(作成・文責:佐藤敏宏 HOME
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落ち着かないであろう新学期早々、「高知工科大の修士生及び学部生と語る (2022年3月8〜9日  高知市内居酒屋)  学部生編 01 02 修士生編 01 02 」を最後まで丁寧に読んでいただきありがとうございます。

皆様の文章に目を通し気付いた点などをお伝えいたします。
1つ目は私がweb記録を作り続ける目的のようなものについて。
2つ目は皆様の感想文で気付いた点を列挙し先輩方の語られた主要な点について。
3つ目は伊藤優汰さん卒制のテーマである避難所について。
内容は上記3点です。

(1.web記録作成の目的

学部生と院生の肉声をweb記録しましたのは彼らの今後を知るための私自身の基準点を持つための一つの方法だと思っています。10年後を目標に、彼らがどのように変化していくのか、あるいは社会に出て何を思い生き続け、どのように変わっていくのか。それらを知るために現在の心境を最もよく表しているだろう「卒制」および「修士制作」を通して建築や生い立ちを含む生活そのものを語っていただき記録化しています。
と言いましても、一度だけ、お酒を呑んで酔っぱらいながらの数時間の語り合いと交流ですから、先輩たちの活動や行為の重要な点と、彼らの意思を理解するために必要な情報量を記録できているわけではありません。「無いよりいいか」という程度の記録だろうと思っています。
加えて、研究者でもない私の手作り記録ですから内容は学問上相応しいのか等、いろいろ問題点もあると思います。ですが10年後に彼ら・彼女らに再会し今回の記録を基にいろいろ語り合うための資料となるように努めています。できましたら彼らにおかれても時々読み返しながら、書き加えているなどしつつ、その記録を保存しておいてもらえるならば、今回の記録と照らし合わせながら10年間に変わった点などを語り合うことが可能となると思っています。新旧記録を持ち寄り照らし合わせることで、涙あり笑ありの暮らしのなかで、自身が建築人になろうとしていた生の基点を再確認することになり建築の楽しみも厚くなるかもしれません。正直に記録すれば挫折や成功話なども含み、建築人に至る過程を共有することが可能ですし、多様な課題を発見したり建築人特有の喜びをも共有できることになるのではないか、と思いweb記録を作成しております。

(2.後輩の方々に読んでいただけた

この記録は多くの人に読まれることを想定しておらず「語り合った本人とそこに居た皆さんだけが分かればいい」という体裁と内容となっています。ですが皆様の感想に目を通しますと、熱心に読んでいただき、要点を理解し活かしていこうという姿勢が分かりまして、望外のことが起きたんだな・・・と喜んでおります。後輩の皆様の行為には驚きもしましたし大変ありがたくも思いました。貴重な時間を費やして感想を寄せていただきありがとうございました。皆さんが高知工科大学に進学された事で生まれた私や先輩方々との御縁を活かしている具体的な姿勢に感銘をうけました。

■皆さんの感想・気付きは興味深いものですからランダムに羅列しておきます。

・自分の立っている足下から建築を思考しだす。

・人間が建物を建てる営為の光と影の存在も知りながら、自分の暮らし方や価値観に含まれる齟齬も社会でどのよう活用されているのかを思う。

・建築は建物を利用するためだけにあるのか、一度は考えてみる。

・建築が求められる現地に立ち、そこに暮らしている人の話を聞くと同時に取材記録とし自分のための資料を作る。そうして、自分の体内にある建築への嗜好と志向を他者を通して知る。

・他者の考え方を聞き理解する能力を身に付けることで、自分自身の建築の思いを伝える力を涵養する。

・他者に評価されなかった時は他者の考え方を知る機会なので、自分がもっている感覚を拡張するシャンスと捉える場に変えてみる(相対化の場)




佐藤FB投稿記録(2022年3月9日高知市内の居酒屋の様子)


・他者に嫌われる建築を試作することで他者の建築観を知るための機会とする。

・自分がよい建築を志向しているという考え方に囚われず、その固定概念を解き放ち、本来の自身にある自由な感覚を放って作成を試みる機会を一度は持つ。

・建築は福祉的な事態なのか、造るための作事という事態なのか、あらためて問いを深めつつ周囲の生の営みも豊かにするため総体なのかと思いをめぐらせる。

・ 住宅設計は建築の基本であるが、祈りの空間のような人の営みの長い時間のなかで継続している建築文化の領域に属する空間も考えることによって、長い時間の中を生き抜いている住宅建築も輝いてくる。

・現存する、あるいは消滅した建築が、それぞれ持っていた時間(歴史的経緯から始まりその時間の積み重ね)を現存する建築を通し、新古の時間が同時に存在し得る姿と、その面白さも知る。

・各建築の中にあるお互いの時間(歴史)を比較することで建築の面白さを知る。

・人が内包する異なる時間(現在は順序を重ね進み成る時間だけではない)の素を知ることで建築を楽しんだり、異なる時間観をもとにした建築も発想するなどして実践してみる。

・他者を説得する術をもつべきなのか、丁寧に説明するも理解し同意は得られない場合もある。そこでは異なる他者の存在を尊敬しつつ縁なき者の存在をも知る。

・身の回りにある不快な景観はなぜ生まれるのか、それらは人にとってすべて不要なのか、留まり続け調査研究してみる価値がある。

・建築と人間は存在することで、そこにある他の存在を否定もする存在だ、その点も考える。


抜き書きして思うこと

単なるweb記録に目を通し皆さんは上記のように、まとめて語るには難しくも多様な点に興味を見つけ出しながら感想を残されました。建築は1人の人間によって成すことはできない事態です。多様な人手と人知が成す「建築スフィアー」内の事態でもあります。1人の知を超え連携し合って成ってる不思議な事態なのです。私有物の建築を一般社会では共有された意識の集合態として捉えることも難しいわけですが、諦めることなくそこにある困難と不思議を抱きしめながら、自分自身の生の豊かさと共に「建築」を考え続けている者が建築人なのだと思います。そこに気付くことで「建築」が貴方を仕合せに導いてくれる一生の友だと思い「建築スフィア」参加することが可能になります。
また建築は、人とその集合、さらに建築と人を取り囲む経済状況と自然環境、加えて建築の存在を可能にする大地と建築の中にある技術・歴史などをも含んでいる複合的した「建築」は常に不完全ではあるがゆえに、今と過去と次世代、現在の人々と未来と過去の人々をも統合した事態に成るのだと気付き、現在の「建築」と自分自身の不完全な存在の意味を確認することで、生きてる標や誇りも生まれるのだと思ったりします。

高知の大地から皆さんも建築人として生き始めるにあたり、大衆的な意味で成功することではなく、建築が存在するだけで豊であると理解できている建築人である。そう知ることで、建築を語り合うことの豊かさ確認することになのではないでしょうか。日々の学び感じていることだでしょうから自分にも、人々にとっても「建築」は必要不可欠で、不可思議な人の行為の集合態に興味を持ってしまい学んでいるのでしょう。その領域に入っている生の豊かさを感想文を通じて確認することができました。さらに先輩の卒制の語り合い記録を読むことを通しても、建築の文化やその歴史と言われるものまで含め建築存在の豊かさを知る建築人になっていたことも自覚すべきだとも思います。

自分の設定した目標に達せず成功せずとも、その点を確認できただけで十分に豊かで仕合せなことだと私は思います。建築人と成る、成ったしまったことを真剣に思い悩み日々研鑽されている皆様の姿を具体的で身近に意識することが可能な感想文の数々でした。ありがとうございます。

卒業してからも渡辺菊眞先生にお会いし呑み語り合ってください (交流のすすめ)

このような皆様の存在に喜び、建築を学ぶ姿勢に敬意を表しつつ、皆様のような建築仲間も包み込んでいる建築スフィア(圏)の存在を誇りに思います。1年後には高知工科大学を卒業され社会に出て1人で立つことと思います。世には煩わしい出来事は山のように発生しますけれど建築スフィアに生きる建築人であることを忘れず、その時は4年ごとにでも渡辺菊眞研究室に舞い戻り、渡辺先生と仲間たちと共に顔を合わせ語り合い、今日の仲間の存在と建築人として連携し合い生きている喜びを再度確認していただきたく思います。

皆さんの健闘を祈り矢野顕子さんの「おおいなる椎の木」をこの記録に埋め込んでおきます。
 矢野顕子 「おおいなる椎の木」

■伊藤優汰案にある「避難所」について

先輩たちの記録を読まれ「避難所」について誤解が生じているかもしれないので記しお伝えすることにします。

現在の避難所

戦争や原発事故などを含む人災、地震・洪水などの自然災害が重なり、多重災害の報道に接しながら不安な気持ちをいだき暮らしている人も多いと思います。そこで災害が起き最初に身を寄せる場としての「避難所」について知り、改善点を見つけ共有し合うことは21世紀に暮らす人に欠かせない知的行為の一つだと思われます。
日本の地方行政をベースした地域と社会では「避難所」を建築部局が造る対象にはなっておりませんから、建築人が直接かかわることはないと思います。市町村が避難所を支給し県と国が多面的に支える仕組みになっており既存の学校などの公共施設を転用することがほとんどです。
ですから財力の有無に関わらず個人、あるいは民間組織であるNGOやNPOなどの活動家として参加する場合は困難が伴うと推測しています。善意の空回りにならぬためには、避難所の現実を知り市井の建築人が行政と連携あるいは支援活動が可能な仕組みをつくらねばなりません。官民連携の仕組みが無い現在においては「避難民にとっても役立つ行為だ」と思い込み活動すると思わぬ障害にぶつかり親切の押し付けや避難所を混乱させることになると思われます。


 (:2011年3月12日福島民報より)

応急仮設住宅使用期間は2年3ヶ月

災害が起き避難を強いられた被災民の中でも財力がある方ですと、独自に思い地に避難し住宅を確保してしまうことでしょう。が、自力で住宅を確保できない被災民に対しては、恒久的な住宅確保までの間(2年を目途)、政府は市町村窓口を通し避難所や応急仮設住宅を支給しなければなりません(災害救助法)。2年間を目途に支給される応急仮設住宅は9坪(福島県支給は3タイプで6坪・12坪型も)で253万円の予算で設置・支給します(窓口は市町村)
応急仮設住宅が支給可能になるまでの期間は伊藤優汰さんも提案した「避難所」などで暮すことになります。なぜ数か月もの避難所暮しを強いられるかですが、応急仮設住宅を造るための土地決と工事発注と完成までの期間必要だからです。法律では「発災から20日以内」と定められていますが福島県の事例では3万5千戸ほどと数が多く着工まで2ケ月ほど掛かっています。

応急仮設住宅が完成し入居可能になるまでの間、避難者はどこで暮すのでしょうか。発災→避難→避難所→応急仮設住宅(2年3ヶ月以内使用可)→災害公営住宅あるいは自宅へと異質な転居の連続となります。

将来は分かりませんが応急仮設住宅は民間の所有地には造りませんので場所が限定されます。都道府県は大きな災害に遭った場合を想定し応急仮設住宅を建てる予定候補地の事前に調査し、市町村と検討し合い情報を共有しております。しかし風水害、火山など二次災害に遭う可能性も有るのでハザードマップなどで丹念かつ詳細な敷地状況を把握し続ける必要があります。

2011年3月11日発災後、福島県内の避難所は高校などの体育館や公共施設でした。その後、確保ができた観光旅館やホテルなどへ移動する被災者もおりました。応急仮設住宅の完成と支給までの間おおよそ2ケ月ほど避難所で暮すことになります。応急仮設住宅が完成しても被災民一人一人の暮らしに寄り添った各自に好都合の場所に造られたとはならないことが多いわけです。被災者は市町村の窓口に行き、どの地に在る応急仮設住宅に入るのか調整しながら避難所で入居を待ち暮らすことになります。
 
お気づきだと思いますが、伊藤さんの思い「自分が生まれ育った身近な地域に避難所を造りたい」というあの思いです。伊藤さんの気持ちは十分に理解できますが伊藤案の避難所は造船所の屋上に計画されているため実現することにはないと思います。民地内でかつ既存建物の上ということで現実的な計画案でないことが分かるかと思います。
「卒制は現実性を含む必要があるのか」その検討は保留しておきます。今後、避難所の計画を行う場合は事前に高知県あるいは高知市などの住宅課に出向き、避難所の建設可能な敷地、想定される施設の規模を教えてももらうための調査が必要だと思います。伊藤さんはその要点調査を欠いてしまったことで、私が見ると空想的な卒制としてしまいました。一般的に、先の説明のような手順で応急仮設住宅が支給されるのだという事を知る人の方が少ないと思われますのでしかたのないことかも知れません。

多重災害の体験を幾度も経ること関係者が努力を続ければ、やがて「避難所=応急仮設住宅=恒久的な住宅(居住支援法による住宅に接近)」の現実は可能性も高いとは思われます。(その点を語り合うテーブルは無い)避難所が設置可能な場所や避難所の規模についても、高知県の災害対策本部が想定しているデータを持っていると思います。足を運んで聞き取るなどすると、避難所が建設可能な場所と必要な規模などについてもわかり、根拠法も具体的な規制などを知ることで、卒制計画の入口とすれば、ぐーっと現実的な提案が可能だったと思われます。








風水害被災者住宅相談ガイドブックより(令和2年12月)福島県耐震化・リフォーム等推進協議会より



民間施住宅を避難所兼応急仮設住宅に転用することは可能か

では、民間の施設を避難所や応急仮設住宅として活用した例はないのか。あります、先にあげましたホテル旅館などの宿泊施設を行政が借りることで実現しています。ですが被災者が多すぎる場合は宿泊施設では賄いきれず溢れます。宿泊施設は質の差も大きく不公平感を大きくしてしまうことでしょう。

そこで生まれた発想は民間の空き住宅を活用し家賃を支給する方法です。「借り上げ仮設住宅」と称され、建設部局が造る応急仮設住宅とは区分されています。民間の物件に国(厚労省)が家賃と契約手続きにともなう手数料なども支給する仕組みです。2011年3月11日の震災に対しては、民間の借り上げ住宅を支給する部局が未成熟で建築部局・住宅課の職員の方々が国と連携し契約の仕組みなどと必要な指針もつくり支給実施しました。2022年現在、都道府県では福祉部局が窓口になり借り上げ仮設住宅を支給す施策ができています。

では都道府県にあり空いている民間賃貸のマンションやアパートを数と所在をどのように常時調べるのかという問題があります。その数と場所の所在地について見てみましょう。空き家の数は不動産業者あるいは地域の建築士などが悉皆(しっかい)調査を実施するなどして把握する必要があります。人が住むにたえる質の使える空き家、マンション・アパーの存在を把握し続ける必要があります。数も質についても残念ながら不動産業者に任せっきりが現状です。

今後は、県市町村が不動産業者(倫理観をもっているはずの建築士などの参加が望ましいが・・)と連携し空き家情報を提供することになでしょうか。数と質を総合的に調査し全体を把握し被災時に活かす仕組み造りとその維持については棚上げになり未解決の問題の一つなのです。若い皆さんの活躍する場がここも一つあると言えます。
避難所ではなく空き住宅に関する情報を被災者に入居前に知らせるための官民連携作業を継続するための施設を提案するとすれば現実味をおびます。

伊藤案のような民間が避難施設を常備するような施設は実現しないのではないかと思い理由の一つは、いつ襲ってくるか分からない津波災害に備え、タックスヘイブンとわれる課税逃れが常態化する世にあって、収益の上がらない避難所を造り維持しようとする民間企業が出現するとは思えません。まずは企業内で避難所として活用する数と質になるでしょう。将来は企業内の存在価値、社会的意義が地域の被災者に避難所を提供することであると世相が変われば、地域貢献することが企業の存在理由となれば可能かもしれません。


2011年3月12日紙面より避難所設置


 3月13日紙面

 

2011年4月13日紙面より



2011年4月1日紙面

 
女性の視点が抜け落ちている避難所とその運営について

語り合いの場で指摘したように男尊社会がまだ続いている日本では避難所設置に関しても、避難所の責任者や運営管理者、女性が運営主体になり、女性に特別配慮すべき要点が欠落しないような注意と配慮が不可欠です。女性管理者を見下げる男性もまだ多くいますので、そのことは災害の種類や建設される場所を問わず押さえておくべき主な点だとも思います。

なぜ学校が避難所なるのか

学校が避難所に転用される点は教室と体育館など広い面積を持つ施設であることです。数千人は収容可能だからです。トイレの数は十分あります。特別教室を調理室などに活用することで炊き出しが可能です。保健室もありますし、図書室もあります。体育館でリクレーションなど文化活動も可能です。暖房設備も備えている学校も多くなっていると思います。風呂はプールに伴うシャワールームを充実することで対応可能だとおもいます。
教員は教室ごとに仕切られた人の活動を管理するために組織的な動きが可能です。教員は各分野の専門家ですから防災スキルも高いと推測されますし、教員(管理者)同士の情報の共有方法も日ごろから行っていますので、非常時に活かせるわけです。女性の管理者もおおくなっていると推測もしますと、女性の視点で避難所の運営も可能だと思います。
問題点は被災者としての教員に加重に負担を掛けてしまう点ですから、倫理意識を身に付けている建築人が教員に代わりに代行する仕組みを構築する案も妙案かもしれません。

公共施設避難所問題点
・避難所の運営が男性中心の視線になりがちで、女性への配慮や視点が欠ける
・男女は分けされず雑魚寝、子供や老人など弱者対応が後回しになる
・各種詐欺や窃盗がおきる
・プライバシーがほとんど保たれない
・排泄行為の場の確保が難しい
・支援物資の分配においては男性主導、女性であっても声の大きい人が配布を決める
・女性の下着の配布はサイズなど配慮が抜け落ちる
・生理用品の配布では子供への配布が落ちてしまう
このような事でトラブルが続出します。

 ★両者共通の問題点 
・食中毒はじめ感染症対策が難しい
・風紀が乱れる
・自治活動を促進し被災者自身が活動し避難所を維持することになるのが好ましい
・1食1000円の食材費が支給されるわけですが、食材を買出し被災民が自炊する仕組みにがつくられていない。(各自スキルはあるが避難所で活かされない問題)
・管理監視する者は居るが、文化的な交流などの場づくし管理運営すする者がいない
・情報を提供する者がいない
・避難所の環境を向上させる者がいない
人権無視の雛所運営になりがちである点があります。

 ★借り上げ、仮設住宅などの問題点
 上記羅列に加え
・孤立から孤独死防止のため見守る人がいない
・生きがいのための居場所づくりをする活動をする人がいない
・地域の力を高めるための場づくりと人づくり不在

 ★その他
津波被災地は雑多な流出物で埋め尽くされるわけですが、所有者不明のタンス預金や金庫の流失なども起き、それを狙った盗賊や空き巣も現れ被災者の心を痛めることとなり自警団が生まれたりもしました。避難所での貴重品の管理についても配慮の工夫が必要と思われます。

最後に
戦争あるいは各種災害のニュースなどに接するたびに避難所のことを思い続け、避難者が暮している場の事実を知りおくことも建築人のたしなみの一つだと思われます。引き続き災害現場における人の暮す場所についての情報も積み重ね更新し続けていただければと思います。
今後、メタバース界における建築についても議論と考え方の共有は不可欠と思われますが、今回は割愛いたしますので、各自研究していただければ幸いです。
これでお仕舞です、またお会いしましょう。感想文ありがとうございました。