佐藤敏宏   
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2024年9月の日記       8月の日記へ  FBへ 
 











   9月30日 たり曇ったり、気温あたたかし。

■午前、鈴木先生の記録を読み直しweb公開のお知らせをする。
■家人が白髪染めと口紅ほか雑多なものを買いに行くというので、近所のスーパーについていく。今日は怠薬しているのかと思うほど被害妄想ことばがあふれ出るひだった。足が弱ってきた身体の老いを認めたく、誰かが邪魔していると転換して語ってしまうのか、不明だ。買い物は俺がすることにして必要な品々の箱を保管しておくように伝える。

■ニュースによると衆議院は明日臨時国会を開き首相を選び、10日解散で総選挙に入るそうだ。

■今日のFB投稿

鈴木達治郎先生「2000年代を語る」公開
鈴木先生と知り合ったのは福島で起きた原発事故が切っ掛けです。場所は「ふくしま会議」が開かれた福島大学でした。先生MITでの研究者時代から、長年、プルトニュウム問題や使用済み燃料の再処理の研究と提言・書籍刊行をつづけられ、電力業界、政府、主権者などに貴重な警鐘を鳴らし続けています。福一事故当時は政府・原子力委員会委員長代理に就任されたいました。(あの日、政府では何がおきていたのか、次回2010年代語り)その後10年前からは長崎大学に移られ、核廃絶運動、パグウォッシュ会議活動をつづけられ、来年は広島市で開催される、評議員に就かれるなど幅広い行動をされています。もちろん、若者たちとともに原爆についての活動をされています。
・2000年代語りはまだ福島の原発事故が起きていない時期ですが、後半は書籍も4冊刊行されていますので、それらも紹介していただきました。
■余談です。フクシマ問題を契機に知り合った有識者で、その後も唯一変わらぬ姿勢で論じ提言をつづけているかたは鈴木先生しか私は知りません。事故後、福島県内の有識者にも出会い語りましたが、左翼リベラルにみせかけてはいるがリベラルでもなく権威主義者そのものが多いように感じています。残念なことですが事実です(さらに原発の何が問題なのかについて知らない・・

 








   
 9月29日  

■午前中は鈴木先生の記録を修正しておえる。
■午後もすこし修正し完了のお知らせをする。明日もう一度読んでから公開したい。

■今日のFB投稿

鈴木達治郎先生との年代語り、2000年代校正完了
(再度読み込んでからおしらせ予定)
時間あるある爺さん肉声を聞きこみ、時間をかけて文字にするのが性に合う。だから間違いが多い(笑)(読ませるボーカロイドは好きだ。肉声を文字に変換する作業は、生成AIを使う、それがはやり始めて間がないけれど気が向かない。
自分のサイトのデータ量が多くなっているので、飯炊き爺さん使うぞAI・・・それをお勉強しようとよう)現在は生な息づかいに直すために苦労しそうなので時間あるある爺さんは肉声を聞き、どの文字にしようかを・・あれこれ時間を文字にしていくことにしている。新画像作成は著作権問題をもつ生成AIでは後々問題になるだろう、そんな気がする。で出典をつけリンクを張る、それがお気に入りだ。
★だが生成AIだと気に入った画像を作成できるような気がする。調べてみた。なるのどマインドマップやナプキンドットがいいかも。まずはmyサイトのデータ整理をどうするか考えてからにしよう、来年になったら生成AIは使いたい。
★生成AIは馬鹿に電力使用量が大きくなりつづけそうだから、自分のデータだけ整理するにはAI仕込みPC、AIPCもまもなくはやるのではないかな・・知らんけどそう思う。
飯炊き爺さんは、高電力消費してまで世界中のクラウドとつながらんでもいい・・そう思うが・・勉強せずに語りはよくないのかな・・

 



   
 9月28日 
■午前中は鈴木達治郎先生から校正データが入ったので、web頁を修正する。

■午後は自民党総裁選の動画を見ながら栗飯づくりした。

■FB投稿

栗飯のうまい焚きかた修行ちゅう
栗のいがから栗を取り出すのがいいけど、そんなものは売ってない、鬼皮ついている栗は、ガキの頃は拾ってた。身の回りには栗林はないで、思ったより高いけどすーぱーで季節限定で売っている。鬼皮から渋皮の剥きかたが難しい。まだまだ修行が要る。自民党総裁選の動画をみながら、栗を水に浸けたり、また茹でたり渋、皮をむいたりしたが綺麗にむけず。
今日はモチ米だけで焚いてみた。少し水が多かったか柔らかめだが美味い。次は栗のお蒸かしに挑んでみよう。
20代中ころマロングラッセを製造する食品工場を設計し管理してたのだが、鬼皮の飛ばし方は覚えているのだが、渋皮とりかた忘れてしまった。
■国内は金持で右傾化している人が増え自民右寄り候補を支援しちう様を確認できた。1回目の投票では女性候補が勝ちそうだったが、徳俵でもちこたえた観あり2回目投票で逆転。AAの影響は完全に消えるんだろう。
 





   
 9月27日 

■庭の草むしりを少しする。
■午後食材を買いにスーパーに行き、4時ぐらいから撮りめしを焚き、サンマを焼き、煮物を作るので忙しい。
合間に自民の総裁選を見ききする。一人ボッチの石破さんが新総裁になってしまった。女性候補とか若いのではなくって、乱世なので保守本流に戻る政治がいいのではないかな。


桃いまだに販売してた!新米値昨年の倍ほど@農協直販所
福島市は果物と温泉を売りにしてたような気がする、その季節到来。高価な葡萄各種、洋ナシなど今が盛り。9時開店だが我先に買うご婦人方が列をなしているので特定の果物はあっという間に品切れになる。
品種改良が進み桃はまだ食べられる、だが真夏の桃とは触感と味が違うのだが見た目は桃なので推すかどうか戸惑う外観。日持ちよさそうなので、1個5000円ぐらいで外国でも売れるような気がした。いずれ高価だろうが真冬でも食べることが可能になるかもしれない桃に期待。
■3果物あじくらべ、梨がもっとも甘く我が家では好評。糖尿病の方には残念だけど勧められない甘さ。福島市内の各種温泉につかって果物を食べにくる旅もよいのではないでしょうか。
 

   9月26日  久しぶりに晴れた 気温も上昇し秋本番

■農協産直に行き、果物(桃、リンゴ、梨)と里芋ごぼうを買う。桃があって驚いた、食べてみるとしんなりしているけど、7月末桃とは触感がまるで違うし甘味も独特だ。どちらが好きかは人それぞれだろうか。

■『エネルギー技術の社会意思決定』2007年刊行を読む

■今日のFB投稿

煮物をことことしならが『粗食のすすめ』を読む
近所の町医者によると血液の成分が好ましくない、という。なにやら分からんので、脅しと勘違いしないように、今月から粗食を適当に作って喰らっていた。ここらでmy長女から預かっている粗食本を借りて、粗食とは何かを学ぼうとことことし始める。年老いてピンピン、まかない飯炊き爺さんをかって出て喜ばれるのも悪くなし、老後の楽しみとなそう。
俺様の煮物好評です
(注著者が健康なのかは不明だ)

 









   
 9月25日  気温あがらず夕方小雨

■午前、鈴木先生の記録を仕上げて、目を通していただくよう依頼する。
■午後、図書館に行き、鈴木先生関連書籍をさがし、3冊かりる。『エネルギー技術の社会意思決定』を見始める。
■図書館から戻り、煮物に挑戦する。日本食粗食が体に良さそうだと分かったので、技を身につけようとしている。1年ぐらい続ければ喰えるそれが作れるようになるだろう、とのんきに構える。

■今日のFB

鈴木達治郎さんの著書@県立図書館
2000代に刊行された3冊を探しに県立図書館に行く。最も高価な『エネルギー技術の社会意思決定』を蔵書していたではないか。(地方自治体のかた手に取り読んでいるのだろうか?)右2冊は2016年、2023年に刊行され、原子力災害と復興特別コーナーにあった。子供向けに刊行された著書もあったがこの三冊かりる。(著書多数を検索発見)

県立図書館には朝日新聞社の検索エンジンが無料で使用でき、鈴木先生の名で検索すると多数の記事タイトルと日時が印刷できる。残念なことはすべての新聞社の検索エンジンが提供されていないことだ。
「2000年代を語る」web記録粗まとめできた
先週、鈴木達治郎先生とわいわいした内容 多岐にわたるけれど2000年代後半大きく方向転換され学部生時代に興味をもたれていた、テクノロジーアセスメントの研究にシフトされている点は、困難に立ち向かったときにどうすればいいのか、いろいろ教えられるないようです。(目を通していただいたらお知らせします)



 



   9月24日  気温あがらず、寒いか

■午前中、食材を買いに行く、25%ぐらい値上がりしていて、エンゲル係数ほぼ80%以上化も。スーパーに米があったけど5Kgで3500円と倍値だ、日本は完全に何かが壊れてしまったのかも。
■雑事にて町中にいくも、どこも寄らず戻る。

■鈴木さん語り記録を仕上げながら、栗飯をつくる準備。手間はかかるけど栗飯は美味いと好評だ。

■今日のFB投稿
まかない爺さん、半日かけて「栗めし」づくり
原発事故前まで放射能汚染が皆無で爺さんが植えた栗の木の根元に落ちていた。「栗は実家の山でひろうもの」無料だった。最近はスーパーで手に入れるので乾いた、り腐ったりしているのをより分け水に戻した栗をつかって栗飯づくり。手抜きしたいときは市販の甘栗でも飯は焚ける。が山育ちの俺は鬼皮をむき、渋皮をひんむき無用な時間をかけて焚く。先人たちは米の使用量を減らすために栗をふくめ五穀をいれて飯を炊いたのだろう。
今現在スーパーの米の値は倍になって、農協市販店のそれの倍値だ。すうぱー屋の感覚うたがってしまう。
栗飯は今夜焚く、無駄に時間をかけて飯を炊くのも老後の一楽。

まかない爺さん半日かけ「栗めし」好評!
でも、「新鮮な栗」を見つけ買いたいと思う。へたれた栗だったけど好評につきよしとした。渋皮むきは数分・茹でてから処置したので、楽だった。スーパー栗は1割はへたれ栗だ。作業が面倒な方は甘栗で代用してもよさそう。新鮮栗を探す方法は311以後分からないよ。
サンマも焼いて食卓は秋模様。安くなったとはいえ100円きっていたサンマと比べると痩せ気味脂乗り少々で200円ちょいと高値。ぶりの照焼きがいいかも。近々栗飯は再挑戦してみたいけれど、であえる栗次第。栗蒸しもよさそうだな。
好評とはいえ俺ダイエット中で残念ながら栗飯といえ150gいかにしている。もち米入りだから100gとほほの量にしたところだが5割まし


     
 9月23日 曇りときどき 

■ニュースで耳にしたけどどこかの山に雪が降ったとかで、明日も気温下がるとのこと。風邪ひかないようにあったかくしてすごそう。

■1日中鈴木さんの記録を読み直し修正しつづける。ほぼできたので、さらに資料と画像を
どう付けるのか工夫中。

 






   
 9月22日  1日あめもよう 気温下がる

午前午後もじおこしし2時間分すべて文字にした。あしたから絵をつけたり、資料を探したりする。
■能登地震の追い打ちするように線状降雨帯発生して大水害、仮設住宅も水没しているようだ、逃げる場所もなくなってしまっただろう。地震対応が遅れて、水害に巻き込まれているのだろうか・・。

■今日のFB
鈴木達治郎先生「2000年代を語る」肉声を文字に
肉声が文字になって蘇るのはいいな(孤楽のすすめ)。できたらボーカロイドに読ませると、雰囲気が変わって、ああ他者はこう読むのね・・・といろいろ気づき面白いんですよ。
この数日、秋雨前線の停滞で夕方のように暗く雨ばかりでどうもカラットせずイカン。(各地の水害にお見舞い申し上げます)空模様に合わせ文字おこしも指が動かずのろのろり・・・加齢ごとに遅くなるも、焦らずこつこつ。2時間の肉声を文字にできた。明日から1週間かけて資料と絵などをつけweb頁校正用の作業。
 



   
 9月21日  秋雨前線停滞中にて1日暗い

■午前午後、文字起こししている。

■ FB投稿

まかない爺さん、技しゅぎょう中(今日はいんげん初心者揚げ)
秋雨前線が停滞していて昼夜のさかいがわからず寝坊してしまった。こんな日はで歩かず、唐揚げはうまくなった。で、近頃技修行しているのは野菜の天ぷら。これを揚げてみる。薩摩芋やカボチャ、玉ねぎと干しエビのかき揚げもうまい、山芋も。だれが考えたのかいい方法だ、油でたんに揚げるという技。なかなか難しい、揚がりは見た目もうまそう・・そうなるに年季が要るようだ。油が古いと黒ずむんだな。カリカリにさせる揚げ物を冷やすしかないようだが、粉の分量などかなり難しい。揚げると水分が抜けうまさが濃縮されるので大方の人はだいすきなのではないか。まだ揚げ物はてがけ始めたばかりなので、数年かけて秋の味覚を天ぷらにしたて、うまい日本を楽しむ爺さんになる予定。まだ他人に出せる様ではないのだがうまいからいいや。大根おろしと、たれも難しい。
 



   

 9月20日 のち曇り 少し晴れ間も見え

■午前、午後、鈴木先生の肉声を文字にする。40分ほど済む。
■食材を買い出しにスーパーに行く、一番雨の強い時間を選んで出たみたい。雨の予報はちがっていて、午後あめ上がった。
■インゲンの天ぷらに挑んでみる。というほどの量ではないが天ぷらできた。まだ好評ではないが油で揚げる順序がわかってきた。唐揚げより難しい野菜の天ぷら。
■今日のFB投稿
好評にて俺の口にとどかず
庭の葡萄を房から外し押しつぶしジュースにし冷凍庫行
水で割ったほうが氷やすいのだが、ままで凍らせちゃう。自家製葡萄シャーベット。うまいです。

登呂遺跡は戦闘機の部品製造工場拡張・・建設の過程で見つる
『登呂遺跡』1979年刊行にそう書いてある。
「脱亜論」は様々な思考の可能性を拘束してた・・いるように思う、いっぱいいるな。建築関しては居住形式の発見や歴史的検証は戦後登呂遺跡発掘からかもしれない。(調査中)敗戦にいたるまで、現在もそういう頭のおかしいひとは身近にも多い。(『法隆寺の精神史』参照)が、敗戦後ようやく日本の実像を見直すなりしだした。脱亜論はまだお尾引いている。スペインなどによる植民地化を防いだという文脈において秀吉の朝鮮半島への挙兵も見直されてきているように思う。平川新著『戦国大名と大航海時代』を手に入れよう。

 













 
 9月19日 雨模様だったが9時ごろから

■農協直販店で1人米10kg買えると聞いたので、9時開店前から並んで買う。1900円と便乗値上げしていなかった。これで1月は米を食べることができる。
ついでにリンゴも買う。秋の味が日増しに増していると実感する。日の落ちるのも早くなった。
■午後、昨夜語っていただいた、鈴木先生の2000年代語りを文字にし始める。古いPCとソフトのほうが日本語辞書が効くので使いやすい。画像などは新pcが優れているけど、どちらも帯に短したすきに長しという使い心地だ。

■夏場からダニが発生しているような気がするので、シートとか機械を買ってセットする。寝具を新品にする経力が無いので、洗って使いまわすことにする。死ぬまで使える量はあるので、あとは保全をしっかりすれば問題なさそうだ。
■夜、PC新旧PC内にある不要なスフトを削除し続ける。だいぶ身軽になった。

■今日のFB投稿

鈴木達治郎先生「2000年代を語る」
ウィーンでの会議から長崎にもどられ、日中はオンライン会議、そのご夜2時間弱の佐藤の聞き取り。ハードな日程のなか肉声をキャッチすることができました。鈴木先生貴重な時間を割いてお付き合いいだだきありがとうございました。
■主な内容は、MIT、ハーバード、東大とでプルトニュウムに関する共同研究の内容にはじまり、広島でのパグウォッシュ会議、若い人たちと連携すピースプレッジ運動、発展し現在の若者たちとの核兵器廃絶や平和運動などにかかわるなど・・多岐にわたる内容でした。
私の興味は使用済み燃料の保管(核のゴミはどうする問題)そして動かしてしまった六ケ所村どうするの、そして福島の原子炉廃止措置に関する各種問題などです。35年ほど前、政治家などが鈴木先生たちの研究成果はなぜ生かす能力がなかったのか、克明に語られております・・など興味は尽きない内容ばかりでした。
■次回は、お互いに大変に思い出すのも語るのも辛い、内容が多い「2010年代語り」です。引き続き、鈴木先生お付き合いよろしくお願いいたします。

朝から米の買い出し(とほほほだよ、なんて国になったんだ)
3・11直後のスーパーでのあの行列のようだ。農協直販店に開店前に大勢の人並ぶ。2ふくろまでとの言いつけにしたがい、米10kg買う。値はスーパーの半値ほど。10人分ぐらしかなかった、すぐ売り切れそう。my次男は労働者で米が要る並ぶしかない。近所の量販店の米棚に餅やカップ麺がぶち込んであるが・・米米米。来月は正常に米が出回ってほしい。


 






   

9月18日 時々

■午前中資料整理する。午後家人の薬をもらいに病院に行く。病院は来年4月から引っ越しなくなるようなので、困る。

■病院の戻り道の農協直販店があるので、米について訪ねてみた。朝9時に来れば、5kg入り2袋まで買えると教えてもらえた。一時より混雑しなくなってきたそうだ。スーパーで少し食材を買う。

■19時より2時間「鈴木達治郎先生2000年代を語る」をテーマにわいわいする。明日から記録づくりする予定。

■今日のFB投稿

PCの玄関の絵・・・試作中
殺風景なPCの扉絵を改修しようと突然想った。この四半世紀で多数の方々に会いわいわいしたり、肉声の記録を保存してきたので、それらの交流の軌跡がPCにも表したい。毎回スイッチを入れるたびに出会いに「この人に会いたい」そういう意が湧き出る、あるいは再確認することができて、良さそ・・。と、今朝の目ざま時に思う。で空き時間があれば、一月ほどかけて作ろう。
どうして?このような人々と出会うのか・・不思議だ。理由はわからない。他者との出会いがなければmy人生の現在もない。
扉絵試作を始めたら、my・HP目次をみると明らかだが、多数の人々に世話になったもんだ・・しみじみ思う。
これからも新しい出会いはあるだろうけれど地上の60億人に出会ことは不可能。だが、こつこつ人に会うことに努めたい。そういう気持ちにさせるPC扉絵がいいかも。そして毎年更新し続けることができるとさらに軌跡が可視化されて、いいな。

 
















   
 9月17日  久しぶりにカンカン照り 気温上昇し暑い日だった。

■鈴木達治郎先生の1990年代を読み返して、間違いを修正する。男の40代というのは人生を決める、というかその人らしさできあがり同時に社会的認証がなされる。後は40代にできた芯のようなものを大きく成長させ続けるのだとしみじみ感じる。
わが身を観れば40代から仕事をやめてしまったので、今日のような暮らしになった。社会性も金銭にも縁はないけど自由はたっぷりある。どちらがいいというわけでもない。どういう姿で生き続け人生を終えるかだけれど、毎日できることを続けるのがもっとも実りが多いように思う。それしか分かっていない。

■FB投稿

my長女からの手紙
いろいろ記録づくりしていて、必要な写真などを探していたら棚からmy長女が母におくった手紙が落ちてきた、多数の手紙。娘が都内一人暮らしをしていた高校1年生の時分の半年ほどに書いたものだ。携帯電話がではじめで持たせた。でも、手紙を書いて投函すると問題が整理されストレスが晴れると言っていた。たしかに書くと論点が整理される。書き間違いや訂正はない。英文で投函もある。気の向くまま素直に書いたのだろう。女子高生になったばかりの心の揺らぎが紙に刻印されていて貴重だ。
高校生活に慣れると手紙は少なくなる。大学生になり長男と仙台共同生活になったので、手紙でのやりとりは無くなる。問題がおきれば仙台借り部屋で家族会議を開いてワイワイ。社会が複雑になるし、我が家も問題が頻発し家族会議を開いて記録もつくった。
■この10数年は西欧暮らしのmy長女だが、スマフォでメッセージのやり取りだけになった。身の回りの出来事が世界の出来事と連動し社会が一斉に変わるので、手紙では遅すぎるのだ。文字も写真も各種データも瞬時に送る。
縁があれば誰とででも同様に交信しあえる・・一斉に同じ動きになるのは危険なので注意している。なんて便利なのだろう。
■偶然あらわれた遠い昔のmy長女の手紙を懐かしみ、時にはジーンとしながら読んでいる。数日曇っていたが今日は秋晴れきた。
 

   9月16日  曇り空がつづいて気温下がる 秋が足早になる

■午前中 『長崎出島─蘇るオランダ商館』の要約web頁をつくる
■午後 今後の情報発信のための資料整理をする。たくさんあってどのような発信方法がいいか考える。写真つき小説のような形式がいいのかもしれない。

■FB投稿は11年昔の記事にコメント

来年、10回目・デザインイースト〆イベントあると昨日知る
元メンバー全員集合なのか、開催場所はたぶん大阪かも不明
 





 
 9月15日   日が短くなる

■発掘調査した学芸員の方の著『長崎出島』を読み始める。
■午後、食材を買い出しに行く。
■涼しくなっているので、クーラーを離れ仕事場に寝る。残暑戻ったらクーラー部屋へ避難、そうしていると秋になってしまうだろう。

■今日のFB投稿 

『長崎出島─蘇るオランダ商館』2008年発行
長崎出島の発掘調査は市役所につとめている5人の女性によってなされたことが書かれている(出島発掘調査報告書のような本)
発掘は建築工事をさかのぼり建築をたどる旅でもあるから、面白い。人の暮らしと場所を成り立たせるための技が5人の女性たちによって掘り起こされ記録される。諸外国の商館と並べ検討されながら解明されつづける。建築関係者に縁のある仕事だけど、造ることだけに頭が偏っている人々は興味が無かろうか、遠い昔の遺構に目が届かない人々はやがて自分のしでかした建築ごとでもすっかり忘れてしまうのだろうか(・・しらんけど)。
建築の新築工事にあたっても上下水道があらかじめ敷設されていないと、井戸掘りをして浄化設備を築造しなければいけない。工事用の道もととのえなければならないなど・・。出島発掘関連資料には多くの気づきがある
■オランダ人たちは飲み水・炭酸水は買っていたとある。洗濯に調理に風呂に雨水に糞尿のためのトイレはどうしていたか・・海にまま流したのかなど・・興味は尽きない。発掘作業よって正確に解明されるわけではないが、出土品や、溝、甕、桝、動物の骨などから当時の暮らしぶりがあぶりだされるような気がして面白い。そんな一冊。
■花街の女性は自由に出入りしキャピタンたと愛し合ったそうだ。で、オランダ+日本人に子供は生まれて、7歳までは出島で育てたともある。小学生時分になるとパパとお別れということだったようだ。長崎にはオラ。ンダ人の遺伝子を持つ人が多そうなので、200数十年間の出島で何人生まれ育ったのか、後日調べてみよう。

 
   
9月14日  陽射しなくも過ごしやすい

■庭の一角の雑草をとる。少しずつ作業をし10月初旬には草むしりなど終えたい。そろそろストーブ用薪の注文しないと。

■注文でたので近所のスーパーに買い出しにいく。下水管、や水道ガス管をつないでいるようで、通行止めとなり大きく迂回を強いられる。

■辻さん夫妻が記録を読んで好感もつメッセージが来る。どの点がよかったのか・・いろいろ自分が不明な点をさがし、入門なのでこのぐらいかな・・と思って書いたので、琴線に触れる点については想像がつかない。有識者でもプロの物書きではないので、読者を気にせずかいているのでそこは素人の良いところと思う。

■FB投稿

メモ)竪穴式住居の寝床やベット
臥薪嘗胆ではないが丸太をならべ、その上に萱や藁などを敷き詰めて寝たのではないか?ど推測したが、よさげの本が見当たらない。検索するとエジプトの王はベットで寝ていたようだ。金属製なのか石材なのかなど・・興味はつきない。が日本の最古のベットは木製のなのかな。わからんけど、古代にあっても、近世期にあっても丸い木材から平らな板をのこぎりでひき出し表面を平らにする技は高度で労力が要る作業なので、竪穴住居に板は無いだろう・・・など。
我が家は畳が一枚もない生活40数年だが、畳が恋しい・・は一度も思い浮かばず。

 








    9月13日  残暑にて蒸し暑い日だった。夜になり気温はさがる

■午前中、辻琢磨さんの居宅について仕上げ、webアップする

■午後、銀行に行き雑事。夕刻夕飯を作る。

■今日のFB投稿

田の字型住居、辻たくまさんの居宅
お爺さんの家を改修中の辻琢磨さんの居宅についてweb記録をつくていた。古民家か・・・とりかかった当初の思いと違った結末に(笑)だいたいできたような気がする。だから記録づくりは面白い、これでいい。何度か読みこんで公開するする。民家についてほとんど勉強したことがないので、資料を集めながめた。敗戦後うごのたけのこのように建築家の登場によって、庶民の居宅から乖離しつづけますます分からなくなっているような気もする現代民家。
 




   
 9月12日 

辻琢磨さんの居宅についてweb記録をつくっている、ほぼ出来たような気がする。明日から読み直しなんどかおこない、完成としたい。

■自民党総裁選9候補の所信を動画で聞いた。さて上位2名で決戦投票は確実だろうが、だれが次期総理になるのか・・。10月衆議院解散との説もながれている。主権者がどう判断し投票するのか。

■FB投稿

辻家の「注目部屋」を観たので辻家の居宅について書いている。
・この写真は佐藤が撮った著名な建築家の「都市を住居に埋蔵する」だったか・・そんな宣言で建築界に一石を投じた家だ。辻さんの家を訪れてなぜか、この家を訪ねたことを思い出した。絵の建築を佐藤は撮影したことがある。2003年12月の寒い日、雑誌社の企画で多次元フォトコラージューを制作するために大勢の他者とともに訪れた。成果物は雑誌の付録としてCDに焼付けた出回った。理由は忘れたが、電話依頼がきて体験することになった。(建築家の家に数多く泊まりこんで、わいわいした経験を持つ佐藤は、設計者より多く寝泊りしていることだろう、そういう有名建築家の家を実体験しているう)
近代建築計画者は簡明直截な表現によって感染力たくわえ世に放ち、影響力を声高にとなえたのかもしれない。見た目の話でこの家に関する建築家の論文を読んだわけでもないが、佐藤には、それが都市というより、上り下り階段が激しい、神社などの参道と店のような気配のある家だと感じた。神社なども都市的といえばそうだ。大きな家に少人数の住宅だが行き来する人をほとんど見かけない。静謐な森に包まれた居宅であることもあり、都市という表現語彙に違和感を覚えたのだろうか。


 

   9月11日  陽射しも強く気温も上昇し蒸し暑い日だった。

■1日辻琢磨さんの居宅について書く、あれこれ資料読んでいてさほど進まずも、明日からは確信を書くつもり。助走部はこんなものかも。

■夕飯づくりに手間取ったのは暑かったからかな。

■FB投稿

民家形成史のようなものを探しているが、わからない
登呂の遺跡のような庶民の居住形式から近世庶民の民家形式、この間が不明。(県立図書館ではみつけられなかった)昭和2年以前の研究書のようなものが見けられなかった。近世期は産業が飛躍的に発展したので田の字型に多様な機能がへばりついた居住形式に当然なるのだが・・。

 













   
9月10日  秋めいた陽射しだがさしていた。

■午前、食材を買い出しにいく。相変わらず米が少ないが、そろそろ連年通り出回って、値段も下がってほしい。

■午後、山川陸さんと40分ほどweb電話でだべる。さてどうなるか。
■たの時間は辻さんの居宅について書いていた。まだ半分ほど、週末には完成させたいが。

■今日のFB投稿

2002年と2024年の藤本壮介案をながめる
昨日、仙台市にご縁ができているmy長男より、藤本壮介さんが仙台市の中心部震災メモリアルの設計者に選ばれたと連絡があった。藤本案が公開されているので眺めた感想。
最初の絵は我が家で藤本さんとわいわいしたときにいただいた、お土産でサインが入っているコンペ案だ。藤本さんの体内には北海道・旭川の自然と呼吸しているその息遣いが底流を今も流れていて、雄大なわけだが、石巻の施設や群馬の施設は分棟合成たいぷも建築化の一つだ。仙台案は「木漏れ日型集合建築」で分棟案より、またコンペ案のそれより、繊細かつ高度に分解しまとまろうとする力もある案で、今日的な状況を建築表現化していて好感をもった。おめでとうございます藤本さん!と記しておこう。
八戸市美術館の次にあらわれた、完成したら見に行きたい建築の一つとなった。完成したら藤本さんの記念碑的建築になることまちがいなし。(仙台市の建築愛がためされるわけだが、メンテナンスを手抜きせずにお願いしたい)どちらの審査にも青木さん関わっている
車を運転しなくなって久しいので公共交通で行きやすい建築でもあるけど、興味あるけど車なしでは行けない建築は興味から外している
my長女は学会が札幌であるので、藤本さんの初建築と実家体験についてきた)どのような建築家に成長するのか実家を訪ねお母さんと、妹さんとわいわいした。おれの思ってたような世界を代表する建築家に20年後にはなった。大阪の例のイベントでは足を引っ張られるだろうが、今後ますます注目されるだろう建築界の一人だ。
 






 
9月9日  庭の桜から落葉が激しくなっている 秋本番かな

■辻さんの居宅について、あれこれ書いている。まだ半分ほどかな。完成目標は今週末。

■豊橋市の元・川合健二さんの家をすとリュートビューでさがしたが、半日かかった。原因は記憶違いだった。こんな場所だったとは、もっと東よりだとばかり思ってさがしていたので見つからないわけだ。

■今日のFB投稿

故・川合健二・花子さんの元家(築58年=1966年竣工)
半日かかって見つけた(ストリュートビューで見る)1990年前半に訪ねたが、場所の記憶はかなり違っていた。で昨日は見つけられなかった。それにしても太陽光パネルだらけになってた。 樹木伐採も進んでいる。
 




   
9月8日 のち夕刻小雨

■午前午後、琢磨さんの居宅について書き始める。周囲の環境とか歴史的な視点で見まわしながらすすめている。

■今日のFB投稿

川合健二さんの家、正橋孝一さんの家(基準法上は住宅ではない)
土木資材でつくり、基礎はなく、どかんと大地に置くだけで家になる。固定資産税も払ったことないと聞いたが、建築にむりやりみとめられてかは知らない。横穴住居・現代版とでも言っておこう。正橋さんはセルフビルドだ、どちらも訪ねたのは2000年代以前で記憶が定かでない。川合さんの家は二川駅そばだったと思うが、故大島哲蔵に案内いただいた。正橋さんの家は長野県内をうろちょろしつづけ、わからずタクシーの運転手に聞いたら、このあたりだと教えてもらい探し当てた。正橋さんとだべって2しょっとした。現地に立ち、肉声を得ることでメディア情報から逃れられる。

東海地方には面白い家を考えつくひとがいる。311後に発明された、北川先生のインスタントハウス。21世紀建築代表の建築の一つだと思う。だが無視されつづけるようなきもする、で外国から逆輸入で国内評価、太鼓判おされるような気がする。そうならないでほしいんだが、

 






     9月07日  ときどき晴れ 外気温は30度きらない

■居宅についてweb記録をつくろうと、おもい、県立図書館に行き、各種資料をかりてくる。そして読む、というか目を通しながら、記録につかう文全体の流れを構想する。1週間かけて仕上げるよてい。写真データなどもさがす。
人間が住んでみた居宅はいろいろあり、そこを整理するのが面白いと思う。あまり深入りせず、表面をなぞるぐらいにしておきたいが・・どうなるか。

■今日のFB投稿

家族の飯の食い方 
昭和28年(1953年)魚沼郡六日町の家族のめしくい
箱膳で各自茶碗にもり、輪になって、あるいは対面し食べていた
2024年9月我が家のめしの膳は石の膳、箱膳や木製テーブルなど動くのが嫌。で石のテーブルにして40年食い続ける。3人家族になったけど3人揃う飯は夕飯のみ、あとは各自好き勝手にこしらえて食べる。次男はスマフォみながら食べる、個食化どうぜんだが、好きな時間に食べるよが進んでいる。困った問題がでてきたら家族会議を開いてワイワイすれば済む。
活動の仕方が各自異なるので、無理に合わせて、一緒に飯を食う必要がなくなっている。猫のように自由に行動するけど一緒の場に暮らす。飯の食方史を調べてみよう。

共同炊事場、1970年ごろ福島市の腰の浜にも在った。野菜を洗って市場に出す場でもあったし、情報交換する、愚痴を語り合うなど多機能な場 。写真は1954新潟県温海町のひとこま、洗濯と米を研ぐことも同時におこなっていていいね。山水を使い上水溝と下水溝がわかれていて機能的なかんじがする。
 









 
 9月6日  

■午前、近所のスーパーにて食材を買いだす。米5kg袋があったので、税こみ3000円で買う。食材+5kgだったので重たすぎた。自転車パンクするかと気が気ではなかった。二度にすればよかったかも。

■午後は、Ta2のwebデータを整理する。おおかた見通しがついたかも。

■FB投稿

菊眞さん博士号取得、祝うよ!
京大に入学した91年以降、私的交流つづけている一人の菊眞さん。博士号取得おめでとうございます!(ご苦労様でした)─現在・高知工科大の先生に着任し学生を鍛えあげている。─我が家に来たので呑みわいわい、卒業設計の講演会に呼ばれ高知で呑みわいわい、白石市に10年工期でなったお父さん最晩年作の現代磐座を体験(非公開)して呑みのみわいわい。奈良に菊間さんの自邸完成し一泊させていただきのみわいわい。一対一でなど何度一緒に呑んでだべったことか・・彼の建築へ経路を知っているのでご苦労が分かる。
誰彼となく、教壇に立っている者には「博士号取得しないと・・」と嫌なことを言い続けていた。菊眞さんも俺の口害に遭った一人。数年前、博士号取得のため京都工芸繊維大学の博士課程に入学し、博論を書き始めた。─それにしても遅い・・まいいか、─とうとう論文完成し審査も通過し博士号取得されたとのこと、祝いたい!祝いたい!


 
 9月05日  夜コオロギの音が盛んになり日いちと秋に進ようだ。

■午前中1時間ほど壊した家具を、ゴミ用に小さくしてゴミ出しをする。
■午後、myHPの玄関改修をする。
■琢磨さんの部屋も増築同居するなど、こつこつ作業している。

■FB投稿 (木造美術館が24年たたずぼろぼろになり改修費用が3億円で話題に)

メモ)建築が話題にのぼるのはほぼ問題系ばかりかも
木造建築は伊勢神宮のように高品質のヒノキ材で造り、20毎に造り替える!、そういう覚悟がない木造建築は腐朽しゴミになるよ。建て替えなくっても、贅沢建築の修繕に毎年修繕費を掛けない、点は指摘なし。木の欠点を最初から分かっているので、化学処理してもその点はままで、腐朽して目につくようになってから否定的に扱うのは選択した人々、コンペ審査で選んだなら審査員などの問題、世界的に冠ついた者へ特名設計の発注なら行政内部の発注の姿勢の問題だろうが・・視聴者はどう思うのかな。設計者への批判だけなら阿保よばわりされると思うよ。

木材の腐朽問題は、建設の事前に行政が十分検討し、採用の決論にいたったのか、その点を公文書開示など調査の資料に当たってから、記事にすべきではないのか?読者視聴者から考える力を奪い取り上げるのはマスメディア界の問題だ。

 






  9月04日   爽やかな秋空と空気

■午前、午後、HPの玄関を改修しつづけ、2013年から今日までの部分をあらかた改修をえた。リンクがスムーズに稼働するかどうかは、暇をみながらコツコツ細かい修正をする。
新・PCとホームページソフトの以前の古いソフトと比較すると相性が悪、編集頁と表示頁のずれがはげしい。なれるべきか、方法があるのか、研究してみよう。

■夕方図書館にいき『出島─蘇るオランダ商館』2008年刊行を借りてくる。出島発掘調査の市役所職員が全員女性だと、あとがきにあった。もう一点はオランダ人と遊女の間に生まれた子供は7才まで出島内で暮らすことができた。ともあった。毎日母親が出かけていって、乳飲み子をそだてたのだろう、そう想像した。新しい出島の暮らしぶりを想像する手がかりの一つとなる。

■FB投稿

陽射し除け葡萄 実をつけていたのでもぎ取る、甘い!
食堂に夏の日よけのためだいぶ前に植え、消毒剪定せず、単に日よけでいいんだけど、毎年毎年、けなげに実をつける。
・思ったよりも房がある。どうしようか?家人は血糖値があがるので、食べない。潰してジュースにし冷やして飲む。まま食べる・・ジュースを四角い氷に凍らせてかじる など思案中
さっこん大げさはやりなので、ならうと無農薬放置農法とでもいうのかな 陽射し除け 幹を食う害虫に時々やられているけど30年ぐらいたったかも。
 








   9月03日  日が短くなった

■4年ほど整えていなかったHPの玄関を改修し始めた。地味な作業をコツコツこなす。
今週中には終えたいものだ。
■尿酸値が高かったので、薬をのみ1月 30%ほどさがって平常値ないに収まりだす。引き続き投薬する。血液検査の結果、コレステロール値が正常値より30%ほど高い。夏場だと思い、肉を食いすぎたかもしれない。飯もくって夏場を乗り越そうとしたのが仇になっている、そう思うけど、医師には告げず。食べる量を減らし、脂身の多い肉は食わないようにして1ヶ月すごしてみよう。酒は呑んでもいい感じだが、ビールはやめておこう。お酒も適量に押さえるのが肝心。

■今日のFB投稿

『法隆寺の精神史』(30年前に買った)推し!
3・11の災害が起きるまで木造建築に興味がなかった。津波被災地にいくと、高気密高断熱の建築が無残にもゴミの集合で成り立っているかのような、無様でむごたらしい末路を晒していた。大津波が押し寄せてきた沿岸部を歩きつづけ、気持ち悪くなった。不純で汚い建築物の末期を見てしまった、そういう思いはますます木造建築嫌いを補強する体験であった。他方、地域の産業と一体となり成した土蔵をふくむ古民家の末期も観た。両方見てしまい古木造建築に興味が沸いた。古木造建築がもっていたあのすがすがしさを現在実現することは不可能だ。
日本の木造といえば「法隆寺」を観ずして語るなかれ、という思いで関西のゼネコンに就職し設計部に配属された。が1ヶ月のジョブトレーニングが済んだら東京支店設計部に配属指令が発しられてしまった。東京から「法隆寺」は遠い、まして福島市からも遠いので修学旅行で訪ねてから、50年後、大津波が来て木造の末期を観るまで忘れていた。
あれから12年経った、すこし整理され落ち着いてきたので意を「法隆寺」を観光した。俄然、理由は省くが法隆寺が好きになってしまった。
重源ずきの俺は、南大門も浄土寺浄土堂も体験し観た。年に一度だけお堂が開き一般人が重源像とひと時を過ごすことができる(推し)ので昨年だずねた。実にいい(理由省く)。なぜ、重源様式が瞬く間に消えたのか、それは建築界隈の者なら誰でも持っているだろう、太田博太郎著『日本建築史序説』(彰国社1947年刊行)に書いてある。造者集団によって重源様式は見捨てられたそうだ。
げんざいの法隆寺は建築と人の営みと哲学思想が一体にあり、バランスが絶妙で整然と当時のまま在るようにみえる。日本の大工たちの心、たとえば彼らの乱れ無節操を顕している擬洋風建築とはまるで違う事態だ。発注者、大工たちの、そして被災地で観たあの汚いこと極まるゴミの集合、あの木造建築を設計する者(俺を含む)施工する者どもを逆照射してしまう。法隆寺は特権階級の特異なトポスだが、法隆寺は体験すべきたと考え50年ぶりに確認しに行き、そう思った。
『法隆寺の精神史』には、例の中太柱がエンタシスが・・・と論じた、(米沢市生)伊東忠太論にある、西欧の建築史観に影響され過ぎたお調子者伊東を克明に、あざ笑うかのように、美人を論ずるように、語っている。一般の人にも法隆寺のエンタシスという「冠言葉」を消滅させてくれる。古木造建築(知識)は伊東のように論じる作法によって、広く人々の脳の一部を占拠している。半世紀以上、あやまった知識を持たせつづけている。そう、建築研究者の悪の部分を教えてくれる。井上章一は建築界の裸の王様を指さして克明に否定していて、建築業界からは無視される後ろ指さされ、追い出されるだろう。が、彼は被災地無残な建築を見続ける機会があった俺にはとても気持ちのいい人間だ。建築に限らず人物像もそうだが「キャッチーな冠言葉を信ずるな」、それを再確認させられる。「専門家の論は半分だけ聞け」「あとは自分で体験し持論を持って補え」ということかもしれない。
 


















   
9月02日  時々陽射しあり、南風あり蒸し暑い

■農協直販所に行き、桃を買う。今季最後で少し柔らかくなると甘味増すと店員さん。

■HPのインデックス頁をすこし整理しだして、観易くしようと作業を始める。やはり、画像とキャプションの整理だ。自分用にHPを作っているのだが、少々手抜き気味なので、ここらだ一節いれようと始まる。今週中仕上がればよし。

■今日のFB投稿

5年ぶり(?)full chin(mywebサイト)玄関の改修はじめる
記録はたくさんあるけれど、俺自身が見つけ出しにくくなってしまったので、工期は1週間で改修工事を始める。
さほと変えないが俺が使いやすくする。それから、こまでの他者の記録をまとめ観易くする「〇〇さんの部屋」を新増設。そんなことかな。(我が家、風はあるが蒸し暑いね!)
新PCとHPソフト相性わるくって、こまりはてているが・・何とかしよう

この夏さい後の福島産の桃(絵はおれみたいにシミが多い家庭用)
桃独特のあまいむむむ、という桃特有のあの香りがたたないので、箱を開けても桃なの・・・香り大事だねやっぱり人も果物も。(加齢臭要注意人思) 
■農協直販所で家庭用箱詰め品、贈答用の33%ぐらいだ。肌にシミや傷そして日の当たらない青い尻など、不味いのかと皮をむきガブリ、うまい!店員さんによると数日寝かして柔らかくなったら甘味ますそうだ。品種は忘れた。


 










   
9月01日  台風が太平洋高気圧に阻まれ東北の地までこないが風がある

■家人は食事中に気管にものを詰まらせ、息苦しそうになることが多くなった。あごやのど周りの筋肉の衰えだと言われている。それらを鍛える方はわからない。少子化になり家族間での会話が少なくなったからなのだろうか。

■午前中資料読み込みと食材買い出しをする。人が多かった。(日曜日は混んでいる避けた場所がすーぱーだけど)

■長崎漫遊記を書き終えたこといして、あるいは一端節を入れてき公開する

■FB投稿
長崎漫遊記 (人肉声を聞きとった記録ではなく、旅の記録)
1泊2日の突発の旅をweb頁に仕立てるに3ヶ月かかった。これまではその地に暮らす人々の肉声を文字にしweb頁を作り公開してきた。今年からは人からすこしはなれ、地形や歴史をみつつ人を見て記録するつもり。(で、何本か作り始めたが完成してない)
■数年前、福島市のまちづくりに関する講演会に参加した。そのとき講師の先生が「わくわくしない町になった、昔は胸が高鳴る町だったのに・・」と子供のころの話をしだして、情報はたくさん蓄えているが俺にとっては嫌な奴だかもしれない、そう思いながら聞きいた。「わくわくしない」は「つまらない」という意味で非礼にならない狡猾な発話だと思う。加えて参加者に同意もとめる。聴衆もつまらないと語る姿をみてあきれつつ違和感をもった。講師がどんなノスタルジーを持って訴えようが、かまわない。しかし有識者が語ることを鵜呑みにしまき散らす、凡庸な人々がいることも自覚して語る方がいいのではないか。福島市の町に「つまらない町と」冠を与え理解したような気になっている人を軽蔑し続けてみている、「友達になりたくない」ので近づかない。そう行動するだけだ。
■この四半世紀、ささやかな旅をしていきたが、「わくわくしたり、つまらない町だ」なんて分けて考えたことがない、どこを訪ねて、事務所の床に寝かせてもらっても興味深い。市井に暮らす人々の家に泊めてもらうと、布団が与えられるから心身によく熟睡できる。泊めてもらって活動中に発熱してしまい、看病してもらたこともある。それらの町は福島市の暮らしや暮らし方と異なる、水の味も違う。だから興味がつきず、ささやかにmy活動を25年以上つづけ、見知らぬ町に友人もたくさん得交流している。さらに、我が家に来ていただいて、雑魚寝しながら、福島にある温泉や果物選果場を案内してきて、温泉に浸りながら建築談義もどれほど実施したか数えていない。福島市にはそういう交流相手がいないだけだけど、つまらないなどと思ったことはない。
■my長女にぐうぜん長崎漫遊1泊2日の旅が与えられた。興味深い歴史の重層がうきでてきいる場所だらけだった。坂道も多くて、老人にはキツくって体力の消耗も激しく足が笑った。そこは原爆被爆の歴史で語られることが多いけど、被害史はどこにでもあるように思う。(日本で加害史を展示しているのは1館だと思う)
長崎には江戸期から出島という外国との交流の場がある。加害を始める(近代史というのかな)準備期間という、歴史を内包してるので目を開いてみた。
だから前立腺がん治療に重なるように通風に襲われ、輸血するような強制入院も挟んだ3ヶ月間だったけど飽きることなく、時間をみつけては長崎漫遊記web頁を作ることができた。
ここで一節つけておき、長崎の台地とこれまで長崎を築きあげた圧倒される数にのぼる(市井)無名の人々に感謝を表しておきます。
(長崎漫遊記はまだ不十分だと思うので節を入れ、今後も書き加えていきたい。)

身近に交流している場で「わくわくしない」という言葉を耳にしない。もっぱらシステム害からくる生きづらさは聞くことがある。その場合は逃げる。海外を歩くことを勧める。そんなことしたら食っていけない病が蒸発した場に行ってみたらいい。単に自身の勇気なさを知らされる。