2022年4月4日 「私塾を語る」 web記録  作成:佐藤敏宏
ゲスト
森田一弥さん
渡辺菊眞さん
柳沢究さん
魚谷繁礼さん
03

インターンシップが単位として認められる

佐藤:卒業設計展の話しは〆て、ここから話は「私塾を語る」に戻ります。 1:00:17

そういう中にあって、神楽岡工作公司とか豊和塾、そして魚谷さんが行っている私塾のような活動はSNS全盛のもとこれから行って意味が無いのか?有るのか?ということを話合いたいんです。魚谷さんどうでしようか。設計業大繁昌してしまいお金持ちになったのでもういいかな。

魚谷:金持ちじゃないですけども、新型コロナで仕事も大変です。気が付けば今年は僕は給料ゼロらしいです
         会場:笑っている
でも、さっき話にあったいろんなコンテストもそうですけれど、最近、学生ってインターン、にむちゃ行っているんですよね。魚谷事務所にもインターン来ている。あまり言っては拙いですけれど。インターンに来るよりは僕と一緒に京都の街中を調査したりとか、私と一緒に活動する方が学生にとってはいいんじゃないかなとは思いますね。

佐藤:履修時間に認定されるようになったから外に出て学んでいるんじゃないんですか、インターンに来る学生は自分のスキルアップが目的だったり、魚谷さんはどんな仕事をしているのかな?とか、社会勉強に来ている。アトリエ事務所はどんな雰囲気かそれを体験しに来るんでしょうか。京都でメジャーだから観に来るとかですか。

魚谷:それはないと思います、単純にアトリエ事務所はどんなのかと。町家の改修に興味がある、そういう学生が多いんじゃないですかね。あまり分からないです。あんまり好くないんですけども大学院でインターンシップが実務経験になるんですよね。

佐藤:やはり、授業の単位として認められるってことですね。

魚谷:そのようなインターンは、あまり来てほしくないですよね(笑)インターンだから来なくっても当たり前ですけれど、問題ないんですけど、来たらスタッフの負担も増えるので。それでも京都で建築設計をしている現場がどんな感じかを、なるべく可能であれば開きたいなとは思っているんです。単位のためにインターンにというのはキツイですよね。(笑)

佐藤:インターンで魚谷さんの事務所に来て社会人になってから遊びに来る人は居ますか。
魚谷居ますね。サッカー経験者とか(笑)サッカーの試合に呼ばれ我が事務所に就職する人も何人か居ますね。









2022年2月滋賀県立大学環境科学学部建築デザイン科DANWASHITSU発行『雑口罵乱I』

5116頁〜「都市の構造と京都型モデル」魚谷繁礼さんの講義録を参照ください

IOUAっていう都市アーキビスト会議 15合同スタジオ

佐藤
:柳沢先生と渡辺先生にお聞きします、大学からインターンにも行くんだけれど、コンテストで他の大学でも学生同士が偶然出会ちゃう。そこで友達が出来て情報交感したり、卒業してからも交流する、そういう出会いが生まれてもいるんです。
そこで大学の学生同士が交流する合同授業でしょうか、先生が連れていって今日は柳沢研究室をたずねみんなで交流しよう。渡辺菊眞研究室と交流しようと。そういう研究室同士の交流は可能なんですか。忙しすぎて交流なんかしてられないかな。交流は先生同士の付き合いの中で生まれるだけかな。学生同士を誤配すると言うんでしょうかそういうことは。

柳沢:それは学生の時間の有無ですか、教員の時間ですか。

佐藤:学生の時間の有無ですね。先生は独法化後は忙しすぎて無理でしょうし。
柳沢:時間があるか無しかで言うと、たぶん有ると思うんですけれど。先生に言われて行くというのだと、確実に上手くいかないだろうなと思います。

佐藤:学生同士が出会うのは私塾のような場があって、そこから社会のなかにある人間関係も広がって行くのかいいのではと思いますが。

柳沢主体的に参加しているかどうかと思うんですよね。魚谷さんとも一緒にやってます、京都でIOUAっていう都市アーキビスト会議と言って15研究室ですね。合同スタジオを前期、4,5,6月と4ヶ月ぐらい掛けてやっていまして、僕も大学間交流とか、大学をまたいだ交流があるというのが一番、参加のモチベーションとしていい。研究室も、それなりに負担は大きいんですけれども参加しているんです。この間、新コロナの影響もあるんですけれども、交流するのかというと、しないですよね。

佐藤:好奇心が持てないとか、コロナが怖いとか、何ででしょうかね

柳沢:言われて行っている限りは。出会い頭に誰かと知り合って仲良くなることはもちろんどのような場所でもあると思うんです。構造的にいい関係が生み出せるなんていうことは、教員が音頭をとってやる企画ではたぶん起こり得ないと思っています。
先ほどの話と関連させると、各地でやっている卒業設計展なんかも、スポンサーが絡むと、音頭をとっているのは教員なのかスポンサーなのか、学生なのか。それも場所によるんですけど。音頭をとって皆参加しませんか、学生を募って参加させて、そういうところだと、いい場が生まれている感じはしないですね
だから、神楽岡工作公司は塾というよりは単に勉強会みたいなものだったと思うんです。だれか講師がいて、というよりは教え合い、そういう場を自分たちで作るとすればいい。そこで知り合った人や、この人の話を聞きたいという人を呼んできて。集まってもらって、そういうのが本当にその後、今にも続く人間関係になっていますし、神楽岡工作公司のような仕組みで学生にはやってもらいたいと思いますし、凄く有意義だと思います。でもそれは教員が音頭をとって今から交流するぞ!とやると、それはたぶんうまくいかない。    会場笑


2005年4月17日神楽岡工作公司・特別講演会「建築の自由…1」


■ IOUA   学生にとって大切な建築情報は誰が作るの


佐藤:今、柳沢先生が語られた、15研究室が合同で勉強会を開くというのは、布野さんが語っていたタウンアーキテクト、や『京都げのむ』とう雑誌の延長したものですか。あの流れは消えてなくなったと思っていたんですが、まだ、流れはあって活動していたんですか。

魚谷:ちょっと違うんですけど、もともと京都建築スクールとしてスタートして7年ぐらい前から、IOUAという名前に変えて、企画主旨も変えて(サイト



佐藤
:菊眞さんが編集していた『京都げのむ』の延長のものではないですか。

渡辺:まったく違うと思います。

佐藤
:別な活動ですか。

魚谷:最初の頃は、終ったら呑み会に行ったりして、教員もみんなで。京大生とか専門学校の学生とか必ず最後までついて来てました。京大生は特に生意気で「先生が言っていることなんか意味分かんね」という感じとかあって。それで、学生同志も他の大学から何人も来ている学生も居て。学生同士で交流はあった気もします。
たぶん決定的に教員や先生方が、その時に比べると皆年取って忙しくなっている、というのが、あるのと。学生の質も、もしかしたら変わっているかも知れないですよね。昔は京大生とか絶対来ていたけど最近はちょと違うのかも知れない。
昔は集会が終ったら教員と学生で公園で鬼ごっことかしていましたもの。警察が来て、来たら逃げるみたいな遊びもあって。
今は、渡辺研と滋賀県大の交流していたりするんですよね。僕も森田さんのゼミと一緒にプロジェクトやっていて、うちの学生が森田さん所に行ったり、森田さんの学生がうちに来たりしているんです。学生同士の交流は無くはないんじゃないですか。




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都市を予約する 都市アーキビスト会議ジャーナル 都市アーキビスト会議/IoUA 2018/11/2

佐藤
:分かってきました、大人が学生のお節介をして、若者よ繋がれと言ってもしょうがない。それは皆さん思っていることだと確認しまして。(笑)
それにしてもここに集まている人はメタバースの建築交流世界に関係なく生きて来たと思うんです。リアルな場での交流を行って、生身に直接影響し合っていた世代だと思うんです。
今は、Z世代が学生です。彼らは生まれた時からiPadを抱えてアニメを見たり、歌を見たりして大人になっています。情報の需要の仕方がたいぶ変わりました。ということはリアルな場でお酒を呑み交わし唾を飛ばし合い交流した世代とはだいぶ違う人間だと思います。双方にあるのは、web情報に関しては受け方と使い方の違いだと思います。2月24今始まった戦争ではweb場にフェーク情報も両者から多量に流されていて、それが話題にもなっています。スマフを手に持ち通信衛星を通して戦争の惨状を世界に発信しています。webの情報の正しさをどうやって知るのか、それが課題にもなっています。

建築界も同様ですが、花田達朗さんと20年ぐらいワイワイしているジャーナリズムの健全さと関わる問題が顕在化してしまい、誰もが「まともな情報とは何か?」を日々感じて暮らしていると思います。健全な社会と民主主義による社会を継続するためにはまともなジャーナリストが存在しないと立ち行かなくなる。権力者発のフェークニュースだからけになる、その現実は現在の戦争情報に触れていれば語る必要がないと思います。

一般的には1995年からのweb革命も25年経ってみると、自己宣伝とフェークが多い社会、ここまで来ました。建築メディアにまともなジャーナリストは少ないのですし。東京発ですし、多くは有名スター主義の編集で紙媒体を制作し売るしかない。で、地方や無名の若い人が今それを見る、とどうしても偏った情報になって身近に感じない状態だと買わない読まないと思います。今後建築界で生きていくために本当に必要情報がどこに有るのか、分からない状態じゃないでしょうか。

健全な建築ジャーナリストを待たずでは・・・何かしら指南する人が要ると思います。この20年は建築界でもwebメディアに露出を多くして有名になって発言し続ける、そういうモデルだけだったように思います。既存紙メディアの価値は売れる、有名が発言する機会を多く与え、売る。そそうして津々浦々に影響を与え易い。地方から観ると安易な構えだけとも言えそうですね。段の上から大声で発言する人や視聴率を稼げる芸能人がテレビで時事発言する様は社会に与える影響も大きいと思います。そういう人々のつくる情報に晒してるだけでいいのだろうか?という事も気になっていますので、今日は私塾につついて語りあってもらっています。

渡辺菊眞先生のところの学生は建築雑誌もさほどみてようですから有名建築家の影響も受けないので、いいということで。

 自前の場で独特なことにがっちり突っ込んでくれよ


渡辺:なぜ建築雑誌などを見ないのか分からないんですけど。あんまりピント来ないようですね。それはそれで珍しい状況なのでいいのかなとは思っているです。私も他の大学にそんなに行ってないので分からないんですけどね。
先ほど魚谷さんがおっしゃったように滋賀県立大学の芦澤 竜一研究室とオンラインで合同ゼミをやっていんです。オンラインやって面白いなともし感じれるとすると、自分が居る拠点でリアルでかつその場所に居なければ意味が無いような事をやっていないと、オンラインにしても何んの意味も無いかなと思ってます。コロナになって面白いなと思うのは、遠い所の人と会うのは難しくなったんだけど、具体的に交流していますと、逆にそこに居る話に関してはもうちょっと責任を持たなきゃいけなくなってきて、自分が居る、そこの場所に関しては、がつちり取組んでいないと、遠い場所に居る人と交流してもあまり意味が無い。
むしろ自分たちが居る場所に関して突っ込んでいくほうが面白いのかなと。そう思ったのは、コロナ以降ですね。

芦澤研が良い悪いではないけれども、オンラインとかの機会が多くなった時に、どこかの大学とZOOMで交流はできるんだなと思って始めた合同ゼミなんですが。どこかそこに居る場所に関して独特なことを突っ込んでやってくれてないと、ぜんぜん面白くない。独特な事に突っ込んでいく、そこにかかっている、という気はします。

だから私のように地方に居る人たちは、どうやってそれを発信するか、という前にそこの場所に居ることの面白味みたいなことをかなり突っ込んで楽しまないとしょうがないと思っていて。なので、そこでやる何かというのが私塾に代わるようなことになるのかなという気がしていて。そいうのがあちこちであるといい。そういう人が何しているのかが気になりだして、結果学生たちもどういう事で、どこにどういう人が居るのか分からないことかもしれないけど、そういうやりとりから、何か出来たらいいのかも知れないなという気がしています。
芦澤研の子が高知に遊びに来ることはないんですけれども、まずは遠方に行ったこともないような所の話を聞くことで、何かあればいい。というぐらいには思っているというようなところが現在の感覚ですね。

佐藤:大学でも似たような所とオンラインで交流してもあまり意味が無いぞと。

渡辺:そうですね、交流に当たってはそこに居る固有性を持っていてほしいというのがあります。自分で言うのも、なんですけれども、自分の所はちゃんとしていると思っています。相手を見るとその人たちが情報に毒させたりしていると、わざわざオンラインを介して会ってもしょうがねなにこいつら、みたいに成っちゃう。それは全然つまらないですよ。なので、居場所でちゃんとしてよというのはありますよ。(笑)相手がちゃんとしてないと意味が無いというのがあって・・・合同ゼミ問題が多いですよ(笑)

佐藤:個人のレベルでの交流でも各自が自分の立っている場所でキチンと立って生きていないと、会って会話や交流してもしょうがないというのに似ているんだね。

渡辺:そうです、そこですね、それを強く感じています。

佐藤:学生もその地域で自分の足で立って学んで建築を考えている、そのことが交流の基本に無いと会っても有意義な交流にならないと。

渡辺:基本的にそれに尽きるのかなと思っています。

佐藤
:紙の雑誌媒体の作り方が地方で考える、考えさせる意図で編集されてはいないのかも知れないね。

渡辺:読み方にもよると思いますけども、あまりなっていないことが多いのかなとは思います。僕らはどう感じ取るのか、そこは難しいこともありまして、そのような他者が作った雑誌情報を見ているよりは、近所を観てるほうが面白いこともあるので、そうなのかなとは思っています。

住経験インタビューのすすめ


佐藤:柳沢先生は京都らしく京都で考えるように学生に教える、指導していらっしゃるんですか。京都ならではの建築の学びですが。

柳沢:伝え方としては僕自身として見つけられていないからかも知れませんけれども、そういうのは無いと思っています。

佐藤:でも個人的な視点と言いますか『住経験インタビューのすすめ』を刊行されて、書かれていうように、一人一人が生きて来た住経験を掘り起こして、学生やその両親と共に語り合いをさせているので、その地域に立って建築を考え出すという行為は実践していると思っていました。
それは京都である必要はないんだけど、学生さんが生きて体験してきた住宅から考え出すという姿勢です。住経験を聞き取りをし図面を書いて記録をつくる。各学生の体験を持ち寄り、語り合うことで普遍的な思考をつくりだす。
元々は親子の間の日常的な対話で消えてしまうのでしょうが、そこを豊かにしつつ文字にし暮らして来た建築の平面図を描き、そこを基本に建築を語り合いを始める。私は建築の門出としては優れた行為の学びだと思います。
自分で一次情報を手に入れて、文字にしたり図面を描いたりしてるのだから、当然、雑誌からの情報を得る行為と比べると酷く手間がかかって大変だとは思います。住経験インタビューで得た地域性と菊眞さんが語っている地域に立って考える行為は同質に思いますが。
建築には人が住むことがベースにあるので、柳沢先生の発明品「住経験インタビュのすすめ」の活動はとても普遍的で重要だと思っています。









野田 倫生著
「どんな家で、どのように暮らしてきた? 住経験を語ることの魅力と意味」 

佐藤: 住経験が建築を学ぶ学生にも重要な行為の一つだと再確認したのは、3月8日の日です。菊眞さんが教えている修士2年生になる男性が、人生の住経験は「転勤づくめで、生まれた途端に日本各地を転々とし歩き、フィジー島にも暮らして、俺の家はどこだか分からず落ち着かない、嫌だな」ということが建築を学ぶ原点になっていました。で、人間が定住するということを考えたいんだと語っていました。悲痛な感じで訴えていました。彼は転勤に生きて来た人生で、彼には深刻だったんですね。
その方の推し唄も教えていただきましたが、自分をチャンと表現して胸を張りたいという欲求が噴出しているし、自分の求めている他者承認を得られないで悩んでいる歌なんです。
どっしりした住経験を持たなかったことで不安定な、空虚な体験だと語る、落ち着かない生というのも可哀そうだなと思いました。住なのか親子の対話に原因があるのか、そこは不明だとは思いました。ですから、彼も自分の転々とした住経験を描き出し記録し見つめ直して考えると、建築のスタートとしてはいい感じの建築人になるなと思いました。

住経験というのは個人が立脚する物の考え方をつくるために役にたっている感じでしょうか。柳沢先生いかがでしょうか。

エッセイ 柳沢究著
住経験ノート(1)

住経験ノート(2)

住経験ノート(3)

柳沢住経験インタビューに関しては、やる本人にとっての得るものと、それを集合、ある程度いろんな人の住経験記録が集まった時に見えて来ること、二つあると思うんです。自分の足下ではないですけれど、自分がどういう経験をベースに物事を考えたり建築を把握しているのかと、自覚できるという点に価値があると思っています。確かに、僕も転勤している方で、布野先生に言せると「そういう転勤している奴は自分のモデルが無いからダメなんじゃないか」と(笑)言われたことがあるんです。(笑)

渡辺:それは酷い物言いだな

柳沢:そんなこと言われたって!しょうがないじゃないですかと。そういう経験もあるので。それよりは、先生に言われて「そうなのかな?」と思ったりもしたんですけど、自分がそういうものを持っている原風景がある人はいいとして。原風景が、ありがたがられるんですけど、原風景を持っている人はもちろん大事にしていただいて、無い人は無いということを、活かす、そういうものだということです。そこから何ができるかを考える足場をつくるので、そういう意味では凄く大事です。

住経験記録を何人か集めて面白いなと思うのは、先ほどの地域の話で言うと、時代もそうなんですけど、どうしても時代とか地域というのはステレオタイプで分かり易い紋切り型で語られ易いんですけれども、それぞれの人から見た、その地域なりその時代って全然違うし、いろんな色合いがあるし、ステレオタイプと真逆の事が当然起こってきて、ステレオタイプは確かにある意味を持っているんですけども、それが一色ではなくって、いろんな色のモザイクの結果、だいたいこんな感じになっているんだというのが見えてくるのが凄くいいなと思ってことです。地域のことを理解するのに正確な言い方が出来るのではないかと思っています。


佐藤:菊眞先生の男子学生さん・修士生の住経験で家が定まっていなかった、そのことと、彼が地域を考えることで、アドバイスをするとしたらどんな事が言えそうですかね。

渡辺:柳沢先生が言ったことなんですけれども、それに尽きるのかなと思っていまして。アドバイスはあまり出来ないです。ただ、修士の学生は借家にしか住んだことがなくって、あちこち行っていたりするわけですけれども、その場合、そういう自分のことを思い出すときに、高知に居たときに何を興味に持つのか、という話だと思っていまして。
さっき言っていた地域みたいな話は、高知だからこういう枠組みがあって、と考え出すのは意味がなくって。学生は学生として、高知の何に関心をもっていくのか。それは彼の住経験みたいなものがものすごく大きそうな感じですから「山の中に人がどういうふうに住んでいるのかを観たい」と言ってます。

そういうのもアドバイスよりは彼がある思いで、それを選びとったりしていますので、学生は学生で他の人は故郷があるのかどうか、なんとも言えないものです。故郷がある人はある人で考えるでしょうし。僕も奈良になんの血も流れていない土地に住むことになっていたりしますから、そういう人が多い中で、生まれ育ってきたようなことがあるということがバックボーンになって、高知に居るときにどういう事に関心がいくのか。だから無関係じゃなくそこがうまく繋がるようになるということだけを観ておけばいいのかなと。そういうぐらいですかね。アドバイスはできないけども。そこの経験みたいなものから関心がつながっていくような環境をどう作れるのか、そういう話だと思います。


佐藤:魚谷さんの住経験、実家はマンションでしたかね。
魚谷:実家、最初はマンションですね。普通の2LDKです。

佐藤:魚谷さんの住経験と、渡辺さんが語られた地域性について何か語ってもらいますか。地域というか建築を考えるための住経験のベースというのでしょうか。

魚谷:分からないですね。どっちでもいいのかなと。(笑)何か、分からないな。どうだろう。何が知らか影響はありますよね。どこで育ったか、どういうふうに育ったのかっていうのは。だから何かが可能になるか、何かが障害になったりするわけでもないので。だから何かしら影響があるので、よくも悪くも、いい影響か悪い影響かは分からないです。

佐藤:魚谷さんの実家は一度も転勤されなかったでしょうか。

魚谷:伊丹市という所の最初、社宅一軒家に住んでいて、その後、父親がドイツに研究しに行ったんで、付いて行って。ドイツの貸家、大家さんの家の1階に住んでいて、4才ぐらいですね。で、尼崎に戻って来て高校卒業までずっと同じマンションですね。何の事もない普通の2LDKに住んでいました

佐藤:大学で京都に来てからの方が、京都市内を転々していたことになりますか。

魚谷:場所は転々としていますけど、基本は京都市内ですね。北山の方から北白川の方へだんだん。

佐藤:お前の地域、建築の原点はどこだと聞かれたら京都ですかね、京都のグリットですか。
魚谷:いや僕は京都ではないです、尼崎です。別になんでもないですけれど、普通によく言われるんですけれど、「先生はご出身も京都ですか」と言われます。「すみません尼崎です」と言ったら「なんや尼か〜」って(笑)
佐藤:尼崎へは差別意識があるんだね。
魚谷:差別地域です(笑)

佐藤:尼崎市は女性市長さんが頑張っているような話を聞きましたが。

魚谷:そうそう、最近住みたい町ナンバーワンらしいですよ


 絵:ネットより 

渡辺:そうなんや!
魚谷:ぜんぜん住みたくないですけど、(笑)愛着はあります。それがどの程度自分に影響しているのか分からないです。 


佐藤:どこから建築を考え出すのかは難しいね、各自に思い思いに考えればいいので放置しておくしかないんだけど。

魚谷:尼崎の2LDK出身ですけれど今は京都で町家とか改修していますからね(笑) 


 その04へ続く