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福島第一原子力発電所の事故によって起きている様々な問題を勉強し始めました 勉強過程の記録をつくってみますご活用ください |
震災復興における高校教育の現状と課題 01 02 03 04 05 06 |
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03 30:12 自治会長さんたちは 一グループぐらいで行かれたそうですが。他の方は行けないということで、あづまの大きな体育館に移られたそうです。 最後徹底的に体育館を綺麗にしてくださって。バスで最後ですね出て行かれまして。車で来られている方は車を連ねて学校から出て行きまして。我々も手を振ってお別れして、何か複雑な気持ちでした。学校のためには 教育をする場でので出て行っていただかなければならいのですが。どうなってしまうんだろうか?という不安もあって。複雑な思いもしました。 我々も色んな思いがあって。学生のことを敏感に感じられている先生方は、「学校始めるべきじゃない」っていう方もいらっしゃったでしょうし。私なんかは・・ していますので「どうなっちゃうんだろうかなー」と。ぼーっと考えてましたが。だけど学校で受験だ就職だというふうになれば、「子どものため」と言われると「もし学校が再開しなければどうなるんだー」と言われれば何も言えませんので。議論にならないっていうんでしょうか。「そういうかたちで学校が始まってしまった」ということだと思います。 それから会津や中通りは判定会をしました。14日が合格発表でしたので、11日、東校だと11日に判定会を午後にやって。14日の午前中に発表の色んな準備をして正午以後発表というかたちになるんですが。 14日に判定会やる学校もあるんすね。学校によって日程が違いますので。浜通りの方は判定会の途中だったとか。14日の日ですね、震災の後に判定会をやる予定だった学校は当然できません。避難させたれているわけですから。出来ませんので。浜通りの学校は受験の申し込みをして受験した学生は全員合格というかたちになりました。 組合なんかでは、昔から「高校全入」と言っているわけですが。実際希望した学校を受験していればその生徒がみんな合格という結果になったというかたちです。 これは実際いわき高校とかですね。原町高校とか受験して通常ならば定員で振り落とされる子どもも入るわけですので、学力の低い子どもも入っていくと。その後ですね入ってから大変だったということも聞きます。 他県なんかの転校でもですね、東京都か埼玉とかに転校するときにレベルの低い学校に行ってやるき無くすとか。逆に本人の能力よりも高い所に入ってしまってついて行けないと。泣いてしまうとか。そういうミスマッチが沢山あったと聞いてます。 ただ「学力で見てついて行けない。変わった方がいいんじゃないか」と見てしまいますけれども。充分指導してやっていけば何とかなるんで。「満足な力が付くか」と言われると不十分な面はあるかと思うかもしれませんが。「進級させて卒業させる」というんだったらば、手立てはあるので。どういう子どもが入って来たって卒業させることは出来る訳で。 本当に厳密に何点以下だからだめですって、追い出すことは今できませんので。ですから手厚く指導して、卒業させるってどんな子どもが入って来たってできるわけですが。通常そういうのは排除してですね、輪切りをしてここはこういう学校なんで要りませんみたいなことになるわけですけれども。それが震災のせいで壊れて、浜通りの学校では全ての子どもが希望した学校に。避難して転校しない限りはですね自分の希望の学校には入ると。 相馬高校の先生の話だと、入学前にですね手分けをして、まともに電話が通じなかったそうですが。携帯電話で掛けられたと思うんですけれども。各家庭の電話番号を調べて全部入学意思の確認をして。家族で亡くなられた方とか、避難先とかですね。色んな状況を確認するというご苦労があったそうです。 中通りの学校なんかでは授業が始まる、今年もどうしようか〜感じで同じような時間が推移してましたけれども。「まったく違う時間が流れていたかなー」というふうに思いました。 35:09 それから放射線量をめぐっては、当然基準がありませんでしたから、そこに書いてありますように。実は県北地区では校長会の申し合わせで当面体育や農業などで外でやる授業自粛をすると。部活動は勝手には出来ないので「保護者の承諾をとり2時間まで」というのがもし合わせをしたようです。おそらく他の地区でも同じようなことがあったかと思うのですが。県教委には何も反応しなかったので。校長会の方でも「学校が始まった、さーどうするんだ」と業を煮やしてそういう対応をしたと。 その後に4月の20何日かになって文科省が暫定的な考え方というを出しましたね。それで1時間当たりにすると3.8μSvというふうになりました。それで線量を測って。校庭の線量、3.8μを下まわっていれば、それはやっていいんだーみたいな。お墨付きが与えられたみたいなかたちになりました。 でもこの時期になってくると、段々情報の早い先生、もう線量計を購入されて、自分でも測っておられる先生なんかは当然ながら「やりべきじゃない」っていう方もいらっしゃいましたし。それからある学校では前の授業の先生が「窓を開けてはいけない」、閉めて。次の授業の先生が「暑くってしょうがないよねー窓開けろ」って指示をすると。「閉めろ」と言ったり「開けろ」と言ったり。混乱するような状況がると。36:44 「危険だ」というふうな先生は職場の中で浮き上がってしまう。いうかたちで。だから色々ツイッターとかですね。いうもので情報を発信をした先生方なんかは、反響が大きかったと思うんですが、「あまり余計なことを言わないように」と釘を刺されたり。結果的には自ら他の県に移って行かれることになったようです。 我々の組合の仲間の先生も7月末で夏休みの処で 退職をされて北海道に移られて、今北海道の高校で常勤講師になっていると聞いてます。 今になって感じるのは、我々学校の教員、子どものことを、そして教育の事をですね、隅から隅まで腹を割ってですね、話し合えるのか?というと実は一杯壁が在ってですね、話し合えないんですね。これで学校始めていいのか?なんていうのは思っていても口には出せず。もう進学の為だ、就職の為だ。「学校は始めなきゃならないんだ」というと反論できない。そういうなかで、それを封じ込めてしまう。 そこで言おうものならですね。私も日の丸君が代でいうと完全に浮き上がってしまましたけれども。それと同じように、「まあそんなこと言われても〜」みたない話しでみんなが「また始まった」みたいな形で発言してもですね、全く聞き入れられないと。いう状況があるのかなー。 だから今も学校の中では特に教員の世界の中ではですね、お互いに何か変な距離感を保ちつつ、肝心な処には踏み込まずですね、互いに正面向かって 議論するようなことには成らないようにですね、回避するような教員文化というのがあるのかなーと。 だから体罰の事でも何か曖昧に。こういう放射線の事でも本当に腹を割って話し合うということが出来ないまま、「なし崩しになっていく」ということがあると思います。38:55 サテライト校の問題はみなさんが御存知の部分もあると思うのですが、緊急避難としては当然ながら学校の教育の場が与えられないということは許されませんので、ああいう形しかなかったのかなーとは思うですが。当時思ったのは県がですね、すぐ建物を建てるというのは無理だと思うのですが。移転した工場のですね、借り上げて、そこに机を入れて広い所に教室を作るとかですね。会社の寮だた所を改修してすぐ宿舎として使うとかですね 「色んなことが県教委も出来たのかなー」と思うんですが。そういう手立てはとりませんでした。福島なら飯坂温泉。いわき市ならば湯本温泉とか。温泉のあまりいい状態ではない旅館とかですね。南相馬市原町当たりだと小さな旅館なんかを指定して、そこを宿舎にして。子ども達を入れました。 最初に申し上げた体育館の間仕切り。特に双葉群の高校が上に(北)上がりまして、相馬高校と相馬東高校、昔の相馬女子校の東高校という学校の体育館なんかに入って、そこを間仕切りして授業を受ける。それが新聞が報道して大きな体育館に壁が立ってですね。上から撮ってますので、各教室であっち向いたりこっち向いたりしてる教室の状況が写真で見たことがありますが。そういう状況で大きな声をだせば当然聞こえるという状況で。 ですから声がかき消されますので、それぞれがでかい声を張り上げて。なおさら大きくなっていくと。たぶん「子供らが集中出来ないような状況だったのかなー」と思うんですが。 40:53こういうときも、いろんな所に行ってお話をすると、「グランドなんで半分こして使えないんですか」とか。「なんで校舎空き教室あるでしょうに。上手く調整してその学校の子ども達と半分こして使えないんですか」と言っても、エゴじゃないんでしょうけども。勝手に使われたとかですね。 こっちが優先だとか色々あるもんですから、学校の中でサテライト校と半分こ半分この訳にはいかないと。借りる方はきがねしながら貸す方も何か嫌々ではないですけれども。空いていれば貸しますが、こっちが使う時は御遠慮願いたいみたいなかたちになって、上手くいかないようなんですね。 相馬の方の学校でも校舎の方には入れない。体育館だけでしてください。いうかたちで、こっち側は我々の学校なんで入って来ないでくださいみたいな形の仕切りがあったり。だからサテライトというのも本当に間借りの教室。酷い状況があったと。思います。 実はそういうのは「サテライトだけなのか?」というふうに思いだと思うのですが、組合の中でやってみますと、実は福島県の障害児学校というの酷いんですね。今特に知的障害の大規模校。先生が100何十人居ます。100何十人の教員が連携するなんてほとんど無理ですね。小学部、中学部、高等部という学部で。3つの学校が一つの屋根の中に在る。そういう中でも、要するに小学校・中学校・高校の先生が同じ敷地に在るようなもんで。それぞれ、学校全体としてはまとまっているんでしょうけども。 職員会議でもはじっことはじっこでは顔も見えないような、おっきな所でたぶんやると思うのですが。だからおそらく1年中、一緒の屋根の下にいてもお話も出来ないような先生も沢山居るんじゃないかなーと思うんです。 実は教室が足りないもんですから、ちっちゃな教室にカーテンで間仕切りをしたりして。いわきの方の養護学校なんかでは、印刷室で流動食の調理をしてました。本当はそんなことやっちゃいけないと思うんですが。先生方がプリントなんかを印刷する、印刷室。印刷器がある部屋の机を片付けて、もちろん消毒するんだと思うですけれども。そこで子どもの障害に合わせた流動食なんかを作る。そういう調理をする場にもなっている。観たことあります。本当に人権侵害もいいところで「障害児学校早く作ってくれ」と要望はしているんですけれども、なかなか進まない。 だからサテライトだけではなくって、実は障害児学校の特別支援学校とのありますが、そういう学校の状況なんてのは ましかなーと サテライトは一番問題なのは入学した学校を卒業できますよと募集したんですが。1年経ったら状況が変わりました。サテライトを集約して移してしまいました。その時に約束通りそれを守ろうとすれば子どもが付いていかなければなりません。親や兄弟が場所を決めて、ようやく落ち着き始めたその状況でサテライトに通っていた。その子ども達は学校が移ってしまうので、親元を離れざるを得ないという状況になるわけですね。どうしてもその学校に通い続けたいという子どもは、その学校の指定した寄宿舎に寮に入ります。 その寮も、そこに書いてありますが、原町市の旅館では、男性の労働者ですね、建設とか除染なんかのだと思うんですが。他県から来られた男性の労働者の方が仕事終わってですね、お風呂入ってあとはお酒飲むだけ、みたいな。そういう方が寝泊まりされれている旅館の違う階に女高生いると。そういう状況もありました。新しい年度になるとそういうのは無くなると思うんですが。数も減っているようで、集約、また宿舎ですね。集約したりしているようです。 「先生たちには舎監業務は絶対させない」と言っていたんですけども。舎監を雇われた方は途中で辞められたりして。今原町にある小高商業なんかでは小高商業の先生が緊急避難的に泊まらざるを得ない状況がったようです。 45:35 その04へ |
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