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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください |
原発事故と4っの事故調査委員会報告 01 02 03 04 比較表 |
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■ 国会事故調 問題点 次が問題なのでありますが。報告を提出した後。議員連盟が立ち上げられてですね。それは昨年・2012年8月28日。報告書の提出は7月だった。 これレジュメにございますが。8月の末にですね。国会事故調がまとめた7っの提言の実現を目的にして「国会事故調の提言を実現・法制化する超党派議員連盟」という大変長ったらしい名前の連盟が作られて、その総会が開かれています。国会議員が40名。その他が100名というふうに書いてあります。さらに9月5日にはですね、その連盟の役員が選出されている。 で共同代表。最近流行りなのかなー。共同代表が3人出ております。民主・自民・公明から1人ずつ。共同代表を選出しております。いずれも衆議院議員。他に超党派の衆参両院議員20名が今後分担して、その目的 従う事業・仕事をおこなうという処まで来た。 で、その後なのでありますが。これはご承知のようにここまでは民主党の政権のときなんですが。その後、(政治)局面は民主党の代表選挙になり、自民党の総裁選挙になり、総選挙があったりというふうに続きます。 そしてこの議連は ほとんど発足と同時に休眠状態に入る。と判断せざるを得ない状況。 だからその意味では事故調査委員会がですね、あたかも大事故の一連の後始末に関わる手続きに過ぎなかった というふうに成ってしまっているわけです。 4っの事故調査報告の中では(国会事故調は)極めて特徴的に問題を指摘しているし、事後的な論点摘出もおこなっているし、その究明を国会の責任とも指摘しているという。そういう論点を指摘した国会事故調の末路がですね。それを受け止める国会はこういうざまであるという。この事態を非常に重要な問題として、直視しておく必要がある。 だからそういう意味では、「報告書」はゴールじゃない。という確認を、はっきりする必要がある。 この4っの中で「民間」は報告をゴールだと処理しています。それから、「東電」もそうなんです。「政府」になると少しぼやけてくるんですが。「国会」の事故調は明らかに さしあたってのゴールの設定に過ぎないのであって。今後が大切なんだということはかなりハッキリ明示しているのです。 例えば今日の資料には載せなかったのですが。「提言」7項目を掲げた後に、最後に国会事故調では「提言」の実現に向けてという提案をしております。 勘ぐれば、あたかもこれは破られるぞと思って、こんなふうに何重にも念を押したのかなーと思うぐらいでありますが。 ここに示した7っの提言は「当委員会が国会から付託された、使命を受けて調査作成した当報告書の最も基本的で重要なことを反映したもの」だと強調しているのです。 従って当委員会は国会に対してこの提言の実現に向けた実施計画を速やかに策定する。その進捗の状況を国民に公表することが期待される、としています。 その一歩を踏み出すことが、この事故によって日本が失った世界からの信用を取り戻し、国家に対する国民の信頼の回復のための必要条件と確信をすると。後書きまでも付けて、提言されている。提言の受け止めがですね。 まあいつも調子でとでも言ったらいいのか?分かりませんが、これは民主党の問題処理のいつもの 伝にならないように、とでもいうように。 これは余談ですが、民主党のやり方はね。まさに繰り返しなんですね。ご承知でしょうか、政権交代の直後に鳩山さんが総理大臣になったとき。冒頭にですね日米密約、日米機密協定。これを明らかにすると委員会をつくりまして、半年以上にわたって審議し、翌年の3月に結論を出しました。この結論自体も非常に曖昧な論点を含んだ結論であったのでありましたけれども。密約が無かったという結論は出なかったんですね、厳密な意味での密約は非常に限定した部分であった あとは広い意味では密約と言えるというような、調査報告書を受けてですね。それをどう取り扱うかという段階で、政府は受け採ったまま、これをお蔵に入れてしまったのね。報告は受けました。受けただけです、あとはお蔵入り、という原罪を民主党は持っている。 だから、国民の信頼を失墜するのは当たりまえだと私などは思うのですが。この事故調もですね、その危うきに立たされていると言わざるを得ない。こういう局面にあります。 しかも、私が一番危機を感じるのはこういう国会の事故調の報告が曖昧にされようとしているという状況の時にですね、国民的なレベルからですね、このざまは何だ!という問題提起が全然なされてないんですね。これに対しても私は非常に大きな危機意識を持っております。 足かけ3年になりますか、1昨年の11月からこの・ふくしま復興支援フォーラムを立ち上げて。今回の原発の事故によって福島の地域社会が多方面にわたって大変大きな実害を被った。その実態報告を30回にわたって積み重ねてまいりました。そういうフォーラムの視点から観てもですね、この国会のざまをね。 つまり国会事故調が提起してなにがしかの不十分な点を持ちながらも、一応ともかく4っの報告書の中で一番踏み込んだ報告を行い、しかもそれそのままに済ませないで、あくまでもこうやって欲しいよという意思を提起している 事故調を、国会が無視をした ということを国民は放置するのか!と。 これを放置しておいたらね、私は国民の責任になっちゃうんじゃないかと思うぐらい実は非常に危機感をもっているわけであります。 その意味で事故調は案外 事故の報告は出されたよということで済ませていってしまっていて。それの持つ意味、ないしはそれが今後果たさなければならない責任というやつを明確にする必要があると思います。 それを踏まえたうえで、このフォーラムでも原発の事故の処理、復興の展望を描くく際の基礎に据えていく必要があるのではないか。そういう意味では政治に関わっておられる方々もこの事故調をこう捕まえ、これこれの問題についてこういう論点があるからこういう提起をする必要あるんじゃないかというような議論を私は一回もこれまで聞いたことがない。これは非常に情けない事実であります。 しかもそれらの諸点は 今後民主主義が問われてる際の 一つの大な論点提起になるのではないか。 ■ 倫理の視点 最後に、この報告の最後です。3枚目の一番最後の最後に「倫理の視点からの評価」という欄がございます。 その欄に指摘がないのは問題。国会事故調は「規制される側が規制する側を情報量で圧倒してしまって虜にしていた」という指摘はしているんですね。 翻って、ドイツでは、福島の事故から4ヶ月後にドイツの原発をある一定の期限までに全廃するという方針を政府が打ち出しました。その時の提言した委員会は倫理委員会なんですね。 「倫理委員会」という語感は私達戦後の日本国民からみますと、なんだ古くさい、いうふうに受け止められかねない。 そして、「経済的に」日本の将来がどうなるかと、こういう提起については深刻に考えるけれども、そもそも倫理に訴えるというようなことは私たちの常識からは遠くなってきてしまっている。この点は本当に受け止め返さなければいけない論点ではないだろうか、と痛切に思います。 その意味で戦後だけをとっても歴史の積み重ね。民衆の苦しみに満ちた歩みの積み重ねが、正直にドイツの場合と日本の場合の違いとして出て来てしまったと思われます。 「倫理」に言及が無いという点もかなり大きな論点になると私は思っております。 ちょうど 1時間。終わりにします。 今後にどう活かされるか、皆様のご意見をいただけるとありがたいと思います。どうもありがとうございました 会場 ありがとうございました。 ぱちぱちぱちぱち 比較表へ |
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