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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください | |
原発事故と4っの事故調査委員会報告 01 02 03 04 比較表 |
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福島原発事故独立検証委員会(民間事故調) 報告書発表会見 動画 2012.2.28 国会事故調 黒川清 委員長会見 動画 2012.7.6 国会事故調 第3回委員会後のタウンミーティング 双葉町 浪江町 20120529福島県知事 佐藤雄平 国会事故調 第17回委員会 |
02 ■(政府事故調) それからもう一つ次の 「政府事故調」。「国会事故調」は後に回して「政府」なんですが。これがなかなか性格づけに悩ましく。私は悩んだんですが。これが先ほど言ったように、昼寝の枕にするほど、厚い報告書でして。これを全部読むのは大変な技なのであります。 そして、そういう意味では事故から教訓を引き出して、それを今後の安全性向上に寄与する。そういう意味でですね、当事者報告書だという性格を、私は政府事故調から読み取りました。 考えてみますと、政府も東電も原発に直接関わっている当事者なんですね。この二つの当事者がそれぞれ報告書を出したんだ。というふうに私には読める。これが「政府」の報告書の性格付けです。 これは、民主党の政権の時ですが。閣議の決定に基づいて委員会を構成し、そして政策提言もおこなっているという意味では、特徴的なんですね。私、最後の所で「提言」について触れますが、そこでは「政府」については切り捨てました。その理由は政策的に今後考慮しなければならない諸点がずらーっと並んでいるだけだからです。 20何項目、大きな枠組みで言うと 7っ程になるんですが。それが羅列的に網羅的に並んでいるという「提言」になっています。 しかも、この長い報告書はどうも官僚が書いた、という感じがいたします。官僚的な客観性ですね。それはかなりあると思います。あると思うのですが、しかし一方の当事者の報告書という限界を超えてない、と感じられました。 そうしますと。4っの報告書のうち二つは事故の当事者が報告書を作っている。従ってその当事者の報告書は当事者の報告書なりの性格と限界性というのを持っていると、そいう印象です。 それに対して「民間」の報告書は。これは一寸離れておりまして、東電や政府の責任も追及しようとする姿勢はある訳ですけれども。先ほど申しましたように、早く報告を出すんだということで。あとこれが持ち得る問題、社会的、政治的、等々への影響を考慮して、それに耐えうる視点から追求するという深みがあまり感じられない。 ■ 国会事故調 最後に残りました「国会」なんですけれども、これには大きな問題点があると思いました。これは国会が独自に打ち出しました。後でもご紹介申し上げますが。 調査委員会を作る法律まで作りましてね、独自に。それに基づいて、政府や事業者つまり東電ですね。そこから独立した視点で、法に基づいて調査委員会を立ち上げて、そして構造的な問題まで切り込んで提起する。そういうやり方そのものからしても、憲政史上初めての取り組みであります。 そこではですね、他にちょっと見られないように、今後の長期的な解明の必要性という論点を提起しながらですね。長期的な解明っていうのは現時点で例えば時間的制約があり未だ(炉の)中に直接入れない。したがって本当の処の原因はまだ分からないのだ。だから本当の原因の究明というのは今後に残されている。したがって、ここで一応報告書を出すけれども、事後的な継続的な調査が不可欠だ、という論点を非常に強調しています。その点が一つの特徴です。 そして規制当局それ自体を国会が監視しなければいけない、という視点まで打ち出している点では一つの民間事業者が起こした事故を憲政史上初めての取り組みで国会が迫ったという特徴をもっております。 要するに、日本が起こしたこの事故が世界史的な、世界の視点から観ても責任があえるという立場から総括をするという受け止め方が明示されている。 だから、そこではこの経験をどう受け継ぐのか、という論点が非常に大きな課題になること 自覚しながら、それを「提言」というかたちで、まとめている。 この点からも4っの事故調査報告書の中ではひときわ際だった性格をもっているな〜というふうに観ることが出来るということであります。 ■4つの事故調の性格づけ 従いまして、4っの事故調査報告を通覧すると。先ず「民間」の報告書。これはどうも国会の対応なんかと比較しますとね、尻切れトンボで。事故の経緯の説明をなるべく早めに打ちだそうというそういう性格があるけれども。どうもスポンサーが非公表だったりと、一寸した裏を感じさせるようなもの。ただそれは表には出ていないですけれども報告書の出しっ放しという性格。 それに対して「東電」と「政府」の事故調は二つの当事者がそれぞれ対応した。それぞれの対応によって、当事者ながら視角が違います。「東電」は事業主体。その生き延びに焦点をおきながら、副社長を中心にした社内向け報告書になっている。 一方「政府」の事故調はもう少し一般的に問題をえぐり出すという課題性はあるのですけれども。 しかしその「提言」はかなり一般論的であって、私から言わせると事故に対する自覚が薄い。これはその後の政府の事故対応にも反映しているのかなー などと思いながら読んだものです。 4っの事故調についての性格付けは、私には以上のように見えるのであります。 2番目の技術的な問題とか、事故処理上の問題は、省かせていただきまして。これはこれなりにですね、追求可能性があります。そこに入り込みますと、森の中に入ってしまう。 そんな事態になりかねないという感じを強く抱きながら、分厚い奴をちょっと遠目に見ながらここまで来ております。 しかしそれはそれなりに、非常に大きな論点を抱えているかと思いますけれども。今日のところは、むしろそれを個別的に比較していくということよりは、もう一寸大きな論点、たとえば責任の問題とか地域住民にどう対応したか、対応するのかという論点。そこの処に絞っていきたいと思います。 ■ 3番目 事故の責任にどこまで迫れたか 原子力村にどこまで迫られたのか。個人的責任は追及されているのか、組織の責任追及の所在は。 個人の責任の追及という点については4っとも出されておりません。むしろそこを回避している、積極的に回避している。それはそれなりの意味もあるとは思いますが、しかし責任の問題の切り込みは、個人の処までは行ってないという点は確認しておきます。 しかし、「民間」と、「国会事故調」この二つではこの事件全体を「人災」だとつかまえている。やはりこの点からも当事者報告書というやつが 客観性に若干切り込みが足りない。これが責任問題に対する対応にも明らかになっているのかなーという感じで読みました。 国会事故調の場合はですねー、ここ(比較表 組織の責任の所在)にも書いてありますけれども。「規制される立場とする立場を逆転した」と捉えている。「組織的な責任の所在」という項目のところで、「国会」も個人の責任は追及しておりませんが。国会事故調の組織的な見方からすると、本来 規制されるべき立場とですね、規制する立場が逆転しちゃっている。ここに非常に大きな組織的な問題があるぞと、こういう指摘であります この逆転現象ができた原因が、原子力村といわれているシステムそのものの問題として指摘されている。これが3番目であります その03へ |
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