2022年4月4日 「私塾を語る」 web記録  作成:佐藤敏宏
ゲスト
森田一弥さん
渡辺菊眞さん
柳沢究さん
魚谷繁礼さん
04

森田一弥さん参加 森田さんの博士論文を読みましょう


佐藤:ここかれはフリートークにしたいと思います。

渡辺:森田さん、今、ZOOMに入られてますよ。
佐藤:森田さん車の中から参加ですね。車であとどのぐらい掛かるのかな家に着くまで。
森田:聞こえてますよ。まだけっこう掛かりますね。今は大阪の南港の辺りですね。

佐藤:どちらへ出かけての帰り道ですか。
森田九州の宮崎に行ってました。それでフライトがこの時間になっちゃったんです。
魚谷:宮崎から飛行機で今日帰ってきて、今は?

森田:妻が運転しています。車に乗っているところです。僕もスケジュールがおかしくなってしまっての参加です。
佐藤:それは問題ないですよ。
森田:こんな感じで聞いてますよ。

佐藤:車の中から参加していただき、ありがとうございます。もうちょっと続けます。森田さん、なにかありますか。

森田:途中から入ったから全部がどういう話だったか分かっていません。

佐藤:森田さんが今、気に成っていることがありましたらお願いします。先日『時間に関する設計手法の研究ー「リノベション」概念をとおして』博士論文を読みました。送っていただきありがとうございました。

森田:どうでしたか(笑)

佐藤:将来、新建築と古建築を融合して「建築」というものになっていくためには、森田さんの博士論文を皆さんが読むんでいけばそうなりますね。20年間か、森田さんが独自に挑んできたことで新古が総合されて「建築」が成るんだなと想いました。新建築と古建築の垣根が消えていく、そういう建築の見方が提示されていてよかったなと思いました。

森田:そうですね、ああいうふうにインテリアであろうとエクステリアであろうと改修であろうと、1人の語り方が出来るなと思って。

佐藤:それからもう一、森田さんの最初の作品からすべて一覧できて、考え方の変遷も理解できる博士論文でした。森田さんはこの建築改修工事に際してはこういう事を考えていたんだと分かり森田さんを理解するための必読本でした。最後は「法然院の家」で終っていますので、森田建築のプロセスと博士論文がパラレルになっていて、森田さんを同時に理解できる。(法然院の家発注者の聞き取り記録)
かなりスケールが大きい時間の捉え方でした、地域と建築のとらえ方も同様でスケールが大きいなーと。手先の話になっていない点に好感をもちました。左官の修行を、鏝で壁を塗りながら時間と空間の広がりが大きい捉え方になっていました。

森田そうですね、先ほど語られていた地域の話でいうと、自分が住んでいる場所か、と実感が湧かない、というか、そんなこと言っていちゃいけないんですけどね

佐藤:菊眞さんはそのことを語っていました、この地域、自分が立っているところ足下から建築を考え始めている人、それ以外の人とオンライン交流しても何も面白くないんだと。森田さんは静原でこういうことをやっているんだと、ずっと語っていてください。

森田:いやいや、よその地域でも仕事していかなきゃいけないので。他者であるからこそ、提案できることってあるので。

佐藤:今は博士論文の延長上でものを考えているわけですよね。
森田:そうですね。
佐藤:博士論文を書き上げてから何か新しい要素を加えちゃったんでしょうか。

森田:あの中ではあまり、素材の話とか出来なかったなと思っているんですけどね。

佐藤:ところで皆さんに博士論文は配っているでしょうか。柳沢先生には配布しましたか。

森田柳沢さんは発表を聞きに来てくれたです。
柳沢:博士論文もらっていないです。
森田:柳沢さんにも送らないとだめですか(笑)おくりましょうか。まだみんなには配っていないですね。

佐藤:じゃ森田さんの博士論文を催促して、読んだのは俺だけですか(笑)
森田そうですよ
佐藤(2022年)1月4日の「森田さん京都府立大学就任おめでとう」と題するZOOMの時に催促したので、送っていただきました(笑)。

森田:そうですよ。








 森田一弥さん略歴

1971:愛知県生まれ
1994:京都大学工学部建築学科 卒業
1994-1995: アジア・ヨーロッパ・アフリカ諸国を陸路で建築行脚する
1997: 京都大学工学部建築学科 修士課程修了
1997〜 2001 京都「しっくい浅原」にて左官職人として修行、金閣寺など文化財建築の修復工事にたずさわる
2000: 一級建築士事務所 森田一弥建築設計事務所 設立
2007〜2008
Enric Miralles Benedetta Tagliabue Arquitetes(バルセロナ)在籍
(ポーラ美術振興財団 若手芸術家在外研修員)
2011〜 2012: カタロニア工科大学バルセロナ建築学校(ETSAB) 留学(文化庁 新進芸術家 海外研修員)
2020〜? 京都府立大学准教授
博士(学術)・一級建築士・一級左官技能士







森田一弥さんの豊和塾と神楽岡工作公司 


佐藤:今日の語り合いの最初は豊和塾について、柳沢先生には神楽岡工作公司について語ってもらいました。森田さん神楽岡工作公司につて思い出すことがありましたら、話ていただけますか。

森田:今日の「私塾」の話で言うと、どっちが先だったか覚えてないんですけど。神楽岡をやる前に僕は春秋塾、豊和さんがやっていた塾へ行っていたんじゃないかな

佐藤
:菊眞さんの記憶と一緒だから春秋塾の方が先ですね。
渡辺:豊和塾の方が少し先ですね。
森田:そうですね。豊和塾は学生の時じゃないですよね。
渡辺:豊和塾の方が先で、私は修士試験落ちたときですね。
森田:いや僕は左官職人やっている時に行った覚えがある。
渡辺:左官職人やっていた時ですね。

佐藤:豊和塾に参加して何か記憶に残っていることがあれば語っていただけますか。
森田:とにかく、課題が美術館とか博物館とか、お題だけ出ていて、何でもいいから持って来い、そういう呼びかけでした
佐藤:それで作品は持参したんですか
森田持って行きましたよ。それを持っていって最終的には個展を開いたんですよ

佐藤:渡辺さんと森田さんは学生の時分に個展を開催しているんですね。
森田個展の切っ掛けをもらった会だったんですよ。ただ、お題だけが与えられて。

佐藤:豊和塾に参加して与えられたお題の作品をもって個展を開いたんですね。
森田そうですね。
佐藤:それは、どこにもデータが残っていないんですね。
森田:残っています。ありますよ。

佐藤:この記録に貼り付けてお知らせしますから、画像データをください
森田:webサイトに載っていますよ。
佐藤:そうでしたか、俺が見てないだけですね。
森田:そうなんですよ。





空想の建築のドローイング「誇大妄想建築」

2002年、「誇大妄想建築 森田一弥個展」として、5つの空想の建築のドローイング展をGallery ALTERNATIVE(京都日伊会館 ROOM MARKET内)

GALLERY N+(東京神保町、南洋堂書店4F)にて開催しました。

 (ドローうんぐ森田さんサイトより

佐藤:では続いて、神楽岡工作公司のことについてお願いします。

森田:柳沢さんが既にお話されたかもしれないですけど。神楽岡はまだ、柳沢さんが学生の頃でした。僕が町家の改修をすることになった時に、とのかく予算も無かったし、京大の製図室に何か町家の改修やりませんかみたいな内容で貼り紙をして。柳沢さんは研究室で知り合いだったから、直接声を掛けて。一緒にいろいろセルフビルドをやったりして。町家(繭)の改修したんです。その後みんなでこのまま勉強会をやろうと言うのでやったんですね。

佐藤:ということは豊和塾と神楽岡の意識は無関係じゃなく、森田さんの身体を通して繋がっていたんですね!

森田
そうですね

佐藤:今日までは豊和塾と神楽岡工作公司は別々の場所から自生・芽吹いていた活動だと思っておりました。なるほど森田さんの体内では影響し合っていたんですね。今日は関西圏にあった私塾的勉強会、その二つの関係を聞けてよかったです。

ここでの主な結論は、無理やり人と人をつないで若い人にお節介しててもしょうがないんじゃないの、という事でした。若い人なりに友達を見つけてそこで勉強会を開いたりして活動しなさいということです。オジサン達が私塾のようなものを開いて、人と人が出会う場所をつくったほうがいいのかなと思ったもですから「私塾について語る」を開いてみました。

加えて、今は学生はスポンサー付きの卒制コンテストが各地にあって、ああいうスポンサーありでコンテストにはテンプレートがあるかのように、似たり寄ったりしています。ですが、大学内で先生とマンツーマンで教えてもらうというか議論して建築を学ぶのがいいと。先生と学生の相性もありますからね、辛くなる学生もいますので、一度先生から逃げる離れるという話も、菊眞さんが教えている修士生からお聞きしました。そう事態になったらスイと隣の先生の研究室に移って学び直すというも実行されていました。
大学を出て社会人になって先輩など、研究仲間や仕事が上手くいかない人のためには、外部に私塾のようなものがあった方がいいんじゃないかと、思います。がなかなか答えが出せなかったです。

今日の話合いで答えをだして、みんなで協力し合って外部で何か活動していうという、そういう目的は無いんです。

若い学生がコンテストに参加する前に、豊和塾のような神楽岡のような会がもしあったとすると、現在は機能するのでしょうかね。どうですか森田さんその当たりの思いは。

森田:うーん。少なくっても神楽岡は若い人が学ぶということを考えていたわけじゃなくって、自分たちが面白い場所を作ろうと思ってやっていた。だから、そんなに親切な話ではないんですよね。むしろあの頃、豊和さんとかが主軸としてやってくださっていたのがどういう思いがあったのかなというのは気になりますね。







 「繭」について 森田さんサイトへ



企画:建築商会/馬場徹
設計:森田一弥建築設計事務所/森田一弥
施工管理:鈴木健太郎、柳沢究、奥村彰浩
施工:分離発注 建築工事/和田工務店、左官工事/しっくい浅原、
造園/水野稲人、塗装工事他/有志
建物概要:木造2階建町家二棟、木造三階建工場一棟
建物用途:複合商業施設
面積:敷地面積/303.3平米 延床面積/326.7平米
工期:2000年02〜08月
標準仕上:
外壁:焼き杉板張り、土壁(鉄粉入り稲荷山黄土水ごね仕上げ、錆土引きずり仕上げ)
内壁:米松縁甲板張り、土壁(中塗り仕舞い壁、大津磨き壁)
床:土間コンクリート金ごて押さえ、杉板張り
天井:既存野地板現し
柱梁:古色仕上げ(松煙、弁柄、柿渋塗布)

佐藤
:関西にある私塾について、私が渡辺豊和さんから最初に聞いたのは、村野藤吾さんが大学を卒業して社会人になると皆で集まって研鑽する場所が無いから、浪速塾というのか村野塾か、名前は分からないですけど、そういう場をつくっていたと。その後を継いで展開したのは西沢文隆さんで、その後を継いだのが渡辺豊和さん。そういう順序で継承し続いていると。私が知っている関西の建築勉強会は豊和塾、春秋塾そして最後はスポンサーが付いたアーキ・フォラムです。

森田:ありましたね。
佐藤:アーキフォラムのようにスポンサーが付いてしまうと、尻すぼみ消えてなくなる。今はなくなったと思います。
森田:そうなんですけど、この4月じゃないけど今年は復活しそうな話を聞いてますよ
佐藤:そうですか。風聞が届いてないだけで、この数年はお休みしていたんだと。
森田:もっと長いこと10年ぐらい休んでいたんですけど、やはりああいう事をやらないといけないというので、再開するような話です。

佐藤:それは誰かが動かし始めているんですか。
森田:川勝君とかです。
佐藤川勝真一さんですか、彼の家を借り切って森田さんと菊眞さんにも集まっていただいたこともありますし、関西の私塾的イメージが繋がりますね。今思い出しましたけど微かにつながっているんですね。豊和塾、春秋塾がなくなってから、大島哲蔵さんの最後の弟子の柳原照弘さんというデザイナーいるんです。彼に言って自分たちで勉強会を開くように2008年に聞き取りに行って伝えたんですよ。そうしてDE(デザインイースト)と言います。家成俊勝さん原田祐馬さんなどと3,4年開催していましたね。最後は浜松の辻琢磨さんに振られ浜松でてDEは終ったとお記憶しておりました。川勝さんと辻さんは建築学会で活動していますので12月4日にZOOM開いて語り合ったので繋がりますね、関西の私塾的活動がすこし分かってきました。川勝と辻さんたちが再開しようじゃないかと盛り上がっているのかもしれないですね。川勝さんは神楽岡工作公司と共催で私の講演会も開いてくれました。

森田:そうですね、あの世代ですね

佐藤:関西の建築勉強会は10年ぐらい空いていたけど、35才前後の人たち、川勝さんがつないで再開しようぜと、いい話聞いちゃいました

佐藤:何か他に気付いたことがありましたらお願いします
森田:そうだな、とりあえずいいです。

佐藤:ちょっと話がズレますが娘さんは今年YGSA卒業ですか
森田:娘は残り1年あります。佐藤さんに会ったのは覚えてますよ。
佐藤:そうですか、「父・森田一弥を語る」いいかも、お嬢さんが卒業したら聞き取りし記録しておきます(笑)どんなお父さんだったか聞き取りしてみます。

      会場笑う




2008年7月6日 神楽岡工作公司主宰
森田一弥さんスライド会 (サイトより


佐藤:私塾を語るについて、追加すること、魚谷さんなにかありますか。

魚谷:分からないですけど、たぶん神楽岡工作公司もそうだし、僕の活動もそうだと思うんですけど、塾というと何か教えるということかも知れないけど、そうじゃなくって若い時に自分も学生と変わらないような気分で一緒の時間もあったし、建築について観たり考えたりするような場所だったのかなと。そういう活動が無くなったわけじゃなくって、次の若い人達がそういうことを始めるかも知れないし。僕らがもうちょっと年とったら、もしかしたらまた違う形でそういうことをやる機会があるのかどうかは分からないんです。

佐藤:年取っ再開は好感をもちますが、魚谷さんはそういう勉強の場で老害には遭ったことはないんですか。再開時の要点を押さえるためにも。

魚谷:老害ですか、僕は京都で町家とか改修しているですよ。(笑)だから自分が老害にならないように気を付けます
佐藤:そういう被害に遭ったことないですかとお聞きしてます(笑)
魚谷あるに決まってるじゃないですか。そういう意味での塾なんかやないほうがいいですよね。

佐藤:年齢とは無関係に人には相性があるから、人が集うともめるのは恒例として、「あそび」と名をつけて「建築あそび」として活動しているので、俺の活動は勉強会というニュアンスとは少しズレている、交流とか誤配とか建築を娯楽するという意味合いが強いかもです。呑んで食べて語り合って少し難しいお話も聞き、記録は残す、この程度での内容です。
今回は私塾としましたが集い合う場のネーミングが難しくって、多様な人が集まって私的な場で交流するのを何て名付けるのか、分からんです。

魚谷:森田さんも一緒にやるんですよね京都でやりますよね。アーキフォーラムはそれでいいと思うんです。、皆の前で壇上で誰かがしゃべっているのを聞く感じ。そうじゃなくって、有名な人を呼ぶんじゃなくって、面白い話をしてくれそうな人を来てもらって人数は・・ゲストと直に話できるような人数ですね。

森田
:そうですね。



2010年7月30日 佐藤・俺クチャー@ 大阪アーキフォーラム集合写真 

佐藤:聞き洩らしましたが、そちらに話を展開しようかと思ったのはタウンアーキテクととIOUA15だったっけ
魚谷:IOUAです。タウンアーキテクとの関係ですか。
佐藤:菊眞さんが編集長だったのかな『京都げのむ』を刊行してましたが

魚谷:別ですね

佐藤:IOUA・15についてお願いします。

魚谷:15は付かないですよ。IOUAは主に松岡聡さんを中心に、僕と大阪工大のつづきさんとで考えたんです。その前に京都建築スクールというのをやっていて、それは田路先生を中心に考えていたんですけども。それは地域をリサーチして、そのリサーチに基づいて設計するということをやっていたんです。何か違うなと思って。
設計のためのリサーリをするんじゃなくって、まずリサーチをする事がいいんじゃないかなと思って。あえてリサーチと言うと学生も設計のためにリサーチと考えがちなんで。あえてアーカイブと言って、毎年テーマを決めて学校で分担しながら何かをアーカイブする。で、アーカイブした上でそのアーカイブから何らかの見られる、型みたいなものを抽出するその型を活かし設計する。三段かいに分けて、学生たちに取組ませている。

佐藤:竹内泰先生の京都にある祠の調査から始めるようなものでもいいんでしょうか。
魚谷:竹内さんも一時は参加していましたよ。
佐藤:竹内先生は東北工業大学を辞するのは知っていますよね。東北に竹内先生のような方が居なくなるのは寂しいんだけど、東京に事務所開設だから近いですね。
IOUAの活動はどのぐらい続いているんですしょうか。柳沢先生も参加されていますか

柳沢:私は一参加者です。主体的というか運営には詳しいところまでは分かっていないです。
佐藤:魚谷さん、HPなど開設してますか。
魚谷:ないですね。でもね、たまに本を出版しているですけど。1冊本を出版して噂の資格系学校。その後、ありがちですけれど、編集関係の方が心の病になられて、今年はまとめて2冊出版する予定です。なのでHPは無いんですけれど、本として出版しています
佐藤:楽しみですね。

魚谷:目標は3年1冊刊行です。3年でテーマ変えているんですね。最初の3年間は宿泊所をテーマに次の3年間はをテーマにして。

佐藤:できたら教えてください。

魚谷:送ります。






 京都建築スクール 
大阪工業大学 朽木順綱研究室
大阪産業大学 松本裕研究室
関西学院大学 八木康夫研究室
京都大学 田路スタジオ
京都工芸繊維大学 阪田弘一研究室
近畿大学 松岡聡研究室
宮城大学 竹内泰研究室
龍谷大学+京都建築専門学校
阿部大輔ゼミ+魚谷繁礼ゼミ
ヒューリック技術委員会
[オブザーバー]文山達昭(京都市役所)、山崎政人(関西ビジネスインフォメーション)
[協賛]日建学院/建築資料研究社、ヒューリック
[協力]竹中工務店
[書籍編集協力]フリックスタジオ


■ 魚谷さん新人賞受賞

佐藤:魚谷さんが新人賞を受賞したと知った時にお祝いしようと連絡したんすけど「そんなん今更しなくっていい」というので、その当時の心境を記録できていませんでした。その当時の思いはどこかに記録してあるんですか。
魚谷:そんなに若くないのでいいです。
佐藤:賞もいろいろ獲ってるから、それはそうなんだろうけど、魚谷さんの受賞当時の思いを記録しておきたいなと思ったもんですから。心境とか好き勝手に話してもらって記録しておこうと思ったんだけど。
魚谷さんに紹介してもらった京都の建築関係者を追跡記録してて、魚谷さんが最も記録回数が少ないんですよ。記録が残っているのはいままで1回だけです、その時の動画も公開しています。京都に行っても魚谷さんさんは台湾だったか中東だったか外国に出かけていっていて会う機会がなかったんです。

魚谷:1回聞いてもらったら十分です
佐藤:人は変わっていき老化もする生物なので、1回では魚谷物語を作るのは十分じゃないですよ。受賞のときはいい機会だと思いましたが、嫌がったので実現できずでした。柳沢先生とは同期でしたよね

魚谷:違います先輩です。3つか?

柳沢:学年は3つですね。


魚谷繁礼さんの建築への思いは「都市の構造と京都型モデル」参照ください
竹内泰先生の東北津波被災地での活動


佐藤:311直後、五条の橋のたもとのビルでお二人が「被災地からの報告会」を開いてくれたんだけど、フレンドリーな感じでだったので同期生だと思い込んでしまっていました。(記録が無い)

柳沢:あれは神楽岡の催しの一つとして開催したです。共催でやったんですよ。

佐藤:俺、神楽岡の講演会で2度話しているんだよ。3・11直後の被災地からの報告の時の写真もない。大変・大勢の人が参加してましたよ、井口夏実さんはお母さんと一緒に来てました。、あの時はいろいろ話したけど建築の話はしなかったので、放射能降っているし津波で家は壊れているし、どうしても災害下のいろいろな活動の話になってしまいました。

魚谷:会場の雰囲気はよかったですねブルーシート敷いて。

佐藤:そうだね。どんな災害でも数か月後には興味がなくなっている。戦争でそうだね。人間ですからそれでいいんですけど。東日本大震災の震災地での活動について竹内先生と語り合いたいだけど、どうも東北では話し合いの場を作ることができませんでした。
魚谷さん!場所をつくってください。竹内先生も東北の津波被災地に入って頑張って活動して、そのことが原因で大学を移籍したり、今年は辞めてしまったり。いろいろ動いているだけど。竹内先生は当時のことを語るのを嫌がっている、後輩のみなさんが場をつくると語るかもしれないんで。語ってもらうほうがいいんだけど、竹内さんの被災地活動について彼の脳内だけで納めておくのはもったいないと思うんです。被災地で涙しながら頑張っていたので今は揺れ戻しも大きく来て話したくないのだろうけど。一つの建築家の被災地における活動の限界について記録しておきたい。京大気質の反骨精神と情の熱い竹内さんの被災地物語を聞いておきたいです。

これで終わりたいと思いますが何か追加しておくころがありますか。無かったら雑談に移りますが。最後に一言ずつお願いします。






竹内泰先生による3・11津波被災地での活動の一部が記録されている(佐藤の活動も紹介されている)
欲しい人は1000円+郵送料で送りますので佐藤までお知らせください
渡辺:そうですね、
佐藤:審査員に呼んでいただきありがとうございます、学生と交流してああいう記録を作るつもりではなかったですけど、面白いから記録できちゃたよ(笑)
渡辺:そうですよね、語り合いの記録も作っていただきありがとうございます。

佐藤:こちらこそ学生さんの現在がわかりましてとても勉強になりました。文字起こしして画像と学生さん、それぞれの推し唄をweb記録に埋め込みましたら、だいぶ今の学生さんの深層が理解できるようになって、手間を掛けweb記録にしてよかったです。あの語り合いはJIA主催の会の後の呑み会での語り合いなので公開してもいいと思っているですけど。

渡辺:問題ないと思いますよ。
佐藤:大学の先生を通して聞き取りすると、学生を先生が守ってしまうことも時々あるので、「よけいな事を聞くな、記録するな」というのかな、嫌な顔する先生もいますよ。
渡辺:全然問題ないです。学生は公開してOKです。
佐藤:10年後に読み直すと面白いと思うんだけどね。
渡辺:はい。

佐藤:聞き取りも語りも、お互い、卒制だけで他の世間話・情報もなく呑み語りの記録だから、まとめるのは難しいですね。今回のように9人まとめて聞く形で記録は初体験でした、いままでは学生1人1人を聞く形式でした。

渡辺:難しいですよね、そうですよね。
佐藤:では近々公開します、おまちください。公開すると言ってもHPのHOMEにリンクはっておくだけですけど。
渡辺:承知しました。

布野研は僕にとっての私塾だった

魚谷:今日のテーマは私塾なんですよね。
佐藤:集まって呑み語り続ける場をなんて名付けたらいいのか分からないので私塾としただけです。

魚谷:僕は綺麗な話して申し訳ないですんですけど、僕は布野研究室は僕にとっての私塾だったなと思ってます(笑)学生の時は他の人と建築の話をするような相手は誰も居なくって、布野研の先輩たちと言っても菊眞さんですけれども。菊眞さんと一緒にいろんな建築を見て回ったり、建築の話をしたことが唯一学生の時に僕が建築の話をした時間でした

それで仕事するようになって今度は、京都で柳沢さんとか森田さんと一緒に建築の話をするようになりながら仕事をしていて。だから綺麗だなと(笑)学生の時もそうだし、社会人になっても研究室の先輩たちと話をできるのが僕にとっての私塾かなと思います

佐藤:仕合せな人間でえすね、なるほどね。魚谷さんは美味しいところだけ体験されているわけですね(笑) 

魚谷:たまたまですけど、すみません。

佐藤:京都にも行きたいけど新型コロナ問題はあるだけど、コロナ明けしないかな?まだまだ。皆さんは予防接種三回接種、済んでないですか。

魚谷
:してないです。まだですよね。2回してます。

佐藤:会場の消毒と手洗い消毒とマスクはまだ要るだろうね。公式には大丈夫とは言えないので面倒なんだけど。結核菌の歴史を見ていると時間はすこしかかっているけど共に生活して克服しているよね。で、新コロナは接種まで1年ほどで短時間だった。でもまだ重症化する人もいるとのことなので。俺は今年からは出来るだけ活動しようと思っておりまして、高知に行ってよかったです。 柳沢先生最後に何かお願いします。


柳沢:先ほど菊眞さんが大学で私塾をやているようなものなんです、と。それを聞いて、いいなと思ったんです
僕はまだ出来てないなと思ってます。大学を私塾に出来るといいなと思って。また布野研がそういう場所だったという、同じことを出来るわけではないんですけど、何かしらそういう場を作りたいなというのが考えています。それが私塾というのがいいか、というのは、大学じゃなく勝手にやるから私塾なのであって。基本的には学生が勝手にやるようにいかに、誘導していくか。楽しそうに活動しているのを見せることだと思うんです。
あとは可能性あるとすれば、授業で先生の側が面白がって話してないと学生は面白く聞かない。同じように大学間交流とか、そういう塾的なものとかも、本人、大人たちが楽しんでいるのか?そこを頑張ろかなと聞いていて思いました。


佐藤:森田さんの最後に〆てもらって終わります。その後は雑談タイムで語り合いますので、時間に余裕のあるかたは残っていてください。

森田:そうですね、
佐藤:菊眞さんは今博士論文を書いてますのでエール送ってください。
森田:えーそうなの。あそうか。

渡辺森田さんから紹介いただいたんですよ(笑)
佐藤:博士論文はその人を知るためにはまとまった大切なデータなので、森田さんから魚谷さんに博士論文書くようにすすめてください

森田:魚谷君は時々書こうかなと言ったり書かないと言ったり、揺れているみたいなんです。
佐藤:森田さんの博士論文をあげれば、刺激を受けて書きますよ(笑)余計な話をしましたが、何か語って〆てください

森田:大学で教えるようになって思うのは、大学は私塾という話でしたけれども、本当に毎日、布野研究室に居ると、先生から、呑み屋から電話が掛かって来る!あの環境がそうだったかなと。ああいう事をやりたいなと思ってますね。

佐藤:コロナ下だから学生が居酒屋に呼び出されるのもキツイんじゃないですかね。新コロナ禍は3年目だし森田私塾を経験しないで大学生卒業しちゃうよ。

森田:それで思ったのは、魚谷君とやっている勉強会というか、リサーチみたいなのは大学の活動じゃないから、いいですよ。いいのかどうなのか分からないけど。研究室の中でやっていると問題だけど。他所で勝手に好きでやっているのだから、いいでしょうと言えます。コロナの変な管理から逃れれるかなと思って、

魚谷:大丈夫かな(笑)  会場笑

佐藤:IOUAは主宰の1人が魚谷さんだから、自由に交流できるんじゃないですかね。
森田:IOUAでもいいし、だから強制じゃなくって来たい奴はくればいいよみたいな、そういう乗りでやる呑み会だとか、勉強会だとかは、こんなご時世でもやりようがあるなというのは思いますね。

佐藤:今夜は私のZOOM手違いで、柳沢先生に場を開いていただいてしまいました、ここからは私が、ここからは私の方に切り替えていただき、続けることにします。柳沢先生ありがとうござました。

柳沢:私はここで失礼します、佐藤さんにホスト切り替えます。

渡辺:今、切り替わったみたいですよ

佐藤:切り替えありがとうございます。柳沢先生、みなさんこれで一部は終ります、どうもありがとうございました。森田さんは家に着くまでまだ1時間ほどかかりそうなので、続けますので、
森田:1時間はかかりますね

 わいいがやがやかほど・・・・3時間ほどわいわいは続くのであった。

「私塾を語る」これでお仕舞です。最後まで見ていただきありがとうございました。

 記録作成・文責:佐藤敏宏  01 02 03 04  HOME