PARADISE AIR訪問記  森純平さんと語る  その02 作成:佐藤敏宏
2022年8月27日午前9〜12時
森純平さん
花田達朗さん
中村睦美さん


パラダイスエアー事務室兼制作室にて


その02 

映像作品についての説明

森:これは2年ぐらい前のロングステイのドキュメント映像です。彼らは3人組で選ばれたんです。特殊な事例で彼らが滞在しパラダイスエアーをハッキングして、彼らがオリジナルのレジデンスをスタートしている。彼らが、さらに公募をし10人ぐらいプラスして呼んで(笑)滞在をするという仕組みです。
ですから作品などを作る活動ではなかったのです。メンバーの一人は映像作家なので、なるべくドキュメンテーションを一杯して、その風景を映画にして「最後に公開しようか!」そういうプロジェクトでした。

 ドキュメンタリー映像をみなで観ている

佐藤:この映像はネットで公開しているんでしょうか?
森:これは公開しています、ただフル版は公開していないです。
佐藤:パラダイスエアーの予備知識なしで、この動画を観ても分らないですね。
森:そうです。これは告知映像です。ロングステイでは毎回試行錯誤しています。1人呼ぶ?はずなのに3人来るし(笑)3人プラス13人になった。

 会場笑い

この時は2人で、夏にお祭りが一杯あるんです。「せっかくだから夏に呼んでみよう」と。それで実施しました。そのときは毎週のように呑み会が多すぎて!制作がまったくできなくって(笑)怒られるという。パーティー多すぎ問題が発生しました

 会場笑

作品は何も作らず。

佐藤:パーティーが多すぎて制作に発展していかない。外国の応募者と交流できているから、いいじゃんとも言えず(笑)

:この映像も曲もオリジナルです。
佐藤:アーティストは日本に来るまで、松戸でお祭りが行われているとは思っていない、でパーティーも楽しんでしまう。いいね。

ロングステイは自治会の人が審査に入っているし、アーティストが来たときに歓迎会をして、顔を見せ合っています。
佐藤:歓迎会を開くことで自治会の人たちに今年のアーティストの顔と姿や雰囲気を知ってもらう機会にしていると。

森:ただ年間は60組来ている。毎回、歓迎会をやると駄目なので。ロングステイは歓迎会をやっています。
佐藤:ショートステイの60組、来日するたびに歓迎会開くと、月平均5回の呑み会になりますね(笑)

花田年間60組、凄い数だね
佐藤:1月に5組のアーティストと仲間たちが来ちゃう!
森:3組のはずなのに映像作家の例のように13人になり仲間を連れて来るし。計算が合わないんですけれど、だいたい60組ぐらい来ています。ついつい空いた期間にアーティストを埋めてしまいます。

事件は起きないんですか?

佐藤:60組+αとしても、たいへんな人数で、多種多様な外国の人が来る。顔を覚えるの大変そうです。そうして10年ほど続けていて、事件が起きてしまったりしませんか?

森:今のところ特に起きていないです。
佐藤:生活習慣も暮らし方も、生きている社会も異なる地で育ったアーティストが大勢来ても事件が起きないのも、凄いことですね!それは凄い!アート概念とパラダイスエアーのパワーですね。
事件という視点で見ると、アーティストたちは良識があるし、人権意識と他者への尊敬を身に付けているとも言えそうですね。

森:お金、金銭を介していないというのがけっこう強い(犯罪防止効果だ)と思います。何かをやらなきゃいけない関係性になった時点で、たぶんお互い面倒くさくなったりすると思うんです。
佐藤:お金を介さず活動するという点が豊かな交流や対話を生み出す鍵になっている。
 1時間経ちました、休憩しなくっていいでしょうか?

ストレッチと呼ぶ活動

森:もうちょっとですから大丈夫です。ですからアーティストが活動した写真をみると分かるように公共空間を使っているんですけれど、もともと地元の人たちが「ああ、あそこね」とか「あそこ、アーティスト使ったらいいね」とか。新しく松戸にやって来た住民にとっては「あ!そんな場所が在るんだ」と「松戸にこんな場所があるんだ」とか。「公園で踊っていいんだ」それを説明している写真たちなので、「こういう事もしてもいいんだ」と。 

このあたりの絵は、コロナの時にやっていた様子です。モットーは楽しく、皆で頑張るとか、「同じことをし続けてもしょうがないな・・」というのはあります。で、毎回実験的にやっています
で、それらの活動をストレッチと呼んでいます。筋・トレというか全力疾走になりがちですけれど、そういうのではなくって、アーティストは無茶振り系が多いですけれど(笑)そう、無茶振り来たか!みたいな感じでストレッチする。毎回、毎回違うところをストレッチさせられるので、ストレッチやっていくうちに身体が滅茶苦茶軟らかくなる。

公園も最初は借りるときに、市役所に行くと「この書類だしてください」と言われた。徐々に僕らは使い方が分ってきたし、受ける側も分かってくるんです。この絵の時は8時間パフォーマンスを続けたんですが、「自由使用の範囲でいいですよ」と市役所が伝えてきたりして。「他の人も使っているので一緒じゃん」と市側が使い方を変えていく。何度かやっていくうちに(事件)は起こらないなと分るのでそうなりました。そんな感じでアーティストも公共空間を使うときに役立っているし,市の側も学んでいるし、いい関係になっています。

最後に、先ほど佐藤さんが言われた、大前提としてアーティストに「何かやれ」と言っていなって、アーティストは来たら勝手に制作しだす人たちなので。それによって全部仕組みを組んでいます。これがデザイナーとかだと変わる。「僕らだったら何かお題くれないですか」と言われる。アーティストはお題が無くっても始める人たちだからです。パラダイスエアーについては以上です

(語り合い編)

質疑と語り合い

佐藤:パラダイスエアーとその活動についての説明ありがとうございました。拍手。
ここからは時間の許す限り質疑と語り合いをすることにしましょう。中村さんせっかくですから感想を伝えてください。森さん、録音データの音を大きくしたいのでテーブルに近づいていただけますか。

最初に森さんにお会いしたのは6月23日の八戸市美術館のジャイアントルームでした。その時、パラダイスエアーの活動についても少しお聞きしました(記録へ)。そこでもったパラダイスエアーについての感想以上に充実し磨きが掛かっていました。現地訪問しないと感じられないことも多い。またパラダイスエアーで対話しているこの場所の空間構成が八戸市美術館の構造と同でして、空間のつくりかたも一貫しています。強い筋金入りの実践にもあらためて感銘をうけます。

花田先生いかがですか、ジャーナリストとアーティストに違いがあると思いますし、似ている点もあります。毎年600組の書類とビデオレターを審査して来日していただく。それだけのチェックで全く事件が起きない、そのことにアーテストの存在意義にも感動しますね。審査しているという事と金銭を介さない、作品の制作を指示しない。そういう点が肝なんのか?他になにかあるとも想いますがね。
アーティストは人間性は良質だとか人権感覚が豊な人たちであるとか、アーティストは良民だとは思ったことなかったんです(笑)。かなり変な人がやむにやまれず!創作行為に入ってしまう、そういうイメージを持っています。社会規範を守るような凡庸な人たちではない?と思ってもいます。
動画を見てる自治会員であり審査員の方々の直感を効かし審査している点が大きく犯罪抑止に役立っているのかもしれませんね。

森:そうですね、ショートスイの方は特にビデオレターで審査もしてないんです
佐藤:-ショートステイは顔を見ず!審査通過させても、事件が起きない?!
:チャットとすると年間60組だから滅茶苦茶大変なんです。ショートスティは勘で(笑)
佐藤:森さんの勘が利いている!アーティストは良識を持っている、そう言い切っていいのかな?
森:最初にプレゼンテーションをして、どういう成り立ちで制作してるのか、こういう事で制作しているからで。
佐藤:アーティストは観客と場所に制作物を提示する者ですから、町と自治会の好き関わり方、それを来日する以前から身に付けているんでしょうね。来日したアーティストは町・場所や観客との距離や雰囲気を図りながら制作している、関係性を暴走逸脱させずに制作している、好い人とも言えるのかな。それがアーティストの常識なんでしょうかね?
森:そうかもしれない。

佐藤:40年前に福島市内の温泉街で似たようなアート・イベント活動を町の人々や表現者と連携し開催したことがあります。素っ裸になる人が数人でたり、町の女の子をドライブに連れてだして大騒ぎしたり、温泉の酔っ払い客にステージも乗っ取られたり、最後に警察に乗り込まれて事件発生してしまったことがあります。
森:
佐藤:森さんの説明を聞いても、何も事件やもめごとが起きない。町の人たちと楽しく良好に交流していると。日本の人たちも40年間で他者を受け入れる度量が大きくなったんだろうな・・・と思ったりします。表現する者、町中に受け入れる人が共に成長し寛容性が広がったのかなと。その辺の感想がありましたら、お願いします。本当に関係者が全ていい人ばかりなのか?と疑ってしまいますね。
来日し松戸に滞在しているアーティストたちは審査を経ているから、一緒に来るパートナーの面々も高い専門性を身に付けていて、世界で起きていることを熟知している、そんな印象を持ちました。

森:パートナーはパートナーだから来ているだけです。誰が来るの?それは知らないですし、来てからそういう専門性を仕事にしている方なんだと分るのがほとんどですね。
佐藤:アート領域に生きることが良質な対話を生み出す、そのような関係を生み出してしまうのか?その辺りの謎が深く残りました。こんなに好い人しか世界にはいないのか?(笑)

森:今目の前で制作している彼も昔はよく捕まっていたけど、ある年を境に「警察にお世話になるのはやめよう」と言って、ちゃんと合法的な活動をしている。(笑)と言って何か危ないですけど。(笑)こないだそんな話をしていました。



1984年10月1日佐藤が刊行した『土湯温泉パフォーマンス&シンポジューム84全記録』

目の前で制作しているアーテストの家族と森さん

戦争と社会とアート

佐藤:今年の始めロシアとウクライナの間で20世紀的・帝国ふう戦争が始まって、思いましたけれど、戦争に抗うものは芸術表現行為しか無いと。人間の豊かな表現行為を理解する人は戦争をしないだとうと強く思うんです。言葉で理解し合おうとすると逆に憎しみ合いを増幅させてしまう。アートは憎しみを増幅させたりしない。争いの基点にもならないかもしれない。映像ももちろんそうですけれど、言葉がへばりついたアートと、アート作品自身の本質的な違いがそこにあるんだろうと思います。

中村:さっきデザイン事務所の方がデザインでは世界は救えないけど、アートだったら世界を変えられる。面白いなと思いまいした。
佐藤:同意します。
中村:デザインはお金を介してクライアントの要望に応える形で、もちろんデザイナーが側の提供する、デザイン的なノウハウはある。やはり対価として提出するというのが大前提だから。アートはゼロでないと思うけれど、お金を介さない。

佐藤:お金を介さないと社会のなかでは生きていけないので、言うまでもないが金は欲しいとは思う。お金を介すると失うものが多すぎる。そのことをアーティストの多くの方は知っているんだと思います。お金を得ることよりも自らの表現行為を優先して暮らしている人間がアーティストとも言える。金銭は要るのでどうやって乗り越え松戸に集ってくるのか?それは謎だし、森さんも金銭で感知しようとしない。森さんはその点はどう思っていますか?

:公募で見ていると、普通に2拠点とか3拠点のアーティストが滅茶苦茶います。年齢もバラツキがありますし、ラーニングの話を聞いていた時も凄い若い子なんですけれども、当然のように首都のコミッションで制作していて、来週はここでワークショップして、そういう事とか。「あの町で今度何かしなければ、いけない」そういうことを言っている人が多い。
アーティストと社会の関わり方自体を見るとめちゃ世界は多様だなーと思います。日本だけで見ていると芸術祭しかないなーと思います。

佐藤:日本の津々浦々で芸術祭多いね(笑)パラダイスエアーに来日するアーティストは世界の町々を旅する・漂白しつづける渡り職人のようでとても好ましいですね
日本に限ると芸能とか役者とか建築を造ってきた大工などもそうだけれど、河原者と呼ばれた末裔で、身分が低い扱いをうけていた時間が大変に長い。建築造りも公園も河川改修などの作事・造作も身分の低い彼らが造ってきた。日本の歴史的事実です。
今は、アートとは呼ばれアーティストが行政の祭りにかりだされはしてるが、何時、扱いが変わるか分かったものではない。芸能の民は旅するが宿賃もまともに払えない人が多く、偽坊主(聖)に成りすました人も多かったようで、身分も低く金もないが技と情報を持つ渡り職人・芸人たちだった。(参照:『日本の聖と賎』)
アーティストは変なモノをつくったり描いたり、身体表現したりし経済活動に役立たずで、不思議な人たちだと思われている、かもしれない。アートも建築も個人の所有物なので庶民からは興味が持たれない。居間に購入したアート作品を飾り暮らしている人も少ない。美術館に行ってその展示の話をすると頭変になったかとも思われたりする。作品を購入し美術館に寄贈する人もほとんどいない。そういう空気がある。

森さんの企てと仲間集めの努力が10年以上続いて初めて、意識が高い自治会の面々もビルの所有者も森さんの活動に好意を持ち始め、パラダイスエアーが実現できている。森さんの特殊なパワーと直感がなければパラダイスエアーのようなアクチュアルで可能性の高い状況は生まれない。八戸市美術館の内容もパラダイエアーも極めて特殊事例なので、それが日本の現実だとも思います。

アーティストは地球上を移動して地球人になっていく、そういうことを教えているんだと私は思います。定住すると閉じるので内向アーティスト、変人として扱われるのではないか。

森さんが運営しているパラダイスエアーはお金、運営する資金が無かったというのが幸いしている。昔の殿様のような資金があったら、パラダイスエアーのようないい効果を生み出していない。(新自由主義のもと文科省に食い入り教育産業がアートイベントをしていたりする)
企業は税制が変わったことで美術館を造っても控除をうけられない、そういうお金持ちが多いのでしょう。左団扇で、世界に名を馳せている洋服屋の親父がパラダイスエアーを運営していたら、アーティストと地域の人間の豊かな交流は生まれない、その点は面白い。そうなると、町の人々は作品を見て木戸銭を払う関係に戻される。

:金があっても他に使うんじゃないですかね(笑)

パラダイスエアー起動の動機

佐藤:株に投資ですか(笑)パラダイスエアーには前段はあったということですが、2013年にパラダイスエアーを始めた動機はどのようなことでしたか?

:動機、こういう形になるとは知らず、自然とホテルの部屋があり、うまく持続していく仕組みを、というので出来てきたんです。それだけなので、あとはアーティストは、展示とかよりも制作する瞬間の方が楽しいなということです。それを、どうやって開いていこうか?と。常に考えていたことです。

佐藤:すこし長い目でみますと旧来の渡り職人と言われたアーティストは徒歩で移動し口コミで技術と情報と評判が繋がっていた。同じ仲間どうしで情報を伝達し共有し合って、遺骨を集める聖になったり、建築を造る資金集めのため渡り歩いている、今でも建築現場はそうです。定住し造る人は農業との兼業が多かったかもしれない。
現在はインターネットッを介して情報を共有でき、誰にでも伝わる。2013年から今日2022年8月までの10年間というのは情報の発信と受容のしかたが旧来のそれとは変わりました。その影響がパラダイスエアー豊かさの背後にはそれもあるような気がします。
そうですね
佐藤:東日本大震災直後からSNSの活用が爆発的に広まった。そのことと関係しているかどうかは分らない。2013年以前にパラダイスエアーと同じ活動をしていたならば比較し易いんですが。
森さんは若い時分からパラダイスエアーのような活動はされていたんですよね?

森:そうですね。活動内容はあまり変わっていない気がします。
佐藤:規模が大きく、世界のアーティストとは繋がり、あるいは連携し易くなっている?
森:そうです、継続していく中で・・何かあったかな。

佐藤:森さんがパラダイスエアーで行っている職業をなんと呼べばいいんでしょうか?

森:めんどうくさいので建築家と言ってます。
佐藤:何て言ったらいいのか分らない。今最も必要とされる職能の一つであることは間違いなんだけど名前が無い。建築家と言った瞬間に偉そうに聞こえますよ。

森:うん、うん

佐藤:巨大なビル造ったろか〜!建築雑誌に発表してもらい放題を言う。パラダイスエアーは新しい建築は造っていませんけれど、中味は最も新しいことの一つが起きています。建築学会賞でいいじゃないですか。今までは体験できない豊かさが展開されています。巨大な高層ビルを資本投下して造っても資本回収するのが目的だと資本を回収し増やすための機能的な価値に建築造りは限定される。
パラダイスエアーのレジデンスは誰が入居滞在し、制作するのか分らない。増えないので資本投下する人もいない。審査があったとしても会って人選するわけではない。金も無い、認められていな人がパラダイスエアーに入居して制作する可能性はあります。プレゼンペーパー提出しなければ審査に引っ掛からないから、自分の能力を伝える能力だけは要る。


パラダイスエアーの運営財源

森:関係性で言うと文化庁と松戸市と、自己財源と。このバランスが僕はけっこういいと思っています。市に対しての還元と国に対する国際的なネットワークの関係と。とはいえ自分たちで支援活動しなければいけない。そのような事ってむしろいいことだなと思っています。
市と僕らだけだったらこのエリアだけにしか事業は還元しなければいけない。国の予算が入ることによって、もうちょっと国際的な話が出来る。あえて一対一ではなくってちょっと複雑な関係性の中に毎回事業をいれられるのは面白いところだなーと思います。
態勢はそうですけれど、アーティストごとに、先ほど観た緊縛作品も、趣味だけではなくって、社会的な背景もある。で、その作品が持っているバックボーンも含めて新しいネットワークが出来たりし全てにおいてアーティストの活動ごとに、そのような意味があるので、常に毎回関係性が変わっていきます
仕組みとしては他の、いままでやってきた事例(芸術祭)よりは複雑で、それが逆に捉えどころが無い分、なにか面白い。
■ 病のアーティスト

佐藤:町づくり支援活動をしている建築家は多いかもしれないが、そこにある複雑性ぶりが貧しい。そのこととが森さんの活動によって照らしだされてしまいました。これも建築界に与えている森さん効果の一つだと思います。
少し話は飛びますが、ゴッホのような彼は統合失調症だと思います。精神障害を持って生まれて来た作家とか、最近光を当てる人が多くなった障害者の作品・アールブリットですか。そういう人たちがパラダイスエアーに入ってくる隙間はないでしょか?

森:みなさん統合失調症みたいなところはありますけどね。
佐藤:人はみな大なり小なり統合失調症みたない被害妄想気味の精神活動を持っていると。ゴッホのような症状まで進んでしまうと、アウトプットされた作品も激しくなる。一般の人には支援活動が出来ない、手に負えないと思います。調べてないので分らないんですが、アールブリットを生み出す人は、そういう施設に入り支援・保護されて、制作しているような気がします。身体的にも精神的にも分類されて暮らしているから、専門の人がサポートし制作しているんでしょう。

:特定の障害よりも、そもそも全員何かしら変なはずなので、それが前提だし。例えば足の問題とか、今パラダイスエアーには階段しかないので。車椅子の人は辛いだろうなと。みんなで上げたりします。それを3ヶ月続けるのは大変そうだなーと。特定の者に開くと逆に他の者に閉じてしまう問題があるので、全く気にせず、来た人が統合失調症だったら、それでいいし。行き当たりばったり作戦ですね。

佐藤:柔軟性、いいかげん行き当たりばったり作戦。そこがいいね。問題が起きたらそのつど皆で解決していくと。
森:ただロングステイのテーマは前回の公募のときはアーティストとの流れについて、凄い環境系の子とジェンダー系の作品が滅茶苦茶多かったです。出しているプレゼン資料の次の年だったかな。「やっぱりそうなんだなー」と思って。最終的にはどちらかというと、コロナ下だったので環境系の作家を選んだんです。ジェンダーの問題も環境問題と同じように大事な問題なので、「それを次は考えたほうがいいよね」と思っています。
そういう意味でロングステイは多少ベクトルというか、決められるところはあるので、そこをちょっと意識的に「次こうしよう」と。

佐藤:今までは男女の割合も考えないで審査していたということですか?
森:そうです
佐藤:これからは半々にしていこうという考えがある?
森:実際は半々とかで、めちゃくちゃバランスがいいと思います。恣意的にそうなっているわけでもなく、そもそも今までジェンダー聞いてない。年齢も聞いてない。ノーチェックでした、顔写真も無しでいいやと、そういうスタンスではいたんです。逆に今はあえて自分でジェンダーを言うことがスタンダードになっています。次からは聞いた方がいいなと思っていたりします。
佐藤:最近、映画製作関係している人たちだったかな、表現に係わっている人たちがジェンダーバランスにつて発表して日本のジェンダーアンバランスがある現状に警鐘をならしていました。それをポリタスTVで中継していました。
森:ジェンダーは全回は聞いてない。

佐藤:ということは森さんとしては今まで活動してきたけど課題はあまり無かった。でこのままの勢いで進むと。森さんは目的を予め定めてないところがいいんですけれど。とりあえず文化庁の補助金ついたので継続するか・・・(笑)その軽さがナイスで面白しろいです。

ディレクターがかわる 世代を引き継ぐ活動

森:今のところ、課題というか、その循環をつくることなので、来年、僕は辞めるつもりで、次の世代に引き継ぐ、というのを考えています。その方がいいなーと思うのです。

佐藤:情報の継続性、森さんが辞めると、蓄積が消えたりしませんか。リーダーが変わるとパラダイスエアーの姿も変わる、それがあるのか無いのか。
:変わるけどもしょうがないんじゃないですか。シリコンバレーの話しではないですけれど、人材の流動性も問題。日本の文化業界って、お金が無いというのもあるけれど、ずっと館長が一緒だったり、回っていかない問題があって。結局、人材が育っていない。ですから、気楽に辞められるところから辞めて。新しい人に任せて循環をどこか好くしていくしかしょうがない。

佐藤:20世紀のパターナルな価値観や目的目指して永遠に続けていくのでは人を含めた好循環は生まれない。一見ゆるゆるな感じに見えるぐらいで、いいんだと。そういう状況が続かないと次の新たな関係は生まれないと。
森:そうそう。
佐藤:パラダイスエアーの引継ぎも旧来の価値観から解放し、実例をつくりながら30年ぐらい眺めていると、違う世界が現れている。移行期の態度としては森さんの構え方は信用できるし、いいと思う。でもお前は何をやっている人ですか?そう聞かれたときに応答が難しい(笑)とりあえず建築家と言っておこうと。森さんの活動に光を当てて社会に問いかけ続けるのはジャーナリストの仕事。編集者が人に伝え続けるか?ですが。別の問題ですがね・・・。

建築が目的になりうる

中村:さきほど、ジェンダーの話もそうですけれど、環境問題とか、いつの時代もそうですけれど、大きな出来事があって、アーティストに、現代ではそんなにクライアントみたいなデカイ存在としていない。 割とそういった問題をすぐに反映させて、普通にアウトプットして、かなり事例としても多いのかなーと。そういうアーティストとか芸術の業界に接しながら、比べてもしょうがない。建築の業界というのはどのように観られていますか。

森:遅いですよね。
佐藤:芸術を起動させたのがお殿様だったり、為替利益で大儲けしたメディチ家だったり、富と権力をまとめてた者がつくり出して来た価値だけど、現在の民主主義政治の下では市民がお殿様に代わる存在だから。地球民がアート価値をつくるしかない。今までのアート状況と比べると貧相も見えるかもしれない。それはそういう見方が間違っている。お金持ちとか権力者とか宗教団体とか権力サイドが支援して出来きたアートの価値観を俺たちはアートだと思い込んでいた。だけど、森さんは変えている、以前とは違うのだよと。作りだしているときが一番面白いしアーティストと交流することに価値があると。
市民に移行してアートも仕組みが変わった。その状況でアートの見方を変え分っている人は少ない、旧来の既存の価値観に足を引っ張られたままだと、森さんの活動の価値の伝え方も分かってこない。そんな気がします。
松戸の自治会の人々、市役所の人たちは地球上のアーティストに接触して交流して楽しんでいる。そもそも王侯貴族権力者がそれをやっていたんだけ。松戸のオジサンたちにアートを生み出す基盤が移行されたんだ。森さんも町の中のどこで何が起きているか全部把握できないほど盛ん、豊かに交流していることで価値が作り出される。その10年間だったと。そこに注目した方がいいと思うんだけど。この価値が日本中に広まるの?そこに注目したいんだけど、どうですか?
美術館に飾っておける制作品がたくさんできたからという評価ではない。

中村:ある種の権威主義的な作品ですね。


佐藤:松戸の人たちが地上のアーティストとともに制作しているんだけど、全ておっかけてピックアップすることができない。映像作品の一つが拾い上げて主張する必要も感じない。アートの原点を体験してるところまで戻っているのではないか。権威をあらわす美術館、マニアックな人は鑑賞に行く。で、ありがたがるから市民とアートとの距離も、松戸の活動とは遠くなったまま。
世界から来るアーティストが多すぎで呑み会が続き(笑)アート制作ができなかった、と言う。いいですね。まずは交流が豊であればいいと思います。文化庁の助成金を得ているので何らか報告する必要があるのでしょうが。多様な面に対しての森さんの構え方が新しい。八戸市美術館で偶然お会いして驚いたんですが、パラダイスエアーでもジャイアントルームのような空間構成そのまま!一貫してブレず実践されています。そういう人居ないし、会った事がありません。

森:トランジットポイント的な空間はまだこんな感じでいいと思いつつ、逆に10年前とかだったらユニークだったと思うんですけれど、最近、みなさんそういう感じになっている建築業界、みんなじゃないんですけど。萩荘なんかもそうです。そうすると、みんな分っていてやりだしている。だから逆にトランジットじゃなくって、ディスティネーション(旅先と都市)というか目的地になりうる。これをやりつつですけれど、活発じゃない場所もいいなー両方あるからトランジットポイントが生きている気がする。それで建築はゴールになるうる場所になる。そっちも楽しそうだなーと
八戸のああいう場所はいいんですけれど、もうちょっと形、逆にあれをやったからこそ、次に形に残る系もやってみたい。

佐藤:いろいろ考えられていて面白いね。

建築業界的にはサイクル・エコノミーとか循環系が、今度のディフォルトになってくると思うので、素材のリユースとか。そうなってくると今までみたいに固い建築じゃなくって、もうちょっとソフト的な感じ、建築とかも考え方としてはやっていかなければいけない

スタッフの日当 均等割り

中村:大阪万博のコンペ。条件がサーキュラーエコノミーというか、持続可能性みたいなもので、それを条件で審査要綱。そういうのが組み込まれている

:結局そういう。

中村:地上から・・ぱっと見て似ているものがたくさん。
佐藤:八戸市美術館でも思ってたんだけど、似ている問題は要綱を作成する行政の問題もある。建築家の問題ばかりではないとも思う。今は建築家がオピニオンのようなことをやるから似たようなものになるんではないか。博覧会建築は悪い循環関係に入っているのではないかな。
中村:それが目的化するとそうなる。

佐藤:建築業界は破壊者のようなもんだからいい子ぶっても、どうなのかな。森さんがパラダイスエアーで建築家と言わざるを得ないのは、お金が入ってくる窓口がそれしかないからだろう。森さんの活動が素晴らしいからと言って、株で大損してもいる孫正義さんが投資するか?(笑)日本の教育系でお金持ちと言われるベネッセは出すかも(笑)
今は行政と、市と文化庁と、松戸に関わる皆さんで賄っているという。昔だったらアートと宗教が合体していたからお金は集めやすかった、森さんは印鑑や壷を売らなし、宗教思想とセットにしていない、アーティストと市民の活動を支援しているだけだ。
この仕事をどう理解してもらい、お金をだしてもらうか、どうやって活動資金を継続して得ていくのか。でも先ほども森さんが言われましたが、お金を介さない豊かさがある。それが長続きする要点の一つだったりする。森さんはお金にたいしてさほど拘っていないようも見えるのはお金持ちなのかも(笑)何か余裕があるのか分りませんけれど、お金でもめない、その要点の一つは押さえている。

森:ちなみにスタッフとかは単価めちゃ上げていて年俸性なんですけれど、日当18000円ぐらいです
佐藤:思っていたより高額ですね!
森:高いです。最初、文化庁には予算がなかったんですけれど、まずは「コーディネーターという職業があってね・・・・」と。
佐藤:説得したんですね。

:最初14000円ぐらいだったんです。毎年ちょっとずつ上げ、そうするとそれがスタンダードになるので、僕らは辞めてもいいけど、他の団体とかめちゃ安い、その基準を変えていかなきゃしょうがない
佐藤:関係者全体の単価をあげるような交渉してきた、賢いですね。私が知っている建築家って博士課程の学生を無料で使う!博士だろうが弟子たちを無償で図面描かせてるのを見てきました。

森:それは時代が変わっちゃったので、スタッフが行かない。ホワイトじゃないと全く持続しない。
佐藤:パワハラ&ブラック建築家(笑)そういうプロフェッサーアーキテクトが消えた!それはよかったです。
スタッフ全然集まらないです。だから今はもう居ないと思います。

佐藤:俺が見てきた、博士が無償で先生へ労働奉仕していた建築家は今は50才前後だから、森さんはその世代より15才前後年下ですね。ブラック建築家が絶滅してホワイト建築家が多くなったのはいいことです。有名プロフェッサーアーキテクトに丁稚奉公してプロフェッサーアーキテクトに推してもらうという仕組みが崩壊したのはいいことです
森:9割はそうじゃない。

佐藤:森さんの周りにいる有名建築家の事務所で働いている人はちゃんと賃金もらっているんだ!
:ちゃんと、というけど安いですけれどね(笑)


佐藤:たとえば森さんが有名プロフェッサー事務所に勤務し辞職し次の組織事務所に入ると経験を加算した賃金にならないのが日本の設計事務所の実態じゃないかな。キャリアを積み重ねて賃金に反映しない。経験と知識をもっていても、評価されず、新人と同じ扱いになる。森さんが運営するパラダイスエアーはそういう評価をしてない。面接を経て入った新人にも日当18000円支払う。

森:
皆一緒の日当にしています。面倒臭いのでそうしてます。そうすると僕らにとっては安い賃金になりますね。「それはしょうがないね」という感じです。上の人がドンドン抜けていくスタイルになります
佐藤:月20日働いたとして36万円×12ヶ月年額432万円、税込だと。東京で家族を養ってはいける金額ではない。一月前、知り合いのデザイナーの話を大阪で聞き取りしたら、フランスとロンドンとオランダだったかな、東京にも事務所があって。「初任給は日本が一番安い」と言ってました。フラスでは初任給月、50万円払っているそうです。
中村:凄い!
佐藤:日本人なのに「日本は人件費安くていいですね」と笑ってました。日本人にも50万円払えとは思ったけど(笑)日本は所得が低すぎる!とはさんざん言われ続けてきたことだけど、戦争が起きて物価が上がっているのに、現状維持。あるいはさらに経費を下げようとしている。(笑)余談でした。

花田先生にとっては今日は活動時間が半日ほど早すぎました。言葉数が少ないですね。何か話してもらえませんか。今度、花田先生と訪問すねる時は午後から予定を組みます。

森:
佐藤:花田先生は東京に暮らしていますがドイツ時間で過ごされています。で、7〜8時間遅れて活動されているようです。午後3時ごろからが良さそうです。こんなに早い時間から私と活動したのは初めて、ですね。


コミュニティーごとのラーニング 

中村:八戸市美術館の座談、住宅特集だったかな。ラーニングプロジェクトは韓国で活発と話されてました。日本では馴染みがないのか、私が知らないだけなのか判断できませんが、何をするのかが分りません。

:韓国はサムソンとかヒュンダイが滅茶苦茶お金を出して美術館つくる。あの時期で、有名なカンパニーとかは世界中で新作をつくらないといけないけど、韓国で作っていて。「何で韓国でできるのかな?」と聞いたら、「ラーニングプログラムでやっているんだ」と話してくれました。そこからラーニングの存在を知り、ロンドンのテートとか、日本では森美術館。最近は八戸市美術館でやっている、世界中でどこでもやっていて。

中村:具体的にどういうことを行いますか?
:基本はエデュケーションが今までは上位下達みたない感じじゃなくって、お互いに学び合う「対等な関係性で」いう態度の問題です。ロンドンだと既にコミュニティー、クラスター。例えば労働者階級とか、学校のコミュニティーとか、そういう「コミュニティーが明確に分かれている。そこに対してそれぞれプログラムを作っていきましょう」というのがラーニングです。

花田:図書館が今その言葉で語っている、ラーニングライブラリー。大学の図書館も、立教大学の大学図書館など。
何て言うのかな、博物館も美術館もそうですが、図書館もね。マテリアルズを貯蔵しておいて、それで閲覧の機会を設営するという伝統的な関係。それをアクションにどう氷解していくのか。だからライブラリーも本を貯蔵しておいて、そこで読むという、もっていき方からラーニングライブラリーという方向へ。それはその空間の中でアクションが発生する、そういう磁場みたいなものを設営していくということ。空間設営みたいな考え方ですよね。
美術館もそうなっていくわけです。固定したモノとしての箱はアクションに溶解されていく、アクションの関数になっていく。そういう解決・ソリューションが、いろんな分野で起きているということなんでしょうね。
パラダイスエアーもそういうもので、そこで創り出されるものがどう貯蔵されるのか、そこにあまり価値を置いていない、というか評価関数に掛かってないよね。
アクションが発生装置を設営しますと。そういう仕事、社会的必要性があって、それを何と言うのかな?オーガナイザーなのか、空間オーガナイザーと言ってもいいし、コーディネーター、いろんな言い方はあるけれど。
中村:継続的に学習する、アクションと言われたのでそういうことです。

花田:言い換えると、プロセスに溶かす、溶解させるという考え方ですよねプロセス自体を発生させ、プロセス自体の中で何が起こるかはそこの活動に委ねていく。何がそのプロセスの中で起こるか?ということは前もって重要視しない。結果を重要視しない。プロセス自体に価値を見る。そういう発想が色々なマテリアルズの箱物を溶かしていっている。博物館、美術館、そういうものはかなり萎んでいる

森:逆を言うと、アーカイブをする時に、アーカイブの目的から入るのではなくって、いかに集めて来るかという、仕組みの方は出来てしまうと勝手に状況は集まって来たりする。アクション自体に特化していくとなれば、それに集まってくる方にも興味を移るんですけど。どっちからも、お得みたいな勝手にアクションが生まれる装置を作ってしまうことによって、情報が滅茶苦茶集まってくる

花田:ミュージアムも、どこだったかな?ロンドンだったか。国際学会の発表会があって、その後の夜のパーティーは博物館でおこなった。非常に面白い成り行きになるわけです。夜、博物館でパーティーを行うとお客は居ないんです。そこで学会の後のパーティーをやる。パリでもロンドンでもそういう企画があった。だから既存の機能的に特化された建物なり空間が、かっての流行り言葉で言えば脱構築されていくわけですよね。定義されたものと別の事にずらして組み替えていく。そうする事によって新たな思想の発生装置へと設営していく。いろんなものはファンクショナルに定義されているわけですよね。美術館は展示(研究・収蔵)とか博物館も展示とかね。それを訪問者は静かに鑑賞する。そういう定義づけられた空間を別に組み換える。だから脱構築って言えるんだけど。換骨奪胎して別のものの発生装置に、そういう空間に組み替える。
ここは元々はラブホテルだったけど、したがってスペースはラブホテル用に造られているわけですよね。ラブホテルの機能に合った構造をもった場、それがまったく別の機能に転用されている。そうすると、これを使う人たちがスペースを脱構築していくわけですね。その時に生まれるエネルギーというのかな、予定されたものが流動化していくわけだから、エネルギーが発生するでしょう。
このスペースはラブホテルだった。だけどそれをそのように固定され、定義された空間と全く別のものに転換していく。その時にそこでいい影響を生むかどうか知らないけど、あるエネルギーが発生するのを期待する。そういう仕掛け。ここがラブホテルだったことはいいこと。

 会場笑う

最初からアーティスト・イン・レジデンスの建物として造られていたら、そういう機能を持たせる設計にするでしょう。きっと、最初からそうする。

ル・コルビジェ ドミノシステム

所有者の意識

佐藤:コルビュジェのドミノやミースの均質空間。柱があって床があってそれを壁で区切ってラブホにしていた。地震国だから耐震構造の問題はあるとして、柱と床なんだから自在に機能を変え続けることができる。建物として社会や地域に投下される場合は用途なり機能を与えて固定資産税を払って社会性をもたないと建物にはならない。
ラブホ機能が融解して、元のラブホが機能しなくなった原因はわからないけど、元・ラブホをアーティストのアーティスト・イン・レジデンスと溶いて、外国人などを無料で泊めてやろうと。元々の所有者の思いや理解があり転用可能に、大きく影響していますよね
所有者の発想なり思いを聞きたくなります。「機能しなくなったラブホを森純平さんに貸そう」という動機を聞きたい。そこが無いとパラダイスエアーの状況は生まれなかった。「使わないで置くなら貸してもいいか」という程度でかもしれない。

:だと思います。

佐藤:そういう気楽さ、ゆとりある所有者の構え方が興味深くもあり面白い。そこがあってて花田先生が語られた脱構築された事例が目の前に現れる。ここの状況は空間の可能性もふくめ、いろいろ教えてくます。
初めて八戸市美術館でお聞きした時のパラダイスエアーの印象はパチンコ屋を改修したんだと思ってました。ラブホテルの転用だとは思っていなかった。パラダイスエアーのHPを見て「ラブホみたいな外観だ」とは思った。これはラブホの顔だなと。

花田:最初から「アーティスト・イン・レジデンスの建物を造ります、森さん設計してください」と。そう言われて森さんがどういう建築を造るのかは分らないけれど。アーティスト・イン・レジデンスというファンクションを持たせた建物、それを設計しますとして造った、そういう施設が仮にあったとしますね。それと、ここは全然違うわけです。全く別の機能を付与されて造り出されたスペース、そこを機能転換してしまう時に、あるエネルギーが発生すると思うわけです。
最初からアーティスト・イン・レジデンスとして造られた空間よりも、ひょっとすると機能転換して造った空間の方が可能性があるかもしれない、そういうことを考えさせる場所ですよね


制約された条件ある方がエネルギーが湧くのか

:今、実はレジデンスの設計をしているんです。

 会場笑

複合施設で、レジデンスの設計については僕は何も言っていなくって、あ、そういえばみたいな。なんとでも成るや!と。その設計の基本はホテルとレンジデンスなので。「ホテルのどこかの部屋を最後にどうにかしらいいかなー」ぐらいで、全く意見が無い。ラウンジとかそこの部分が大事なのでそっちは色々言っているんです。展示ずる部分とか、レジデンスについての空間に全く恣意性、これが好いとか何もないです。

佐藤:パラダイスエアーを造ってしまった後に、新築アーティスト・イン・レジデンスの設計依頼されても、面白そうじゃないね。
森:どこでもいいので・・・。
佐藤:既存が用途があって、加えて松戸の都市を改造しながらレジデンスを造る方が元気が出るね。

花田:そうそう、過去のコンテンツと、過去に定義づけられた施設、それをあらたにレジデンスとして換骨奪胎していくモチベーションが働いて、結局は物理的な器は基本的には変わらないラブホテルの構造だけども、人の使い方によって、空間の質と意味が変わってしまうというところが面白い。

佐藤:空間の質が変容していくときに、どういうふうに変わるか、モチベーションの質は問わなくってもいいでしょうか?変わっていく面白さだけで面白いのか?
花田:そこにプロセスが発生すればそれで面白いと思うんです。
森:そうですね


佐藤:古い建物を次々に変容させ続け、使い込むほどにエネルギーも発生し、同時に面白くなる、建築や都市はそうだと言えるのか。ではなぜ新しい建築をぼーんと建てるか?さほど面白くはないとも言えるのに。
花田:そうそう、過去との連続性と断絶、みたいなものの中にエネルギーが伝わるんじゃないかな。全くまっさらで「アーティスト・イン・レジデンスを造ってください」と言った方が施主も建築家も楽にはなるけれど、それは結局機能主義的になっちゃうね

佐藤:森さんに設計を依頼するときは既存のビルを買い取って機能転換する。既存の建物を買う時点から森さんがプロデュースし変容させてしまう。
花田:そっちの方が可能性が出て来るよ。つまり制約された条件ある方がエネルギーが湧くんですよね。更地でなんでもやっていいですよ、それよりは制約された条件があった方が、それを突破しようと、取り換えようという発想とか想像力が出て来るんじゃないか、という気はしますね。

:なので、そこは建て物の建て替えなんですけど、建て替えない方がいいんじゃん案を当然、提案し。建て替え前の方でまずは思う存分遊んで、そこにアーティストを一緒にやっているので、人の方にコンテクストを残して、活動とかでつながないと、そうしないと何も無くなってしまう。

中村:ちょつと違うかもしれませんが、下北沢のボーナストラック。あれも駅の地上を、地下に小田急線があり、地上の使い方を、巨大な不動産資本でビルを開発するのではなくって、路上で下北、若者町的な意味で個人商店とかを残すためにはどうしたらいいか?という開発を小田急と一緒に建築家が考えて、割と低い家賃で人が借りられるような、何ていうのかな。
佐藤:山道拓人さんなどが関わって設計した物件ですか?
中村:そうです。
 
上記絵 webより 

佐藤:写真で見ると昔からあるクネクネしてた町並み。あの建物の下を小田急線が走っているんですね?

中村:そうです。単純に箱のようなものを並べて、入居した人が、それなりに自由にはみ出してもいいし、自由に内装をいじってOKですという。最初の箱を、どのように活用するかということを含めて提案をされていたんです。なかなか難しいね。それ自体は好い試みだなと思いまして、ビル開発されるよりはよほど個人の人たちが入居できるシステムを小田急の不動産と一緒につくったというのは素晴らしいなと思いつつ。
そういうものを設計する建築家というのは、ものすごい、何て言うでしょう。一見もともとあった建物を個人の人に貸しますという方が文脈としては脱構築のエネルギーというのは面白そうだなーと思う。まっさらの状態の箱を造って「なんでも自由にやってください」と言うよりは、箱を設計する建築家というのは何をデザインしたらいいんだろう、みたいな感じで。凄い大変そう。難しいなーと。物だけど見た時に、なかなか大変な職業だなーと思って見ていました。

佐藤:継続可能な形式を箱を造ればいいので、そうでもないと思うけど。機会があれば見学してみましょう。

森:ボーナストラック、プログラムの方というか、松戸の不動産屋と一緒にチームでやっている。○○動産と言って、だからここで松戸でいろいろやって来たことを活かしている。
佐藤:下北のボーナストラックとパラダイスエアーは不動産屋さんが生み出した兄弟・建築。
中村:そうなんだ!

地域の空き物件を同時に不動産屋の事務所を設けていって、どんどん回していく。建築自体も一つですけれど、エリア全体を、路線開発ではないですけれど、それをするための基点といてボーナストラックがあるんじゃないか。同じようなことをしていたりします。 

 その03へ続く