いますが、優劣を付けて弱い者が身を引くと。そういうルール。優劣社会ですね。 優劣社会ということを、原理を使って共存しましょうと。強い弱いというものを予め認識して共存しましょうという社会ですね。それは階層社会に発展します。でも、雌が移動する社会は条件的平等。
 つまりその先験的不平等というものを見て見ないふりをする。別の原理をそこに持ち込む、というような条件的平等な社会が発展したんではないかというふうに考えたわけですね。
人間以外の動物は先験的不平等社会
(優劣社会)→階層社会→条件的平等社会
優劣を付けて弱いのもが引くそれは階層社会へ発展する

見て見ないふりをすることで条件的平等社会が発展したのでは
霊長類のテリトリー(帰属意識)って何だ

 じゃーまず、テリトリーって一体なんなんだ。鳥のテリトリーを持ちます。しかし、霊長類ののテリトリーは違うんですね。鳥はオスが雄鳥がテリトリーをつくってそこにメスを呼び込みますよね。霊長類は雄、雌それぞれがテリトリーを持つ。でもだいたい雄のテリトリーの方が大きい。で、それが雄雌がくっついてテリトリーを構えると、段々とテリトリーが崩壊していきます。複数の雌が複数の雄が住んでいる大きな集団になると、とても小さな流動域ではやっていけなくなって、広い流動域を持つようになりますよね。食物が必要ですから。そうすると他の群れと流動域が重複します。それはテリトリーとは言えないわけですよね。その重複度がだんだん大きくなっていく、テリトリーが全然なくなるという、例えばゴリラのテリトリーは持っていないですけども。そういう集団になっていくわけです。

 でも群れという形は残っている、ここが重要なんですねこいうものを人間は引き継いだはずです。つまり「なぜ群れという形が残っているのか」という。テリトリーが無くってですね、群れという形が残っているかと、言うと、それは群れに帰属意識があるからです。どの集団に私は属しているという、帰属意識があるから群れという輪郭が保てる。そして、ある土地をその群れが占有している。あるいは他の群れと共有しているという意思が芽生えます。その時に個々人がの土地は私のもの、この土地は君のものというふうに、同じ集団の中で、分割して共有したりはしません。みんなが共有する。
 それを実は人間も受け継いで、だからそもそも最初の狩猟採集民社会というのは、テリトリーは持っていなかったはずです。共有地というものを互いに利用し合っていたはずですね。

 そして、食物というのは最初に申し上げましたように、動かないですから、食物を食べる時の、所有というのは場所の所有になるわけですね。ある食物が生えている場所。葉っぱがある場所、美味しい果物がある場所。そこを誰かが占有する、それが所有です。
 で、これは食物の質と量によって、それは変わりますよね。ちょっとしか無ければ一頭しか独占できないけれど、たくさん有れば複数の群れが一緒に食べることができる。そういうように食物によって、社会性というのは大きな影響を受けます
 で、さっき言ったように、普通は霊長類が決めたルールというのは、優先権を決めて、有威なやつが独占する。ということを許す。そういう社会のルールでした。でもここには原則があって、これは食物保有者優先の原則というのですが、一端食物を手に持ってしまったら、もうそれを取りにはいかない。それは体の一部になってしまって、それを取りにはいけないといのが猿たちの、ルールなんですね。
群れへの帰属意識 群れの輪郭が保てる。共有しているという意識が芽生える

食物の量によって社会性というのは大きな影響を受ける

霊長類は食物保有者優先の原則がある

 そういう優劣というのをはっきり見極めるために、表情というのが発達しました。一番左側これは強い猿の顔の表情です。相手を威嚇している。で一番右側これはこびる、弱い猿の表情です。私は貴方に敵意は無いのよ、というふうに示している顔の表情です。これはグリメースと言います。
 真ん中はあくびで、自然現象であくびが起る場合もありますが、猿の雄には長い牙が生えていますから、この牙をわざと見せて、あくびを威嚇の表情として、使っている猿もいます。猿の社会性というのはこういうふうに出来てるんですね。

 自分というのが一体群れの中でどういう位置に属しているか、それをきちんと認識し、それを表現していないと、自分はなかなか安定してその群れに存在できない。左側、まず上の方では強い猿。これは子供ですけどね、子どものうちからこういうのを覚えるわけですよ。自分より強いやつに迫られました、弱いんだけどそれだけだと負けちゃうので、今度は左の下見てください。他のじぶんより弱い猿に向かっていきます。そうすると
表情の発達
 その2に続く