森純平さんと語る PARADISE AIR訪問記   その03 作成:佐藤敏宏
2022年8月27日午前9〜12時
森純平さん
花田達朗さん
中村睦美さん


パラダイスエアー事務室兼制作室にて


03
佐藤:ボーナストラックとパラダイスエアーはベースで繋がっていた。八戸市美術館も含めると動きが分ってきたような気分です。
中村:下北沢のボーナストラックもそうですけれど、元の土台、松戸の自治会の話し。下北だったら演劇とかレコード屋さんもそうです。文化の蓄積があるというのは凄い恵まれているなと。東大の柏の葉、町全体が、つくばエクスプレスの駅。

佐藤:あれは、新しいし町だ。
中村:本当に何も無かった所に新しく町を造った感じで、そういう所が多いと思うんです。タワーマンションとかも駅前にあって。そういう人たちにとっては「タワーマンションがあるから私たちはここに住んでいるんです」というスタンスの人が多い。今はリモートワークも増えているからいいですが。柏の葉キャンパスに転居して、何とか住みやすい路上に出て過ごしやすい町をどう作るか、考えている。

佐藤:かなり前から町づくりやっていた記憶、蘇ってきました。横浜市から東大の先生へ転身した故・北澤猛先生が長年とりくんでいました。福島県内の街づくりも指導してました。常盤平団地があるのは松戸ですよね。
:そうです。
佐藤:常盤平団地は孤独死を全国に発信した「ひとり団地の一室で」というNHKスペシャルで、知られた。近世期では水戸街道の宿場町で「一宿一芸」もあるけれど巨大団地の常盤団地は戦後のサラリーマンにとっては夢の場所だった。60年ぐらい経ったら孤独死を抱える団地になり、見守り隊などをつくりだした町にもなってた。巨大な団地とラブホも対応し成立していたのでしょうか。機能を一つ与え対応した建築を造ると、予想外の問題が起きるかのようで興味深い事例ですね。その中にあってパラダイスエアーは既存の機能をかえ換骨奪胎してエネルギーを集めて変容していくのが面白い。

花田:それはね、美術館の建物につても言えるんじゃないかと思う。美術館の建物を観た時に、ファンクションとして「美術品を展示する場所です」ということから、ある意味で発注側も受注側も、何ていうのかな、空間の設営の仕方として目的と使用法が一対一のリニアな関係で最初から出来上がっちゃう。結局どこでも似たような物(入れもの)になってしまう。それもある意味で機能主義でしょう。美術館は物を展示する場所というので、スタートするから、どこもああいう箱型で、壁がたくさん入っていて、その発想はおそらく今日では突き崩されているから、佐藤さんが八戸市美術館と森さんを絶賛しているだと思うだけど。

佐藤:その通りですね、八戸市美術館は美術館のイメージを崩してしまっていた。
花田:ここ、パラダイスエアーもそうだと思う。機能というものを使う人たちの側が換骨奪胎して、箱ものは同じなんだけれども、そこが物の不思議さで、物が変わって見えちゃう。変わったものになる。
佐藤:俺は八戸市美術館と森さんを大絶賛して推してもいます。花田先生に笑われてしまいましたけれど、違って見えてしまう、建築の存在する意味を変えてくれた人が現れたように見えちゃう。本当にいままでと違っているのか?と。先に行って検討する必要はあるんです。

花田:そうそう、だから錯覚かも知れないね。(笑)






八戸市美術館あれこれ

佐藤:八戸市美術館はホール、ジャイアントルームの断面が凸型になっています。凸型が市民のやる気と設計者の挑戦を表象しているように私には見えたんです。仕上げも大理石など貼ってピカピカにしない、外観も同様です。形も偉そうな美術館の表象を背負わせてないんです。洗いざらしの木綿のシャツのような表情している。近所のオジサンと叔母さんが二人で尋ねてきて、そこで弁当を食べてもいいことになっていた。

中村:いいですね。

佐藤:美術館のホールで弁当食べているのを見ました、驚くと同時に美術品を市民の身近な生活に引き寄せた姿の喜びがありましたよ。従来の美術館の入口ホールの役割と質が違っていた。そういう行為が出来ること自体、感銘を受け、びっくりしたんです。
森さんに電話連絡して集合したんじゃないけど、偶然、森さんが目の前に現れてしまって。設計者だとは思わなかったけど「若い人が居るから話ししよう」と思って声かけたら設計者だった。
中村:誰か分からなかった(笑)

佐藤:誰だ設計したのか知らずに体験しに行きました。ですから、設計誰?が請け負ったか?どういう経緯で出来たかも全く知らず、単に建物を観に行ったんです。長年建築に関わっているからだと思うけど、ぱっと見で好い建築と分る。(俺のその日の長い、俺だけ話している訪問記をweb公開)町のおばさんたちがルンルン楽しそうに美術館に行くのを見ちゃった。美術館のプロムナードで町のおばさんが連れ添って芝居でも観に行くかのように、楽しげなんです。そういう人の姿を美術館で見たことない。既存の美術館入口では拝顔というか何となくお葬式に似た物静かな行列ばかり見てきたし、楽しく話し合ったりしていると「迷惑になるから、会話するな」と監視員に注意されてきたし。

(公共圏と建築)

花田:私は八戸市美術館をまだ観てないんだけど、仙台メディアテークも・・。
佐藤:仙台メディアテークは花田先生が語っている「公共圏」が参照された。

花田:物理的空間を通りへと回収していく、溶解させていくというのかな。そういう試み。機能主義的に定義された空間を人間の使い方によって解体していく。だから最初から美術館造りますと機能的に定義されて、建築家が展示スペースを組み込んだ建物を造るとたいてい、いつもあるつまらない建物になる。八戸市美術館はそこが違う。

佐藤:メディアテークと八戸市美術館のホールの決定的な違いは2つあって、メディアテークは壁と同質のスライデングドアで仕切る、八戸はペラペラの布のカーテンで仕切り、そして上から見下ろせる。天井桟敷席のような通路の有無が違う。八戸市美術館には天井桟敷席のような通路が設えてあった。
メディアテークの要綱の時にはそういう議論はあまりしなかったんですか?

八戸市美術館・ジャイアントルーム

花田:あれは二人が作った、
佐藤:募集要項を阿部仁史さんと小野田泰明さんが仕込んだんだと思います。
花田:小野田さんは建築計画が専門だ。小野田さんたちが公共圏の論文を読んで、何か使ったね。
佐藤:「公共圏」について深く理解してたかな・・・。

花田:東北大にいた阿部さんと小野田さんの二人ので、TOTOギャラリーで展示をして、その案内状をもらって、出かけて行った。その展示で公共圏概念が建築家によって使われていた。仙台メディアテークはあれよりも前か?後かな?
佐藤:計画前から関わっていなければ、竣工した時にイベントがあって、俺と偶然会って、呑んだりしませんから、思い出深い秋刀魚の塩焼き食べてないですよ。だから前でしょうね。仙台駅前のメディアテーク、オープンイベントの時には小野田先生は居なくって、五十嵐太郎さんと阿部仁史さんと花田先生と俺とで呑んだ。会場の柱の陰で面白いこと言う人が花田先生だった。で、俺が「我が家に来てレクチャーしてください」(記録へ)とお願いした。あの出会いから20年以上経って、まだワイワイしてます(笑)。

花田:あの時はメディアテークが完成した後にね、小野田さんに案内してもらって、内部を見せてもらったんです。で、夜、佐藤さんに会った(笑)


2002年3月3日佐藤自邸
花田達朗先生と「建築あそび」の様子
記録へ


断面図 八戸市美術館資料より
■:ジャイアントルーム

佐藤:
雑誌に載ってますね、ジャイアントルームの大きな写真。ホール自体に仕切りが無い。
森:ジャイアント食堂の写真です。
佐藤:6月25日、ここに4000人も集まってしまった(笑)すごい!美術館のホールに4000人だよ。

花田:大きなテントみたいなものだね。
森:そうですね。
佐藤:道路に屋根を架けたような、または境内に似ている。本尊は広場の奥に設えてもある。屋根が架かって、窓が大きくないから屋外というより花田先生が言われたテントに包まれた感じもでています。
花田:屋根のある広場みたいなんだね。
佐藤:フランスのパッサージュでしょうか?
花田:パッサージュね。パリなんかにある建物とストリートの中間物、というか兼用物。
佐藤:入口があって受付があるから、パッサージュとはそこが違う。呑んで食ってカラオケまでしているという、お祭り。
花田:お祭り広場だね。上にある中二階みたいなのは面白いですね。
佐藤:私は二階の通路は天井桟敷通路と命名しました(笑)

花田:天井桟敷みたいな「上から眺められます」という仕掛けはいい。あれが設えてあることによって下に居る人たちは上からの視線を意識しますよね。自分たちは誰か人に見られているかもしれないと。その意味はみんなのアクションに影響する。人は誰かに見られていると、そのことが行為に影響する。天井桟敷通路があるだけで実際にそこに人が居なくても、下に居る人は見られていることを意識するわけ。それが面白いと思うんです。自分たちが何しているか、もちろん一望監視のあのパナプティコン・刑務所のシステムもそうだけど、人は他者の視線を感じながらアクションをする。そういう仕掛けに天井桟敷通路はなっていますね。単に通路を付けるだけで人は意識せざるを得ない。誰かがあそこから見ているだろうと。それがアクションに反映する。

佐藤:2階に通路が設えてあることで他者・視線の内在化が効く。ホールというより全員が演者になるから劇場の舞台のようにはジャイアントルームはなっているね。八戸市市民総芸能民になる可能性があって、本当にうまい。新・パンとサーカスの時代は市民がみな役者だと。





ジャイアント食堂報告会 パラダイスエアーHPへ 下の絵とも

八戸市美術館によるジャイアント食堂の案内へ

花田
:高い天井ですね。
:17.6m
佐藤:チラ見だと15mぐらいと思いましたがもっと高かった。高さは機能的には役にはたってないと思いますが、やる気を表象し市民に新しい光を導く窓。高さがなければ、市民と共に気張るあの雰囲気は出ないでしょう。天井がどこにあるのか意識できないほどに高いのがいい。

:パラダイスエアーも「5階までの距離はあることがけっこう好いことだ」と思っています。外を眺めるじゃないですか。その距離のバランスが難しいと思うんです。
佐藤:5階まで上ってくる経路が演劇的、修験者の修行経路に似てくる(笑)
:ここは距離が遠いから八戸の場合はめちゃくちゃ近くしたんです、でも遠さの魅力もある問題が二階につながっている。

花田:安藤忠雄さんの表参道ヒルズ、ゆるやかな回廊になっているでしょう。あれも人に見られる視線をあの中にいる人たちに感じさせる効果があると思うんですよね。あれは機能としてショッピングタウンではあるけれど、見られる視線を感じさせる。そういう舞台のような仕掛けになっていると思う。人は見られると、舞い上がるわけですよね(笑)。見られている方が活性化するんですよ。見られているという意識があることで自分の気持ちを活性化するというのはあるので、そういう仕掛けを組み込んでおくと、そこに何かが発生する。

佐藤:八戸市美術館に天井桟敷ふうの通路がなかったらジャイアントルームの魅力が半減したとも思いました。宮本常一さんの教えのように見知らぬ地に入ったら高い場所に立って眺めよ。八戸市美術館でも最初に登って見下ろします。
森さんはさほど推さない人なのです。俺がここに新しい未来が顔を出したと勘違いできる、錯覚なのかもしれないけれど。もうちょっと言うと、このジャイアントルームは新しく見えるんです。花田先生は公共圏は遊びとお祭りでもあるんだとも語られているので、そういうものが建築に内包された姿に見える。
ジャイアントルームに昔のような櫓を立てて盆踊りを舞う。山車を持ってきて祭りをする空間とも違うわけです。ここには何か自分たちで行動を起こさない限り、見る見られる関係がなりたたない。だから新しく見える。
権威主義的な、伝統的な山車、活動発生装置を持って来ることができない。そこもが面白い。山車は出し入れできない仕掛けがある。人が飯を喰っているそれを見ているだけでも演劇だったはずだと思ったりします、私は。一人一人、喰い方違うし、集団で食べるのを見てても面白い。食べる、語り合う、それ自体を身体表現として見れば大変面白い都市内の演劇だと思います。

花田:あれ?!床にはレールが敷いてある。だけど机には車輪がついているよね。あのレールを使って何ができるの?
:空調なんですけれど、電源もそこにあるんです。可動の大きい棚があってそれもレールを使っている。
花田:レールが面白いですね。

佐藤:「八戸美術館物語を一冊の本にして、刊行すべし!」と伝えているんですが、反応してもらえないんです(笑)森さんには博士論文で書いてとも言ってる。
:本にするのは難しいですけどね。
花田:これを文字で表現するのはね。
:めちゃ難しくって、一枚で切り取ったら分らない。
花田:建築物というのは本にするのは大変だね。

佐藤:体験することで分る。
花田:そう、空間は体感しないと分らない。
佐藤:八戸市美術館でいろいろお聞きしたら、八戸市の設計要綱が優れているんだと語ってもらえました。

:この道具箱が動く。
花田:図書館の動く書棚だね。
:そうです。あの仕組みを使っているんです。ジャイアント食堂の時には片方に置いたんです。大き過ぎるときは小さく刻んでます。


佐藤:八戸市内には美術館が出来る前の前段施設があると教えていただいたので、ブックセンターに行ってみました。さらに大きな何でもありの出来る施設が在るんだそうです!八戸市は試行錯誤し、八戸市美術館のジャイアントルームに到達しているということでした。市役所がどんな意思、ベクトルを持っているのか既存施設を体験してないので分らないです。
森さんは奥ゆかしく「前段があったから出来たんです」と語っているんですが、本当にそうなのかな。建築家の力なんじゃないか?と。そういう事を言わない人だから。言い張ったら従来の建築家になってしまう。
私が八戸市美術館は大絶賛して推しまくっているんです(笑)見間違っていないと思いますが、本人は言いにくいですから。

花田:なるほど。いつもは2とか書いてあるものは格納されているわけですね。
:そうです、倉庫に行かなくって開けると延長コードとかが出て来る。扉はホワイトボードになる。

八戸ブックセンター内観

佐藤:建築的仕掛けから外れる話ですけれど、ジャイアントルームでジャイアント食堂を開催する事前に、森さんは市から依頼されているわけでもないのに支援に出かけている。で偶然そこで出会いました。参加者に使い方を教えたり、ジャイアントルームの楽しみ方を支援している。それがすげーなと。自分が設計した建築物が完成してから無償で支援している建築家がいるんだって話は聞いたことないです。

中村:青森に行きたいですよ。
森:行ってください。
佐藤:八戸市美術館に行くことがあったら、受付の人などに森さんのことを褒めて、関係者が元気になるように伝えてほしい。この勢いだと森さん放置してても建築をジャンジャンつくってしまいそうだけど。

 雑誌をながめている

天井桟敷型通路は3方向にしか設えてないです
 わいわいがやがや
花田:ここにモビリティーを組み込んでいるんだね。屋根が付いていて天井桟敷状の通路もついていて、内部は自由自在に編成替えが可能。フリキシブルだね。
佐藤:機能を定めてない良さ。見て分からないのは、お弁当食べていけない場所と食べていい場所」区切られてるそうですが、見ては分らない。
:ギャラリーに近い所は飲み食いは禁止です。
佐藤:従来の美術館の展示室はもちろんジャイアントルームの奥に設えてあるんです。このような用途を自在に変えられる美術館の玄関ホールは八戸市美術館以外に無いですよね。
森:そうですね。

1階平面 美術館配布による資料より

佐藤:ジャイアントルームの活かし方が八戸市の町や人々の活動にどのような影響を与えるのか、観察し続けないと分らない。使いこなせないのか?使いこなし、活動の波紋がどんどん町に広がるようにつながっていくのか。20〜30年観てないと八戸市美術館の効果については言えないと思います。美術館で平面図などの主な資料はいただいたので、この記録に貼っておきます。

森:配っていると思うし、雑誌も売っていると思います。
佐藤:この建築は学会賞もう受賞したんですか?あ、あれは学会員じゃないと応募できないのか?学会賞は新しい活動が起こることには評価しないかな。
花田:この外壁はなんですか。
森:アスロックという薄いセメント版ですね。本当はタイル張りにしたかったんです。
佐藤:予算が無かったという表情がまたいいんですよ。内装もお金がないからNPカーペット貼ってます。ジャイアントルームの床はコンクリート金鏝押さえ防塵塗料をぬってるだけ、倉庫のような仕上仕様です。いい味だしているんですよ。
花田:仮設住宅みたい。仮に作っていますという雰囲気ですよね。
佐藤:一瞬見た時に偽装しているのか?と疑いましたが、内外を歩き回って表面材にお金を回せない。そのことは分りました。予算は決まっているからその設計者は範囲で設計図を納品しないといけない。

建築の傲慢さと不快さ

花田:これ、なんか倉庫の建物にも見える。
森:そうですね。
中村:いわゆる美術館の荘厳な感じ無い。

花田:まったく権威主義的じゃない。いいね。倉庫的主義に外観は見えるかもしれない。
中も工場みたに見えます
佐藤:創り出される製品は人間の活気!
花田:ね。だから使う人、人間の行為に委ねている空間なんですよね。このスペースを人間側が自由に使ってみてくださいと。行為の発生装置、孵卵装置みたいなものを用意しましたから、これを使って何かをやってくださいと。だから何て言ったらいいのかな、傲慢さが無いよね。建築を見てて嫌なのはね、建築家の傲慢さが見受けられる建築は凄い不愉快なのよね。
佐藤:東京芸大を出た建築家もいろいろ。傲慢な人もいるけど諸先輩からだいぶ時代が下ると森さんのような傲慢さを表さない人が現れた!おやじ達から15歳ぐらい?年下。15年で柔軟さを見せだしている、変化してきているのかも?

花田:私から見ると、建築の傲慢さ、不快さというのは建築家が空間の使い方を定義するということから来る。こういうふうに使いなさいと建築家が指定してくる。そうすると、その空間の中に入った人間はその通りに空間を使わない。それを強制されているんですよね。だから建築家が王様なんだね。
八戸市美術館のジャイアントルームにはそれが無いように感じる。つまり使い方を使う側に委ねている。

佐藤:ここまで仕込んでも建築家は王様なんですよ。そういうふうに設えてあげないと人間の活動を発生する場であることに気付かない。ジャイアントルームの目的のなさを敢えて提示している。
花田:八戸市美術館の建築家の王様は背後に引いている。
佐藤:そこが狡猾なのか新しいのか判断が難しい(笑)
花田:狡猾なのかもしれない。背後に引いているけれど、主役になっている(笑)そこが上手なの。
佐藤:そうですよ、だから凄い好いと思うんですよ。
花田:空間を使う人に差し出している。みなさんどうぞ、これを自分は何に使ってくださいと定義しないから、どうぞ自由に使ってくださいと。それで自分は後ろに引いて見ている。どんなふうに使うかな?と。

中村:もちろん、カーテンや収納箱を移動することによって、
花田:仕掛けはいろいろ仕込んであって、ゼロじゃ勿論ない。建築の職能がなり役だたなくなる。空間の仕掛けがしてあるんだけど、その空間に来たユーザーに使い方を委ねる。
多くの建築にみられるのは、建築家が建物の使い方をユーザーに強制している。それ、私がずっと思っている建築に対する不快感。
自分がスペースに入った時の感じ方までその空間を作った人に強制されていると感じるわけです。それが凄い不愉快。居たたまれなく不愉快。なんでそんなに強制されなければいけないのか。八戸市美術館はそれが少ないと思った。

佐藤:ユーザーが使い方や機能を発明していき名称も変えていくと思うのです。ジャイアントルームは公共圏そのものと思いませんのか?
花田そうです、だから公共圏の発生器
佐藤:このような公共圏的場をたくさんつくるれるか?
花田パブリックなる意識とか、パブリックなるアクティビティの発生器。それを造るのが建築家の仕事だと思うんです。造った建築家が使い方を最初から定義する、使う人たちにそれを命令するのは多くある。それが私には不快なんだ。その空間に居ることが不快。そういう空間はたくさんある。作った人間が差配している建築、非常に不快。

佐藤:雑誌も同じですよ。このように建築を見なさい、不愉快じゃないですか?
花田:そういう意味では建築家と編集者は似ているところがあります。その雑誌の読み方を編集者が読者に強いているわけです。こういうラインナップで並べて、どんな気持ちになるかまで計算して順番まで考えている。だけどその時に編集者は黒子、前面に出ない。前面に出たがる編集者も居るけど。建築家が前面に出ない、後背にいて、しかし実際上この空間で何が生まれるのかを設計している。


ボクセル・ハウス

花田:昔私が住んでいた家は、この雑誌に載った。
佐藤:説明しなかったんだけど、藤村龍至さんとベラ・ジュンさんの雑誌デビューがボクセルハウスで、花田先生が発注者です。
森:そうなんですか!
佐藤:花田先生に相談受け、若い人と一緒に造ろうかとしたら、彼らが勝手にすすめた(笑)
花田:神奈川大学大学院生だったベラ・ジュン、今は漢那潤、あの二人を紹介された。中古マンションの内装を全部設計してもらったことがある。一度、それを移設もした。最初は代々木の中古マンションを賃貸で借りてその中の内装をしてもらった。

佐藤:縦割は均等で、棚の奥行きが変化する内装。
花田:ボクセルハウスです。それを二人に造ってもらって。その後、早稲田界隈に中古マンションを買って、そのボクセルハウスを移築した。移築の時はほとんど漢那潤さんが造ったんですけどね。その時にこの雑誌に載った。

佐藤:俺も早稲田に花田先生のHPつくり始めたとき一泊させていただきました。住み方がいいので快適でしたね。雑誌に載せるときに面白かった、ボクセルハウスの内容はwebに載せてしまっているので、雑誌はその媒体に最初に載せないと掲載できない、という暗黙のルールがある。webアップするけど大丈夫か確認した。2000年初頭からネットに押されつづけ雑誌の威圧や威厳が崩れ始めた時期だった。ネットに先発表・公開しても問題にならなくなった。俺が建築を作っていた1980〜2000年頃は雑誌同時掲載が常識だった。

森:今もある雑誌はそうです。



2004年3月27日 建築あそび
ボクセルハウスについて講演録




設計募集要項を作った人たち

佐藤:そうですか?(笑)ジャイアントルームは傑作ですね。多くの人は傑作だと思えないところもいい。
花田私が建築を見るのは、行為と活動の発生装置としてしか見ない。空間とそこに入ってどういう気持ちや意識になるのか。その空間の中でどういうアクションが起きるか。起こせるか。そこのところでしか私は見ていない。

佐藤:その視線は現在の建築の原点の一つだと思います。
花田:建築家の人たちは分っているのか?と疑っているんです(笑)建築家って物理的な三次元のスペースをデザインして、それをこういうふうに使いなさいと。そういうふうにして世の中に売り出す。私の中にある建築家の態度のイメージなんです(笑)。だから、突き詰めると傲慢だと思うんですね。人々が自分たちの身体を使って活動したり考えたり、そういうものが発生するスペースを、造った人間が前もって定義する、というのは僭越だと思うんですよ。やり過ぎというか。傲慢というか。

中村:ジャイアントルーム、こういう場所につくるのはいいんじゃないかとは誰が?
森:それで言うと、前もって定義する人は、一寸前の話に戻るけど、市の人たちが居たから、これが提案できている気がしています。
佐藤設計募集要項を作成したひとたちが立派なんだよ。


建築の価値が現れる時

花田そこも重要ですよね。定義ゼロっていうのでは建築は造れないと思う。あらゆるものはファンクション、多かれ少なかれ連続しているので最初から定義ゼロでは建物造るのは不可能でしょう。だから行政側がそこからスタートするのは当然と言えば当然。それを具体化する建築家側の立ち位置が問題。行政側の主張を100%受け入れると、まったく行政側の定義通りのモノを下請けのようにして造るしかない。そこのせめぎ合いの中で、行政側が考えているものとは別の作り方というか考え方を投入して実現していく。このせめぎ合いが建築家の役目。その時にその建築家は発注サイドを見ていないでユーザーサイドを見ていないといけない。

佐藤:難しいですね。行政サイドからは「建築家」とは呼ばれていないです。設計図を納品する業者です
花田:発注側の手下だね。
佐藤:先ほども話しましたので繰り返しです。日本の歴史の上で設計者は坊主だったり職人や大工系です。歴史的にそうなんで河原者の末裔とも言える。建築家は図面を納品するのではなく建築そのものを思考する側なんだという矜持をもっているけど・・。近世期までそういう扱いです。作事師、大工や庭師は百姓以下だった。近代化から150年経っているけど、まだ行政は設計図の納品業者、そういう扱い。ある時から有名建築家に成りたがる人がいて。東大にコンドルさんなどを呼んできて建築家という意識を植え付け普及したんだけど、今も一般市民にとっては設計業者にしか見えない。
主権者の多くの人は認知していない。道を歩いている人に建築家について聞いても口あんぐりでしょう。俺が建築設計をし始めた50年前に建築家などと言ってる人は周りにいなかった。ゼネコンで一級建築士でも、発注社からは「お前は三流建築士」なんて揶揄され愛される。そういう関係。長いあいだ虐げられている劣等感が裏返って、自身を過大に評価したがる傾向にある気がします。で、花田先生が不快に感じるぐらいに建築家自身が雑誌の支えもあって酷く、やったふりしていた。そういう被害妄想の反動で、やったふりしたい、し過ぎて使用者に強制する時間が長かったんです。
本来は建築には「この建築家が造った」そういう有名性はついてないので、古建築を見ても誰が設計して1400年間も残ってきたか?その名前をたどることが出来にくい。できるのは棟札を見て初めて古建築を造った大工さんと、その仲間の名前も分る程度。
本来は建築家が匿名なんです、黒子でいいんだけど。この100年間ほどの雑誌による広報的教育のせいだと思います。名を出したがる傾向があった。今の若い人にそういう意識は見られなくなってきてます。
主体強調の世にあって「俺も建築家にならなきゃいけない」という劣等感と雑誌社が建築家が存在するんだという演出をし続けたことで、建築家に成りたい人と雑誌社の利害が一致して幻想がつくられた。建築家がつくる建築は立派と幻想を振りまいて教育してきた。素人が造る建築よりは優れてはいるが・・・・本当にそうか?問う場は少ない。
で、花田先生が不快に思う建築が身の回りに生まれ続ける。建築も公共圏的な人間の活動を産む発生装置なんだと考え設計している人は少ない

1983年7月10日発行


2004年6月1日発行

花田:特に、スター建築家が悪いと思っていて。権威主義がはびこっているよね。
佐藤:従来の建築家はパターナルで権威主義者だった。森さんによると、そういうブラックな建築家大先生の設計事務所のお手伝いしなくなった・・・そうだから改善されてきているんだと思います。

花田:凄く若い人達はいいことしていると思うんです。権威主義からいかに遠ざかるか。権威主義側に行くことは戦略的には案外簡単なこと。だけど、むしろそこからいかに遠ざかるかの方がずっとエネルギーが要る。空間の発注者の顔を見るのではなくって、空間のユーザーの顔を見る建築家、空間のオーガナイザーというか、プロデューサーというか、そういう人が本当は必要ですよね。

佐藤:八戸市美術館はそういう森さんと仲間たちに設計を発注した。新しいことが起きていると思います。それは森さん自身もさっきも言ってましたけど要綱をつくる市役所の人々に応じて提案したんだと。要綱を読み込んで、ジャイアントルームを提示するのが建築家の力でもある。そこを森さんは声高には決して言わない。俺には言わない、他所では言っているいかもしれないけど。俺は森さんのその姿勢も含めて花田先生に推しまくっているわけです。
ということは市民サイドより行政サイドの人たち、あるいは議会に納得させる人が存在してたことで建築家の位置づけが変わる可能性があるということを示しているとも思います。
または八戸市では市民活動・運動が起っていて、俺たちが使い易い建築を造れと要求しているのか?そうして八戸市にそのような内容を含んだ設計要綱を作らせたのか?市民の意識が高まっていたのか。それは調べていないので分っていません。たぶん俺は死んでしまうので、若い中村さんに今後追って追求し報告し続けてもらいたいだけど。

建築の価値と設計者

花田:そうだね、建築の価値って出来た時には決まらない・・・と思う。完成して竣工した時にはね。雑誌は竣工した時に載せるでしょう。そうじゃなくって、建築というのは出来た後、10年、20年、30年と使われて、人々がどういう使い方を発展させていくことが出来たか?そのポテンシャルの大きさで問われる。
だから建築の価値というのは使われて何十年か経たないと評価できない。その時に評価されるべきなのは、設計者がどれだけのポテンシャル、使われた時のポテンシャル、使う時の可能性、潜在的な可能性をどれだけその建築の中に組み込んでいたか?ということ。その結果は出来たときには分らない。

佐藤:雑誌が新だけの建築を扱うことになることが多い。建築は長い時間をかけてレポートは要る。観察し続けて報告しなければ分らない領域なんだけど、新しい建築だけ扱うことで思考停止を強い続けているんですね。
花田:そうすると、どうなってしまうかと言うと、建築家セントリズムになってしまう。建築家中心主義だね。そして施主が居る。

佐藤:所有者がいますので、へたなこと書いたりすると訴訟になる、発注者は背後に押しやれ、使い続ける人に投光されることは少ない、あるいはほとんど無い。

花田:建築はユーザー本意であるべきだと思う。ユーザーが使っていくなかで、建物を組み替えていく可能性があるんですよね。
だから八戸市美術館のジャイアントルームでの出来事の方が面白い。建築の出発点よりも、この元ラブホテルの様に、ある機能のために過去に造られたスペースがどう換骨奪胎されながら別のコミュニケーション空間に転換されていくか?という事の方がよほど面白いことだ。スペースというのはf(x) で言えば、アクションも関数であるべきだから、アクションが無いのに建築の評価なんかできないと思うんですよ。空間に人間の垢が着くぐらいでやっと初めて、その空間の設計者の価値が問われる、時間が掛かるよ


佐藤:現在の建築家の一部は時間が経っても、用途が変わっても、生き続ける建築を造っている。そいうのを造るのがいいんだけど、そろばん勘定で出来たり消えたりする建築も同時にある。
花田先生がロンドンで体験された博物館で懇親会を体験したような使い方でいいんだけど、新しい建築だけで評価して掲載してしまっている機会が多いから、意味を変えた使い方に投光される機会は少ない。新しい建築にしか目が向きにくい力を身に付けてしまう。建築メディアの問題が大きく影響し建築の可能性を狭くしてしまっていていたようです。

花田:ポテンシャルの大きな空間を造るのが建築家の仕事だと思う。ポテンシャルゼロの空間を一杯造られても、それはファンクション100%にすぎない。
佐藤:生産ラインを仕込んで車を造る工場になってしまう。車が要らなくなると同時に解体消滅。

花田:その後の使い方でユーザーの自由度が無いわけです。100%定義づけられた空間。ユーザー側の想像力が実現できるような、そのポテンシャルを組み込んだ建物を造るべき。
ジャイアントルームはそうなっている。使い方をユーザーに任せる。造った人はあまり出しゃばって表には出て来ない。だけど必要なものをキチッと組み込んでいる。ユーザー側が賢ければ組み込んである潜在力をドンドン引き出せる。組み込んでいなければ引き出せない

建築に投光し見続ける告発者は要る

佐藤:現在の公共施設なら行政と市民が潜在力を引き出すしかない。そこまで活発にならないのは、そこに投光して記事を書く記者も、載せる媒体も無いからでしょう。で、ほとんど知られることがない、その問題が常にある。市民も行政も知りようがない問題。
花田:確かに批評をする人は必要ですね。

佐藤:同じ建築を20、30,40年と見続けて報告し続けないと見えない。定期的に批評し続けないと。それは一人の記者だけでは出来ないんだよね。一人で100年見続けるなんて出来ない。建築のメディアとそこに投稿する記者が居続けられる人が居るのか、居ないんですよね。

花田:確かにいないね。

佐藤:建築記者が観察・継承しつづけないと成り立たない媒体となる。
花田:建築という職業が成り立つためにそういう人たちがやるべき仕事だよね。
佐藤:現在は多くの人がいたとしても、新しい建築を広報し紹介するのが建築の記者だと思い込んでいるようだ。けど、それでも建築ジャーナリトと言ってます。すこしそういうことし始めてる人も見かけたりするけど、まだ主流になっていない。
花田:10年、20年、30年とウォッチし続けて果たして、ユーザーがどうその建築を換骨奪胎したりしつつ、設計者とのネゴシエーションというのか、設計者とのせめぎ合いを展開して、どうそのスペースを開発していくのか?ということをウォッチする人が要る。

佐藤:問題は、設計に参加しない人間はとやかく言うな、言わせない、公共施設を発注する行政サイドには批評を封じる態度もあるんです。議会の突き上げに行政マンは遭いたくないので、建設に関わらない君たちは言う資格がないと言うでしょうね。
さらに設計者も物が完成した時から変わるんです。物から自分の可能性を発見する。建築から新しい機能が発生すると、自分の設計を再解釈して新しい場を提案するような人になるんですよ。だから長い目を持つ建築専門のジャーナリストは要るんです。でも不在、新しい建築についての広報、あるいは権威ある有名建築家の太鼓持ちがほとんどだった。

パラダイスエアーの説明を受けている
雑談

花田:
こないだ佐藤さんのZOOMで対談したでしょう、全然、今のような語り合いにならなかったね。
佐藤:成らないですよ、新しい建築と権威主義建築家の広報マン的存在だ。それは疑いもなく、そうして生きて来てまだそれが有効だと思っている。それで胸を張ってジャーナリストだと思い込んでいるんですよ。建築関係者に酒をジャブジャブ呑ませて記事を作ったりする。だから最初から癒着してて、広報であり癒着しあう仲間内が流す記事だと言えるでしょう。建築家を見下すように威張る編集者。それもありでしょうが(笑)

花田:建築ジャーナリストって必要。時間掛けてウォッチし続ける人。それは何をウォッチし続けるかと言うと、建築を設営した側と建築を使った側のせめぎ合いを、そして発注した側を含めた三者のせめぎ合いを竣工後5年、10年、30年とどういうふうに展開したのか、それをキチッとウォッチする人、それが本当の建築ジャーナリストだ。

佐藤:建築界にはアカデミストという人もいて、新建築にお墨付きを与える。博士号を持つ建築編集者は存在していない、そういう土壌から建築ジャーナリストは生まれて来ない。
花田:駄目だね。
佐藤:学問的には非公開で評価し学会賞を与えてしまう。他者は公共施設同様に批評しにくいし、建築は所有者のモノでから「俺の持ちものにとやかく言うな」と訴えられる可能性も高い。

中村:O邸はメディア映えするし、お洒落じゃないですか。建築メディアでは見る。

佐藤:初めて体験した時に忠告した。まま使い続けると問題が起きる。子供が成長するごとに対応し、家族の構成員を更新続けないといけない・・と具体的に伝えています。今は途中過程だけど。建築自体がそういうポテンシャルを持っているんだから、しょうがない。
家族と、お母さんと、設計者と、工事した工務店と、構造を設計した人、全てウォッチしてきた。まだ話を聞き続けています。

:凄い

佐藤:有名建築の長期観察も面白いですよ。小さいけど有名建築が生まれる人々の背景を知ると建築がさらに面白く不可解な事態にもみえます。O邸は俺の家に来て泊まれ、と呼ばれた時から関係者にコツコツ聞き続けて泊めてもらっています。面白いんですよ。建築家の建築を使いこなせる人も居るし、使いこなさない人もいる。格闘すると建築と共にポテンシャルを広げたりコントロールして共に育つかもしれない。

;八戸市美術館については建築雑誌に書きました。
花田:これは好いタイトルですね、空間を使うこと、使い手がどう使いこなすか、使い手に委ねられている。いいね。
その点でいくと佐藤さんが設計した「千万家」ね。あれを佐藤さんは本に書いた方がいいよ。千万家を造ったあとに、あの家族がどうあれを使いこなしていって、家族関係がどう変わったとか、そういうのを書く。

佐藤:3人家族は変わらず快適に暮らしています。今は高齢者になってきたので、老化したから、廊下を行き来するのが面倒になってきたと笑ってました。外壁が一部ないから外部からも内部からも自由に出入りできる。O邸は外壁が溶融してない、閉じてしまってる。で、問題を内包し続けるしかない建築の形式。路上だけだからいき詰まるので使う人が対応を柔軟にするしか手はない。千万家は外壁が溶け消滅している。だから野鳥も蛇も、昆虫も人も出入り自由です、で野鳥が冬になると住んでいるんです(笑)野生と共に生きていので心が病まない。

千万家 福島民友新聞社
2002年11月5日掲載
千万家 平面図

中村
:なるほど。建築のその後・・・。

佐藤:花田先生に言われたけど、自慢話になるので、そう見られるから・・・。
花田:中村さん、あなた書きなさいよ。
佐藤:O邸は現在進中だからまだ書いて仕舞うことができない。外に部屋を借り住む対応だ。傍に間借りし受験勉強部屋にする、子供も親離れ自立し易くなる。
中村:まあ、そうですね。
佐藤:提案も見せかけもいいけど、人はそういう空間には対応し暮すのは難しいようです。家族同士で相互監視、一望できても困るよ。
八戸市美術館のジャイアントルームは寝泊りして長期滞在者はいないから天井桟敷型の廊下の視線は成り立つ。ジャイアントルームに年中寝泊りしたとすると、災害時の避難所の暮らしの様になり家族とはいえ人権が侵されてしまう空間に転落するよ。
森さんの建築に浸っていると延々語ってしまうね(笑)
俺はウォッチする人じゃないけど、森さんを大注目して森さんの活動を追っかけしていくと未来の建築家と建築が見えてくる・・・でいいと思うんです。

花田:中村さん、ウォッチし続けてエラボにアップし続けては?

中村:是非、原稿を書いていただきたいなーと。
森:そんな暇はないので書いてください(笑)雑誌には3人で書いて、使うこと学ぶことつくること。

佐藤:よい話です。丁度3時間になりました。
 会場笑い。

そろそろ終わりにして帰りましょう。

森さんを激!推しして終る。そういとういいでしょう。俺はまだ2回しか会ってないです、図々しく尋ねて来て語っていて、いいのか?(笑)森さんのような人が日本にいるって知らなかったんです。

:次は取手のVIVAなど、八戸を見学の際は連絡いただけると・・・・。

藤:ではここでお仕舞にしましょう。

会場:ありがとうございました。


森純平さんと語る PARADISE AIR訪問記を最後まで読んでいただきありがとうございました。
 制作・文責:佐藤敏宏  01 02 03 HOMEに 戻る