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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください |
原発事故と4っの事故調査委員会報告 01 02 03 04 比較表 |
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03 ■ 住民に対する対応の違い 次に、4番目ですね。これは私が一番注目した点なんですけれども。 地域住民に対して、各事故調はどう構えを採っているのかという点です。物理的な原子炉の構造とその稼働という技術的な問題を飛び越えてですね。事故が万が一起きた場合のアクシデント。しかもシビア・アクシデントに晒されると、住民生活ないしは、地域社会そのものが解体されてしまう。 この点は一昨年の暮れにこの(ふくしま復興支援)フォーラムを立ち上げてから30回近くにわたって、地域社会の いかに広い分野に影響が及んでいるのか?という点で色々追求して来ていることはご承知の処でありますが。 振り返って見まして、そういう視点を受け止められるような、事故調の報告書になっているのかという点を整理してみますと。まず、事故当事者の事故調。つまり、「東電」と「政府」の場合ですね。 「東電」は極端でありまして、これらに関する 3−1、3−2、3−3、3−4、三枚目の1,2,3,4ということを見ていただければ分かるように、東電の事故調ではほとんど触れられていないですね。記述そのものが無いんです。これに関してのね。これは非常にはっきりしております。 で、「政府事故調」もですね、触れてはおります。触れられてはいるのですが。例えば、スピーデーの活用とかですね。そういう個別な問題で、データが提供されていれば、避難に活用できたのではないか、というような視点があるのですけれども。これだけではですね〜実はなんら解決になってない。とくに(被曝地に)置かれた私達の視点から観ますと、あまりにも客観的に過ぎて。 避難情報の出し方についても。安全神話に寄りかかって避難訓練もシナリオに沿ったパターン化です。「東電」と「政府」の事故調は極端に言うと、「政府」の場合は一般論的には触れられているのですが。ともかくそこが非常にウィークで欠落している。これは何を物語るのかは非常に大きな論点になると私は考えました。 でこれに対してですね、「国会」の事故調も充分見れているかという点では問題があるわけですけれども。一定程度は切り込んでいる。そして、ただ国会事故調も、ここの3頁目の一番下の処にありますが。「市民の権利としてのリスクコミュニケーション」という視点っていうやつは ちょっと薄いのではないか。 これは今まで原発が日本列島の中で置かれていて、そして、こういう事故を起こした。その時に反省点が非常に弱くなるというのは、日本的特徴、特性なのかも知れませんが。「国会」においても、その点の言及は不十分で。ただし、受け手としての住民の立場に立って情報公開が必要である、という問題提起は行っているのですね。 「民間事故調」の場合はですね、低線量被爆の問題等々で、各論は併記されている、記述されている。しかし市民の権利としてのリスクコミュニケーションというような、そういう視点はどうも薄い。 4っの報告書についてこの点で、本格的に切り込んで 将来に向かって立ち向かえるような構えを持った事故調は無かった。私たち(被曝)住民にとっては非常に不幸な事態であるということを冷厳に直視して、これから、どうこれに対応していくのか、という構えを私したちなりに作っていくという必要はあるのだろうと思います。 ■ 提言について で、最後の「提言」です 「提言」は民間事故調にはありません。それから東電事故調は政府に対する要望という範囲を越えておりません。その意味では内容が無いって言ってもいいと思います。 それから、「政府事故調」なんですが、かなり網羅的に提起はしております。提起をしているのですが。これもかなり羅列的なんですね。どう実現していくのかという構えの気迫がどうも私には感じられない。そういうものになっております。 「提言」ということはどういうことかと言うと、事故を私たちが被って、そこを起点にして将来に向けて何が必要でどういう対応をしなければならないのかという、その姿勢ですよね。それを明確に打ち出すはずのものです。 曲がりなりに打ち出しているのは国会事故調のみ。こういうふうに言っていいだろうと思います。 原発の事故が日本で安全神話の下で爆発してしまって、後追いで今国民はフォローしているわけです。私達も福島の中で苦しみながらフォローしているわけですけれども。 本当にこれを回避してくためには、市民的権利を土台にしてね、その土台の上でどういう問題があり、どういうふうに問題を提起して行かなきゃならないかという論点をえぐり出していく。この構えが どうしても不可欠なのです。 全体的に4っの事故調を観ましてそれに触れている、ともかくも読むに堪えるというレベルで踏み込んでいるのは国会事故調だけだと言っていいだろうと思います。 ■ 国会事故調の成立とその後 そこで最後に、国会事故調が、どんなふうにいて成立して、今どんな状況にあるのか、お寒い現実に立ち返らざるを得ないのでありますが。 そもそも当初国会事故調の設置に当たっては、そのための法律が作られています。その法律の中で何が目指されているのかと言うと。これはレジュメの下の方に2の処に書いておきました。 まず成立段階なんですが。国会事故調の設置にあたっての法律、そこではですね、国会に属する調査委員会であること。それから国会の会期とは無関係に独立して活動出来ると。それから委員は委員長含めて、国家議員以外から選んで任命すること。それから証人喚問や資料提出の権限をもつこと。ここがね一寸疑問なんですが。これに関して、新聞記事の資料(朝日新聞2012・05・09)を提示しておきました。 そこではですね。「権限」という項目がございまして。国会事故調に関わる欄を見てみますと。「国政調査権に基づく強制的な招致が可能」だとしてありますが。どうも、法的に国会調査権に基づいてこの委員会を設置すると、したがって強制的な招致、資料の提出等が義務づけられるという、そういう仕組みには、そこまではいってなかったというふうに思われます。 この新聞記事はちょっと疑問があるということで一番最初に出して見たのですが。ここはいずれにせよ、いわゆる、国政調査権ということを委員会が持つという法的な記述にはなってないような感じがするのですが。この点は専門家の検討を待ちたいと思います。最後に、公開原則というのが出されて、そして法律に基づいて委員会が構成される。となっています。これが活動開始前のいわば第一段階。 調査中には、東電、原子力安全委員会、保安委員会等々に対する資料請求は2000点以上に達しており、ほとんど拒否されることはなかったというふうに報告されております。参考人には責任逃れの発言なども垣間見られた。ここはその発言にですね、嘘をついてはいけないという罰則規定が、あるかないか?というあたりからすると、そこは国政調査権 厳密に適用されてないように思いますが。そういうのは散見されるけど、概ね協力的であった。 その 04へ |
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朝日新聞資料撮影画像 |